第54話 無慈悲な日常─────第一節 許されない─────………夢を見た。これが自分にとっての『死』のイメージなのだろうか。それは判らない。ただ死に近づけば近づくほど、見る気なんてない光景が蘇ってくる。より鮮やかに、より明確に、熱を伴い息苦しさを伴って。動けなくなり崩れて消えていく人々。誰もが助けを求め、助けなどなかった時間。悲鳴が響き、泣き声は鼓膜を突き抜け、助けを乞う声だけが精神を切り崩していく。誰も助けられない。自分も助かりたい。苦しかった。苦しくて苦しくて、生きていることすら苦しくて、いっそ消えてしまえば楽になれるとさえ考えた。朦朧とした意識の中で、意味もなく手を伸ばした。今にも雨が降りそうな灰色の空。思考が停止したまま手を伸ばした。助けて、なんて考えすら浮かばない。その灰色の空に、ただ。『遠いなぁ』と。思っただけだった。それが何を意味していたかなんて、判る筈もない。その遠い灰色を見届け、意識は消えて持ち上げた手はパタリと地面に落ちた。………いや、落ちる筈だった。力無く沈む手を握る大人の手。それはあの大火災の中、誰でもいいから誰かを助けようとやってきて、この自分を見つけ出した。………その顔を覚えている。目に涙を溜めて、生きている人間を見つけ出せたと心から喜んでいる男の姿。─────それが、あまりにも幸せそうだったから。まるで救われたのはその男の方ではないかと思ったほど。機転。死を受け入れていた弱さは生きたいという強さに変わり、何も考えつかなかった心は助かったという喜びだけで埋め尽くされた。その後気づけば病院にいて、その男と面会することになる。それが“衛宮”士郎の誕生。それが十年前の話。それが全てを失った者が生まれ変わった時の話。憧れた。─────何に?─────救ってくれたその人に憧れた。─────なんで?─────人を救うことに憧れた。─────なぜ?─────“衛宮”士郎はただ切嗣の後を追っていた。その男のようになるのだとしか思えなかった。あの時の顔が忘れられず、その幻影を被ろうとした。ただあのように笑っていたいと願って。燃え爛れる街の中でただ一人生き残れた責任を追い続けた。それを忘れた事など一度もなかった。憧れた人の為に目指したモノになると決めた。あの日の約束の為、そして救われなかった人たちに胸を張れるように使われ続け、それを代償としてここまでやってこれた。願うものは平和だった。少なくとも、自分の知り得る範囲の中で泣いている人がいないようにと。困っている人がいれば助けてあげれるようにと。そうすればきっと─────いつかは自分も。あの時の切嗣のように笑えるのなら、それはどんなに、救われるのかと希望を抱いて。けれど。不意にこう思った。『じゃあ、守れたのか?』………手が、痛んだ気がした。◆「──────────」目が覚めた。視界はここ最近にしては珍しくクリアな状態だ。だがそれに反して体は全身に鉛を埋め込んだかのごとく重い。そして視界がクリアになっても目に入ってきた光景を理解することができなかった。見慣れない天井、見慣れない家具、見慣れない景色。時計の音がやけにうるさく感じる。体にかけられていた毛布と自分が寝ている場所を把握し、ようやくそこが自分の家ではないことを認識する。「─────ここは」間違いなく自宅ではない。自宅にソファなどない。あったとしてもソファで寝る様な事はしない。「────、─────。………えっと」後頭部に痛みを感じながら、体を起こす。時計は午前七時を少し過ぎたあたり。寝起きということもあるのだろうか、未だにこの豪華なリビングがどこなのか思い出せない。気が付いてみたら、その手に固い感触があった。どうやら知らないうちに何かを握りしめていたらしい。強く握りすぎていた所為で掌の一部が切れて血が滲み出ていた。「………これは、ペンダント………か?」赤い色の水晶、とでもいうのだろうか。綺麗なカタチ、色合いをしたソレは間違いなく衛宮士郎の持ち物ではない。が、ではそれがなぜ自分のポケットにあったのかという謎が残る。そしてこれは一体誰の持ち物なのかという疑問が出てくる。「………氷室、か? でもこんなの持ってたっけ」何となく頭の中に浮かんだヒトを口に出して、違うかなと否定する。となると残る人物は………。「─────って、よくと考えたら一人しかいないか」少しだけ意識を向けてそのペンダントを見ればわかる。僅かではあるが魔力が感じられる。量こそ強化魔術一回分にも満たないが、“魔力が篭められている”以上はそれは一般人である綾子や鐘ではありえない。「………遠坂の奴、なんでこれを俺に─────」言いかけて、止まった。凛の宝石で魔力が篭められていた、というのであれば士郎の強化一回分すら賄えないような魔力だけを篭めていたとは考えにくい。が、現時点で残っている魔力量は僅かしかない。つまりその大部分が何らかの魔術行使に使われて、しかもそれが自身のポケットに入っていた、ということだ。「ギルガメッシュ………!そうだ、アイツに吹き飛ばされて」朝の鈍った思考がようやく働いてきたのだろうか。昨夜の出来事を思い出した。となればこの体の状態にも、このペンダントの状態にも、それを自分が持っているのも、そしてこの見慣れないリビングにも説明がいく。「ぐ、─────」激痛と共に視界にノイズが奔る。見える世界は揺れ動き、立ち上がろうとする足に力が入らない。自分の体を見てみる。変わったところといえば。「………また、広がっちゃったな」右腕から右肩にかけて広がる銀色の物体を見た。首筋に手を添えてみれば、死角的な問題で自分の目では見えないものの、硬い物質を感じる。鏡で見れば恐らくこの腕と変わらないものがあるのだろう。「─────」一番最初に気付いたのは腕。その時はまだ小さかった。遠目で見ても見間違える程度だ。アーチャーとの戦いで腹部に“それ”が現れた。………いや、アインツベルン城でギルガメッシュと戦ったときから兆候はすでに出ていた。体のほぼ中央部に発生した“それ”は、少しずつ上へ上へと上がってきている。右腕は右肩へ。右肩は右側の首筋へ。腹部は胸部へ。不意に。このままいけばどうなるのかと想像した。上へと上がってきていると言うなら、いずれ顔にも侵食してくるのではないか。では顔の次は?「─────それは、まずいな」息を吐きながら、連想ゲームを止める。体のあちこちが痛む。体の中がどうなっているかなんて自分でもわからない。この肌に見えるように内部も一部がそうなっているというのなら、この引かない痛みにも納得はいく。だが、それはとてつもなくまずい。それが脳や心臓に達したらどうなるかなんて、医学者じゃなくてもまずいとわかる。「自分の体なのに、どうして」まるで戦うのを止めようとしているようにも見える。戦うなら自滅するぞ、とこの剣が訴えてくるようにも─────「─────馬鹿か。そんなこと」在り得ない、と一蹴した。寝起きと痛みと混乱の所為でふざけた考えが浮かんだ。戦いをやめるわけにはいかない。やめるとすれば、それはこの戦いが終わってからだ。少なくともこの戦いを放棄すれば助けられないのは判る。気を抜くと痛みで倒れそうになる体。自分で自覚して、歯を食い縛って精神を集中させる。「顔、洗おう………」このリビングに誰もいないのが気になる。ギルガメッシュはどうなったのかも気になる。桜は無事だろうかと気になる。だがそれらを考えようとする度に、頭を金槌で殴りつけられたかのような頭痛が奔る。寝起きで頭痛がするなんてことは今までなかった。意識がちゃんと定まってない所為か、なんて思いながら重い足を動かしていく。「はぁ─────、あ」ゆっくりと内部に溜まった息を吐き出す。呼吸に合わせ痛みに慣れていく。誰もいないリビング。朝日だけが弱く射し込むその部屋に、誰かがいたと思われる毛布が二つほどソファに置かれている。きっと氷室と美綴だろう、と簡単に内部で結論を出して、ソファから立ち上がる。歯を食い縛ればこの痛みには耐えられる。「誰もいない、のか」リビングに一人。感覚が鈍っている所為で近くに人がいるかどうかも判らない。ドアに向かう。気になることは山ほどある。倒れそうになる体を壁で支えながら廊下へと出る。視界はゆらゆらと揺らぎ、体が熱い。頭の中はまだ完全には起動していない。「………駄目、だ。こんな状態じゃ」頭を軽く振る。水で軽く顔と頭を冷やして、そうすればもっとまともになる筈だ。廊下を歩く。家の構造は把握していないが、歩き回ればそのうち見つかる。その途中で誰かを見つければそれでよし、見つからずともこの気持ち悪い状況を改善できれば普通に探せる。「………水の音?」静かな廊下。鳥の囀り程度しか聞こえてこない廊下に僅かに聞こえてくる音があった。水が流れている音。音に誘われるように足を動かす。水が流れているということはそこに洗面所があり、同時にそこに誰かがいるということだ。扉の向こうより聞こえてくる音。誰がいるのかと気になりながら、ドアノブに手をかけたときだった。『─────では美綴嬢、あの橋に行ったのか』声が聞こえた。ゆっくりとドアを開けようとしていた腕が止まった。話し方、声からして今のは彼女だろう。そして中にはもう一人いる。『………一応出歩いても大丈夫そうな時間帯になって行ってみたけど、ボロボロの橋だけで誰もいなかった』思考が、停止した。クラクラする。バチッ、と電流が奔るように、一瞬だけ視界が眩んだ。帰ってきていない。橋。誰もいない。ギルガメッシュ。戦闘。─────考える必要は、なかった。―Interlude In―外にいた私は顔を洗いたいという美綴嬢と共に洗面所へと来ていた。「なぜ外にいたのだ、美綴嬢?」顔を洗う彼女に問いかける。遠坂嬢が帰ってこなかったという証言。事実この家に遠坂嬢の姿はない。「外に出てたから、かな」問いに対してこの答え。外に出た理由を尋ねているのに、外に出たことを答えている。らしくない、と不意に思った感想を、やはり私は取り消した。取り繕うという努力こそしているけれど、失敗している。─────帰ってこないそれがどんな意味を示すのかなんて。日常生活ならまだしも、今行われているソレは『戦争』。嫌というほど判っている。普通でなんていられない。「………街のどこかにいるかもしれない」気付けば言い聞かせるように呟いていた。死んだなんて認めたくないのは事実。帰ってこないのは単純に帰ってきてないだけであって、街の中で無事に活動しているかもしれない。そう。セイバーさんが強いというのは十分に理解しているつもりだ。そんな彼女と一緒にいるのだから、敗北なんて─────『私は鉄橋に行くわ。セイバーがギルガメッシュと戦ってる。放っておくわけにもいかないでしょ』ギルガメッシュ。ああ、矢張りいい思い出なんて何一つ出てこない。まるで死神のように冷たさしか感じてこない。あの男の強さもまた私は知っている。森の中の城、士郎の家。自分の中であの男なら或いは、なんて考えが浮かんでしまった自分の頭を殴りつけたくなった。「なんで外にいたのか、だっけ、氷室」顔を拭きながら話しかけてくる。だが顔は此方を向いていない。正面の鏡に映る自分の顔を、そして鏡越しに見える私の顔を見ていた。「………あんまりにも帰ってくるのが遅いからさ、思い切って外に行ったんだ」その言葉を聞いて、納得した。「─────では美綴嬢、あの橋に行ったのか」いつの時間に行ったのかはわからない。が、危険であることには変わりなかった筈だ。「………一応出歩いても大丈夫そうな時間帯になって行ってみたけど、ボロボロの橋だけで誰もいなかった」誰もいなかった。その一言がこれほどまでに場を重くする機会が今まであっただろうか。無論、悲観だけではない。単純にそこにいなかっただけで、つまりそこに死体がなかったということは、生きている可能性はある。じゃあ彼女は無事かどうかと言われれば、それは別問題。「士郎にはなんて─────」言えばいいのだろうか、と思ったときだった。「………誰かいるのか?」僅かに開いたドアに気付いて扉を開いた。「………?」しかしそこに人は誰もいない。廊下はいつも通り静寂。異変は特に何も─────「………」「? 氷室?」ドアノブ。外側のドアノブにそれはあった。血の痕。絵の具を引き延ばしたかのように血がぬりつけられていた。恐らくは血が出ている手でドアノブを握った所為だろう。「………美綴嬢」視線を戻さず、この場にいたであろう人物を思い浮かべる。この家の中で一番血を流している可能性が高い人物で、この場所まできていなくなる人物。「血?─────って、これ、もしかして………!?」美綴嬢がリビングへ駆けて行く。だが、私は玄関へと向かった。ああ、もう彼の性格は嫌というほど判っている。判っているから。“自分の為に誰かが犠牲になることなんて絶対に許さない人物”だって。玄関についてみれば靴がない。それを確認して、私も彼と恐らくは同じように、外へ飛び出した。―Interlude Out―─────第二節 街─────「は─────ぁ─────」足を動かす。とにかく今は捜すことに集中する。とはいうもののこの剣群の体で出歩けば間違いなく警察に捕まる。急ぐ気持ちはあったが、そんなことで時間を取られるわけにはいかないため一旦家に帰って上着を着る。時刻はもうすでに八時を過ぎている。凛の邸宅からここまでで一時間。時間の過ぎ方がおかしい。どう頑張っても一時間の経過はおかしい。体の痛みの所為で行動速度が落ちているのだろう。事実動くだけで痛みは体中を駆け回り、視界は歪み、思考はドロドロに溶けていく。「はあ─────はあ、はあ、あ─────」そうして衛宮邸を出たのが一時間前。鉄橋に来ていた。同じ一時間なのにどうしてここまで移動距離に差があるのかなんて、今の状態では考えられない。朦朧とした頭は、漠然と当てもなく足だけを動かしている。日曜日とは言えどこの時間帯になってくると人通りも多い。幸い今は冬の時期なので右腕や腹部の剣群を隠すために少し厚めの上着を着ても違和感はない。「………やっぱり、そうだよな」鉄橋の歩道は普通に通行できるが、車道は通行止めになっていた。看板を見れば橋の補修工事、と銘打っている。あの戦闘のあとの数時間だけでの隠匿は不可能だったらしい。しかしこうすれば一般人にはばれる事はないだろう。そして当然そこに凛やセイバーの手がかりはない。仮にあったとしても工事を行っている人物が先に見つけているだろうし、ここにきたという綾子が見つけている筈だ。止まっていた足を動かしていく。正直どこにいるかも見当もつかないがここに止まっていても手がかりはやってこない。「そういえば、何も言わずに出てきちゃったな………」ふと遠坂邸にいるであろう人達の顔を思い出した。凛が帰ってきていないと聞いたとき、思考が真っ白になって家を出ることを伝えていなかった。「いや、いざとなったらアーチャーだってあの家にいるだろうし、大丈夫だ」昨日の夜以来、アーチャーからの連絡はない。そもそもアーチャーは自らラインを切っている。『─────くん』アーチャーというクラスはマスターからの魔力供給を絶ったままある程度の自由行動ができる。それはつまり、その間はアーチャーがどこで何をやっているかが把握できないということでもある。確かに士郎の魔力も少ない。だが、自分自身の魔力が少ないと言う状況で経路を絶つなんて何を考えているのか、と思う。「………案外、ラインを絶っていても回復に徹すればある程度元に戻るのか?」ぶつぶつと呟きながら新都の街中を歩いていく。歩いてはいるもののどこを探せばいいか全く見当がつかない。頭の中に一瞬だけ過った最悪の結果を振り払い、駆け足になろうとして─────「衛宮君?」─────転びそうになった。「と、遠坂─────」後ろからかけられた声。聞き覚えのある話し方だったため、咄嗟に後ろを振り向いて。「? どうしたの、衛宮君?」「さえ………枝、か」振り向いた先にいる少女を見て、正直気が抜けた。「あ、ようやく気づいてくれた。何度も声かけてるのに反応がないから無視してると思っちゃった」「え? あ、わ、悪い………。ちょっと考え事しててさ」由紀香の声を凛の声と間違える。なんて間抜け。「それで、どうしたんだ? こんな朝から」「朝? うーん………朝っていうよりはお昼だと思う。これからお昼ご飯食べる約束してるから」「………昼?」周囲を見渡し、時計を見つける。時刻を確かめてみると、十一時半をすでに過ぎていた。「─────」違和感がある。ついさっきまで鉄橋にいて、その時はまだ9時をすぎたぐらいだったはずだ。体内時計なので正確な時間ではないが、それでもここにくるまでに二時間もかかったとは思えない。「衛宮くん、大丈夫? 何か変だよ? どこか具合悪いの?」「あー……いや、大丈夫。これから食事なんだろ? 誰と約束してるんだ?」「蒔ちゃんとだよ。私も蒔ちゃんもちゃんと退院できたから、時間ができたらお祝いにっていうことで一緒に食べようって」「そうか………」学校が聖杯戦争の戦場になったことは記憶に新しい。結界によって弱った由紀香もまた大事をとって入院していた。「鐘ちゃんも誘ったんだけど、手が離せない用事があっていけないって。一緒に食べたかったのにな」その残念そうな顔を見て、それを断った彼女の心境を考えたとき、ズキリ、と心が痛んだ。由紀香は鐘が聖杯戦争に巻き込まれていることを知らない。手が離せない、というのはそのことも考慮してわざわざ断ったのだろう。三人の仲がいいことは知っている。何事もなければ休日は三人で街へ繰り出して食事やショッピングなどを楽しんでいただろう。「また今度誘ってあげればいいじゃないか。次は絶対に大丈夫だからさ」そう、それが普通だ。そうでなければいけないモノだ。「うん、そうだね………?」「じゃあな、三枝。ちょっと行くところあるから、これで。最近物騒だから夜は出歩かないようにな」由紀香と別れ、正午の新都を歩いていく。行くあてはない。とりあえずは人通りの少ない場所を目指すべきだろう。セイバーもギルガメッシュも目立つ。人目に付く場所にいるとは考えづらかったからだ。─────第三節 行き先─────士郎を探すため家を出てすでに数時間。………やはり、というべきだろう。この広い街中で一人の人間を探し出すのは無理があった。どこか目的地があってそこにいけばいい、というものならば問題ないのだが、どこに行くかもわからないこの状況。「美綴嬢からの連絡もない。………お互い見つけれず、か」士郎の体は無事ではないことくらい鐘も理解していた。右腕と腹部を基点とするように銀色の物体が広がってきていた。それを見て無事であると思う訳がない。それに体の内部が一体どうなっているかも気になる。「一度家に戻るべきだろうか」携帯電話に映し出される時間と睨み合いながら新都の街を歩いていく。流石新都と言うべきか、この正午の時間となると人通りも多い。食事の時間ということもあり人気店には人も並んでいる。「………呑気なモノだな」その光景を眺めながら小さく息を吐いた。昨日一体何があったのかを知らない人達。もちろん知ってもらっては困るわけではあるが、そう頭で理解してはいてもため息は出てしまう。そこまでして、初めて鐘は自分の状態に気が付いた。「─────全く落ち着きがない」頭を下げて、深いため息をついた。昨日まで続く戦闘。殺されるのではないかと恐怖する毎日。寝不足もあるだろう。だが少し考えれば、目に映る平和な人達に対して小言が出てしまう自分がどういう状況かなんてすぐにわかる話だった。ストレスであり、八つ当たりだ。大よそ人の戦いとは思えない戦闘。しかもそれに巻き込まれている。いうなれば世界大戦のど真ん中に生身で立って、いつ死ぬかもわからない中戦争を観察しているのと同じ。精神に余裕がなくなってくる。巻き込んだのは自分なのに、巻き込まれたのは彼なのに。何もできずにただ傷つく姿を後ろから眺めているだけの無力な自分。意識しても変わらないのなら、前を向いていこうと思ってはいた。が、どれだけ意識を逸らそうとも負荷はかかってきて、何もできない自分に腹が立ってくる。「だから、きっと由紀香の誘いも断ったのだろうな。こんな状態で会っても落ち着かないから」由紀香からの食事の誘いを受けた時、いいかもしれない、と一瞬考えた。けれど、では死にかけながらも守ってくれる人を置いておいて、食事に出かけていいモノなのか。「ああ、士郎ならば行っていいぞ、なんていうだろう。………けれど、それは」自分一人だけ光の中に戻って、彼一人だけを闇の中に置き去りにしているようで嫌だ。とてつもなく嫌だ。士郎を救いたい。解放してあげたい。もう戦う必要なんてない、傷つく必要なんてない、といいたい。けれど、止まらない。昨日の言葉を聞いて、鐘は漠然とそう思った。例え戦わないでくれ、と言ったとしても士郎は戦うだろう。─────そう思うだけで心が苦しくなる。「衛宮………」ポツリ、と小さく呟いた。その直後。「よっ、メ鐘っち!」どん!と背後から勢いよく背中を叩かれた。そのあまりの唐突な挨拶により、心臓が一瞬止まったかと錯覚してしまうほど息を呑んだ。「っ………ば─────」戦争だの、恐怖だのと思い返していた鐘にとってはこれほど心臓に悪いものはなかった。いくら白昼とはいえ、この非日常(とはいっても鐘だけだが)で背後から脅かされようものなら、声すらでなくなるのは道理だ。「ん? あれ? 強く叩きすぎた? おっかしいなー、そんな強く叩いた覚えは─────」「………蒔の字」ゆらりと背後を振り返る。その姿を見た楓の顔が一瞬で引き攣ったが、今の鐘にはまるで関係がない。「薄暗い森の中にある崩れた城に一人取り残されるか、衛宮の土蔵の中に数日間監禁されるか、どっちがいい………?」「ひぃぃぃぃぃぃ!? メ鐘が異常に怖いッ!? た、助けてくれ由紀っち!」ズザザザーと、後ろにいる由紀香の背後に回り込み隠れる楓。その大袈裟ともいえる行動を見て、疲れを吐き出すように息を吐く。しかし、逃げた本人は割と本気だったようで、半分涙目になっていた。最初の森の中の城云々は判らなかったが、衛宮邸の土蔵の件はこれから一生忘れる事すらないだろうほどのイベントだったからだ。そして振り向いたときの鐘の表情。冗談ではなく本気でそう言っていると彼女の直感が告げたのだった。「ま、蒔ちゃん大袈裟だよ………。こんにちは、鐘ちゃん。こんなところで何してるの?」いつもと変わらぬ表情の由紀香を見てほっとする鐘。後ろで怯えてはいるものの楓もいつも通り。それが今の鐘にとって何よりも安心できる。「む………いや、少し、な」尋ねてきた由紀香の顔を見て、士郎の居場所を知っていないか尋ねようと考えた。が、由紀香が知っている筈も無く、後ろに隠れている楓も知る由もないだろう。もう少し二人と話したい気分ではあったが、士郎探索を中断するわけにもいかないため話を切ろうとしたときだった。「─────もしかして、衛宮くんを探してる? 鐘ちゃん」「士郎の居場所を知ってるのか!?」一瞬、街中の声が止まった。数秒してまたいつも通り正午の新都の喧騒が戻ってきた。「…………」「…………」「…………」由紀香は笑顔のままで固まっており、楓は目が点になっていた。そして君は読心術でも心得ているのかと突っ込みを入れたくなる鐘であった。「………えー、と。鐘ちゃん?」「………………何かな」「とりあえず落ち着いて。ね?」「………………ああ」自分のこれ以上ない失態に頭を抱え込みそうになりながら何とか耐える。「少し前に衛宮くんと街で会ったんだけど、向こうの方に歩いて行ったよ。なんだか疲れてたっていうか………」「向こうか………」指差された方角。あそこは確か住宅街だが、新都の中でも比較的古い建物が多い場所だ。空家なども多く、人通りもこの新都中心部と比べれば少ない。「それは何分前のことかわかるかな、由紀香」「うんと………大体十分くらい前かな。蒔ちゃんと会う直前だったから」十分。その時間ならまだ間に合う可能性は高い。「ありがとう、少し衛宮に用事があって探してたのだ。情報提供感謝する、由紀香」「どういたしまして。ほら、早く行った方がいいよ? 衛宮くん歩いてたけど追いつけなくなっちゃうかも」「ああ、ではそうしよう。重ねてすまない、由紀香」由紀香と楓に別れを告げ、情報を元に士郎が向かったと思われる方向へと進んでいく。何の情報もなく闇雲に探し回るよりはよっぽど探しやすかった。遠ざかっていく鐘の後ろ姿。その後ろ姿に正気に戻った楓が「お、おい。メ鐘、食事は─────むぐ!?」「駄目だよ、蒔ちゃん」叫ぼうとした楓の口を塞ぐ由紀香。由紀香の背中に隠れていた楓は見ることはなかったが、鐘の顔を正面から由紀香は見て、そして聞いた。『士郎の居場所を─────』(鐘ちゃん、最後はしっかり「衛宮」って戻してたけど、さっき咄嗟に「しろう」って下の名前で呼んでたよね)あの真剣な眼差しを見れば邪魔しちゃいけないと思ったのだ。二人の間に何があったのかは知らない。「何があったのかはわからないけど─────私は鐘ちゃんの味方だよ?」頑張ってね、と小さく呟いて、本来いく筈だったお店へと足を進める。「え? お、おい由紀っち?」「さ、ご飯食べよう、蒔ちゃん! 今日はお祝いなのだー」こうして二人の日常は過ぎていく。いつかそこに別の二人が加わるかもしれないと、一人頭の中で思いながら………。◆闇。ひたすらそこは闇だった。何日そこにいるのかもわからない。日の光が届いているのかも怪しい。何をされたのかも解らず、声すらもでなかった。何故─────がないのか、わからなかった。何をされたのかも理解できない。理解に数秒。その数秒が立つ前に想像を絶する痛みが襲って来た。なぜこうなってしまったのか、理解できなかった。もしかしたら、─────の忠告を聞いていれば─────様々な思考が駆け巡った。走馬灯のようなものも見た気がした。だが、今はもうどうでもいい。今、願うこと。それは「私は─────死にたくない」口も動かず、腕も動かず、足も動かない。意識すらもない。そうなる直前、ただ漠然と。誰もが思うことを素直に思って、意識は落ちたのだった。To Be Continued……….―an Afterword―おはようございます、こんにちは、こんばんは。作者です。arcadia復活おめでとうございます。復活からとりあえずは様子見ということで、大体一週間ほど窺っておりました。一つ思った事は復活からこのTYPE-MOON板の更新をされる他作者様がなかなかいないな、ということです。やはり皆様負荷を考えて様子見をされているのでしょうか。更新速度は目に見えて落ちてますが、失踪はしないのでご安心ください。………9月20日までに終わればいいなー、と思いつつ終わらないだろうと悟っています。感想などいただけたなら幸いです。今後ともFate/Unlimited World―Re を宜しくお願いします。