第53話 英雄王・ギルガメッシュ─────第一節 不安的中─────薄暗い廊下。窓より射し込む弱い光が照らす中、鐘は一人外を眺めていた。だが気持ちは落ち着かない。無事だろうかと思いながら廊下の窓から外を眺めていた。ここは遠坂邸。もちろん衛宮邸とは勝手が違うし、衛宮邸と違い魔術工房などもちゃんと存在する。つまり立ち入っていい場所といけない場所があるのだ。そうなるとむやみやたらに家の中を散策するわけにもいかない。結果使うのはリビング、廊下やトイレ等といった『仮に一般人を呼んだとしても問題ない場所』しかない。そのほかにも凛の寝室などもあるが、人の寝室に入る必要はない。『氷室、俺の体なんて後回しだ。今から遠坂を助けに行く。氷室たちは─────』別れ際に士郎が言った言葉。一見何の問題もないように見える言葉だけれど、問題がある。なぜ彼は自分を大切にしようとしないのか。聞けば彼は自殺願望者じゃない。それは言っていたしわかっている。問題はそこじゃない。“あまりにも他者を優先しすぎている”それが何よりも心に言い得ぬ不安を齎す要因となっていた。単純に言えば彼の優しさなのだろう。けれど、それにだって限度はある。現に彼の体はボロボロだ。保身的、とまでいかなくとももう少し自分の体を心配するような、せめて素振りだけでもあるのが普通だ。だが彼にそれはなかった。「─────」城の出来事でもそうだった。熱と痛みでうなされていながらも、一番目の言葉は助けを求める言葉ではなかった。他人を助けることはいいことだろう。それは否定しない。けれどそんなところとは全くの別のところで、“自分”というものを大切にしなければいけない。「………部屋に戻ろう」言い得ぬ靄を抱えながら綾子らがいるリビングへと向かおうとしたときだった。ガチャリ、と玄関より鍵が明けられる音がした。帰ってきたのかと思い急いで玄関へと向かう。そこにいたのは凛とセイバーだった。「遠坂嬢にセイバーさんか。無事だったのだな」「ええ、まあなんとかね。それなりに疲労はあるけど。………で、聞きたいんだけど士郎帰ってる?」「………え?」止まる会話。流れる静寂。この屋敷の作りを完全に把握していないとはいえ、誰が帰ってきたかくらいはわかる。そしてこの家に彼女らが帰ってくる今までに誰一人として玄関戸を開いた人物はいなかった。「あのバカ、まだ帰ってきてないってワケ………」セイバーの宝具を受けたと思われた場所に向かってみたが誰もおらず、先にイリヤたちのいる遠坂邸に戻ったのかと思った凛とセイバー。だが蓋を開けてみればまだ帰ってきていないという状況だった。「………もしかして自分の家に帰ったのかしら?」むぅ、と考え込む凛だったが鐘がそれを否定する。「いや、別れるときにここに隠れていろと言った。それを忘れて一人自宅に戻るとは考えにくいのだが………?」「そう………。ったく!一体どこ行ったっていうのかしらね。セイバー、探しに行くわよ」「わかりました」「氷室さん、そういうことだからもうちょっと留守番よろしく。あのバカが帰ってきたら縄で体縛り付けてくれちゃって構わないから」バタン、と閉じられる戸。彼女が士郎の動きを把握していないということは、合流できなかったのだろう。助けに向かって合流できなかった、というのもおかしな話だ。「………挟撃するために一度別れた、とでもいうのだろうか」だとしても士郎の動きが把握できていないというのはおかしい。つまり敵を倒した後、士郎は単独で動いたということになる。………いや、或いは動かざるを得なかった可能性もある。そう、例えば誰かに拉致された、とか。殺されそうになって必死で逃げた、とか。「………馬鹿な考えは止めよう。今はただ無事に帰ってくることを─────」不意に浮かんだ良くないことを否定しながらリビングへと向かう。だがこういう時に限って、良くないことは起こってしまうものなのである。突然勢いよく開かれたリビングの戸。そこから出てくるのはイリヤ。「イリヤ嬢、どうし─────」薄暗い廊下にいた鐘だったが、飛び出してきたイリヤにぶつかった。「シロウが………シロウが死んじゃう!」その言葉が何よりも不安を増幅させた。嫌な汗がにじみ出るのがわかる。─────衛宮が死ぬ?一度だけ、内容を反覆する。それだけだった。「─────イリヤ嬢」小さい手を掴み、握る。「─────場所はどこだ?」◆空は雲すらない夜空だ。にもかかわらず星が一つも見えないのはなぜだろうか。二月。嘲笑う口に似た細い月の光は地上を照らすにはあまりにも弱い。見渡すには頼りない街灯を頼りに冷たい冬の道を進んでいた。強化はいつの間にか解いていた。単純に魔力の限界が近かったからだろう。この先何があるかもわからない以上、魔力の消費は少しでも押さえておきたい。………そんな考えが果たして士郎の中にあったのかどうかは怪しいが。寝静まった深山町を抜け、川沿いの公園へと出る。先に見える鉄橋を超えれば新都へと入る。川沿いに出た事により見渡はよくなったが、再び上空を見上げてもそこに先ほどみたモノはなかった。「う、ぶ………」右肩が発する痛みが士郎を容赦なく突き刺してくる。気持ちが悪くなる。今の士郎には自分の行動に対する根拠など何もない。向かう先に目的の人物がいるかどうかなどわからない。そもそも目的の人物がどこにいるかなんていうのもわからない。ならば休んでしまえと体が訴えてくる。それを押し殺す。間桐臓硯はセイバーの手によって葬られた。マスターがいなくなった以上姿を眩ませたアサシンも時間の問題だ。つまり、桜を縛るモノはあの影のみだ。そして士郎の中にはその“縛り”から解放できる可能性を持つ術がある。「なら………せめているかどうかの確認ぐらいしないと」宙に浮かんでいたモノを正確に捉えたわけではない。見た覚えもあるモノだからこそ、確認にきた。それが無関係なモノだったならばそれでいい。その時は素直に帰るだけだ。けれどそれが桜に関するモノだった場合。放っておくわけにはいかない。そう思ったからこそ、足を止めずに向かっていた矢先のことだ。「っ!?」目指していた鉄橋の丁度中央部で閃光が奔った。時間こそ一瞬だったし、セイバーの宝具ほどの輝きはなかったものの、この暗闇の中では十分な光だ。「何が………!」状況がまったく掴めていないが、進路上に起きた事である以上無視もできない。すぐさま鉄橋へと向かう。「は─────、はぁ─────」息ぎれを起こしながら鉄橋へ。ズン! と振動が足元から再び響いてきた。同時に先に見える炎。何かが発火したらしく、橋の中央部に炎の海が出来上がっていた。「誰かが戦っているのか………?」解いていた強化を眼に集中する。魔力が残り少ない以上、無茶はできない。そう考えていたが、その考えは忽ち吹き飛んだ。「ギル………ガメッシュ………!! それにあれは─────!」強化を全身に施し、残り少ない体力で全力で走る。炎の海を挟んで向こう側。そこにいたのは、姿は変貌こそすれ、彼女を間違えることなどない。「桜ぁ─────!」紛れもなく、間桐桜だった。びくりと肩を震わした桜と、声に反応したギルガメッシュ。だがその時を狙っていたかのように、桜の上空に黒い渦が出現する。「あれは………!」かつて鐘を人質にセイバーを奪った敵、キャスターだった。「逃がすと思っているのか、道化師が!」ギルガメッシュが僅かに背後………士郎の方を向きかけた直後に現れたキャスター。彼女の神速の言葉はその一瞬があれば完了する。その一瞬遅れてギルガメッシュが桜へと一つの鎚を投じた。名をミョルニル。北欧神話に登場する雷神・トールが使用する武器であり、打ち砕く者という意味を持つ。投げれば必ず命中しひとりでに手元に戻ってくるという伝承も持つ。キャスターと桜の姿が消える。だが、投擲されたミョルニルもまた同時に消えた。そしてその僅か数秒後、消えたハズのミョルニルが再びギルガメッシュの手元に戻ってきた。その木槌には大量の血痕が残っている。「─────」ゆっくりと振り向いたその赤い眸はそれだけで射殺さんとするほどの眼力だ。だが今の士郎には関係がない。「てめぇ─────!!」もはや思考が真っ白になり、無意識に干将莫邪を投影。一直線にギルガメッシュへと走る。だがギルガメッシュにこそ、そんな士郎など関係がない。「チッ、殺し損ねたか」ミョルニルを消し、向かってくる士郎へ。「また貴様か、贋作者フェイカー。幾度となく我の前に現れて………。そんなに死にたいか」ギルガメッシュの背後に浮かぶ無数の剣のうち、一本が士郎目掛けて飛来する。その速度は今までの比ではない。「っ!!」強化された目が剣の弾道を見抜く。両手に握った短剣で飛来した剣を弾き飛ばし、さらに前へと突進する。だがどういうわけかギルガメッシュはそれきり剣を飛ばしてこない。それがどういう意味かを理解するよりも早く。「え─────?」走っていた体が倒れ、アスファルトの上を擦れる。何が起きたかも理解できず、ただ痛みを発する左脇腹を見る。そこに剣などなく、あるのは刺し傷だけだ。血が流れ、激痛が意識を刈り取ろうとしてくる。「何、が────」その言葉を言おうとして止まった。腕と脚に力が入らない。それどころか視界も歪んでいる。視界が赤くなる。「雑種、貴様の目がいいことはわかった。………ならば、だからこそ今の攻撃は避けられん」燃え盛る炎を背後に近づいてくるギルガメッシュ。一方で未だに何に斬られたかもわからないまま、必死に立ち上がろうと力を込める。しかし。「は─────ぎ………!」体が上がらない。何かに刺された脇腹が地面から離れない。それほどまでに重傷か、とも思ったが「─────まさか」左脇腹に手を伸ばし、何もない空を“掴む”。本来ならば何もない以上掴めるものは何もない。だが。「………不可視の、剣………!!」目には見えずとも、手に伝わる感触でそれが剣だとわかった。ギルガメッシュの言っていたことも至極妥当だろう。いうなれば戦闘機のミサイルに光学迷彩を付与したようなものだ。眼がよかろうと見えるわけがない。それこそミサイルを感知できるレーダーの類でも持っていなければ避けれる道理がない。「セイバークラスならば或いは避けるなり弾くなりできただろうが、単純に眼で追うことしかできぬ雑種にその剣が避けれる筈もなかろう」「ふざけ………やがって………!」眼で物を追わないでどうして判断できるだろうか。人が外界の判別を行う時、その約8割を眼が担っている。それほどまでに眼というものは生きる上で大切な器官だ。「ぐっ………!」痛みを伴いながら、脇腹に刺さった不可視の剣を抜き取る。出血を伴い、刺された周囲の血管や筋肉がまるで警告を発するかのように脈打ち、震えているのがわかる。「立ち上がったか。それで、立ち上がった貴様はどうする? 逃げてみるか? 刃向ってみるか?」ギルガメッシュの背後より無数の剣の切っ先が露わになる。王の財宝ゲート・オブ・バビロン。揃えられぬ物などなく、ありとあらゆる原点を収めた宝物庫。その中に眠る凶器が寸分たがわず士郎に狙いを定めていた。「──────────」意識が定まらない。脚は嗤い、出血は止まらない。それでもなお眼は死んでいない。その姿が何よりギルガメッシュを苛立たせた。「それほどの傷を負いながらまだ我に逆らうか。─────いや、もはやどうでもよい。どのみち貴様の行動できる時間などないのだからな」ギルガメッシュの背後より一つの武器の柄が伸びてきた。それは今しがた見せた鎚、『ミョルニル』。絶対必中であり、雷神・トールですら力を倍増させなければ持つ事すらできないほどの威力を秘めた神話中最強の鎚。「見えぬものだから避けられないのは当然………といいたいのであれば、いいだろう。ならばこれを避けてみよ。その理論、正しいというのであれば………見えている以上は避けれる筈だろうよ」柄の短い鎚が投げられた。速度こそ先の投擲と同じだ。けれど、今の士郎にはそれが神速にすら見えた。さも当然。血を流しすぎた。酸素を運ぶ役割を担う血液が不足してしまっている以上、あらゆる機能に支障を来すのは人間の体のつくりだ。反応速度も例に漏れない。それでも、迫る鎚に対して反応はできた。もっとも、それは思考を反映させた行動ではなく条件反射の類であったが。「ヅ─────」衝撃が奔った。イリヤに治してもらった右腕ごと体が左方向へ吹き飛ばされた。鎚と衝突した際に右側から自身の骨が粉砕される音が聞こえた。眼前の光景が、横へと流れる。そこから先の光景など士郎の中には存在しない。砲弾のような速度で鉄橋より吹き飛ばされた。落ちぬようにと設けられた柵を簡単に飛び越えた体は数十メートル滞空し、暗い水面に激突した。しかし衝撃は収まらず、そのあまりの速度に水面の上を跳び、下流に沈む沈没船に激突する形でようやくその勢いを停止させたのだった。そんな士郎を見届ける事すらなく、眼を閉じる。「さて、これで邪魔者はいなくなったワケだが─────」背後より伸びる一本の剣………グラムを取り出し。「貴様─────!」眼前より、それこそ風の速度で迫った不可視の剣を受け止める。「順序こそ違えど後でどうとでもなろう。改めて久しいな、セイバー」騎士王と英雄王が激突する。─────第二節 河─────間に合うことはなかった。セイバーと凛がそこにたどり着いたときには、士郎はすでに鎚によって吹き飛ばされた直後だったからだ。その光景を見た二人の間に言葉などでなかった。一人は正面にいる黄金の王へ斬りかかり、一人はすぐさま来た道を返して吹き飛ばされた少年の救助へと向かう。救助中にギルガメッシュに攻撃などされてはひとたまりもない。「あんのバカ………!ただでさえ死に体のくせになんだってこんなところで、あまつさえアイツに喧嘩ふっかけられてんのよ!」河へ下りられる場所へ。士郎がいる筈である沈没船の瓦礫まではまだ数十メートルの距離がある。「ええい、このくらい………!」靴を脱ぎ捨てて冬の河へ入る。脚が浸かり、河の中央へ進むたびに深くなっていく。腰まで浸かり、そして体が河へと沈む。「まさか私が冬の河に入ることになるなんてね………!ああ、冷たい………」軽口を叩きながら、しかし一心に瓦礫へと近づいていく。どうみても先ほどの攻撃は普通ではなかった。吹き飛ばされたのがその証拠だろう。あれほどの攻撃を受けてもはや生きているかすら怪しい。「─────っ、死んでたら氷室さんに何て言えばいいのよ………!あのバカ、死んでたら殺してやる………!!」冷たさでガチガチと歯を鳴らしながら沈没船へ到着する。そこに士郎がいた。衝突の際にへこんだ甲板に座る形で意識を失っている。右腕は完全に折れていて紫色にはれている。「士郎!」顔を覗きこむ。瞳は半開きのままで、声には反応しない。まさか本当に死んでいるのか、と思った矢先。半開きの彼の瞳が僅かに動いた。それは光に反応して瞳孔が小さくなった、という反射的な反応ではなく、視界内に瞳を動かす対象が現れてそこへ視線をやったという自分の意識で動かす反応だった。それを見て安堵する一方で。「………コイツ、どういう体のつくりしてんのよ」折れた右腕の皮膚を突き破る様に銀色の物体が見えていた。その光景に改めて畏怖する。ああ、恐らくはこういう体だからこそあの一撃でも命は助かったのだろう。「─────人間が持つ、自己防衛反応………ってことで今は解釈してあげるわ。ほかの魔術師が見たら解剖モノよ、士郎」致命傷となる外傷は右肩から右腕にかけてだ。だが、本命はそこじゃない。あくまでもそこは折れているだけであり、最悪腕一本切断したとしても人間はいきていける。それに腕を骨折した程度でこれほど反応が希薄になるのはありえない。つまり。「臓物なかみがイカれてるってワケ………!こんな不安定なところじゃ処置もできないし運ぶしかないか」士郎の左腕を掴み自身の肩に回す。生憎と人を抱えたまま泳ぐなんてことをしたことはない。強化を使って力任せに泳いでいく。それでも人一人を抱えて泳ぐ以上、体力消費は凄まじい。ただでさえセイバーの約束された勝利の剣エクスカリバーを二度使っているのだ。魔力も体力もいい加減限界が近いというもの。「よし、何とか………!」陸へと到達する。一刻も早く治療を開始しなければならない。だが、先ほども述べた通り魔力は残り少ない。加えて今セイバーはギルガメッシュと対峙している。魔力を使ってはあちらの戦闘に多大な影響を与えてしまう。「宝石を使うか………!」ポケットより宝石を取りだす。河に入った所為で濡れた宝石だが、込めた魔力量は十年分だ。「………破損した臓器を偽造して代用、その間に必要部分の臓器を全て修復か………こんなの、成功したら時計塔に一発合格ってレベルじゃない………!」使用する宝石は生半可なモノではだめだ。それこそ十年間の結晶体とも言えるべき宝石を使う必要がある。「──────────」精神を集中し、宝石に籠めた魔力を起動する。この距離からでもきこえる爆音すらも意識の外へ追いやり、極限にまで精神を集中させる。冬、しかも冷たい河に入ったにもかかわらず額から汗が流れ落ちる。赤い光が周囲を照らす。始め小さかった光は時間を増すごとに肥大化し、ある一定地点を境に徐々に小さく萎んでいく。そうして周囲を最初と同じ闇が支配したあとに、凛は一つ息を吐いた。「っかれたぁ………」カラン、と地面に寝かせた士郎のすぐ傍に使用した宝石を落とす。そこに籠めていた魔力はその全てを役割として全うしていた。「─────ごめんなさい、父さん。貴方の娘は、とんでもなく薄情者です」手をついて空を見上げる。冷たかった筈の体は今では冷たさを求めるほど熱くなっており、放熱するかのように息を吐いた。「けど………今更よね。間桐の家に入った時点で、ね」自嘲気味に呟いて、鉄橋へと視線をやる。セイバーとのラインから魔力が流れていっているあたり、まだ戦闘は続いている。「遠坂嬢!」もう聞きなれた声が聞こえた。見れば鐘と綾子がこちらへ駆けつけてきていた。「綾子に氷室さん? 貴女達………危ないから家の中にいろって」「あの子から衛宮が危ないって聞いてね。遠坂もいなかったし、慌てようも尋常じゃなかったから承知で来たんだよ」見れば二人とも肩で息をしていた。恐らく遠坂邸から止まることなく走ってきたのだろう。「─────そう。ならちょうどよかった。このバカ運んでくれない? 治療はし終えたから今のところは大丈夫な筈だから」「判った。………しかし、遠坂嬢はどうするつもりだ?」「私は鉄橋に行くわ。セイバーがギルガメッシュと戦ってる。放っておくわけにもいかないでしょ」ギルガメッシュ、という言葉を聞いて鐘の眉が僅かに動く。その名前を聞いていい思い出など何一つない。「────では、衛宮の意識がないのも………」「吹き飛ばされたから、ってワケ。………どこにいくつもりだったかは知らないけど、もっと自分の体を大切にしろっていうのよ。私と合流した時点でボロボロだったくせに」息を吐くと共に立ち上がる。士郎に対して毒を吐いたものの、対する今の自分も万全といえる状態じゃない。が、セイバーが戦っている以上は逃げるわけにもいかない。ギルガメッシュが隙を見せたり逃してくれるというのであれば問題はないが、恐らくそうはならないだろう。「それじゃ頼んだわね、二人とも。朝方には戻ってこれると思うから」士郎を任せ、凛は鉄橋へ走り出す。その背中に。「遠坂!絶対帰ってこいよ!!」綾子の声援を受け、手を軽くあげながら。◆鉄橋へと向かう凛の後ろ姿を見送ったあと、二人は士郎を抱えて遠坂邸へと帰宅した。リズはずっと眠り続けており、イリヤもまたその体の活動限界故休息を余儀なくされていた。「おかえりなさいませ、ヒムロ様、ミツヅリ様」リビングに入るといるのはセラだけだ。衛宮邸とは勝手が違うため、人数分の寝床はない。イリヤとリズはセラの独断により凛の寝室のベッドを使っている。自分の主をソファーなどに寝かせるつもりはない故である。士郎をソファーに横たわらせる。運ぶ時から気付いていたが、どうみても体の異常部分の範囲が広がっていた。それがどういう意味を持つのかはわからない。「では私はお嬢様がいる寝室へと戻ります。何かご用でしたらお呼びください」どこにいってもそうなのか、きっちりとした礼法でリビングを後にする。こうして部屋には綾子と鐘、そして眠っている士郎の三人となった。会話はない。流れるのは静寂であり、時間だけだ。時計を見れば時刻はすでに午前二時へ向かっていた。「もうこんな時間か………、早いな」起床してから既に18時間。もはや慣れつつあるこの非日常だが、体にかかる負荷だけはどうしても慣れる事はない。「明日の事も考えて眠っておいた方がいいのではないか、美綴嬢?」「………いや、もうちょっとだけ起きててみるよ。遠坂が帰ってきた時出迎えくらいしてやりたいからね。そういう氷室こそ寝ていいよ。何かあれば起こすからさ」「そうか、わかった。………ではお休み、美綴嬢」「ああ、お休み」リビングの電気を消して小さな照明をつける。眠気覚ましに少し熱めの紅茶を用意してソファへ座った。多人数がけのソファには士郎が眠り、座る様に鐘も瞳を閉じていた。─────第三節 全ての英霊の原点─────セイバーの攻撃は疾風といっていいものだった。間違いなく彼女は騎士王であり、その名に恥じぬ剣戟を放っていた。そんな彼女ではあるがその振るう剣は一太刀もアーチャー………ギルガメッシュに届くことはなく、空より現れる剣やその黄金の鎧によって完全に防がれていた。否、それどころか徐々に押され始めていた。攻撃をし、防がれ、弾き返されたところに中空に浮かぶ凶器が寸分たがわずに降り注いでくる。最初に見せた勢いは失われつつあった。「ふ、しかし健気よな。迎えに行くつもりではあったが、わざわざこちらへ出向いてくるとは。良いぞ、その心意気に免じて今一時の戯れを許そう」「貴様はまたそのような戯言を………!」弾かれ、大きく後方に跳ぶセイバー。構えたままギルガメッシュを見据える。その視線を受けてなお嘲笑を崩さない。「はっ─────!」白光が奔る。黄金の騎士へ跳びこんだセイバーの剣が、雷光を帯びて打ち下ろされる。閃光装置を見るかのような連撃とともに音が鳴り響く。純粋な剣術勝負であるならば、ギルガメッシュではセイバーに勝つことはできない。だからこそ、攻撃は鎧へと流れている。にもかかわらずその攻撃を受けている鎧は全くの無傷。軋みすらあげていなかった。「どうしたセイバー。貴様の剣は我の鎧すら届かんか?」「くっ─────」頭上より迫る一本の剣。死角からの攻撃を、その獣じみた直感で弾き返し再び距離をとる。今のセイバーは消耗している。今夜だけですでに約束された勝利の剣エクスカリバーを二度使用している。士郎がマスターであったならばそれだけですでに戦闘不能に陥っているだろう。それがないあたりはさすが凛というべきだろうが、それでも限界が近い。セイバーの必殺の宝具はいうなれば一発限りの大砲。燃費が悪いかわりにすさまじい威力を誇る。だからこそ、それを二度も使った以上、魔力不足は否めない。「────まぁよい。所詮は女だ、力などその程度だろうよ。………戯れは終わりだ。その身、ここで我に捧げるがいい」パチン、と指がなる。それを合図として背後に浮かぶ剣群が一気にセイバーへと飛来する。数にして十二。剣の天才であるセイバーならば捌ききれない道理はない。「っ………!はぁっ─────!!」空を斬る音が鳴る。一振りで二の剣を弾き、返す一振りで三の剣を弾き、流れるように飛来する一の剣を回避する。「残り六………!!」十年前。セイバーにとっては一瞬の時間だが、最初に見た英雄王の攻撃もソレだった。無尽蔵とも思える宝具群の投擲。破壊力は言うまでも無く、その数からしても脅威となるのは間違いない。飛来する剣を叩き落とす。鼓膜を破るかのような激音と火花を散らしながら、次に迫る剣を回避。「つっ………!」肌が露出する頬に僅かに剣が掠る。その瞬間的な痛みをすぐさま棄却し迫りくる二の剣を迎撃する。その手腕は凄まじかった。同時に飛来する剣を一本の剣でほぼ同時に弾き飛ばす。もはや剣の英霊でなければ不可能だろう。残る剣は二。もはや掻い潜り接近できるほどの数しかない。剣術では此方の方が上。魔力が枯渇しつつある関係上、剣圧にも影響がでているものの、それを手数で補えば問題はない。「─────という剣を知っているか、セイバー」ギルガメッシュの言葉を半ば無視する形で地を蹴った。同時に迫ってきていた二の剣をその手に持つ聖剣で弾き飛ばす。これで飛来する剣はゼロ。「────最後だ。前回つけられなかった決着をつけよう、アーチャー!!」二足目で地面が爆ぜる。一気に加速したセイバーは勢いそのままにギルガメッシュを叩き斬ろうとして─────「“クラウソラス”という剣を知っているか、セイバー?」同時。全身に激痛が奔った。まるで斬られたかのように体のコントロールを失い、アスファルトの地面へと倒れ伏す。「な─────ぐ………!?」クラウソラス。ケルト神話に登場する神々の王ヌアザが所有とされる剣。呪文が刻まれており、一度鞘から抜ければ逃れられる者のいない不敗の剣と言われる。つまり。「貴様が僅かに霞めたあの剣。………本来ならばアレを避けることすら不可能なのだがな、お前は先ほどの雑種とは違う。流石は騎士王………といったところか?」ただの掠り傷ですら負ってはならなかった。標的は絶対に逃げられない必中の剣、どこに隠れていようと必ず見つけ出し屠る剣。ならばそれは紛れもなく『死の呪詛』に他ならない。逃れる事の出来ない剣戟。それがセイバーを襲ったのだ。それでもなお生きているのは単純にギルガメッシュが宝剣・クラウソラスを扱いこなせていないだけの話。アーチャーはその宝具の“所有者”であっても“担い手”ではない。つまり、その宝具を完全に生かすことはできないのだ。或いはセイバーの、刺し穿つ死棘の槍ゲイ・ボルクを回避してしまうだけの強運があってこその賜物なのかもしれない。そういった加護の類がない限り、間違いなく斬り殺される。どちらにせよ、セイバーは生きている。だが死の呪詛によって斬られた体は思う様に動かない。「しかし一太刀も浴びせられず、か。惜しいものよな、魔力が不足していなければ自慢の宝具で我に傷を負わせるチャンス程度はあっただろうに。全く、マスター無しでは現界できぬ身というものはそれだけで不十分だ」「ぐっ………!」近づいてきたギルガメッシュが地に伏したセイバーの頭を踏みつける。あらゆる宝具を有する世界最古の英雄王。情報でこそ知っていたし、戦い方も過去に一度見ている。それでもなお届かない。魔力が枯渇していた所為だ、と逃げるのは簡単だろう。だがそんなことをしても勝てなければ同じだ。「こんの………!私のセイバーに─────」「む?」「何やってんのよ、金ピカ─────!!」ドンドンドンドンドン、と夜の鉄橋に鳴り響く音。そのどれもが寸分たがわずにギルガメッシュに直撃する。「─────!」僅かに足の力が緩む。その隙を突いて足を跳ね返し、即座に後方へと跳び退いた。ギルガメッシュがいた場所は魔弾直撃による煙で視認できない。「セイバー、大丈夫!?」「はい………と言いたいところですが、手痛い攻撃を受けました」自己治癒能力でセイバーの傷は癒える。クラウソラスの呪詛が殺そうと働きかけるが、自信の魔力によってそれを力づくで捻じ伏せる。だがそうして魔力を使った結果が、深刻な魔力不足だ。通常戦闘ならばまだ何とかやれるレベル。凛の魔力も士郎の治癒に魔弾、ライダー戦での消費量とバカにならないほど消費している。極めつけは二発のセイバーの宝具。長期戦はもはやできない。「ふん………誰かと思えばアーチャーのマスターか」煙が晴れ、見えてきたのは全く無傷のギルガメッシュ。予想していたとはいえ、ここまで完璧無傷だと言う言葉に詰まる。「………お生憎様、今はセイバーのマスターよ」「ほう? てっきりあの小僧がマスターをしていると思っていたが………。─────そうかそうか、貴様がセイバーのマスターか、小娘!」笑うように話すギルガメッシュ。その話し方に苛立ちを覚えながら訊きかえす。「何が可笑しいのかしら、世界最古の英雄王さん?」「いやなに、思いのほか我の理想の展開だと思ったのでな」「理想の展開………?」「ああ、そうだとも。セイバーはいずれ我のモノにする予定ではあったし、貴様にも用があったからな」「………へぇ、私にも用があった、ねぇ。その用っていうのを教えてもらいましょうか」ポケットより宝石を取り出し、ギルガメッシュの一挙一動に集中する。セイバーもまたギルガメッシュを見据え、隙あらば即刻斬り捨てんとしている。緊迫した空気を二人が放つ一方で、ギルガメッシュは一人余裕を持っていた。「─────小娘、誰に向かって口を開いている? 貴様は黙って我に使われていろ。光栄に思うがいい、魔術師としては最高の体となることができるだろうよ」「何を言って─────」セイバーが口を開いた直後だった。ギルガメッシュが背後に現れた柄を持ち、引きだしたのは。「────興が乗った。起きろ、出番だエア」いつか士郎に聞いた天地乖離す、開闢の星エヌマエリシュだった。一気に二人の緊張状態が最高潮まで達する。破壊力はアインツベルン城で証明されている。生半可な宝具では呑まれるしかない宝具だろう。「安心しろ、殺しはせん。加減ぐらいはしてやろう。………だが、それだけだ。それで死ぬようならば疾く死ね。弱き者など治める気にもならんぞ、小娘」風が巻き起こる。高まる魔力。これが天地乖離す、開闢の星エヌマエリシュ。これが乖離剣 エア。「っ………!リン、宝具を使います。貴女は下がってください………!」「な………、セイバー!? 魔力は─────」「………一度は使えます。ですがこの後はない。相手があれほどの宝具を放つ以上、こちらも迎え撃たなければやられます」「っ─────」唇を噛む。遠坂 凛は勝算のない戦いはしない。その筈だった。だが、今見ればどうだ。「ええい、弱気になるんじゃない、遠坂 凛!」頬を叩く。気合いを入れ直し、自身の腕に残る令呪に魔力を通す。同時に握っていた宝石を口の中に放り込み呑み込んだ。それも一つではなく複数。宝石に籠めていた魔力を自分の体に還元し、少しでもセイバーへ魔力を供給するべく増幅させる。残り一度きりだと言うならば、万が一にも負けるわけにはいかない。「セイバー、貴女を宝具を使って自滅………なんてことはさせない。いいわね?」輝きを放つセイバーの背に声をかける。ありったけの魔力をセイバーへと注ぎ込む。それでもセイバーの宝具一回分には届かない。0.8………程度がいいところだろう。だが全体の8割を補えるのであれば、宝具を使って消失………ということはとりあえず避けられる。しかし文字通り後はない。背水の陣とはこのことである。「ハ─────あくまでも抵抗してみせるか、騎士王よ。それに………なるほど、令呪か。決死の覚悟に令呪を重ねて我を超えようという算段らしいが」轟! と風が音を立てる。目の前の敵の魔力が格段にあがる。令呪とセイバーの宝具を意識してだろう。三つの刃が音を立てる。セイバーのエクスカリバーが風を払うことによって旋風を呼ぶのならば、ギルガメッシュのエアは風を巻きこむことによって暴風を作り出す。負けるわけにはいかない。最初から最後まで逃げれるような隙などなかったし、逃げた所で逃げられない。ならば打倒するしかない。「約束されたエクス─────」凛より注ぎ込まれた8割方の魔力。足りない分は自身の鎧と現界するために必要としている部分から一割ずつ。これで10割。出力に不安はない。加えるは令呪の存在。「天地乖離すエヌマ─────」対するギルガメッシュの自信は揺るがない。令呪でブーストされていようが、絶対無二の王はその中からこの瞬間だけ油断を取り除いていた。確かに令呪でバックアップされた宝具は脅威だろう。─────それがどうした────そのような脅威など斬って捨てる。どれだけ輝きを集めようがこの身に届くことなどない。セイバーの剣が振り下ろされる。アーチャーの腕が突き出される。時刻にして同時。「──────────勝利の剣カリバー!!!」「──────────開闢の星エリシュ!!!」その僅か刹那。街中で起きた地響きなど些細な事だと笑わんばかりの轟音と地響き、そして夜を昼に変えかねないほどの光が迸った。凄まじいまでの衝突。吹き荒れる烈風は離れた場所にある公園の木々すらも薙ぎ払い、鉄橋をかつてないほどまでに揺すぶった。ぶつかり合う閃光はもはや太陽といっても過言ではなかった。─────第四節 行方不明─────鐘が起きたのは午前七時だ。座る形で寝ていたため、眠りはどうも浅かったらしい。瞳を動かしてみればソファに士郎がまだ横たわって眠っている。次に綾子がどこにいるかと見渡してみるが、そこには誰もいない。「美綴嬢………?」廊下へと出る。やはりだがそこに綾子の姿はない。どこにいったのだろうか、と思いながら家の中を散策していると、窓の向こうに綾子を発見した。庭にでていたらしい。何をしているのかと気になり庭へと向かう。今日は日曜日。これほど朝早くから活動している人は少なく、外にでても聞こえてくるのは鳥の囀りだけだ。「美綴嬢」靴を履いて庭へ。どうやら眠っていないらしい。見る姿はどうも眠そうだ。「………? 美綴嬢、眠っていないのか?」「え?─────ああ、うん、まあね」煮え切らない返答。元気がないようにも見える。ふと、気が付いた。なぜ眠っていないのか。その疑問の答え。「………美綴嬢、一つだけ尋ねたい。─────遠坂嬢は帰ってきたのか?」鐘の問いにピクリと反応する。眠気覚ましに動かしていた体が止まる。「ん? ああ、遠坂ね。あいつなら─────」綾子と凛は友人だった。友人と言っても一言二言では言い表せないような関係だ。だからこそ、遠坂 凛という人物をよく知っているつもりでいる。だからこそ、不安を払拭することなどできなかった。「─────帰ってこなかったよ、氷室」