第49話 崩壊する者達─────第一節 この世総ての王─────庭で何かが起きていることは間違いない。だが肝心の“何が”という部分がわからない。これでは一知半解であり、どう対応すればいいかもわからない。一人門に取り残された鐘は足を動かし始めた。ゆっくりと足音を殺して庭を覗き込む。危険な行為ではあるが、一体何が起きているか判らないというこの状況もまた危険である。そうして覗き込んだ先にいた人物は、忘れもしない人物だった。「────!」思わず息を呑んだ。そこにいる人物は間違いなくアインツベルンで見た人物だったが、庭にいるあの人物は現在黄金の甲冑を身に纏っている。その赤い瞳は今しがた飛び出した士郎を見据えているのだが、その目は恐ろしく冷えていた。決して鐘を見ている訳ではないが、その“見ているわけではない”鐘ですらその威圧に息を呑んだのだ。「おまえ………!」大地をしっかりと踏みしめて立つのは先ほど庭へと向かった士郎。その両手には干将莫邪が握られている。視線を横へずらすと縁側には綾子らがいる。彼女に大きな怪我は見当たらないが、彼女らを守る様にその少し前に立つリズだけは違った。「リズ!」イリヤがリズへと駆け寄る。ギルガメッシュの視線が士郎へと切り替わった際に緊張が解けたのか、或いはそもそもとして限界が近かったのか。リズは膝から崩れるように地面へ座り込んでしまった。ハルバートを地面に突き刺して何とか体勢を整えようとしているが、思う様に動いていない。その光景を視界内に収めながら士郎は黄金の王と対峙する。「ギルガメッシュ………なんでここに………!」「何故だと? 見て判らぬか、贋作者フェイカー。杯がここにあるとなればここに来ることなど当然であろう」横にいる杯ことイリヤに視線をやる。この黄金の王はイリヤを人として見ていない。道具或いは人形、もしくはただの器。「そういう貴様こそなぜここに戻ってきた? まだ庭を荒す輩は残っているだろう。庭師が庭の手入れを怠るなど関心しないぞ、雑種」「誰がおまえ専属の庭師だ………!─────そういうおまえこそ、留守狙ってやってくるような小物なんだな」「戯け。仮にも杯を所有する者ならばあってしかるべき防御網は構築しておくべきだろう。このようなゴミ同然の場所で杯を管理していては黒い杯に呑まれる。─────そうなってしまっては面白くもないのでな。我の所有物を杜撰な管理で勝手に下郎に奪われる前に、我が回収しに来たのだ」「何が所有物だ!イリヤは物じゃないし、おまえのでもない!」「それこそ間違いだな贋作者フェイカー。世の財は全て我の物。聖杯も、物も、人も、全て等しくな。それにそこの人形が物ではない? ハ、何を言うか。もとより聖杯として機能するために作り出された人造。ならばそれは人ではなく、物であろう。一千年の悲願がどうとかは知らぬがその下らぬ悲願とやらの為に作り出された存在ならば、どれだけ思想・思念を持っていようがそれは“物”だ」告げられる事実。士郎はイリヤがどういう存在かというのは知っていたが、綾子と鐘はそれを知らない。故に彼が言った事実に耳を疑うしかなかった。「………けど、イリヤは生きてる。イリヤは人だし、おまえの所有物でもない………!」干将莫邪を構え、姿勢を低くする。どれだけ言い合ってもあの黄金の王は士郎のいう事を理解などしないだろうし、そもそも理解し合おうという気もなかった。この者は敵であり、倒すべき存在だ。ならばこれ以上の会話に意味はない。間合いは約九メートル。強化されたこの身体能力ならば、全力で踏み込めば斬りかかれる距離。だが敵は動かない。「我が宝物は千を超える。故に、適度に使ってやらねば埃も積もる。………取る程度の働きはすることだな」否、動く必要はない。背景が黄金色に揺れる。士郎の動作を見たギルガメッシュは愉快気に笑い。「─────本物の前にその身朽ちるがいい、偽物」その言葉と同時に剣が飛来した。「─────!」轟! と。一瞬で距離を詰めてきた一撃を咄嗟に防ぐべく剣を横に薙ぐと共に、次に襲いかかる剣を回避するべく横へ体を流す。「─────っ!? この………!」士郎の目が回避した先に迫る剣を捉えた。初撃を防ぎ、二撃目を回避した先に三撃目がすでに存在しているという事実。それを。「はぁっ─────!」ギィン! という甲高い音と共に防ぎきる。あわや眉間に直撃するかとも思われた剣をその強化能力を以ってして防ぎきったのだ。だが“それでも間に合わない”。「─────っっっっ!」三撃目までが突風の域だとしたならば、それ以降に続く連撃は暴風だった。それを直撃する寸前で辛うじて迎撃する士郎。彼には知識がある。アインツベルン城での戦いで、この剣舞は見ている。士郎が経験したことのない知識を持っている。無論この状況と全く同じというモノは存在し得なかったが、それでも似た経験を知識として持っていた。そして強化された身体能力が、ギルガメッシュの攻撃を辛うじて防いでいたのだ。だが、知識・力ともにアインツベルン戦よりも向上した士郎が“押されている”。士郎の成長がまるで無かったかのように、明らかにアインツベルン城で戦ったときよりもギルガメッシュが強くなっていたのだ。「ぐっ─────!」撃ち出される剣を干将莫邪で撃ち落としながら、眼前に立つ王を見る。強くなっているのではない。前回が弱かったのだ。つまりバーサーカーとの戦闘はともかくとして、士郎と戦った際には本気の欠片も出していなかったということになる。それが少しギアを上げただけでこのありさま。多少なりとも成長したと言える士郎を嘲笑うかのように英雄王の放つ攻撃は威力と速度が増していく。「そら、どうした? 手捌きが鈍っているぞ、雑種」「─────っ………この!」眼前より迫る死の塊。一つ一つが必殺に近い威力を誇り、僅かに気を逸らすだけで命を刈り取られる。だがそれだけではない。叩き落とすにしても、弾き飛ばすにしてもその方向にまで気を付けなければいけない。後方へ飛ばせば鐘に、右側へ弾き飛ばせば綾子らに直撃する。当然、弾き飛ばそうが凶器は凶器。魔術はおろか抵抗すらできない彼女らの身に降り注げば命はない。「っづ!」故に吹き飛ばす方向は常に足元か正面、もしくは誰もいない塀側となる。だがこの速度で飛来する剣を、その吹き飛ばす方向まで考えて迎撃するとなるとどうしても無茶な部分が出てきてしまう。そしてその無茶は必ず突かれる。「守るなどと………。偽善者は身の振りが忙しないよな─────!」士郎が故意的に弾き飛ばす方向を決めているのはギルガメッシュから見ても容易にわかった。この期に及んでもなお他者を優先するスタイルは、まわりまわればギルガメッシュを侮辱しているに他ならない。ギルガメッシュの背後より現れた一つの剣。一度限りの射出宝具。それは。「ヴァジュラ…………!」叩き落とせば爆発。直撃は論外。「っっっ………おおぉぉっ!」武器の認識から到達までの時間は1秒未満。その間に出てきたのは対処方法ではなく、故に弾き飛ばす方向は思考も追いつかないまま上空へ。弾き飛ばすと同時に両手の干将莫邪を眼前に佇むギルガメッシュへと弧を描くように投げつける。左右から同時に、それぞれ最大の魔力を篭めて一投した。狙う先は防具に覆われていない敵の首。弧を描く二つの刃は、敵上で交差するよう飛翔する。タイミングは同時。しかしこの相手には同時であろうと意味がない。この王は攻撃に手を必要としない。手の数以上の剣が舞うのだから、左右からの同時攻撃など見向きもしないで簡単に弾き飛ばした。「ハ!防ぐ物もなければただの的だぞ、贋作者フェイカー!」士郎の手には何もない。そこへ注ぎ込まれるは四の剣。その死地へ、一歩前へと踏み出す。同時に。「─────投影、完了トレース・オフ」四つの金属音が響いた。手に持っているのは先ほど投げた干将莫邪。そもそも先ほど一投した攻撃が成功するなどという甘い考えは持っていない。 「………無駄なことを。何度試そうがその様なモノで我に届くはずもなかろう!」ギルガメッシュの声を無視し、迫る三の剣を撃ち落とす。そしてまた同じように干将莫邪を一投する。それは先ほど防がれたモノと全く同じ。だからこそ、ギルガメッシュは同じようにその干将莫邪を弾き飛ばそうと………「………舐めるなよ、雑種!」“四の剣”が“背後より迫る干将莫邪”ともども撃ち落としていた。弾き飛ばした筈の干将莫邪が背後に迫っていることをギルガメッシュは感知していたのだ。空より現れた剣は干将莫邪を叩き落とし、それらは地面に突き刺さる。それを横目で見届け、再び正面にいる士郎へと視線を戻す。力及ばぬ者が力ある者に勝つには策がいる。しかしその策が敗れ去ったとき、相手はただ無残に敗北するだけ。ならばこの図は士郎の敗北に他ならない………はずだった。「な─────に?」視線を戻した直後に、士郎の手に握られていたのは“ヴァジュラ”。彼が宝具を投影するというのであれば、特別なことではない。だが、今彼が持つヴァジュラは違う。あれは“投影品”ではなく“オリジナル”だ。「貴様、その小汚い手で我の宝物に触れるか!」「─────らぁっ!!」やり投げの様な形で、手に取ったヴァジュラをギルガメッシュ目掛けて投げつけた。ヴァジュラの特性。ダメージ数値はB+に相当し、所有者の魔力とは関係なく●●●●●●●●●●●●ダメージを与えることができる宝具だ。つまり、魔力を篭めようと篭めまいとダメージ量は同じ。「ちっ!」一直線に飛来するヴァジュラを叩き落とす。それと同時に爆発し、視界を煙と風が遮る。塞がれる視界。「………見えたぞ、雑種!!」士郎の気配を察知したギルガメッシュが、煙の向こうへと宝具を射出する。煙の所為で視界情報を得る事が出来なくとも、気配程度を察知できない王ではない。つまるところ相手は視界を奪ってから一気に接敵し、強襲するという策。ならば敵は此方へ向かってきているのだからそこへ撃ちこめば攻撃はあたる。範囲を大きく取り、面の攻撃を行えば回避は不可能。空間の捩れと共に宝具が周囲の風を纏い、一気に突き抜ける。察知した場所へと寸分たがわずに飛来し、突き抜ける。纏った風が爆煙を霧散させ、正面の光景を露わにする。そこに─────士郎の姿はない。その光景を見るや否や左右より現れるのは、3度目の干将莫邪。やはり同じく首を両断せんと飛来する。だが、一度二度防がれた攻撃が通る筈もない。干将莫邪を突き刺すように赤い槍と黄色い槍が干将莫邪を串刺しにする。煙幕状態で士郎を“誤認した”理由をギルガメッシュは知るべくもない。彼が士郎と戦ったとき、士郎は投影・強化しか使っていなかった。だが忘れないでほしい。─────彼は衛宮切嗣の息子なのだと。「気配遮断………!!」第三者視点であるイリヤがその姿と、その正体を捉えた。ギルガメッシュの真下。身を屈め懐まで潜り込んだ士郎の姿。その両手には干将莫邪。後半歩。それだけ踏み込めば勝利する。敗因は明確。ギルガメッシュが、士郎の能力を把握しきっていなかったためだ。だが、それとは別に士郎自身もある程度の驚きはある。イリヤとラインを繋いだ後で、苦手な分野の魔術を使う機会はなかった。つまりこれはぶっつけ本番という形になったのだが、想像以上にスムーズに魔力を編み込むことができた。とはいえ効力は期待してはならない。凛などの一流魔術師と比べれば及ぶべくもないし、相手が格上のサーヴァントともなると効果など微塵程度しかないだろう。保って一秒。それがサーヴァントを幻惑できる時間である。これではただの見間違いというレベル。すぐに再認識されておしまいである。しかしそれも使いよう。タイミング、状況、相手の油断。それらが完璧なまでに一致していた。咄嗟に思いついた機転。僅かな勝率。それを手繰り寄せる能力。ここに至るまでは完璧だった。「見えていると言った、雑種………!」ギロリ、と赤い眸が士郎を見下した。敗因は明確。半歩。その半歩が足りなかった。1秒ではなく、1秒とその半分ほど保っていれば。ギルガメッシュが攻撃と同時に空気を巻き上げる宝具を射出していなければ。半歩分の速度を出せていれば。或いはもっと速度がだせたなら背後にも回れただろうか?そんな考えを振り切る様に握った干将莫邪を喉元へと突き出した。だが何もかもが今更である。「天の鎖よ─────!」ガクン、と体が強制的に停止した。喉元まで迫った刃は、斬り裂くことなく停止を余儀なくされた。「ぐ─────!投影トレース………………」ジャラジャラと鎖の音が耳障りに聞こえてくる。掴まれたという事実を認識するよりも早く、先に暗示をかけようとして─────「雑種如きに足掻かれては不快だ。─────散れ」既に手に持っていた鎌が振り下ろされた。ハルペー。これでつけられた傷は、自然ならざる回復・復元ができなくなるというスキルを有す剣であり鎌。この距離でそのような能力を有す剣で斬られては致命傷は避けられない。加えてそれが回復不可だというならば、その先にあるものは死以外にない。ならばそれはどうあっても回避すべき剣であるが、またもその刹那の時間が足りない。振り下ろされる断頭の鎌。投影が間に合わないほどの刹那の時間。「─────制約解除」そんな刹那の時間を停止させたかのようにその声が聞こえてきたのだから、一瞬何が起きたかも理解できなかった。ギルガメッシュの背後より断頭の刃が一閃する。迸る銀色の閃光。高速で薙ぎ払われたであろうそれは、しかし上空へ回避したギルガメッシュに直撃することなく士郎を捉えている鎖を断ち斬るにとどまった。鎖が砕け、消える。解放された士郎の目の前にはハルバートを持ったリズが立っていた。「リズ、助かった。ありがとう」「………私に惚れるなよ、べいびー」言葉と共に視線を塀へとやる。跳びあがって回避したギルガメッシュが塀の上に立ち、庭に立つ士郎らを見下ろしていた。「まだ動けたか、人形。前回と同じ轍は踏まぬ、ということか?………が、それでも限界は近いようだな」パチン、と指を鳴らす。背後に陽炎のような歪みが生じ、眩い刃の輝きが忽然と虚空に出現する。士郎が駆け付けるまでの間、リズはギルガメッシュの攻撃を耐えていた。それだけでもすごいのだが、それを可能としたのがリーゼリットという者の正体にある。彼女はイリヤと同じホムンクルス。セラとは違い、彼女は聖杯として機能するように調整された存在だった。だがそれに失敗し、失敗作というレッテルを張られた彼女は紆余曲折を経て戦闘用のホムンクルスという形でイリヤの傍にいる。その力はサーヴァントともある程度対等に戦えるほど。だからこそ、ギルガメッシュの攻撃に対して何とか耐えていたのだ。しかし世の中は等価交換の世界である。戦闘用に調整されたホムンクルス─────リズはその調整と存在故に、短命という運命を背負っている。また一日に活動できる時間が決まっており、それ以上活動し続けると短命という命がより短命になってしまう。つまり、今こうしてギルガメッシュの前に立つことは彼に殺されるという危険性とは別に、自己の破滅という危険性も孕んでいるのである。現にイリヤのおかげで多少なり回復したとはいえ弱っていることは目に見えて判る。そんな状態である彼女を見て、無理をさせるわけにはいかない。「リズ………助かった。けど、イリヤ達を連れてここから逃げてくれ。その体じゃ─────」「………大丈夫。イリヤ達はセラと一緒に逃げる、から。私は、みんなが逃げ切るための、足止め」庭に突き刺さる無数の剣。それがいつイリヤ達に降り注ぐかもわからない。「衛宮………!」僅かに縁側へ視線をやる。そこには綾子と、イリヤ、セラがいる。玄関付近には鐘もいるのだろう。ここに居ては戦闘の邪魔になる。ならここから離れなくてはならない。そんな当たり前のことは二人とも理解していた。何と言っていいかわからない。どんな言葉をかけるべきなのかわからない。そもそも言葉が必要かどうかもわからない。だから、短く、一言だけ。「─────死ぬな、衛宮」そんな言葉を残して、綾子らは門にいる鐘と合流し家を出た。落ち合う場所など決めていない。落ち合う時間など決めていない。そんな悠長なことを話し合っていられるほど、目の前にいる敵は心優しくはない。「………ある程度足止めしたらリズも逃げてくれ。あいつは俺が止める」瞼を閉じ、内面へ集中する。二十七の魔術回路をしっかりと意識して「─────投影、開始トレース・オン」ギルガメッシュの背後に揺らぐ剣と全く同じモノ、同じ数を虚空に出現させる。加えてその両手に握るのはもはや使い慣れた武器である干将莫邪。戦闘態勢。リズにも降りかかるであろう剣群ごと相殺するべく、その一挙一動を注視する。「………うん、ありがとう。その言葉だけで元気、いっぱい。けど、だめ。それだとイリヤが悲しむ。それに、イリヤだけじゃない。カネもアヤコも、悲しむ。私も悲しむ。だから、一緒に戦う」巨重のハルバートを構え、見下ろす黄金の王をその瞳にとらえる。何かを言い返したい士郎ではあったが、どのような言葉をかけていいかも、この緊迫した状況では即座に思い浮かばなかった。対するギルガメッシュの目には、目の前の光景が滑稽に映り、同時に度し難い光景にも見えた。「贋作者フェイカーとできそこないの人形二人でこの我を止めると?─────狂言も大概にしろ、偽物共」その言葉、威圧は先ほどよりも重い。感情的なばかりの癇性でもって、黄金の英霊は殺意を剥き出しに放射していた。「─────いいだろう。そこまで思い上がっているのであればもはや我が宝物、出し惜しみはすまい。偽物を作るその存在、一片たりとも残しはせん─────!」中空に浮かぶ宝具が繰り出される。数は二十二。半分ずつがそれぞれを刺殺すべく急速に飛来する。それを、「全投影連続層写ソードバレルフルオープン!!」リズ目掛けて飛来する剣共々、投影した剣群で相殺させる。ぶつかり合い、破砕し、剣が弾きあう弾幕の中を、ハルバートを携えたリズが一気にギルガメッシュへ接敵する。「人形風情が………図に乗るな!」陽炎より射出される名剣達。そのどれもが世に名高い聖剣・魔剣の類であり、嘘偽りなど全くない原型である。だがそれを。「─────っ!!」投影し、リズに向かう剣全てを同じ剣で防ぐのは衛宮士郎。飛び散る剣に振り向きもせず、リズはハルバートを構えて一気に飛翔する。目標は塀の上にいる世界最古の英雄王。彼の周囲には依然として夥しい数の宝物がその切っ先を見せている。通常ならばそれを見ただけ息を呑み、接敵しにくくなるがリズはそれを気にしていない。それは決して命を捨てるという行為ではなく。「“熾天覆う七つの円環ロー・アイアス ─────!”」それを防いでくれる人がいるからこそできる行為である。「やっ!」何とも気が抜ける掛け声だが、その声に反して振り下ろされたハルバートは塀の一部をいともたやすく崩壊させていく。例えサーヴァントといえど、魔術にも精通するホムンクルスのあの一撃を食らうのはよろしくない。回避できるのであれば回避するし、防御できるのであれば防御する。ヒビが入り次には勢いよく両断される塀だが、やはりそう簡単にいくはずもなく、ギルガメッシュは跳びあがって別の場所へ着地しようとしていた。だがそれを見過ごすほど、士郎の目は甘くない。ギルガメッシュの着地予想地点目掛けて剣を投擲する。「ぬるいわ、雑種!!」手に握った刀を一振りすると同時。すぐ傍まで迫った投影剣を一刀両断してしまった。曰くこの極東の地に『なんでも斬ることのできる刀』があったという。あれはその原型。難なく着地したギルガメッシュはその刀を握ったまま、アイアスの盾を纏い再び接敵するリズを睨みつける。かちゃり、と握る刀が音を立てる。あれが本当に何でも斬ることができる刀だというならば、アイアスの盾は盾にならない。それどころかリズの持つハルバートすら両断してしまいかねない。対するリズはギルガメッシュが持つ刀がどのような代物かを理解していない。この極東に伝わる名刀の類を知らないのも無理はないのだろうか。「────鶴翼しんぎ、欠落ヲ不ラズむけつにしてばんじゃく」両手に握った干将莫邪を投擲する。先ほどと同じ光景だが、相手はこの干将莫邪をその手に持った刀で斬る事はできない。否、片方は斬れるかもしれないがもう片方は不可能。彼はそこまで卓越した剣術を身につけてはいない。故にあの手に持つ刀ではこの攻撃は防げない。「ちっ─────同じことを何度も!」空間が揺らぎ、飛来した干将莫邪を弾き飛ばす。その光景を確認することなく、士郎は全力でギルガメッシュの元へ接敵する。同時に。「─────凍結、解除フリーズ・アウト」干将莫邪を弾き飛ばしてそのまま士郎の元へ殺到した二の剣を、予め準備しておいた干将莫邪で弾き飛ばす。塀の上よりリズが、塀の下より士郎がそれぞれアイアスの盾と剣を纏ってギルガメッシュへ肉薄する。「思い上がるなと言っただろう、雑種ども!」空間が揺らぎ大剣が姿を見せる。それとほぼ同時にまたも士郎は剣を一投する。誰が何のために使うのかもわからないような、全長二メートルを超える大剣群が士郎とリズに矛先を合わせた。その直前、「────心技ちから、泰山ニ至リやまをぬき」在り得ない方角から奇襲がかかった。つい数分前とは似て非なるモノ。その速度、威力は決して先ほどと同じではない。言葉には力が伴うのと同じように。また各サーヴァントが、己が半身である宝具の真名を発しながら解放するのと同じように。それを紅い眸は見逃さない。右手に握った極悪の刀で斜め後方より迫る剣を両断する。だが。「────心技つるぎ、黄河ヲ渡ルみずをわかつ」それとは反対側よりもう一度襲いかかるは莫邪。そして前方側面から迫りくるは新たな干将莫邪。計三の剣。「同じ技を二度も三度も………!この我を愚弄する気か、雑種!!」干将莫邪は磁石のソレと同じ。そこに干将と莫邪がある限り、それらはそこへ向かって飛来する。それを。「────王の財宝ゲート・オブ・バビロン」三の剣を破砕し、接敵する二人の敵を撃ち滅ぼすべく、迫りくる剣のその十倍の剣が姿を現した。紅蓮に燃える双眸はしっかりと二人の姿を捉え、そして躊躇いも無く放射した。飛来する三の剣など瞬く間に弾き飛ばされ壁に地面に突き刺さり、破壊されていく。「────!」塀の上より近づいていたリズだったが、その光景に足を止めた。アイアスの盾とて無限ではないし、それを出現させ続けるにも限度がある。それに伴い防御力は低下するし、アイアスへのダメージはそのまま士郎の負担にもつながる。だがそれとは別に、更なる驚愕によって足を止めざるを得なかった。ギルガメッシュの攻撃をそれなりに受け、弾き飛ばしていたリズではあったが、ギルガメッシュの憤怒が臨界に近づいたためだろうか。その速度が段違いに上がっていた。ここにきてまだなおその実力の深さを伺い知る事のできない敵。さも当然。前回の聖杯戦争、第四次聖杯戦争の名だたる英雄達ですら、彼の実力を見積もることなど不可能だったのだから。ガン!! とアイアスの盾に剣が刺さる。盾である以上それに守られたリズは無事ではあるが、それが十、二十と迫ってきてはどうしようもない。ハルバートを翻し、襲いかかる剣群を迎撃する。だが悲しきかな、彼女自身もすでに疲弊しており、そこへ速度と威力が上がった英雄王の攻撃ともなるととてもではないが捌ききれない。彼女を守るアイアスも花弁が大量に散っており、対処も追いつかない。つい先ほどまで攻勢だったのが、たった一度の攻撃で窮地に立たされる。或いはこれこそが王の実力というべきか。「─────う」ダン、と地を蹴り咄嗟に距離を取る。迫りくる宝物を蹴散らしていくのにも限界がきた。アイアスも残り一枚。士郎がどうなっているかも気になるがその僅かな視点移動すらこの雨はさせてくれない。ハルバートを握り、疲弊した体で叩き落としていく。迫る一を横に薙ぎ、迫る二を叩き落とし、迫る三を弾き飛ばし、迫る四をハルバートの面で防いだ。「しまっ─────、た」ハルバートで防いだその面へ五、六、七が突き刺さり、その衝撃に耐えかねて弾き飛ばされた。空手になったところへ飛来する八の剣。最後の一枚の花弁がそれを防ぎ切り、散っていく。だがその奥。さらに二つの剣がリズへと迫っていた。盾はなし。武器もなし。回避するにも距離が足りず時間も足りず速度も足りない。「リズ─────!!」眼前に迫る宝具に視線を送るしかなかったリズと、迫りくる宝具の間に割って入るように士郎が現れた。同時に奔るは二つの閃光。白と黒の剣が描く一閃は、リズを確実に殺そうとした剣を撃ち落としていた。「う─────ぐ………!」ぜいぜい、と息を荒げながら僅かに震える腕を押さえつける。アイアスの全破壊は術者に相応の疲労とダメージを与える。頭の中は警鐘が鳴り響いており、打ち付けるような頭痛が酷い。加えるはリズと同様の攻撃を浴びた事もある。「─────ぁ」リズの視界内に見えるのは右脚に突き刺さった剣。二人にそれぞれ暴風雨のように剣が降ったのは間違いない。その中で助けようと動いたならば、その分自分の防御はおろそかになるのは当たり前である。血が滲みだし、ズボンは赤く染まっている。脚は震えており、立っているのが不思議なほどである。「なんで、助け、た?」「バカ、助けるに決まってるだろ」肩で息をしながら再び距離が開いてしまったギルガメッシュを見る。強いという次元を超えている敵。戦えば戦うだけ強くなっていく敵。逆に言い換えればそれだけ敵を甘く見ているという裏返しでもあるが、それでも十二分に強いのは事実だ。「ふ─────はは、はははははははははははは!!!!!!」ギルガメッシュは士郎の姿を見て、ただ笑うだけである。彼にとってリズを庇うという行為は愚考以外の何物でもない。「正気か貴様? 聖杯の失敗作、己の身一つ守れない人形を庇うなどと、それに何の意味がある? その人形を庇いさえしなければ、その様な傷を負う事もなかっただろうにな」「………意味がないと助けちゃいけないのか。皆を守るのが俺の正義だ、リズが例外なワケない………!リズが死ぬくらいならこんな傷はないのと同じだ」士郎の背後に現れるは大量の剣。全てギルガメッシュが出現させている剣群のコピーである。残る令呪は二画。アーチャーを呼び出せば変わるかもしれない。けれどそれは現在街中で戦っているセイバーと凛から戦力を奪うということになる。相手は二人。二体一ではセイバーといえどもかなり危険である筈。現に彼女の放った宝具は破れたのだから、セイバーにアーチャーの援護は必須。ならばここにアーチャーを呼び出すのは得策ではないし、その間にセイバー達が敗れてしまっては事態は最悪の方向へ進む。「─────戯けめ、自らを犠牲にする行為など全て偽りにすぎぬ。それを未だに悟れぬとは、筋金の入った偽善者だ」すぅ、と虚空に手が伸びる。その顔にはもはや感情はない。世界を凍らせるほどの冷たい視線しか残っていなかった。「アインツベルンの城でのあの女、聖杯の人形、出来そこないの産物………。どこまでも強欲な奴よな。そのうえ貴様のような偽物の人間では何も背負えぬというのに、全てを守るなどと戯言を吐く」ぞわり、と全身が総毛立った。中空に浮かぶ切っ先は間違いなく士郎を狙っている。「傲岸には二種類ある。器が小さすぎる者と望みが大きすぎる者。セイバーは後者だ。故に奴は得難い珍種でもある」だがそれとは別に、全てが切っ先を向ける中で、ただ一つだけ柄を向けている剣があった。中空に浮かぶ剣群はどれもが一流だが、その剣が一度姿を現してしまえば忽ちそれらは三流へとおちてしまう。それほどの宝具。「だが、貴様は前者だ。珍しくもない愚昧、加えるはこの増殖する世を象徴するかのように偽物を作り出すその存在。いなくてもいい、有象無象の偽物」ダン! と地を蹴ってギルガメッシュへ肉薄する。あの柄は間違いなく“あの宝具”。この疲弊した状態ではまず間違いなく耐えきれない。たとえ万全の状態であったとしても耐えきる自信はない。加えて背後にはリズがいるし、ここはアインツベルンの森ではない。ごく一般的な民家が並ぶ街中。その中で“アレ”を解放されればどうなるか。恐らくは先ほどの死の街の再現、否それ以上。故にどれだけ相手が宝具を見せつけていようとも、あれだけは絶対に抜かせてはならない。「だめ─────シロウ」リズが声を出す。だが駄目だというならば、この場に立ち尽くすことこそが悪手である。例え何であったとしても、“アレ”だけは決して抜かせてはいけない。それは被害云々の件もある。だが本能が伝える。“アレ”を抜かれたら最後、誰も奴には勝てないと。だからこそ、全力で封じ込める。ドンドンドンドン! と、接敵と同時に照射される剣群。その全てが士郎に向いており、的確に射出してくる。迎え撃つは同じく投影した剣群。「そんな輩に足掻かれては如何ともし難い。凡俗には一度器の違い、王オレという存在を今一度知らしめる必要がある。愚劣な輩が思い上がらぬよう正しき絶望を与えてやろう」「言ってろ!」─────投影、開始トレース・オン握られるは干将莫邪。剣の弾丸を相殺させながら掻い潜り、接敵する。退けば終わり、立ち止まっても終わり、間に合わなくとも終わり。故に前に進み続けるのみ。思考など捨てて全力で進む。迎撃するは必要最低限のモノのみ。飛来する凶器が増える。機関銃掃射のような剣の雨の只中にいる士郎には、回避も防御もない。一つ目を下から弾き、二つ目を返した刃で上から叩き落とした。次の一本は横へ薙ぎ、その次は横から凪ぐようにして吹き飛ばす。手で間に合わない攻撃はアーチャーの知識と経験、そして己の知識と経験をフル活用して投影で防ぎきる。引き出して使う度にアイアスで摩耗した脳が悲鳴を上げ、残り少なくなった魔力が枯渇し始める。「如何に真に迫ろうと、オリジナルを複製が越えることはありえぬ」迎撃しつつ迫る士郎を、しかし英雄王は毅然とした態度で見下している。残り距離僅かという所で、「─────同調、開始トレース・オン」再加速した。本来この用途に向けてあるべき回路ではないソレで、限界まで脚を強化する。一気に数メートルの距離と縮めた士郎は眼前に迫ったギルガメッシュへ干将莫邪を思い切り叩きつけた。あの黄金の鎧を砕けるほどの威力は持ち合わせていない。狙うは防御がない首より上。そこへ、「─────この状況下にあってまだ戦えるという驕り、増長、傲慢、その全てが癪に障る」ジャラジャラと音を立てて空間は裂かれた。現れたのは天の鎖エルキドゥ。数少ない対神宝具であり、高い神性を持つほど千切れる事のない鎖となっていく。持ちえない者にとってみればただの少し頑丈な鎖だが。「しまっ─────」二度目の焼回しだが、突如空間を裂いて現れるその鎖を回避することはできない。もしそれが可能ならばバーサーカーは捕まる前にそこから離脱していただろう。そして決定的に違うのはギルガメッシュの手に握られている剣である。「─────無力を嘆き、死ね」巻き上げられる空気。眼前で解放される断界の剣。三秒先には跡形もなく消し飛ぶ。「“天地乖離すエヌマ───”」充満していた魔力が一気に膨張する。空間を瞬く間に支配していく魔力が全身に叩きつけられる。─────死ぬのか?─────眼前に輝く赤色の光。─────何も守れないで─────その赤い双眸は紛れもなく死神。─────誰も救えないで─────一秒後には魔力が爆発する。そうすれば終わり。視界はゼロになって感覚は刹那に失われるだろう。─────爆発?─────士郎の目の色が変わった。その僅かな変化を、英雄王は見逃すはずもなかった。手に握られているのは幻想。残り0.8秒。─────間に合え─────「─────壊れた幻想ブロークン・ファンタズム」士郎の手の中の幻想が、起爆した。─────第二節 逃亡─────爆音が衛宮邸に鳴り響いた。縁側の窓ガラスは全て吹き飛び、爆風は家の中の物を散乱させる。間近で衝撃。目の前が真っ赤に染まり、体が理不尽な暴力にもみくちゃにされる。視界からあの不気味な剣と黄金の王が消え失せる。否、これはギルガメッシュが消え失せたのではなく、士郎自身が吹き飛ばされたことが起因である。強烈な爆圧と爆炎が二人を包み込む。見れば空中を飛んでいる。というよりは落下している。真下は地面で、頭から落ちている。薄らと開けた瞼からその高度を見てみれば、結構な高さである。このままでは落下しただけで死ぬ。両腕は焼けただれ、服もほとんどが焼け落ちていた。士郎自身これを使った事はなかったが、あのまま殺されるよりかはこの程度の自爆の方がまだ生きる確率はあった。が、被害は甚大。それを象徴するかのように、体を覆っていた剣が以前よりも広がっている。「─────」呼吸をしようにも喉が焼けたように熱くてできない。息を吸おうとすると喉を焦がすかのように痛みが停止させてくる。「─────シロウ」ドッ、と落ちた。だがそれは地面ではなく、もっと柔らかい、リズの腕の中だった。声は出ない。呼吸をするのすら厳しい状態で声など出るわけもない。「 」それでも何かを言おうとして、結局。彼女の顔を見たのを最後、視界はブラックアウトした。◆煙が立ち込める衛宮邸の庭。その煙の中に、ギルガメッシュは立っていた。「逃げたか」リズと士郎の姿はない。ハルバートは置き去りのままなので、十中八九リズが士郎を抱えて逃げたのだろう。鎧は傷ついているものの、腕で顔を庇ったのもあり体の方は無傷、士郎と比べるとその被害状況は雲泥の差だ。しかし逃げても意味はない。何処に逃げようがギルガメッシュからは逃れられない。故に相手が逃げたからといって慌てて追いかけるような行動はとらない。この衛宮邸での爆発とは別にもう一つの爆発に黄金の王は気が付いていた。タイミングとしてはほぼ同時。ここと街中。規模は比べるべくもなく街中のほうが大きい。「─────刻限だな」そもそもギルガメッシュは士郎に興味などない。殺す対象であるということは変わりないが、言ってしまえばここでの戦闘は準備運動に他ならない。故に『埃を取る程度の働きはしろ』である。今日この場所にいた者達の中で取り立てて脅威となる存在はいない。いるとすればセイバー程度だろう。故にここでイリヤを取り逃がそうとも彼にとっては何の問題も無かった。そもそも彼は聖杯に興味がない。興味があるのは常にセイバーであり、この醜悪な世界の掃除である。だからこそ、黒い影は抹消すべき対象である。「騎士王よ、よもやあのような愚劣の下僕に遅れなどとってはいまいだろうな?」その場より黄金の王もまた去る。残ったものは戦場の跡だけであった。数分後、通報を受けた警察がこの惨状を見ることになるがこの事実は永久に明かされないままである。