ep.04 / 平穏なる夜─────sec.01 / コペンハーゲン学校が終わり、完全下校時刻である十八時に間に合うように下校する。昨日は道中で同じバスに乗車した士郎と会話をしていたため早く到着する様に感じたが、実際の時間は変わらない。(まあ、流石に二度目はないか)今日はどうだろうか、など思っていた鐘だったがバス停には現れなかった。しかし別に落胆するわけではない。そもそも一人が普通だったので気にすることもなくバスへと乗車する。(そういえば、今日は遠坂嬢がいなかったな)今日一日欠席扱いになっていた人物を思い浮かべる。最近流行りの体調不良に侵されたか、あるいは別の理由か。(体調不良を起こすような人物には見えないが)─────気にしたところで仕方がない事柄ではある。学校からバスで約二十分。家の近くではないバス停へ降りる。帰りにワインを受け取るように母親から頼まれていた。大きなスーパーマーケットで買うのもいいが、こういう酒場にこそ隠れた逸品がある、というのは言われればわからなくもない。「それはいいのだが、この工場地帯に臨む僻地とは」別にそこの店に行きたくないわけではないし、こういう場所だからこそゆったりできるかもしれないというのはある。しかし単純に店としてやっていけているのだろうか、と思う。カランカラン、と音と共に扉を開ける。それに反応した店員が荷物運びをやめてこちらへやってきた。「はい、いらっしゃいま………」「………」その店員を見た瞬間硬直した。その顔は今朝にも見た顔だったからだ。「なんだ、氷室じゃないか。どうしたんだ?」店員は赤い髪をしていた。そう、衛宮 士郎だった。「いや。母親の頼みでワインを受け取りに来た。まさか衛宮がここでアルバイトをしているとは思わなかった」昨日は確かに同じバスに乗り、今日自分が降りたバス停で彼が降りて行ったが、まさかここで働いているとは想像もしなかった。「そうなのか、氷室のお母さんがワインを。てっきり氷室が一人でお酒を飲むために買いに来たのかと」「衛宮、私はまだ未成年だ。お酒に興味もないし、飲む気もない」士郎の言葉にきっぱりと答える。が、彼は本気で言っていないと容易に分かったので、特に不機嫌になるわけでもない。「うん、そうだな。未成年はお酒を飲んじゃいけません。………と、氷室の爪の垢を煎じてとある人物に飲ませてやりたい」「それは………。私は特別意義のある言葉を使ったつもりはないのだが。誰に飲ませたいというのかな、衛宮」「ああ、いや、とある女性に。まあ最近はそんなこともなくなってきたからいいんだけどさ。 それとは別で氷室みたいにもう少し落ち着きを持ってほしいな、なんて。あ、一応本人の名誉の為に名前は伏せておく」士郎の頭の中で約一名の顔が浮かぶ。が、例え氷室女史の爪の垢を煎じて飲ませたところで変わらなさそうな気がする、と士郎の脳が答えを出す。「………いや仮に大人しくなったらなったで、こっちが落ち着かないか。慣れないうちにならそれでもよかったのかもしれないけど、今になって急に変わられたらこっちが調子狂いそうだ」「一体誰を思い浮かべているかは分からないが、その女性とは付き合いが長いようだな?」「長いぞー? もう十年来の付き合い。そのくせ十年前からほとんど変わってないんだから、逆に感心するぐらいだ」士郎の言葉を聞いて思考に浸る。女性、と聞いて彼に悟られない程度には好奇心が湧いたが、言い方からしてどうも期待した人物ではなさそうだ。「ふむ………十年来とは。その言い方からしても恋人、という関係ではなさそうだな」「─────おそらく、そういった類の話はこの冬木市………いや、もしかしたら西日本一縁遠い存在だ。弟分としては、多少なりとも頭が痛いんだが」頭を抱えながら軽く溜息をつく士郎。そんな姿を見て彼は彼なりに苦労しているのだな、と思う鐘であった。「と、引き留めて悪かった。確かワインの受け取りだったよな。今ちょうど仕入れたお酒を含めて棚卸しをしてたところだから。どんなワインか分かるか?」「このワインだ。分かるだろうか?」そう言って手に持ったメモを士郎に渡す。それを見た士郎は一旦店の奥へと入り、出てきた手にはワインが。「一応確認してくれ。これで合ってるよな?」「………私が確認できるとすればせいぜい商品名と値段が一致しているかどうかぐらいなのだが」「それで十分。何も味見して確かめてくれって言ってるわけじゃないんだからさ」メモと士郎の手にあるワインの名前を確認する。そのメモを元にワインを取ってきたのだから、それが違っているということはない。「よし、じゃあ梱包するからレジまで来てくれないか」レジにてワインの梱包を行う士郎。その手つきはそれを初めて見る鐘でもわかるくらいには手馴れていた。「手馴れたものだな、衛宮。ここでアルバイトをして二年目だろうか?」単純に高校一年からアルバイトを始めれば今年で二年目。そう思って特に気にすることもなく士郎に尋ねたのだが………「いや、二年目じゃないな。今年で………五年目くらいだったか」さらっと、なんでもないかの様に答えが返ってきた。当然ではあるが鐘はそれをおかしいと思うわけで。「………衛宮。私の聞き間違えでなければ、五年目と聞こえたのだが」「ああ、聞き間違えじゃないぞ。今年で五年目だ」隠す気が、微塵も見当たらない。単純に知らないだけなのだろうが、ここまできっぱり言われると反応に困る。「─────って、なんでこっちを哀れそうに見ているのか、氷室」「………衛宮に、一つ知識を。君は十六・七歳の高校二年生だろう? その五年前、つまり小学生の高学年から既に働いていた、ということになるのだが」労働基準法第六章の第56条。簡単に言えば『小学6年生までの児童は雇用できず、中学1年の誕生日を過ぎ中学3年までの生徒は特別な業種のみだけ許可をもらった場合のみ雇用が可能』という内容。「………あー。えーっと、その………」予期していたことではあったが、やはり彼は知らなかったらしい。彼の言葉や挙動を見てそう判断する鐘。「………昼食時に蒔にも話したが、私は警察ではない。君を告発するようなことはしないから安心していい。 ただ、私以外に先ほどの事は言わない事を強く勧める。ここに君がいるあたり、幸い今まで警察の手は及んでいないのだろう?」「─────いや、ホント。氷室女史には頭が下がります………」深々と頭を下げる士郎。なんというか、ここまでされると逆にこちらが悪いことをしたかのような錯覚を覚えてしまう。「ま………まあ、もう過ぎたことだ。今の年齢ならば特別問題もないだろう。今の話は私と君だけの秘密としておこう」「─────すまん。恩に着る、氷室」ワインの梱包が終わり、それを鐘が受け取る。これでこの店での要件は果たした。後は帰るだけなのだが─────「衛宮は何時頃までここでアルバイトをしている?」ふと、気になったことがあったので話しかける。「ん、大体二十時から二十一時までの間くらいか。今日は二十時までだから、あと一時間半ってところか」時刻は現在十八時半。二十時までは残り一時間半。「そうか。では帰りは遅くなるのでは?」「そうだな。帰ってきてから夕飯食べると、遅い時じゃ二十二時になる。………ま、最近は早く帰るようにはしてるけどな」最近は物騒になってきたし、と付け加える。「ああ、今朝方深山町で起きた殺人の件もある。悪いことは言わない、寄り道をせずに帰宅するべきだろう」時計へ目をやると、もうまもなく家へ向かうバスがやってくる時間だった。これ以上話していては、次は自分が帰宅時間に遅れてしまう。「そろそろバス停へ向かう。衛宮、重ねて言うが夜道は気を付けるのだな」「そういう氷室こそ、帰りは気を付けてな。寄り道、するなよ」まるでどこかの教師のような科白を吐いた彼は笑って店から鐘を送り出した。その際「氷室、心配してくれてありがとうな。また明日、学校で」そんな言葉を耳にした。「──────────」一瞬、思考に空白が生まれた。どういった理由かは自身でも定かではなかったが、それは確実だった。「………いや、氷室。そんな『意外だった』みたいな顔をされるのはちょっと」気まずそうに声をひそめる士郎。「─────い、いや。確かに今のはこちらが悪い。すまない、衛宮。それでは、また明日」そう告げてコペンハーゲンを後にした。酒場から歩くこと数分。バス停に到着し、その数十秒後にバスがやってきたので乗車する。「─────」バスの座席に座り、軽く息を吐いた。心拍数が上がっている。それが如何なる理由なのか、やはり先ほどの空白の時間同様に不明瞭だった。「………らしくない。少し、落ち着こう」ここから目的地までは後数分かかる。店内での士郎との会話を思い出しながら、外を流れる夜景を眺めていた。─────sec.02 / 無機質な冬の夜午後八時前。予定よりも十分ほど早く仕事を終えたのは、士郎が単純に頑張り過ぎただけだ。途中コペンハーゲンにやってきた意外な人物との会話でリラックスできたのも頑張れた要因だろう。「………まいった。まさか三時間で三万も貰ってしまうとは」端から牡丹餅とはまさにこのことだろう。バイト先のコペンハーゲンは酒屋兼居酒屋の場所で、取り扱っているお酒もそこそこ種類がある。棚卸しをするなら何人もの人手が欲しくなる。無論毎日そんなことをするわけでもなく定期的な業務なので、その時に限っては四、五人ほどの人手が必要だ。だというのにそこの店長はいつもの調子で『手伝える人は手伝ってねーん』などと、かなり軽い調子で言ったものだから他のバイトの人も特に大丈夫だろうと感じたらしい。フタを開けてみればバイトに来た人は士郎ただ一人。それまでは店長とその娘の蛍塚ネコの二人だけで作業を行っていたという地獄がそこにあった。『バカだね、あんた。そりゃあ誰も来るわけないじゃん』と、店長をなじっていたネコ。そこに現れた救世主………もとい生贄が一人。『おおー』なんて緊張感のない拍手で出迎えられては引き下がることもできない。結果として出来る範囲で倉庫整理をしよう、ということになった。店を三人で回す。普段のコペンハーゲンならば十分ではあるが、棚卸しをしながらお客の対応ともなれば話は別だ。倉庫の中を行ったり来たり、たまに来るお客の会計処理、店の外と中を行ったり来たり。ただそこは伊達に五年も働いているわけではない。それなりのコツやノウハウは心得ているつもりである士郎。三時間という地獄めいた仕事をできる限り効率よくすすめていく。だがいくら効率よく進めていても疲労は溜まるし、気分転換もしたくなる。「だからこそ、あのタイミングで氷室が来てくれたのはある意味助かったな」そう思った時にやってきた知り合いと会話ができたのはいい気分転換になった。話の内容は少しばかり痛いものではあったが。そんなこんなで激動の三時間アルバイトが無事終了。椅子に座りこんでいた士郎に店長が『驚いたなぁ、士郎君。君はアレかな、ブラウニーか何かかな?』なんて作業後の一服と称したこげ茶色のケーキを食べながら話しかけてきた。『違いますっ!力仕事には慣れてますし、倉庫の何処に何があるかは把握しているからです!伊達にガキの頃からここで働かせて貰ってません!』ちなみにブラウニーとはスコットランドや北部イングランドで伝承されている伝説上の妖精のこと。民家に住み着いてその家を栄えさせるなどの逸話がある。流石に妖精扱いはされたくないのでここはきっぱりと否定しておかなければいけない。『そっかー。あれ、士郎君ってもう五年だっけ?』『………そのぐらいですね。切嗣オヤジが亡くなってからすぐに雇ってくれたのは、店長のところだけでしたし』何も知らなければ何とも思わないのだが、残念ながらその話は鐘と話したばかり。雇ってくれたことには素直に感謝しているのだが、いつから働いていたかというのは口外しないようにと改めて決めた。きっと自分が知らないところ、もしくは覚えていないところで何かしらの公的手続きをしてくれていると、根拠もないものを信じることにする。『ありゃりゃ。うわー、ボクも歳をとるワケだ。………んー、けど助かったわー。 こんだけやってもらって、お駄賃が普通のバイト料金ってだけだとあれだし。はい、これボクからの気持ちね』もむもむとラム酒入りのケーキをほおばる店長が手に取ったのは三枚の紙幣。─────万札三枚である。一週間フルで働いても届かない、三時間程度の労働には見合わない報酬だった。流石に驚いたが貰えるものは貰っておく。「藤ねぇにお土産は………いいか別に」駅前ということと、夜もまだ始まったばかりもあって人は多く、道を行く自動車も途絶えることはない。寒さに僅かに体を震わせながら冬の街を歩いていく。「今日の臨時報酬はでかいからなあ。半分は生活費にあてるとして、半分はどうするかな」特にお金を使う必要があるような趣味は持ち合わせていない。となれば使うところは必然的に衣食住………とりわけ食になる。ファッションに疎く、家に不自由どころかむしろ持て余している以上、お金を使うところは食しかない。料理を少しだけ豪勢にできるかな、なんて考えながら夜に聳え立つビルを見上げ、歩く。新都で一番大きなビルは、流石に上の方となると見づらい。ただ夜景を楽しむために見上げていると、そこに不釣り合いな何かが見えた。「─────?」目を凝らして見る。ビルの屋上、街を見下ろす様にその人物は立っていた。「………あれ、遠坂?」何の意味があってあそこにいるのかが理解できない。彼女が士郎に気付いている様子はない。いや、見えている筈がない。人並み外れて視力のいい彼が、魔力で視力強化して漸く判断できる高さである。あのような場所に一人で立っているからこそ分かるわけで、地上で人波の中にいる士郎に気付くことはないだろう。と。その合うはずのない視線が、合ったような気がした。「………視線が合った?」そう呟いたすぐ後に用を成し終えたのか、赤い彼女は屋上から姿を消した。「─────何してたんだろ、あいつ」いない人物に向かって呟く。が、返答なんて当然返ってこないので適当に頭の隅に追いやっておく事にしよう。「ヘンな趣味をしてるんだな、遠坂って」─────sec.03 / 武家屋敷の夜バス停に到着しバスから下車する。新都とは違ってこちらに人影はなく通りを行く人も見当たらずに静まり返っていた。「………当然か。辻斬りめいた殺人があったばかりなんだし」坂を上きって家の前に着く。玄関に明かりが灯っているので、まだ家に大河がいるのだろうと判断して玄関戸を開ける。「ただいまー………ってあれ?」玄関先の靴を見ると、いるであろう人物の靴とは別にもう一足ほど靴があった。その靴もまた見覚えがある靴で疑問を抱きながら居間へと足を進める。「おかえりー、士郎」「おかえりなさい、先輩」やはり思い描いた通りの人物がそこにいた。しかもまるで何事もなかったかの様に夕食の支度をし終えていたのだ。「さ、桜。物騒だから夜は来なくてもいいって………」「はい。ですからそれは明日からでしょう、先輩? なので今日は来ちゃいました」「来ちゃいましたって………いや、まあ、もう来ちゃってるからいいけどさ」居間のテーブルへ目をやればそこには夕食が。どれも出来立てらしく、ほくほくと湯気が上がっている。「えっと、もしかしてまだ二人とも食べてなかったりするわけ?」「そうよー。桜ちゃんの晩御飯とも一旦お別れってことになるから、最後は一緒に食べようってことになったのよ。ねー、桜ちゃん」「はい。先輩が大体この時間に帰ってくるっていうのは分かっていましたから。用意して待っていたんです」笑って答える桜と、立ち上がって士郎を無理矢理居間に座らせる大河。この虎は目の前に用意された夕食を早く食べたくて仕方がないらしい。「はい、それじゃいただきまーす!お姉さんはもうハラペコだよー」「先輩、今日はたくさん作りましたので、いっぱい食べてくださいね」「………確かにいつもの倍はあるよな、これ。けど、ちょっとタンマ」無理矢理座らされた士郎が立ち上がる。それに疑問符を作る二人─────いや、一人は涙を滲ませている様にも見えた。「ええい、そんな駄々っ子の様な顔で見上げるな、二十五の大人がやったところで何もかわいくないぞ、藤ねぇ」「先輩、どこに行くんですか?」「とりあえずは手洗い。あと鞄も置いて来るから先に食べててくれ。すぐに戻る」桜にそう告げて居間を後にする。洗面所に行き手洗いを済ませ、自室へ鞄を置く。着替えは風呂上りに一緒に済ませるということで、先に食べているであろう二人の元へ。そう思って居間の障子をあけると、そこにはまだ食事に手を付けていない二人が。「ヴァー………早くタベサセロー………」「………どこのゾンビだよ。桜も別に食べててくれてよかったのに」「いえ、すぐに戻ってくるということでしたので、待つことにしたんです」「………そっか。すまない、桜。─────よし!それじゃあ食べよう」士郎がその言葉を言うや否や、物凄い勢いで姿勢を正した人物が一名。「オッシャー!タベルゾー!!いただきまーす!!!」言葉が先か手が先か、気が付けば茶碗を持ってガツガツと食べる姿が。一応教師ということで言葉が先だったと信じたい。「藤ねぇ、お前は食に飢えた虎か。そんな調子で食べてると─────」「虎って言う………!? ん、んー!」案の定喉に食べ物が詰まったらしい。あまりにもベタベタな展開に深く溜息をついて、茶を渡す。「それ見た事か。ほら、茶だ」「─────!」物凄い勢いで士郎からコップを奪い、茶を流し込む。苦しそうな表情はそこで消え、次にはいつも通りの笑顔があった。「ぷっはー! ありがとう士郎、おかげで助かったわー」「はぁ、俺はむしろ頭痛がしてくるぞ、藤ねぇ」そうは言うが目の前に置かれているおいしそうな料理の数々。士郎自身も空腹ではあったので、虎に全部持っていかれる前に食さねば。「桜が作ってくれた料理だ。余すことなく食べさせて貰います。─────それじゃ、いただきます」「はい、いただきます」時刻は午後九時。夕食というには少し遅すぎる時間ではあるが、一人で夜食を食べるよりかは全然マシだ。「桜、また一段と上手くなったよな。これじゃ俺も追い抜かれそうだ」「はい、先輩を射程圏に捕らえました。いずれ追いついて、追い越してみせます。 覚悟してくださいね、先輩。いつか参ったって言わせて見せます」「うわー、言い切ったな………。まったく、うちに来るまではサラダ油の存在すら知らなかったクセに。 今では虎視眈々と師の首を狙ってやがる。なんだってそんな目の仇にするんだよ、ほんと」「そんなの目の仇にしますっ。先輩の方が料理が上手なんてダメなんですから!」「いや、ダメと言われても………。ともかく、俺も桜の射程圏から逃れるために料理技術を向上させねばいけないな。 見てろよ、桜。また距離をあけて遠い存在になってやるぞ」「ふふ、それはちょっと嫌ですね。先輩と同じ場所に立てるように精進します」ゆったりと。桜が作ってくれた料理の数々を一品ずつ味わって食べる。どれもこれも士郎好みな味付けが施されていて、そこいらの料亭よりもずっとおいしい。ご飯が何杯でも食べられそうだ。「─────おお」味噌汁を口に含む。そこから味覚に伝わる味に思わず感嘆の声をあげてしまう。「桜、この味噌汁かなりうまい。流石だ」「あ、ありがとうございます!」「あー………これはちょっと本気で精進しないと。さっきああ言った手前でまさか舌でそれを実感するとは思わなかった」「私もああは言いましたけど、実際先輩にそう言われると上達したんだなあって実感できて嬉しいです」二人穏やかに食事をするその傍らから腕が伸びてきた。その先にはご飯が入っていた茶碗が。「桜ちゃん、おかわり!」「あ、はい」いそいそと茶碗を受け取る桜。その光景を見て、ふと気が付いた。「藤ねぇ。一つ聞くが、今ご飯何杯目だ? まだ食事を始めてから十分程度だと思うのだが、なぜに残りご飯量と食卓のおかず群がこうも目に見えて減っているのか」「んー? 何杯目だっけ? というか十分も経っちゃった? うわー、おいしいものを食べてると夢中になれるって本当だったのねぇ」「………そうか、藤ねぇの中ではまだ食事を始めて五分程度しか経ってないのか」これはうかうかしていると本気で虎に全部持っていかれかねんと再認識。ここから先はおかずの取り合いの体を成してきそうな雲行きだ。「おいしいから箸が進むっていうのもわかるけどさ、もうちょっと味わって食えよ、藤ねぇ。作ってくれた桜に申し訳ないだろ」「いえいえ、いいんですよ。先輩みたいにじっくり味わってくれるのも嬉しいですけど、藤村先生みたいにいっぱい食べてくれるのもそれはそれで嬉しいですから」「むー、士郎は私が味わっていないって思ってるのかしら? 安心しなさい、今日の桜ちゃんの夕飯の意気込みは十分伝わってきてるから」◆─────こうして遅めの夕食は終わりを告げる。空になった食器をシンクへと運び、テーブルを拭いてとりあえず居間は片付け完了。「さて、それじゃあ俺は桜を家まで送るとするかな。藤ねぇ、悪いけどちょっとの間だけ家で待っててくれないか?」「え? い、いやいいですよ、先輩。一人で帰れますから。それにまだ食器の片付けが………」時刻は午後九時半を過ぎている。夜は当然だが真っ暗で、まだまだ寒い時期だ。「よくないだろ、最近物騒になってきたんだからさ。それに桜ン家はちょっと遠いだろ? 食器は俺が洗っておくから今日はもう帰って休め、桜」「でも………ごめんなさい。気持ちは嬉しいんですけど、先輩は休んでいてください。家までだったら慣れてますし、一人でも大丈夫ですから」「いや、それはそうだろうけど。今日は特別だ」「でも、やっぱり………」「はいはーい、そこで提案です、二人とも」「「?」」互いに引きそうにない状況と見た大河は、二人の間に入るように声をかけてきた。「なんだよ、提案って。言っとくけど変な事だと即、却下だからな」「別に変じゃないわよ。士郎は家にいて食器を洗えるし、桜ちゃんは夜道の危険に曝されないで済む方法があるわよ?」「………それって藤ねぇが送って行くってことか?─────まあそれなら」「ぶぶー、残念でした。正解は、今日はこの家に泊まっていく、でしたー」「あーそれなら確かに………──────────って、ちょっと待て」一瞬納得しかけた自分に喝を入れる。大河の提案を聞いた桜も驚いた顔をしていた。「えー? でも問題ないじゃない? 家は広いし、私たちが止まっても何の問題もないでしょ? ………ははーん、もしかして士郎。変なこと考えてたりする? けど、残念。そんなことは教師である私が許しません」「広さ的な問題はないとしても、藤ねぇは何を言っているんだ………。 ─────というか、単純に食い過ぎて動きたくないからその提案出しただけだったりしないよな?」「ぎっくぅ!!そ、そんなことないわよ!お姉さんはそんなだらしなくはありませんっ!!」「………図星か」はあ、と溜息をつく。この家に帰ってきてから既に何回溜息をついただろうか。「それに、だ。桜は家に帰らなくちゃいけないんだから、無理に泊まらせるなんて迷惑だろ?」そうだよな? という意味を込めて、会話に参加していなかった桜に問う。が、我に返った様に意識を取り戻した桜は「そ、そうです、先輩! 私なら全然平気なので今日は泊めてください!」「え? い、いや桜?─────わかった。分かったけど、その、本当に大丈夫なのか?」「はい、大丈夫です!」テンションの高さにたじろぎながらも士郎は了承し、二人は衛宮邸に泊まることになったのだった。◆シンクにて食器を洗う士郎。居間にはテレビを見る大河と桜がいる。言うまでもない常識だが、夕食を食べ終わった後は食器の片付けをして、お風呂に入って寝るだけである。小さな差異こそあるだろうがこれはごく普通の流れであり、当たり前すぎて本当に何も問題はない。が。「………あの、藤村先生。相談があるんですけど」桜が遠慮がちに尋ねてきた。その不思議な仕草に疑問を浮かべる士郎と大河。「ん? なになに、言ってみそ?」「あのですね………その………」何かを言おうとしているようだが、歯切れが悪い。そんな姿を見て大河は何やら思いついたらしく、ポンと手を叩いた。「あ、そっかそっか。着替えの問題があったわね。んー、寝間着はどうしよっか。私のでいいのならあげるよ。 それとも浴衣着る? 冬場だから少し寒いと思うけど、浴衣ならこの家にあるから。 あとは家に帰って取ってくるっていう手もあるわねー」「………藤ねぇ? 桜を夜道に出すのは危険だからこの家に泊まろう、って話じゃなかったっけ?」一応はそういう事で泊まることとなっていたはずだ。しかし寝間着を取りに帰るというのは「そ、そうですよ藤村先生。家に取りに帰ったらそのまま家に居ればいいだけですから」「あ、あはははー。そうだったわね」ということである。「………」もう溜息すら出なくなり、黙々と食器を洗うことに専念する。寝間着の問題なら浴衣でも用意すればいいだろうと判断したが、大河はそうでもないらしい。「で、寝間着の話だけど、私ので大丈夫かな。下着も私のでいける?」「あ、いえ………その、先生のだと、胸がきついと思うんですけど」「むっ。そっか、桜ちゃん胸大きいもんねー。…………………………………その肉をワケロ」士郎の耳に問題発言が聞こえてきたのと同時。学校の教師があろうことか桜の胸を揉む様に触ろうとしている光景が。というより実際少し揉んでいる。当然それに反応する桜。「きゃーーーーー!せ、先生何するんですかーっ!」「あはははは、冗談冗談。………けど、困ったわねー。桜ちゃんサイズの下着なんて持ってないし、当然この家には無いし。桜ちゃんってつけて寝る派?」出来る事ならば別の場所で話をしてほしい、と内心思う士郎なのだがそんな事などつゆ知らず。かといってそれを口に出したら出したでまるで自分が意識しているみたいになってしまうのでここは聞こえていないふりをしてやり過ごす。そんな士郎の内心を感じ取っているのかいないのか。士郎の方をチラチラと見ながら大河が質問していた。「え、あ、はい。………一応は、その」「だよねー。おっきい人はそういう人多いよねー。けど苦しくないの、と素朴な疑問を投げかけてみる」「………く、苦しいですけど、ですね。そ、そういう時はその………ごにょごにょごにょ」耳打ちをする桜。それを聞いた大河はなるほどーという顔で納得していた。「若いっていいなー!んじゃ、さっそくうちの若いのに連絡入れて今から持ってきてもらうかー」「え? い、今からって今からですか?」「ん? そうよ?」「あ、い、いや大丈夫です、藤村先生。今日は浴衣を着て寝ますから。一日くらい平気です」「あれ、いいの?………でもまあ確かに今日だけの為に用意するのもあれかな。 分かったわ、桜ちゃん。じゃあ浴衣の準備はしておくから、お風呂にでも入ってきなさい」「………はぃ」一連の会話を終えて真っ赤になりながら居間から出ていく桜。それを見送った大河が、次は食器を洗う士郎の顔を見てにやけた。「あれー? 士郎、顔が赤いけどどうしたのかなー? やっぱり桜ちゃんの話、気になる?」「─────藤ねぇ。まさかとは思うが俺の反応を見たいが為にわざと聞こえるように話をしていたのか?」「さぁーどうでしょう。お姉さんはふっつーに会話してただけだけどなあー」にやにやしながらテレビをお笑い番組のチャンネルへと変える大河。その背後。「─────ふふふ。藤ねぇ………覚悟おぉぉぉ!」居間の片隅に置いてあって紙製ポスター(昨日持ってきてそのままだったもの)を丸めて持ち、背後から頭部へ振り下ろす。直撃コース。しかも相手は無防備かつ背後からの襲撃。物凄い卑怯な先制攻撃だったが、これくらいしてもバチはあたるまいと思った矢先だった。きらん、と大河の目が光ったと思ったらパァン!!と、大よそ紙製ポスターに相応しくない音が鳴り響いた。「………………」手に持っていたポスターを落とし、現状の理解に努める。ポスターは大河の頭部に届くことはなく、自分の頭部に竹刀が。「ふっふっふ………」「………藤ねぇ、どっからその竹刀を取り出した? あれか、アンタはどこぞの青いネコ型ロボットか?」「見えなかった? 服から取り出したのよ」「それがどういうことか分からないんだよっ!!」心の中から湧き出た渾身の突っ込みを吐きだして、盛大に溜息をついた。この出来事だけで、全ての疲労が一度吹き飛んでそれ以上の疲労が一気に蓄積したような感覚に陥った。「この不良教師め………」とぼとぼと中断した食器洗いの続きを再開する士郎。気をよくした大河はそのままお笑い番組を見ている。「─────ほんと、一度氷室の爪の垢を煎じて飲ませてみようかな………」コペンハーゲンにて冗談含めて言った言葉を、わりと真剣に考える士郎だった。