第46話 楓、襲来─────第一節 太陽の光の下で─────時刻は昼下がり。昼食後、やはりと言っていいほどに食材はなくなった。このままでは夕食分より先の食事ができない。そう頻繁に買い出しにいける余裕もないため、今日で無理しても三日分ぐらい食材を買いこんでおいた方がいいだろう。しかしそうなるとどう頑張っても一人ではきつい。三人分程度の食材を買いこむのならまだしも、九人分の食材を三日間分買い込むとなるとお金を下ろしてこなければならない。加えてスーパーで食材を買って、家に持って帰ってくるだけでもかなりの重労働になる。「氷室、美綴。買い出しに付き合ってほしいんだけど」食材の中には卵など慎重に運ばないといけない食材も買う予定ではあったので、人手は欲しいところだった。その申し出を受けた二人は快く了承し、通帳と財布を持って家を出た。坂道を下り、交差点を通り過ぎ、商店街にやってくる。流石休日の昼下がりとだけあって、夜の静寂が嘘のように賑わっている。「それじゃあ派手に買い込むか。二人とも何がいい? さしあたっては晩メシのメニューになるけど」「ん? 衛宮、家から出る前にイリヤ嬢からメニューを聞いていたのではなかったか?」ピタリ、と士郎の動きが止まる。鐘の言葉を聞いて思い出そうとするが、どうあっても思い出せない。「─────あれ、そうだっけ。イリヤ、何がいいって言ってたっけ?」「あの子、確かシチューがいいとか言ってたけど。なに、衛宮。覚えてないワケ?」むぅ、と思い出す。依然としてはっきりとは思い出せないが、それとなくその光景を見た覚えがあった。「………そう言えば言ってたような気がする。単純にド忘れした。ま、決まってるならさっさと買いに行こう。まずは鶏肉かな」馴染みの精肉店に足を向ける。何しろ九人分で三日分の食材である。わざわざ引き下ろしてきたお金を無駄にはできないし、出来るだけ安くていい食材が手に入れる様に足を使わなくてはいけない。「ヘイ、らっしゃい。今日は何を買ってくんだい、兄ちゃん」「えーっと、鶏肉なんだけど安くていいのある?」ショーウインドに並べられた肉と値段を睨みながら話しかける。スーパーで買ってもいいのだが、こういう場所の方が安いときもある。「うん? そうだな、それならこっちに………って、なんだ兄ちゃん。女の子二人引き連れて買い物かい?」士郎の後ろにいる鐘と綾子に気が付いて、何やらしたり顔で話しかけてくる。「ん、と。そういうことになる」「へぇ、両手に花とは言うが実際に見たのは初めてだな。いい相手、見つけたじゃねぇか兄ちゃん。けど、この日本じゃ一夫多妻制は認められてないぞ?」ぶっ、と噴き出してしまった。どうしてなかなかすごい方向へ解釈が行っているらしい。「照れんな照れんな。若い頃は少し旺盛な方が………」「………別の精肉店に行って買ってもいいんだけど」「はは、冗談だよ。そう本気で受け取んなって。じゃ、ご所望の鶏肉だが………」鶏肉を見合いながら話し始める二人。その光景を後ろで見ていた二人の顔は少し赤くなっていたとかいなかったとか。◆─────で、駆け足で商店街をはしごすること四十分。途中それぞれ買う物を分担して決め、スーパーなどに入り浸った結果結構な量の袋を持つ事になっていた。「これだけ買えば問題ないか。悪い、二人とも。荷物持ち手伝わせちまって」「いや、大丈夫よ。あたしらもご馳走してもらってるわけだからこれくらいは当然でしょ」「寧ろ私達がやるべき雑務と言っても過言ではない。衛宮は家でゆっくりしていてくれてもいいのだぞ?」ゆっくりと商店街の出口へ向かいながら士郎の持つ袋を見る。その数は二人がそれぞれ持つ数よりも数個多い。加えて重量あるものが多いため三人の中では一番重労働だろう。「いや、家の主が怠けてるんじゃあ駄目だろ。氷室たちはお客さんっていう立場なんだから、むしろ二人がゆっくりくつろいでくれた方が普通だと思うけどな」「衛宮。君が言った言葉を忘れてはいないか?」士郎の発言を聞いた鐘が、士郎の顔を覗きこんだ。「ん? 何か言ったっけ、俺」「遠坂嬢が食事を交代制で作ろうと言ったとき、君は『家族同然なんだから』と言ったじゃないか。なら、先ほどの『お客さん』という発言は正しくはないだろう?」「─────む。そんな事言ってたっけか、俺………」「あ、そういえば言ってたね。『みんながうちで暮らすっていうなら家族と同じだ。飯ぐらい作るのは当たり前だし、俺も楽でいいか』って。………なるほど、なら確かに衛宮の発言は間違いだな」薄らと笑いかけてきた綾子は、士郎の持つ袋のうちの一つに指をひっかけ「え? おい………」「というわけで衛宮の荷物、一つ持たせてもらうよ。楽な方がいいんでしょ、衛宮は」士郎の手から奪う様に袋を取った。反論は受け付けません、と言わんばかりの顔である。「そうだなっと」「え、あ、ちょっと氷室も………」反対側にいた鐘もやっぱり奪うようなかたちで士郎から袋をとった。重量的には少し重くなるが、この程度の重さなど助けてくれた時のことを考えれば全然軽い。「いや、気持ちはありがたいんだけどさ。ほら、俺魔術師だからある程度重くても問題─────」「衛宮あああぁぁぁぁぁぁ!!!!」「「「!?」」」突如背後より呼びかけられる声。その声に驚いて咄嗟に後ろを振り向いたが時すでに遅し。腹部に強力なグーパンチがクリーンヒットしていた。「うぐっ!おおっ!?」もろにくらった士郎はそのまま後ろへ二歩ほど後退。両隣にいた綾子と鐘はその殴ってきた人物へと視線を向ける。対してその人物はというと、何やら殴った右手を抱え込んで小さく蹲っている。「ま………蒔の字、何をしている?」「………アンタ、何やってるわけ?」その光景を見て、“壁を殴ったはいいが、あまりに強く殴った所為で自分の拳が痛くて我慢できなかった人の図”だと一発で認識できた。しかし当の本人は全然納得がいかないようで「衛宮………お前、腹に何仕込んでんだよ!鉄板でもいれてやがるのかコノヤロー!」「………ぜ、全速力で突っ込んできてそのまま殴ったろ、蒔………」そう言いながら腹部を抑えた時に、血の気が引き、体感温度が一気に氷点下におちた。手に伝わる感覚。それは決して人肌ではない。触れる分には何も問題ないのだが、先ほどのようにグーで勢いよく殴りつけるとどうなるか。「おい、蒔寺………!」すぐさま目の前に右手の痛みに耐えるようにしゃがみこんだ楓に駆け寄る。近づいた士郎と目があう。その顔は少しだけ涙が滲んでいる様にも見えた。「蒔寺、ちょっと右手見せてみろ………!」「あ、おい………」楓が何かを言おうとする前に、士郎は強引に楓に右手を見た。刃が突き出している部分には触れなかったみたいらしく、深い傷はないが血が滲みだしてきていた。「──────────」「な、なんだよ。………ああ、そうさ。衛宮の腹殴ってそのまま自爆したんだよ。笑えばいいじゃないか」痛みの所為で右手が少し震えている。思い切り殴った先が鋼鉄の刃であるとなると、その拳が無事でいられる筈がない。「………!? 蒔の字、大丈夫か?」その異変に気が付いた二人が近づいてきて同様にその拳を見る。赤くなっている右手。そして先ほどの光景。思い出した。今は服を着ている所為で普通のように見えるが、士郎の腹部は銀色の物体で覆われている。その光景は昨日見た。切られた箇所を覆うように剣が乱立しているさまを。「………蒔寺、俺の家にいこう。そのままじゃだめだ、手当しないと」ゆっくり立ち上がって、手を差し伸べる。その表情は嘲笑うでもなく、痛そうだと憐れみるのでもなく、ただ謝罪の色しか出ていなかった。◆「これでよし………と」楓の右手の怪我を手当し、丁寧に包帯を巻く。魔術での手当が出来ない以上、こうした普通の手当で間に合わせるしかない。「…………」右手を見て腕を動かす。まるで指を骨折したかのように包帯を巻かれている右手。「………ごめん、蒔寺。折角退院したばかりなのに包帯巻かせるようなことになっちまって」「────もういいっての。私がいきなり殴ったのがいけなかったんだし。そんな謝られちゃこっちの調子が狂うから、もういいよ」ごと、とテーブルに置かれる湯呑。居間にいるのは楓、鐘、綾子、そして士郎の四人。セイバー、イリヤ、リズ、セラは気を使ってくれたのか、居間から別室へと出ていた。「………そうだな。では蒔の字、なぜいきなり殴りかかってきたのだ?」湯呑を持ってきた鐘がそのまま士郎の隣に座る。綾子は手当した救急箱を直し、自分の湯呑が置かれた場所へと座った。「なんでって………まさにこの光景についてなんでって聞きたいんだけど、メ鐘」この光景。つまり衛宮の家に鐘と綾子がいる、この光景。「メ鐘のお母さんから、メ鐘が衛宮ン家で勉強してるって聞いてさ。どういうことだって問いただそうと思ったんだ」「………で、衛宮ン家に来る途中で衛宮を見つけて、あたしらが隣にいた事で聞かずとも判って、勢いそのまま殴ったってワケね」うんうんと頷く楓。対する綾子は軽くため息をつきながら茶を口に含んだ。彼女の手の怪我を自業自得だと言うのは簡単だが、士郎はそう思っていない。それは彼の表情を見た二人も、そしてその表情を正面から見た楓も判った。「─────で、なんだってみつづりんはここにいるんだよ。まさかメ鐘と同じでテスト勉強─────」「残念。あたしもそういう理由でここにいるのです、まる」ずず、と鐘と二人して茶を飲む。確かに不自然ではあるだろうが、事実をいう訳にはいかない以上この嘘を突き通すしかない。「………衛宮。二人に何かやばい薬でも飲ませただろ。ほら、何か飲ませる事で人を自在に操ってしまうようなやばい薬」「どんな薬だよ。そんな薬は持ってないし、使おうとも思わないぞ、俺は。第一使う意味ないだろ」「けどおかしいだろ。テスト勉強っていうけど、まだ学期末まではもう少しあるんだぞ。今からテスト勉強の為にって、あとどれくらい続けるつもりだ、衛宮」「う~ん………あと一週間くらいか?」ぴたり、と茶に手を伸ばそうとしていた腕が止まる。ぎぎぎぎぎ、と顔を向けて何やら思い至ったような顔で見る。「ま………まさか衛宮、何か二人の弱みを握ったのか? それで脅して二人を………」「………蒔の字、君は一体何を連想しているのか少し聞かせてもらいたいのだが?」その後不穏当な事を言おうとした楓の口を綾子と鐘が二人がかりで封じ込めたという出来事があったのだが、それは語られることはなかったという。◆帰ってきた凛らと対面し、また一騒動あったのだがなんだかんだで落ち着かせることができた。時刻は間もなく午後六時。まだ冬とだけあって、すでにこの時間帯でも外は夜に変わっている。「………なあ蒔寺、家に帰らなくていいのか?」居間で茶と菓子を頬張りながらテレビを眺めている楓に尋ねる士郎。現在士郎は夕食の準備中。本来ならば鐘と綾子も昼に言った手前で手伝おうかと思ったのだが、楓がいる以上彼女が何を言ってくるか判ったものではない。「ん、あ。もうこんな時間だったのか。いや、メ鐘とみつづりんがまだ家にいるから大丈夫な時間かなーって思ってたんだ」時計を見て立ちあがる。そうして一言。「よし、それじゃあ帰ろうぜー、メ鐘、みつづりん」…………………。流れる沈黙。居間にはセイバーや凛もいるのだが彼女らもまた黙っていた。当然その当事者である鐘と綾子もその静寂の中にいる。「? あれ、どうしたんだ?」周りからの反応がないのに気が付いた楓が再び尋ねる。何といっていいものか、と二人が思案し始めた時にその思案をぶち破る者が。「あれ、カネとアヤコ、今日もここにいるんじゃないの?」イリヤである。そう、二人はこの家に泊まっている。故に帰る場所はここであり、外に出る必要はない。それを当然だと思っていたイリヤの疑問は当然である。が、楓はそうはいかない。「………ちょっと待て衛宮。メ鐘とみつづりんはこの家に泊まったのか?」「あー…………………………………………………………はい」楓の時間が停止したのだった。─────第二節 お化け屋敷?─────時刻は午後八時。鐘と綾子が帰ろうとしない限り意地でも帰らないとする楓が未だに家にいた。そしてちゃっかり夕食もご馳走になるという見事な姿が。「ねぇ蒔寺さん。最近物騒になのだから早く家に帰ってはどうでしょうか?」笑顔が怖い凛が楓に帰る様に促す。それを見た楓は僅かに後ずさるが「いいや、だめだね。みつづりんとメ鐘を衛宮から救出しないと私は心配で夜も眠れないっての」強気な物言いで否と答える。先ほどからずっとこれの平行線である。鐘や綾子が何を言おうとも『衛宮に操られているんだ!』と言ってまともに取り合おうとしない。そんな状況だから士郎は何も言わない。というか言えない。言ったところで一番まともに取り合おうとしないだろう。「………ねぇ士郎、いい加減暗示かけて帰してもいいかしら?」「う………、できれば暗示に頼りたくなかったんだけどな………」「仕方がないじゃない。ここにいる方がよっぽど危ないわよ」ひそひそ話で会話する二人。暗示をかけようとした凛に士郎が待ったをかけたのだ。できることならば暗示に頼らずに説得でなんとか帰したかった。人の脳に直接働きかけるだけあってどうしても抵抗は残る。暗示をかけることなく穏便に説得出来て帰らせることができた方がいいのだ。が、結果は見事に失敗。凛の言う通りここにいることは決して安全ではない。聖杯戦争に無関係な彼女は同じく無関係な場所で過ごしていた方がまだ安全である。巻き込みかねない状況を考えるとこれ以上は無理。仕方がないと諦めて凛の提案を了承しようとしたときだった。「………提案がある。衛宮、遠坂嬢」同じくひそひそ声で話しかけてくる鐘。「ん? 何か案が?」「ああ。一つな………」◆「蒔の字、そろそろ帰ろうか。両親も心配しているだろう?」「む。だーかーらー、メ鐘とみつづりんを救出しない限りは帰れないって」楓は凛とも友人ではあるのだが、それよりもまずはこの二人をどうにかしなければという思いがあった。凛は様子を見る限り「ただ遊びに来た」という感じ(実際楓が見たのは凛が家からやってきた様子だけ)だったので、それよりは二人を、ということである。「それなのだが、私と美綴嬢はまだ帰れないのだ。衛宮から少し依頼を受けていてな」「依頼?」ここで初めて聞く単語に訝しげな表情を作りながら鐘に尋ねる。対して鐘はこの作戦に自信があった。だがこの時間帯まで言わなかった理由。それはこの『夜』にある。「ああ。実はな………衛宮の家の隅にある倉の中に─────“幽霊”が現れるらしい」「ゆ、幽霊………!?」今まで強気な姿勢を見せていた楓だったが、鐘の一言でその勢いがなくなる。「ま、またまた。そんなのいるわけないじゃん。だいたい衛宮の家に倉なんてあったか?」「ああ、ここからでは少し見えないがすぐそこに。………なんなら見てみようか、蒔の字?」「…………」楓から言葉が出てこない。完全に鐘のペースである。楓の手をとり、靴を履いて庭へとやってくる。が、楓の足取りは重い。「その幽霊を見たと言うことで衛宮から話があってね。おかしいとは思っただろう? ただのテスト勉強の為だけにこれほど早くから衛宮の家にやってくるわけはない。それは母親に対する詭弁で、本来の目的はこちらにある」「こ………こちらって、じゃあメ鐘は本当はその幽霊とやらを調べる為に衛宮の家にいたのか?」「ああ。だが幽霊というものはやはりというべきか日が出ている間は見ることはできない。となれば泊りがけでその実態調査を行うしかないのだ、蒔の字。………そら、件の倉が見えてきたぞ」鐘と楓の正面に見えてくる倉。心なしかどこか暗く見えなくもない。「け、けどさ。幽霊ってったって、衛宮の見間違いかもしれないだろ」「………入ればわかるのだが、中には折れ曲がったパイプや血痕がある。これがどういう意味か、わかるか蒔の字?」「ど………どういう意味だよ、それ」「つまり、衛宮はその幽霊に襲われたのだ。でなければパイプが曲がるなんてことはないだろうし、血痕だってあそこまで大きなものにはならない」「…………」この夜の静寂と鐘の言い回し。そして目の前に見える不気味な(楓視点)倉。加えて先ほどまでそれなりに賑やかだった他の面子が見当たらないときた。「さて、蒔の字。帰らなければこの先見なくてもいいものまで見てしまいかねないが………どうする? 幽霊とやらにあってみるか?」「う………ぅ………ううぅぅぅぅぅぅぅぅ…………」楓の中で揺れ動く針。帰るか帰らないか。正直にいうと物凄く帰りたい。ええ、もうそりゃあお金払ってでも帰りたい。が、ここで帰ると『では先ほどまで二人を救うと言っていた自分は一体なんだったのか』ということになる。つまり自分の恐怖心から保身へと移り、二人を見捨てるということになる。それでは格好がつかない。あまりにも無様である。そして二人にとてつもなく申し訳ない。揺れ動く行動指針。その針がゆっくりと揺れ幅を狭め、そしてついに一つの解答を示した。「………よ、よし。い、いいいいってやややろうじゃないか………!ゆゆゆゆゆゆ幽霊がなんぼのもんじゃーい!!!!」静寂な庭に響く楓の咆哮。しかしその声は頼りないほどに震えているのだから、結局格好はついていない。対する鐘は少し意外でもあった。怪談話などするとあっという間に逃げる楓が、逃げずにおっかない(と嘘をついた)倉に入るというのだ。鐘はこの段階で帰ると予想していたのでこの反応は予想外だった。………しかし、同時に盤石になった。「………そうか。では中を見てみようか。昨日は調べたが今日はまだ調べていない。美綴嬢はすでに中にいる筈だから合流するとしよう」「え………みつづりん、もう中に入ってるのか?」倉の重い戸を開ける。中はやはりというべきか真っ暗である。雑多に並べられているガラクタ。その奥は完全に闇でありどこまで続いているのか視認できない。入口から死角となる上段奥。一体何があるかもわかったものじゃない。視線を落とせば、鐘の言う通り折れ曲がったパイプや途中で千切れているブルーシート。そして一角には乾いた血の痕もあった。「─────」もはや楓にとって遊園地のお化け屋敷などというレベルはとうに越えている。だが楓自身後には引けないため中に入るしかない。そうして一歩中へ踏み入れた時だった。ガシャン!「ひゃああぁぁうう!!!??」土蔵の奥。完全な暗闇の中から聞こえてきた音。その音に驚き咄嗟に隣にいた鐘の背中に回り込む楓。おそるおそる中の様子を再度窺って見ると、その場所に「み………みつづりん!」綾子が俯せに倒れていた。辛うじて入口の光が届く場所にいたため、震える足で何とかその傍へとたどり着く。鐘がしゃがみこみ綾子の容体を確認する。「美綴嬢、大丈夫か?」「う………ん………」どうやら意識はあるらしい。その光景を見てほっ、と一安心したその時だった。「─────────────────────────────────────────────」楓の思考が停止する。綾子と鐘は気が付いていない。楓の視線の先にすぅ、と上半身だけ現した白髪で褐色肌の紅い服をきた男。下半身は見えない。というよりない。暗闇の中だというのにその男だけは浮き出ているようにはっきりと見えた。そしてはっきりと見えている筈なのに、やはり下半身がない。その光景。先ほどの鐘の言葉。足元に広がる血痕や折れ曲がったパイプ。綾子が倒れていた理由。動かない脳が、それでも理解しようとして必死に酸素を必要としている。が、息が止まっているために必要な酸素など運ばれてこない。そして特筆すべきはその“息が止まっている”という事を全く認識できていないことである。つまり現状を把握できる量は残った僅かな酸素分のみ。そうして、必要最低限の状況が理解できたとき「!“#$%‘()=~|{‘}*?>><*」+†●◆☆■Д↓И~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」声ならざる声を出したのだった。―Interlude In―「………大丈夫かな、氷室と美綴」「まあいけるんじゃない? 氷室さんが言うに怖いモノだめだっていうらしいから。あとはアーチャーがどれだけ芝居をうてるかよ」別室で待機していた士郎ら一行は茶を飲んで一時を過ごしていた。これも全て楓を納得させて帰らせるためなのだが、イリヤはこの別室待機というのが気に食わないらしい。「もう。なんで暗示なり催眠なりかけなかったの、リン。こんなことしなくてもそうすればすぐに終わった話じゃない」「こいつに言いなさいよ。暗示かけるのも催眠かけるのも渋ったのはこいつなんだから」「悪い、イリヤ。そういう『人の記憶を改竄する』みたいなのはあんまり好きじゃないんだ。そりゃあ蒔寺を聖杯戦争に巻き込む気はないからいざってときはそうするしかないけど、できることならそういうのに頼らないで済ませたいんだ」イリヤは相変わらずのむくれ面ではあったが、士郎の言い分である以上無碍にはしようとしなかった。「………わかったわ、シロウがそういうならもう少しだけ我慢してあげる。けど、シロウ。今日も一緒に寝て貰うんだからね」「………それはそれでいろいろ問題がありそうだけどなあ………」ポツリと呟いて時計を見る。この別室に来てから十分が過ぎた。そろそろ決着はついてるかもしれない。「と、それじゃあ様子見てくる」「もし驚いて逃げてきた彼女がいたら、とりあえずは『家に帰って寝て忘れなさい』とだけは言っておいて」ひらひらと手を振りながら士郎を送り出す凛。雰囲気を出すために廊下の明かりも全て消灯させており、廊下は薄暗い。玄関戸へと向かい靴を履き、外へと出て庭へ足を向けようとしたその時だった。「!“#$%‘()=~|{‘}*?>><*」+†●◆☆■Д↓И~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」声なのかどうかもわからないような声をあげて楓が目の前に走ってきた。その両手にはそれぞれ綾子と鐘の腕を持っている。どうやら相当速く走ってきたらしく、その速度についてこれなかった二人が引き摺られるような格好になってしまっているようだった。「=~|{‘}*?>><●◆☆■Д↓И!!??」何やら士郎に物凄い勢いで話しかけているが、残念ながら人語ではないため解読・理解ともに不能。その必死さに面食らいながらも、とりあえず落ち着かせる。「ま………蒔寺、とりあえず落ち着け。いいか、深呼吸を一回するんだ。そして目を閉じろ。それからちゃんと言いたい事を言うんだ」が、この状態になった蒔寺に人語は通用せず。完全パニック状態に陥った楓はとりあえず理解できる言葉で「お前ン家はお化け屋敷だあぁぁぁぁぁぁ!うわぁぁぁぁぁぁーーーーん!!」鐘と綾子の腕を放して相変わらずの速度で衛宮の家を飛び出していった。その光景に唖然とせざるを得ない士郎。「………なあ、氷室。確かに蒔寺は帰ったけどさ、効果覿面どころの問題じゃなくないか? っていうより学校再開したら俺ン家はお化け屋敷だって噂が絶対広まってるぞ、これ」「………まあアイツとはいろいろあったけど、今回は大人しくアイツの無事を祈るよ、あたしは」「ふむ、少々威力がありすぎたか。もう少しホラー要素を下げてもよかったか。まあこれで蒔の字が、私が衛宮の家にいる間は近づかないだろう。これで巻き込む心配はなくなったというわけだが………」「………何か複雑だ。いや、確かにアーチャーは言ってしまえば“幽霊”だけどさ。─────ちょっと蒔寺の様子見てくるよ。この時間帯だし一応警戒も兼ねて」「衛宮、私もいこう。流石にやりすぎたと思ったのでな。それに衛宮一人では収取はつかないだろう」「─────まあ、俺の言葉なんてまるで聞こえなかったかのようだったしな」念のためアーチャーも霊体で二人に同行する。まあ、間違っても楓の前で実体化することはもうないだろう。幾ら状況が状況だったからとはいえ、自分の姿を見られただけであそこまで怯えられるのは少しショックである。後に再開した学校内で『衛宮邸には幽霊が出没する倉がある』なんて噂が流れて一成やら同級生が物見に訪れたり訪れなかったりがあったそうな。―Interlude Out―─────第三節 襲撃─────ぜぃぜぃと息を荒げた楓を見つけたのは坂を降り切った公園近くの自販機前だった。声をかけた直後、びくりと体を震わせた楓だったがその人物を見るや否や、鐘に抱き着いてきた。流石にその光景を見て申し訳ないと思った鐘だったが、しかしあれが全て茶番である、なんて嘘もつけないのでしばらくはこうしておくしかない。「落ち着いたか、蒔の字。幽霊を見たのだな?」「…………」こくん、と頷く楓。もはや先ほどまでの様子とはまるで正反対である。「………よし、わかった。ならば私も全力をあげて調べ上げよう。だから今夜見たことは寝て忘れるのだぞ?」矢張りそれに対してもこくん、と頷くだけの楓。やはり心霊耐性Eランクは伊達ではなかった。トラウマにならないだろうかと少し本気で心配する士郎であった。◆無事家に送り届けた二人は家をあとにする。去り際に『怪談話をやっていたので少し怯えてます』と両親に詳しく訊かぬように忠告だけしておいた。これで誤魔化すことはできるだろう。「しかし蒔寺があそこまでオカルトに弱いとは思わなかったな。なまじ学校で活発な姿を見てるだけに」「以前より蒔の字はそういう類の話には弱かったのだ。それ故に最初の前フリだけで終わると思っていたのだが………勇気を振り絞ったのが仇になってしまったな」「………無事に聖杯戦争終わったらなんか作って持っていくか。というかそれくらいしないとなんだか申し訳ない気がする」夜道を歩く。やはり人通りは皆無であり、昼間の商店街と比べると差は歴然である。衛宮邸に戻るために交差点へと出る。そこで気づいた。「なあ、氷室。向こうの………柳洞寺の方、あそこあんなに暗かったっけか?」「む?」指さす方へ視線をやる。いつもと変わらない静寂と暗闇。それは指差された方も同じである。だが、それでも目に見えておかしい部分があった。「家の明かりがついていないのはまだいいとしても………街灯までついていないのはどういうことだ………?」そう。士郎が指差した方角。そこは完全なる“闇”だった。家の明かりはおろか、街灯すらついていない。明かりという明かりが一切ない。否、時刻はまだ午後九時に届かない程度の時間。一帯全てが真っ暗になるという時間ではない。「………アーチャー。おまえ、これを見てどう思う?」「どうも何も、お前とて感じているのだろう? ならば答える必要はない」新都とは正反対に位置する郊外一歩手前の街並み。明かりは一切なく、この場所からではまるで黒い隔たりがあるようにすら見える。「─────少し、調べよう」それだけ言って、暗い街並みへと歩き出した。先頭はアーチャー。その少し後ろを鐘が歩き、そのすぐ後ろをカバーするように士郎が付き添って歩く。これから先に起きるのは先ほどのような茶番ではない。本物の殺し合い、本物の化け物達である。士郎もアーチャーも、そして鐘も無言である。二人は確信を持っていたし、鐘は漠然とではあるが何が起きたか判る。矛盾した話。否定したいと思って歩を進めているのに、歩を進めれば確信は変わることのない事実となるというのに。「─────っ」それを目の当たりにしたとき、感じたモノはなんだったのか。この先には何もない、というかのような黒い壁。それを抜けて見知った街並みに踏み入った瞬間、この一帯で何が起きたのかを理解した。街はあまりにも静かすぎた。それは一般人である鐘ですら判る。眠りについた、というレベルではない。ここは人の気配が途絶えた完全な無。眠りではなく、もう“何も生きていない”という死がもたらす完全な静止だった。ここ周辺─────おそらく五十軒ばかりの家々は、何の変化もなく夜に沈んでいる。玄関を破られた形跡はなく、窓を割って中に侵入した形跡もない。壁をぶち破り、屋根をひっぺがし、建物内にあるモノをごっそりと拾い上げていったクレーンなども、当然ない。それらと同じく。百人以上いたであろう住人の気配も、ただの一つとして在り得なかった。「─────もはや、どこも確認する必要はないな。ここら一帯全てもぬけの殻だ」見なくとも判る。感じた事を、一度見た事もあるのだ。ならば見なくてよい。死体があろうがなかろうが同じ。この場には誰もいない。夜が明ければ誰も異常に気がつかない、完璧なまでの清潔さ。だというのに、この光景があの火災の時以上の荒野に見えた。「う………く………」「氷室」残る気配。黒い影はそこにはない。残るのは気配と残像。建物という建物、道という道、地面という地面。そこにベッタリと張りついている様子。「………これ以上の探索はやめておくぞ。その少女までアてられてしまう」「…………」鐘の肩を抱き、その場を後にする。士郎に影響は出ていないが、魔力抵抗がほぼないに等しい一般人である鐘には居続けるのが気持ち悪かった。惨状。言葉には出さない。あの惨状を引き起こした原因が、彼女であるということは判っていた。だからこそ、一刻も早く見つけ出して助け出さなければいけない。更なる罪、さらなる犠牲が増える前に。「………アーチャー?」前を歩くアーチャーが突如立ち止まった。アーチャーの前にあるのは一本道。かなり向こうまで続いている。何の変哲もない、夜の道。だが一本道だからこそ、視界を遮る物がないからこそ、鷹の目を持つ男の目にははっきりと見えた。「衛宮士郎、敵が来るぞ。戦闘準備をしておけ………!」ギィン! と干将莫邪を両手に投影するアーチャー。敵という言葉を聞いてすぐさま強化と投影を行う士郎だが、アーチャーの視線の先には誰も見えない。「………? 敵ってどこだ、アーチャー」「たわけ、強化が使えるなら視力も強化してみせろ。─────いや、やはりしなくていい」「なんだよ、一体どういう─────」─────眼前より、黒い彗星が飛来した士郎の言葉は続かなかった。言葉を出す暇があれば鐘を抱いて咄嗟に横へと回避する方が先だ。ギィン!! という音が死の街に響き渡る。だが、それを聞きつけてやってくる住人はどこにもいない。「ぐ………!!」アーチャーのくぐもった声。見れば先ほどの立ち位置から後ろに数メートル後退している。それは決して自ら後退したわけではない。全力で踏みとどまったにも関わらず、押し出されていたのだ。それほどの速度、それほどの威力。「な─────」士郎に言葉は出ない。アーチャーの実力がどれほどのものかなんて、直接戦った士郎が一番よく知っている。その彼を押し出すとなると相当の力が必要だ。いや、或いはそれはサーヴァントであるならばできて当然かもしれない。だからこそ、士郎の驚愕はそこにはいかなかった。士郎の視線の先、「─────あれは」鐘の視線の先、「─────チ」アーチャーの相手、「う………うぅぅぅぅぅぅぅ─────」黒い彗星の正体。それは紛れもなく─────「ライダー………!」あの夜みた人物だった。