Chapter7 Unlimited Blade Works第42話 違う理想─────第一節 英霊 エミヤ─────ズチャ、と。大雨の降る中、一人の少年が地に倒れた。鮮血が飛び散り、濡れた大地に赤色が滲み出る。「 」剣の鉄格子に閉じ込められた二人は、ただその光景を見ているしかできなかった。そして声も出ない。目の前の光景が、あまりにも信じ難く、信じたくなくて、受け入れるのを拒否していた。「……これが結末だ。己より他人を優先し誰も傷つかなければいいという理想は、身を滅ぼす。オレになる前に滅んだことを幸せに思うがいい」すぅ、と剣が消える。二人を囲っていた鉄格子も同時に消え失せる。言葉を出すよりも早く、二人は赤い騎士の前に倒れた士郎の元へと駆けつけた。「しろう…………?」しゃがみ込み、士郎に手を伸ばす。ぬちゃ、と手の平に赤色の液体が纏わりついた。血に染められた地面に体を浸している。濡れきった浴衣に血の色が纏わりつく。対照的に、士郎の顔から手足に至るまで真っ青に色が抜け落ちてしまっている。服は斬り破られており、そこから血が流れ出ている。手が震え、それが体全体に伝播する。傷口より見える白いモノやピンク色のモノが目に飛び込んでくる。「ぅ……、あ……」ぐっ、と喉に指を突っ込まれたような吐き気がこみあげてきた。震えは止まる事はなく、ただ必死に目の前の現実を否定しようとしている自分に気が付いた。「士郎、士郎─────しろう…………っ!!」しゃがみこんで、ただひたすら少年の名前を呼ぶ姿を見ていた綾子は歯を食い縛った。士郎の姿も、鐘の姿も、ただ痛々しく感じて、直視などしていられなかった。「───アンタはぁっ!!」右手に力を加え、後ろを振り向きざまに背後にいる赤い騎士へと殴りかかった。パン、と渾身の一撃は軽く片腕で止められてしまう。驚きはしない。驚く暇があるのなら、もう片方の拳でアーチャーの顔面を殴り飛ばそうと腕を動かす。だがそれもやはり止められてしまう。軽くあしらわれる感覚。力もない幼子が大人にグーで攻撃しているのと同じ。それは今の綾子にとってこれ以上ないほど惨めだった。「何で─────なんでこんなことを……!」「なぜ、か。理由は複数あるが、一つを挙げるなら……人の為、と言った方がいいか」「人の為─────だって?」「その男の理想は“正義の味方”だ。─────だが、その理想はひどく現実と離れている。放っておけばその甘さでいずれ取り返しのつかない過ちを犯す。そして多くの人間の命を巻き込む。だからこそ、この場でその禍根を断った。それだけだ」「何が……!衛宮がそんなことするわけないだろ!!」慟哭にも近い声でアーチャーに怒鳴りつける。少なくとも綾子の中で衛宮士郎が誰かを危険にしたという記憶はない。寧ろ危険を顧みずに自分たちを助けていた。それがどう転がって人の命を巻き込むという表現になるのか。それが判らなかった。だが、アーチャーの言葉を聞いて、一瞬時間が停止した。「するとも。………ここにいるオレがその証拠だ、美綴」息が一瞬止まる。この男が一体何を言っているのかが理解できなかった。その表情は如何なるものだったのか。アーチャーの心に清涼感はない。まして胸に到来している感情は戸惑いすら覚えていた。自分は間違ったことをしてしまったのではないかという疑惑と、そんなことを思い立った自分に対する疑念が胸にこもる。心にヒビが入る。「では……やはり、貴方は……」綾子の背後で鐘が呟いた。腕の中には目を瞑った士郎が眠っている。一つの疑惑。アーチャーの言葉より推測し、先ほどの決定的な言葉を聞いて可能性は確信へと変わった。思考が纏まらなかった綾子も、ようやく言った意味が理解できた。「ああ、そうとも。……オレはその男の理想の果て……英雄エミヤだ」眼前にいる男。外見はほとんど似ていない男が、衛宮士郎自身。その言葉を聞いて、綾子の腕から力が抜けた。どういう事かが理解できない。「衛宮の……理想の果て……?」戸惑いだけが、綾子の中に渦巻く。では衛宮士郎を殺したのは衛宮士郎本人だと言うのか。その理由は?なぜ?なぜ?なぜ?「確かにオレはその男の理想通りの正義の味方とやらになった。だが、その果てに得たものは何もない。……ただの後悔だけだった。なにせ残ったものは死だけだったからな」「─────」なぜ彼女らに話しているのかもわからない。ただ、何か話しておかなくてはいけない気がしたから話した。例えそれに意味がないとしても、二人の顔を見ると何も話さないというわけにもいかない気がしたのだ。「殺して、殺して、殺し尽くした。己の理想を貫く為に多くの人間を殺して、無関係な人間の命なぞどうでもよくなるくらい殺して、殺した人間の数千倍の人々を救ったよ」言葉が出ない。綾子も鐘もただ、アーチャーの言葉を聞いていることしかできない。何かを言おうにも、何を言えばいいかがわからない。「何度繰り返したかすら判らない。オレは求められれば何度でも戦ったし、争いがあると知れば死を賭して戦った。何度も何度も、思い出せないほど何度もだ」けれど、この男は衛宮士郎ではないか、という感覚が残る。自分たちの知る衛宮士郎もまた、そのような生き方をする、と言われれば否定はできないと思うから。それだけ過去、士郎を見てきた者にとってはそう思ってしまうのだ。「けれど、何を救おうと救われない人間は出てきてしまう。何度戦おうが同じだった。……ならば、一人を救うために何十という人間の願いを踏みにじり、踏みにじった相手を救う為に、より多くの人間を蔑ろにした。何十という人間の救いを殺して、目に見えるモノの救いを生かして、より多くの願いを殺した。今度こそ終わりだと、今度こそ誰も悲しまないだろうと、つまらない意地を張り続けた」トクン、と小さな音が鳴った。「─────だが終わることはなかった。……別に争いのない世界なんてものを夢見ていたわけじゃない。ただオレは、せめて自分が知り得る限りの世界では、誰も悲しんでほしくなかっただけなんだよ」ああ、同じだ、と。思ってしまった。衛宮士郎のうちなるモノを完全に理解していたわけではない。けれど、衛宮士郎がどういう人物であるか、というのは薄々思っていたことではあったし、それは聖杯戦争に巻き込まれたことによって顕著に判った。「一人を救えば視野は広がっていく。一の次は十、十の次は百、百の次は……さて何人だったか。そこでオレはようやく悟ったよ。衛宮士郎という男が抱いていたものは、都合のいい理想論だったと。全ての人間を救うことはできない。例え大戦時代に生きていない君たちとて、それはわかるだろう」全ての人間を救うことはできない。そんな大きな事をこの十年とそこらの人生の間に真剣に考えることは今までなかった。考えなかった、と言えば嘘になるが、真剣に考えたといっても嘘になる。けれど、漠然とではあるが、世界全ての人間が幸福になれているとは思ってはいなかった。独裁政権下や紛争など、今でも理不尽な理由で死んでいる人達はいる。「……幸福という椅子は、常に全体総数より少ない。その場にいる全員を救う事などできないから、結局誰かが犠牲になる。────それを。被害を最小限に抑えるために、いずれこぼれおちる人間を速やかに、一秒でも早くこの手で斬り落とした。それが英雄と、その男が理想と信じる正義の味方の取るべき行動だった」誰にも悲しんでほしくないという願い。出来るだけ多くの人間を救うという理想。今に置き換えるならば。鐘にも綾子にもイリヤにも桜にも死んでほしくはないし、悲しんでほしくはない、という願い。聖杯戦争によって無関係な人間が死ぬのを防ぐために、戦って街の住人を救うという理想。これが当てはまる。その二つが両立し、矛盾した時─────取るべき道は一つだけだ。正義の味方が助けられるのは、味方をした人間だけ。全てを救おうとして全てを失くしてしまうのなら、せめて。一つを犠牲にして、より多くのモノを助け出す事こそが正しい、と。「全てを救おうとして、全てを救おうとする。……オレはその男の未来の人間だからな。その結果が何を生むかなど目に見えている。ならば、より多くの人間を救うために一人には絶望してもらい、多くの人間を助けるべきだというのに、その男はそうしなかった。愚かにも犠牲になる“誰か”を容認しないまま、理想を守ろうとした」「─────」「そうして全てを失うくらいなら、誰かを犠牲することを容認したほうがいい。そうした結果がこのオレ、英雄エミヤの正体だ。その男はまだ容認していないだけで、いずれオレと同じ場所へとたどり着く。……道理だろう? 全てを救おうとして犠牲を容認しない理想など、実現するハズがない。そうして実現するためには犠牲が必要と判断し、オレとなり………理想の為に多くの人間を殺す。───そら、そんな男は今のうちに死んだ方が世の為だろう?」衛宮士郎は将来、正義の味方になるために人を殺す。理想を守り続けるために、人を救うために、人を殺す。つまりはそういうことなのだろうか。「……しろう?」鐘は腕に伝わる違和感を覚えた。腕の中には目を瞑っている彼が………「好き勝手……言いやがって…………」目を覚ましていた。「何………!? 馬鹿な、致命傷だった筈だ。なぜ生きている、衛宮士郎」「衛宮!?」背後より聞こえた声に反応して、アーチャーと綾子が士郎の方を見る。鐘の腕より体を起こした士郎だったが、様子がおかしい。「………おい、衛宮……? その身体……なんだ?」斬られた筈の部分から見えるモノ。それは赤でもなく白でもなく、ピンク色でもない。銀色。まるで先ほどまで自分たちを囲っていた剣ような、銀色だった。「そうか、固有結界の暴走……!死にかけたことによって暴走したか。だが、ならばそれこそ死に絶える筈だ。なぜ傷を塞ぐような事になっている……!?」アーチャーの動揺も今の士郎には届かない。士郎には、今アーチャーが言った事にも納得いかなかったが、それとは別の理由にも気が付いていた。アーチャーと打ち合った際、そこから感じられたのは決して“人の為に”という理由だけではない、別の感覚を掴んでいたのだ。「……それだけじゃないだろ。じゃなきゃ……お前がそこまで怒る理由がない。俺が敵なら、敵として排除するだけでいい。その後で懺悔しようと罵ろうと勝手だ。けど、お前は俺の理想まで否定した。……お前が“衛宮士郎の理想の果て”の存在だっていうのに」目に見えて重傷……いや、致命傷。一秒でも、刹那の時間でも早く治療をしなければ助からない。だがこの場に手当ができる者がいない以上、助かることはない。しかしその道理を士郎は打ち崩している。打ち崩してはいるが、弱っていることには変わりない。「そう……か。どう湾曲しようとも、アーチャーが士郎の理想の果てだっていうなら、それを否定することはその果てにいるアーチャー自身も否定することになる、という訳になるのか……」「……それって、自己の否定─────ってことか……?」どうであれ士郎がまだ生きていることに安堵する二人。だが、士郎の言葉を聞いてアーチャーの顔を見た時、そこには動揺の色はなかった。「……オレはただ、誰もが幸福だと言う結果が欲しかっただけだ。だが、生前それを叶えられたことはなかった。ならばせめて守護者になり、人類の滅亡とやらから人間を守るために世界と契約した。……そうすれば誰かを救えるのではないかと、そう思ったからだ」だが、という言葉にはもはや増悪しか含まれていなかった。「守護者とは“霊長の存命”のみを優先する無色の力だ。人の世が滅亡する可能性が生じれば世に下る。……判るか? 滅亡する可能性が生じれば召喚される、ということはつまり、それに至るまでは世に下ることはない、ということだ。……つまるところ守護者がすることは、ただの掃除だ。既に起きてしまった事や作られてしまった人間の業を、その力で無にするだけの存在だ」「ただの……掃除だって?」「そうだとも。世界に害を与えるであろう人間を、善悪の区別なく無にするだけ。絶望に嘆く人々を救うのではなく、絶望と無関係に生きる部外者を救う為に、絶望する人々を排除するだけの殺戮者。バカげた話だ。それが、今までのオレと何が違う!」ぎり、と歯を食い縛る音が聞こえた。何も違わない。そしてその分絶望が増しただけだろう。自分一人の力では叶わないから、より大きな力に身を預けた。だが、その先も結局は同じだった。その力ならば叶うと思った事なのに、その力は、エミヤがしたことをさらに巨大化しただけのモノだったのだから。「だが、それも慣れたよ。何度も見てきたからな。意味のない殺戮も、意味のない平等も、意味のない幸福も……!オレ自身が拒んでも、守護者となったオレには拒否権はない。人間の意志によって呼び出され、人間が作った醜い罪の後始末をさせられるだけの存在だったからな」それが、アーチャーの辿り着いた結末。衛宮士郎がかつて持っていた理想を貫き通すために、理想に反しながら理想を守り抜いた果て。生前では叶わなかったからこそ、死後守護者になることで理想を守ろうとして結局─────ただの一度も、それを叶える事はなかった。「────オレは人を救うために守護者になった。故に、オレが望んだモノは決してそんな事ではなかった!オレはそんなモノの為に、守護者になどなったのではない………!!!!」込み上げる怒声は、士郎に対して言われたモノではない。綾子と鐘の目の前にいるのは、とうに摩耗しきったエミヤシロウという残骸だった。エミヤという英雄は、救いたかった筈の人間の醜さを永遠に見せ続けられる。その果てに憎んだ。奪い合いを繰り返す人間と、それを尊いと思っていたかつての自分そのものを。「オレは人間の後始末などまっぴらだ。だが、守護者となった以上、そこより逃げ出す術はない。……だが」一度冷めた瞳に、再び揺るぎない殺気が灯る。アーチャーの目に鐘と綾子は存在しない。彼の目的は最初からただ一つ、自身の消去だった。英雄となる筈の人間を、英雄になる前に殺してしまえば、その英雄は誕生しない。故に─────「………究極の自己否定。自分という存在を自分自身で殺すことで、未来の己である自分を消去する。……そういうこと、なのか………」「そういうことだよ、氷室。オレはその機会だけを待ち続けた。故に最初に言ったな? その男は味方ではなく、敵であると。果てしなくゼロに近い確率だろうと、時間軸に囚われない以上はソレに賭けた。そう思わなければ、自身を許容することなど不可能だからだ。ただ衛宮士郎を殺す時だけを希望に、オレは守護者などというモノを続けてきた」肯定。顔を伏せてしまう。それはあまりにも悲しすぎた。人の為に戦い続けてきた彼は、結局生前も、死後も救われることも報われることもなく、ただ自分だけを恨んでいた。そしてそれが。(それが……士郎の辿る道だというなら)彼は自分よりも他人を大切にしている節があった。勿論、人にやさしくするのは大切なことだろう。けれど、自分を蔑ろにしてまですることではない。彼の生き方に不安を覚えたのは柳洞 一成との会話。そしてそれが明確な不安となったのが、城での出来事。そしてそれが確信へと変わってしまったのが、今この瞬間だった。『君が報われないのは嫌だ』あの時、そう言った。けれど、結局今目の前にいる彼は報われていない。それはつまり………「アーチャー。お前、後悔しているのか」「無論だ。オレ……いや、おまえは、正義の味方などになるべきではなかった。そして今、お前は死んだ方がいい人間だ。……災厄を助けようなどと戯言を言うのだからな!」吐き捨てられる言葉。同時に長剣を投影し、士郎へと疾走する。己の目的のため、そしてこの街の被害を抑えるために間桐桜を殺すために、眼前にいる幼い己に剣を振り下ろした。「士郎!」ギィン!! と手に持った干将莫邪がアーチャーの攻撃を受け止めていた。受け止めたはいいが、勢いは殺されずに後ろへ倒れてしまう。だが、アーチャーはその事実に驚愕する。そもそも衛宮士郎の体はすでに死に体のはずである。立っているという時点でおかしいのに、攻撃を受けることができるというのは異常だ。「……そうか。それじゃあ、やっぱり俺たちは別人だ。俺は後悔なんてしない。それに俺の理想は……俺の手が届く人全てを救う事だ。桜もそう、イリヤも美綴も氷室もだ。お前みたいに……誰かを犠牲になんてしない!!」倒れた身体を震える腕が起き上らせる。すぐ横に駆けつけた綾子と鐘が士郎を介護しようとするが、その腕は出なかった。彼の目は死んでいなかった。自分の理想であるはずの存在を見て、自分の未来が一体どのような結末になったのかを知ってもなお、前を見ていた。「貴様……」誓った。衛宮切嗣と。あの灰色の世界で、それを見て。誓った。自分自身に。あの灰色の少女……鐘を守る剣になると。ならば─────「そうだ─────体は剣で出来ている! 俺は負けない!誰かに負けるのはいい。けど、お前にだけは負けられない!!」ギチ、と傷を覆う様に見えていた剣が音を立てる。自らに胸を張る為に、自分の心を口にした。同時に二人の男が大雨の中疾走する。ギィン! という音は今までのどの剣戟よりもはるかに大きいものだった。つまりそれは両者の力が上がったということであり、そしてそれはありえない剣戟だった。「ぬっ─────」一撃、二撃、三撃。攻撃は止まらず、四、五、六、七、八と続いていく。一歩踏み込んで剣を振るい、二歩踏み込んで剣を突く。回避した身体を独楽のように回転させて、薙ぐように剣を振って反撃する。後ろへギリギリ躱せる程度に回避して、次より振り下ろされる剣を防ぐ。防ぎ、攻撃し、回避し、背後をとって剣を突きだす。体を反転させ、両手の剣で攻撃を防ぎ、常に足を動かしながら攻撃を仕掛ける。斬りかかる体は満身創痍。指は折れ、手足は裂かれ、本人は気づいていないが呼吸はとうに停止している。だが、速度は上がり、精度は増し、力は増幅している。戦闘スタイルもよりアーチャーに似通っており、それを実現させるように彼の強化魔術が士郎の肉体を動かしている。打ち合う度に士郎の体の剣がギチリと音と立てる。それはどれよりも異常な光景だというのに、士郎は全く意に反さない。その心が、幼き頃より“彼女の剣となる”という強き思いで括られていたならば。その身体が、心を体現するべくそうなるのは道理なのだろう。是非もない。彼の体はそれを表現する回路を有しているのだから。「な─────に?」アーチャーの放心は、刹那に驚愕へと変わった。振るわれる剣は叫びのように、アーチャーの想像を遥かに超えた速度で、長剣を軋ませた。凌ぎ合う剣戟の激しさは今までの比ではない。サーヴァントとは魔術師よりも強い。それは聖杯戦争に参加する者ならば、当然だと言って捨てるだろう。だが、それが未来の自分であり、打ち合う度に吸収して、同じスタイルになり、不足分を強化で補っているというのであれば。そこまでの圧倒的差は存在しなくなる。もとより未来の自分。遅かれ早かれそこに到達するのであれば、それは敵わない敵ではない。「貴様─────!」受けになど回れない。どんどん自分へと強さが近づいてくるというのであれば、これ以上厄介になる前に終わらせる。この一撃ならば確実に首を刎ねる。軽んじられる状況ではないと判断した上で、アーチャーは剣を走らせる。上下左右。疾風の如く四連撃は、死に体である士郎の身を斬り殺すには有り余る。だが、それを─────「………………!」ギィン!という音をちょうど四回鳴らせて、防ぎ切った。否、それどころか、必殺の四連撃を上回り、剣風はアーチャーの首を刎ねに来る─────!息を呑みこみ、即座に剣を弾き飛ばす。大雨により足元が緩み、体勢を崩しかけるところを踏みとどまるが………「何…………!?」眼前にいる士郎の両手に剣がない。干将莫邪。そう呼ばれる白と黒の剣。その姿がどこにもない。つまりそれは。「舐めるな……!!」両サイドより襲いかかってくる干将莫邪を、手に持った長剣で叩き落とす。同時に長剣を消して、即座に干将莫邪を投影。得物を失った士郎の元へ突進するが、それを士郎もまた同じように投影した干将莫邪で受け止めていた。「こいつ………!」もとより。この衛宮士郎は、かつての自分ではない。強化を使い、投影も可能な衛宮士郎。ならば、この時代の自分のよりも上の想定で戦わなければいけない。故に攻めなければ倒されると、アーチャーは直感した。干将莫邪は死に体である士郎を襲い、士郎もまたアーチャーを襲う。拮抗する両者の剣戟。だが、打ちこむたびに士郎の体は倒れそうになる。至極当然、彼は怪我をして大量出血をしている。体が保つはずがない。それこそ大怪我を負った状態で戦うなど正気の沙汰ではない。だが、それが固有結界の暴走の果てに傷が塞がっているとなると、いよいよアーチャーには理解できなくなる。「貴様のその理想! それが借り物だと知りながら、それでもまだ進むというか!!」ギィン! という音はもはや耳に残っている。それほどまでに剣戟は続いていた。打ち合う度に息が上がって行く士郎とは対照的に、まだ体力的には余裕のあるアーチャー。だがそれでも攻めきれない。それが知識を吸収したためだけとはとてもではないが考えにくい。「借り物じゃない……! 氷室の剣になるっていうのも、美綴を守るってうのも、桜を助けるっていうのも!」甲高い音と共に雨が斬られる。足場の悪さなどまるでないかのように二人は剣を振るい続けている。「正義の味方になるっていうのも!! 全部俺の意志だ!!」フォン! と風を斬る音と共に、干将莫邪が振り下ろされる。それを受け止めるべく、剣を構えるアーチャー。だが─────「なっ…………!?」バキィン! と大きな音と共にアーチャーの持っていた干将莫邪が砕け散った。つい先ほどとは全く真逆。咄嗟に後ろに跳び退いたアーチャーは、士郎の持つ干将莫邪を見つめる。骨子の想定がかなり高い。……否、その想定は先ほど自分が投影したモノよりも高い。それに異常性を感じる。だが同時に理解した。士郎の背後にいる灰色髪の少女。契約した昨晩。僅かではあるがアーチャーは眠りについた。マスターがサーヴァントの過去を見るように、サーヴァントもまたマスターの過去を見る。眠った時間は短かったが、士郎とアーチャーの関係上、それは十分な時間でもあった。そこで見た光景。それは灰色だった。干将莫邪。白と黒の陰陽剣。アーチャーはその剣を“ただ作りたいから作った”。綺麗だと思ったし、生涯その剣が自分の相棒といっても過言ではないほど使いこなしていた。だが、この少年は違う。この少年はその剣を“作るべくして作っていた”。自分が剣の心象世界を持つようになったきっかけ、氷室 鐘という存在。彼女の為に剣になると誓った、その強い誓い。強い心は心象世界にも反映し、だからこそ暴走するまでに彼の心象世界は強まっていた。そして彼女のカラー、灰色。灰色には白と黒が混ざり合う。もし彼がアーチャーには無いモノを心に持っていて、それがこの干将莫邪に反映されていたとしたら?彼が灰色というモノに強いナニカを持っていて、それを二つに分けたこの干将莫邪に投影していたとしたら?衛宮士郎の投影は、常に自分との戦い。己がイメージする最強の自分、己がイメージする最強の武器を投影することが彼の戦い。自分という一人の存在だけで作り上げたアーチャーと、自分とそのきっかけである彼女の色をイメージした上で作り上げた士郎。強すぎるイメージ故の固有結界の暴走。だか、強すぎるイメージ故の自分を越える干将莫邪の存在。イメージには筋がいる。筋が通っていなければ簡単に投影品は瓦解する。だが両者に筋が、理が存在しているのであれば、後はそれが強い方が打ち勝つ。アーチャーにはなく、衛宮士郎にはあるもの。それは今やアーチャーの中には存在しない、衛宮士郎になる前の己だった。「───く」一旦距離を離したアーチャーは、その考えに至り─────「─────は。はは、ははははははは!!」心底おかしいと、笑い始めた。「くく、ははははは!いや、これは傑作だ。ここまで違うと、もはやすがすがしさすら感じる。………────────────────────だが、だ」くぐもった笑みは、一瞬で殺気によって消え失せる。アーチャーより放たれる殺気と魔力は、明らかに異なっている。「………それでもいずれ、オレに追いつくときがくる。お前がその理想を抱き続ける限り、誰かがお前を止めない限り……お前はここへと至るだろう」「? なにを─────」肩で息をしながら、剣を投影しないアーチャーを訝しげに見る士郎。後ろにいる鐘と綾子は、ただ士郎が別人のように強くなった様を見ていた。そして同時に強い危機感も抱いていた。そう。衛宮士郎とアーチャーは戦い方が似すぎている。否、同じ人物なのだから当然だろう。ただそれだけで判断しようなどとは思わないが、どうしても不安になってしまう。いずれ、士郎も彼と同じ結果に至ってしまうのではないか、と。彼の持つ理想は確かに美しいものだ。誰も傷つかず、笑っていられる世界。そうであればいいと思うのは同じ。けれど衛宮士郎はそこでとどまらない。アーチャーが言ったように視野が広がっていくかもしれない。そうなった時、果たして彼はどうなるのか。それこそ、自分では止まることができない彼を、止める誰かが必要なのではないだろうか。どこかへ行ってしまわないように………。“────I am the bone of my sword”─────体は剣で出来ている“────Steel is my body, and fire is my blood.”─────血潮は鉄で、心は硝子“────I have created over a thousand blades.”─────幾たびの戦場を越えて不敗“────Unknown to Death. Nor known to Life.“─────ただの一度も敗走はなく、ただの一度も理解されない“────Have withstood pain to create many weapons.”─────彼の者は常に独り、剣の丘で勝利に酔う“────Yet, those hands will never hold anything.”─────故に生涯に意味はなくそれは呪文。英霊エミヤの悲しい呪文。恐らく……いや、きっと正義の味方になろうと奔走して、その果てに何も得る事が出来なかった者の呪文。その光景を目の当たりにするのは三人。うち二人は魔術師ですらない。だが、それでも構わないとアーチャーは思った。この世界は二人すらも呑み込む。ただひたすらに突き進んだ男が持っていた世界が。“────So as I pray, unlimited blade works”─────その体はきっと剣で出来ていたその世界を、三人は見る。※誤字や修正部分が多かったです。大変失礼しました