第36話 明日へと繋ぐ道─────第一節 新たなる敵─────衛宮邸で慎二とライダーの強襲を受けたことから始まり、気絶した後にイリヤによって保護されていたこと。その過程でアインツベルンと衛宮切嗣、そして士郎との関係を知ったこと。嘘偽りなく伝え、そして今回の問題点とも言える敵についての話が始まる。「バーサーカーを倒した敵………氷室の推測で『ギルガメッシュ』という名前、ってわかった。本人も肯定してたからまず間違いない」湯呑をゆっくりと飲みながら、落ち着いて話を進めていく。氷室の推測、という言葉を聞いたセイバーは驚きの表情を露わにした。「………ヒムロがあの男の正体を看破したのですか? 一体どうやって………」十年前の聖杯戦争。その最終決戦に至り、消滅するその時まで正体を掴むことができなかった黄金の王。あの場で判ったのは圧倒的な強さを持っているということだけだった。代理マスター、アイリスフィールですら看破し得ない存在だったその敵を、魔術師でもない彼女が見破ったというのだから、驚愕するのは当然である。「正直に言えば本当に推測でしかなかった。何せあの人物を特定するのに用いた手段が『言葉』なのだからな。『天の雄牛』や『バビロン』という言葉は推測するのにかなりプラス面になったかな、あれは」「………氷室、アンタ凄いね。よく言葉だけで推測できたもんだ」「────せめてこれくらいは、と思っていたのでね。………結局、名前を教えただけでその後は衛宮に負担をかけてばかりだったが」視線を下にやり、俯いてしまう鐘。テラスの落下から始まり、自分を暴風から庇う盾となったり、影から逃げるために犠牲にしてしまったり。そして何より“あの時”の感覚が今でも忘れる事が出来なかった。「いいよ。氷室も俺も無事だったんだ。氷室が気にすることじゃないよ」「………善処はしよう」軽く説明を受けた凛もまた、彼女の推測力には感心していた。「やるわね、氷室さん。魔術師っていうのは普通、その宝具やその姿、能力っていった方を見る傾向があるから、言葉から推測っていうのはなかなかしないわね」「それは其方の方がはっきりと判るからだろう。言葉では嘘を言っている可能性も含まれるから、信用には不十分。なら、武具や姿、能力で特定するというのは道理に合っているのではないか?」「そうなんだけどね。相手もそれが判っているから正体を隠して、結果判りづらくなっちゃってるっていう現実があるのよ」ずず、と湯呑に口を当てながら話を進めていく。時刻は午後11時を前とした時間帯。だが、生憎と眠気はない。が………「あれ、リズさんは寝ちゃったの?」傍らにいたリズが何時の間にか眠っていた。事実を知り得る者しか知り得ない事実だが、リズは一日十二時間というリミットがある。それを超えると寿命を削ってしまう。故に本当に己が主、イリヤに危険がない場合はこうして休息という名の停止が必要なのである。「イリヤ? 眠いなら連れて行くぞ?」「う………ん………」うつらうつらとなっているイリヤを見て声をかける士郎。その声に反応したイリヤがゆっくりとふらつきながら士郎の元へ近寄り………「ここで………いい」こてん、と士郎の膝の上で眠ってしまった。電池が切れたように倒れたので一瞬驚いた士郎だったが、眠っているということで一安心。「えっと………セラ。運んだ方がいいよな?」一応確認のためにまだ起きているセラに尋ねる。イリヤを見ていたセラが士郎に視線を向けた後、瞼を閉じて「イリヤスフィール様はそこでいい、と仰せられました。ならば、私は何も言うつもりはございません。仮に連れて行くのであれば貴方も一緒に行くことになりますが」「………よし、わかった。じゃあ俺はこのまま膝枕してやればいいんだな」「その通りで」何か嫌われるようなことしたかなぁ、と半ば本気で不安になる士郎を余所にセラは淡々と答え、眠っているリズにイリヤと同様に膝枕をしてあげている。ここでやっておかないと朝起きた後イリヤに密告されるという根拠もない予感を感じ取った士郎は、とりあえずそうならないようこの状態を維持することに努める。幸いイリヤは重くないので、極度の負荷がかかるという事はまずなかった。「えっと………で、次はそのギルガメッシュが使ってきた宝具についてなんだけど………」「何? ギルガメッシュの宝具が何かわかったの?」興味津々な態度で凛が食いついてくる。8人目のサーヴァント、という事実と共にその正体や攻撃法が判っていると言うならば聞かない手はどこにもない。「ああ。確認できたのは二つあって、一つは剣を大量投擲する攻撃方法だ。しかもその剣全てが全部宝具級の代物っていうふざけた奴だよ」「全部宝具級………? それってどこかの出典限定、とかじゃなくて?」「ああ、古今東西ありとあらゆる宝具。────多分アイツは全ての宝具の原型………神話の元となった武器の最初のモノを持ってて、それを投擲してるんだと思う」「何よそれ………。英雄には当然弱点だってある。けど、そんな全ての武器を持ってるんじゃその弱点を突かれたらひとたまりもないじゃない」「或いはそれが強みなんじゃないか? 剣の数も凄いけど、それプラスアルファで弱点を突く。だからバーサーカーを押し続けられたんだと思う」ギルガメッシュの攻撃手法について、見た限りのことを詳細に説明していく。剣の中には剣だけではなく、鎖もあっただとか。「シロウ、一つ尋ねてもいいでしょうか」「ん? いいぞ、セイバー。どうした?」士郎の話を聞いていたセイバーが尋ねてきた。無論それを無視する必要など皆無なので気軽に尋ね返す。「シロウは、あの男の攻撃手段を知っている………ということは少なからずシロウへの攻撃もあったのではないでしょうか? その攻撃をシロウはどの様にして防いだのですか?」「ああ、それか。………確かに俺だけじゃ防ぐ手段はなかった。けど、イリヤが魔力を提供してくれたおかげで、アイツの放つ武器を投影してぶつけたんだ。それで凌いだ」「────何?」セイバーに対して言った回答だったが、それに疑問の声をあげたのは士郎の背後にいるアーチャーだった。「何?………ってなんだよ」「貴様、本当にソレをやってのけたのか?」「やってのけなくちゃイリヤも氷室も俺も助かってない。なんだよ、俺が投影できたのがそんなに変なのかよ」士郎はアーチャーを睨むが対するアーチャーはそんな視線など一切無視する形で、何やら考えに浸り始めていた。そんな姿に軽くため息をついて視線を前に戻し、話を続ける。「では、シロウはあの宝具群を投影した………というわけですか?」セイバーは過去にギルガメッシュの攻撃を見たことがある。無数の宝具群を際限なく打ち出し、相手を串刺しにする投擲攻撃。あれが尋常ならざるものだということは十分に理解している。「ああ。けど、アイツが最後に出してきた剣だけはどうやっても無理だった。骨子すら読み取れないんじゃ投影のしようがない」アレ、一体何で出来てるんだろうか、などと独り言を呟く士郎。しかしセイバーにはその剣というものに心当たりがない。「ちょっと待ちなさい、士郎。貴方宝具を投影したって言ったわよね? 体とかに異常はないわけ?」「? 特にないぞ。魔術回路の方もイリヤが治療してくれたおかげで元通りだし」体の中に感じる妙な違和感………くらいだが、深刻なほど痛むわけでもない。気にかければちくりと感じる程度なので実質気にかけなければ何の影響もない。「────で、その剣っていうのが、士郎の言う二つ目の宝具の事?」小さく息を吐き、改めて諮詢してくる。それに頷いたあと、士郎は話を進めていく。「ああ。確か『天地乖離す、開闢の星エヌマ・エリシュ』………とか言ってたな。柄はあったし、鍔もあった。けど、刀身が普通じゃないんだよ。円柱状の刀身でその先端にだけ鈍い刃があるだけの剣。で、何よりあの剣の骨子とかが全く読み取れなかった」「エヌマ・エリシュ、か。………バビロニア神話の創世記叙事詩のことね。どんな感じの宝具だったの?」「暴風と光の攻撃。とりあえず加減された状態ですら軽く吹き飛ばされるくらいの威力、かな。………アインツベルンの城が崩れたのもアイツのその攻撃の所為だ」視線を下にやり、膝の上で眠っているイリヤの髪を優しく撫でる。その寝顔はとてもじゃないが、マスターとは縁遠いモノだった。「衛宮、一つ訊いていいか?」「ん? なんだ、美綴」「その────ギルガメッシュ、だっけ? なんで衛宮達を狙って来たんだ?」「わかんないな。白き聖杯がどうとか黒き聖杯がどうとか言ってたけど、そもそもアイツとはまともに会話してないからな。ただアイツがやってきてイリヤを狙ってる風だったから、イリヤを守ったんだよ」「────はぁ、つまりアンタはその子を守るために狙われていないにも関わらず喧嘩ふっかけたってワケか。衛宮らしい、って言えばそこまでなんだろうけどさ。………もうちょっと自分の命を大切にしたらどうだい?」見つめる────というよりは少し非難の色合いがある視線で士郎を見る綾子だったが、当の本人は特に気にすることなく「十分大切にしてるぞ。俺は自殺願望者じゃないしな。けど、ただやられるのを見てるだけっていうのはダメだ。守れるなら守らないと」「────私は一度本当に死んだかと思ったのだがな………」ぼそり、と呟く声は隣にいる綾子には聞こえても、少し離れた位置に座っている士郎には聞こえなかったらしい。視線を横へやり、僅かに鐘の表情を伺ったあと、改めて前に視線を戻した。「で、その後キャスターが現れて、黒い影が現れた。────こんなところか。俺から話すことは一通り話した。セイバー、知っていることを教えてくれ」ふぅ、と言うべき事を言い終えて時計に目をやると午後11時を過ぎていた。不意に欠伸が出そうになるのを耐えて、セイバーへ視線をやる。「………わかりました。では、私が知っている限りのことを話します。………まず、ヒムロがかつて見た、というのはまず間違いなく私です」「やはり………。では、その隣に居た人がイリヤ嬢の母親なのだな?」「ええ、そういうことになります。彼女の名はアイリスフィール。………私の代理のマスターをしてくれた女性です」「はい、ストップ。つまりなに? セイバーは、前回もこの聖杯戦争に参加していたっていうの?」「そういうことになります。その過程………街を探索している時に、まだ子供だった頃のヒムロとシロウに出会った事が一度だけあったのです」「………氷室と衛宮って子供の頃から知り合いだったの? にしては今までそんな素振り見えなかったけど………」「いろいろあった………と言っておくことにする、美綴嬢」気軽に話す内容でもないし、そもそも今はセイバー自身の話しをしている。話すとしても別の機会だろう。もっとも、その時は決して鐘一人で話すわけにもいかないだろうが。「ありえない………どんな確率なのよ、ソレ。同じ英霊がこうも短期間に二回も召喚されるだなんて。普通あり得ないわよ」「それに関しては理由があります、リン。私の目的は聖杯を手に入れること。もともとこの身は、聖杯を手に入れる代償として、サーヴァントになったのです」「────手に入れるために、サーヴァントになった? それって英霊になるときの契約のこと?」「はい。この身をサーヴァントとする交換条件として、私は聖杯を求めたのです」「………つまりセイバーは英霊だから呼び出されたワケじゃなくて、自分から聖杯を手に入れるために聖杯戦争に参加したってコト? けどサーヴァントである以上は、英霊として奉られているんだから、自分からこっちの世界に関わるなんて出来っこないし………セイバーはサーヴァントのルールから大きく外れてる………ワケでもないわよね」うーん、と内容を整理し始める凛。その傍らでは「………つまり、氷室は判った?」鐘の隣で聞いていた綾子が尋ねる。聞かれた鐘も、少し難しい顔で答えた。「確か───この聖杯戦争に参加する『英霊』と呼ばれる者は『かつて存在していたとされる英雄もしくはそれに準ずる英雄』であり、それを呼び出して戦って勝利すれば聖杯が手に入る、だった筈。つまり、サーヴァントとは英霊であり、英霊となる者は相応の功績を遺した者のみがなれるというわけだろう。けど、セイバーさんは『聖杯を手に入れる』かわりに『サーヴァントになる』という交換条件を提示したという事は────」「はい、私はまだ完全なサーヴァントにはなっていません。通常聖杯戦争は『英霊サーヴァント』になった者が参加し、結果的に『聖杯』を手に入れるという事実へと至ります。けれど私は先に『聖杯を手に入れる』という結果を約束した上で『英霊サーヴァント』になる、という交換条件を提示しました」「つまり死後の自分を売り払ってまで、聖杯を手に入れられる手段をとったのね。けどセイバー、貴女の出した条件っていうのは聖杯を手に入れることでしょう?なら………」「はい、私が生きている間に聖杯は手に入れることができなかった。ですが、それでは契約が成り立たない。世界が私を英霊サーヴァントとさせるには、私が生きているうちに聖杯を与えなければいけない」「………あたしが話に入ってきていいかわかんないけどさ、セイバーさんって言ってみれば過去の人物なんでしょ? つまり当然今は生きてないはずだよね?」「ええ、時間軸から見れば私はとうに滅びているでしょう。ですが、それでは契約が果たせない。………それ故に、私は死を迎える一瞬で止まっている筈です。私はその停止している間にサーヴァントとして呼び出され、聖杯を手に入れ、その後は元に戻り死ななければいけないのです」「───時間が止まっているんじゃなくて、時間に止まっている状態か。………なるほど、貴女がサーヴァントとして何度戦いを繰り返しても構わない。最終的には聖杯を手に入れて契約を果たすという事実は決定済み」「そうです。だからこそ、私は厳密に言えば生きていて、かつ英霊になる前から“英霊化が決定している”という条件で、あらゆる時代に召喚される。………ヒムロが見た私もその結果、と言えるでしょう」「十年前にいたセイバーさんも、今ここにいるセイバーさんも同一人物。………ということは、聖杯が手に入る可能性がある戦いであれば、どの戦場にもセイバーさんが現れる………というわけか」セイバーが聖杯戦争に参加する理由、そして繰り返し参加できている理由。まだ、完全な理解には至ってはいないが、大半の理解はこの場にいる全員はできた。つまるところ、セイバーは自力で英雄となり、しかし聖杯が欲しいために手に入れるという結果を約束したため、死ぬ直前に英霊となった。しかし聖杯は手に入れられず、死ぬ直前に聖杯が手に入れられる可能性がある戦いへとジャンプする。手に入れた後は死んで、ちゃんとした英霊となる。「はい。前回の聖杯戦争………十年前ですか。その時も私はサーヴァントとして聖杯戦争に参加していました。その時のマスター………それが、衛宮切嗣。シロウの父親となります」「………切嗣」その事実は知っている。イリヤより聞いた、アインツベルンが雇った魔術師、衛宮切嗣。「知ってる。切嗣オヤジはアインツベルンを土壇場で裏切ったんだろ。………そのサーヴァントがセイバーだった、っていうのは驚いたけど。一体何があったんだ?」「………十年前の聖杯戦争。私と切嗣は最後まで勝ち残り、聖杯は目前、という場まできました。その最後の戦い、その時の相手が、城にいた敵………ギルガメッシュです。アーチャーとそのマスターはまだ残っていましたから、あとは彼らを打倒するだけで聖杯戦争は終了するはずだった。………ですが、切嗣は聖杯を捨てたのです。───その結果は言う必要はないかと思われますが」「………あの火災、か」蘇る記憶。あれが、父親である衛宮切嗣が引き起こしたモノ………だとは考えたくはなかった。「一体何があったか………と言いましたね、シロウ。───その実、私にも最後まで全く判らなかった。………一言で言ってしまえば彼は典型的な魔術師。阻むものがあれば何であろうと排除する」彼女の頭の中に過ったのはかつてのランサーとの決着の時。だが、それを言う必要はない。少なくとも、今目の前にいる衛宮士郎は自分の父親がそのようなことをしたと思いたくはないハズだから。「私が戦いを通じて話しかけられたのは3度だけ。しかもその内の二回は聖杯を破壊しろというものだった。………それが目的でこの戦争に参加したにも関わらず、です。………残忍、というわけでも殺人鬼、というわけでもなかった。けれど、彼は人間らしい情など一切なかった。あらゆる感情、あらゆる敵を殺した彼が一体何を考えていたのかなど………私には到底わからない。告白すれば───私はあの時ほど、令呪の存在と裏切った相手を呪ったことはありませんでした」静かに、ただ真実だけを述べる。その顔、その声、その瞳が。ゆるぎない真実であるということを十分に肯定していた。「………私の知り得る彼はそれだけです。もとより、私は彼と行動を共にしたことなど一度も無かった。その過程で彼が一体何を考え、何を行ったかなどはわからない」「ふぅん………前回の聖杯戦争のマスターが士郎のお義父さん。それでセイバーを召喚して………と。セイバーが何度も聖杯戦争に参加しえうるということは判ったけど、それとは別に親子そろって同じサーヴァントを召喚するっていうのもおかしな話よね。士郎、何か触媒とか持ってたの?」「触媒………ってなんだ? そんなモノは持ってないぞ、俺」「持ってないって………。じゃあ偶然ってコト? ………どんな偶然よ、それ」「俺に言われても困る」「話しているところすまないが、一ついいかな。ギルガメッシュという敵もまた十年前にいた『敵』なのだろう? しかし今回もいたという事は彼もまた召喚されたということなのだろうか?」「それはおかしいわね。ソイツがサーヴァントっていうならそれで八人目よ。一つの期間で召喚されるサーヴァントは七人が限度。数が減ったから補充できるわけもないし、そもそも七人以上の召喚は呼び出すシステム自体が持たない。言ってみれば座る人が決まっている椅子取りゲームみたいなモノよ。7つしかない椅子に座れるのは七人だけ。座った椅子は座った人がいなくなったと同時になくなる。そこに新しい椅子を用意するっていうことはできないし、新しい人を用意するっていうこともできない」しかし現実問題として、ギルガメッシュという敵は存在する。セイバー、アーチャー、バーサーカー、ライダー、ランサー、キャスター、アサシン。そのいずれにも該当しないサーヴァント。そして十年前にセイバーと戦ったという事実。そこから導き出される答え。「………つまり、ソイツは今回呼び出されたんじゃなくて、十年前からずっと残り続けていたサーヴァント、ってことになるわね」その事実。つまり、彼は前回の聖杯戦争の勝者ということになる。「セイバーさんは………その、『ギルガメッシュ』とかいう奴に勝てなかったのかい?」「いえ、アヤコ。勝てなかった、という話ではない。決着をつける前に、私は令呪によって聖杯を破壊して、そのまま消えたのです。………結果的に残った者は彼一人。ならば彼が『勝者』となるのは当然なのでしょう」「つまりまともに戦っていない………か。なら、セイバーでもソイツに勝てるのかしら?」「………負けるつもりはありません。ですが、彼とて前回の聖杯戦争を最後まで戦ってきた人物でもある。………少なくとも彼は当時同等に強かったライダーと戦ったハズですが、彼は全くの無傷でした。油断できる相手ではありません」士郎達はそのライダーという人物がどの程度の力を持っていた英雄かは知らないが、セイバーがそこまでいう以上は相応の力を持っていたのだろう。が、それを無傷で倒したと言うギルガメッシュ。ならば、油断などできるわけもない。事実彼はあのバーサーカーを傷一つ負うことなく撃破しているのだ。「実力はすでに実証済み………ってワケ。ああ、もう。ただでさえ厄介事が出てきてるっていうのに、ここにきて八人目のサーヴァントでしかも前回の生き残りで強い奴だなんて」嘆くように声を発する凛だが、その厄介事というのを知らない士郎は何の事かがわからない。いや、或いは という予感は持ってはいたが。「遠坂、その厄介事ってなんだ?」「士郎も見たんでしょ、黒い影。アイツのことよ」やっぱり、と心の中で納得する。確かに異常な存在であることには間違いない。「遠坂、アイツの正体を知ってるのか?」「知ってるわけないじゃない。………けど、アイツが大量の魔力を欲しがってるっていうことは判るわ」「大量の魔力………?」「アイツ、昨日の夜に柳洞寺に現れたのよ。柳洞寺にあった大量の魔力もキャスターごと根こそぎ奪っていったし、士郎だって魔力奪われたワケでしょ?」「ああ………そうらしいな」士郎本人は黒い海に浸かったと同時に意識が刈り取られたので、魔力が枯渇しただのという事実はあまりわからない。ただ車の中での会話からしてそうなった、という事実は知っている。「………加えてね、その影、街の人間を襲ってるのよ。意識不明者数三十余名。柳洞寺にいる修行僧らも合せると昨晩だけで八十名以上。そのどれもが今までのガス漏れ事件で騒がれてた患者よりも性質が悪い」「なっ………!」「幸い死人がまだ出ていないっていうのが救いね。………けど、それも時間の問題じゃないかって考えてる。あの影が行う行為は魔力の『採取』っていうよりは『食事』って言っていいレベル。丁寧に食べてるわけでもなし、とりあえず空腹を満たすためにところ構わず人を襲って魔力を吸い上げてるって感じかしら」驚愕の事実を知って、士郎は唖然とする。まさかあの影がすでに人を大量に襲っていたなどとは予想しなかった。「私達がアインツベルンに出向くのに遅れたのもその所為。………加えて、今回キャスターがいるということもわかった。キャスターがあの黒い影に使役されてるとなると………」「………人を襲う規模が大きくなるかもしれないってワケか、遠坂」「ええ、しかも段違いにね。キャスター自身、街中から魔力を集める術を持ってる。それと並行してあの黒い影が出回れば、こんな街なんてあっという間に死者の街に変貌してしまう。………使役されてる以上、キャスターが人の命を考えて魔力を採取するという考えも捨てた方がいいわね。それこそ魔女らしく、徹底的に搾り取るっていう考えでいくほうがいいわ。───今後の方針としては、黒い影を探すのが優先かな。ギルガメッシュも無視できる存在じゃないけど、相手の素性が判ってる分戦いやすいし」時刻はすでに11時半。あと三十分もすれば次の日にかわる。「黒い影が城の方に出たっていうなら街にはいないはず。今日はしっかり休んで明日に備えましょう」凛の一言で、解散となった。─────第二節 心─────「セラ。どこかこの部屋がいいっていう希望はあるか?」「特に」「………そう。なら、空いてる部屋でいいよな」セラがリズを運ぶのは疲れるだろうという考えで、イリヤをセラに任せ、リズを運んでいる。過去この屋敷に藤原組の若い人達が止まって行った際に用意された布団がそれぞれある。故に布団が足りない………ということはなかった。その分の洗濯は大変なものではあったが。「布団を用意して………」少し広めの場所を確保し、三人分の寝床を用意する。一旦抱えたリズを寝かせ、すぐさま布団を用意。その後再びリズを布団の上へと寝かせた。セラもまたイリヤを布団の上に寝かせて、布団をかぶせた。「トイレとか、風呂場とか案内しとこうか?」まだこの家の構造を把握できていないだろうという考えでセラに尋ねたが………「結構です。どこに何があるか程度は判りますし、判らなくともいずれ判ることです」「………そうか、わかった。じゃあ、何か訊きたい事あったら誰かに聞いてくれ。別に俺じゃなくても知ってると思うからさ」おやすみ、と挨拶を交わして襖を閉めた。小さく息を吐き、真っ暗な廊下を歩いていく。黒。それが。「─────」あの影を思い出させた。あの黒い影に呑まれた時、やってきたのは黒い海だった。コールタールのように熱い海は、身体の隅々まで一瞬で広がって、真っ黒なモノばかりが見えた。肌に纏わりついた、生命活動を根こそぎ遮断させていく黒い海。「しっかりしろ………」一人暗闇の中にいるとどうしてもついさっきのことを思い出してしまう。パンパン、と軽く頬を両手で叩いて明かりが漏れる居間へと戻る。居間には綾子がいた。凛は自室である離れへと行き、鐘は現在入浴中。セイバーも部屋に戻り、アーチャーは相変わらずどこにいるか不明。「お疲れさん、衛宮」「ああ、美綴こそ」一息ついて綾子の隣に座る。テーブルの上にあった自分の湯呑の茶を飲み干して、急須に入った茶を再び注いだ。「そういえば美綴はお風呂入ったのか?」「ん、いや。何があるかわからないからね。電話でもきたら出れないでしょ? それに外にでる必要だってあったかもしれないし」「ああ………確かに風呂入ったあとに外に出るのは躊躇うよな」ずず、とまだ湯気が残る茶をゆっくりと飲んでいく。この時間帯のテレビはロクな番組がないので、節電がてら点けていない。カチカチ、と時計の針が進んでいく音だけが無言の部屋に響く。「………ありがとう、衛宮」「………え?」視線を綾子に合わせる。だが、そこに移ったのは普段からはあまり想像できない、俯いた表情だった。「ほら、学校で衛宮、あたしを助けてくれたじゃない。けどさ、………結局あたしは今まで礼を言えなかった。だから、今言ったんだよ。もう、かなり遅いけどね」「────────」光景を思い出した。抱いた彼女が涙を流し、気を失ったときのコト。彼女が受けた傷のコト。目の前にいながら救えなかったコト。「………いや、寧ろ俺が謝らなくちゃいけない。ごめん、美綴。………結局、俺は美綴を救えなかった。最初に謝らなくちゃいけないのに今まで言わなかったなんて、最低だな、俺は」目に焼き付いた光景は、間違っても忘れてはいけない光景。自分が救えなかった結果の光景。「………なんでさ、なんでアンタはそう考える。そりゃあ、あたしだって怪我はしたし気を失いもした。けどさ、それでもあたしはこうしてここにいるんだ。それは衛宮、アンタのおかげなんだ」ありがとう、と。その言葉をもう一度言う。「そっか。………なら、うん、そうしとこう。美綴も無事でよかった」時間はまもなく午前零時。屋敷の電灯は未だ消えていない。「衛宮、どこいくんだい?」「土蔵。今度こそちゃんと美綴を守れるように、しっかりと鍛錬はしとかないとな。最近は鍛錬してなかったし、鈍ってなけりゃいいけど。あ、風呂は最後でいいから先に入ってていいぞ」廊下へと続く襖に手をかけて、廊下へと出る。「衛宮」呼び止められ、後ろを振り向けばそこに綾子の姿がある。「美綴。そんな顔は似合わないぞ。お前はもっとこう、溌剌っていうか勝りがある感じだろ。元気出せ。ここにいるって言ったのは美綴だろ」「─────そりゃあ、言ったけどさ」「よし、なら明日は一緒に朝飯作ろう。イリヤ達の分も必要だから今まで以上に忙しくなるな。アーチャーの奴にも負けるわけにはいかないし、これまで以上に気合いいれていくか」「………」突然の提案に面食らったのか、少し驚いた表情を見せる綾子。「美綴………?」「ん、………そうだね。それじゃ明日はよろしく、衛宮。さて、じゃああたしは食材見て何作れるかメニュー決めておくとするかな」そこに居たのは普段通りの笑顔を見せた彼女だった。◆庭に出る。月は明るく、吹く風は異様に冷たい。冬の夜、世界は凍りついたように静かで、寒かった。土蔵は静まりかえっている。士郎がランサーに追い詰められた場所であり、セイバーが現れた場所。あの時より入口は開かれたままで、内部の闇は来る者を拒むように真っ暗だった。中に入り、扉を閉めて外気を遮断し、古いストーブに火を入れた。僅かな明かりが土蔵内部を妖しく照らしている。「ここにくるのも何日ぶりだったかな………」最後に来たのは五日前。それ以来ここには入っていなかった。それ故に。「………血の痕とか残りっぱなしだよな」床にある自分の血の痕。折れ曲がった鉄パイプの数々。一部切り取られたシートや血がべったりとついたシート。「………鍛錬する前にまずここを片付けるか」よいしょ、と立ち上がると同時に。「衛宮士郎」あまりいい気分にならない声が聞こえてきた。無論その声に聞き覚えはあるし、その声が誰かも知っている。「………なんだよ、こんなところまで。何か用か、アーチャー」「用がなくて貴様の元に訪れるほど、私も酔狂ではない。」「そうかよ。で、何だ?」「服を脱げ」「………は?」「む? 聞こえなかったのか? 頭だけではなく耳も悪くなったか、小僧」「聞こえてるっての。俺が聞きたいのは何でそんなことする必要があるんだってことだよ。─────っていうか閉めきってるのにどうやって入ってきたんだ、オマエ」「貴様の調理中に見えた腕に異物が見えた。………凛たちですら見逃すほどのレベルだが、私の眼は誤魔化せん。貴様、身体の内部のどこかで刺されているような痛みを感じているのではないか?」「─────」訝しげにアーチャーを見る。なぜコイツはこうも的確に状態を言い当ててくるのだろうか。「………わかった。確かにお前の言う通り、微妙な違和感は感じてる」まだ温まっていない土蔵の中で服を脱ぎ、背中を見せた。その背中に、まるで調べるかのような手つきでアーチャーが掌をあてる。「─────」無言のまま触れていくこと数回。事を終えたかのように、アーチャーは掌を離した。「もう構わんぞ、衛宮士郎。………ふむ、どうやら、やはり予期していたことらしいな」「予期していたこと………?」服を着ながら、アーチャーの言葉の謎を尋ねる。「貴様、相当無茶をしただろう? 中のモノが暴走しかかっている。通常ならばありえないが、貴様の場合、通常という言葉を当てはめるには些か度が過ぎている」「暴走………? なんだ暴走って」「………心象世界の強さはあくまでもその心を体現する精神の強さだ。魔術というものはそれを具現するための方法論でしかない。故に心象世界というものは誰の中にも存在する。ただし、それを具現できる者が少ないからこそ希少と言われている」士郎の問いを半ば無視する形で淡々とアーチャーは話を進めていく。「だが、だ。あまりにも強すぎる心象世界は時に肉体に影響を及ぼす。心象世界が強く………つまり精神が強くなるにつれて肉体もまた強くなる。心と体は常に育っていくものだからな。だが肉体が弱くなったとき、ある一定ラインを超えると、心象世界が術者の肉体を蝕んでいく。無論、それもソレを具現できる回路を持つ者限定だがな」「おい、何を言って………」「それが年齢を重ねるにつれて体が老いるというモノならば何ら問題はない。体が老いると言うことは精神も弱まっていく。個人差こそあれど、それは必然だ。故に不意に暴走するということはない。が、そうではない場合はその限りではない。衛宮士郎………貴様はそれにあたる」「だから、何を言ってるんだ、お前」「強化の魔術。貴様は何とも思っていないだろうが、本来“それをそのレベルまで扱えることこそが異常”だということに何故気付かない? 貴様のソレはその魔術をそこまで使いこなせる回路ではないのだ。貴様のその回路は本来“とある事象を具現するため”に特化した回路だ。その特化した回路を貴様は別の用途で使ってしまっている」「………強化が使えることが異常………? どういうことだよ、強化はふつうに使えるぞ」「ああ、そうだろうな。だからこそ、異常だと言っている。貴様はすでに大きく違う場所にいるということは判っている。だからこそ、今回のケースは知らない。“強い心象世界によって体を蝕まれつつある衛宮士郎”など私は見た事などないのだからな」「なん………?」「身に覚えはないか? 体に刺さる筈だった剣の類を、身体に触れただけで弾いているという事実。………そこまで強い心象世界ならば、必ずある筈だがな」不意に脳裏に過ったのはライダーとの一戦。そしてギルガメッシュとの一戦。「………ある。確かあった、そんなことも。………それが暴走してるだって?」「健全な精神は健全な肉体に宿る、という言葉を知っているか? 本来これは誤用と言われているが、それは表世界の話だ。裏世界………つまり魔術世界に置いてはそう間違ってはいない。違うとすれば、それを魔術用に言い直していないという点か。まあそんな事はどうでもいい」小さい明かりが士郎とアーチャーを照らす。アーチャーの言う事は未だに理解できないが、しかし同時にそれは真実であるという直感だけが士郎の中に薄々とあった。「問題なのは、心象世界を具現できる者はその知識とその手段、そこに至るまでの経験や強度が精神、肉体共に必要だということだ。だが貴様は肉体を強化することができてしまった。加えて魔術回路は完全起動し、精神も貴様の何らかの働きによって向上してしまっている。そこへ具現を可能とする魔力量を持つイリヤスフィールからの提供。結果、得られたのは発現するのに必要な強度とその手段。そうして………本来発現する筈のない現象が起きた」「それが今回の暴走だっていうのか、お前は」「今の貴様は能力的には発現できるレベルにある。………が、心象世界の具現を発現できるに至るには相応の経験や知識も必要。反して、知識はなく、経験はない。つまりその存在を知らず、御する方法も知らない。言うなら水道の蛇口を捻り、水を出そうとしているが出口を完全に塞いでいる状態だ。そんなことをすればどこからか水が漏れ、損壊するに決まっているだろう。そこへ過度な戦闘への参加による極度の体への負担。………そんな不安定な状況を一度だけならまだしも二度三度と続ければ、暴走するなどは目に見えている」アーチャーの話を聞き、沈黙せざるを得ない。事実として剣を身体が弾いた記憶はあるし、ギルガメッシュとの戦闘では体が剣に反応していたと言っても過言ではない。「が、そう悲観することもない。貴様のソレは要するに知識、経験不足だということ。ならば、知識と経験を補えば蝕まれるということはない。………無論、死にかければ知識の有無に関わらず勝手に暴走するがな」「補うって………どうするんだ」「何、簡単な話だ」ふぅ、と一息ついたアーチャー。そんな彼を見て疑問に感じる士郎だったが、次の言葉を聞いて一瞬真っ白になった。「貴様が私と契約し、マスターになれば何ら問題はない」言われた意味が、即座に理解できなかった。─────第三節 不穏な影─────「契約って、どういうことだよ」「どうもこうも、そのままの意味だ。私のマスターとなれば何ら問題ない」土蔵内で、アーチャーの言った事を理解できない士郎が、抗議していた。「お前のマスターは遠坂だろ。なんでお前が」「私と凛の契約は既に切れている。今はセイバーが凛のサーヴァントだ」「セイバーが………?」「気が付かなかったのか? めでたい奴だ。単独行動スキルを持たない彼女がマスター無しで現界していられるわけがなかろうよ」確かにそうなのかもしれない。セイバーのマスターでは未だなっていない士郎が彼女に魔力供給を行えるワケもない以上、誰かが代わりに魔力供給を行っていることは確かだ。そして、その誰かが助けた凛だということは想像に難くない。「じゃあ遠坂はお前とセイバー二人のマスターだっていうことか?」「理屈上ならばそれも可能だろうが、実質問題としてそんなことをすれば私もセイバーもまともに戦えないだろうよ。いくら凛とてサーヴァント2体に魔力を十分に供給するには無理がある」「………それもそうか」理屈で出来たとしても、二人に魔力を供給すればすぐに枯渇してしまう。そうなれば二人とも全力で戦えなくなる。そんなことをすれば結果として敗北するのだから、するわけもない。「じゃあ遠坂との契約を切ったっていうのは、セイバーを助ける為か」「結果的にそういうことになる。………まあ、今現在の彼女は衛宮士郎がマスターだったときよりも遥かに強いのだから、わざわざ解約させる理由もあるまい」「………俺は泣かないぞ」「それは結構」セイバーと凛が士郎にこの件を言わなかったのは、アーチャーが前もって言わないように頼んでおいていたからである。その思惑は様々あるが、それを知る衛宮士郎ではない。「………わかった。黒い影の件もある。お前は気に食わないけど、実力があることも判る。─────で、どうやって契約すればいいんだ? 正規の方法なんて知らないぞ、俺は」またもや小馬鹿にした表情を見せるアーチャーを見ながら、アーチャーに教えられた手法で契約の言葉を発する。月の夜、土蔵で再び起こった契約の儀式。魔力の渦が巻き起こる。それは、土蔵の二人を内包するように包み込んでいく。赤い魔力が弾け飛んだ。それだけで、辺りは何事もなかったかのように静まり返り、元の世界が戻ってくる。「これで………痛っ─────」一瞬の熱さと共に右手の甲に令呪が現れる。輝くような朱色。それはセイバーの令呪とは形の違うものだった。「これで契約は完了したっていうワケか………。アーチャー、お前の言ってた暴走っていうのは………」「これ以上言う必要はあるまい。貴様と私は特別だ。いずれ答えへとたどり着く。しかも驚異的な速さでな。………それも私と貴様だからこそ、なのだが」背中を見せ、閉めきっていた土蔵の扉を開ける。外から差し込む月明かりがより土蔵内部を明るく照らした。「魔力に関しては問題ない。………いや、衛宮士郎一人では不十分だろうが、お前にはイリヤスフィールがいる。戦闘には支障は出ないだろう」ゆっくりと外へと出ていくアーチャー。その後ろ姿。「衛宮士郎。一つ聞く」「………なんだ」その声は今までのどれよりも、重みがある声だった。真剣、という言葉すら温いと感じ取れるほどの重み。「貴様は何のために戦う」「………そんなの決まってる。氷室や美綴、イリヤを守るためだ」「それは“その者達だけを救う”という意味合いでは決してあるまい。そしてつまりそれは“正義の味方”としての、お前の定義から外れてはいない。………ふ、一見合理的ではある。己の意志を尊重した上で、己の理想を体現する。なるほど、無駄な部分などないように見える」「………何が言いたいんだよ、お前」「お前の欲望が“誰も傷つけない”という理想であるならば好きにすればいい。その過程であの少女たちを救おうが勝手だ。しかし、ならば同時に認めるがいい。その“借り物の意志”と“己の意志”は決して同義にはなれないということを」「なん………だと?」「“正義の味方”と“誰かの味方”は決して同じにはならない。─────その矛盾、摩擦によって貴様が同じ運命をたどるというならば」ゆっくりと振り返り、月がアーチャーの背を写し出す。その視線はアーチャーというべくして相応しい鋭い目。「─────その時こそ、私は私の目的を果たそう」◆時刻は零時。士郎が土蔵でアーチャーと話し始めた時の時刻。キッチンで明日の朝食の献立を考える綾子のもとに、お風呂より戻ってきた鐘が居間に入ってきた。「美綴嬢、何をしているのだ?」「ん、明日の献立を考えてる」冷蔵庫の戸を閉め、居間にやってきた鐘へと視線を移した。髪を乾かしてきたらしく、濡れてはいなかった。「ほら、また人数増えたでしょ。だから明日の朝は大変だから一緒に作ろうって衛宮が」「………ふむ、確かに。当初のことを考えればかなり人口密度は上がってはいる」一番最初、鐘がここに来たときは士郎とセイバーの計3人だけだった。それが今では3倍近くの人数となっている。「こうなってくると一種の旅館のようにも思えるな。この屋敷の作りと相まって」「そうだね。無駄に部屋数も多いし広いしでこの人数がいながら狭さを感じないっていうのは、マンション住まいのあたしらにしてみれば考えられない話よね」冷蔵庫を開け、お茶を一杯コップへと注ぎ喉を潤していく。その動作を見ていた綾子は感慨深い表情を見せていた。「? どうした、美綴嬢」「いやね、本来ここは衛宮ん家なわけだけど。あたしら本当に自分の家みたく普通に冷蔵庫開けてるよなって。普通、人の家の冷蔵庫をそう軽々しく開けるなんてことしないじゃん」「………確かに。最初はどうしたものかと思っていたが、今では普通に開けている」「でしょ。………まあ、それだけこの家の居心地がいいっていうことなんだろうけど」キッチンより台所を見渡し、先ほどまで囲っていた食卓を思い出す。士郎の膝上にイリヤが飛び乗って箸でご飯を士郎の口に持っていったり、セイバーがご飯をすごい勢いでおかわりしていたり、アーチャーの用意したご飯を食べてどこか悔しそうな表情をした士郎だったり。その表情を見たアーチャーがどこか士郎を小馬鹿にした表情を見せて、士郎がそれに反応した表情を見せたり。そしてその光景を見てくすくすと笑っている凛がいたり。主に士郎が作ったご飯にあれよこれよと文句を言いつつも食べているセラや、物珍しそうに用意された食事に手をつけるリズがいたり。「………大家族か、って光景だったね。あれは」「今思い出してもそう思うな、私も」或いは。自然とそうなることこそが、この家のカタチなのではないだろうか。どこか開放的で、それでいて温かさを感じる空間。手放すには惜しくて、もう少し居たいと思う空間。「………ここに来て、あたしは良かったと思う。そりゃあ、いいことなんて少ないけどさ。けど、そのいい事って、多分今までのどの苦しい事よりも大切な事だと思うんだよね」「同感だな。自分の家が悪いというつもりはないが、ここで感じるモノは何か特別なことのように思える」少し物思いに耽っていたが、息を吐いて、名残惜しむように視線を綾子へとやった。「さて、美綴嬢。お風呂には入っていないのだろう? 入ってきてはどうだ? それとも遠坂嬢やセイバーさんに先を譲るか?」「ん、あたしは今日一日そんなに出歩いていないからね。遠坂の奴にでも声かけて先に入ってもらうとするか」廊下へと出て、離れへと向かう。廊下は月の光に照らされており、幻想的な空間にも見える。「そういえば、衛宮はどこにいったのか………。美綴嬢は知っているのか?」「土蔵に行く、って言ってた。………鍛錬する、だとさ」「土蔵、か」庭先の隅にある土蔵。あそこに今士郎が鍛錬を行っている。「ん? 何か浮いてない?」「?」ふと、綾子が空を見上げた先に何かを見つけた。それは。「………………」勿論UFOではないし、飛行機の類でもない。人のカタチをした、浮遊物体。「………!美綴嬢!」気が付いたときには遅い。なにせ、相手は魔女なのだから。◆土蔵からアーチャーがいなくなり、一人になる。片付けをしようと思っていたが、どうもそんな気分にはなれなかった。「………片付けは明日でいいか。風呂、空いてるかな」家の中に戻り、明かりが漏れる居間へと入る。そこに。「………あれ、美綴の奴、いないな」風呂に入っているのか、と思ったが、それならば氷室がいるはず。今日ももう終わりだから部屋に戻っているのだろうか。「………様子、見てみるか」氷室用に宛がわれた部屋へと行き、襖を軽く叩く。が、返事がない。「………もう寝てるのか?」アーチャーと話し込んだ時間はそう長くない。この短期間で眠ったのだろうか。「氷室、入るぞ?」ゆっくりと、いつかの朝みたく失態を犯さないように中を覗く。そこに。「………いないな」布団すらひかれていない状態の部屋があった。「となるとどこにいったんだ………?」次に考えられるのは風呂場。あそこは洗面所もあるので或いはそこで歯磨きをしているかもしれない。「………っていうかそれ以外ないか。うん、寝る前の歯磨きは大事だもんな」納得して洗面所へと向かう。洗面所の戸をノックし、中に入るが………「あれ、いないな。美綴も………」風呂場からは誰もいる気配がない。不思議に思い、そして不審に思う。廊下へと出て、玄関へ目をやったとき。「………戸が開いてる?」僅かに閉めたハズの戸が開いていた。急いで駆け寄ってみると確かに戸が開いている。しかし靴は全員分残っている。けれど。「─────」言いようのない不安が残る。家の中を隅々まで確認すればきっと二人はどこかにいる。そう、そのはずである。「………ちょっと外を確認するだけだ」この家には遠坂やセイバーがいる。窃盗目的で誰かが入ってきたのなら負けるハズなど万に一つもない。けれど、この戸が内側から開けられたとしたら?意味もなく、どこにいけばいいかもわからないまま。とりあえず坂道を下って行く。下へいけばいくだけ「─────」体にナニカがまとわりついていく。それはどこで感じたものだったか。言いようのない不安、言いようのない不安。それが。黒く纏わりついたアレと同じ感覚だと分かったとき。小さな公園にたどり着いていた。気がついたら走っていた。気がついたら息があがっていた。「──────────投影トレース」けれど考えるのも、感じるのもそこまで。そこから先は全てシャットアウト。今はただ。「「衛宮………!」」「完了オフ!全投影連続層写ソードバレルフルオープン!!」助ける。「──────────キャスター!!!!」