第33話 招かれざる訪問者─────第一節 敵の姿─────「敵………!? イリヤ、敵って誰だ?」「………………」士郎が問いかけるも、イリヤスフィールから返答はない。彼女の表情からは優雅さが消え、困惑しているような様子すら見受けられる。「イリ………」「バーサーカー!」イリヤスフィールの声に応え、姿無き巨人が喉を鳴らす。敵がやってくる。ならば最高の守りであるこの城と、この化身が居れば必ず勝てる。そう、傍らにいるこのサーヴァントこそ最強だ。世に名を馳せる数多の英霊英雄の中でも最上位に位置する勇名を謳われる者。いや、そんな常識をさて置いても、揺るがぬ事実に変わりはない。そう言い聞かせて、やってくるであろう敵達を迎え撃つ。「イリヤ!」部屋を出て行こうとするイリヤスフィールを追う様に、士郎もまた立ち上がる。「シロウ。シロウはサーヴァントがいない、ただの普通の魔術師よ。これから始まる戦いには参加できない。………いいえ、仮に参加できたとしても戦いにすらならない。だからシロウとカネは隠れてて」「な………!─────確かに今、ここにセイバーはいない。けど、イリヤの様な女の子一人を戦場に向かわせるなんてできるか!」「シロウ、気持ちは嬉しいわ。けど、私にはバーサーカーがいる。バーサーカーは強いもの、絶対に負ける筈がない。だから大丈夫よ。セラとリズも身を隠しておきなさい」「畏まりました。………お嬢様、ご健闘を」「ええ。バーサーカー、行くわよ」巨人と少女が扉の向こうへと消えて行く。その戸が閉まる直前、ピタリと止まり、振り返った。その顔は笑顔の色で染まっていた。「それにね、嬉しかったんだよ? 一緒に居てくれるって言ってくれて。………なら、私が守る。家族を守るなんていうのは当然だし、好きな人を守るのも当然のことなんだから」パタン、と戸は閉められた。静かで大きい廊下を二人は歩く。『バーサーカーは強いね』いつか彼女が口にした、最初の言葉。嫌悪ではなく親愛を込めて謳われたその言葉こそ、最強の従者が守るべきものなのだから。「行きましょう、バーサーカー。………私達は絶対に負けない、負けられないんだから」◆「ではヒムロ様、何かありましたらお呼びください。私達は隣の部屋で待機しておりますので」「わかりました。ありがとうございます」戸が閉まり、改めて部屋を見渡す。前見た部屋と何ら変わらないが、空気は明らかに違う。「衛宮………」窓から外を眺めている士郎の後ろ姿。そこから感じられる雰囲気は今までとは違う、戦っているときの雰囲気。真剣な雰囲気そのものである。「わかってる。イリヤの言う通りだ、バーサーカーは強い。………俺が行ったところで援護どころか邪魔になるだけだと思う」ベッドに腰掛けてそのまま倒れこむ。結局今まで何が守れただろうか。「美綴も助けれなかった、セイバーも奪われた、イリヤも傷つけていた。………氷室にも迷惑かけてばっかりだよな」「迷惑って………」「朦朧としてたけどさ、昨日の夜に氷室を見たんだ。それで今朝そこに居たってことはやっぱりずっとそこに居てくれたんだろ? ごめん、まず最初にお礼を言わなきゃいけなかったのに、ずっと言わなかった。………ありがとう、氷室」「─────衛宮。私は君に救われたからこそここにいるのだぞ? 美綴嬢だって、ちゃんと生きている。セイバーさんだって、きっと無事なのだろう? なら………」鐘の言葉を遮る様に、地響きが聞こえてきた。同時に地面が揺れる。「………バーサーカーが戦っているのか」ベッドから起き上がり再び窓から下を覗く。だが正面入り口には誰もおらず、荒らされた形跡はない。「あの広い玄関で戦っているのか………」玄関ホールはかなりの広さを誇る。見通しもよく、遮るものがない一方で、上階から玄関ホールを見渡すことも可能。「氷室、ちょっと行ってくる。ここで待っててくれ」「衛宮………!? 行くというのは………」「相手がどんな奴かは知っとく必要はあるだろ。イリヤは教えてくれなかったけど、もしそれが遠坂たちだったなら止めなくちゃいけない。違うとしても、注意を逸らすことはできる」「しかし………、あのような規格外相手に戦うなどと………!」「もちろん真っ向勝負なんてできるわけないからな。一応気配を消すくらいの魔術は使えるんだ。効果は低いかもしれないけど、相手が戦いに集中してるなら背後は取れる」やれることはやる。相手がサーヴァントである以上、強化や投影は付け焼刃だろう。無論、気配遮断や認識阻害も付け焼刃にすぎない。しかしその付け焼刃も状況と組み合わせ次第では一矢報いることは可能。「では………行くのだな?」「ああ。何もしないのは駄目だ。イリヤ達の助けになれるなら小さなことでもやる。………いってくる」扉に手をかけ、廊下へと出て行く。その背中を見届けて、鐘はベッドへと倒れ込んだ。「止めても………止まらないのだろうな、君は」鳴り響く地響き、小さく聞こえてくる巨人の声。その度に城は揺れ、戦いの凄まじさは上階まで伝わってくる。その場所へたった今、自分を救ってくれた少年が向かっていった。死ぬつもりはないだろう。しかし危険は以前よりも数倍高い。にも関わらず、彼はイリヤスフィールを守るために戦場へと向かっていった。「私にできることは………」何かないか、そう考えた。サーヴァント、英霊、過去の人物、英雄、ヘラクレス。今まで得た知識を全て総動員して、自分にできることを考える。知名度、弱点、歴史、背景。「そういえば………セイバーさんが言ってたか」『ええ。しかしそれは同時に短所でもあります。私たちは英霊であるが故に、その弱点も記録している。名を明かす───正体を明かすということは、その弱点をさらけ出すことになります』『───そうか。英雄っていうのは大抵、何らかの苦手な相手がいるもんな。だからセイバーとかランサー、っていう呼び名で本当の名前を隠しているのか』『はい。もっとも、セイバーと呼ばれるのはそのためだけではありません。聖杯に招かれたサーヴァントは七名いますがその全てがそれぞれの“役割”に応じて選ばれています』「有名な英雄ほど歴史に経歴や特徴、武器、能力、弱点などが残る。名前、あるいは武器でもそれを知れれば生前苦手とした事項、或いは致命的な弱点を見つけれる可能性がある………」例えばヘラクレス。ヘラクレスはギリシャ神話に残る有名な名前。不死身となった、狂気を吹き込まれ自分の子供を火の中に放り投げ殺してしまった、12の試練を乗り越えた、その後神の座に座った、などの逸話がある。「これだけだと弱点というより寧ろ強みか………。狂気化した、というのが恐らくは狂戦士バーサーカーとなった理由だろうか」ならば弱点となりえるもの………つまりはヘラクレスが死亡した経緯を考える。「ヒュドラーの猛毒を全身に浴びて、最期を悟って火をつけてもらって死亡した………か。つまり弱点は毒………? しかもかなり強力な毒、か」ドォン………! という地響きが耳に響く。先ほどよりも数段大きい音が、戦闘が激しくなっているということを知らしめる。「………どちらにせよ、敵の正体を掴めない以上は考察のしようがない」立ち上がり、廊下へと出る。周囲を見渡すがそこに士郎の姿はなかった。恐らくはすでにイリヤスフィールの元へ向かったのだろうと判断した鐘も、エンランスへと向かうために走り出した。その背後から。「どこ、いくの?」聞き覚えのある声がした。「リーゼリットさん………。いえ、少しエントランスの方へ」「………部屋にいろ、って。イリヤ、言ってた。行っては、ダメ」「戦うつもりはありません。私では何の役にもたちませんから。………けれど、相手の弱点を調べるくらいのことは出来るハズだから、今から敵の姿を見に行くんです。それで少しでもイリヤ嬢………イリヤスフィールさんの役に立てれば………」「………」じっと鐘を見つめるリズ。地響きが何度か響き、バーサーカーの声が聞こえてくる。「こっち………」「え………?」「そっちからいくと、危ない。だから、こっち」ついてこい、という仕草で歩き出すリズ。一瞬呆気にとられるも意味を理解して後ろについていく。揺れる城。所々にはヒビが入っている。「バーサーカー、苦戦、してる」「苦戦………?」恐らくは聞こえてきた声で判断したのだろう。鐘からしてみれば違いなどわからなかったが、目の前を歩くリズにはわかるらしい。「イリヤ、死んでほしくない。だから」「………必ず」エントランス上階へと駆け抜ける。─────第二節 イレギュラー─────エントランスに近づくにつれて剣と剣のぶつかり合う音が聞こえてくる。しかし士郎はそこでその音の異常性に気付く。通常剣同士のぶつかり合いならば、どれだけ早くとも一瞬の無音の時間がある。だが、聞こえてくるのは常に剣が剣を弾く音のみ。そこに無音の音が入り込む余地はなく、つまりはそれだけの攻撃がなされているということである。しかしそれはあり得ない。剣を手にとって戦う以上は多くとも二本が限界。加えて相手がバーサーカーである以上は、連続してあの力と対等に打ち合える者などいないハズである。セイバーですら常に剣をぶつかり合わせることができない以上、この戦いの音はあり得ない。そう考えた時に、不意に脳裏に考えが過った。この戦いは一対一ではない、一対多数の戦いではないか、という考え。文字通り、圧倒的物量で相手を押しつぶす“戦争”をしているのではないか、という考え。廊下を駆ける。もし仮に一体多数の戦いならば、その一は確実にバーサーカーのもの。相手がどれほどの規模かはわからないが、いくらバーサーカーでも物量の前には苦戦を強いられるのは目に見える。何か取り返しがつかなくなるような嫌な予感を感じながら、全力で廊下を走り抜けた。エントランスを臨めるテラスへとたどり着く。身を屈め、体を隠しながら下の様子を覗き見る。その光景を見た時、声が出そうになったが何とか殺すことができた。「■■■■■■■■■■■─────!!」黒い巨人が雄叫びを上げている。薙ぎ払われる斧は砂塵を巻き上げ、打ち砕かれた瓦礫を灰塵と帰していく。以前見たその姿より何倍も鬼気迫る姿を晒している。その背後には、イリヤスフィールの姿があった。たえず無邪気な笑みを浮かべて、しかし悲しい顔もした殺し合いには到底似つかわしくない少女。自分を守ると言って、最強のサーヴァントと共に歩いて行った少女。その少女が、今は肩を震わせて、泣き叫ぶ一歩手前の表情を浮かばせて、自らのサーヴァントを見つめていた。蒼白となった彼女の顔は、目の前の絶望を必死になって否定している。─────誰か助けて彼女の心が士郎には、はっきりと見えた。士郎がいる反対側のテラス。そこにリズと鐘がいる。士郎は下の光景に目を取られている所為で気づいていないが、後から来た二人はしっかりとイリヤスフィールと士郎の姿を確認していた。そして同様にイリヤスフィールの怯えた、必死に否定しようとしている姿を、鐘は見た。「─────っ」息を呑む。あの表情、イリヤスフィールが陥っている状態には、嫌というほど身に覚えがあった。大切な人がいなくなったのを必死に否定しようとしていた自分。年齢、その外見も相まってよりリアルに思い出してしまう。バーサーカーを圧倒する敵。その巨体の正面に立つ者へと三人は視線を向けた。吹き荒れる旋風を悉く弾き返し、同時に攻撃を仕掛ける者。彼の周囲には無数の剣が浮いている。そのどれもが紛れもなく必殺のものだというのを、士郎は感じていた。巨人は叫び、突進する。振るう攻撃はどれもが一撃で瓦礫を木端微塵にする威力を誇る。しかしその巨人の前に立つ黄金の青年は弾くだけでは飽き足らず、無数の剣を巨人へと突き飛ばす。まるでスコール。必殺の雨がバーサーカーを頭部を、心臓を、串刺しにしていく。それだけでもう終わりだというのに。「■■■■■■■■■■■─────!!」巨人はなお復活し青年を殺そうと近づいていく。即死するたびに、死から復活して確実に敵へと前進している。しかし、それすらも敵は楽しげに迎え撃っている。貫く剣。今ので一度は死んだ。しかし生き返る巨人。「不死身………」先ほど例題として考えた内容を思い出す鐘。ヘラクレスの神話には不死身になったという話がある。ならば、どれだけ攻撃を受けても死なないのではないか、とも考えた。事実目の前に繰り広げられている死からの復活はその考えを肯定している。しかし、では少女の泣きかけの顔が理解できない。死なないのであればそれは敗北することなどありえないし、少しずつではあるが前進している。いずれ敵に攻撃は届く。だがイリヤスフィールの表情は、バーサーカーが死ぬ度にどんどんと崩れていく。「12の試練………」ハッ、と思い出した。そして彼女の脳が結論を出した。ヘラクレス………バーサーカーは不死身ではなく、11回だけ死んでも復活することができるのではないか、と。それならばイリヤスフィールの表情にも納得がいく。不死身ではなく、命のストックが普通よりも多いだけ。つまりその分だけ殺されればバーサーカーは死ぬ。今復活できているのは、まだその回数分だけ死んでいないからだけであり、いずれ殺される。「何なの………アナタ」呟く少女の声。震え、幼子のように首を振り、あり得ない光景を否定しようとしていた。「この身はオマエもよく知るサーヴァントだろうに、何を恐れることがある」「知らない、アナタなんか知らない。私が知らない英霊なんて、バーサーカーより強い英霊なんて! 居る筈がないんだから─────!!」叫ぶ。それと同時に彼女の体から赤い光が発せられた。離れていても判るほどの、士郎が持つものとは比べ物にならない令呪だった。「■■■■■■■■■■■─────!!」地を揺るがす咆哮。主の想いに応えるが如く、巨人は力強く斧を振り抜く。爆音。声ならぬ声をあげ、黒き巨人が前進する。飛来する剣を、たった一振りでその5倍の剣を弾き返している。二振りすればそのさらに倍。前進。巨人はただの前進しかしない。鐘はその理由を考えていた。なぜあれだけの剣が飛来するにも関わらず、あの巨人は正面から進むのか、と。敵の対抗策など考えていない、ただ命ある限り前に進み、敵を殺すだけの戦略など何もない、ただの野蛮な戦い。敵は自分には届かない、恐らくはそう考えているからこそ足を止めている。前進することしかできない愚かな敵を挑発するために足を止めている。「─────フ、所詮は狂犬。戦うためだけのモノだったか。同じ半神として期待していたが、よもやそこまでの阿呆だとはな!」違う、と鐘は理解した。どれだけ理性を無くそうとも、己に危機を感じたならば本能的に身体は動く。人間が熱いものに触れた時、反射的に手をひっこめるのと同じだ。だが、あの巨人は熱いものに触れてもひたすらそれを持ち続けている。つまりあの巨人は、その本能を理性で押し留めているのだ。そしてその理由もわかった。「彼がよければ………、イリヤ嬢に攻撃が行く………!」それを巨人は判っているからこそ、標的を自分から逸らさないように前進しかしない。否、前進しかできない。横へと回避すれば背後にいる己の主に攻撃が行く。それをさせないために狂戦士は、ただ愚直に前進し続ける。「バーサーカー!」エントランスに声が響いた。しかしそれは決してイリヤスフィールの声ではなかった。─────第三節 切なる祈り─────「シ、シロウ………!」テラスにいた士郎がエントランスへと跳び下りて、イリヤスフィールの前に立っていた。「─────投影、開始トレース・オン」両手に握られるのは白と黒の両手剣、干将莫邪。士郎もまた、バーサーカーが前進する理由に行きついていた。避けてしまえば、イリヤスフィールに攻撃が行く。ならば。「全部防ぎきってみせる。好きに戦ってくれ」双剣を構え、奥にいる黄金の青年を睨む。バーサーカーは動かない。その身は彼女の言葉を待っていた。主の一声を。「バーサーカー………」わかっていた。自分が邪魔者でしかないことに。しかしそれでも離れたくはないと、必死に否定しながらだだをこねていた。─────狂いなさい、バーサーカー巨大令呪が狂戦士に命令する。轟と、猛獣が哭いた。大地が震動する。「ハ、よもや雑種の守りをあてにして突っ込んでくるとはな。………仮にも我と同じ半神が、人間風情の力を信じるなどと、そこまで堕ちたか木偶の棒が!」バーサーカーはその巨体に見合わぬ速度で横に跳び、黄金の男目掛けて疾走する。剣の雨は標的を見失い、士郎の元へと殺到する。「衛宮!!」「はああぁぁぁっ!!」飛来する剣は十二。強化した身体能力を極限にまで引き出して迎撃する。強化した視力が高速で飛来する剣の場所を的確に把握し、強化した腕が的確に素早くその剣を叩き落とす。飛来する全ての剣の解析が、施した強化によって成功する。三を防ぎ切り、次に飛来する四を凝視する。その奥にあるのは五の剣。「ふざけ─────」間に合わない。両手だけでは迎撃には絶対に間に合わない。二つの武器だけでは、どれだけ腕を動かしても間に合わない。ならば。「───てんじゃねぇ、テメェ………─────!!!」疑問など無い。今まで戦いの中で散々真似事をしてきたのだ。その道理、法則に間違いがないのであれば。そしてイリヤスフィールが言っていた本質が間違っていないのであれば。────眼前に迫る剣の雨を、複製できない筈がない「シロウ………!」飛来した筈の十二の剣全てが士郎に、そしてイリヤスフィールに届くことはなかった。爆発の後に目を開ければ、黄金の男は此方を見てなどおらず、バーサーカーの方へ攻撃を仕掛けていた。そして当の自分と言うと「ぎ………!あ、が、ぁ─────」左半身からの地獄めいた激痛と、吐き気の所為で倒れていた。そして見えるのは涙を流している少女の姿。「バカッ!バカシロウ!言ったじゃない、無茶な魔術は身を滅ぼすって!部屋にいてって!何で私の言うこと聞いてくれないの!」「………っ─────!」「左半身だってまだ完全に治りきっていないのに、剣全部投影すればそうなることくらいわかってた筈でしょ!!シロウのバカ………─────私は………」激痛を抑え込んで何とか上半身を起き上らせる。その胸に、小さな少女が身を預けてきた。服が少女の涙で濡れる。「大丈夫………まだ、動けるから」「………また、嘘。魔力も足りないのにあんな宝具級の武器を投影しようとすれば壊れちゃうに決まってるじゃない。────けど、わかってる。シロウが私の前に立ってくれてなかったら、バーサーカーも私も、………きっと死んでた。」よろよろと立ち上がろうとする士郎を見て、テラス上にいたリズへ視線をやった。直後。ズン! と音を立てて下りてきたのはリズ。ただし、その手には全くもってに使わないハルバートがあった。「え………?」「シロウ」テラスより跳び下りてきた彼女に呆気にとられたのもつかの間、それ以上の衝撃が襲った。「─────っ!?」士郎が驚愕に身を強張らせるのと、唇に柔らかなものが触れたのは同時。目の前には目を閉じたイリヤスフィールの顔。距離はなく、唇と唇が触れ合っていた。「っ? ………………んっ─────っ!?」困惑を余所に、イリヤスフィールの舌が士郎の口内を蹂躙する。「は、ぁ─────ん」頬に添えられた掌は温かく、少女の息遣い、唇、舌が頭をぼうっとさせてくる。事態を全く理解できない士郎は空いた右手でイリヤスフィールを引き離そうとするが。「ダメ………」がしっ、としっかりとリズに腕をロックされてしまった。しかもそのロックした時の感触が柔らかいのだから余計に士郎の焦燥感を煽いでしまう。ちなみに左手もロックされている。動きを封じられた手は空中でわたわたと動くばかりでされるがまま。全く予期すらしていなかったイリヤスフィールの暴挙に、士郎は結局最後まで抵抗らしき抵抗を出来なかった。たっぷりとキスを交し合った後、長い息を吐きながら士郎の唇から口を離した。零れた唾液が糸を引き、妖艶さを感じさせる。それと同時に両手も解放され、わたわたと距離を離す。「イ………イリヤ、一体何を………!」「感じない? 私から魔力が供給されてるの。それに動けるってことはちゃんと治ったみたいね」「えぁ………?」気がつけば左半身から感じていた痛みや嘔吐感はなくなっており、そして内面に意識を向けると………「………魔力が」もはや有り余るくらいに魔力が満たされていた。自身の内部に起きた奇跡のような結果に驚愕する士郎。「私とシロウの間にパスを繋いだわ。本当はもっと濃密な粘膜接触か、入念な準備をした儀式が必要なんだけど………そういうのを省略して、私は結果を出せる」「これなら………!」やれる、先ほどの剣の雨を完全に複製することすら可能だろう。技術的な問題は別として、魔力量的な問題ならばこれで全く問題はない。「イリヤ、ありがとう。これならまだ戦える………!」「………本当はね、戦ってほしくはなかったの。けど、シロウったらどれだけ言っても聞いてくれないんだから、やっぱり私が助けるしかないもの。だから、代わりに一つ約束して。絶対に死なないって。もう私の前から誰かが居なくなるなんて事、絶対にイヤなんだから。」「ああ、当然だろ。イリヤとの約束は守るよ。それにイリヤだけじゃない、氷室との約束もある」テラスを見上げた先に、鐘の姿があった。視線があったかと思いきや、慌てて視線を逸らす鐘の顔は少し赤くも見えた。─────第四節 世界最古の王─────薙ぎ払う一撃は旋風、振り下ろす一撃は瀑布。まともにうければあの男とてただでは済まないだろう。だが、黄金の男の顔は無表情ではあった。しかし既に士郎たちに意識の欠片も向けてもいなかった。眼前の脅威を排斥することに、全力を注いでいる。止め処もなく刃を射出しては、バーサーカーを殺そうとする。だが、それらは空しく空を切った。あるいは叩き落された。豪腕だけで、宝具など物の数ではないと吹き飛ばす。全部防ぎきる、という言葉は不要だった。こちらに攻撃が来ない以上、防ぐも避けるもない。「………バーサーカー」戦う姿をイリヤスフィールは見ている。今まで見てきたどの姿よりも強く、速い。剣の投擲を弾き、躱し、接近する。「あれなら………!」倒せる。そう感じていた。少なくとも鐘はそう思っていたし、イリヤスフィールもそう考えていただろう。「狂犬風情が………」そうして斧が男に振るわれる。死んだ回数はすでに十回。だが残り二回にして、黄金の男へと届く。そうして、振り下ろされる腕は─────「─────天の鎖よ─────!」動くことはなかった。「バーサーカー!」「■■■■■■■■■■■─────!!」それはいかなる宝具か。突如空中より現れた鎖が、バーサーカーを完全に束縛していた。束縛された腕が、あらぬ方向へと持ち上げられる。全身に巻きついた鎖は際限を知らないかのように縛っていく。「─────ち、これでも死なぬか。かつて天の雄牛すら束縛した鎖だが、お前を仕留めるには至らぬらしい」男の声がもはや瓦礫の山となったエントランスに響く。同時に空間には鎖が軋む音も響いていた。「天の雄牛………鎖………半神」テラスより観察していた鐘は、あの男が発した、恐らくは自身のことであろう内容を一言一句逃さずに頭の中に留めていた。戦うことはできない。ならば、情報収集し、味方にそれを伝える。それくらいならばきっとできると信じて。「イリヤ、一体あいつは何なんだ………!? さっき飛んできた剣だって、出典がバラバラだった。一人の奴がいろんな宝具を持つなんてことあるのか?」「無いわ、普通なら絶対にありえない。ありえないからこそ、私にもわからないのよ!」「─────王の財宝ゲート・オブ・バビロン」男の背後の空間が歪み、出現するのは刃の群。その数は二十。「やだ………!」「っ………!」身動きが取れない以上、あれを食らえば確実にバーサーカーは消失する。もはや確実にやってくる映像を見た一方で、鐘は「バビロン………」半神英雄、天の雄牛、バビロン。該当する英雄、もしくはそれに準ずる過去に存在したといわれる人物。「衛宮!!」テラスより身を乗り出し、導き出した結論を確実に伝える。「その男は古代メソポタミア、シュメール初期王朝時代のウルク第1王朝の伝説的な王、『ギルガメッシュ』だ!2/3が神で、天の雄牛を倒した人物、そしてバビロンという言葉を発したなら、恐らくは………!」「ほぅ、女。僅かそれだけの言葉で我が何者かにたどり着いたか。その知識は賞賛してやろう。─────だが」「!─────投影トレース」背後に浮かぶ剣の内の一本を手に取り、テラス上にいる鐘を睨めつけた。ゾクリ、と恐怖を感じた鐘へ「我を王と知りながら我を上から見下ろすか、雑種。その不敬、その死を以ってして償うがいい!」剣が翔ぶ。放たれた一本の剣は、無防備な鐘を串刺しにしようと飛来し─────「─────完了オフ!」その飛来した剣と全く同じ剣が、鐘を串刺しにしようとしていた剣を撃墜していた。「………雑種」「は、………ふっ─────」今までよりもさらに早く、投影が成功した。イリヤスフィールによる魔力増加のおかげだろう。「イリヤは、大丈夫」落ちてきた剣をハルバートで弾き飛ばす。その似合わない姿に驚きながら再び正面を向く。鐘に向けられていた殺気が今度は士郎へと向いていた。「■■■■■■■■■■■─────!!」鎖が軋む音がさらに強くなる。だが、すでにギルガメッシュにとってバーサーカーは脅威でも何もなくなっていた。「無駄だ、その鎖は神性が高ければ高いほど餌食となる。五月蠅いだけの狂犬が、貴様はもう死んでいい!」片腕を上げる。あとは号令を出す様に腕を降ろせばそれで全てが終わる。そしてそれを見過ごすことなどするわけもない。「─────投影トレース」開ききった全ての魔術回路が、イリヤスフィールの奇跡によって完全修復された魔術回路が、完全起動する。その全ての魔術回路に、補って余りある少女の魔力が勢いよく流れ込む。「─────開始オン………!!」腕が下ろされる直前で、目に見える武器、十九全てを投影してみせた。同時に。「消え去れ、下郎─────!」「全投影連続層写ソードバレルフルオープン………!!」バーサーカーへと殺到する十九全ての剣に対し、同じ十九を発射する。次々ぶつかっては弾き飛ばし、壊れて、突き刺さっていく剣。体の内部からチクチクとまたもや痛みが再発し始めた。だが。─────剣になると決めたテラスの上にいる少女のために。守りたい人のために。後ろにいる少女のために。ならば。「………薄汚い贋作者風情が。本物の重みというものをその身に知るがいい─────!」「─────投影、完了トレース・オフ!」自らの財宝を、贋作者を確実に殺すと言わんばかりに惜しみもなく展開した。次々と空間から現れる武器を瞬間的に解析し、構築し、投影する。バーサーカーではあの鎖を破ることはできない。軋ませるのが精一杯だろう。それを判っているからこそ、目の前の男は士郎へと攻撃を仕掛けてきた。背後にいたイリヤスフィールはリズによってその場を離れている。開通している魔術回路の数は二十七。その全てを以って、イリヤスフィールより流れてくる魔力を以ってして、目の前の王が放つ剣を相殺する!繰り広げられる剣の突撃。撃ちだしては相殺し、放っては相殺される。放った剣は壊れない。オリジナルと全く同じ運命を辿り、床へと突き刺さり、破片が舞い散る。「フェイカー………よくもそこまで耐える。だが、だ」「くっ………!」「その身を以って! 偽物風情が本物に立てついたことを後悔するがいい、雑種!!」展開される剣の数は二十五。その全てを。「全投影連続層写ソードバレルフルオープン!!」二十七の回路が具現させる。バーサーカーに流れ弾がいかないように距離を取り、飛来する剣を迎撃する。迎撃は成功している。すでに五の剣を迎撃している。しかし。「ははは、 どうした、投影速度が落ちているぞ!そら、急がねば串刺しだぞ、フェイカー!」「ぐ、ぅ………!!」この攻撃方法だって、つい先ほど敵の攻撃を真似たモノ。どれだけ能力面でクリアーしたとしても、技術面・経験面で圧倒的に不足している。「負け、る、かぁああ!!」しかしそれでも投影を続行する。残り宝具数十五。「ふん、あまり足掻いてくれるなよ雑種が。白き聖杯を回収し、その後には黒き聖杯を壊す必要がある。貴様程度の贋作者にいつまでも構っているつもりなどない」「何、を………ワケわかんねえ事言ってやがる、テメェ─────………!」残り宝具数七。「ハ、知らずして貴様は小娘を守っていたのか。ほどほど呆れる!」残り宝具数三。「………! 投影………」残り宝具数、ゼロ。「開始!」ダン! と突進を開始する。展開されている宝具の数はゼロ。今ならば近づいて攻撃を仕掛けることが可能。このまま遠距離戦を続けていけば、今の士郎のレベルではジリ貧。だからこそ、強化した身体能力で一気に突破する。「─────女を守る、か。雑種」「え─────?」感覚が停止した。手に持った干将莫邪を落としかけるほど、目の前の光景が異常だった。黄金のサーヴァントは、背後よりたった一つの剣を取りだしていた。奇怪な剣。形も奇怪なら、その性質も奇怪だった。「読め………ない………?」全ての魔術回路で男の手に握られている剣を解析する。今まで放たれてきた剣全ての構造を読み取ってきたというのに、その剣はどれだけ凝視しても読み取ることができない。「ならば見せてみろ。その贋作で─────」「っ!? 氷室、イリヤ、リズ!ここから離れろっ!!」動き出すリズ、そして一緒に抱え込まれているイリヤも一緒に距離を取るべく離れていく。鐘も動き出そうとするが………・「─────………一体何を守れるというのかを!」巻き起こる暴風。支配される空間。充満する魔力。「“天地乖離すエヌマ───”」同時に鎖が解かれ、身動きが取れるようになる巨人。だがすでに遅い。世界最古の王はすでに攻撃を出し終えていた。テラスが崩れ、エントランスの天井が崩れてくる。「“─────開闢の星エリシュ”」