Chapter5 Endless Night第28話 予測不能─────第一節 マスターとサーヴァント─────時刻は少し戻り、午後六時。凛が三人を衛宮邸に連れ込んで休憩した後に自宅へと戻り、学校では警察が事件の原因を突き止めようと躍起になっていた時間。曇り空だった今日はすっかりと日の光はなくなり、新都の街はネオンの光に包まれている。結界を張った張本人である間桐 慎二は新都のビル群の一角の屋上にいた。学校からライダーの宝具を使用してアーチャーから逃げ切ってから約五時間。落ち着きを取り戻した慎二は眼下に広がる街並みを見下ろしていた。外見上は普段と変わらない様子を見せている。だが、その内面は己をコケにした遠坂 凛への憤怒と、その原材料となった衛宮 士郎への憎しみで満たされていた。リフレインしてくる凛とのやり取り。士郎の魔術行使。どれもが慎二の神経を逆なでていた。対するライダーは街を見下ろす慎二の少し後ろに位置取り、静かに慎二の後ろ姿を見ている。ライダーの傷はそう深くはない。足にアーチャーとの戦闘の切り傷が主な傷ぐらいだった。だが魔力に関しては別である。他者封印・鮮血神殿ブラッドフォートアンドロメダにより、学校の生徒及び教職員から魔力は抽出したものの凛の妨害もあって量は多く取れなかった。加えて逃げるための宝具の使用。燃費の悪いソレを使用したが為に、結果ライダーの魔力は万全と言うには程遠い状態だった。慎二もそれは理解している。だが、だからと言って自分を貶めた凛と士郎をただ傍観する気もさらさらなかった。「ライダー」背後にいるライダーに視線を向けずに声をかけた。対するライダーは無言。無論無視している訳ではない。次にやってくる命令を聞くために口を閉ざしている。「あの宝具、今の状態であと何回使える」屋上に響くその声には僅かに怨嗟の色合いが見られる。「………今の状態では残り一回しか使用はできません」「一回使ったらライダーは消えるのか?」「いえ、消えることはありません。ですが、完全に魔力が枯渇してしまいその後の戦闘や行動はとれなくなることは確実です」そうか、と一言呟いた慎二の背中が揺れる。背後にいるライダーを見据えて、冷酷な指示が下された。「なら、適当な奴を襲って魔力を補充しろライダー。一回使っても支障が出ない程度まで回復したら…………」慎二の顔が歪む。自身の内に内包された怨嗟を今にも爆発させたくて仕方がない、そんな邪な笑いを見せる。「あの宝具で衛宮がいる家を吹き飛ばせ、ライダー」その言葉にライダーは拒否の反応を見せない。サーヴァントはマスターの命令に忠実なもの。反論はしない。ライダーが消えたのを見届けた慎二は、再び屋上より眼下に広がるネオンの街並みを見下ろしていた。◆時刻は九時。新都の中心部はまだ賑わいを見せているが、ここ深山町は静まり返っていた。学校の一部崩壊や、生徒達の衰弱。未だ捕まらない殺人犯などが立て続けに起こってしまえば、一番安心できる自宅に引き籠ってしまうのは道理である。そんな街並みに影が一つ。遠坂 凛である。「今日は冷えるわね………」天気予報によるとここ数日は特に冷え込みが厳しいという。特に今日の夜から明後日の朝まではかなりの冷え込みであり、雪も降るとのこと。「けど、着込むといざって時に動きにくくなるからなぁ」赤いコートを羽織ってはいるが、裾などの隙間から風は入ってくる。時折吹く風が顔にあたれば、耳が痛く感じるほどの寒さ。「だめだめ。これから柳洞寺に行くって言うんだから気合い、いれないとね」一度深呼吸をして気持ちを整える。冷たい空気が肺を見たし、意識をしっかりと覚醒させてくれる。「凛、そろそろ着くぞ」霊体化していたアーチャーが現れる。目の前に見えてきたのは柳洞寺の山道。この頂上にアサシンの佐々木小次郎とキャスター、そして囚われたセイバーがいる。曇り空だった空には月が見えている。この数時間で晴れてきたようだ。そんな月が輝くというのに、見上げる石段は足元すら見えない。地面に蠢く一面の黒色は自然の闇夜が生じさせたものである筈が無い。視覚妨害。認識阻害。空間隔離。常人がここに来ようものなら、足すらも踏み込めずにキャスターの餌食だろう。「ま、当然来ると判ってるんだから妨害はしてくるわよね。慎二なら効くだろうけど、この程度じゃ私は惑わせないわよ」「が、我々にはキャスターの前にその狗がいるということは忘れていまい?」「ええ、もちろん覚えてるわよ。準備は万端、あとは………」行く道は高く厳しい。勝算が低い戦いは避けるに越したことは無いが、撤退を選んだところで事態は好転などしない。むしろ時間を空ければ空けるほど悪化の一途を辿る事になりかねない。「アーチャー、貴方に頼ることになる。言ったわよね、私が呼び出した貴方が弱い筈がないって」凛の真摯な瞳がアーチャーを映す。ここから先は無傷でいけるなどと凛は思っていない。それはアーチャーとて同じように思っているだろう。「なら信じさせて、アーチャー。貴方は絶対負けない、絶対ここから一緒に戻ってくるって、約束して」そんな瞳を受けて、アーチャーは不敵に笑ってみせた。そうしていく先を見据えるその視線は、タカの目に相応しい鋭い目となっている。「凛の期待を無碍にするわけがないだろう? この先に待ち受ける敵を圧倒し、最強だということを凛に今こそ示そう」色褪せた記憶。擦り切れた心。理想を貫くと決めたあの日に置き去りにしてきた時の思い出。それらが今頃になって脳裏を掠めたのは何故だろうか。しかし、赤い騎士自身にすら理解の出来ない現象を胸の奥に閉じ込める。────必要ない。信じさせてくれと凛が言った。ならば、その想いに応える為に今宵は、全てを悉く凌駕してみせよう。出迎えるのは骸の一群。天へと昇る石段を埋め尽くす骨造りのゴーレムへと駆け上る。舞うように斬り払い、近づいてくる敵を吹き飛ばし、無数の雑魚を魔術師と弓兵は圧倒していく。砕け散った骨が夜空に消える。埋め尽くされた暗黒は、彼女らの後ろに白い道を築き上げながら上を目指して続いていく。石段を駆け上がり、山門へ残り数メートルと迫ったその時にソレは現れた。アーチャーの剣戟に匹敵する一撃は、目視すら許さないとばかりに無数に振るわれ、白銀の軌跡だけを残して静まり返る山林に風を斬り続ける。周囲に群がる骸を邪魔だと言わんばかりに全てを斬って捨てた侍。慶長の世において敵無しと謳われ、しかし存在すら不確かとされた日本の剣豪。「────佐々木、小次郎」開けた視界には一人の男が立っていた。手にした物干し竿と呼ばれるその長刀は、月の雫を一身に浴びて煌きを誇り続ける。赤い騎士は空を見上げ、紫紺の侍は地上を見下ろす。その立ち位置こそ差はあれど、二人の放つ視線は全く同じ。「く、ははははは」見下げた先にいる訪問者を見て、その後ろに無残に破片となっている骸を見て、そして今自分が斬ってみせた骸の断片を見て、侍は笑う。まるで骸たちがこの戦いのためのお膳立てだとすら思われるこの状況。「何が可笑しい、侍」「侍? 私は侍と呼ばれた記憶など一度もない。ただ刀を振るい続けただけの存在よ」月を背に歌う日本の剣豪の顔に喜色が浮かぶ。待ち望んでいたものがようやくこうして姿を現した。なれば、心躍り胸も高鳴るというもの。自然と笑いが出てくるのも仕方がなかった。加えてお膳立てをするかのような骸の大群とそれらの破片。「だが、だ。それらはこの戦いに不要だ。これ以上のお膳立てなどいらぬ。邪魔立てするようならば………貴様でも斬って捨てるぞ、キャスター」強気な発言。それは絶対的な主従関係に否を唱え、怒りを買い、この身が朽ち果てようと、目前の敵を討ち倒すという決意に他ならない。だからこそ、キャスターの手駒である無数の骨を微塵と化したのだ。この山門を守るのは我独り。数多の屑など無用の長物。信頼など不要。「しかし、我が秘剣に賭けて、この門を潜る事は何人たりとも赦しはしない」返ってくるモノは何もない。それをアサシンは肯定と受け取って再び眼前の敵へと視線を向ける。「………このような俗世に呼び出された我が身を呪ったが、それも今宵まで」長刀をアーチャーへと向け、そして振るう。背後に光る月がアサシンと長刀を照らす。それは暗殺者というカテゴリにはあまりにも相応しくなく、その姿からは一種の美しさすら見て取れる。フォン、という風を斬る音が静かになった山道に響く。聞こえるのは僅かな風の音と、それを受ける木の葉の囁きのみ。「生前では叶わなかった立ち合い。我が秘剣を存分に振舞う事が出来る殺し合いが出来るのならば、ここにいた理由もあるというもの────」故に。「さあ、存分に死合おうぞ、アーチャー。この先に進みたいと言うのであれば、我が秘剣、その身を以って味わうがいい」「────もとより貴様とて倒しゆく存在。アサシン風情が粋がった事を後悔させてやる、………佐々木小次郎。」硬く握り締められた双剣。それに応じる刀もまた長大。敵と認識しあった者同士に、余計な思考など生まれない。──── 一対の刀と長刀、三つの閃光が山道に迸る─────第二節 投影VS燕返し─────「はぁ────!」両手に携えた双剣を構え、一気に駆け上がる一瞬。掌から放たれる円月の軌跡。空を切り、刻み込まれた意思を以って惹かれ合う干将莫耶はアサシン目掛けて飛来する。しかし足は止めず、見下げるアサシンへと駆け上がるアーチャー。その両手には担うべき剣を投擲したソレと、今なお滑空する双剣と、全く同様の双剣を携え、剣豪へと肉薄する。両側から同時刻に襲いかかる双剣。そして眼前より迫りくる敵。ならばここは防戦しかないというのに、しかし日本の剣豪はそれを良しとはしなかった。「!?」アーチャーが攻撃を仕掛けるよりも早く、すでにアサシンは攻撃を完了させていたのだ。飛来し、襲いかかる筈の短剣は両脇の木々に突き刺さっている。「こう見えても空に飛ぶモノを斬るのは得意なのでな、アーチャー」キィン! と。身の丈有り余る長刀を受け流したアーチャーは、無防備になったアサシンへと一気に斬りかかる。あれだけの長刀。なれば身の内に入ってしまえばうまく振るえまい。その考えを元にアサシンを両断せんと刃を奔らせる。が─────「チッ!」懐へ飛び込もうとしたアーチャーよりも早く。その長刀は弧を描きながらアーチャーの侵入を拒んだ。悪態をつかざるを得ない。光が過ぎ去ったかのようにしか感じられないアサシンの剣閃を、手にした双剣で防ぎきり、アーチャーは後退を余儀なくされた。だがそれでも、決定打を与えるためにアサシンへと斬りかかる。剣と刀の切っ先が交差し、火花が飛び散る。幾度にも振るわれる剣線、幾重もの太刀筋。疾風の如きアサシンの刀筋は、柔の剣そのものだ。しなやかな軌跡はアーチャーの剣を悉く避け、受け流し、そしてその速度を増し、突風となってアーチャーへと襲いかかる。対するアーチャーもまた、その長刀を紙一重で躱し、突風の攻撃を弾き、アサシンへと踏み込む。そこに無駄はなく、非の打つ場所などどこにもない。しかしそれでもアサシンには届かない。アサシンの攻撃は曲線を描いている。なれば、直線の攻撃よりも到達速度は遅い筈だというのに、しかしそんな事実は無意味と罵るが如くアサシンの攻撃は直線のソレを防いでいる。長く積み上げてきた戦闘経験が類稀なる才の前に霞み、研ぎ澄まされた五感がなお上回る超感覚にあしらわれる。手にした双剣が、その一閃の前に無為に堕ちていく。「チィ………!」踏み込む足が止まる。否、止まらざるを得ない。自身の技術はそれなりにあると自負しているアーチャー。だが、弧を描くあの長刀の切り替えしに剣が間に合わない。避ける為には一旦退くしかない、と判断したアーチャーは数歩後ろへと交代する。「何がアサシンだ………。貴様の一体どこが暗殺者だというのか」「ふ………なに。もしや私の知らぬところでそういうモノだと言われているやもしれんぞ?」「ふざけろ、佐々木小次郎」そう言って再び両手に握った刀を投擲する。先ほどと同じ軌跡。「無駄なことを………。何度やったところで私には届かん」「ならその倍はどうだ?」直後。再び現れたその双剣をアサシン目掛けて弧を描くように飛行していく。空中に舞う剣は計四つ。その全てが互いを引き合わせる形でアサシンへと斬りかかる。そして同時にアーチャーも足は止めていない。手に握られたソレは投擲した剣よりも数倍大きい。しかし、その色合いだけは全く違わずアサシンへと斬りかかる。先ほどの倍。加えて襲いかかるアーチャーの刀身もその威力も、その速度も先ほどよりも上。だというのに。「この程度ならば………燕を斬る方がまだ難儀するぞ、アーチャー」一瞬にして空間に二つの妖しい閃光が迸った。それに驚愕したのもつかの間、攻撃を仕掛けようとしたアーチャーが防衛させられているという事実が凛の眼前につきつけられた。「チッ………!貴様、何の魔術行使も無しに多重次元屈折現象キシュア・ゼルレッチを引き起こせるのか………!」忌々しげに舌打ちをしながら攻撃を防ぎ後退するアーチャー。対するアサシンは涼しい顔のままだ。「ふ、そのような仰仰しいモノでもない。─────先ほどのは、あくまでも秘剣の途中経過でしかない。人の身でも、刀を振り続けていればいずれ届く道よ」そんなことあるわけがない、と凛は言葉を溢す。もし仮に、振るい続けただけで多重次元屈折現象キシュア・ゼルレッチを使えるのならば、過去に存在した名だたる剣豪たちはみな使えることになる。そしてそうなればセイバーのサーヴァントは一体どうなってしまうのか。悉く多重次元屈折現象キシュア・ゼルレッチを使えるサーヴァントが降臨するだろう。「それこそ笑えん冗談だな、アサシン。その程度の事で到達しうるものなら、誰も苦労などしないだろうよ」「確かにそのような真似は人の業ではないだろう。私自身もそう思っていたのだからな。だが─────」キィン! と静寂した空間に金属音が響き渡る。打ち合うこと数度。放つ攻撃は躱され、受け流され、異常に早い弧の斬撃がアーチャーを後退させる。「一念鬼神に通じるとはこの事よ。そうして私が抱いた下らぬ思いつきは………そうして─────秘剣となった」石段の踊場。距離にして3メートルすらない、その場所で。「なるほど、流石は日本の剣豪………無敵とすら言われた剣士なだけはある。─────果たしてその存在が本物かどうかは別としてもな」奇しくも両者は防戦を得意とするサーヴァント。アサシンは頭上の優位を保ったままで、アーチャーは攻めあぐねる。遥かに遠く、けれど何処までも近いその一歩。絶対的な死地へと踏み込む好機を赤い騎士は生み出すことが未だできていない。守るだけの侍。駆け上がらなければならない弓兵。どちらが有利かと問われれば、誰の目にもアーチャーの不利は揺るがない。しかしこのまま続けても負けはしない。されども勝ち得もしない。「いいように時間を稼がれている、というワケだ。このまま続けても結局状況は動かず、ただただ体力の浪費ばかりを続ける始末。挙句の果てには手遅れとなり、そうなればもはや勝機はない」両手に握った剣を手放し、数歩後ろへ後退する。その姿を見た凛は僅かに首を傾げた。アーチャー? と訴えるその目は、しかし今のアーチャーには届かない。なぜならば。「ああ。────だからこの状況を終わらせてやる」凛に見せるモノは圧倒する自分だけで構わないのだから。だからこそ振り向かない。見せつけるモノは勝利の二文字で構わない。赤い騎士の右腕が上がる。水平に伸ばされた腕。何も掴めない右腕に魔力が集う。それを後方にいた凛は見た。「─────投影、開始トレース・オン」言葉が山道に満ちる。その後に聞こえた驚きなど、今は関係ない。静けさに裏打ちされた無音の世界に赤い騎士の言霊が浮かび上がり、ソレを創り上げる歯車と成りて─────「─────停止解凍フリーズ・アウト」見えない銃に込められた剣は、銀の輝きを見せつけながら無敵の剣豪へと殺到する。「これは………!」ここにきて優雅に振る舞っていたアサシンに緊張が奔る。距離を取ったかと思うと、まるでスコールのような剣の雨。降り注ぐ剣の四を躱し、五を防ぎ、六を叩き落とす。迫る剣はそのどれもが一級品。一撃もらえばそれだけで戦闘不能は目に見えて、その一瞬は勝負の分け目にしては近すぎる。故にアサシンは下段より襲いかかる剣群を逸らす事に終始せざるを得ない。対してアーチャーの後方でソレを眺めていた凛は歯噛みしていた。「アイツ………記憶がないなんて嘘じゃないの」過去尋ねた時は記憶がないと言われ保留していた。だが、このような事をやってのけて記憶がない、などとは言えるはずもない。アーチャーらしからぬ攻撃を主体とする弓兵。だが、今この時はそのような些末事はどうでもよかった。「これなら勝てる」敵の剣戟は届かず、銃よりも速くアサシンへと殺戮のスコールを叩きつける剣はこの狭い空間では避けきれない。ならば正面から相対して打ち払うしか方法はない。事実アサシンは余裕を見せていた表情を置き去りにして、剣を振るい続ける事を余儀なくされている。だというのにあの侍に、緊張は奔っても恐怖は見られない。刹那の好機が訪れるのを待ち、躱し、見切り、ひたすらに刀を振るい続けている。「よく耐えたものだ、日本の剣豪。だが─────」直後、アーチャーの背後に浮かび上がる剣の数は三十。今まで放っていた数が十五に対し、ここにきて倍。流石にこれを防ぐことは不可能。そう確信したアーチャーは最後の号令をかける。「去らばだ─────停止解凍フリーズ・アウト、全投影一斉掃射ソードバレルフルオープン」迫る刃の壁。絶対に捌ききれないと解っている数の剣を目前にしてもなお、アサシンの顔に怯えの色は無い。そこにあるのは────この戦が始まって以来の構えのみ。「燕の次は雨か・・・。なるほど、やってみる価値はあるやもしれんな」魔弾に背を向け、両手の添えられた業物は大地に水平である。美しい刃は消えない輝きを魅せ続ける。その姿は悉く暗殺者からは程遠い。「秘剣─────」立つ場は心配など皆無。踏み外すことも、それを恐れる必要もない。類稀なる才と、血も滲む努力の末に体得した秘奥。燕を地に落とす為だけに創り上げられた、日本の剣豪が体現した幻の刀。「─────燕返し」生まれた軌跡は同時に三閃。全くの同時に生まれる剣筋。一本の刀で一瞬の誤差すらなく三本の軌跡を描く。多重次元屈折現象キシュア・ゼルレッチ。一で全を体現するソレは、降り注ぐ剣の雨を容易に弾き飛ばす。見切り、躱し、防ぎ、叩き落とす。凛はその光景を見て唖然とする。必殺を以ってして放たれた攻撃が、努力と才能、その結晶体によって防がれている。「ケド………」十五を躱し、防ぎ、弾き飛ばした。十を見切り、捌き、叩き落とした。五を見据え、弾き、吹き飛ばした。だが。「─────いくらアンタでも、振り抜いた直後は動けないでしょ」剣は振るという動作を必要とする。それが例え人間離れした業をだったとしても、扱う人間が人間の規格を基礎としているならば。その予備動作、反動動作は消去しきれない。対して、アーチャーの攻撃に動作など必要ない。僅かな差。「ぬっ………ぁぁぁ!?」真横にまで迫ったソレは干将莫邪。一番最初にアサシンが防いでみせた攻撃。アサシンが苦悶を漏らす。固まり動かない身体を無理矢理に酷使して左右より迫る双剣を弾き飛ばす。「そして………無理矢理振り抜いたその体勢では、動くことなどできもしまい」アサシンが左右の双剣に気を取られたその一瞬。アーチャーは石段を駆け上り、アサシンの眼前にまで肉薄していた。振りあがりきった腕。そして振り下ろされる剣。それを。「………おぉぉぉぉっ!」最速の反しで弾き飛ばす。殺った、そう確信するアサシン。再び投影し、襲いかかろうともアサシンの反す速度の方が早い。だが、上に行っていた目線の所為で、下から襲いかかる剣を目視できなかった。アーチャーの剣は双剣。一つを防ごうが、もう一つが対象者に襲いかかる。アサシンの攻撃が一を以ってして全とするならばアーチャーの攻撃は全を以ってして一とする。一撃の中に込められた同時攻撃。連続攻撃をして一撃とする攻撃。一を以ってして防ぎきれなかった刃はアサシンへ襲いかかった。─────第三節 最期は始まり─────「─────こふっ」血飛沫が上がる。漆黒の夜霧を染める、鮮血の泉。絶え間なく吹き出す血が己のものであるとアサシンが理解に至るには、数秒の時を要した。そうして自分が敗北したのを理解したあと「………征け」搾り出すように、アサシンは囁いた。「私ではもう止めることはできない。………征くがいい。そしてお前達が為したことが何を生むのか………それを見届けるがよい」受けた傷は致命傷だというのに、長刀を立ててそれでも倒れないアサシン。それが彼の最期のプライドなのだろうか。そうして交わる視線。だがその間に言葉はない。これ以上の言葉は不要、そう言っているとわかった。「行くぞ、凛。手遅れになる前にキャスターを倒す」アーチャーが背後にいる凛にそう声をかけて石段を上がっていく。日本の剣豪、佐々木小次郎を横目に凛もその後に続いて上がっていく。想像以上に時間をかけてしまったが、果たしてセイバーは無事なのだろうか。◆そして誰もいなくなり、背負い続けた重い枷を降ろすようにゆっくりと。脆くも崩れ落ちるように、アサシンは石段に膝をつく。「─────っ」肺より込み上げる血流を無理矢理に飲み込む。これ以上、自らの戦場を自らの血で染めてしまうのを防ぐために、頑なに耐え続けた。それでも彼の口端には血の道が滴っている。「しかし………」視線を山道の入り口へと落とす。アーチャー達が柳洞寺に入り、その直後に感じた不快感。その正体。「アレはなんだ………」その正体を掴むことができない。だが、ほどなくして理解できた。「………よもや、この期に蛇蝎の類が現れるとはな………」痛覚がなくなり、手足が全く動かなくなった。ぐちゅ、と門番だった体の胴が裂かれ始めた。こうなってしまえば自決すらもできない。ぐちゃっ、と一際大きな音を立てて胴が裂かれた。そこから見えてきた蜘蛛のような異形の腕。骨が軋み、肉が裂け、臓物はとっくの昔に機能を停止している。体の内部から、まったく別の何者かが支配していくような感覚。「………よかろう。この身は既に素晴らしき立ち合いを終えた身。このまま消える定めだった者。好きにするがいい、さ」ただし。「この身は敗れた身。そんな身から這い出る貴様も、勝利などできはしないだろうよ………」あのまま消える事も許されず。自決をすることも許されず。しかしその血肉を蝕まれてなお微笑む慶長の剣豪。壮絶、といえば。その笑みこそが、この異形の生誕を上回る。ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、と。最期に聞こえた言葉が耳障りだったかのように、佐々木小次郎の中から現れたソレは、口を潰した。喉を潰した。頭蓋を砕いた。目玉を抉り取った。そうして完全にソレはそこに現れた。偽りのサーヴァントを血肉とし、その臓腑によりこの世に現れたモノは、紛れもない“暗殺者”のサーヴァント。「キ─────キキ、キキキキキ─────」その産声は蟲に似ている。アーチャーと壮絶な戦いを繰り広げた剣豪の内より溢れ出た蟲は、崩れたその苗床を貪り尽くす。ケラケラと引き裂き、ケラケラと噛み砕く。その都度黒虫は人のカタチを成していき、空白の脳に人のチエが与えられていく。斬られた肉は軟らかいのか、はたまた先ほどの言葉が気に入らない所為で力が籠っているのか。半刻はかかるであろうソレを、さらに短い時間で綺麗に何もかもを啜り上げ、石段には跡形もなく、“佐々木小次郎”は完全に消滅した。自らの生誕を祝う様に空を見上げれば、浩々と輝く月輪と雲。周囲からは蟲の合唱が聞こえてくる。全てが終わった山道。それに貪りつくハイエナの如く現れたソレ。そうして生まれたソレ。─────黒い世界に、白い髑髏が嗤っていた。