第27話 世界─────第一節 見極める─────禍々しい魔力の奔流が保健室を埋め尽くす。その異常をいち早く掴み取った凛は「アーチャー!キャスターを早く!」魔力の奔流によって一瞬足を止めたアーチャーに指示を出していた。しかしアーチャーはその指示を聞いていない。否、聞く必要などなかった。指示される前にすでに動き始めていたのだから。「チッ!」赤い光の中、聞こえてきたその舌打ちは一体誰に対して向けられたものだったのか。「キャスター!」その行動は速かった。その手に握った短剣で首を刎ねるという行為。その行為の中に無駄な動きは一切無い。完璧なる一閃。次の瞬間にはセイバーに短刀を突き刺したキャスターの首は地面に落ちる。そう確信した。だが。「!?」その一閃はキャスターの首を刎ねるどころか、届きすらしなかった。疾走。停止。一撃。踏み込む速度、足捌き、横一閃に振り抜いた剣に是非はなかった。ならば。何故その手に短剣が握られていないのか。何故握られていた短剣が士郎の傍に突き刺さっているのか。剣を振り抜いた姿勢のまま、アーチャーは自分の短剣を弾き飛ばした敵の姿を見た。「─────踏み込みはよかった。だが甘かったな、アーチャーのサーヴァント。………そちらが一人ではないように、こちらも生憎と一人ではないのでな」 一体この保健室の何処に居たというのか。突然その人間は現れた。「なっ─────葛木………!?」葛木宋一郎。それが士郎達の目の前に現れた人間の名前だった。「人間風情が………!」弾かれた手に短剣が握られていた。真横に迫っていた宗一郎を両断せんと一撃を加える。「令呪を以って命ずる。セイバー、アーチャーとその小娘を殺しなさい」その言葉は今までの何よりも早かった。キャスターの言葉を聞いたアーチャーは、宗一郎に振り下ろそうとしていた剣を、身体を捻りながら背後へと振り落した。短剣と不可視の剣がぶつかる。響く剣と剣の音。その剣を持つ両者ともが、苦虫を潰したような表情をしている。セイバーは必至に令呪に抗うため、アーチャーは斬り殺そうとしている不可視の剣を止める為に力を注ぎこんでいた。だが、体勢が違う。背後から斬りかかってくるために無理矢理方向転換したアーチャーでは踏ん張りが効かない。均衡は崩れ、アーチャーは保健室の壁の向こうへと吹き飛ばされた。「宗一郎………出てこなくとも私が………」「だろうな。だが─────」「─────投影、開始トレース・オン」両手に姿を得たモノは干将莫邪。その得物を以ってして、令呪を奪い去ったキャスターへと肉薄する。「─────異能は、同じ異能に任せてもらうぞ………キャスター」「ッ!?」放たれる拳の数は三十。その全てを陽剣干将と陰剣莫邪の二刀で防ぐ。拳と剣の打ち合いだというのに、鳴り響く音は金属音。宗一郎の拳には切り傷一つ存在していない。「まさか─────強化の魔術を………っ!?」「そういうことだ。………そういう貴様こそ同じだろう、衛宮。なにせ、鞄に大穴が空くまで強化をしていたのだからな」「ッ………、そうか。見つからないと思ったらアンタが…………!」的確に急所を突いてくる拳を双剣で防いでいた。打ち合う度に左手足の感覚が無くなっていく。その光景を歯を食い縛り眺める金髪の少女。「ぐ………」「それにしても驚いた…………。セイバーの対魔力は令呪の縛りにすら抗うなんてね」苦悶の表情を見せるセイバーを眺めながら、宗一郎と間合いが離れた士郎に向けて手を翳した。その手に光源が宿る。「宗一郎、少し離れてください。…………病風アエロー」放たれた魔弾。それは寸分違わずに士郎へと直撃する。ドォン!という爆発音が部屋に響く。直撃。─────だが、それを凛がカバーするように防いでいた。「─────お生憎様、こっちも一人じゃないのよ。その程度の魔術なら私だって防げるわよ、キャスター」「………………そう、なら防げない魔術をお見舞いしてあげましょうか」「待て、キャスター」間合いを離した宗一郎がキャスターの横に居た。足元で膝をついて令呪に抵抗しているセイバーを一瞥し、隣にいるキャスターに声をかける。「ここは一旦退く。当初の目的は達成した。セイバーが手駒に成りきっていない以上、アーチャーの足止めは期待できない」「宗一郎…………いえ、しかし」「ここで無理をすれば、後に響く。セイバーを奪った時点で我々の勝利なのだろう? ならば体勢を盤石にすればいい。攻め入るのはそれからでも問題はないだろう」その言葉を聞いて少しの思案の後。ゆらり、と壁の向こうに現れたシルエットを見てキャスターは紫紺のローブを大きく翻した。「セイバーの対魔力は想定外だったわ。けど、ここで無理をする必要はない。……………宗一郎、貴方もいる事ですしね」ローブがキャスター、宗一郎、そしてセイバーを包みこんで消えた。その後には何も残ってはいない。本当に魔法の様に消え去ってしまっていた。「…………」肩で息をしながら、重くなった左手足を引き摺って床に寝かせた鐘の元へ行き様子を伺う。見た目は特に何の変化もみられなかった。その様子を見て一安心するも、気を緩めるわけにはいかない。「遠坂、美綴の様子を診てやってくれ。とりあえずできる範囲での応急処置はしたつもりだけど遠坂の治療がないと危ない」「…………言いたい事と聞きたい事はたくさんあるけど、そうね。じゃあ綾子の様子を診るから士郎は教会の方に連絡入れて頂戴。キャスターについては一段落してから考えましょう。氷室さんの様子も診るから隣のベッドに移して」凛の指示を受けて、床に寝かせていた鐘を抱いてベッドの上に移す。ふと、視界の中に飛び込んできた写真を素早く掴んでポケットの中に突っ込む。そして教会に連絡を取る為に足を引き摺りながら、保健室を後にしようと出口へ向かう。「士郎? 左足、怪我したの?」「ん…………ああ。ちょっと重いだけだ。多分動きすぎた所為だと思う。俺は大丈夫だから遠坂は美綴と氷室を診てやってくれ」そう言って保健室を後にした。左手足の感覚は戻らず、地面を踏んでいる感覚がない。耳鳴りもしてその所為で頭痛もする。「………流石に─────強化魔術の使いすぎか」今思えばサーヴァント相手にあれだけの戦闘をやってのけた。それでも勝つ事はできなかったが、その速度はライダーのマスター、慎二が驚くような速度である。しかし当然、その分の負担は身体に返ってくる。激しい運動は体力を大幅に奪い、全身を筋肉痛にさせる。左足を引き摺りながら周囲に倒れている生徒達を見る。みな意識は失っているが、思ったよりも症状は軽い。凛が一階にあった結界の核となる基点を破壊したことによる出力低下、そして早期の結界解除が功を奏した。「公衆電話…………、こういう時にまでお金とらなくたっていいだろうにさ」非常時なら例え公衆電話でも警察や救急車は呼べる。しかしこれから電話をする先は教会なので十円硬貨を投入するしかない。ポケットに右手を入れて財布を取り出し、小銭入れのチャックを開ける。当然左手で中の十円硬貨を取り出そうとするのだが─────「あれ…………」掴めない。掴んだと思ったら硬貨は元あった場所へと落ちてしまう。「だめだ………重症か」そう一人呟いて財布を左手に持ち変える。が、次はそのサイフごと床に落としてしまう。音を立てて硬貨が床へ転がる。「ああ、クソ─────」鈍い左足に気を付けながら十円硬貨だけを先に拾い上げて投入口へ。うろ覚えの電話番号を押して右手で受話器を耳に当てる。『こちらは言峰教会だが─────』聞き覚えのある声が聞こえてきた。言峰 綺礼である。「言峰か。衛宮士郎だ」『ほう。どうした、衛宮士郎。電話で悩みの相談か?しかしそれは感心しないな。話したい事があるなら、直接ここにきて相談したらどうだ?』「誰がお前に相談なんかするかよ。それにお前に相談する悩みなんてない。─────電話したのは聖杯戦争絡みのことだ」『そうか。─────で、貴様はサーヴァントを失ったということか、衛宮士郎』「っ─────」その言葉が少なくとも現時点では当たっているために言い返すことはできない。『ふむ………、まさか本当に失っているとはな。なら、保護を願い出てくるか?』「俺はまだ諦めていない。だから保護なんて求めない。それに電話したのは俺の事を報告するためじゃない。学校の被害のフォローのために連絡を入れたんだ」『…………ふ、学校で戦闘しているという報告は受けていた。周辺住民からの電話も警察などにあったらしいからな、こちらも既に手は打ってある』「─────そうかよ。というかわかってたなら最初からそれを言え」『最初に用件を言わなかった貴様が悪いのだろう、衛宮士郎』その言葉に苛立ちを覚えつつも、落ち着いて対応する。「用件はそれだけだ。─────学校のフォローはよろしく頼んだぞ」そう言って受話器をきった。はぁ、と一息ついて床に散らばった小銭を拾い始める。と、そこへ言峰 綺礼並みかそれ以上にソリが合わない人物が立っていた。「…………なんだよ」「ふん、小銭如き拾うのを難儀している貴様を笑いにきたのだ、衛宮士郎」なんでこうも人の気を逆なでする奴が周囲にいるのだろうか、などと思いながら無視する。両手で小銭を拾っていくが、やはり左手だけはうまく拾うことができない。拾っては落とすの繰り返しである。「左手足を怪我でもしたのか?……………いや、違うな。おそらくは左手足の感覚がズレている。そうだろう、衛宮士郎」「─────」その言葉を聞いて息を呑んだ。確かに外見から見ても様子はおかしく見えるだろう。しかしそれが“感覚がズレている”などと正確に的を得た表現をしてくるとは普通は思わない。「体を見せてみろ。………手遅れでなければいいがな」「手遅れって………何がだよ」「それくらい今の自身の身体に訊いてみたらどうだ。そら、背中を向けろ」「─────」とりあえず背中を見せるように上着を上げる。その背中に無言でアーチャーが手を当ててきた。「っ─────」奔る痛み。その後にやってくる熱を感じることができた。「………これは驚いたな。貴様、私の刀を“一体何回投影した?”一回程度ではここまでひどくはならないハズだ」「ひどく………?─────回数は覚えてない。戦いの中で何度も投影したからな」「戦闘中に何度も投影した、と?………なるほど、ならば“神経が焼付く寸前まで投影しても気が付かない”訳か。合点がいったよ」「…………おい。俺はまだちゃんと理解できてない」士郎の言葉を聞いて、顔を見るアーチャーだったが次にはやれやれ、といった面持ちで口を開いた。「貴様の全ての区画の魔術回路に風が通っている。その中には今まで使われていなかった魔術回路もあったハズだ。その魔術回路に風が通ったことで体が“驚いた”状態になったのだろう。………そこで投影を終えていればほとんど影響はなかった筈だ。だが貴様はその“驚いた”状態のまま回路を酷使し続けた。結果、まだ完全に馴染んでいない回路は術者に負担をかけ、左手足の感覚がおかしくなるという症状を生み出した。こんなところだろう」「─────じゃあ俺がそのまま魔術を使い続けたどうなってたんだ」「“どうにもならなくなっていた”●●●●●●●●●●●●●。回路である神経は焼け切れ、左手足は完全に感覚を失い、歩くことすらままならなくなっていただろうな。────ふ、よかったじゃないか。そうなる前にキャスターが退いてくれて。感謝するんだな、キャスターのマスターに」「………っ!なんでキャスター達に感謝する必要があるんだよ」「でなければ貴様は自分を自分の手で潰していた。それくらいもわからんか、小僧が。そうなれば何も守れなくなるぞ」アーチャーと士郎が互いを睨む。そうして数刻が過ぎようとしたが、先に視線を切ったのはアーチャーだった。「………とはいえ、私も驚いてはいる。悉く“私の知る衛宮士郎”から明らかに外れているのだからな」「お前の知る………? 外れてるってどういうことだ」「貴様に言っても始まらんよ。むしろ褒めてすらいるのだ、素直に喜んでいろ」「………そんな言い方されて喜ぶ馬鹿がいるか、バカ」「黙れ、貴様に言われると自分の馬鹿さ加減に頭を痛めるわ、馬鹿が。………ともあれ、だからと言って私の目的は変わらないのだがな。もう少しだけ見極める。それだけは覚えておけ、衛宮士郎」「お前、自分が馬鹿だって言いながら人を馬鹿呼ばわりするのか………!ああ、どうぞ見極めてくれ。お前が見極めたところでお前の馬鹿は変わらないだろうからな」「ガキか、貴様は。────もういい、私は凛の元へ戻る。せいぜいその魔術回路が治りきるまでは魔術を使う場面に遭遇しないように願うのだな。さっき言った通り、取り返しがつかなくなるぞ」「お前に言われる筋合いはない。さっさと遠坂のところに戻ってろ」消える背中にそう文句を言って小銭を拾い集め終える。財布の蓋をしめてポケットへ戻す。と………「…………」右手にあたった紙の感覚を頼りにそれを引き出した。手にとってソレを眺める。何度見ても同じ。何度見ても同じ。何度見ても同じ。そこに写っていたのは間違いなく自分である。灰色長髪の麦わら帽子を被った女の子と手を繋いで笑いながら歩いている写真。「─────っ」電流を流されたように、意識が飛びかけた。ズキン、と頭が痛む。感覚が少しだけマシになった左足を引き摺りながら保健室へと戻って行った。─────第二節 戦闘準備─────敵がいなくなった保健室は壁に穴が開いていたり、窓ガラスが割れていたり、床には瓦礫やビンの破片が散乱していたりと酷い有様だった。二つあるベッドにそれぞれ綾子と鐘を寝かせている。「遠坂、美綴は大丈夫か………?」「ええ、見た目は酷かったけど幸い傷は浅いわ。傷も完全に消し去ることができるから大丈夫よ。ただ体力はかなり奪われちゃってるからしばらくは安静にしておく必要があるけどね」「そうか………よかった」安堵の息を漏らす。士郎が見た彼女の傷は刀傷にも似た傷だったので、いろいろと心配していた。傷の深さや具合の程度はもちろん、その傷が体に残ってしまうようではこの先いろいろと大変なのではないか、など。しかしその心配は杞憂に終わったのだから素直に安堵したのだった。「氷室さんの方も目立った外傷は無し。………脳も一応調べたけど、異常は特に感知されなかった。恐らくショックで気を失ったんだと思う」「………そうか」手前のベッドに寝ている鐘の顔を見る。その寝顔からは苦悶の様子や危険な様子など窺うことはできない。凛の言う通り気を失っているだけだろう。「士郎………」「ん?」凛が士郎に声をかけてきた。その顔は少し曇っていた。「なんだ? 遠坂、何か必要な物あるなら言ってくれ。用意するからさ」「─────ううん、何でもない」何かを振り切るようにそう答えたあと、再び士郎、と呼んだ。「アンタ、なんでキャスターの短刀が魔術破りだってわかったの?」「なんでって言われても………そう感じたから、としか言えないんだが」「…………なにソレ。つまり直感だったってワケ?─────まあそうだとしても結果的に合ってたから別にいいけど」口に手を当てて一人思案に耽る凛。士郎もまた、奪われたセイバーをどう助け出すかを考えていた。「アーチャー、今夜柳洞寺に攻め込むわよ」と、唐突にアーチャーに話しかけた。「それは構わんが、正気か? あの山は鬼門だと言ったのは君ではなかったか?」「ええ。けど、セイバーが耐えている今がチャンス。逆にセイバーが陥落してしまったらもう手をつけられなくなる。それこそバーサーカー並かそれ以上にね。そうなる前にキャスターを倒すわよ」ランサーを追っていたが見つけられず、新都から深山町へ戻る際に出会ったサーヴァント、バーサーカー。戦闘になったが当の相手がそれほど乗り気でなく、しかしそれでも周囲にかなり被害を出して戦闘は終わった。それに、と呟いて凛はポケットの中にあった宝石を手に取った。その宝石は赤く、少し大きめの綺麗な宝石。それを見たアーチャーは、少し思案した後に「…………勝機はある、と?」と尋ねてきた。「葛木先生を狙う。いくらキャスターとはいえマスターである葛木先生は守らざるを得ない。定石通りマスターを狙う事でキャスターの行動を単調化させて一気に潰す。その間も私は葛木先生を中距離からガンドで狙い続ける。で、隙あれば取り押さえて令呪を消させる。………素直に消してくれるとは思えないけど、取り押さえすれば何とかなるでしょう」「待ってくれ、遠坂。俺も─────」「あんたは却下。第一マスターですらない貴方が戦う理由なんてないのよ?」「けど俺は一度戦うって決めたんだ。なら最後まで戦うのが………」「セイバーを取り戻そうとしてその結果半身が動かなくなってもいいっていうの?」「っ…………!?」「アーチャーに確認させたのよ。で、聞いてみたら神経焼き切れかけてたって? 身に合わない投影魔術を連発した所為で。綾子もしばらく安静が必要だけど、アンタも絶対安静が必要なのよ、わかる?」返答に窮する士郎。確かに左手足の反応はまだ鈍いままである。「けどセイバーだって放っておけない、セイバーは嫌がってた。それを放っておくなんて………」 「セイバーがどうのってマスターじゃなくなった貴方には関係ないでしょう。─────それにね“衛宮くん”●●●●。戦えない貴方は無力なの。今の貴方じゃセイバーは助けられない。どれだけ投影とか強化してもアーチャーの言った通りそれが致命傷に至ってしまうならこっちが迷惑するだけよ。それに百歩譲って衛宮くん自身がセイバーを助け出せたとしても、その結果半身動かなくなりました、じゃ結局セイバーのお荷物になるってことくらいわからない?」凛はセイバーの力による士郎の治癒を知らない。それを知る士郎もそれがセイバーによるものだということを理解できていなかった。「─────!」歯を食い縛る。しかしそれに対して熱は冷めていく。無力。戦えない。戦力にならない。助けられない。迷惑をかけるだけ。「それでも…………俺は─────」けれどもこのままでは終われない。今の士郎は何もしていない。綾子を助けたものの怪我をさせてしまい、鐘は捕まってしまっていた。せめて、セイバーを助け出すぐらいはしたかった。「………ここまで言ってもわからないなら─────」いつの間にか近づいてきていた凛が指を突き立てていた。「え─────」「しばらく眠ってなさい、衛宮くん。貴方の半身を使用不能にさせるのはあの子にも申し訳ないし、私だって嫌だからね。幸い数日すれば元に戻るのだからそれまでは大人しくしてなさい」ドン! とガンドが打ちこまれ、意識は完全にブラックアウトした。床に倒れこむ士郎。その拍子で彼のポケットに入っていた写真がおちた。「─────それにね、私は守るために協力関係になったのよ、衛宮くん。貴方を、貴方の過去を壊すために協力関係になったんじゃないの」床に落ちる写真を見つめながら、小さく凛は呟いたのだった。◇夕方の衛宮邸。教会のフォローに学校を任せて、遠坂 凛は三人を連れて家に帰ってきていた。綾子、鐘の容体は安定している。衛宮士郎はガンドを受けて大人しく風邪を引いたような状態になっていた。二日程度寝込むほどの呪いをその身に打ち込んだのだった。しかし二日というのはマスターにとっては致命的でもある。「さて、凛。これからどうする。ライダーも仕留めていないが」「ライダーに関してはもうほとんど脅威にもならないでしょう。強さ的に言ってもアーチャーの方が強いし、慎二に至っては知識があるだけの素人。加えて疲弊しているから当分は大人しくなると見ていい」「しかしああいう奴は、何をするかわからんぞ? またどこかで結界を張るやもしれん」「さすがにそれはもうないでしょう。ただでさえ学校の結界をうまく隠すことすらできていないんですもの。街に張ったってすぐにわかるわよ。それにそんなことをすればいよいよ協会が黙っちゃいない。協会を相手どることがどれだけ無謀かぐらいは慎二も理解してるでしょうからね」紅茶を用意したアーチャーがカップを差し出す。それに軽く礼を言ってゆっくりと、温かい紅茶を飲んでいく。「では、当面はキャスター一択でいくというわけだな。───それはいいがどうする。あの柳洞寺にはアサシンもいるのだろう。セイバーが仮にまだ抵抗していたとしても2対1だ。不利な状況に変わりはないが」「アサシン…………佐々木小次郎。日本の剣豪が、なんで暗殺者なんていうクラスにいるのか、それがわからないのよね。そもそもいたかどうかすら怪しい人物だっていうのに」「架空の英霊に不適切なクラスの割り当て。ここから考えられるのは大よそルールが破られたことによる異変、と見ていいのではないか、凛」「ルールが破られた………? それってどういう意味?」紅茶を飲み干した凛が、さらに紅茶を入れる為にカップに漱いでいく。そんな凛の元に菓子を用意しながらアーチャーは続ける。「サーヴァントを呼び出すのは魔術師。ならば、魔術師のサーヴァントであるキャスターが呼び出せることも一応は可能だろう」「…………考えられなくはないけど。それってどうなの? 令呪がキャスターに宿るとは思えないのだけど」「その点に関しては私も同感だが、かといってこの異常で考えられる原因はそれ以外には考えられん。もとより契約すらも打ち破る能力を有する者だ。不可能ではないだろう」「キャスターがアサシンの本来のマスターを襲って────とも考えられたけどそれじゃ佐々木小次郎がアサシンとしている異常の説明にもならない。サーヴァントがサーヴァントを召喚する………、確かにそれなら何かの不都合が起きてもおかしくはない、か」菓子を頬張りながら考えに耽る。そんな彼女を横目に立ちながらアーチャーも自身が入れた紅茶を優雅に飲みながら会話を続ける。「セイバーを筆頭にライダー、ランサーは対魔力が高い。魔術師であるキャスターでは苦戦するのは必至。なればこその策略。アサシンの召喚、街からの魔力収集、街を眼で観察、城を構える、人質を利用したサーヴァントの奪取。そう考えれば納得もいく」「………ケド、それは同時にある点を露呈してもいる。」「ああ、策略に走る。それはつまり正面切っての戦いにはキャスター自身が強くないことを示す。力を持つならばそのような回りくどいことなどしないだろうからな」「となれば、作戦は一つ。…………キャスターに小細工させないように速攻で叩き潰す。セイバーの抵抗もまだ今夜は保ってるハズ。仕掛けるならやっぱり今夜ね」紅茶を飲み干した凛はポケットに手をやり、大きめの赤い宝石を取り出した。「もうそろそろ出番かな。…………アーチャー、準備に一旦家に戻るわ。ついてきて」─────第三節 灰色の世界─────夏。──────────冬。そこは公園だった。 ──────────そこは瓦礫の山だった。空は青く、遠くに入道雲も見える。──────────空は赤く、遠くには見覚えのない太陽も見える。典型的な夏の空。──────────想像し得る地獄絵図。みーんみーん、と鳴く蝉がうるさい。──────────ごうごう、と燃え盛る炎の音がうるさい。大きな木が何本もあり、そこにいる蝉達が夏を喜ぶかのように大合唱をしている。──────────大きな瓦礫の山がいくつもあり、その下にいる人たちが嘆くように助けを求めている。音なんて聞こえないのに大合唱をしている。──────────声なんて意味ないのに声をあげている。そんな合唱は無意味だというのに。──────────そんな声は無意味だというのに。熱い。──────────熱い。夏だからだろう、異様に熱い。──────────火事だからだろう。異様に熱い。暑いのではなく、熱い。──────────暑いのではなく、熱い。額も体もおそらく汗だくだろう。──────────手足も体もおそらく傷だらけ。夏なのだから仕方ない、汗が出るの何て当然だ。──────────災害なのだから仕方ない。ボロボロになるのなんて当然だ。不快感を覚える、早くタオルで汗を拭きたい。──────────苦しさを感じる、早く楽になりたい。くらくらする。──────────くらくらする。陽射しに当たりすぎた所為だろう。──────────いろんなものを見た所為だろう。視界が歪んですら見える様だった。──────────視界が真っ暗にすらなりそうだった。頭が痛い。──────────頭が痛い。これが日射病だろうか、なんて他人事のように考えながら木陰に向かって歩く。──────────これから死ぬんだろうか、なんて他人事のように考えながらどこかに向かって歩いていく。もう少し。──────────どこに?もう少しで涼しめる。──────────どこにいけばいい?木陰に入った。──────────倒れた。なのに熱い。──────────まだ熱い。ここでようやく気づく。──────────ここでようやく気づく。外が暑いんじゃなくて、身体そのものが熱いということに。──────────どこに行ったって熱い。なんてまぬけ、と罵る。──────────なんて間抜け、とののしる。逃れる事のできない熱さ、当たり前だ。──────────のがれることのできないあつさ、当然だ。自分の体が熱いのに移動したって熱いのは熱いままなのだから。──────────周りがどこも熱いのに移動したって熱いのは熱いままなのだから。ベンチに寝転がる。──────────仰向けに倒れてる。木陰に入ったというのに全然涼しく感じない。──────────見上げた空は灰色になってきていた。それどころか息苦しさすら感じてくる。──────────それを見て何となく感じた。熱い、と。──────────いいや、と。口に出して言った。言った感覚なんてなかったが。言った。──────────口に出していった。あの灰色は安心できる。雨が降ってくれるから。目の前に、覗き込むように誰かがやってきた。────────目の前に、覗き込むように誰かがやってきた。その人の顔を見る。───────その人の顔を見る。見覚えのある子だった。──────見た事のない人だった。灰色の髪をした女の子。─────ぼさぼさの髪をした男の人。覗き込んだその子の顔は笑っていた。────覗き込んだその人の顔は幸せそうだった。いいなあ、と思う。───いいなあ、と思う。そんな風に笑えたら。──そんな風になれたなら。それはどんなに。─それはどんなに。幸せなのだろうか灰色のセカイ─────降り注ぐ太陽の光─────降り注ぐ雨そこで幸せそうに笑う女の子─────そこで抱きしめてくる男の人いつからだっただろうか─────その子の一緒にいたいと─────その人のようになりたいと一緒になり始めたのは─────後ろを追い続けたのは─────白も黒も内包した色──────────白も黒も内包したセカイ──────────そこで見つけたモノを大切にしようとして、その人に名前を呼ばれた─────『 』名前を呼ばれたような気がした◆「…………」「…………」夜八時。ガンドを受けてから約七時間が経過していた。体が熱い。ガンドの所為だろう。体も鉛のように重い。頭の中はボーっとしているし、視界は霞んだように見通しが悪い。しかしそれでも、目の前で覗き込んでいる人物が一体何者であるかは理解できた。「…………氷室?」「………おはよう、衛宮」おはようなどという時間とは程遠いが、起きた相手にする挨拶はやはり『おはよう』なのだろうか。そんなどうでもいい事を思いながら、重い体を起こしていく。左手足の感覚が未だに鈍い。だが、それ以上に体全体が重いのだから気にすらしなかった。僅かに入り込んでくる月明かりだけが部屋を照らす。薄暗い部屋に無言の時間は続く。呪いが体全体に回り、思考が纏まりにくくなっているというのも原因としてあった。しかしそれ以上に無言にならざるを得ない理由があった。「衛宮、一つ尋ねたい」その静寂を壊さぬようにポツリと声は聞こえてくる。「答えられる範囲なら答える」頭をガンガンと、叩きつけてくる頭痛。そんな中ではっきりと答える。「なぜ、泣いているのだ?」だが、その質問を聞いたときは止まるしかなかった。その質問の回答を静かに待つその傍らで。「なんでだろうな」涙を拭ってそう答えたが、答えは出ていた。衛宮となる前の士郎を構成していた者。誰よりも優しかった誰か。誰よりも温かかった誰か。誰よりも近くにいた誰か。誰よりも笑いあった誰か。両親だった人たちの記憶。親しかった人たちの記憶。「…………あの写真だが」かつての士郎を構成していた者達。その全てを後戻りしないようにと。深い、深い、深い記憶の底へと。伽藍になった胸の奥底へと閉じ込めた。「私はアレを見たことがある」けれど、それは違っていた。閉じ込めることで現実を見つめて、前に進むことなどできない。受け入れた気になっていただけで、完全に受け入れてなどいなかった。『忘れたから仕方がない』と。そう自分に都合のよい嘘をついて、父親となった人物に憧れて前を見ていた。「………私は、アレに写っていた人物を知っている」自分だけが生き残ったから、自分が死んでいった者達を記憶し続けなければいけないと。ただ一人、命を拾った自分が、彼らの死を受け持つのは当然だと思ったから。だから必死に父親となった者の後を追ってきた。救えなかった多くの命のために、“誰かを救う”という正義の味方に憧れた。自分だったものなど、助けを無視するたびに消えていった。「………私は、その子が、どんな子供だったか知っている」けれど、それは違った。あの夢はそれを判らせた。「───私は………その子がどんな姿になっているかも知っている」死んでいった者達の代わりに、胸を張って前に進むことだけを考えていた。だから他の事など思い返す余裕はなかった。だから閉じた。それは──────────間違いだった辛い日々を過ごしていた者が隣にいる。だというのに、受け入れずに閉じ込めたまま、無かったことしてしまうと。その者の想いは一体どこへと向かうのだろう。「私は………………」行き着く先は忘却だ「俺は」衛宮士郎が衛宮切嗣との思い出に守られているように。隣にいた者も士郎との思い出に守られていた筈だ。なのに、その自分がその思い出を閉じ込め続けたら、一体その人の思い出はどこへ行くのか。同じ思い出を共有してくれる人がいる。それは一体どれだけの安心を与えるのだろうか。「え───」過ちを戻すことはできず、死者は蘇らず、現実は覆らず、時間は元に戻らない。その痛みと重さを抱えて生きていくことこそが、過去という現実を受け止めて前へと進むことこそが。思い出を形成していく。そして、思い出は礎となって、今を生きている人間を変えていく。たとえそれがいずれ忘れる記憶であったとしても、受け入れずに封印し続けることが正しい道ではない。だから。この窓を開ける。開いて、受け入れて、理解して。あの日の思い出を受け入れて。もう一度胸を張って生きよう。「全部知ってる、氷室」そしてその上で自分の道を行く。自分が憧れた者のために、自分が立てた誓いのために。自分を想ってくれる人のために。「衛宮─────」守りたい人のために。だから─────今はこの温かさを大切にしよう忘れたわけじゃなかった。ただ、受け入れる事に抵抗があって。ずっと閉じ込めていただけだった。灰色の世界を、月夜が照らしていく─────