第26話 戦場という複雑な盤─────第一節 果たせなかったもの─────地上一階、校舎の外。落下した屋上から見えない位置に着地したセイバー。続けてその腕に抱えていた士郎と綾子を降ろす。令呪による空間転移。それは文字通り魔法の類だった。空間を割ったかのように甲冑姿のセイバーが現れ、落下していく二人を受け止めて退避。見事危機を脱するが、しかし息つく暇などない。「おい、美綴!」士郎の両腕に抱えられている綾子。その意識は朦朧として、頭部と腹部からは出血が確認できる。「シロウ、これは!?」突然呼び出されたセイバーはまだしっかりと状況が把握できていない。ただ、この事態が異常だということははっきりと認識できる。「学校にあった結界、あれが発動した。屋上に結界を張ったヤツがいる」「学校の結界が………。では、アヤコのこの傷も………?」「ああ、ソイツにつけられた」まだ辛うじて意識のある綾子に細心の注意を払いながら傷の状態を確かめる。士郎の左手は風穴があいているので間違っても彼女の傷口に触れてはいけない。唯一無事である右手を使い、まずは頭部の傷の状態を確かめるため髪に触れる。「こっちはまだ………浅いか」踏みつけによる傷は地面との接触だけで済んでいる。だが、頭部の傷だけでは脳へのダメージは判断できない。医療の知識がない士郎でも、それくらいはわかる。故に安心できる理由などどこにもなかった。また、綾子の意識が朦朧としているという事実が士郎の不安に拍車をかけていた。「美綴、ちょっと恥ずかしいかもしれないけど我慢してくれ」そう声をかけた士郎だったが、返事は返ってこない。そんな状況により一層の焦燥感を覚えながら、血が滲み出ている腹部の傷を確認する。傷に触れないよう、痛みを与えないように丁寧にボタンを一つずつ外していく。胸は見えないように、腹部辺りまでのボタンを外して傷を見る。「これは………」「っ………!」セイバーと士郎が目の当たりにしたのは腹部の右下から腹部の中央まで──確認こそできないが、恐らく胸の中央部まで──のびる生々しい傷。一目みてわかる。これは決して普通の女子高生が受けていい傷ではない。「セイバー、遠坂を………」そう言いかけた時、頭上で地響きのような音が聞こえた。ドン! という音が連続再生されたかのように頭上から響いてくる。それは戦闘音に相応しいものだった。そしてそれを意味するものは「遠坂とアーチャーが屋上で戦っているのか………」「その様です。屋上に二体のサーヴァントの反応があります、間違いないでしょう」頭上から響いてくる音を聞きながら、どうするべきかを考える。そうして士郎が下した判断は「セイバー。屋上に行って、遠坂たちを援護してきてくれ。で、戦いが終わったらすぐに保健室にくるように伝えてくれないか」戦いの早期終結だった。結界の解除と綾子の手当。どちらも先延ばしにしていい問題ではない。故に戦力を投入し迅速に戦いを終わらせる事こそが両方を救うことへとつながる。「わかりました」士郎の意図を掴みとったセイバーは短く返答し、壁を駆けていく。セイバーの姿があっという間に屋上へと消え、士郎も再び綾子を両腕で抱えて振動を与えないように保健室へと向かう。「俺は………守るって、言いながら………!!」走るワケにはいかず、しかしゆっくりしている余裕などない。保健室への最短経路を通って、学校内へと足を踏み入れる。―Interlude In―(どうして………)あたしは─────あたしを抱えている人の顔を見ながら、静かに思う。(こんなことに………なっちゃったんだろう、な)まだ冬の寒さが残る二月であっても、この瞬間だけは異様なまでに熱い。自身の体が脈打つのがよくわかる。胸の真ん中からお腹の下まで、一気に斬り裂かれた。そんな感覚だった。痛みの感覚はもう通り過ぎて、逆に麻痺したように何も感じなくなってきている。その所為だろうか。周囲を見る余裕がでてきてしまっている。赤い世界。倒れている人。呻き声を出している生徒。そんな状況を見て、思考が壊れてしまいそうになる。ああ、これならいっその事気を失ってしまえばよかったとすら思う。自分はもっとひどい状況にあるにもかかわらず、だ。けど。それ以上に、痛い現実が、あたしの目の前にあった。「俺は………守るって、言いながら………!!」そう、声が聞こえる。それは、あたしを傷つけた慎二に言う言葉ではなく、ここにいない遠坂に言ったモノでもない。あたしに言った言葉ではないし、駆けて行ったセイバーさんに宛てた言葉でもなかった。─────違うそう言いたかった。─────あんたが悪いんじゃないそう言いたかった。けど、言えない。声が出ない。その言葉以降、あたしに聞こえてくる言葉はなかった。代わりに、あたしを運んでくれている腕が、僅かに、ほんのわずかに、震えているのが分かった。あたしを抱いてくれている手の力が、少しだけ、ほんのすこしだけ、力が入るのがわかった。─────どうしてこの世界は、都合の悪い事ばかり起きるんだろう。自分の力で自分を守れたなら、こんなことにはならなかった。違う。違わないけど、違う。せめて。そう、せめて。せめて、声を出せたなら。たった一度でいいから、声を出せたなら。─────ありがとう、って言えば、あいつは。これほど自分を攻めるなんて、しないハズなのに。この唇は、ぜんぜん開かないし。 この舌は、ぜんぜん動かないし。 この喉は、ぜんぜん声を出してくれない。本当に─────目の前が歪む。目の前がぼやける。「………美綴?」声が聞こえた。なに? って、言いたい。「………ごめん、もうすぐで保健室に着くから。遠坂もすぐに来てくれる。アイツなら、美綴の傷も痛みも治してくれる筈だ。もうちょっとだけ、我慢してくれ」なんでそんな事言うんだ、って思った。けど、それはすぐにわかった。今、わたしがどういう状況になっているかなんて、すぐにわかった。違う─────あたしは、痛みで泣いてるんじゃない。─────あたしは………─────本当に、どうして、こう都合よくいかないんだろう強く願っても叶わないで。どれだけ力を振り絞っても声の一つも出てはくれない。眠くなってきた。ああ、次は意識がなくなるのか─────何も言えないで、闇におちるのか─────感謝の気持ちすらも示せないで、眠るのか──────────衛宮、ありがとう。絶対に、次起きたら、言ってやるから………な―Interlude Out―─────第二節 第四のサーヴァント─────「クッ………!」アーチャー対ライダー。戦いはアーチャーが有利に進めていた。「足のダメージは少なからず響いているようだな、ライダー」ザン! と勢いよく踏み込みながら、ライダーをその手に持つ双剣で斬りつける。対するライダーはそれを回避することしかできない。足に負った傷と、短剣の実力差。それらを考えると、連続した近接戦は圧倒的に不利である。(ここは退くべきですね………)そう思い、慎二を連れて脱出するべく手段を考える。だがドン! という地響きと共に何かが爆ぜた。しかもそれだけでは終わらずに音は連続再生されていく。「シンジ!?」慎二の周囲が煙で覆われているのを確認し、すぐさま駆けつけようとする。しかし、それを対峙するアーチャーが許す訳もなかった。「どこを見ている」「!」両手に持った短剣でアーチャーの攻撃を防ぎ、鍔迫り合いとなる。だが、アーチャーはそんな事などお構いなしにライダーの腹部目掛けて強烈な蹴りを入れた。「ぐ………!」蹴られた反動で後ろへ吹き飛ばされる。倒れそうになった体勢を整えて再び正面にいるアーチャーを見据えようとしたその時「避けろよ、騎乗兵─────」首を両断せんとする白と黒の短剣が、すぐ左右真横に迫っていた。「なっ!!」驚愕と同時に、体勢を整えようとしていた行動をキャンセルしてそのまま地面に倒れこむ。アーチャーが蹴りを入れたと同時に両手に持っていた双剣を投げていたのだ。ガキン! という音とともにライダーのすぐ頭上で金属音がする。左右真横から襲って来た剣同士がぶつかった音である。回避に成功したライダーは今度こそ、正面にいるアーチャーを見据える。そこに居たのは「ハァァァァァッ!!!」アーチャーの姿ではなく、セイバーだった。「っ!!」もはや何度目の驚愕かもわからぬまま、屋上の床を全霊込めた力で砕いた。振り上げられた不可視の剣がライダーを襲うが、それよりも早くライダーは下の階へ落ちる。「セイバー!?」突然現れたセイバーを見て驚く凛。そんな彼女を見つけたセイバーは要件を素早く言う。「リン、今すぐ保健室へ向かってください!アヤコの容体が危険だ!」「─────!? 綾子が!?」セイバーの言葉を聞いて意味を理解した凛は、セイバーの後ろにいたアーチャーに「アーチャー………後、頼めるわね?」「ああ、問題はない。この程度の相手は私の敵ですらない」アーチャーの声を聞いて、慎二のいた場所に立ち込める煙を一瞥し保健室へ向かうべく走り出した。そんな背中にかけられる声。「僕は─────まだ生きてるぞ………遠坂!」煙を吹き飛ばすかのように煙の中から黒い影が、槍となって凛の背中を刺そうと襲いかかってきた。「チッ!運のいい奴!」右手を強化し、撃ち落とそうとしたが彼女の拳が振るわれることはなかった。アーチャーが短剣の一振りで黒い影を完全に粉砕していたのだ。「何をしている。君が言ったのだぞ、『頼めるか』と。ならばここは任せて早く行け」アーチャーの後ろ姿を見て一瞬止まった凛だったが、すぐさま体を反転させて階段を下りて行った。「で? 貴様は下からの奇襲というわけか………ライダー!」たった一歩のバックステップで数メートル後方にジャンプする。その直後ライダーが短剣を突き出して、下の階より屋上の床を突き破って現れた。「シッ!」空中の僅かな滞空時間の間に横に迫ったセイバーに短剣を投げつける。キィン、という音ともに短剣が弾かれたが、その間に煙が晴れた中にいた慎二の傍へ着地する。「シンジ、大丈夫ですか」ライダーが問いかけるものの、後ろにいる慎二からは荒い息遣いしか返ってこない。慎二の精神的負担はかなりのものだった。慎二の様子を見てこれ以上の戦闘続行は戦力的、体力的に見ても不可能と判断したライダー。だが………「「「!?」」」突如として、屋上にいた3人のサーヴァントが異変を察知した。「アーチャー、これは………」「ああ、私も気が付いた」自分たちの足元、すなわち校舎内に“四体目のサーヴァント”を感知したのだ。そしてそれは校舎内にいるマスター、士郎と凛の危険へとつながる。同時にそれはライダーにとってはチャンスであった。隙が出来れば脱出のチャンスが巡ってくる。「セイバー、君は先に下へ行け」ライダーへ一歩近づいたアーチャーが隣で剣を構えていたセイバーに言う。「は………、いえしかし」「私はここを凛に任されたのだ。そして下には別のサーヴァントがいる。ならば君が行くのは当たり前だろう。それに私は綾子とかいう者と面識はない。私が行くよりはマシだろう」双剣を構えてライダーを見据える。対するライダーも咄嗟の事態に備えている。「私一人で十分だ。それに君のマスターは怪我人を連れているのだろう? 早くサーヴァントが現れたことをマスターに報告するんだな」「………わかりました。この借りは必ず」そう言ってセイバーは屋上より跳び下りていった。階段を使うよりも早く士郎達の元へたどり着けるからだ。「………あなたのマスターはどうするのですか、アーチャー」「なに、私のマスターはセイバーのマスターよりも優秀でね。すでに“先ほど話した”。セイバーのようにわざわざ直接会いに行く必要もないしセイバーのマスターよりも優秀なのでね」「………」屋上に張り詰める緊張感。二人の間合いはそう離れていない。「………こうなっては仕方ありませんね。─────この場は捨てて脱出します、シンジ」「逃げる? この私から逃げることができると?」両手に握っていた短剣を消して、アーチャーが弓を出現させた。アーチャーの射程距離はかなり広範囲まで及ぶ。「ええ、私はライダー。………戦場を駆ける一陣の疾風。貴方如きの矢が私を捉えることは不可能」「─────よく言った。ならば、その身を以って俺の一撃を味わえ、ライダー」声を低くしてアーチャーが矢を出現させる。出現した矢は赤原猟犬フルンディング。追尾する矢である。「いいえ、それは違う」だが、ライダーはその矢を目の当たりにしても平然と言う。その手は自身の眼帯へとのばされていた。同時に学校を覆っていた結界が無くなり、青い空が戻り始めた。「見せてあげましょう………我が宝具を」◆(学校校舎、二階と一階間の階段踊場付近)◆「チッ!アーチャーから聞いたとはいえ………」校舎二階。保健室があるのは一階である。そのため一階へ下りようと走っていたわけだが………「この数、鬱陶しいわね!」凛の行く手を阻むのは大量の竜牙兵。三階に到着した時から現れたソレを破壊しながら下の階へ下りていた。しかもかつて凛が撃破したソレよりもわずかではあるが強化されているのがこの戦闘でわかった。「ケチっていられないか………!Ein KÖrper灰は灰に ist ein KÖrper塵は塵に─────!」手にトパーズを持ち呪文を紡ぐ。彼女の言葉と魔力に反応したトパーズが変化し、発せられた光が周囲にいた竜牙兵を一瞬で消失させた。「この分だと一階にも同じ数………いえ、それ以上いるわね」階段から降りてきた竜牙兵をガンドで撃破しながら一階へ続く階段を下りる。しかし。「やっぱり来るか………!」階段の下から竜牙兵が上がってきた。それと同時に復活した二階からも竜牙兵が下りてくる。階段の踊場で挟み撃ちの格好となる。「ガンドの両手撃ちによる一斉射撃─────」右手を下から上がってくる竜牙兵に、左手を上から下りてくる竜牙兵に向ける。「全力で行くわよ!Fixierung狙え、、EileSalve一斉射撃─────!」直後に階段に鳴り響く銃撃戦の音は、今までのどれよりも発射間隔音が短かった。竜牙兵が強化されたとはいえ、この程度の強化ならば近づかれる前に凛は迎撃できる。加えて中距離戦を行える能力を持っていない竜牙兵は、成す術も無く凛のガンドによって破壊されていくしかなかった。◆(学校校舎、一階 玄関入口)◆「竜牙兵………キャスターか!」不可視の剣を倒れている一般人に当たらぬように振るう。セイバーが振るった場所から斬撃が飛ぶように遠方にいる竜牙兵が微塵に斬り落とされた。「てやあぁぁぁ!」背後より近づいてきた竜牙兵数体を一撃の名の下に叩き潰す。そこに近づいてくるさらに数体の竜牙兵。「はぁっ!」振りかぶり、竜牙兵へ攻撃を仕掛ける。しかしそれを武装した竜牙兵が受け止め、攻撃を流す様に弾く。「なるほど。少しは経験を活かして強化してきましたか。─────しかし!」僅かに身を屈めて、竜牙兵を真っ二つに両断する。そのセイバーの周囲を取り囲むように複数体の竜牙兵が襲いかかってくる。「私を仕留めたいのであれば、この数千倍は連れてくるのだな、キャスター!」竜牙兵の武装ごと叩き潰し、両断する。周囲を囲っていた竜牙兵を一掃したセイバーは保健室へとつながる廊下へと出る。そこにはまるで行く手を阻むかのように大量の竜牙兵の姿があった。「シロウ、無事で………!」ドン! と爆ぜるように突進を開始する。攻撃を仕掛ける竜牙兵は、その攻撃ごと不可視の剣によって破壊され欠片となって潰れていく。◆(学校校舎、一階 保健室内部)◆「─────投影、開始トレース・オン」綾子にできる限りの応急処置を施した士郎のもとに、大量の竜牙兵が雪崩れ込むように保健室へ入ってきた。綾子をベッドに寝かしているため、士郎の戦闘は必然的にベッドへ近づけさせないための戦闘となる。「はぁぁっ!」投影したのは先ほどと同じライダーの短剣。短剣と言っても少し長いため、十分竜牙兵と戦えるほどではあった。加えて自身に強化魔術を施していることもあり、戦いは互角以上であった。ただし。それが一対一であるならば、である。「くっ…………!前よりも強くなってる………!?」しかしそれでも近づいてくる敵を粉砕していく。だが、「ぐっ………!」パキン、と再び壊れてしまう短剣。「構成が甘いのか………!? 違う武器を………!」自分の頭の中にイメージを思い描く。ふと、頭の中に過ったモノ。「─────投影、開始トレース・オン!」出来上がったソレを視認すらせずに振り下ろされた攻撃を受け止めた。キィン!! という金属同士がぶつかり合う音。士郎の両手にはアーチャーの短剣と同じものが握られていた。陽剣干将、陰剣莫邪。総じて干将莫邪。デタラメに複製された剣は、しかしそれでも存在を持ち主に自ら示す。「ああぁぁぁっ!」“いつの間にか左手の風穴が塞がっていた”ことなど知らずに、両手で一対の剣を持ち、近づいてくる敵を叩き斬る。十の攻撃を仕掛けてくるならば、十の手数で迎撃してプラス一で敵を斬る。二十の攻撃を仕掛けてくるならば、二十の手数で迎撃してプラス一で敵を潰す。攻撃を受ける最中に短剣が壊れる。しかしそれに構う暇などない。即座に投影して再び迎撃する。「うおぉぉぉぁぁぁぁぁ!」怒涛の勢いで、近づいてくる竜牙兵を叩き潰す士郎。途中何度も何度も短剣が壊れ、その度に投影して同じ武器を作り出す。その度に体の中がズレていく感覚を覚えたが今はそれどころではない。「ぐっ………!」敵の数が一向に減る気配がないのと、数の多さに圧倒されて後退するのを与儀なくされる。そして、とうとう後ろには引けない場所まで来てしまった。「これ以上は……………」まずい、そう感じた士郎のもとにサーヴァントが到着する。「シロウ!」保健室の入り口付近にいた竜牙兵を一掃し、内部へ突入してきた。「はっ!」即座に周囲にいた竜牙兵を全滅させる。そうして周囲に敵がいなくなったことを確認し、構えを解いた。「ありがとう、セイバー。助かった」「いえ、到着が遅れて申し訳ございませんでした。それで、アヤコの容体の方は………」「ああ。とりあえず応急処置はして眠ってる。けど、遠坂の治療がないとやっぱり安定しない。セイバー、遠坂は?」「さきほど、後方にリンの姿を確認しました。もう間もなく来るはずです」「そうか、じゃあこれで………」美綴は助かる、そう思ったときにそれはやってきた。─────第三節 破戒すべき全ての符ルールブレイカー─────ドォン!! と。まるで地震が起きたかのような揺れが学校を襲った。棚にあった薬などが落ちて、床に薬品が零れ落ちる。「なんだ!?」「この魔力量は………」セイバーが見えぬ屋上を見上げるように天井を睨んだ。俺もまた何が起こったのかを尋ねようとしたが・・・「簡単な話よ、ライダーが宝具を使って学校の一部を破壊しながらこの学校から離脱した。─────ただそれだけよ」「!?」セイバーの声でも遠坂の声でもない、別の何者かの声が聞こえてくる。保健室の一角。そこにいたのはキャスターだった。「─────出たか、キャスター。自ら現れるなど余程の自信があるらしいな」セイバーが不可視の剣を構える。距離にして約数メートル。一瞬で斬りこめる距離だ。「おやめなさい、セイバー。そんな事をしても敗北するのは貴女達のほうなのですから」「大それた自信だ。この私に生半可な魔術は通用しないとわかっているはずだが」「ええ、そうね。けれど貴女に通用しなくとも、その後ろにいる人間には通用するでしょう? それに貴方が私を斬るよりも私が呪文を紡ぐほうが早い。それはわかっているのではなくて?」「お前………!」後ろの人間、というのは勿論俺のことなのだろう。しかしもう一人、それに該当する人物がいる。「それにね、私は貴方達と争いに来たわけじゃないのよ。少し話し合いをしようと思ってね。………この子を含めて」そう言って目の前の空間が歪む。そこに現れたのは─────「…………!」氷室だった。「貴様………!」両手両足を魔力で作り出された縄のようなもので括りつけられている。同様の物が口元にも巻きつけられていた。あれでは身動きがとれないし、しゃべることもできないだろう。「わかったかしら? 手は出さないこと。これが第一の命令。守れない様なら後ろにいる子かこの子のどちらかが二度と立てなくなるでしょうね」「──────────」思考が完全に停止した。怒っている。怒りで視界が真っ赤になるぐらいに怒っていた。だというのに、頭はひどく客観的だった。美綴の件を見たからなのだろうか。怒りが限界以上に達したら冷静になるなどと、今まで知る由もなかった。「わかったかしら? 外にいるお嬢さん。貴女のサーヴァントにもそう伝えておきなさいな」恐らく廊下に遠坂がいるのだろう。声を外に聞こえるように大きくするキャスター。遠坂が保健室内に入ってこないところを見ると、この部屋に結界を張っている、というところか。魔術師のサーヴァントが張った結界を解除しようとするとどうしても時間がかかるのは理解できなくはなかった。「─────で。人質をとって何をするっていうのかしら? キャスター」廊下から扉越しに声が聞こえてきた。声は通る仕組みらしい。「外にいる貴女に用なんてないわ。………用があるのはそこの坊やだもの。─────ねぇ、覚えてる? 私があの夜言った言葉」そういって視線を俺に向けてくる。「………たしか事情が変わった─────とか言ってたな。一体なんだってんだ。「ええ。ねぇ、衛宮士郎。私と組まないかしら? 貴方達ほどのレアケースはこの五回の聖杯戦争の中でも存在しなかったでしょう」「レアケース………? 組む………? それに─────貴方達?」キャスターの言葉の要領を得ることができない。「ふふ………その様子を見ると、本当に何も知らない様ね?」「何が言いたい。それにお前と組む? ふざけてるのか、お前」「あら、言葉には注意しなさい衛宮士郎。殺してしまうのは簡単だけど、貴重なサンプルをそう簡単に壊したくはないのだから。理解してほしいわね、こんな無粋な真似をするのも貴方を仲間にしたいからなのよ。間違っても、ライダーのマスターのような人間と一緒にはしないでほしいわね」そう言って氷室の首筋に指を添えるキャスター。びくり、と触れられた氷室は一瞬震えていた。つまり、意識を刈り取らなかったのはその反応を俺に見せる為だということ。俺の反応次第では後ろで寝ている人物も、前で捕まっている人物も、助からないということ。「聖杯を手にするのは私以外にいない。この街は私のものになった。いくら貴方のセイバーが対魔力に優れていようとも、無尽蔵の魔力を持つ私を倒すことは永劫できないわ」「─────」隣にいるセイバーはすでに臨戦態勢だ。一瞬の隙すら見逃さず、一撃でキャスターの首を撥ねるだろう。だがそれはだめだ。それよりも早くあのキャスターは言葉を紡ぐ。取り返しがつかなくなる言葉を。「───ふん、だから無駄なのよセイバー。いいこと? ここでこうしている私ですら影にすぎない。私の力の供給源はこの街に住む人間全員。これがどういうことかわかって?」「貴様は─────!」「人間の、“命”という魔力を奪えば、際限なく魔力は引き出せる。今の私なら全サーヴァントを従えても魔力にお釣りが返ってくるわよ」「お前は─────もう魔力は集めない、と言ったのは嘘だったのか………」静かに、静かにあの夜に言ったキャスターの言葉の真意を確かめる。「いいえ、そのあと言ったでしょう?『大量の魔力を消費させてくれるのなら話は別』と。貴方達が大人しくいう事を聞くのなら、襲う必要はもうこなくなるでしょう。けれど、抵抗するようならまた足りなくなった魔力を集める必要がでてくる」それはつまり、遠回しに氷室と美綴以外にも、この街の住人すべてを人質にとっているようなものだった。「何がライダーのマスターと一緒にしないで、よ………! 同レベルの下種じゃない!」「あら? 私が魔力を奪った人の中に死んだ人はいたかしら? いなかったわよね? 私がそう配慮したのだから」「っ…………!こ、の」ほぼ無尽蔵の供給源。街中の人達から魔力を吸い出す魔術。それがあるから勝てると言う。─────無関係な人間を巻き込んで、それで無敵と誇るヤツ遠坂とキャスターのやりとりなど聞こえてはいなかった。─────誰かの犠牲の上で、なお笑い続けるヤツ目の前にいる氷室を見る。目を瞑り、動かせない手足をどうにかしようと腕を動かしている。後ろには涙を流して眠った美綴がいる。─────氷室を犠牲にして、美綴を利用して、「さあ、答えを聞かせて衛宮士郎。貴方に勝ち目はない。セイバーと共に素直に従ってくれるなら、この子は放してあげましょう。どう、従ってくれるかしら」「─────氷室を解放しろ」「話を聞いてなかったのかしら。私に降りなさいと言ったのよ?」「黙れ、氷室を放せ」渡すものなど何一つない。目の前にいる彼女を助けるだけ。ギリ、と忌々しげに歯を食い縛るキャスター。しかし次には嘆息をついて「………解ったわ。交渉は決裂、ってことね。確かに、聖杯を手に入れることができるのは一人のマスターだけ。私と組んでも手に入れる事はできないと考えたのかしら」「違う、俺はお前とは組まないし許さない。俺はお前みたいな奴を止めるために戦ってるんだ。聖杯なんて関係ない。それより氷室を放せ」キャスターを睨む。敵意を丸出しにして睨めつけられたキャスターは「ふふ─────あはは、あははははははは!」可笑しそうに笑っていた。「─────おまえ」「あら、気に障ったかしら? けど貴方も悪いのよ? 聖杯なんて関係ない、なんて心にもない言葉を口にするのだから」「何を………」「聖杯なんて関係ない? とんだ大嘘つきね、貴方は聖杯戦争の犠牲者なんですもの。聖杯なんて関係ない─────そう言っている時点で、聖杯を憎んでいるのではなくて?」そうキャスターが言った瞬間「─────」心が、ギチリ、と凍りついた。おかしい、なんでキャスターが知っている?これを知っているのは俺と教会の神父だけだ。セイバーにも、遠坂にも、氷室にも、美綴にも話していない。凍りついて、よくわからない。隣にいるセイバーの顔も、目の前にいる口をふさがれた氷室の顔も、喉元までせりあがってきた気色の悪い嘔吐感も。「知ってるわよ、衛宮士郎。前回の戦いは十年前。その時に貴方は全てを失った。炎の中に一人取り残されて、死を待つだけだった貴方は衛宮切嗣に拾われた。だから、貴方は本来別の名前を持っていた筈なのよ、衛宮士郎」嘔吐感がよりひどく感じる。だめだ、聞いてはいけない。「─────貴方にとって聖杯は憎むべきものだった。にもかかわらずそんな貴方が聖杯戦争に参加するなんて皮肉な話ね?」「──────────」「けれど、そんな貴方にも残ったものが実はあった。…………それが、これ」懐からそう言って取り出したのは数枚の紙切れ。その紙切れを落とす様に手を離した。舞い落ちる数枚の紙切れ。その紙切れがセイバーと氷室、そして俺の目の前におちた。「これは………」「──────────」そこに写っていたのは何だったのか。今、この現状には相応しくない写真ばかりだった。「────」氷室がそれを見ている。驚いて─────いるのか。────ワカラナイ再び写真を見る。そこにいるのは間違いなく氷室だ。じゃあその隣にいる人間は誰だ?────シラナイ「けど、不憫ね? せっかく残ったというのに、貴方もこの子も覚えていないもの。…………ええ、私が貴方達に興味を抱いたのは貴方達のそういう過去があったから」────オボエテイナイ?「復讐の権利がある。聖杯を手に入れて、全てを思い出して、十年前の清算をする権利がある。だから──────」ズキン、と。頭に響いてきた。◇ズキン、と。頭に響いた。見覚えのない写真。そこにいるのは間違いなく私だ。じゃあその隣にいるのは誰だ?────私の隣で笑っている、衛宮かと思うような赤い髪の男の子後ろにいるキャスターとかいう女性は「覚えていない」と言った。オボエテイナイ?いや………こんなモノは知らない。────シラナイ?「…………!」ズキン、と頭に響いた。僅かに涙が出てきた。おかしい………。たしかにそんなものは見覚えなどないはずなのに。頭が痛い────そう言えば夢を見た気がする、赤い子供が出てくる夢を。そう言えば二人で歩いていた時、前にもそんなことがあったと思った気がする。そう言えばなんで私は寝間着を見られても平気だったのだろうか。そう言えばなんで私は十年前の思い出が欠けているのだろうか。そう言えばなんで彼は十年前の事を聞いてきたのだろうか。そう言えばお母さんはあの時衛宮に何を見せたのだろうか。そう言えばなんで私は衛宮と仲良くなっていたのだろうか複数ある写真。その中の一枚に目をやった。そこに何か文字が書かれている。母親の字だ。何て書いてある?読むな、という声が聞こえた気がした。けど、読んだ。『鐘には言わないように』って書かれていた。なんで?言わない?知られたくない?思い出してほしくない?今まで生きてきて、不思議に思った事を繋ぎ合わせていく。デジャヴュ、痛み、違和感、疑問、写真、言葉、仕草、感情、記憶。聖杯戦争と関わってから、感じたこともたくさんある。理論なんてない。思い出す理由なんて、いつも突拍子のないものばかり。ただキッカケさえあれば思い出す。そう言ったのは私だ。目を瞑って。こんなことがあったのか、と自問する。頭が痛い────おかしい─────たしかに…………そんなものは見覚えなどないはずなのに。僅かに涙が出てきた。ズキン、と頭に響いた。「─────」────シラナイ?いや。────私は◆「氷室!」目を瞑っていた鐘の体が崩れ落ちた。下には先ほどの揺れにより薬の入っていたビンの破片がまだ散らばっている。このまま倒れれば、鐘の体や顔に無数の破片が突き刺さる。刺さる場所が悪いと最悪失明にもつながるし、頭部の深くにまで達してしまうと脳障害にすら発展する。倒れそうになった、次の瞬間には士郎は走り出していた。記憶がどうの、思い出がどうの、復讐がどうの、など今は関係ない。助けなければ。その思いだけが士郎の中で先行していた。「思い出しやすいように少しばかり魔術で頭の中を弄ったのだけどもね●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●。ちょっとばかり刺激が強かったかしら?」そう言いつつキャスターが懐より何かを取りだした。奇怪な刃物。それを見た途端、悪寒が奔った。あの短刀で刺殺されるという恐怖ではない。別の、何かヨくないモノだと、直感的に士郎は判断した。対するセイバーはソレを確認して振り下ろされた短剣から逃すために突進してきた。やりとりはほんの数秒。倒れる鐘を救うために士郎が抱きかかえるように破片が散らばる床へ滑り込む。同時に。「ッ!? この…………!アーチャー!」「セイバー!あの短剣には触れるな!あれは─────」「一目で見抜くなんて大したモノね。けど─────」「キャスター!!」一体この数秒間の間にどれだけのやり取りが行われただろうか。士郎が床に滑り込むとほぼ同時刻に、結界を全力で解除した凛が保健室へ入ってくる。その中の光景を見るなり、アーチャー、と叫ぶ。ぎりぎりで鐘を受け止めた士郎が振り下ろされる短刀を見て、近づいてくるセイバーに警告を発する。振り下ろされる短刀から士郎を逃すべく腕を伸ばすセイバー。凛がガンド撃ちの構えをして、アーチャーが現れてキャスターの首を刎ねんとし、セイバーが士郎と鐘を守るべく体当たりしてその短刀から逃す。だが、間に合わない。距離の問題。咄嗟に反応した順番の問題。体勢の問題。行動の問題。全てはキャスターに有利に働いていた。「全ては、計画通りよ。────坊や」士郎に振り下ろされるはずだった短刀は、「あれは────魔術破りだ!」助け出したセイバーへと突き刺さった。赤い光が室内を照らし、膨大な禍々しい魔力の奔流が空間を一時的に支配する。同時に巻き起こる法式破壊は、セイバーを律していたモノを全て破壊し尽くし。そして────────士郎とセイバーの繋がりは完全に断たれていた。