第23話 衛宮士郎という存在─────第一節 真夜中の帰還─────公園へ駈け込む。だというのに重苦しい空気だけが流れてくるばかりでサーヴァントやマスターの姿が見えない。隣にいるセイバーもまた同じようだった。そこに残る僅かな魔力は先日学校内で対峙したサーヴァントのソレと同じだということはわかっている。が、あまりに薄い。この薄さでは士郎では気づかないだろう。そして各々が感じるソレは、重大で取り返しのつかないことになっているということを感じさせていた。嫌な空気。そこに居た者の魔力が薄まっているという現状。誰も見つからないという状況。違っててほしい、間に合ってほしいと願いながら公園内を探索する。「─────」その瞳に映るモノを見た時、二人は一瞬停止する。公園内に設置されているライトがぼんやりとソコを照らしていた。その姿を確認し、士郎とセイバーはすぐさま駆けつける。「─────息がある。まだ、間に合う………!」首筋からわずかに血が流れている。女性の呼吸はあまりにも弱弱しく、危険な状況であるというのはすぐに把握できた。ならばどうするべきか。今現在士郎達にこの倒れている女性を救う術はない。「そういえば………」この現状と似たものを見た覚えが士郎にはあった。学校の非常口付近で襲われた女生徒。それを治療したのは一体誰だったか。「そうだ、遠坂がいる………!」「リン………? リンは治療ができるのですか?」「ああ。学校で襲われた女生徒を助けたのもあいつだ。あいつ………まだ起きてるかな」凛の就寝時間を把握していない士郎は彼女が起きているか判らなかった。「とにかく家まで運ぼう。遠坂に頼めば助けてくれる」「わかりました。では私が女性を。シロウは離れないようについてきてください」女性をセイバーに預ける。セイバーの力は十分に理解しているので士郎自身が担いで運ぶよりもずっと早いだろう。「では先行します。離れずについてきてください」セイバーの体が流れる。その速さに引き離されぬように、士郎も全力で走り出した。◆真夜中に家に帰宅する。さすがに家の明かりは消えていた。鐘と綾子を起こさぬように凛のいる離れの部屋へ向かう。ノックすると中から返事が聞こえた。「入るぞ」「どうぞ。もう帰って─────ってなによ、その女性!?」「公園で倒れてたんだ。多分ライダーがやったんだと思う。で、治療してほしいんだ、遠坂」「え? そりゃあ、治療はできるし学校でもやったけど………」「頼む、遠坂。遠坂以外に頼れる奴がいないんだ」頭を下げる。そんな士郎を見て、難しい顔をした凛だったが「─────はあ、わかったわよ。じゃ、とりあえず治療に専念するからあんたは部屋から出といて。あとセイバーは何かあったときの為にここで待機しておいて」「わかりました」「すまん、遠坂。恩に着る」「いいけど、貸し一ね。ほら、服の下も様子見ないといけないからアンタは外へ出る」「あ、ああ、わかった。じゃあ遠坂、セイバー、頼んだ」二人に連れてきた女性を任せて部屋を出る。そのまま離れから居間へと戻る。「─────はぁ」居間に腰を下ろす。とりあえず士郎がやれることはやったつもりである。今は凛を信じて、こうして結果を待つしかない。「────────」無機質な時計の音が居間に響く。今こうしてここにいてあの女性を助けれたのはキャスターの助言があったからだ。無論キャスターのやってきたことを許すつもりはないが、今回ばかりは無関係な人間が死ぬのを防ぐことができた。が、素直に感謝することもできない。この微妙な気持ちを落ち着かせるために少し一人になっていた。「…………衛宮? 帰ってきてたか」背後から名前を呼ばれる。視線を後ろへ向けると居間の光を遮る様に腕をあげていた鐘が立っていた。「氷室か、ただいま。寝てたんだろ、どうしたんだ?」「いや、少し喉が渇いてね」そう言って居間に入り、キッチンへ向かう。鐘はひざ下まである白のワンピース風の寝間着に、上から上着を軽く着ている姿だった。「…………」しばらくの間、鐘の姿を何となく眺めていた士郎。「………? 何かな、衛宮」そんな彼の視線が気になって、手に持っていた水の入っていたコップ片手に尋ねる。「いや、今朝は布団被るほど慌ててたのに、今は何ともないんだなって」「………ああ、そのことか」手に持っていたコップの水を飲み干し、自身の寝間着をみる。しばらく自身の姿を見た後に、こちらを眺めている士郎に疑問を投げかけた。「────どこか変かな、私は。」「? いや、別に変じゃないぞ。そうだな………そのよく似合ってると思う───って俺が訊きたいのはそれじゃなくて」「今は慌てていないのになぜ今朝は慌てていたのか、ということかな」「そう」「………そうだな、それに答えてもいいがその前に此方からも質問がある。それに答えてくれれば答えよう」「質問?」「ああ。君の、なぜ私が今朝と今で違う反応なのか───という質問だが、では君はどうなのだ?」「どう………って─────」言いかけた時に今朝の自分の対応を思い出す。お世辞にも良い状態ではなかったと覚えている。「どうした? 答えないのか、衛宮」「え、っと」どう言い回しをすればいいのか、と考えてたところに話題を変えてくれる人物が現れた。「シロウ、ここですか?」二人が話しているところにセイバーがやってきた。「ヒムロも起きていたのですか」「いや、私は喉が渇いたので水を」「そうでしたか」彼女が起きている理由に納得し、視線を士郎へと戻す。「セイバー、どうだった?」「ええ。持ち直したとのことです。しかしその後は本人次第だけど、とのことです」「────そうか。じゃあ遠坂にも礼を言っておかないとな」居間から立ち上がり、電気を消すために手を伸ばす。「その件ですが、話したい事があるとのことですのでリンの部屋に来てほしいと」「話………? わかった。居間の電気消すけど、氷室もまた眠るだろ?」「………そうだな。水も飲んだことだからまた眠ろう」パチ、と居間の電気を消す。セイバー、鐘と廊下へ出て最後に士郎も廊下へ出る。冬の廊下は寒いものがあったが────「………月が、綺麗だな」ふと、廊下を薄明るく照らす月を見る。その月の形こそ違うが、いつか見た月にそっくりで─────「衛宮、どうした?」外を眺めていた士郎に鐘が気づく。そしてその視線の先を見る。「………月か」「ああ」空に浮かぶ月を少しの時間眺める。そんな士郎を横目で観察する鐘。「…………衛宮、一ついいかな」「ん? なんだ?」「君にそういうのは似合わない、と私は思うのだが」「に、似合わないって………」苦笑いをして返答する。確かに自分の姿を考えれば似合わないかもしれない、などと考える。「シロウ」廊下で止まっている二人を見て少し先へ進んでいたセイバーが声をかける。「ああ、わかった。今いく。────じゃあな、氷室。おやすみ」「ああ、君も」そうして二人は元いた場所へと戻って行く。─────第二節 教会─────再び凛の部屋に戻ってきた士郎。床には複数のクッションと枕の上に寝かされた助けた女性が横たわっていた。「遠坂、この人は………」「ええ。できる限りの処置は施したから何とか大丈夫でしょう。────といっても、十分ちょっと遅かったらそれこそ助からなかったでしょうけど」凛のそんな言葉を聞いて、胸を撫で下ろす。間に合ってよかったという安堵であった。「にしても士郎? セイバーから聞いたわよ。キャスターの言葉を信用して柳洞寺から公園へ向かったらしいわね」「む───」ジトリ、と視線を向けられるが士郎にもあまり良い言葉には聞こえなかった。「遠坂。俺はキャスターのいう事を信用したわけじゃない。ただそれが本当だったとき、情報を知っておきながら助けなかったってことになる。そんな後悔はしたくないから公園へ向かったんだ」「………そういうのをある種、信じたっていうと思うんだけど。───まあいいわ。ところで士郎、『教会』のことについて知ってる?」「教会?」冬木市にある教会、と言われて思いつくのは新都にある教会である。冬木市の中心地から外れた郊外、昔ながらの街並みと外人墓地があり、その上に教会が鎮座している。「ああ、知ってる。………といってもあそこが孤児院だった、ということくらいしか知らないけど」「そう………。なら、教会が聖杯戦争にどんな役割を持っているかは知らないわけか」口元に手をあてて呟くように確認する凛。そんな彼女の言葉を聞いて士郎が尋ねる。「役割? あそこの教会って聖杯戦争と何か関係があるのか?」「ええ。一応あそこは聖杯戦争の『監視役』がいる場所よ」「あの教会に監視役が………」士郎は教会の場所は把握していた。しかしそこの神父に出会ったことは一度もなく、近寄ったこともない。行く機会などなく、行く必要も全くなかったからである。「士郎、セイバーから聖杯戦争について一通りは聞いたのよね?」「ああ。けど、遠坂のいう『役割』っていうのは知らないな」「ま、そうでしょうね………」少しの間考え込んでいた凛だったが、視線を士郎と寝ている女性を見た後に提案を出してきた。「士郎、この人を教会まで運んで行ってくれる?」「────は? なんでさ?」「そこに行けばこの人を預かってくれるでしょうからね。この人に関する事後処理とかやってくれるのよ」「事後処理………って、隠蔽とかか?」「ま、そんな感じ。けど、ここにいたら私達がそれをすることになる。はっきり言って、私達がそれをやっている余裕がないのはわかるわよね?」「───理解はできるけど」現在士郎達は聖杯戦争真っ只中である。知り合いである鐘や綾子ならまだしも名前も知らず、住所も知らず、顔も初めて見る女性のフォローをするとなると少し骨が折れる。加えて凛にはまだ理由があった。この女性がただ気絶しているだけならば記憶を消して帰せばそれで終わりだが、この女性はまだ楽観視ができるほど完全には安定していない。何らかの要因で体調を崩す可能性もある。となると、どうしても身動きがとりにくくなってしまう。それはこの聖杯戦争では不利になる点であった。そもそも凛にはこの女性と面識がないため、そこまでやってあげようという気持ちも強くなかった。ならばそのフォローを担っている教会側に連れて行き保護してもらえば、此方の負担も減るというもの。「教会にはこっちから連絡入れておくから今から行ってこの女性を受け渡せばいいわ。ついでに教会に役割も聞いてきなさい」「今から? もう深夜だぞ?」「むしろ聖杯戦争は深夜に起こるんだから深夜にこそ目を光らせてるわよ。それに連絡を前もって入れるんだから大丈夫よ」あいつに頼むのは少し癪だけどね、と小声で呟く。「───ともかく。この女性を教会に連れていけばもう大丈夫なんだな?」凛の呟いた言葉が少し気になったが、今は寝ている女性について気になっていた。「ええ。この家じゃいろいろと限度があるし、万が一ってこともある。教会の神父に任せればあとはやってくれるわよ」「そうか、なら安心か。じゃあ今から連れていこう」「セイバー。また少しこの人を背負って士郎と一緒に教会まで行ってくれる? 士郎、教会の場所は知ってるのよね?」「ああ。場所だけなら知ってる」凛の言葉に答える横で、セイバーが横たわっていた女性に負担がかからないように丁重に背負っていた。「じゃ、もう時間も時間だし、早く行って早く帰ってきなさい。明日も学校だし、士郎にも手伝ってもらうことがあるんだから」「手伝ってもらう事………?───学校の結界のことか。わかった。じゃあ明日に影響でないように早く帰ってくる」「ええ。私は電話した後に寝るけど、問題ない?」「ああ。多分問題はないと思う」「そ、じゃあいってらっしゃい。道中には気を付けて」軽い感覚でそう言いながらひらひら、と手を振っている凛。そんな凛の姿と、今までの行動を思い返す。最初こそいろいろあったとはいえ、友人である綾子が襲われそうになったのを助けたらお礼を言ったり、楓が襲われた時は見回りをしておけばよかったと言ったり。目の前にいる彼女は、学校で見る彼女とはあまりにも違う。しかしそれでも遠坂 凛は、士郎の、否、学校の人間が思っていた通りの彼女でもあった。「───ああ。ありがとうな、遠坂。本当に、遠坂が居てくれて助かった。俺、お前みたいなヤツは好きだ」そう思ったからこそ、士郎は凛に対して感謝の気持ちを示した。「な───」そんな言葉を聞いて凛は黙ってしまった。やや間があって凛が口を開く。「と、とにかく!さっさと教会に行ってその女性を預けてきなさい。で、教会の役割もついでに聞いてくること。明日寝坊なんてしたら承知しないわよ」視線を士郎へ向けずに別の場所を見ている。そんな彼女の顔は少しだけ赤くなっているようにも見えた。「ああ、わかった。学校の結界も放っておけないよな。柳洞寺のこともまだちゃんと話し合ってないし、明日一緒に話そう」下していた腰を浮かせて立ち上がる。今から教会に行って帰ってくるとなると時間がかかる。少し急ぐ必要はあるだろう。「じゃ、行ってくる」椅子に座っていた凛に一言そう言って部屋を出ていった。セイバー、士郎、そして見知らぬ女性が出て行き、再び一人となった凛。アーチャーは家の外で周囲を見張っている。「──────はぁ」深いため息とともにベッドに腰を下ろす。「バカ───協力してるとはいえ敵同士なのよ。馴れ合い過ぎると、後になって返ってくるだけだっていうのに………」凛の呟きは誰にも聞こえることなく、部屋の中だけに響いていた。だが、そんな彼女はあることを思い出した。「あ………神父が一筋縄じゃいかないっていうこと、言い忘れた………」◆衛宮邸から向かう事数十分。なるべく早く着くように近道を使った最短距離を走っていた。無論、セイバーが背負っている女性の容体を崩さないように心掛けながら、である。橋を渡り、新都の郊外へ向かう。新都といえば駅前を中心としたオフィス街が真っ先に思い浮かばれるが、駅から離れれば昔ながらの街並みが残っている。かつて鐘、綾子のマンションに行ったときもそうだった。こちらの方面ではなかったが、同じく新都中心部からは離れていたので似た雰囲気を持っていた。なだらかに続く坂道を登って行く。ふと後ろを振り向けば海が臨めるだろう。少し歩いていくと教会らしき建物の一部分が見えてきた。今まで近づこうとも思わなかった神の社に、聖杯戦争絡みで近づくことになるとは一体誰が想像しただろうか。「────あるのは知ってたけど………すごいな、これ」目の前に見えてきた光景は想像以上のものだった。教会はかなりの豪華さと敷地を誇り、その奥に建てられている教会は一種の威圧感すら醸し出していた。言峰教会。それがこの教会の名前である。「明かりがついていますね、シロウ」「本当だ。遠坂が話を通しておいてくれたのかな」教会の入り口前まで近づく。近づいてみればより一層威圧感のようなものを感じる。教会からこんなに威圧感を感じてもいいのだろうか、などと思う士郎。そんな士郎にセイバーが声をかけた。「シロウ、この女性を」「? ああ」セイバーから女性を受け取る。「では、私はここで待ちます。ここはあくまでも『監視役』がいる『中立地帯』とのことです。1サーヴァントである私が入るには何かと問題があるでしょう」「ああ、そういうことか。わかった。じゃあ少しだけ待っててくれ」女性を抱えて礼拝堂へ続く扉を開ける。その背後でセイバーが聞こえるように呟く。「………気を付けてください、シロウ。たとえ何者であっても、気を許さぬように」─────第三節 言峰 綺礼─────中は広く設置されている席も多かった。これだけ席があるということは、日中に訪れる人も多いのだろう。これほどの教会を任されているのだから、よほどの人格者とうかがえる。「待っていたぞ。───お前が、凛の言っていた、『衛宮 士郎』………だな」扉の開いた音が聞こえたのだろうか、奥から神父服の男性がやってきた。「──────」現れたのは背の高い男だった。胸にロザリオを身に着けた、おそらくはこの教会を取り仕切る神父であろう男。何も恐れる必要などない。「再三の呼び出しにも応じぬと思えば、珍妙な客をよこしてくるとは。………凛も困ったものだな」士郎は知らず、足が退いていた。何が恐ろしい訳でもない。この男に敵意を感じる訳でもない。だというのに、肩にかかる空気が重くなるような威圧感を、この神父から感じていた。「私はこの教会を任されている言峰 綺礼という者だが。────ふむ、その抱えている女性が凛の言っていた人物だな。では、こちらで預かろう」「あ、ああ………」綺礼に女性を受け渡した。その女性を抱えて一旦奥へと戻って行く。少しして女性を奥に寝かせてきたのだろう。再び手ぶらで礼拝堂へ戻ってきた。「では衛宮士郎。改めて問おう、君が七人目のマスターかな」そう訪ねる綺礼の顔はどことなく笑っているように感じられた。その笑みが士郎にとっては悪寒にすら感じられる。「────ああ、そうだ」そんな悪寒の所為か、返す言葉は短くなっていた。そんな彼の様子をみた綺礼は「さて、凛からここの役割を説明しろ、と言われているのだが。肝心の君がそんな様子では理解半分、といったところに落ちるだろう。深呼吸でもしてみればどうだ」なんてことを言ってきた。「─────っ、余計なお世話だ」綺礼からの視線を外すかのように視線を横へずらす。はぁ、と小さく息を吐き綺礼の言葉を聞く前に疑問に持ったことを尋ねる。「その前に一つ訊きたいことがある。お前、遠坂の事を『凛』って呼んでたよな。どういう関係なんだ?」「関係、か。そうだな、私と彼女は師を同じくした者同士だ。私達の師の亡き後、彼女の師の真似事もしているが、如何せん私は彼女に手酷く嫌われていてね」何となく遠坂が嫌うのもわかる気がする、と内心思いながら視線を綺礼へ戻す。が、ここで綺礼が言った内容に違和感を覚えた。「師を同じく………? どういうことだ、たしか」「魔術師と教会は相容れないものだ、というところか?」士郎が話そうとしていた話の核心を突いてくる。魔術師が所属する大規模な組織を魔術協会と言い、一大宗教の裏側、普通に生きていれば一生見ないですむこちら側の教会を、仮に聖堂教会と言う。この二つは似て非なる者、形の上では手を結んでいるが、隙あらばいつでも殺し合いをする物騒な関係である。教会は異端を嫌う。人ではないヒトを徹底的に排除する彼らの標的には、魔術を扱う人間も含まれる。教会において、奇跡は選ばれた聖人だけが取得するもの。それ以外の人間が扱う奇跡は全てが異端。それは教会に属する人間であろうと例外ではない。教会では位が高くなればなるほど魔術の汚れを禁じている。こういった教会を任されている信徒なら言わずもがな、神の加護が厚ければ厚いほど魔術とは遠ざかっていく、というのが通説である。「─────が、この質問は君に話す内容とは関係のないものだ。第一、知ったところでどうする?」諭すような口調でありながら、綺礼の一言一句には重圧の言霊でも乗せたかのような重苦しい響きがあり、士郎に響いてくる。言葉を発せられる度に気圧されていては堪らない。そう感じた士郎は、瞼を閉じて深呼吸。意志を強くし「ああ、そうだな。あんたがどういう立ち位置にいるのか、なんてのは関係なかったな」言い放った。が、綺礼は特に気にした様子もなく質問をぶつけてきた。「君にここの役割を言う前に幾つか尋ねておくことがある。君のサーヴァントはセイバーで間違いないな?」「………ああ」「では、もう一つ。君のその顔はすでに戦いを決意している者の顔だ。そんな者が果たしてここの役割を知らない、などとは考えにくい。───となれば君は予期せずマスターとなった、と推測したがどうだ」「………大体あってる。俺は突然マスターになった」「ほう。そしてセイバー、か」何やら含みのある言葉だったが、気にしていられなかった。そんな士郎の内面を気遣う様子など微塵も見せずに問いただしてくる綺礼。「よかろう。では改めてここの役割を説明しよう。ここは先ほど君が連れてきたように一般人の保護を行っている他、サーヴァントを失ったマスターを保護する役目も備えている。もし君のサーヴァントが戦争の最中で倒れた場合、速やかにこの場所に避難することを勧める」「………保護、か」いつぞやの時は、マスターを続けるか、という問いを考えていたことがあったが、今は違う。確かに巻き込まれてこの戦いに参加した。しかしこの三日間で、この戦いの犠牲になるかもしれない人々の話を聞き、実際に襲われた人、襲われかけた人を見てきた。今までにすでに助けているし、放っておく事など出来はしない。故に士郎は戦うと決めた。彼自身の意志で。「………けど、おかしくないか? サーヴァントを失えばもう聖杯戦争とは関係なくなるんじゃないのか?」「いや、令呪を宿す限りその者はマスターで在り続ける。例をあげると、サーヴァントを失ったマスターとマスターを失ったサーヴァントがいた場合。両者は再契約する事が可能だ。この場合、他のマスターにとってみれば倒した筈の敵が戦線復帰し再度立ちはだかる障害となる。その様な面倒を避ける為、例えマスターがサーヴァントを失おうとも他のマスターによる殺害の対象から外れる事はない」綺礼の言葉を聞いてバーサーカーに襲われた次の日の会話を思い出す。セイバーが言っていた内容と似ている部分があった。ということはすなわちここの教会は、放棄した者を巻き込ませないためにあるのだろう。「………一つ、訊いていいか」「ああ、いいだろう。何かな」「ここの聖杯が本物だっていうことは理解してる。けど、じゃあなんでこんな殺し合いをやっている? もし本当の聖杯なら求める者に平等に分け与えても問題はないんじゃないのか?」「………そうだな。全ての人間で分け合ったところで足りないなどいう事はないだろう。だがそんな自由は我々にはない。聖杯を手にする者はただ一人。それは私達が定めしルールではなく、聖杯自体が決めたルールだ。故にこれは“試練”と言えるだろう」「………何が試練だ。無関係な人間を巻き込んでまでやることかよ」同時に士郎はこの神父がこの聖杯戦争を微塵にも“試練”とは考えていないだろうと断言できた。「そうだな、事が公に露見することは監督役の私からしてもあまり喜ばしいことではない」果たして本当にそう思っているのか、士郎にそんな感想すら抱かせる綺礼の言葉だった。「だが、聖杯はあらゆる願望をかなえる万能の窯だ。それさえ手に入ってしまえば他の者は手出しができなくなる。故に過程で魂食いをしようが手に入れてしまえば何も問題はあるまい。魔術協会だろうと手出しはできんのだからな」「─────なんだよ、それ。聖杯さえ手に入れちまえば何をしてきたとしても許されるのかよ」「許す、許さない、という問題ではない。“手出しができなくなる”。………そもそも聖杯戦争というものはそういう性質のモノだ。覚えておくといい」「─────っ」胸の中の蟠りは残ったままとなってしまった。この教会の役割はすでに訊き終えている。ならば、もうここの教会には用事はないだろう。小さく息を吐く。「とにかく。あの女性は任せた。ここの役割も聞いたからもう特に俺に用はない。帰っても大丈夫だな?」「まあ、まて。確かに話すことはないが訊いておかなければいけないことがある。説明をして、質問に答えてやったのだ。こちらの質問に答えるくらいはしてもいいだろう」祭壇の上に立っていた綺礼が、背を向けようとしていた士郎を止める。このまま帰ってもよかったが、曲がりなりにも情報は得た。ならば質問を受けるくらいはいいだろうと思い、とどまった。「………わかった。で、なんだよ。訊きたい事って」「この教会は聖杯戦争による被害をフォローする役割を持っている。………つまり、街には教会の人間が複数存在するということだ。そして、その報告は監督役である私に逐次連絡が入れられる」「そうかよ。で、それがどうしたんだ」「何、先ほど連れてきた女性は一般人だったが、“君にはもう二名ほど一般人がいる”のではないのか? そちらの二人は教会へ連れてこなくてもいいのか」「…………!」綺礼の言葉を聞いて、鐘と綾子のことが思い浮かんだ。確かに保護の役割を担っているのなら預けるのは道理かもしれない。しかし。さっきからずっと感じる悪寒、威圧感。何か、これ以上ここにいては善くないモノを目の当たりにしてしまいそうな、妙に確信めいた予感もあったから。間違ってもそんなところに二人を頼もうとは思わなかった。「いい。あんたはさっきの人のフォローもあるだろ。そっちを優先してくれ」「そうか。─────まあいい、では最後に一つ確認だ。衛宮士郎、君はこの戦いに自らの意志を以って臨むか」「────ああ。俺は戦う。ここに来る前からとっくにその覚悟は出来てたんだ。今更アンタに確認されるまでもない」その言葉を言うのにもはや迷いはなかった。最初の覚悟はできている。そして学校で決意新たに再び覚悟を決めている。この場所を訪れたこの今でも何一つ変わったことなど無い。もし、それがあるとするならば、この士郎の正面に立つ男、言峰 綺礼に出会ってしまったことくらいか。女性だけ預けてさっさと帰ればよかったか、などと考えてしまう。そんな士郎の思いなど知らず、綺礼は満足そうに笑みを浮かべた。「ならば衛宮士郎。己の意志を以ってしてこの戦いに勝利し、聖杯を掴むがいい。─────そうだ、そうなれば何もかもが元通りになる。その裡に溜まった泥を全て掻き出す事も出来だろう」「………なにを、いきなり」「故に望むがいい。もしその時が来るのなら、君はマスターに選ばれた幸運に感謝するのだからな。その目に見えぬ火傷の跡を消し去る為に、そう────最初からやり直す事とて可能だろうよ」「─────」眩暈がする。一体何を言っているか、まるで要領を得ない。聞けば聞くほど士郎は混乱していく。だというにも関わらず、その言葉は士郎の厭に胸に浸透し、どろりと、血のように粘り着く────「君は知っているかな。十年前の大火災のことを」「十年前………」忘れる筈もない。士郎自身がその大火災の被災者なのだから。「この街で生きる者なら誰しもが忘れ去ることなど出来ない惨劇。死傷者五百名、焼け落ちた建物は実に百三十四棟。未だ以って原因不明とされるあの火災こそが、聖杯戦争による爪痕だ」その一瞬。あの地獄が士郎の脳裏に浮かんだ。「────待ってくれ。それじゃ、聖杯戦争は………」「そうだ。これで都合五度目。魔術師達の狂宴は繰り返され、その過程で彼らの行いは暴虐を極めた。そんな魔術師としてのルールを逸脱する輩を戒める為に、私のような監督役が派遣される。だが魔術師にとっての逸脱とは神秘の漏洩、この一点にのみ集約される。故に事前に行動を制約するのではなく、事後処理を担うだけだ。………そして君も良く知るあの大火災こそが、先の四度目の戦いの最後に落とされた撃鉄の代償。闇に葬られた事の真相だ」五回。過去に四回、聖杯戦争が、殺し合いが行われていたということ。その事実を知った士郎の目の前が、ぐにゃり、と歪む。では、過去にも先ほどのような、自分が経験したようなことが行われていたということなのだろうか。暴虐を極めた、というのならば、無関係な人間を大量に巻き込んだのだろうか。否、その答えはすでに出ている。聖杯戦争による大火災。それが前回の聖杯戦争の結果ならば、無関係な人間を巻き込んでいない、などと言える道理は微塵もなかった。「あの焦土の中、生き延びたのは一人。救われたのは君ただ一人だ。だが聖杯の力に拠れば、救えなかったものとて救うことが出来るだろう。取りこぼしてきたものでさえも、その手に掴むことが出来るだろう。衛宮士郎もまた、『衛宮』となる前の、本来あるべき筈だった己へと立ち返ることすら容易だろう」そんな士郎の状態を愉しむかの如く言葉を続けてくる。吐き気がする。神父の言葉は胸を抉るように、無遠慮に傷口を押し広げていく。視界がぼやけ、焦点を失って、視点が定まらなくなる。何処に立っているのかすら定かではなくなり、ぐらりと身体が崩れ落ちるような感覚にすら囚われる。が────「────っ!」何とか踏みとどまる。頭を数回左右に振って気持ちを切り替える。倒れかねない吐き気を、ただ、沸き立つ怒りだけで押し殺した。「しかし………情けは人のため為らず、とはよく言ったものだ。興が乗ってつい、私自身も楽しんでしまったか」それにまだ早い、と要領を得ない言葉を呟き、綺礼は士郎に背を向けた。「話は以上だ。用が無ければ立ち去りたまえ。そして覚えておけ、衛宮士郎。聖杯戦争が終わるまで、この教会に足を運ぶことは許されない。許されるとしたら、それは」「………サーヴァントを失って保護を願い出るとき、って言いたいんだろ。わかってる、覚えてる」そう言い捨てて背を向け礼拝堂の出口へ向かう。外にはセイバーが待っているだろう。明日────すでに今日ではあるが学校もある。これ以上ここに長居する理由はないし、居続ける気もない。ここにくるつもりは毛頭ない、と出口へと近づく。その背中に。「────喜べ少年。君の願いは、ようやく叶う」振り返った瞳が見たものは、祭壇に立ち、そう──神託を下すように告げた神父の姿。そしてその言葉は士郎自身も気づいていなかった、衛宮士郎の本心ではなかっただろうか。「────なに?」「判っていた筈だ。明確な悪がいなければ君の望みは叶わない。たとえそれが君にとって容認しえぬモノであろうと、正義の味方には倒すべき悪が必要だ」「っ──────」目の前が真っ暗になりそうだった。綺礼は言う。士郎という人間が持つ最も崇高な願いと、最も醜悪な望みは同意であると。─────そう、何かを守ろうという願いは、同時に、何かを犯そうとするモノを、望むことに他ならない────「───おま、え」しかし、そんな事を望む筈がない。望んだ覚えもない。あまりにも不安定なその願望は、ただ、目指す理想が矛盾しているだけの話。だというのに綺礼は謳う。士郎の胸を刺すように、“敵が出来て良かったな”と。「なに、取り繕う事はない。君の葛藤は、人間としてとても正しい」「っ──────」神父の言葉を振り払って、士郎は出口へと歩き出す。もう振り返るつもりもない。立ち止まるつもりもない。これ以上この男の言葉は聞いてはいけない。聞き続ければ大切な何かを失いかねない。そんな予感を、しかし確実に抱きながら士郎は礼拝堂を後にした。―Interlude In―士郎が出て行った後、礼拝堂で一人立ち尽くす綺礼。先ほどまでの士郎とのやりとりを思い出していた。「ふ………しかし。思いの外、狼狽していたように見えたな。」あれは実に愉しかった、と言わんばかりの様子だった。そんな綺礼に声をかける者が礼拝堂の奥からやってきた。「何か貴様の機嫌を良くする者が現れたのか、言峰」「………あまり表には出るな、と言っておいたが?」声をかけてきた金髪の男性に視線をやる綺礼。が、そんな言葉如きでこの男が素直に従う訳も無し。「そう邪険にするな。─────それで? 一体誰がやってきた?」「………セイバーのマスターだ。巻き込まれた一般人を連れてきた」「ほう………セイバーのマスター、とはな」その言葉に少しだけ興味を持ったかの様な声で呟く金髪の男。「そのセイバーだが、“あの”セイバーだ………ギルガメッシュ」ギルガメッシュ、と呼ばれた金髪の男はさも当然、と言わんばかりの顔で「だろうな」たった一言だけ呟いた。その言葉に込められた意味を、果たしてどれだけ掬うことができるだろうか。「すでに事は動き始めている。さて、今回はどのような結末が待ち受けているのか───」そう言って綺礼とギルガメッシュは再び礼拝堂の奥の暗闇へと帰っていった。―Interlude Out―ギィと軋むような音を立て、その扉は閉じられた。神聖な神の家であるというのに、この場所は酷く淀んでいるように今は感じる。士郎は胸の内に溜まった熱を外気で冷ますように深呼吸を繰り返す。肌を突く寒冷な空気は、常に圧し掛かっていた重圧を溶かすには充分すぎる冷たさだ。綺礼との問答は衛宮士郎という存在を確実に揺さぶった。心を静めるように士郎は呼吸を繰り返し、僅かに欠けた月を仰ぎ見た。「シロウ」入口から少し離れた場所にいたセイバーが士郎の姿を確認し近づいてきた。そんな彼女を見てると何か気が抜けたように感じる。今はそれが何よりもよかった。「? どうしましたか」「いや、何でもない」「?」疑問符を作っていたセイバーだったが、そんな彼女に声をかける。「話はちゃんと聞けた。この場所にはもう用はないから、帰ろう」確かに話は聞けた。その中でもとりわけ耳に残ったのはあの火災──十年前の惨劇がこの聖杯戦争によって引き起こされたという事実。それが真実なら、士郎の戦う決意はより強くなる。正義の味方という理想を目指す士郎にとってそれは容認しえる事ではない。あんな惨状を二度と起こさせてたまるものか。あれがこの戦いの末路だというのなら、何が何でも止めるだけ、と。そう決意をより固め、二人は帰路へとつく。◆流石にこの時間帯はもう誰も起きてはいなかった。「寝よう………。流石にこれ以上起きてると寝坊する」セイバーは道場に一旦行くと言って別れた。お風呂にまだ入っていないが、朝風呂をするということで寝室へ向かう。自分の寝室の襖に手をかけようとして止まる。人間は何かのきっかけがあれば、ふと思い出すことがある。今朝のやりとり。それを思い出した時、足は自分の部屋ではない別の部屋へ向かっていた。そっと音を立てずに襖をあける。覗けるだけの隙間を作り、中を見る。鐘の眠っている姿がそこにあった。“衛宮士郎もまた、『衛宮』となる前の、本来あるべき筈だった己へと立ち返ることすら容易だろう”神父のその言葉がよみがえってくる。それを倍化させているのが、鐘の母親から見せてもらった写真だった。自分にはそんな記憶はない。いつかの登校の時に鐘に話したように『生まれ変わった』といってもいいほどのものだった。それほどまでに火災以前の記憶は思い出せない。だというのに、その写真には小さい自分としか思えない子供が写っていた。そしてその隣には幼い頃の鐘の姿もあった。現在も過去もあの灰色の髪はそのままだった。だからこそ尋ねた。“なあ、氷室。自分の子供のころのことって覚えているか?”しかし返答はやはり、というべきか曖昧なものしか返ってこなかった。当然だろう。十年前のことをはっきりと覚えている人間などあの火災は別として、そうはいない。だからこそ、『あれは良く似た人違い』ということで片付けていたというのに、綺礼の言葉によってまた揺さぶられた。「くそ………遠坂の奴も、前もってどんな奴かくらい教えてくれればよかったのに………」無意味な、らしくない八つ当たりを一人呟いて開けていた襖を閉める。寝室へ戻り、寝間着に着替えて敷いた布団に入る。途端に眠気が襲って来た。柳洞寺に行って、公園に行って、教会に行ってと移動しまわった所為もあるだろうが、何よりも教会の神父とのやりとりが一番疲れを感じていたのかもしれない。「『衛宮』になる前の自分………か」一人呟く声は部屋に響くことなく、堕ちるように眠りについた。