第20話 陽だまりの一日─────第一節 心遣い─────坂道を下って行く。士郎の家から学校までは歩いて30分の道のり。現在時刻は朝の7時を少しすぎたあたり。学校まではまだ距離がある。時間も早い所為か生徒はまだ見当たらなく、静かな朝の街の姿をみせている。そんな静かな朝の街を士郎と鐘は歩いている。「………衛宮、少し尋ねたいことがある」「………蒔寺が巻き込まれたとかっていう事件について、だろ?」流石の士郎でも何を訊いてくるかはわかった。「蒔の字は………聖杯戦争に巻き込まれたのか?」現在進行形でこの街で行われている戦争、『聖杯戦争』。一般人の常識など易々と破壊し、圧倒的なスペックで殺し合いをするサーヴァント。そんな輩に自分とクラスメイトの綾子が狙われたこともあるという現状。自然とそちら方向への心配となってしまうのも無理はなかった。「わからない。確証があるってわけでもないし、蒔寺がどんな状態だったのか、っていうのもわからないから何とも言えない。………けど、確率は高いと思う」魂食い。人を襲い魔力を補充する行為。サーヴァントは今後の戦闘活動のためにそれを行うことがある。そのターゲットとなるのは一般人である。「………そうか」彼女も予期はしていたのだろう。驚いた様子は見せずに歩いていく。「氷室」「?」「学校が終わったら病院に行ってみよう、お見舞いに。もしかしたら何かわかるかもしれないし、わからなくともお見舞いすることに意味はあるだろうからさ」「………そうだな」「よし、そうとなれば何をお見舞いに持っていくか、だな。氷室、蒔寺が喜びそうなモノって何か知ってるか? 早く元気になってほしいし、やっぱり喜ばれるものを持っていきたいよな」明るめに鐘に話しかけてくる。それは別に不謹慎というわけではない。落ち込んでいる鐘を少しでも気を楽にさせようという士郎の配慮。「………ありがとう、衛宮」「ん? 何か言ったか?」あまりにも小さい声だったので、士郎には聞き取れなかったようだ。「いや、何でもない。そうだな、蒔の字が喜びそうなもの、か。さて、何があったかな………」楓はTVの内容を見る限りでは意識は回復していない、とのこと。が、死んでいるわけではない。いずれ意識は回復し、元気になるだろう。鐘だって早く元気になってほしいし、喜んでもらいたいのは同じである。患者を元気にさせるのに接する人が暗かったら患者だって暗くなる。ならば明るく接して元気にさせた方が心にも体にもプラスになるのだ。それを士郎は実践しているだけ。そんな彼に感謝しながら学校へと向かう。二人で一緒に歩く。そんなデジャビュを気にかけて。◆学校にはすでに朝練を開始している人たちがいた。士郎と鐘はグラウンドに目をやるが、当然ながらそこに楓の姿はない。「士郎」ふと視線を戻すとそこに先に登校した凛がいた。「聞いた? 蒔寺さんが何か事件に巻き込まれて病院に搬送されたって話」「ああ、聞いた………というよりニュースで見た。遠坂、この件って聖杯戦争と?」「ええ、多分ね。といっても容体を見ていないから絶対とは言い切れないけど確率は高いと思う。手口次第では一体どいつがやったかはわかるかもしれない」「本当か?………なら学校帰りに病院に行こう、お見舞いも兼ねて。何かわかるかもしれない」「ええ、そうね。………チッ、こんなことなら昨日も見回りするんだった」凛と楓は知り合いである。休日には二人でどこか出かけるということもよくある。綾子といい楓といい、凛の友人が狙われているというのは凛自身にとっても不愉快だった。「あ、鐘ちゃん!」三人でいたところに陸上部マネージャー、三枝 由紀香がやってきた。「由紀香」「鐘ちゃん………あ、衛宮くん、遠坂さん、おはよう。ねぇ、聞いた? 蒔ちゃんが入院したって話………」不安そうな顔をしている由紀香。つい昨日まで元気に振る舞っていたのに事件に巻き込まれて搬送されたのだ。心境は十分理解できる。「私も聞いた。………由紀香は何か詳しい事情は知っているか?」「ううん、私もニュースで見た程度の事しかわからない。意識は回復してないけど、命に別状はないとか。“吸血鬼事件”と似ている部分がある、とか」「吸血鬼事件?」何やら不穏当な言葉を聞いた士郎が問いかける。「衛宮くん、知らない? 三咲町っていう街で最近あった事件のことよ。結構ニュースにもなってたけど」「………ああ、そういえば」結構TVの話題で上がっていたことを思い出す。連続殺人鬼、なんて結構な話題にもなっていた。「遠坂さん、やっぱり蒔ちゃんは………?」「いいえそれはないと思うわ、三枝さん。その事件だって今は収束しているし、その後三咲町では事件は起きなくなったでしょ。……どうも腑に落ちない点は残るけど。ただ本当に“似ている部分がある”ってことでしょうね」吸血鬼事件は悲惨極まるものが多かった。気になるのは当然である。「………由紀香、他になにか知っている情報はあるのか?」「ううん、私はこれくらいしか………。葛木先生なら多分何か知ってると思うけど………」「葛木………か」士郎は一成と話をしていた顔を思い出す。葛木宋一郎。鐘や綾子、楓のクラス担当教員。確かに彼ならば自分の生徒の事情を収集しているかもしれない。「由紀香、葛木先生はどこにいるか知っているか?」「あ、うん。職員室にいると思うけど、今は職員会議やっているから入れないと思う」「そうか………」「こんな早朝から職員会議………。なるほど、蒔寺さんのことを受けて先生たちが集まったって訳か。弓道場から出ていった藤村先生もその会議に出席するためね」となれば朝のホームルームで何かしらの動きは出るだろう。どこまで判るかは不明ではあるが。「由紀香。学校が終わったら蒔の字の見舞いに行くのだが、由紀香も来るか? 行くなら一緒の方がいいだろう?」「え………、うん!一緒に行こう?」「綾子も誘った方がいいわね。一人にさせるのも危ないし」「そうだな」こうして5人が学校帰りに病院に行くことが決定したのだった。─────第二節 基点─────昼休みになった。一時的にせよ授業から解放された生徒達は、忙しなく校舎を行き来している。今朝のホームルームでは蒔寺に関することは触れられなかった。事件とは言っても『巻き込まれた可能性がある』ということであり、衰弱しているが命に別状はないというのもあり余計な混乱を避ける為に言わなかったようだ。が、その代わり6限まであった授業は5限で打ち止め。放課後の部活動も今日は禁止ということになり、早々に帰宅するように言われた。「────にしても」一段と“甘く”なっている気がする。ここまでくると気持ち悪さしか感じない。「一成はもう生徒会室に向かったのか」見渡せばそこに一成がいない。最近寝不足なのだろうか、うとうととしている場面を良く見かける。今日は弁当がない。当然、一緒に居た遠坂、美綴、氷室も弁当はない。となれば食堂か売店にいくしかない。「食堂は………人がすごいから避けるかな」席を立とうとして周囲の男どもの様子がおかしいことに気付く。「おーい。どうした、何かあったのか?」「何かあったではござらん。それ、教室の外を見てみるがよい。ただしこっそり、あくまで隠密」………後藤のヤツ、昨日は良からぬ時代劇を見たんだな、と納得しつつ、言う通りに廊下を見る。「─────な」と。廊下には、後藤以上に挙動不審な影が一つ。遠坂 凛だった。その姿を見る度に何か雰囲気が違うだの、イライラしているだのと騒ぐ男共。「………俺、だよな。どう考えても」後で尋ねられることは間違いないだろうが、ここで放っておくわけにもいかない。廊下に出て遠坂に近づいて声をかける。「遠坂、何してんだよ、こんなところで」「………ようやく気づいたわね、このあんぽんたん」………できることなら記憶を数日前に戻したい。「悪かったな。で、どうしたんだ? あ、もしかして昼飯か? お金持ってないのか?」「士郎に奢ってもらわなきゃいけないほどおちてないわよ」「そうか。なら別にいいよな。じゃ、俺は売店に行くから」「───あんた、わかってて言ってるでしょ。話があるのよ」「あのな、遠坂。話があるなら先に言えよ。………っていうか俺が出てくるまで待たなくたって呼べば済むだろうに」「─────、ええ、悪かったわね。じゃあついて来なさい。ついでに一緒に昼食をとりましょう」つまり作戦会議するから屋上にこい、ってことだろうにさ。◆「寒い」途中士郎は売店でパンとホットコーヒーを購入し、連れてこられたのは屋上だった。夏ならば見晴らしの良さと風通しの良さから生徒で賑わう屋上だが、冬場に屋上にやってくる人物はかなり少ない。加えて士郎にとって屋上は鐘と一緒に命を賭けた逃亡をした場所でもあった。「男の子なんだから我慢しなさい」そんな士郎の意見をキッパリと切り捨てる。仕方ないので風避けのために凛の隣に座り、売店で購入したパンを頬張る。「で、話ってなんだよ。人気がない場所選んだあたり、そっちの話だとは思うけど」「と、当然でしょ。私と士郎の間で、他にどっちの話があるっていうのよ」「ああ、それもそうだな。で、どんな話なんだ」「………なによ、随分クールじゃない、あなた」「………まあ、寒いからな。手短に済ませたいとは思う訳だが、遠坂は違うのか?」「────!ええ、そうね。じゃあ単刀直入に言うけど、あんた、この学校に張られている結界についてどこまで知ってるわけ?」学校の結界、という言葉を聞いて改めて考え直してみる。規模はわからない、どんな効果を持っているのかは知らない、けれどよくないと直感が告げている。そんなレベルである。「………この結界がよくないもの、っていうくらいしかわからない。遠坂、何かわかるのか?」「当たり前じゃない。じゃないと、あんな夕方まで居残ってないわよ」あんな夕方、というのは先日士郎と戦った時のことを言っているのだろう。「かなり広範囲に張られた結界で、発動すれば学校の敷地をほぼ包み込むくらいの大きさ。種別は結界内から人間の血肉を奪うタイプ」「血肉を奪う………それって」「ええ、つまり発動したら“溶解”されて結界内にいる人全員死ぬ………ってことよ」息が止まる。先日学校の人たちを人質にとられたようなものだ、と思いはしたがそれでも衰弱レベルだと思っていた。が、そんな生易しいものではなく発動すれば死を招くような結界。何とかできる限りイメージしてみる。自分が思い描ける最悪のイメージ。溶解、溶ける、死ぬ───「──────────」ぐらり、と一瞬目の前が歪んだように見えた。士郎が想像したのはかつて自分がいたあの火災だった。火災で焼けただれた人間が自分の前に横たわっていた。そんな光景を思い出す。「ちょっと、士郎? 大丈夫?」顔に手をあてた士郎に凛が声をかけてきた。「あ、ああ………大丈夫。───それで、この結界は破壊できないのか?」「試したけど無理だった。結界は恐ろしく高度で十中八九サーヴァントの仕業。私じゃせいぜい結界の基点を壊して一時的に弱めて結界の発動を先延ばしにするだけしかできない」「先延ばしにできるってことは………遠坂がいれば結界は張られない?」尋ねる士郎だったが、凛の表情は冴えない。「………そう願いたいけど、そう都合のいい話はないでしょうね。現に結界は張られていて、発動のための魔力は少しずつ溜まってきてる。アーチャーの見立てだとあと数日程度で整ってしまうとか」はぁ、とため息をついてしまう凛。破壊したくとも破壊できず、先延ばしもそう続かないのではため息の一つも出るのは当然だろう。「マスターか、サーヴァント。このどちらかがその気になれば学校は地獄に変わる。それまでに見つけ出して叩かないといけない」「………けどさ、遠坂。学校に結界が張られた時点でソイツの勝ちのようなもんだろ? ならマスターは結界が発動するまで表には出てこないんじゃないか?」放っておけばあとは発動するだけの結界で、自ら発動前に表に出てくるとは考えにくい。「そうね、恐らくマスターは出てこないでしょうね。とことん逃げ込む気だろうし。………となれば」「サーヴァント、ってことになるけど。………ライダーがこの結界を張ったんじゃないのか?」昨日士郎を襲って来たサーヴァント、ライダー。綾子、一年の女子生徒とこの学校の生徒をターゲットにしている節がある。現在考えられるサーヴァントはライダーが一番確率が高かった。「可能性はかなり高いわね。マスターが見つからない以上はライダーを探すしかないけれど………それも望み薄ね。昨日の件もあるでしょうから、結界発動まで姿を見せないと思うし」つまりマスターは誰か判別できず、ライダーは居場所がわからない。となれば現状打つ手はなく、基点を破壊して結界完成の妨害をし続けるしかない。と、ここで無機質なチャイムが鳴り響いた。次は5限目である。「とりあえず話は打ち止め。学校が終わったら病院行くんでしょ? 教室の前で待ってるわ」じゃあね、と告げて凛は屋上から去って行った。「──────────」士郎の気分は優れない。この無関係な人達を殺してしまう結界が張られていて、それで破壊もできない。止めるにはマスターかサーヴァントを探さなければいけないが、手がかりもないために見つける事もできない。「………大量殺戮者じゃないか、こんなの」ぎり、と歯を食い縛る。無関係な人間を巻き込むだけではなく、殺してしまう結界。それはあの時の火災と同じ。無関係なのに巻き込まれて、何もわからないまま死んでいく。それはあってはならないこと。無意味に死んでいくことなんてあってはならないこと。「結界が発動される前に見つけて、何が何でも止めさせないと………!」寒い冬の屋上を士郎もあとにした。─────第三節 病院─────5限目が終わり帰りのホームルームが始まる。これから私、衛宮、遠坂嬢、美綴嬢、由紀香の5人で蒔の字が入院している病院へ向かうことになっている。「帰りのホームルームを始める。全員、静かにするように」葛木先生が教室に入ってきて声をかける。その声で静かになり、帰りのホームルームが始まった。「今朝話した通り、今日は放課後の部活動は禁止だ。各自速やかに家に帰宅し、以後家から出ないように。また明日からは朝の部活動は禁止だ。今朝の部活動で怪我人が続出している。部活動に励むのはいいが、体はきっちりと休ませるように。─────以上だ」「起立─────礼」こうして帰りのホームルームが終わり、教室から生徒の姿が減っていく。「氷室、美綴。お前たちも早く家に帰る様に。親に心配かけないようにな」相変わらずの表情でそう言い残して葛木先生は教室から出て行った。「親に心配かけないように、か。………まあ、ある意味配慮はしての、っていうことではあるんだけどな、氷室」「仕方がないだろう。私達のいる状況は普通ではないのだから」そう、仕方がない。けれど、それだけで終わらせようとは思わない。何か一つくらい衛宮や遠坂嬢の手助けくらいはしたいものである。「終わったか、美綴、氷室」教室から廊下へ出た先に、衛宮がいた。「お、衛宮。待ってたのか」「ああ、ちょっと早く終わったからな。………遠坂と三枝は?」「おまたせ」私達の後ろから由紀香と遠坂嬢が出てきた。「さて、それじゃあの陸上バカのお見舞いに行きましょう。お見舞い品は………スタンダードに果物とか花とか?」「病院に凝ったものを持って行ってもあまり意味はないだろう。遠坂嬢の言う通りの品物で大丈夫ではないのか?」そんな事を相談し合いながら校舎を降りて校庭へでる。学校から病院まで歩いていこうとするとかなり時間がかかるために近くのバス停からバスに乗って向かう事となる。校門を出てバス停へ。私の前方には遠坂嬢と美綴嬢が並んで歩き、その後ろで由紀香、私、衛宮という順番で歩いている。前の二人は二人で何やら話に花を咲かせている様子。「ここから大体15分くらいだよね、鐘ちゃん?」「ああそうだな。しかし行く前に見舞いの品を買わねばいけないから途中で買い物をしていく必要がある」「バス停から病院に向かうまでに買える場所ってあったっけ?………なかったような気がするんだが」衛宮が病院の周囲のことを思い出している。が、どうも思い当たる場所がないらしい。「ああ、確かになかった。となるとどうする? バスで約15分。歩いていくとその倍はかかるとみていいだろう」う~ん、と衛宮が考え込む。しかし私はニヤリ、と笑った。「確かに“バス停から病院へ向かう道筋”には買える店舗はないが“バス停に近い場所”ならそういう店はある。そちらに向かえばいいだろう?」「………氷室。それを早く言ってほしかったな」「君が“行くまでの道の間”と言ったのではないか。私としては何も間違ってはいまい? 衛宮こそ視点を“病院の傍”から“バス停の傍”に変えれば気づいただろうに」「まあ氷室の言ってることは正しいけどさ………」そういえば何か店あった気がするなー、などと呟きながら財布の中身を確認していた。そんな彼を見ていると横にいた由紀香が袖を引っ張ってきた。「? 何かな、由紀香」対する由紀香は小声で「やっぱり、鐘ちゃんって衛宮くんのこと好き?」「なっ─────」何を言うのか、と問いただそうとするがすぐ横にはその当人がいる。コホン、と一つ咳払いをして同じく彼に聞こえないように小声で問いかける。そんな私を見て衛宮は首を傾げて疑問符を作っている。「何を言いだすのだ、由紀香。第一どこを見てそう感じた?」「だってさっき衛宮くんと話してるとき笑ってたよ? それに今も少し顔が赤いし………」「それは由紀香がそんなことを言い出すから慌てたのだ。それに笑ったのだって………彼の言葉の隙をついたからであってだな………」「何そんな小声で話してるんだ?」私の隣を歩いていた衛宮が声をかけてきた。まあ彼からすれば二人でいきなり小声で内緒話をし始めたのだから気になるのは当然だろう。「あ、ううん? なんでもないよ?」「あ、いや。大したことではない」「? そうか、なら別にいいんだけど」そんなやり取りをしながらバス停に到着。ほどなくしてバスが来てそれに乗り込む。ここからは約15分のバスの旅である。◆冬木総合病院。総合、と言うだけあって冬木市の中にある病院でも大きい部類にはいる病院。「──蒔寺楓さんの病室は207号室です」「そうですか、ありがとうございます」聞いた病室へ向かう。どうやら個室らしいので5人で行っても問題はないとのこと。「失礼します」コンコン、とノックをして中に入る。そこには眠っている状態の楓の姿が─────「おぉっ!? 由紀っちにメ鐘!あと遠坂に美綴もいるじゃん!………あ、衛宮もいた」いなかった。「………思った以上に元気そうね、貴女」少し呆れ顔の凛。綾子が持つ見舞いの品に視線がいき、楓が興味津々な様子で尋ねてきた。「へへ、まぁね。っと、お見舞い品か? どれどれ………って花かよ、どうせなら食べもの持ってきてくれればよかったのにさー」中身を見て不満をまき散らす楓。そんな姿を見てほっと一安心の由紀香と鐘。「すまないな、蒔の字。君がまだ目が覚めていないかもしれないということで花にしたのだが………この分を見るとその心配は杞憂だったな」「蒔ちゃんが元気そうでよかったぁ」「悪い悪い、心配かけちゃって。昼前に目が覚めてさー。お腹減って死にそうだったんだよねー」「だから食い物のお見舞い品がよかったってか。あんたは相変わらずだね」花を括っていた輪ゴムと新聞紙を外す。安くもないが高くもない、至って普通の花。「で、他の4人はいいとして。何で衛宮までお見舞いにきてるんだ?」「なんだ、まるで俺がいたらおかしいって感じだな」花瓶に水を入れて綾子から花を受け取り、ベッドの傍の台に置く。なるほど、病室に花はそれなりに絵にはなる。「だってクラス違うし?」「一応知ってる奴が入院したっていうから他の人と一緒に見舞いに来たんだけど」ふぅん、と特に気に掛ける様子も無く適当に相槌をうつ楓。そんな彼女に凛が本題を聞く。「で、昨日何かあったの?」「あ、またその質問ー? それ聞き飽きたんだよなー。昼過ぎたくらいに警察の人きてさー」どうやら昨日のことはすでに警察に話したらしい。「蒔の字。TVでは事件に巻き込まれたと報道されているが………本当か?」「それがわからないんだよねー。昨日、ちょっと用事で夜出歩いてたところまでは記憶あるんだけど………そのあとの記憶がなくてさー。気が付いたら病院で寝てましたっていうオチ」「つまり鐘ちゃん、何も覚えてないってこと?」うん、と答える楓。そんな彼女の反応を見ながら士郎と凛は小声で彼女に起きたであろうことを推測する。「遠坂。これ、どう思う?」「記憶を消された………という可能性もあるわね。もしくは何が起きたか確認できないまま気を失ったってことも。話だけじゃ判別できないわね」ならば有益な情報を手に入れるべきだろう。不自然にならない程度に質問をしていく。「ねぇ、体に何か痕とか残ってるとか聞いたけど、それってどんなのなの?」「んー、ここにあるらしんだけど自分じゃ見えないんだよねー」そう言って楓は自分の首筋付近を撫でている。その部位に覚えがある凛。「ちょっと見せて」凛が覗き込んでその痕とやらを確認する。そこには確かにおかしい傷があった。そしてそれを凛は一度見ている。(─────これで犯人は確定したわね)「で、蒔寺。アンタいつくらいまで入院することになってるんだ?」綾子が傍にあったカレンダーを見ながら尋ねる。今日は2月5日火曜日である。「んー、大事をとってあと1日か2日は様子を見ようだってさ。まあその時に容体が急変したら話は別だろうけど、このままいけば明後日くらいには退院かなー」「ま、今のあんたを見てる限りじゃ今日退院しても問題なさそうだけどね。じゃあ残り1日2日ほどゆっくり療養しとけよ」「それじゃお暇するわ。また学校でね」「蒔寺、しっかり休めよ」「蒔の字。何かあれば私の携帯に連絡してくれ」「蒔ちゃん、また学校で会おうね」時間にしてそう長い時間ではなかったが、特に深刻な状況ではなかったし、当の本人は先ほどのようにピンシャンしているので大丈夫だろう。病室を出て病院を出る。「ではここで解散というわけかな。由紀香はこの後どうするのだ?」「私はこのまま家に帰るよ。鐘ちゃんも家に帰るの?」「ああ、帰ることには帰るが少し寄る場所があるのでな。そちらに向かってから帰る」「それじゃ、ここでお別れだね。また明日ね、鐘ちゃん。美綴さんと遠坂さんと衛宮くんも、またねー」手を振って由紀香が去って行った。ある程度見えなくなるまで見送ったあとで、これからの予定を尋ねる。「氷室、どこか寄るところがあるのか?」「図書館に。借りていた本を返さねばいけない。ここからそう離れてないから歩いて行ける距離だ」「ふうん、それじゃ俺もついていくよ。どうせ帰りに買い物していかないといけないし。………ってことで、美綴!」ひょい、と手に持った家の鍵を投げ渡す。「先に帰っててくれ。家にはセイバーもいると思うし」「ああ、わかった」「綾子。家に帰る前に私の家によるけどいい?」「ん? 別に構わないよ」凛と綾子がバス停へと向かっていく。それを確認して鐘と士郎は図書館へと向かう。─────第四節 赤色&灰色&銀色─────図書館に入り、入口すぐ傍にある受付で本を返す。たったそれだけなのだが………「………結構な広さだな」図書館という場所に足を運ぶことがまずない士郎にとっては物珍しかった。きょろきょろと周囲を見渡す。とにかく、本、本、本である。図書館だから当たり前ではあるが。学校にある図書室も一年の時に紹介された時以来近づいていない。借りる本などないし、勉強も図書室では行わない。(そうえいばまだ一回も図書室の備品を整備したことがないな)もちろん、高校の図書室には本の貸し出しなどをチェックする担当の人がいる。士郎よりも長い時間そこにいるわけだから、必要な備品は自分で用意するなどする。つまり図書室の備品は士郎に頼まれる前に修理などの処置が行われている。これに該当するのは他に職員室や生活指導室など。所謂『先生が使う頻度が高い場所』は士郎の手を必要としていない。(その前に事務系の人がやってしまうから)─────ちょっとなんとなく先生方がズルく思えてきた士郎に鐘が声をかけた。「どうしたのだ、衛宮。何か興味深い本でも見つけたのか?」「あ、いや。そういえば図書館なんて滅多に来ないなーって。学校の図書室もほとんど利用していないしさ。何ていうか図書館の雰囲気を感じてた」「なんだ、君は調べものをする際に図書館は利用しないのか?───まあ今はネット社会だから、検索をかければ大抵はわかってしまうか」「ちなみに俺はパソコンも持ってないけどな。バイトしたり家事したり手伝いしたり鍛錬したりで忙しいからそんなところに行くことも少ないんだと思う」図書館の自動ドアをくぐり外へ出る。まだ日が高いとはいえ外は寒い。時折吹く風が体温を奪う。そんな中を二人は商店街へ向けて歩いていく。「確か君は携帯も持っていなかったな。………何か一昔前の人物のように思える」携帯もパソコンも持っている鐘は、同じ現代っ子である士郎のズレを少し疑問にかけているようだ。「まあ必要性は今のところ感じてないからいらないんだけどな。………と、あのバスか、急ごう」前方のバス停へ走って行くバスを見て駆け足になる。鐘もそれを見て同じように駆けだす。丁度よくバス停にバスが止まり、乗車する。このまま深山町方面へ乗って、商店街近くで下りて買い物をして帰れば問題はない。「あ、そうだ。氷室」「? 何かな」「今日、氷室がメシ作ってみるか? 何か作りたいものあれば教えるぞ。………って言っても和食だけだから、レパートリーは限られるだろうけど」「─────む」そんな士郎の言葉を聞いて考え込む鐘。鐘の料理は決して食べられない、というものではない。が、自信を持って出せない。そんなレベルでいきなり目の前にいる士郎含めた4人に食べさせるとなるとどうしても不安が生じてしまう。「ちなみに衛宮、何を買おうというのだ?」「家にある食材はほとんど空だからな。今日の献立次第ってことで氷室に尋ねたんだけど。………たしかじゃがいもは少し残ってたはずだから………」うーん、と少し考えて出た料理の名前が「よし、肉じゃがを作ろう」◇ということで現在商店街のスーパートヨエツ。「まあ、貯金の方は気にしないでいい。生活費まで気にし始めたら聖杯戦争なんて出来たもんじゃないからな」カゴを持って私と衛宮は店内に入っていく。「肉じゃがを作るってことになったけど、氷室。何の食材が必要かとかはわかるか?」どうやら課外授業の開始らしい。「何って………じゃかいも………はあるのだったな。他に人参や肉じゃないのか?」「ん、正解。っていうかまあこれくらいはわかるよな。それ以外にお好みでグリンピースやら椎茸や玉葱とか入れる」野菜売り場で人参をカゴに入れ玉葱、グリンピースをいれていく。「グリンピースを入れると見た目もよく見えるから買っとこう。んで、もう一品くらいおかずとして欲しいよな。何にするか。氷室は何か作りたいとか、これなら作れるってやつあるか?」「………あることにはあるが………」………言いにくい。私の母親はフランス料理が得意。当然、教えてもらったのもフランス料理なのだ。よって和食でいこうとしている衛宮に言うには少し抵抗がある。が、言ってしまってフランス料理に切り替わったら切り替わったでとんでもなく困る。先ほど衛宮が言った『和食だけ』ということはつまりフランス料理は教えることができないということ。となると、フランス料理でいこうとすると私自身が先導することになるのだが間違ってもそれはできない。加えて教わったといっても一人だけで作れるほど教わったわけでもないのでやはり言い出せない。「氷室? どうしたんだ?」「あ、い、いやなんでもない。そう、だな。魚ものを食べてみたい」苦し紛れに目についた魚を言葉に出す。………こんなことならもうちょっと母親に教わっておけばよかった。「魚ものか。さて………何がいいかな」途中で豚肉をカゴに入れて魚売り場へと向かう衛宮。その後を私がついていくのだが………何かこの光景はまずい気がする。はたからみたら学生服の男女が夕飯の献立を相談しながら店内を歩いている。つまり、その、あれだ。………いけない。落ち着け、落ち着け。「………お。鰤が安いな。ってことは鰤の照り焼きに………いや、ここはもう一捻りして鰤大根にしてみるか。氷室はそれでいいか?」「あ、ああ。私はそれでも構わない」「? どうしたんだ、氷室。顔赤いぞ? 熱でもあるのか?」寧ろ平常運航している君がうらやましい。あれか? 私一人だけ暴走してしまっているという状況か?それとも君は何も感じていないのか?………それはそれで悲しくなるかもしれないが。「いや、私は─────」視線を戻した先に見えたのは。「ん、熱はないみたいだけど。無茶するなよ? 疲れてるなら言ってくれたら早々に切り上げるから」手が私の額に添えられていた。「────!!??」ババッ!と身を退く。そんな私を見て衛宮が少し驚いた顔をしているが、それどころではない。周囲に人がいないかを即座に確認する。─────よかった。幸運にも誰もいない。まだ早い時間だっただけに買い物に来ている主婦たちはいないようだ。「ど、どうした、氷室?」「─────君はもう少し周囲への配慮をしてもらいたいのだがな」ふぅ、と落ち着かせて買い物を再開する。これで献立は肉じゃがと鰤大根とおかずが決まった。「となると、常識的に考えて後は味噌汁か。何を作るつもりでいるのだ?」「そうだな。ま、ここは簡単に玉葱の味噌汁ってことでいいか。ちょうど入れてるし」その後も様々な食材や調味料などを購入し、『誰が何を作っても大丈夫』なぐらいの量と種類を購入した。金額は軽く1万を超えていたような。で、当然袋いっぱいになるわけであり。「………衛宮。もう少し持とうか?」私が比較的軽い袋一つに対して「いや、大丈夫だ。これくらいなら平気だからさ。さ、帰ろう。」私の後ろにいた衛宮はその5倍近くの袋を持っていた。スーパーの外へ出て衛宮の家へと足を向ける。意気揚々と帰ろうとしている彼のすぐ傍に小さい子供がいた。その子供はくいくい、と衛宮の服を引っ張っている。「あ…………」「なにごと………?」衛宮が振り向いて、彼女が完全に見えた。その少女には見覚えがあった。見間違いなどせず、忘れるわけもない。銀色の髪をした、幼い少女。「な、ええ───!?」驚いた衛宮が一瞬で跳び退いて私の前に立つ。咄嗟に構えた衛宮を見て、にこやかに立っている少女。「「………?」」何か雰囲気が違う。あの時………あの夜とは雰囲気が違う気がする。「よかった。生きてたんだね、お兄ちゃん」そう言って嬉しそうな顔をしてくるのだからいくら私でも訳がわからなくなってきた。「え─────と、たし、か………イリ、ヤ?」彼も混乱しているのだろう。彼女の名前を呟く程度に言葉に出した。「─────え?」それを聞いた彼女はきょとんとした顔で此方を見ていた。「あ────いや、違った………!イリヤス………そう!イリヤスフィール・フォン・アインツベルンだった………!間違えてごめん!」そう言って頭を下げる衛宮。対する少女は少し不満げな顔をして「─────名前。貴方達の名前、教えて。私だけ知らないって不公平じゃない」そんな言葉を聞いてぽかん、としてしまった。衛宮と顔を見合わせる。もちろんあれは幻想の類ではないし、今聞いた言葉だって幻聴ではないだろう。「聞こえなかったの? お兄ちゃんたちの名前、教えて。私だけ知らないの不公平」何というか歳相応の反応を見せるのだから、戸惑ってしまった。まあこのまま泣かせるわけにもいかないので自己紹介くらいはしてもいいだろう。「俺は衛宮、衛宮士郎っていうんだ。で、俺の後ろにいる人が氷室鐘っていう人」「エミヤシロ? 不思議な発音をするんだね、お兄ちゃんは。それとヒムロカネ、か」「氷室の発音はあってるけど、俺のが違うぞ。それだと『笑み社』じゃないか。衛宮が苗字で士郎が名前だ。呼びにくかったら士郎でいい」「『笑み社』か。………ふむ、悪くない」「氷室ー、何考えてるー?」彼女の発音があまりに奇天烈だったため、少し面白かった。で、私につっこみを入れてくる衛宮を宥めていると………「むー、楽しそうだね。えっと、こういうのってなんていうんだっけ?」「? 何?」「たしか、えっと…………そう!夫婦漫才!」えっへん!と胸を張る少女だったのだが、言われた私達は当然固まってしまう訳で。というか彼女はその意味を理解しているのだろうか。いや、きっと理解していない。周囲の人が何やらひそひそ話をしているけどきっと気のせい。「シロウ、シロウ………か。うん、気に入ったわ。響きがキレイだし、シロウにあってるもの。これならさっきのも許してあげるー!」そんな周囲の目を気にしないで私の開いている手と衛宮の手を自分の体に引き寄せる様に抱き着いてきた。「ちょっ───!? まままま待て、イリヤスフィール!何するんだ、お前………?!?」「ううん、さっきみたいにイリヤでいいよシロウ!あ、カネもね!私もシロウとカネって呼ぶんだからこれでおあいこだよねー」買い物袋をぶら下げた学生服を着た男女二人にしがみつく少女というこの構図。周囲が何かトンデモ発言を言ってる気がするが聞こえない。というより認識したくない。「ま、待ってくれイリヤスフィ………じゃなくてイリヤちゃん。君は何をしに私達に会いに来たのだ? こうしてくるところから見て前の続き………という訳ではなさそうだが、ただの偶然だろうか?」「だーかーらー、イリヤでいいよ、カネ!私はセラの目を盗んで、わざわざシロウに会いにきたんだよ。だからシロウ、コウエイに思ってよね」話を聞く限りでは衛宮に用事があって会いに来たとの事。「─────えと、それは戦うつもりでってわけじゃなくて、単純に会いに来たってことか?」「うん、私はシロウとお話しにきたの。今までずっと待ってたんだから、それくらいいいでしょう?」「─────」困った様子で私に視線を向けてくる。いや、私に救援を求められてもどうしようもないのだが………。「………イリヤ。君は戦いに来たわけじゃないと言ったが本当なのだろうか?」とりあえず大事な事を尋ねておく。「? そうだよ。第一まだお日様高いじゃない。お日様が出てる間に戦ったらいけないんだよ? それにシロウもセイバー連れてないし私もバーサーカーは連れてない。ほら、おあいこ」どうやら本気で話をしたいらしい、と衛宮にアイコンタクト。「それともシロウは私と話すのはイヤ?─────うん、シロウがイヤなら帰るよ。本当はイヤだけど、したくないことさせたら嫌われちゃうから」イリヤは彼の顔をしっかりと見上げている。何か悲しそうな顔をする彼女を見て衛宮は「わかった………話だな。じゃあとりあえず別の場所に行こう。あと離れてくれないか、イリヤ」「やった!それじゃ、近くに公園があったからそこでお話ししよう!」彼が言うや否や、彼女は舞う様に走り出した。「ほら、早く早く!急がないと置いていっちゃうからね、シロウ、カネ───!」「………衛宮に用事がある筈なのに私もなのか?」「───ま、なるようになるだろ」ここまでされてついていかないわけにもいかなくなったのでついていくことにした。