第17話 何の為に戦うのか─────第一節 守るために─────ガンドの呪いによって視界は霞み、思考能力も止まってくる。今の士郎はインフルエンザにかかって高熱を出しているような状態だった。そんな体では満足に走ることも難しいが、自身の身体に魔力を通して無理矢理視界をクリアにし、体を強引に動かす。一見便利に見えるが、等価交換は世の条理である。つまり、ここで無茶をする分は必ず後でそのツケを払うこととなる。「………良かった、気を失っているだけか………」女生徒の傍に駆け寄り、無事を確かめる。見覚えのない顔からして恐らくは他学年。見た感じは一年生だろう。意識はないようだが目だった出血はなく、危険な状態には見えなかった。「………!ちょっと、退きなさい!中身空っぽじゃないの!」士郎の後を追いかけてきた凛が横たわった女生徒を見て慌てた様子で座り込んだ。「生命力………魔力がほとんど持っていかれてるわね。血ごとごっそり持っていくなんて」「血ごと………? 吸血行為をしたっていうのか………?」「そういうことになるわね。でもこの程度なら何とかなる………かも」凛はそう言って懐から宝石を取り出した。魔力を込めて治療をしようとした、その時。「っ!? 遠坂嬢、危ない!」鐘が叫んだ。凛は倒れた女生徒を、士郎は凛を見ていた。鐘は一番遅れてやってきたために視野は二人よりも広い。だからこそ見えた。士郎の横、凛の背後にある開け放たれた非常口。外から投げられる“何か”を。しかし、その姿を確認しても鐘では間に合わない。助けようにもまだ少し距離があり、彼女では凛を救えない。一方の凛はその声を聞いて背後へ視線をやろうと振り返っていた。しかしその僅かな時間が命取りとなる。このままだと顔面に飛来してくる“何か”が彼女を突き刺すだろう。となれば───「っ────!」ドシュッ! と音を立てて凛の顔を庇うために突き出した右腕に、杭のような短剣が突き刺さった。位置的に凛に近く、視線を僅かに逸らすだけで非常口を確認できる位置にいた士郎しか彼女を助けることができなかった。「な………何よそれ………!衛宮くん、腕、腕にグサッって………!」「衛宮………!」「あ────が………!」激痛で目を反射的に閉じていた士郎は目をゆっくりと開けて右腕を見る。刺さっていたのは、もはや短剣と呼べるほどの杭が、ものの見事に彼の右腕を貫通していた。「はぁ────はぁ───」魔力通さなくても意識はクリアになったな なんて強がるが体は傾いてしまう。「衛宮!!」駆けつけてきた鐘が倒れそうになった士郎を抱き留める。体は熱く、熱の所為で意識はぼぅとばやけている。その朦朧とした意識で激痛を発する右腕に刺さった杭を注視する。(これ………は)ドクン と士郎に緊張がはしる。それと同時に杭が消え、大穴が露わになった。あまりの痛みに右腕の感覚が麻痺してしまっている。「消えた………? い、いや、とにかく今は傷の手当を…………!」同様にそれを見ていた鐘も驚いた。しかし、今はそれに驚いているわけにはいかない。抱き留めた士郎の体は熱く、顔も赤いことから正常の状態ではないと判断した。一方の当の本人はというと別のことを気にかけていた。「氷室………美綴は学校にいるのか?」一つの不安。先ほどの短剣には見覚えがあった。だからこそ尋ねる。“あの敵”がいる以上、彼女を狙ってくる確率は捨てきれない。「え………? あ、ああ。君を探すために…………って、衛宮!?」「───遠坂、その子任せた」ダンッ! と床を蹴り、外へと飛びだす。すぐに周囲を探るが視界にはサーヴァントらしき敵は見当たらない。しかし。「あっちか………!」目も瞑れば士郎でもわかる魔力。それは露骨に移動していた。追うために士郎は駆ける。その体に鞭を打って。速度は通常よりも早い。強化魔術で身体能力を底上げしているのだから当然だろう。敵を追って移動中にとある長い棒を見つけた。「走り高跳びのバー…………か」すぐさまそれを手に取ってちょうどいい長さにへし折る。このバーは先日鐘がテーピングで補強したものだった。数日はもったが、昨日の長丁場の練習でついに寿命がきてしまったのでここに置かれていたのだ。「同調、開始トレース・オン」自己暗示の呪文をかける。通常ならば問題なく手にもったポールに強化がかかる。しかし今は「っ、ぐ、う…………!」一流魔術師、凛のガンドの呪いがかかっている。通常状態では考えられないほどの負荷。当然、こんな高負荷状態での強化などやったことはない。いくら慣れた工程だとは言っても集中力を欠けば、その反動は自分に戻ってくる。「─────基本骨子、解明」精神を統一させるために口に出す。「─────構成材質、解明」慣れている工程を一つ一つ確実にクリアする。助けるために強化魔術を使って自滅する、なんて話はお笑い話にもならない。「─────構成材質、補強」しかし時間をかけていられないのも事実。一気にラストスパートをかける。「─────全工程、完了トレース・オフ」強化は無事に終了した。左手にはしっかりと即席ではあるが、昨夜に比べれば立派な武器が出来上がっていた。鞄はその場に置いておく。左手しか使えない以上、武器を持つのに鞄は邪魔だった。「美綴っ…………!」そう呟いて再び走る。右腕はだらしなくぶらさがっている。相変わらず痛みの所為で感覚が戻らないが今はどうでもいい。一刻一秒でも早く、このドス黒い魔力を放つ者に追いつかなければいけない。この者が綾子を狙うという確証があるわけではないが、確率は高い。昨夜、先ほどの武器を持ったサーヴァントは綾子を狙ったのだから。「は────はぁ、はぁ、は───」右腕をぶら下げながら走る。ガンドの呪いは強化魔術によって誤魔化しているが、それでも少しずつ体は不自由になってきていた。加えて肘から下は血で真っ赤になっている。(腕に因縁が────あるのかな)ランサーが家に強襲してきた時、そして今。どちらも修復困難なほどの穴が開いていた。引きちぎれそうな腕の痛みに耐えながら抱えて走る。「────弓道場…………!」見えてきたのは弓道場。焦りは余計に倍化する。弓道場は綾子の活動圏の中でもかなりいる確率が高い場所。部活が終わった今、そこに彼女がいるとは限らなかったが、ひどく不愉快に感じる。まるで彼女をまだ狙っているかのようにすら今は感じてしまうのだ。弓道場の正面近くまで来て周囲を見渡す。「っ───このあたりだな、間違いない………」詳細な位置までは把握できないが、感覚がそう言っている。目を瞑れば、黒い闇めいた魔力が移動しているのが感じとれる。「弓道場の裏………雑木林か………!」◇「あんの、ばか!ガンドの呪いもダメージも無理やり抑え込んで追いかけたっていうの!?」非常口の向こうへ跳びだしていった士郎を見て、凛はいない人物を罵倒した。今すぐにでも追っていきたいが、目の前にいる女生徒を放っておくわけにはいかない。「氷室さんも慌てて追いかけに行っちゃったし………!」宝石を取り出して目の前に倒れている女生徒の胸あたりに翳す。「二人とも…………勝手にやられたりしたら許さないんだからね!」鐘には警告を、士郎には助けてもらった。借りを作られっぱなしのままどこかへいかれてしまっては彼女のプライドが許さなかった。―Interlude In―時間は少し戻る。◇部活が終わってバス停にいたあたしは「やれやれ………誘った奴が遅刻するなんてね」再び学校内にいた。あたしは時刻通りにバス停前に来た。そこにいたのは昨日、衛宮と一緒にいたセイバーさん。「や、え…………っと、セイバーさん。こんにちは」「貴女は確か昨日の…………」「その件についてはどうも」昨日出会ったんだけどまともな会話をしていないため、とりあえず自己紹介しておいたらいいだろうか?「え………っと、あたしは美綴。美綴 綾子っていいます。まあ衛宮と同級生です、よろしくお願いします」「………アヤコ、ですね。よろしく。 ところでシロウは見かけませんでしたか?」「いや、あたしは見てないです。ここで待ち合わせしてるから、待ってたらくるんじゃないでしょうか?」「そうですか。………は、貴女もヒムロと一緒に?」む、なかなか鋭いお人。「そういうことなりますね。まああとは当の二人を待つだけです」そう話しながら彼女の顔を見る。きれいな人だなーって思う。これでセイバーさんが女の子だと知らなかったらまさしく『美男子』として認識してたかも。っていうか、この人相手に敬語を使うべきなのかわからない。年齢的にはあたしの方が上のように見えるんだけど、なんかこう……敬語使っておかないといけないような、そんなオーラ的なものを感じるだよね。「む………美綴嬢。先にいたのか」「お、氷室。………ってことは残るは衛宮だけだな」後ろから声をかけられて振り返ってみると氷室がいた。「こんにちは、セイバーさん」「こんにちは。今日も何事もなくて何よりです」なにやら変な会話をしているけど、特に興味はないし衛宮がくるまで待っときますか。午後6時。正確にはそれから五分ほど経過している。「衛宮の奴、こないな。あいつこういうのは守る性質のはずだけど」「直線距離にして約230メートル。6時に学校を出たとしても5分あれば到着する筈なのだがな」「よくまあそんな距離まで…………。っと、仕方ない。学校に戻って衛宮を探すとしますか」待ちぼうけもそろそろ飽きてきたのでこちらから出向いてやろう。そして一発ガツンといってやらないとな。「では私もいこう。一人だけでは何かと都合はよくないだろう?」「ん、じゃあそうしようか。見つけたら携帯電話で呼ぶってことで」学校に向かって歩きはじめるけど、その後ろからセイバーさんが声をかけてきた。「待ってください。私も行きます」その言葉を聞いて少し考える。昨日は休日だったからよかったけど、今日は平日。学校に部外者をいれるのはどうなんだろうか。「セイバーさん、流石に今日は平日なのでセイバーさんが入ると教員が騒ぐと思います。セイバーさんはここに残っててください」横にいた氷室がセイバーさんを説得する。「そうそう、それにもし衛宮がすれ違いでここに来たときに誰もいないと困るだろうから、セイバーさんはここに居てください」援護射撃するようにあたしも続ける。「そうですか…………。わかりました」そう言ってセイバーさんはバス停の前で待つ事にしたらしい。そんな彼女を背にしてあたし達は再び校舎の中に入った。で、現在に至る。学校に入って二手に分かれた後、それぞれ衛宮がいそうな場所を探し回っていた。が、結果空振り。「んー、生徒会室にも教室にもいなかったから…………もしかして弓道部?」そんなわけないか、なんて思いながら、しかし他に思いつく場所もないためとりあえず向かってみる。鍵を開けて中に入る。が、当然いない。鍵を閉めたのがあたしなんだから当然っちゃ当然だったけど。「となるとやっぱり校舎の中かな」呟きながら弓道場内を一回り見て外に出ようと出口へ向かう。氷室からの電話はない。と、いうことはまだ見つかってないんだろう。二人して探しているのに見つからないなんて。かくれんぼしているわけじゃないんだぞ。「やれやれ………誘った奴が遅刻するなんてね」そう呟いて靴を履いて外に出ようとする。扉に手をかけたとき『弓道場の裏………雑木林か………!』と、何やら聞きなれた声がした。「……………?」そう思って戸を開けるがそこに衛宮はいない。「おかしいな………衛宮の声がしたと思ったんだけど」周囲を見渡す。が、やはりいない。そして視線を弓道場の傍の雑木林へと向けてみると───「衛宮………?」走って雑木林の中にかけて行く衛宮の後ろ姿があった。「……………」ほどなくして見えなくなる。が、おかしかった。なぜ衛宮は雑木林の中に走って行ったのか。あの中には何もない筈だが。約束をすっぽかしてまで何か大切な用事が?「……………血?」視線を落としたところに血の痕があった。点々と続くそれは雑木林の方へ続いていた。「…………」何か胸騒ぎがしたあたしは一度弓道場に戻り、弓道の一式──といっても弓と矢だけだが──を持ち出して衛宮を追うことにした。「とりあえず…………説明はしてもらうよ、衛宮。」弓道場から再び外に出たところで次は氷室と出くわした。「美綴嬢っ!?」何やら慌てたよう様子で近づいてくる氷室。その腕には衛宮が持っていた鞄があった。その姿を見て、そして地面に残る血の痕を見て、いよいよ異常な状況だとわかる。「衛宮は雑木林の中に走ってった。急ごう、氷室」そう言ってあたしは走り出した。―Interlude Out―─────第二節 倒すために─────結論を言おう。気配を追ってきた結果、そこに美綴 綾子の姿はなかった。それを確認してとりあえずは安堵する。この敵は昨日考えた通り、綾子に対して固執していないのだろうか。それとも士郎が追ってきた所為もあって襲うのをやめたのだろうか。どちらか判別できないが、他の女生徒を襲ったことは到底許されることではない。「慎二?」雑木林に入ってほどなくして顔見知りを見た気がした。だがすぐにその意識は別方向へ向けられる。「────!!」張り巡らせた神経が頭上からの攻撃を辛うじて身体を回避させた。だが完全に躱す事は出来ず、脳天を打ち貫かんと突き出された釘のような短剣が頬を掠めた。「くっ!!」だらりと剥げたように頬の皮膚が裂けている。頬から真っ赤な血が垂れ、足元に散らばる枯れ葉へと滴り落ちた。しかしこれでも幸運と言えるだろう。一瞬でも飛び退くのが遅ければ、今頃頭蓋を貫かれ串刺しにされていたのだから。「────」目の前に現れたサーヴァントは昨夜と変わらず無口。しかしそれがかえって不気味さを醸し出している。「痛っ────!?」何もない右腕に奔る激痛。そこに「─────」短剣による一閃が士郎の喉目掛けて振り払われた。 「っ…………!」咄嗟に跳び退いて、喉を斬り裂かんとする攻撃を回避する。しかし反応が僅かに遅れた結果、士郎の喉の皮膚はずらりと裂けていた。喉元から血が出てくる。右腕、頬、喉と出血している部分は多い。「目が…………!」僅かにぼやけてきた。出血に肉体ダメージに呪いと三重攻め。もし鐘や綾子がこの状態に陥っていたならばとっくに倒れているだろう。魔術使いたる士郎は自身の気合いと強化魔術によって、今はまだ倒れるまでには至っていない。「消えた…………!?」黒い女が視界から消失する。「────ぐ!」殺されると直感した士郎は、無我夢中に左手の武器で、自らの頭上を振り払った。ギィン! と互いの得物がぶつかり合い、一旦距離をとった黒い女………ライダーは木に張り付く。「蜘蛛か…………っ! お前っ…………!」霞む目で睨みつける。睨まれた女はそんな視線など意に介すことなくまた消えた。「ここは」危ない。そう考えて走った。今までの三回の奇襲。それを防ぎ、躱せたのは偶然。これ以上の偶然を期待するわけにもいかない。木を背にやって周囲を見渡す。「あんな目立つ格好してるのに、どうして───」見つけることができないのだろうか。強化は視力にも及んでいる。そこいらの視力のいい人間よりかずっと物は見えているはずである。しかしそれでも見つけることができない。地上に姿が一度も確認できないことから、恐らく枝から枝に飛び移っているのだろう と推測をたてる。「────!」ギィン!左から迫ってきたライダーに直感だけで武器を振るう。ガンドの呪いに始まって様々な状態に陥っている士郎だったが、それでも何とか反応できたのは僥倖だった。「────いい反応です」また消える。とことんヒットアンドアウェイの戦法。「なら────攻めたててやる…………!」左手の武器を離さぬように強く握りしめる。『驚いた…………令呪を使わないのですか、あなたは』確かに士郎のコンディションやこの状況を考えれば令呪を使ってセイバーに頼るのが正解かもしれない。しかし使うのはどうなのか?自らこの死地へ飛び込んだ。ならば責任は全うすべきだしなにより───「貴重な三回だけの令呪だ。こんなことに使ってられるかよ!」───まだ自分はやれる。「────そう、勇敢なのですね、あなたは。確かにその強化の魔術のおかげかもしれませんが。しかし────」ジャラ、という音が聞こえた。「上…………!」ギィン! と、ライダーが打ちこんできた。それを利き腕ではない左手で受け止める。ライダーは跳び退いて、すぐさま突進を開始する。それはたかが人間に奇襲を数度も受けきられた苛立ちか。しかし、その攻撃を弾き返し────「!?っそんな───!?」攻めたてる。「はぁっ!!」身体強化に強化された武器。この二つを以ってして逃さないように連撃をかける。防勢から一点、攻勢へと転じる。片手で武器を固く握り締める。足を踏み出し、敵の懐へと入り込む。「シッ!!」左袈裟斬りから逆袈裟。後ろへ下がったライダーに踏み込んで、振り上げたパイプを下ろし左脇構えに入り横胴へとつなげる。外せば僅かにパイプを返して再び右からの横胴。振りぬいてそのまま逆袈裟とつなげ片腕だけで右袈裟斬り。持てる力の全てを込めて、ただひたすらに連撃を見舞う!「くっ────!」ぎん、と鈍い音を響かせライダーは大きく後方へと跳躍し、距離をとる。「はあ、はあ、はあ、………は、はははははははっ!」喉から笑いが漏れる。(戦えている)サーヴァント相手に士郎は善戦出来ていた。身体のハンデを無理矢理強化で捻じ込んだ身体を動かして。偶然。しかし、ではこれはなんだというのか。サーヴァントからの攻撃を防ぎ、攻めたてている。偶然がここまで続くものだろうか。これが偶然以外の要素で成り立っているのであれば。「おまえ、ランサーに比べたら全然大したことないな!」追撃をかける。足元の腐葉土を蹴り、ライダーに攻撃を仕掛ける。その姿を確認したライダーは咄嗟に短剣を投擲するが、身体強化された士郎にはそれが見えた。左手の武器でそれを打ち払い、ライダーに肉薄する。「…………!」眼帯の所為でその表情を伺うことはできないが、驚いているように見えた。(やれる────!)邪魔をするものはなくなった。後は残り数メートルの距離を詰めてそのまま─────────第三節 救うために─────「…………いいえ、そこまでです。貴方は始めから私に捕らわれているのですから」がくん と体が停止する。否、無理やり止められた。右腕に奔る激痛。「まだ判りませんか? 貴方の腕に刺さったそれは、私の杭だという事に」「………!」咄嗟に右腕に視線をやる。そこには“消えたと思っていた杭が見事なまでに刺さったままの状態”だった。「な…………!」痛みの所為で感覚が麻痺していたとしても、なぜ刺さったままのこれに気が付かなかったのか、と考える。しかし、今さら発見して考えても遅い。「さて…………その右腕、どこまでもつのでしょうね」血に濡れた腕はひとりでに持ち上がり、そのままどこまでも上昇していく。ずずっ、と右腕に刺さった杭が疼く。「ぎっ────!あああぁぁぁっ!?」苦痛を無視して、刺さった右腕は持ち上げられ伸びきった。簡単な話。木の枝を支点として鎖を使って士郎を引き上げたのだ。「はっ───はっ───…………この…………!」持っていた武器を捨て、動く左腕で何とか刺さっている右腕の杭を引き抜こうとするがそれよりも早く───「さて、その誤った認識をしてしまったその瞳────濁った瞳を抉り出してあげます」ライダーが体をかがませて飛躍しようとしたその時。「おまえは────」「「!?」」「衛宮になにやってんだ!!」ヒュッ! とライダー目掛けて放たれるのは矢。一瞬何事かと驚いたライダーは、しかしそれでも冷静に跳んできた矢を撃ち落とした。しかし、その隙をついて「ぐっ───!!」士郎は右腕に刺さっていた釘を強引に引き抜いた。ドン! と、受け身も取れないで地面に落ちる。「っ─────」背中を強く打ってしまった。それに追い打ちをかけるのはガンドの呪いとそれまでの蓄積ダメージ。意識がとびかける。「「衛宮!」」近づいてくる影。視線をそちらに向けると見知った顔が二人。「────っ美綴、氷室…………!」「衛宮、大丈夫か!?」鐘が倒れた士郎の傍に駆け寄る。「────あんたは昨日の奴だよな? 今日は絶対に許さないよ!」綾子はライダーと対峙するように矢を構えた。その状況を見て、一瞬でまずい、と士郎は判断する。間違ってもここにいる三人ではライダーに勝てないだろう。(令呪を使ってセイバーを………!いや、でも美綴は…………)鐘と違い、綾子は聖杯戦争が何か、なんてものは知らない。今ここでセイバーを呼べば、それが露見することに────(って、四の五の言ってる場合か!)士郎はまだ何とか立てるがとてもライダーと戦えるような状態ではない。士郎の傍にいる二人は論外だ。魔術師ですらない。守る手札はここにはない。ならば呼ぶほかに道はなかった。「シロウ!!」しかし令呪を使うことはなかった。目の前に現れたのは鎧姿のセイバー。彼女の前から綾子と鐘が去ってからさらに数分。それでも帰ってこない三人の身を案じて学校へ向けて歩いていた。そして彼女が感知できる距離────200メートルまで近づいた時点で中のサーヴァントの反応に気付いた。すぐさま鎧化して士郎とのラインを頼りにより詳しい場所へかけつけたのだ。「シロウ、ヒムロ、アヤコ! 無事ですか!?」視線はライダーから離さずに背後にいる三人の身を案じる言葉をかける。一方のライダーは「─────」身を翻して、木の枝へと跳躍し、そのまま獣のように遠ざかっていった。「────また、逃がしたか」「セイバーさん!衛宮が!」ライダーがいなくなったことを確認して、セイバーはすぐさま士郎のもとへと駆けつけた。鐘と綾子が座り込んだ士郎を支えていた。「セイバー…………あいつは?」「ライダーならばこの場から去りました。もう大丈夫でしょう。あとは私が守護します。今は身体の方を」「そう…………か。美綴、怪我とかないか?」「え? あ、ああ。あたしは大丈夫だよ。い、いや、とにかく血止めしないと!衛宮、何か巻く物持ってるか…………!?」それを聞いてよかった と安堵しながらハンカチを取り出す。「氷室は? 大丈夫か? どこも怪我してないか?」「────私は大丈夫だ。それより自分の心配をしたらどうなのだ、衛宮。…………使っていないタオルなら私の鞄に入っていた筈だ。少し待ってくれ…………」「俺? 俺は大丈夫だよ、氷室。悪い、心配かけて」ははは、と笑ってみせるが周囲からの視線は変わらない。顔は赤くなって額には汗、顔と喉には切り傷があり、右腕には大穴。この姿を見て大丈夫だな、と思う楽観主義者はここにはいなかった。「衛宮くん、無事…………!?」一足遅れてやってきたのは凛だった。「っ…………!」鐘は彼女の姿を確認して、咄嗟に庇うように士郎の前に移動する。さきほどのやりとりがリフレインしてきたのだ。そんな彼女の姿を見た二人はそれぞれ別の反応をする。綾子は当然知り合いが来て──なぜここに来たのかは知らないが──焦ったような鐘を見て疑問を持ち、セイバーはその姿の意味を理解して士郎達の前に出た。「────」「────」凛とセイバーの間で続く沈黙。セイバーには士郎の状態を見て疑問を抱く点があった。切り傷や右腕の大穴。それはライダーによってつけられたものだと判別できた。では、士郎が額に汗をかいて顔を赤くしているのは?ライダーがやったという点も考えられなくはないが、サーヴァントがマスターを呪術で呪ったならばとっくに死んでいるだろうし、わざわざ近づいて戦闘をする必要性はない。となれば、これは別の者によって受けた攻撃だと判別するのは普通だった。そこに至ったところでの鐘の反応。またこの場所に来た凛の存在。彼女が何かのサーヴァントのマスターであることは容易に想像できた。「…………遠坂? 何でこんなところにいるんだ?」そんな事情など全く知らない綾子は、友人である凛に尋ねた。彼女がここにいる理由がまったくわからない。「ちょっと衛宮くんに用事があってね。…………衛宮くん、ちょっといいかしら?」「…………」対する士郎は厳しい眼つきは変えない。のこのことついて行って令呪を奪われた挙句、鐘と一緒に記憶を失う、なんてことになるかもしれない。笑えない冗談である。「大丈夫よ。“さっきの続きはしない”。………その体を“診てあげる”だけだから」士郎の考えを読み取った凛は、他意はないと示すため両手をあげた。士郎が凛にやった行為と同じである。「────わかった。すまない、遠坂。恩にきる」「………!? いいのか、衛宮」「ああ、大丈夫。さすがに遠坂もだまし討ちみたいなことはしないだろうし」「信用していいのですか、シロウ」「大丈夫。────そんな心配ならついてきたらいい。何も起きないからさ」ふらり、と立ち上がった士郎を支えるようにセイバーが肩を貸す。無論、目の前の敵が何かをしようとしたら即刻斬り捨てるつもりである。「美綴嬢、私たちもここに居続ける理由はない。三人についていこう」「え………? あ、そうだな」何が何だかわからない綾子はとりあえず鐘の言葉を聞いて歩き出した。◇時刻は午後6時半。外はすっかり夜になっていた。「とりあえずガンドの解呪はしておいたから」現在の居場所は弓道部の休憩室。そこにいるのは凛、士郎、そしてセイバーの三人。鐘と綾子は隣の部屋で待機中。「ああ………さっきよりだいぶ楽になった、ありがとう、遠坂」「────ま、借りを作りっぱなしは性に合わないからね。で、次はこの右腕だけど」綾子と鐘がしてくれた応急処置を解く。途端にまた血が出てきてしまう。「遠坂………っ?」「わかってる………痛いと思うけどちょっと我慢して」脈をとりながらブツブツと呪文らしきものを呟く。血止めと痛み止めらしく、右腕が少しだけ楽になっていた。解いたハンカチは血で汚れていない部分を傷口にあてて、ぐるぐると右腕をタオルで巻いていく。「────」そんな横顔を見て、再確認する。遠坂は信じた通りの人物だ、と。「───これで終わり。さっきの応急処置もよくできてたけど………魔術使った方が効果は高いから一旦解かせてもらったわ」そうか、と返答して右腕を動かしてみる。確かに今までよりはマシになっているように感じた。「で………何があったの? なんで綾子────美綴さんまでここにいるのよ?」「あー………話せば少し長くなるけど、それでもいいか?」「向こうで待ってる二人にも気を払ってくれるなら構わないと思うけど」「じゃあ簡潔に説明する。美綴のことだよな?」「ええ、他にも聞きたいことはあるけどまずはそれね」凛にこれまでの事を説明し始める士郎。紆余曲折はあったが、いい人だとはわかったし話すことで協力が得られるかもしれないと考えたのだ。5人を弓道場に残して、夜は更けていく。