第9話 明けない夜─────第一節 嵐の前の静けさ─────爆発音とともに深山町方面へ跳び退くセイバー。腕には鐘が抱えられている。「くっ………!アーチャーめ、私もろともランサーと一緒に撃破する気でしたね………!」そう呟いて爆発した箇所を一瞥してラインを頼りにマスターである士郎のもとへ急行する。対する鐘は屋根から屋根へと高速で移動する光景を見て困惑するしかなかった。「あ、あの。セイバー………さん?」「なんでしょう、ヒムロ」「その………助けてくれて感謝します」「私はマスターに指示に従っただけです。────少し速度を上げますので舌を噛まぬように」ドンッ! と屋根を蹴り、速度を上げる。「─────!」とりあえずこの状況で話をするのは無理そうだ、と感じた鐘は言われた通りに口を閉じた。屋根から屋根へ、屋根から電信柱へ、電信柱から屋根へ。そうして見えてきたのは鐘にとって見たくもない光景。否、セイバーにとっても許容できるような光景ではない。「衛宮!」「マスター!」着地して倒れている人物へと駆け寄る。セイバーと別れた地点から数十メートル離れた場所で俯せに倒れている。「衛宮、衛宮!!」どんどん焦燥感に駆られていく鐘に対してセイバーも焦燥感を隠しきれなかった。しかしふと左腕をに視線がいって「─────腕の穴が塞がっている………?」「え?」セイバーの呟きを聞いた鐘は彼の左腕を見る。左腕は血だらけだったが、反して彼女が見た筈の大穴がなかった。声に反応してわずかに体を動かして、重い瞼をあけた。「………氷室………、それに………セイバー………?」弱弱しい声ではあったが、それでも口調は比較的しっかりとしていた。二人は僅かに安堵して彼の背に手をやってゆっくりと起き上らせる。「悪い………。氷室、無事だったんだな………よかった」そんな感想を漏らす士郎だったが、心境は複雑だった。対する鐘は士郎がとりあえず無事なのを確認して、落ち着きを取り戻した。「セイバーさんに助けてもらった。─────ということはやはり、マスターというのは衛宮のことか」「─────俺も少しばかり混乱してるんだけどな」そう呟いて鎧姿の少女を見る。改めてみると美人であり、その容姿は鐘や士郎よりも少し下に見える。「………ありがとう、セイバー。氷室を助けてくれて」「いえ、マスターの命令ならば当然です。それに私としても一般人が殺されるのを見過ごす気もなかった」ブロック塀に凭れてその言葉を聞く士郎は首を傾げる。が、ここで、しかもこのような格好でいるのもどうか、ということもありとりあえず「とりあえず家に戻ろう。いろいろと訊きたい事とかあるけどそれからでいいだろ? 二人とも。「そうですね。このような外で話すのは得策ではない」「─────そうだな。私も少し整理したい」二人の同意を得て立ち上がろうと腕に力を入れる。と、ここで気が付いた。「─────あれ? 左腕の傷が塞がってる?」「? 衛宮、自分で治癒とか施したんじゃないのか? 魔法使いなら『ケアル』くらい使えるのだろう?」「俺は治癒魔術なんて使えないんだ、氷室。あと何で『ケアル』?」「………その『ケアル』が一体何なのかは知りませんが、左腕は大丈夫なのですか? マスター」二人のやり取りを見て少し疑問に思いながらも訪ねる。「いや─────痛みは残っているし動かそうとしてもかなり反応が鈍いけど、さっきまでみたいに感覚がないっていうことはない、かな」「では、ひとまずは大丈夫ということですね、マスター」「多分。─────それと、セイバー。その………俺はマスターっていう名前じゃなくて『衛宮士郎』っていう名前なんだ」「そうでしたか………。では、シロウと。─────ええ、私にはこの発音の方が好ましい」簡単にではあるが自己紹介を済ませて立ち上がる。だが彼の体の傷が塞がったとはいえ、ダメージは体内に蓄積されている。足元がふらついて体が傾く。「衛宮………!」傾いた体を鐘が横で支える。その光景は最初に二人が衛宮邸に来たときとは逆の関係。「悪い………ちょっとふらついた」「無理はしないでくれ、衛宮。支えてやるくらいなら私だってできる」「───助かる」見栄を張ったところで意味はない。そう考えて素直に感謝の意を示して肩を借りて歩き出した。セイバーは二人の後ろについて歩いている。鐘は彼の腕を自身に肩に回して、左手を彼の背中に当てて支えながら歩いている。「───衛宮」呟くような声で言う。「ん?」「ありがとう、助けてくれて。君がいなかったら私は………きっと死んでいた」言い忘れていた言葉。それは今すぐ隣にいる彼に伝える。その言葉を聞いた士郎は小さく驚いたが「───いいよ、気にしないで。言ったろ、助けたいから助けるって。本当に………氷室が無事でよかった」同じように呟いたが、その顔は優れなかった。「…………衛宮?」そんな顔をしている彼を見て不安になり声をかける。だがその直後に。「こんばんは、セイバー、お兄ちゃん。お兄ちゃんは会うのは二度目だね」幼い声が夜の町に響いた。歌うようなそれは、紛れもなく少女の物だ。視線が坂の上に引き寄せられる。月にかかっていた雲はいつの間にか去っていた。月明かりが示すしるべのその先に。軽く二メートルはある巨体。そしてその傍らにいる白い少女。影絵の世界に、それはあってはならない存在だった。─────第二節 バーサーカー─────「────バーサーカー………ですね」背後にいたセイバーが二人の前にでて戦闘態勢に入る。現在セイバーはマスターである士郎からの魔力供給を受けていない。彼の魔力がほぼ空の状態なので受け取ろうとも供給されていなかったのだ。そんな状態で戦うのは好ましくはないが、むしろ万全の状態で戦える方が珍しいので泣き言は言ってられない。何より前方にいる少女が三人を見逃すとは思えなかった。「バーサーカー…………」セイバーの言葉につられて声に出して呟く士郎。目の前にいる少女に訪ねる事などない。アレは紛れもなく敵であり、殺しに来た者だとわかったから。そしてその敵が放つ殺気は、ランサーよりも威圧的であった。隣にいる鐘は目の前の敵に呆気を取られていたが、士郎の呟きで我に戻り体をわずかに震わせながら、それでも彼を守る様に半歩分だけ前に出た。彼女があの巨体に対してできることなど皆無だろうが、しかしそれでもこれ以上傷ついた彼を見たくないという思いもあった。が、大きく出ることもできず、結果半歩という状況になっていた。何を中途半端な事をしているのか と自問しながら目の前の少女に視線を向ける。その光景を見た白い少女は首を傾げる。「そっちの人はだれ? 魔術師………じゃないよね? お兄ちゃんの協力者?」首を傾げる少女。当然ながら協力者ではない。それを聞いて士郎が否定の意を伝えようとする前に「ま、いいか。どっちにしろ殺すことには変わらないんだし」微笑みながら少女は殺すと口にした。その笑顔はこの場には似合わない。だがその無邪気な笑顔が背筋を寒くした。─────と。少女は行儀よく、この場に不釣り合いなお辞儀を見せる。「そういえばまだ名前、言ってなかったね。知ってるかもしれないけど一応言っとくね。私はイリヤ、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」「アインツベルン─────?」聞き覚えのない名前。だが二人の前にいたセイバーだけは僅かに反応した。無論後ろの二人は気づかなかったが。「さて、挨拶はこれくらいでいいよね。どうせ死んじゃうんだもの」「クッ………」セイバーが不可視の剣を構える。「ふふ………じゃあ、殺すね。やっちゃえ!バーサーカー!!」「■■■■■■─────!!!」巨体が宙を舞う。坂の上から飛び降りてくる。「───シロウ、ヒムロ。下がってください………!」同時にセイバーがあの巨体に向かって駆けた。バーサーカーの落下地点に急行したセイバーは即座に不可視の剣を振り上げた。同時にバーサーカーの大剣が振り下ろされる。ガキィィン!! という轟音が夜の町に鳴り響く。同時に巻き起こる突風。「うわっ………!」「………!」突風に吹き飛ばされそうになる。咄嗟に士郎は鐘を自分の方に引き寄せて衝撃から守る。そうして目に映った光景はセイバーが押される光景。「っ─────」口を歪めるセイバーのもとに轟!! と暴風染みたバーサーカーの一閃が襲いかかってくる。受け止めるその音はまさしく轟音。大気を裂きかねない鋼と鋼のぶつかり合いは、セイバーの敗北で終わった。ざざざざ、という音を立ててセイバーが後退する。バーサーカーの大剣を受け止めたものの、その力に圧倒されて押し返されていたのだ。「くっ………」体勢を崩しながらもそれを立て直そうとするセイバー。その彼女のもとへ「■■■■■■─────!!!」轟! と、バーサーカーが接近し大剣を叩きつける。避けることなどできない。その時間すら与えられないまま大剣を受け止める。バーサーカーの一撃は全力で受け止めなければならない即死の風だった。故にセイバーは受けに回るしかない。何とか隙を見出して反撃に移ろうとするが───「■■■■■■────!!!」大剣が振るわれる。その速度はセイバーを上回っている。バーサーカーが大剣を振るう。そこに技などない。必要がない。圧倒的な力と速度を以っていて敵を叩き潰す。振るわれるたびに大気が揺れる。電信柱など豆腐のように簡単に砕け、地面は瓦の様にヒビが入り、割れる。「─────逃げろ」呟く声はセイバーには聞こえない。だが彼を支える彼女にはしっかりと聞こえた。そんな彼の言葉などお構いなしに大剣は振るわれ続ける。セイバーはランサーとの戦いにおいて傷を負っている。加えてそれを治癒させてやれるほどの魔力は今現在士郎の内部には存在しない。故にセイバーは傷を負ったまま戦っていた。轟!!と繰り出される大剣。嵐のように襲ってくる大剣を捌ききれずに体勢を崩したところに放たれた一撃。それを轟音を伴いながら無理な体勢で防いだが、彼女の体が浮いた。致命傷だけを避けるために取った行動は、結果勢いを殺せずに吹き飛ばされた。大きく弧を描いて落ちる。地面に叩きつけられる前に身を翻して着地する。「………ぅ、つ………」だがその体から血が流れている。胸の周囲からも血が出ていた。「………あれは」その姿を見て鐘が思い出した。ランサーとよばれた男が放った槍。あれが直撃した箇所だった筈だ。傷が修復されていたので気に止めなかったが、外見だけだったとするならば彼女のダメージは深刻の筈である。「つ、う─────」胸を庇うように構えるセイバー。しかしそんなものは暴風であるバーサーカーには関係がない。傷ついたセイバーに斬りかかる。「………っ!! だめだ、逃げろ、セイバー!!」弱り切った体で、それでも渾身の叫びを響かせる。にもかかわらず、彼女は敵うはずのない敵へと立ち向かった。ガキィン!!という音を再開の音としてその後も幾度となく轟音が響き渡る。バーサーカーの攻撃に終わりはない。受ける度にセイバーの体が沈み、どんどん追い込まれていく。「「逃げろ(るんだ)!セイバー(さん)!」」その二人の叫びもむなしく、大剣の一閃が完全に防いだ筈のセイバーもろとも薙ぎ払った。だん、と。遠くで何かが落ちる音。見えるのは赤。鮮血。その中でもはや立ち上がる事の出来ない筈の体で「っ、あ…………」それでも必死に立ち上がろうとしている少女がいた。◇「──────────」心のどこかで彼女なら大丈夫だと思っていた。先ほど目の前で起きた光景。あの時は彼女が圧倒していた。きっと彼女なら大丈夫、そんな確証もない思いを懐いていたけどそれは間違い。愚かな間違いだった。少女を斬りつけた巨体は動きを止めている。それはまるで命令を待っているかのようで………「あは、勝てるわけないじゃない。私のバーサーカーはね、ギリシャ最大の英雄なんだから」その言葉を聞いた私は未だに理解できない。英雄が何だと言うのだろうか。「─────ギリシャ最大の英雄………?」「そうよ、そこにいるのはヘラクレスっていう魔物。お兄ちゃんが使役できるような英雄とは格が違う、最凶の怪物なんだから」イリヤと名乗った少女は私の質問に律儀に答えて目を細める。それは憐みなどの目ではない、楽しむ愉悦の目。────それは敵を倒す。────敵とは誰か。言うまでもない。彼女が殺される。それを防がなくてはいけない。じゃあどうしろというのだろうか。彼女に代わってあの怪物と戦う?そんなことはできない。私に力はないし、そもそも半端な覚悟で近づくだけで心臓が止まりそうだ。どうすればいい。助けてくれた彼女を見捨てるのか。何もできないと言って、死にかけている彼女を見殺しにするのか。必死に何か策はないかと考えを張り巡らせる私に「氷室」声をかけてくる衛宮。「悪い。ちょっとだけ………離れる」「え? えみ………」私が声をかける前に彼は走り出した。「いいわよ、バーサーカー。そいつ、再生するから一撃で仕留めなさい」活動を再開する巨体。「こ─────のぉおお…………!!」一気に坂を駆け上る。衛宮ではあの怪物をどうにかできるわけがない。ましてや今の状態ではそれこそ塵同然だ。だからせめて、傍にいる少女を突き飛ばして巨体の一撃から助け出さなければいけない。そう考えたのだろう。ドン! と少女を突き飛ばすことに成功した。………けれど。グチャッ。目の前で、ナニカが潰れるような音がした。ばた、と倒れる衛宮。その顔は心底何が起こったかわからない、という顔。「──────────え」その光景を眺めていた。そして彼が突き飛ばした時から彼が倒れるその時まで一部始終見ていた。何てことはない。あの巨人が振るう大剣が“早すぎた”。「が───は」吐血。地面に倒れている衛宮。その傷から見えるのは血だけではない。柔らかそうなもの、白っぽい枝………。私もセイバーさんも、そして敵であるイリヤという少女も、その光景を見て停止していた。「───ごふっ」また吐血。どんどん彼の顔から生気の色がなくなっていく。死ぬ。目の前で鮮血を噴き出して。倒れこんで。吐血して。シヌ。「な………んで」気がついたら走り出してた。知らない。あそこに行くことで死ぬとか知らない。躓いてこける。膝を擦りむく。そんなことは知らない。立ち上がって坂を駆け上がる。今度こそ彼の傍にたどり着く。赤。アカ。体は赤く染まっていた。「衛宮!衛宮!!」必死に意識を留めるために呼びかける。いや………そんなこととは関係なく、ただ名前を叫び続けていた。彼の声が聞こえない。ぐったりと力の抜けた彼の手足。顔は赤く染まり、瞳は壊れたオートフォーカスの様に半開きのまま停止している。全身にあの攻撃を受けて、激痛を伴っているハズなのに、抱えた彼は叫びもせず、体を動かすこともせず、ピクリとも動かなかった。「……や…………」判断能力なんて吹き飛んだ。すぐ近くに彼をこんな風にした敵がいるのに、それすら完璧に頭の中から消え去った。「────なんで」白い少女が呟いた。「────もういい。こんなの、つまんない」そのまま巨人と少女は去って行った。「衛宮………」私には見えない。腕の中にいる彼しか見えない。「衛宮ぁぁッ!」気がつけば私は彼を抱いて叫んでいた。─────第三節 ヴェールをかけた女─────今日の夜だけで行われた戦闘はすでに3つ。アーチャーVsランサーランサーVsセイバーセイバーVsバーサーカーその戦い全てを観察しながら、しかしその戦いに干渉しなかった人物がいる。「…………本当に、馬鹿な子」水晶越しにその戦いの一部始終を見ていたフードを被った女性。名をキャスター。とある一部の人物からはそう呼ばれている。「まったく─────セイバーのマスターがここまで無知で無能で愚かだとはね………」そう言いながら水晶から目を離す。もはやこれより先で戦闘は行われないだろう。「けどまだ生きてはいる、か。………案外悪運はあるのかしらね」そう言って口に手を当てて思案する。キャスターはサーヴァント中最弱と呼ばれている。それはキャスター自身の自覚しているため、だからこそ彼女は策を張り巡らせる。キャスターが根城とするのは柳洞寺。そしてその城を守るのはキャスターともう一人、アサシン。未だこの柳洞寺に敵サーヴァントの侵入を許したことはない。だが、それでも不安要素はあった。「あの野蛮人が襲ってきた場合、私とアサシンだけでは心許ないわね。せめて迎撃できうる駒は必要………か」すでに柳洞寺はキャスターの城と化している。その城の内部では圧倒的な力を発揮できるのだが、だからと言ってキャスターが慢心になることはまずなかった。「セイバー………彼女達を調べてみる価値はあるわね」キャスターの中にはすでにセイバーをどのように引き込もうかという策が複数個存在していた。自身の宝具を使い引き入れる。マスターごと引き入れる。そして………「彼女を利用する………という手もあるわね」魔女は呟き、妖艶に嗤う。貝紫のローブが翻った一瞬の後、そこにあった筈の彼女の姿は元から存在していなかったかのように消え失せていた。柳洞寺。長い石段の上ある寺。訪れた参拝客を最初にもてなすのは山門。その山門に紫紺の陣羽織を風にはためかせる一人の男の姿があった。誰がどう見てもそれは現代に生きる者の出で立ちではない。何より、その侍の右手に携えられた長大な業物が、振るわれる時を待ち侘びていたのだから。アサシン。そう呼ばれる彼はキャスターによって召喚され、山門の守りを任されていた。そんな彼の前に現れた男が一人。「───さて、もう夜も更けきって後は日の出で目覚めるだけという今宵。このような時限に参拝に訪れたわけではあるまい? そこの青髪の男よ」山門の前に佇む侍が問いかける。そこに敵意は無く、殺意も無い。澄み渡る静寂の水面のように無形。「お生憎さま、俺は仏教徒じゃねぇんでね。用があるのはお前だ、アサシン。─────まさかキャスターの膝元に居やがるとは思わなくってよ、探すのに手間取っちまった」「そうか、私に用があったか。てっきりこの先にいる人物に用があると思ったのだがな」侍の手の中にある刀が揺れる。刀と呼ぶには余りにも長いそれが月の光を一身に浴びたまま、訪れし敵へとその切っ先を差し向けた。「無論、その用とはただの世間話などではなかろう?」「当然だ。サーヴァントとサーヴァントが出会ったんだぜ? やることなんて一つしかねぇだろ!」轟! という音と共にランサーが石段を駆け上がってきた。その姿を見ながらも悠然と佇むアサシン。そして。ガキィイン!! という金属音が夜の山道に響き渡った。◆山道に響く金属音。槍と長刀が奏でるその音を聞きながら遠くでそれを観察する人物が一人。腰元、いや足元まで流れる紫紺の髪。すらりとした長身に肌を大きく露出させた黒の衣装。見紛うほどの美しさ。ライダー。彼女は二人の戦いを悟られぬように観察していた。聖杯戦争は始まったばかり。まずは情報収集から入るのが戦いに生き残るための定石。これは現代の魔術が全く関与しない戦争でも同じ。いかに相手の情報を手に入れて自分に有利な状況で戦うことができるか。彼女自身のマスターは残念ながら優れた魔術師ではない。いや、魔術師ですらない。ただ魔術という知識を持っただけの人物。そのくせお世辞にもあまり優れた性格・判断を下せる人物というわけでもない。ライダーはそんな自分の不利的状況を少しでも打開するために、夜な夜な情報収集に奔走していた。無論マスターにはその事を伝えているし、その間は大人しく家にいるように懇願しているため、離れている最中に狙われるという事はない。そもそも彼女のマスターは他マスターの探知には引っ掛からない。なぜならマスターは魔術師ではないからだ。◆月下流麗。月の光が山道照らし、その石段で踊るのは紫紺と群青。閃くのは銀の清流と紅の奔流。紅い槍と長刀。その姿の通りの戦いをするランサーに対して、対峙する男、アサシンは大よそそのクラス名とはかけ離れていた。侍の剣閃は一撃一撃が必殺の太刀だった。命を刈り取る鋭利な刃。それをランサーは手に握る槍で迎撃し、その次の瞬間には次の剣戟が繰り出されている。必死の攻防の中に活路を見出して突き出す槍は、しかし直撃することなく受け流され、そしてそれは相手の剣速を引き上げる糧とされていた。相手の得物は長刀でありランサーの槍のアドバンテージもあまり意味を成さなかった。懐に入りさえすれば勝負は一瞬で決着を見るだろうが、ランサーとて短剣の様な至近距離戦で真価を発揮する武装ではない。互いが互いの間合いを維持したままに火花が飛び散る。たとえそこまで行けなくとも、弾いた直後ならば次の一撃までに普通の剣よりも長い隙がある筈。しかも相手の剣筋は円。それは最速とは程遠い、無駄だらけの軌道である。故にランサーはその一瞬こそを待ち望んだが、その時は終に訪れることはなかった。一撃弾く度に速度を増し繰り出される閃光。それは本来有り得ない剣速。踏み込む度、打ち合う度、侍の剣は躱す事すら赦さないとばかりに速度を上げる。円を描きながら線より速く。不敏を思わせておきながら点より尖鋭。その侍には、その軌道こそが最善であると言わしめるだけの何かがあった。ランサーは反撃の糸口すら掴めず、ただただ侍の剣戟を受け続ける。そしてその光景を見ていたライダーもまた、疑問に囚われていた。なぜあそこまで正面切って戦えるのか。仮にもアサシンであるならばランサーと正面衝突した場合、押されるはずである。それでも戦えるように高レベルの気配遮断のスキルなどがあるのだ。だがあの侍は隠れようともせず、悠然とランサーと剣劇を繰り広げる。それはアサシンというよりもセイバーに近い。否、セイバーをも凌駕するかもしれないその剣劇は確実にランサーを押していた。足場の不利もあり、ランサーは距離を取る。「ち─────やりづれえな、お前」「ふ………。褒め言葉として受け取っておこうぞ、ランサー。………して、跳び退いて我が刀から離れたはいいがどうする?」「………どうするっていうのはどういうことだ」「なに、こうして戦いあえるのは僥倖ではあるが─────」アサシンは刀を下げた。それがどういう事を意味するか。「本気を出せない相手を斬るというのは釈然としないものでな。できるなら貴様には立ち去ってもらいたいものなのだが」「─────気づいていたか」「気づかぬ道理などあるまい。大よそ不本意なマスターの命令を受けたのであろう? その覇気に対して戦いに入る力はそれに似合わない」互いの殺気が完全に消える。これで戦いは終わり。「去るというのならば追わん。生憎と私の役割はこの門を守ることだけなのでな。─────もっとも、気に入らぬ相手であれば死んでも通さんし、生かしても帰さん」そう言ったアサシンはある場所を凝視する。視線を感じ取ったライダーはすぐにその場から離脱した。「やれやれだな、おい。戦いに水を差されるのは今日だけで三度目だ」「ほう。それはまた難儀だな、ランサー? 相当に運に恵まれていないようだ」「うちのマスターそのものがそもそも幸運なんてもの持ってるかすら怪しいもんなんだがな」そう言ってランサーはアサシンに背を向けて去って行く。「借りはいずれ必ず返すぜ、アサシン」そうして山道の戦いは終わりを告げた。