一章 四話 新米魔王転職中
「Lv上限じゃと? ……思ったより早かったのう」
イヨを落ち着かせて、ハルはゴウルの元を訪ねていた。イヨはハルの後ろで未だに暗い雰囲気を漂わせている。
「……早いのか? 俺はそんなもんがあったのも知らなかったが……」
「普通はそこに達することが困難じゃからの。それでも、Lv20以下が上限である者は滅多におらんじゃろうな」
Lvとは、本来魂の力のことであるらしい。
魂の力が強くなれば、それに伴い器(肉体)も強靱になる。
魂を成長させるには、濃い密度の経験が必要だ。故に、ハルのように常にいつ命を失うかという戦いを繰り返せば、Lvの上昇も早い。
基本的に、魂の力に上限値は存在しないと言われているが、逆にそれを包む器の方はそうもいかない。器が魂に耐えかねれば、肥大化する魂の力に器が壊されるからだ。
Lv上限とは器の限界値に達したということなのである。しかしながら、普通の生き物はそこに達することは滅多にない。器の安全機構として、ある程度で魂の成長が緩くなるからである。
ハルのLvぐらいの人間ならば、実はそこそこ存在する。それ以上ともなってくると、一気に数は減少するが、全体的に比較してみると、おそらくLv25から30辺りが平均的な人間の上限値だとみられる。
「まぁ、おらんわけではないのじゃろうが。やはりLv20が上限というのは少ないじゃろうな。お主が上限値に到達できたのは、何度も死にかけたことで器の安全機構が機能しておらぬからかもしれん」
「……てことは、これ以上レベルを上げる術ってのは」
「…………存在せんの」
軽く首を振り、ゴウルは宣告する。
技術はともかく、肉体はこれ以上強くならない。ようやくごうけつ熊を相手にできるようになった程度の力しかないにも関わらず、ハルの能力はこれ以上上がらない。
技術を高めれば、バラモス城近くの雑魚程度なら相手取れるようになるかもしれない。
しかし、ヤマタノオロチであるヒミコやボストロール。そしてそれ以上の力を持つバラモスには到底届かないだろう。
魔王を目指すハルにとって、それはあまりにも高い壁だった。
「…………力が足りない」
握った自分の手を見ながら、ハルは呟いた。
絶望的な力の差。しかし、そんなことで諦めるぐらいならさっさと死んだ方がマシだ。さすがに存在の根本から非才だと突きつけられるとは予想外であったが、元より自分の上限が低いのは承知の上である。
根本的な能力が足りないのであれば、どこからか調達してこなければならない。考え得る手段としては三つ。
装備を調えること。
現状の装備はハルがその辺りに転がる死体等から掻っ払って使えるようにした物や、魔物の肉と引き替えにジパングの住民からこっそり仕入れたような物ばかり。鋼の剣が手に入ったのは幸運だったが、防具は未だジパングで作られた皮の軽鎧だ。
おそらくは存在するであろう魔法の力を帯びた品等を手に入れれば、それだけでかなり変わるだろう。
力の種に始まる、各種能力向上の種を食べること。
最初の頃に聞いてみたが、一応存在するらしい。霊樹と呼ばれる程成長した木が、一定条件下で長期間を掛けて一粒作り出すか否かという、手に入れるのが非常に困難である品のようだが。
残るは、魔法。
防御が低いのならば、スカラを使えばいい。素早さが足りないのであれば、ピオリムが存在する。攻撃力が足りないなら、バイキルトを掛ければいい。
さらには、メラに始まる攻撃呪文。これらを覚えれば、戦闘の幅は大きく広がる。Lv20という上限の中では、どこまで使えるようになるか分からないが。
そして、ハルが魔法を覚えるためには――――。
「……爺さん。この島から外へ出るにはどうすればいい?」
「何じゃと?」
「俺は、ダーマに行こうと思う」
***
ダーマに行くのはいいが、一つ問題として、大陸へ渡る手段がハルにはなかった。ゴウルやヒミコならばそれほど難しいことではないが、この二人が動ける筈がない。ジパングは他国との貿易などしていないので、渡航船も存在しない。
どうしたものかと一週間ほど悩んでいたところ、珍しくヒミコが降りてきた。
「ふむ……ダーマにのう……行けん事もないと思うぞ?」
「ホントか!?」「ホントですか!?」
「……ハルはともかくして、イヨは少し落ち着いたらどうじゃ? そなたが血気上げても仕方あるまい」
「あ……も、申し訳ありません」
よほど気にしてくれていたのか、ヒミコに注意されてイヨが体を小さくする。しかしながら、長くいるせいかこの二人は随分と気さくだ。イヨがヒミコを恐れていないというのが大きいようだが、ヒミコもかなり気を許しているようである。
「どうせもうじきアレがやってくるじゃろうしな」
「……おお、言われてみればそうですな。なるほど、あ奴らに積んでいって貰えばいいですのう」
ヒミコの言葉にゴウルが納得したように手を打つ。しかし、ここから外に出ることのないイヨや、来てまだ日が浅いハルは何のことか分からなかった。
「アレって何だ?」
「宣教師共の船じゃ。大体一年に一回ぐらいのペースでこの国にやってきて布教しとるんじゃがの。この辺りの信仰とは微妙に違うし、妾としても奴らが蔓延るのが気に食わんので直ぐに追い返しておる」
説明だけを受けて、ハルはヒミコが何を言いたいかを理解した。
「なるほど……ようはそいつらを適当に騙して船に乗ればいいと」
「うむ、そなた、口は得意であろう?」
にやりと、ヒミコとハルが人の悪そうな笑みを浮かべる。その傍らで二人を見ながらゴウルが密かにため息を吐いていた。
***
結論から言えば、船に乗ることには成功した。
「そうですか……大変だったんですね……しかしこうして助かり私達が出会えたのも神のお導き。あなたがよろしければ、神に感謝を捧げても構いませんか?」
髭面の非常に濃ゆい顔の神父に長々と祈りを捧げられることになったが。
ハルは切に願う。精霊でも神様でも悪魔でも何でもいいから、とりあえずこのおっさんの涙を止めてくれと。絵的に非常に辛い。
「おお……母なる神よ……よくぞこの若者を助けたもうた……その慈悲深き愛に感謝を……」
結局、ハルが解放されたのはそれから一時間後のことだった。
「…………正直、何度も死にそうになったことはあるが、あれよりは全然マシだった」
「あははは、まぁロドリー様はその辺りにいる神官よりも神への信仰が厚いですから。あれでも教内では結構なお偉いさんなんですよ?」
「……あのおっさん殺した方がよほど世のためのような気がする」
甲板でぐったりとしたハルに笑いかけるのは、僧侶見習いのエベットという名の少年だった。綺麗な金髪で、純朴そうな童顔はそれなりに整っており、ある一定層の女性に人気がありそうである。見た目は向こうで言う中学生ぐらいに見えるが、これでハルと二つしか変わらないらしい。
「でもほんとハルさんって運いいのか悪いのかわかんないですよね。漂流して助かったのはいいけど、あの国排他的だし、魔物は結構強いし……Lv高くなかったら死んでもおかしくなかったけど、偶々布教に来てたロドリー様の船に乗って帰れるし」
「あぁ……自分でも悪運が強いなとは思ってる」
この船に乗るのに、ハルはだいたい今エベットが言った通りに説明をした。漂流に近い形であの国に着いたのは本当だし、オロチの洞窟から出られるようになっても、あの国が排他的であったために獲物を持って行くぐらいしか交流手段も存在しなかった。問題なのはヒミコ関連についてだけなので、後は自分が如何に苦労したか少々の誇張を交えながら話せばいい。
「でも、あの国も困りますよね。何であんなに排他的なのかなぁ。ロドリー様が何度訪れたって全然教え広まらないし。自然信仰も始祖信仰も根本は変わらないと思うんですけど」
「……根本的なところが変わらなくても、基本的な思想が違えばそりゃ無理だろう」
この世界において、主流なのは始祖信仰である。天上の神を仰ぎ、直接神に祈りを捧げる。大陸に広く広まっており、教会は全て始祖信仰にあたる。
一方自然信仰の方は、この世界を形作る物全てに神が宿っているという考えで、大地や風、自然に祈りを捧げる。原住民というか古くから他と交わっていない部族は、こちらの方が多い。
どちらも天上の神を根本に抱いているのは変わりないのだが、それぞれ基本思想が違っているので、交わることはない。要は、一宗教内の宗派の違いのようなものである。
ジパングはまさに自然信仰の方にあたるし、ヒミコも魔族である時点で神に祈りを捧げるなんてありえない。(別に本人は天上の神のことをそこまで嫌っている訳ではないが、祈る対象には決して挙がらない)
要するに、今のジパングに布教することなど、成功するはずがないのだ。その辺りのことを理解しない限りは、ロドリーらがまともに親和することすら難しいだろう。
「にしても、ハルさんって凄いですね。僕と二つしか変わらないのにLv20だなんて! 僕なんてLv7なのになぁ」
「んー、あそこで一人で戦ってたら二・三ヶ月あれば16・7はいくと思うぞ?」
「あんなとこで一人で戦ったりなんかしたら死んじゃいますよ!」
冗談ではないとばかりにエベットは首を振る。自分のやってたことの無茶苦茶さ加減は理解していただけに、ハルも軽く肩を竦ませるだけで済ました。つくづく、イヨとゴウルには頭が下がる思いである。
***
船旅はそれほど大変なものでもなかった。
道中魔物に襲われこそしたが、さすがに立場ある教会の人間を乗せているだけあって、船乗り達の練度もよく、船に上がられる前に殆どを撃退することができた。
一度、大型モンスターであるだいおうイカに出会ったときはハルもかり出されたが、ロドリーやエベットの援護のお陰で難なく撃退に成功した。さすがに、ロドリーが巨大なモーニングスターを振り回している場面ではハルも衝撃を受けたが。
船はバハラタとダーマの中間点ほどに存在する小さな波止場に停泊し、ダーマに向かうロドリーらと共にハルも出発した。
最近はやはり魔王の影響か、魔物に襲われることも増えているらしい。普通から見れば十分高Lvといえるハルは、丁度いい護衛扱いだ。ハルとしても、道に迷う心配はなく、かつ一人よりも安全に旅ができるのだから利は大きい。
こうして、船に乗り四日、馬車で十日ほど掛かり、都合二週間余りで一行はダーマに到着した。
***
「それでは、ハル殿。道中ありがとうございました」
「ハルさん! 転職の儀式大変でしょうけど、がんばって下さい!」
ダーマに辿り着いたところで、ハルはエベット達と別れた。彼らは、この後ダーマの教会の方に用事があるらしい。
「さて、ここがダーマか……結構イメージと違うもんだなぁ……」
大きな『街』の入り口で、ハルは遠くに見える神殿を眺めながら呟いた。
ジパングはまだ村自体が小さかったお陰か、自分の覚えていたゲームのイメージとはそこまで離れていなかった。しかし、ダーマは全く違う。
おそらく、遠くに見えている大きな建物がダーマ神殿なのだろう。街の入り口から一直線に道が延びている。その道に沿うように家や店などが建ち並び、かなり大きな街が作られていた。
考えてみれば当然のことかもしれない。ダーマ神殿はこの世界で唯一転職を可能とする場所。人が集まるのならば、当然宿が必要になり、商人達が店を広げ、やがては街に発展するのも自明の理だ。また、聖地としても有名らしく街の中には神官達の姿も多い。
「んー、まだ昼前だしなぁ……先に神殿の方へ行くか。宿はまた後で大丈夫だろ」
こちらの世界に来てから初めて大きな街に入る訳であるし、色々と興味もあるのだが、とりあえずハルはここへ来た目的を果たすために足を動かす。そもそも、あちこち見て回れるほど路銀もないのだ。
ここに来る道すがらにマッドオックスを倒し、皮だの何だのを剥いだり燻製にしたりした物が背負っている大きめの荷物袋に入っているが、これらを売ってもそれほど大きな金になるわけがない。
転職後はLv1に戻るため、神殿内にあるらしい訓練所で少しばかりはLvを上げねばいくら何でも危険度が高すぎる。しばらくの間は金を稼ぐことも難しいとなると、今ある物をできるだけ大切に扱わねばならない。
「しっかしまぁ、思ったより道広いもんだなぁ。車すれ違うぐらいはあるか?」
中世の道と言えば何となく狭くて雑多なイメージであったが、それに比べると随分道は広かった。おそらくは乗用車がギリギリすれ違えるぐらいはあるだろう。
周りを行く人々は実に様々だ。ハルのように明らかに剣士らしい格好をしている者もいれば、一目見て魔法使いだと分かるようなローブと杖を持った人物や、チョッキとズボンのまさしく町人といった姿まで、多種多様にわたる。
立ち並ぶ出店には、きちんと店舗を構えているところから、台の上に武器やら盾やらを乗せただけの店もある。所々には食べ物を売っている屋台もあり、見て歩くだけでも飽きることはない。
(これじゃまるっきり田舎者だな。まぁ、実際そうだからしょうがないが)
明らかに初めて大きな街にやってきましたといった風に、周りを見ている自分の姿に苦笑する。こうして外の空気に触れることができただけでも、ジパングを出てきた甲斐があったと感じた。やはり、実際に見てみるのと知っているだけの齟齬は大きい。
今のハルは散発的な知識だけ持ってる世間知らずである。これからどう動くにせよ、それぞれの国についてもっと深く知るべきだろう。
半刻以上は大通りを歩いていたであろうか、ハルはようやく神殿の前へと辿り着いた。
見れば圧巻の大きさである。何も知らずに城だと言われれば、そうなのかと納得してしまいそうだ。
巨大なる神殿を見上げながら、ハルは階段を上る。始祖信仰の聖地でもあるから、純粋に礼拝に訪れた者たちもいるのだろう。神殿に向かう者、神殿から降りてくる者は数多い。
階段を上りきり、開け放たれた扉から中へと入れば、また中の広さに圧倒される。
日本で言えば、どれぐらいの坪数があるのだろう。少なくとも、二世帯住宅が二軒ぐらい簡単に収まりそうだ。横から伸びた通路の先には、おそらく神官や修道女達の生活施設なりなんなりがあると思われる。
光を取り込むステンドグラス。窓から差し込む光が、中の厳かな雰囲気を包み、神聖さを醸しだし暖かさを与えてくれる。
「……これはすげーわ。うん、驚いた」
気を取り直して周りを見てみれば、修道女が座った受付らしきものが設置されている。おそらくは、あそこで聞けば案内してくれるだろう。
幾人かが並ぶ受付の後ろに付き、前の話に耳を立てると、殆どが神殿内の施設の利用許可を申し出ていた。殿内には、図書館や訓練施設なども存在しているらしい。
スルスルと列は進み、ハルの番が訪れる。
「では次の方。お名前とご用件をお願いします」
「名前はハルだ。転職の儀式を受けさせて頂きたい」
極めて普通に、ハルは自分の目的を告げた。だが、ハルの言葉を聞いた修道女は何やら驚いた様子で、口元に手を当てていた。
「……転職の儀式で、お間違いありませんか?」
「そうだが……ここで受けられるんだろ?」
「え、ええ。その通りですが……少々お待ち下さい」
ハルにはなぜか分からなかったが、修道女以外に周りにいた人間も驚いている様子であった。その反応を見て、ハルは思い当たる。
転職できる最低Lvが20であるのは、それなりに有名な話のようだ。そして、この世界でLv20というのはそれなりに高い部類に入る。それこそ、宮仕えをしていれば、一隊を任される程には。
Lv20まで上げるには、かなりの努力が必要である。故に、転職してLv1に戻るというのは端から見れば相当な苦行なのだろう。折角そこまで上げたのに、ということだ。
思えば、ハルがダーマに行く目的を聞いたエベットは、かなり驚いていた。あれは、転職する人間が極端に少ないからだったのか。
「……お待たせしました。では、彼女に付いていって下さい」
受付の修道女が、奥から別の修道女を連れてくる。促されるままに、ハルはその修道女に付いて神殿の奥へと向かった。
向かう際に、ついでとばかりにハルは修道女に聞いてみる。
「随分と驚いてたみたいだが、転職する奴ってそんなに少ないのか?」
「そうですね……一年でお一人いるかどうかという程ですね。Lv20を超えるには並々ならぬ努力が必要ですから、転職されるのはよほどの思いを持っておられる方ばかりです」
「……なるほど」
一年で一人いるかどうか。思ったよりもずっと少ない。命を投げ捨てながらも半年でそこまで上げたハルには、あいにくとLvにすがる人間の気持ちは理解しがたかった。Lv上限というハル自身の問題もあるかもしれないが。
修道女に案内され、ハルは祭壇の前へと辿り着いた。修道女は役割を終えたと後ろへ下がり、壇上では、白ひげを蓄え赤いローブに身を包んだ老人が、ハルのことを見下ろしている。
「お主が転職を希望する者か?」
威厳のある声。転職を司るダーマにおいて、それを行使する者。おそらくは、この老人こそがダーマの神官長なのだろう。いや、ドラクエでは大神官というのだったか。
老人の声に、ハルはただ頷いて応える。
「ふむ、Lvは確かに20に到達しておられる……なるほど、精霊の洗礼は何も受けておられぬようじゃな。旅人とはまた広い意味にとれるが……しかもLv上限に達しておるのか」
ハルが何を言うまでもなく、老人はハルの状態を見抜いた。イヨと同質の力……否、何の動作もなく、しかも現在の職まで瞬時に視た老人の方が能力は上か。さすがは、というべきなのだろう。
「申し遅れた、私はダーマ大神官のフォーテと申す。お主の名は?」
「ハルだ。Lv20なら転職ができるんだろう? Lv上限だったとしても問題はないと思うんだが?」
敬うところを知らないハルの言葉に、フォーテはいささかも気を悪くした様子はなく、コクリと頷く。
「無論。そもそも、Lvとは何なのか知っておられるか?」
「……魂の力だと聞いた。それに引き上げられ肉体が強化され、Lv上限とは肉体が耐えられる限界位置だということも」
「その通りじゃ。そして、転職とは肉体自体を転換させることにある。強い魂の力を持って、肉体をその職に適したものに作り替えるのじゃ。Lv20というのはそれができる最低限の状態であり、肉体を作り替える為に使った力は失われるためLvは1に戻る。しかし、肉体が変換されたとしても、元々あった能力が完全に失われることはない。新たなる肉体でも、以前の力の残滓は必ず感じられる筈じゃ」
魂の力が弱くては肉体の変換は叶わず、逆に強すぎる魂の力を持つ肉体を変換するのに同等の力を要するため、どれほどLvが高くとも必ずLvは1に戻るらしい。また、器自体が変わるわけではないため、Lv上限が上がることはない。
「ハル殿の場合、どう足掻いてもLvはそれ以上上がらん。力を欲するならば、転職するしか術はないじゃろう。じゃが、お主はなぜ力を求める? 今のままでも、人間としてはかなりの力である筈じゃ」
「必要だからだ。今程度の力じゃ、俺が求めるものは決して手に入らないからだ」
「分不相応であるとは思わぬか? 自身の最高到達点に達して尚も届かぬのであるならば、それはお主の手に余るものに違いあるまい?」
フォーテの言葉は、確かに当を得ている。おそらくは、ハルの目的はハルに許されるものではないのだろう。手に入れるには、あまりにもハルの力が不足している。しかし、そんなことハルの知ったことではない。
「手に余るのならば、余らなくなるほどに自分が大きくなればいい。どんな手段だろうと、どれほど苦しかろうと、そこに上り詰めてみせる。俺の望むものは、そこにしか存在しない」
見返し言葉を綴るハルに、フォーテは頷いた。
「……Lv1に戻り修行しなおす事など、大した障害ではなさそうじゃの。承知した。お主の希望する職を答えられよ」
「魔法使いだ」
間髪入れず、ハルは即答した。同じ魔法ならば僧侶という選択肢もあったが、回復・補助よりハルは攻撃魔法を選択する。ハルに今もっとも必要なのは、単体火力だと考えたからだ。
答えを聞いたフォーテは、ハルに向け手に持った杖をかざす。
「では、これから行うのは肉体の変換であると心せよ」
一言だけ告げ、フォーテは大きく息を吸い込んだ。
「【神よ! 我らを創りたもうた天上の神よ! ここにいるハルという名の者に、新たな職につくことをなにとぞお許し下さい! どうか、彼の者に新たな職への道をお示しくだされ!】」
瞬間、ハルの目の前は真っ白に染まった。
「あっ……がっ……」
吹き荒れる嵐の中に放り込まれたかのような感覚。吹き上げてくるのは光の奔流。体の内が、今までと違うものに書き換わっていく。
熱い。体が燃えているのか。魂が燃えているのか。肉体の感覚が希薄であるのに、熱さだけは感じる。
反転する。反転する。反転する。
スイッチのオンとオフが切り替わる。今まで存在しなかった筈の場所に、新たな回路が現れる。今まで存在した筈の場所から、使っていた回路が掻き消える。
時間の感覚など分からない。どれほどの時間が流れたのだろう。長いようにも、まだ始まったばかりのようにも思える。
そして、転職は成った。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
気がつけば、ハルは祭壇で四つん這いになっていた。息すらできていなかったのか、肺に入る空気が心地よい。
スッと、冷や汗が引いていく。一度深く目を閉じて、深呼吸をし、立ち上がる。
次に目を開けたとき、明らかに世界は変わっていた。
落ち着いてみれば、自分の中に何か今まで感じたことのない感覚が存在する。神殿内の空気に、何らかの力が宿っているのも分かる。
目に見える景色は何も変わらないのに、全てが違って見えた。
「見事、転職できたようじゃな」
髭を弄びながら口元に笑みを浮かべるフォーテに、頷いて応える。
体が重い。これはきっと、今までの力が失われたからだろう。身に付けた鎧も、腰に差した剣も、まるで別物のように感じる。
半年前、この世界にやってきたLv1の自分は、今よりも遙かに弱かった。たった半年前のことなのに、先ほどまであった筈のものがない感覚が、ハルを戸惑わせる。
よくも、これ以下の状態でヒミコに大見得をきったものだと、笑いさえ込み上げてきた。
「魔法使いの体か……ほんとに、今までのと全然違うんだな」
「まさしく、魔法を使うためのものじゃからのう。急に力を失った違和感は大きいじゃろう? しばらくは、この神殿の訓練所にて体の使い方を学ぶといい」
フォーテが言うように、体の違和感を拭わねばろくに戦闘などできそうにない。装備も切り替えたほうがいいのだろうが、あいにく金がない。
ゲームのように、魔法使いの体だからといって剣が装備できない訳ではないので、別段このままでも構わないのだが……
「筋力育ちにくい訳だし、その辺どうにか考えないとなぁ」
「その前に、術具無しじゃと最初は魔法を使うのも厳しいぞ?」
「は?」
魔法というのはLvさえ上がれば勝手に使えるようになるものではないのか。てっきり使い方覚えて呪文唱えれば何とかなるだろうと思っていたハルにとって、フォーテの言葉は寝耳に水であった。
「術具ってのは杖とかか?」
「うむ、魔力を通しやすい媒体じゃのう。簡単なものじゃと樫の杖なんかは安く売っておるぞ。魔力を増幅したり、物自体に魔力が込められているような物はとてつもなく高価になってくるがのう」
「いや、魔法ってLv上がって使い方覚えて呪文唱えれば出るんじゃないのか?」
困惑したハルの言葉を聞いて、フォーテは呆れたように首を振った。
「そんな簡単なものなら、魔法使いにLv以外の実力差なんぞ出んじゃろう? 最初の頃は自身の中に生まれた魔力を感じることすら難しいというのに」
「ん? 魔力って……たぶん分かると思うんだが……」
「ほ?」
言われて、今度はフォーテが困惑したように目を瞬かせた。
そもそも、今まで存在することすら分からなかったものが出てきて、分からない方がおかしいのではないかとハルは思っていた。
確実に、ハルは自分の中にある僅かながらも今まで分からなかった力が分かる。そして、神殿内の空気にそれらが変質したようなものが存在していることも感じていた。
「自分の中の魔力っていうか……ここにも結構濃いのが漂ってるよな? それがどんなのかって言われたら答えられんが……」
「ち、ちょっと待つのじゃ。いや、確かに神殿内には強い結界の力が存在するが……ハル殿、少し時間を貰っても構わんかの?」
「まぁ、別に用事があるわけじゃないからいいが……」
了承したハルが案内されたのは、ダーマ神殿内に存在する図書室だった。フォーテに導かれるままに奥の部屋へと入ると、眼鏡を掛けた冴えない顔の男性がパラパラと本を捲っていた。
フォーテの姿を認め、慌てた様子で男性が立ち上がる。
「これはフォーテ大神官! 何かご用で?」
「そんなに畏まらんでいい、ランド、ダーマで最も魔力の扱いに長けたお主の力を借りたいのじゃ」
ランドと呼ばれたこの男性。全体的に冴えない雰囲気を漂わせている。髪の毛は整えられた様子がないし、着ている物はくたびれた麻のローブ。身長はハルの目線ほどでさほど高くなく、たれ目がちでどことなく弱気な印象も受ける。
しかし、フォーテの言葉を聞き目を細めた彼は、確かにただ者ではないと思わせるものがあった。
「私に何を?」
「そこまで大事件という訳じゃないんじゃが……ハル殿、彼はこの図書室の管理しておるランドという。言ったように、魔法使いとしても非常に優秀で、ダーマで魔力の扱いにおいて彼の右に出る者はおらん程じゃ。ランド、こちらはハル殿。今日めでたく魔法使いに転職を果たした、前途有望な若者じゃ」
「それはそれは。しかしフォーテ大神官。それほどまで私を持ち上げないで下さい。私はただ小器用なだけですから……それで、ハル君でしたか。紹介に与りましたランドです」
フォーテを仲介に紹介され、ランドは自然と手を差し出してきた。意外と社交的な人物なのかと評価を改めながら、ハルは握手を返す。
「ハルだ。よろしく頼む」
「それで大神官。彼がどうかしたんですか?」
「うむ……ハル殿、お主は今まで魔法を使えず、今日初めて魔法使いに転職した。これは間違いないかの?」
「ん? ああ、そうだ。今まで魔法が使えた事なんてないな」
ハルに確認を取ったフォーテは、ランドに向き直る。
「ランド、少しばかり魔力を動かしてもらえんかの? それも、ハル殿に分からぬように」
「はぁ……魔法を定める前の純魔力でいいんですか? それだったらどうやっても魔法使いに成り立てのハル君が分かる訳ないと思いますが……」
言われるがままに、ランドは手を宙へと差し出した。そして数秒そのまま待機したかと思うと、フォーテに向かいコクリと頷く。
「ハル殿、今ランドは魔法が形成される前の、完全に純粋な塊の状態で幾つか宙に飛ばしておる。それの数と場所が分かるかの?」
「んーまぁ……ここと……そこと……こっちもか?」
フォーテに促され、ハルはそれらしき気配の場所を指さす。一瞬で分かるというわけではないが、少し集中してみればああこれだなという手応えを見つけられた。ハルに分からないようにという言葉通り、ランドが差し出した手とは全く関係のない場所ばかりだ。
ハルの言葉を受け、ランドが目を見開いて驚きを見せる。
「……なるほど、大神官が言いたいことが分かりました」
「…………どうやら、相当珍しいみたいだな俺は」
二人の言葉から、ハルもなぜ彼らが驚いているのかを理解していた。どうにも、ハルのような“成り立て”が魔力をすぐ感知できるというのは、普通ありえないらしい。
「珍しいどころか、こんな話初めてですよ。魔法使いの素質がある者でも、魔力を扱えるようになるまでそれなりに時間が掛かるんです。特に、ハル君は元が純粋な魔法使いではありませんから、どれだけ早くともLvが上がって一週間は必要なのが普通です。それが転職してすぐにその存在を感じられるとは……鬼才と言っても過言ではありません」
「……魔法使いに転職したのはまさしく天命という奴じゃな。それだけに惜しいのう。Lv20という上限さえなければ、稀代の魔法使いにもなれたやも知れぬのに」
Lv上限という単語に、ランドは絶句する。
「なんと…………Lv20が上限とは…………」
惜しむ二人の様子に、ハルは頭を掻く。
どれほど魔力の扱いに才能があろうが、ハルはLv20以上の魔法を覚えられない。ハルが覚えている限りではヒャダルコか……よくてバイキルトか。メラゾーマやベギラゴン等の、最大攻撃呪文には届かない。
しかしながら、無いものを嘆いても始まらないのは確かだ。
「まぁ、自分に少しでも有利な才能があったことに喜ぶとするさ。嘆く暇があったら、どうすればよりよい方向に向かえるか考えた方がいい」
「…………そうじゃのう。惜しんだところで、Lv上限がどうにかなるわけでは無いのじゃから。やれ、こういったことは周りばかりが残念がっていかんのう」
ほっほっほっと、髭を弄りながらフォーテが笑う。
「……そうですね。ハル君、魔法の扱いに関して質問があれば、私に聞きに来て下さい。これでも、知識はそれなりにありますし、忙しくない時はそういったことも受け付けていますので」
「ああ、その時はありがたく聞かせて貰うよ。っと、そういや今日着いたばっかだから宿を探さないといけなかった」
「ふむ、宿のう……受付におる修道女なら街のこともある程度詳しいから、聞いてみるとよいじゃろうな」
とりあえず、用事は大体終わったようであるので、ハルは二人に礼を言ってその場から去る。フォーテに言われたとおり、修道女に宿を聞いて寝床を確保したら、とりあえず街を見回ってみようかと、ハルは頭の中で計画を立てた。