二章七話 駆け出し魔王演説中
人々の歓声を聞きながら、ハルは体の緊張を解く。
自分が思っていたよりずっと力が入っていたようで、手すりから手を放すのに少し苦労した。
信じてはいた。魔力を扱えるようになり、瞬間的に能力を上げられるようになったリンならば勝算は確かにある筈だった。リン自身、ハルの問いに「やる」と答えを返してくれた。
それでも、リンが恐怖に固まっていた時、最良の攻撃が届かなかった時、為す術無く逃げ回っていた時、コロシアム内へ何度飛び込もうと思ったことか。
自分が戦うよりも、よほど気疲れした。手のひらの汗を拭いながら、ハルは安堵の息を吐く。リン達は既にコロシアムから退場していた。フターミも何とか生き残ってくれたようなので、ホイミスライムがいる牢へ帰れば回復できるだろう。
何にせよ、リンはハルが求めていた最上の結果を出してくれた。ここからは、ハル達の仕事である。いや、フリードの、というべきか。実質、ハルには殆どやることはない。
フリード―――今はキカルスか―――の方を見る。アッシャに何か感づかれてもまずいので、あくまで質に取られているくさなぎの剣を気にしている風に装いながら見てみれば、描いたシナリオ通りに進めてくれているようだ。
「ははは! おい見たかよ! 俺の引きはすげーだろ? ……で、結局いくら勝ったんだ?」
「およそ14万Gです。我が領地の月の税収の1/3ほどになるかと」
キカルスに問われて応えるのは、魔法使いのイレースである。税収の金額云々は、ほぼ彼らの知識からの設定だ。一応どこがどうなってというのはハルも彼らから聞いたが、やはり実際の貴族に任せた方が無理が出ないだろう。
チラリと、アッシャを意識してみれば、未だ信じられないといった表情でくさなぎの剣を握りしめていた。奇跡が起こっても勝ち目など無いと思われていたのだから、アッシャからすれば青天の霹靂といったところか。
キカルスがそんなアッシャに向かって、勝ち誇った表情で口を開く。
「どうだよ? 俺の運はすげえだろ?」
「……あ……ええ、そうですな。まさか……あの状態からスライムごときが勝つなど普通ならあり得ないところです」
「はっはっは、本当だな。いやぁ、あのスライムはいいな! あ、そういや剣、俺の部下に返してくれよ? あと、金って受付のとこに取りに行けばいいのか?」
「…………いえ、額が額ですからな。別室でお渡ししましょう。ああ、こちらの剣も彼にお返しを」
「ああ! ありがとうございます! ありがとうございます!!」
アッシャから剣を受け取り、ハルは平身低頭しながらそれを胸に抱いた。動き自体は演技であるが、剣が手元に返ってきた安心感というものも確かにある。リンの勝利の重みもそれで実感できた。
そんなハルを横目で見ながら、アッシャはキカルスに向けて一礼をする。
「では、こちらの方へ。護衛の方の武具もそのままで構いません」
「ああ。分かった」
応え、移動するアッシャに四人は付いていく。
通されたのは、椅子と机と少々の飾りが置かれたシンプルな部屋。アッシャは、そのままキカルスへ着座を促す。キカルスが座った後に、自分も対面へと座った。
「さて、今回は大当たりおめでとうございます。我が格闘場が始まって以来の大勝ですよ」
「ふふん。まぁ、俺だから当然だな」
キカルスは傲岸不遜な人物であらんと演技する。
アッシャは格闘場を思いつき成功を収めた男だ。ある程度機を見る力と運を引き寄せる力を持っている。下手に興味を持たれるよりも、馬鹿の振りをして取るに足らない相手だと思われた方がいい。
「かなりの大金ですからな。なかなか準備に時間が…………おっと、言っていたら来たようです」
アッシャの言うとおり、二人の男が少し小さめの宝箱を持ってきた。軽い音を立て机に置かれたそれを、アッシャはパカリと開ける。
中に入っていたのは、ゴールド銀行が発行している1000G金貨と、通常のG金貨の山。
「143,500Gとなります。お確かめを」
促され、イレースが中身を確かめる。元は商家の出ということで、目利きはかなりできるそうだ。
「……確かに、間違いなく143,500Gです」
「ああ。ふふふ、金庫でも開けないとなかなかこれだけの金は見られんな」
ご満悦といった様子でいやらしい笑みを浮かべるキカルス。相変わらず演技の上手い男だと、ハルは半ば呆れながら思った。
これだけわざとらしい台詞を吐きながらも、表情や雰囲気を作るのが非常に上手いため、本当にそういう人物なのだと錯覚させられる。下手をすれば、ハルですらどこまで本当なのか分からなくなってしまいそうだ。
「キルカス様はまだしばらくはこの国にご滞在なさるのですか?」
何気なく、アッシャはそう問うた。別段含むようなところは無く、単純にこの大金の行く末に多少興味がある程度だろう。
それに対して、キカルスは少し考えるように顎をなでる。
「いや、そろそろロマリアに帰ろうと思っている。そこでだな、アッシャ殿。少しばかり相談があるんだが……」
「はて……? なんですかな……?」
愚か者の相談事など皆目検討付かぬと、アッシャは首を傾げた。キカルスは横柄に頷きながら、言葉を続ける。
「この格闘場という施設。思った以上におもしろい。どうせなら俺もやってみたくてな。何匹か魔物を貰いたいんだが」
「それは………………」
思いも寄らぬ要求に、アッシャは言葉を詰まらせる。
現在アッシャの頭にあるのは、単純な損得勘定のみだ。フリードの演技により、目の前にいる貴族は大した存在ではないとすり込まれ、言葉以上の考えなどないと思っている。
相手はロマリアの貴族ということなので、この国の近くということもなく客足にさほど影響もでないだろう。そして、とてもじゃないが成功するとは思えない。
ならば、後は如何に自分にとって得になるよう事を運ぶかだ。
「私の魔物を買い取りたい……ということでよろしいですかな?」
「ああ、勿論ただでとは言わんさ。数も最初の頭数がある程度いればいい。そうだな、二十匹で40000Gってとこでどうだ?」
一匹2000G。それぐらいの相場の魔物となると、そこそこ強力な部類になる。ダーマ周辺に出没するようなキラーエイプだのマッドオックスだのが適当か。しかし、そんな相場など知らない相手に、馬鹿正直に売ってやる必要もあるまい。
「ふむ……しかしそれでは大した魔物は渡せませんな……なにぶん、魔物を生け捕りにするのはなかなか難しいことですから。それに、私の格闘場も来週にはまた試合をしますので、それほど一度に抜かれては少々困ることになります。15匹で36000Gではいかがですかな? これならばかなりよい魔物を渡せますが」
「それはさすがに少なくないか……」
難色を示すキカルスに、そっとイレースが耳打ちする。キカルスが値段交渉をなめらかに進めるのは違和感があるからの演出だ。先ほどのGの確認作業もあって、イレースがそういう助言をする者であると印象付いているだろう。
「では、19匹で41000Gというのはどうだ?」
「そうですな……16匹で38000Gでは?」
「むう……18匹40000G。これぐらいで落としどころにしないか?」
最後にキカルスが提示してきた値段に、アッシャは考える素振りを見せる。これ以上下手に値をつり上げ、キカルスが諦めても損するだけだ。適当な魔物を見繕えば、もう少し儲けもでるだろう。
そう考えて、アッシャはこくりと頷いた。
「それぐらいが妥当ですかな。では、魔物の選別は私どもの方で行いましょう」
「ああ、じゃあ……っと、そうだな。あの最後の試合に出たスライム。あれだけは絶対中に入れておいてくれ。俺の幸運の星だからな」
「む……それは……」
よもや、スライムごときにそれほどの値段を付けるとは思っていなかったので、アッシャは言い淀んでしまった。
元は100Gで買ったというスライム。その値段自体は、別段安すぎるわけでもなく、この大陸に殆ど見つけられないという希少価値を加味しても150Gから200Gが精々だろう。
それを4500Gという値段で買い取ってくれるというのなら、丸儲けもいいところだ。
しかし、あれはあの化け物ごうけつ熊を倒すという奇跡を見せたスライム。絶対に欲しいと言うのならば、もっと値をつり上げられるのではないだろうか。
思いがけない要望に、アッシャの欲が動く。それが、ハル達の狙いだと気付かずに。
「あのスライムは御覧になったとおり、ごうけつ熊すら打ち倒す希少種でしてな。これからの試合も既に決まっておりまして……入れろと仰るならば、他の魔物のランクを落とさなければならなくなりますが…………」
「ぬぬ……むう……あのスライム一匹でどれぐらいになるんだ?」
「あれを購入した金額とこれからの試合の分の稼ぎも考えますと……8000Gにはなるかと」
「なっ!? 貴様! たかがスライムに8000Gを出せと言うのか!!」
激昂するのは今まで何も言わず後ろに控えていたホルトである。無茶極まりないアッシャの言葉に、ハルですら若干呆れたほどだ。元々演技が上手くないということもあり、できるだけ少ない出番ではあるのだが、さすがにそんな馬鹿げた値段を聞かされては演技というより半ば本気の怒りを見せる。
が、その前でキカルスは少し考えるように頷いた。
「……ふむ……まぁいいだろう。俺に勝ちを運んだあのスライムには、それぐらいの価値はあるな」
「フ……キカルス様!?」
よほど興奮していたらしく、一瞬フリードと呼びそうになるホルト。幸いアッシャには気付かれていないが、キカルス以外の全員の背に、多少の冷や汗が浮き出る。
そんな中、全く演技に支障を来すこと無く、キカルスは冷たくホルトを睨んだ。
「黙っていろ。護衛ごときが俺に指図するつもりか?」
「っ……出過ぎた真似を致しました…………」
その流れに、アッシャは小さく唸る。一睨みで黙らせるとは、一応ながら自らの配下を制御はできるらしいと。本人が残念であると思っている以上、あまり意味の無い上方修正であったが。
何にせよ、ただ同然で手に入れたスライムが大金で売れるのだ。その馬鹿さ加減はありがたい限りである。
「それでは、残り32000Gで17匹ですな」
「そうだな。ついでだし他の魔物も選んでいいか? 自分で選んだ方が楽しみもあるだろう」
「はぁ……さすがに魔物の檻に行くのは万が一を考えれば危険ですので、こちらで用意したリストからということになりますがよろしいですかな?」
「ああ、それでいい」
「では、少々お待ちを。魔物事で値段を付けさせて頂きますので」
言って、アッシャは部下達と共に部屋から退出した。馬鹿のお陰で楽しくて仕方ないだとアッシャはほくそ笑む。まぁ、さすがにあまりにも哀れだから、せめてリストの魔物達は多少の上乗せぐらいで勘弁してやろう。
おもしろいように自分に都合よく進んだことに気をよくしたアッシャは、その後ろでおおよそ狙い通りの流れになったと、口元に小さく笑みを浮かべたハルとキカルスには気付くことは無かった。
***
月が下りかけた深夜、イシスより西側に少々離れた砂漠の真ん中。抑えめに、それでも興奮した声がざわざわと漏れていた。
そこに居るのは、フルガス達と格闘場より外に出られた魔物達。まだ生き残っている魔物達の一割にも満たない数であるが、あまりにも久しぶりの、本来は絶望的だった再会を前に、気持ちの昂ぶりを抑えられないのは仕方ないことである。
そして、無事な再会を果たせたのはハル達も同じだ。
「ハル様ーーー!!」
人混みを抜け、フルガス達の輪の外にいたハルに向かって、リンが飛び跳ねてくる。体当たりをするように向かってきたリンを、ハルは両手で受け止めた。
「…………よくやった」
「えへ…………えへへへへ」
ポンポンと、優しくリンを叩きながら、ハルは一言そう褒める。
色々と言いたいこともあったろう。リンの近くに居られず、守れなかった後悔も、リンに任せるしかできず、危険な目に遭わせてしまった謝罪もあったろう。
それでも、ハルが言ったのは一言の労いの言葉だけ。しかしそれがリンが最も欲しかったもの。だからハルの手に撫でられながら、リンは満面の笑みを浮かべる。
その光景を、タクトが何とも言えない表情で見つめていた。
「それで、これからどうするんだ?」
そう問うのは、護衛二人を引き連れたフリードだ。
計画を詰め、協力をしてくれたフリード。彼が居なければ、こうも上手く事は運ばなかったであろう。
フリードが務めてくれた馬鹿貴族役は、少々ハルでは荷が重かった。姿形は多少変装すれば何とかなったかもしれないが、立ち振る舞いはさすがに難しい。さらには少し調べられただけでボロが次々と出てしまうだろう。フルガス達では言わずもがなである。
その点、フリードはイシスに逗留する際に、最初から色々と根回しをしていたらしい。
キカルスという偽名も、この国で活動するのに使っていたものそのままで、調べられてもイシスの工芸品を買い集めに来たということしか出てこない。
あまりにも都合がいい存在に、ハルとて疑わぬ訳では無かったが、時間も無い中で彼らに頼る以上の手が無かったのも事実だった。
「考えはある。が、色々と準備に時間が掛かるな。その関係でこっちでやることも少々残ってる。だが、それよりもだ……」
聞かなければなるまい。フリードが何を求めるのかを。
今回ハルが作ってしまった借りは大きい。手に入れた金の半分と言われれば、むしろ安いくらいだ。だが、単純に金を求めるような男ではあるまい。
さてどんな無理難題を言われることやらと、ハルが訪ねようとしたとき、フルガスが近づいて来た。その後ろにはリーシアとルナ、マナが、さらに救出された魔物を含む他の面々が続いている。
「ハル殿。娘に続き、仲間をも救ってくれたあなたに、我々はどう報いればいい? 我々は何もできなかった。今回も、金を出しただけで何もしていない。感謝してもしきれない程の恩が…………」
「待て、それは少しばかり早い。まだ根本的に解決した訳でもないからな。まぁ……そうだな……」
フルガスを制して、言葉を止めたハルはちらりとフリードを見やる。
今回は協力してくれた男。だが、完全にハルの味方ではなく、どう動くか予想が付かない人物。できることなら、あまり情報を与えたくはない。
いや、既にそれは手遅れか。
イシスの人間では無いくせに、どのような姿形の人間が、いつ街を出入りしたかまで網羅しているその情報網。
それがこの国だけとは考えにくい。となれば、興味を持たれ接触された時点で、最近から今後にかけてのハルの動きは捉えられると思っていいだろう。さすがにジパング周辺での行動を把握するのは不可能だろうが、ダーマで魔法使いに転職したことぐらいまでは知られるかもしれない。
なれば、いっそ聞かせたほうが良いか。フリードの底は知れないが、だからこそ短絡的に動くようなことはない筈だ。
フリードがどう動こうと動じぬよう覚悟を決め、ハルは口を開く。
「フルガス。俺はお前達の仲間を助ける為に動き、致命的とも言える悩みも解決しよう。だが、それを恩と思わなくてもいい。いや、むしろ思うな。これからお前達に要求することは、恩返し程度のことではないからだ。断ってくれても構わない。それでもお前達を助ける為に行動することは約束しよう」
ハルの言葉にフルガスは反応するが、グッと動くのを抑えて口を開くこと無く続きを待つ。他の面々がざわついたが、フルガスを見てそれに倣った。
再び場が静まるのを確認してから、ハルは再び口を開く。
「それは一つ間違えれば世界の敵となる道だ。人間からも、魔物からも、もしかしたら神すら敵対するかもしれない道だ」
ゴクリと、誰かが喉を鳴らした。それが聞こえるほどの静寂。
ハルの一挙手一投足を、全員が見守っていた。
「俺が望むのは、お前達の人生だ。俺の配下として、俺の民として、俺が魔王として造る国の一員となれ」
「――――――――っ!?」
フルガスが出した吐息、それを皮切りに、先ほどの比では無いほど場がざわめいた。
既にリンから聞いていた魔物達ですら、実際にハルの口から魔王になると言われ動揺を抑えきれない。
本気なのか。大丈夫なのか。これからどうするつもりなのか。
皆が囁き合っているが、ハルは腕を組んでもう口を開く気配はない。
「………………二つだけ聞きたい」
「なんだ?」
背中に感じる汗をひた隠し、静かにフルガスが言うと、ハルは先を促す。
「魔王になるとあなたは言った。それは、今存在する魔王に敵対するということで間違いないか?」
「ああ。俺は魔王バラモスの敵となる。俺と奴が相容れることはなく、俺は魔王として奴を倒す」
あくまで淡々と、何のことは無いというふうにハルは答える。
魔物の強さは重々知っている彼らだ。故に、魔王たる存在を倒すことがどれほど困難なことかも分かる。
生唾を飲み込むのを必死に堪え、フルガスは次の質問をした。
「では、あなたの仲間はそこに居る者たち以外にいるのか? それとも……」
「いると言えばいる……が、基本的にはこれで全てだ。今の俺の配下は、ここにいる四人以外、実質的には存在しない」
それは、フルガスが予想したのとほぼ変わらない答え。
世界の敵となる道でありながら、あまりにも弱き軍勢。誰が聞いても無謀で馬鹿げた話だ。
これを断っても、彼は仲間達を救ってくれるという。それがたとえ嘘であったとしても、仲間達の安全を思えば断るのが当然であろう。
だが、それでいいのか。
無償どころか、フルガスの娘達はハルが身銭を切ってくれたお陰で助けられた。あるいは、そのようなことが無ければリンが攫われるようなことはなく、あまつさえ危険すぎる賭をしなくても良かったかもしれない。いや、むしろそんなことはあり得なかった筈だ。
返しきれないほどの恩を受け、生き恥を晒すのか。
ハルがどれほどの人物か、さすがに一週間程度の付き合いでは分からない。
乗るには分の悪すぎる賭けである。せめて一晩、仲間達と話し合う時間が欲しい。
しかし、ここで答えられぬのなら、もはや彼に付いていくことは叶わない。相談して決めたような、生半可な覚悟で通りきれる道ではない。
この場でそれを求めるということは、それほどの覚悟を求められているということだ。
「…………私はあなたと行こう」
フルガスの答えに、三度目の衝撃が走る。
行く先は、今までと比べものにならぬ艱難の道であろう。無茶をしたりしなければ、生きていくだけならば、国から保護された今の状態の方が遙かに簡単で安全である。
だが、それは『生きている』だけだ。否、『生かされている』だけで、『生きて』すらいないのかもしれない。
今回のことにおいて、ハル自身はさほど動いていない。情報を用意したのはフリードで、その後の対応も同じく。実際に戦ったのはリンであり、ハルの言こそあれ勝利したのは彼女自身の力だ。ハルがやったことは、自らの剣を賭けたというそれだけである。
しかし、重要なのはその中心に彼がいたということだ。
ハルがいなければそれらの要素は集まらなかった。ハルがいて、彼が主導して初めてことは成った。
彼に求められて、応えたリンの姿を見ても思う。ついて行くに値する、王として仰ぐに十分な人物であると。
「皆にも求めない。自分の意思で決めるがいい。そうしなければ、彼に付いていくことは叶わぬだろう。去る者を責めることは私が許さん。付いてくるのであれば、この場に残るがいい」
フルガスはリーシャや娘達にすら、そう言った。
ざわめきは次第に消え、フルガスの言葉を各自がそれぞれで考える。
そしてしばらく、この場から去る者は、誰一人としていなかった。
あるいは、霊樹の元で過ごしていた時よりも、強き意志が込められた顔をしているかもしれない。
彼らを見て、ハルはニィっと実に嬉しそうに笑った。招くように手を差し出して、口を開く。
「お前達の選択が正解であるとは言わない。だが、正解にしてみせよう」
グッと手を握り込む。そこに何かあるかのように。そのまま手を胸へと持って行き、胸を叩いた。
「俺が今生きていることを誇らせてやる。そしてこれは、最初にして最後まで変わらぬ王命だ。命が尽きるまで、命が尽きてもなお、自らを世界に誇れ」
――――ォォォオオオオオオオオオ!!
怒号。地鳴りという程にまで人数はおらずとも、ハルの命に応え各々が叫び声を挙げる。
フルガスがハルの前に跪く。後ろの者たちがそれに続いた。
「我らが誇りはあなたと共に。あなたの命令は魂と共に。この命が尽きるまで、我らは屈すること無く己が誇りを貫きましょう」
それは、一つの国の始まり。
ハルの後ろからその光景を見ながら、タクトは自分が浮いていることを自覚する。
中途半端だ。
クウ達のようにハルに忠誠を誓ったわけではなく、ただ強制されて付いてきただけの自分。
できることなら逃げ出したいと思っている。しかし今目の前にある光景は、ハルに付いてこなければ、実際に見ることは叶わなかったであろうもの。熱気に当てられ、こんな場面に自分もいるのだと考えれば、気分が高揚しているのに気付く。
同時に、部外者である自分もいて、もどかしさを感じてしまう。
一体、自分はどうしたいのだろうと。
「……ック! アハハハハハハ!!」
と、そんな空気を打ち壊す笑い声が響く。それは、今の今までハル達の動向を見守っていたフリードの笑い声。
「ククク、いや、おもしろい。本当に親友は面白いなぁ。まさか魔王になるつもりだとは、考えもしなかった」
「…………で、それを知ったところでお前はどうする?」
あるいは協力者に……などとはハルは全く期待していなかった。
良くも悪くも癖の強い男だ。出会って一週間ほどという短い期間ながらも、ハルは何となくながらフリードの性格や思考の癖を感じ取っていた。そしてそれは、フリードとて同じだろう。
フリードはハルの事を『親友』と呼ぶ。それは嫌みで無く、冗談で無く、二人が感じている事実でしか無い。
相性がいい。まさにこれに尽きる。
そして、だからこそ分かってしまう。あるいは、ここで敵対することすらあり得ると。
「さて……そうだな…………何もしない、かな」
そんな中フリードが答えるのは、傍観者たる道。
「放っておいても親友は面白いものを見せてくれそうだ。下手に突いてそれを台無しにするのはまだまだ勿体ないだろう? あと、これとこの前の貸しはチャラにしておこう。今回は俺もなかなか楽しめたし、これからにも期待できそうだしな」
笑いながら言うフリードに、ハルは肩を竦めて返す。
「礼は言うべきじゃ無いか悪友。なら、とりあえずは解散か」
「そうだな。あれの前で言ったとおり、俺もそろそろ帰らなきゃならんしな。一度は付いてくるんだろう?」
本当に、どこまでも予想通りにこちらの動きを読んでくる。
完全にフリードの手の上で動かされているが、現状では仕方の無いことではあった。二人は決して対等では無く、施しを享受するのが最善であり、見下ろされても当然の位置にハルは居る。
目に見えぬ借金ばかり増やされて、非常に面白くないことであるが。
「ど、どういうことだ?」
二人だけにしか分からないような会話に、誰もが思っていたことをタクトが代表として聞く。
今からどうするのか知られた状態で、ここで言わない理由は無い。それにしても厄介なことだとため息を吐きながら、ハルはタクト達の方へ向いた。
「俺たちがこれからすることは何だ?」
「何だってそりゃあ……格闘場に残ってる連中を助けることだろ?」
タクトにとってはお決まりになってきた、フルガス達にとっては二回目となるハルとの問答。
「格闘場に残ってる連中を助けるにはどうしたらいい?」
「今回と同じ……では無理ですな。全員を助けるには直接的な手段を取らねばなりませんか」
この場合の直接的な手段とは、外部からの手引きにより脱出、もしくは救出することである。では、そんなことをすればどうなるか。
「アッシャと事を構えるというのは当然として、囚われた魔物が逃げたとなれば、イシスという国自体が敵になる。相手がアッシャだけでも多勢に無勢だ。俺たちにできるのは、何とか時間を稼ぎながら逃げることだけ。で、問題となるのがその手段と場所になる」
フルガス達全員を連れて国を脱出する。
囚われた魔物達の生き残りはおよそ150匹。フルガス達人間の数は約400人。訓練されてもいない、女子供老人といった非戦闘員が半数、そんな集団がどれだけの速度で移動することができようか。
「イシスが干渉できるのはアッサラームより東、アルヒラ山脈までだな。アッシャから逃げるにはロマリア側に抜けるか、アルヒラ山脈を越えるかしなくちゃならない。だが、そちらの方角に逃げたら、アッサラームに連絡するだけで簡単に挟み撃ちを受ける。かといって、ネクロゴンド側に抜けるなんて自殺行為もありえない。となると、陸路で逃げるのはほぼ不可能ってことだ。つまりは…………」
「海……船で逃げるってことっすね?」
ハルの言葉をフリードが引き継ぎ、一度それを交通手段として使ったことのあるサスケが答えに行き着く。それで、ハル達と同条件に情報が揃っているタクトが理解した。
「船……ってことはポルトガに行くのか。ああ、だからロマリアに…………でもそれだけの人数を乗せられる船って、今ある金だけで用意できるのか?」
「それは移動距離にもよるな。まあ、ポルトガから砂漠地帯を経由してロマリアに行くぐらいなら、ガレオン船を3隻借りたとしても7~8万もあれば十分だ。それよりも、他国で追われる連中を乗せるっていう、外交上かなりリスクの高いことを請け負ってくれるかどうかが問題だな」
「あ…………」
フリードの言う通り、それが何よりの問題点だった。いくらイシスの女王が穏健であったとしても、他国に介入されて何もしないという訳にもいかないだろう。一般の船乗り達がそんな危ない橋を渡ってくれるとは到底思えない。
だが、ハルは気にするなとばかりに肩を竦めた。
「その辺りはやってみないとどうしようもないな。何にせよ、それしか有効そうな手段が存在しないんだから仕方ない。とりあえずは、ロマリアに行って帰ってきてからだ。こちらでまだやることも残ってるしな」
そう言って、ハルはこの場を解散するように指示する。
魔物達は後々主従の儀を執り行わなければならないが、こればかりはフリードに見せる訳にもいかない。ロマリアに行きさえすればすぐに帰ってこれるので、持っていた霊樹の水を分け与えて潜伏させておくことになる。
フルガス達はとりあえず今まで通りに生活を行って貰う。国を脱出するための準備だけは少しずつ進めて貰うが、細かなことは帰ってきてからでいい。誰にも悟られぬように、息を潜めるのが何よりも重要だ。
イシスの星空は高く、夜明けはまだ遠いようである。
***
まだ夜も明けていないロマリア。
僅かに残るルーラの残滓を見送りながらフリード達は立っていた。
「……よろしかったので?」
問うのはイレース。多くの意味が込められたそれに、フリードは頷いて返す。
「ああ、とりあえずは問題ない。そも、俺の下に来る人間では無かっただけの話だ。面白い奴ではあったんだがな」
ハルに手を貸したのは、本来なら目的を知った上で取り込むためだ。
しかし、あれは無理だ。
ただ単に魔物の国を造ろうというのなら、意思在る魔物達を救いたいというだけなら、あるいは取り込むことも不可能では無かったであろう。
だが、魔王になるというそれすら目的では無く、ハルが求めているものの過程でしかないらしい。あれが求めているのはもっと先にある何かだ。用意されたものでは決して満たされないものを、あの男は“分不相応”にも望んでいた。
一週間という時間の中で、フリード達がハルに下した評価は、『凡才』である。
確かにハルは優秀だ。転職を二回も果たし、普通の人間より高い身体能力を持ち、頭の回転も速く、精神的な面から見ても優れたものがある。
ただ、伸びしろがない。才能がある人間ならば誰しもが持つ、才能の輝きというものが感じられないのだ。魔法技術適正は高いのかもしれないが、そもそも強力な魔法が覚えられないのであれば宝の持ち腐れでしかないだろう。剣技はまだ上達するだろうが、それとて半人前のところからそこそこの腕になるであろう程度の話で、決して達人の域に到達するようなものではない。
それでも尚、フリード達に優秀であると思わせるのは、ハルという人間がほぼ『完成』されているが故である。
Lvが許すであろう限界まで鍛えられた身体能力。剣技こそ拙いものの、技術を身につけるために必要な体幹や体の動かし方などの基礎技術は十分に修められ、どんなものであれど彼の才能が許す限りの技量を満たすのに、それほど時間は掛からぬだろう。
視界に入るものから情報を引き出す観察眼や思考能力。得られた情報の扱い方。何よりも経験を要する筈のそれらを、あの若さで十全に発揮している。
己に許される上限までそれら全てを引き上げることなど、普通は無理なのだ。天才が簡単に超えていく壁を、凡才は引っかかりながら超えていくのであり、才能に比例して成長速度も下がるのが当然である。普通ならばハルの1/3もできあがっていればいい方であろう。どのような環境にいれば、どのような人生を送れば、あれほど『完成』された人間が作られるのか。
しかし、『完成』されているということは、前述したとおり伸びしろがあまりないということでもある。故に、どこまでいってもハルは『優秀』ではあっても『規格外』ではなく、それだけならフリードにそれほど興味を抱かせることはなかった。フリードの興味を引くのは、ハルがそんな自分を理解しているということである。
どれほど努力したところで、決して英雄と呼ばれる存在に届くことは無い。それが理解できないのなら分かる。それが認められないのならば分かる。だが、ハル程『完成』されているのならば、分からぬ筈が無い。だから、ハルはそんな自分のことを理解した上で、決して英雄に届かない自身を認めた上で、尚も“分不相応”を望み、手に入れられると本気で考えているのだ。
手に入れられる筈が無いと理解しているものを、手に入れられると信じている矛盾した人間。実に面白いではないか。
「ふふふ、楽しみだな。どこまでやるか。どうしてやるか。なあ親友?」
ホルトとイレースからすれば、ハルがそこまで大成するとは思えない。が、フリードがあり得ると考えているのならば、可能性は在るのだろう。もしハルが“大成してしまった”場合、彼らの主はどうするつもりなのか。
家臣二人のそんな気持ちもよそに、本当に楽しそうにフリードは笑っている。。
誰よりも強い輝きを放ちながらも、どこか危うさを感じさせる主は、それでも全てを上手く運ぶのだろう。今までも、これからも、彼の考えが大筋を外れるなどあり得ぬのだから。
「…………“陛下”」
ホルトにそう呼ばれ、フリードは空を見るのを止める。
「ああ、帰るか。予定よりも遅れたし、“影”もそろそろ退屈しているだろう」
されど、その声はまだ楽しそうで、隠そうという気配すら無い。
フリード――――フリード=エマヌエーレ=ロマリア。
高き頂に立つ王は、どこまでも満足げに、自らの座へ戻っていく。
******************
ご挨拶は記録の方で