「ホンマ、センセの言ぅたとおりやなぁ」
風にさらわれないように野球帽を押さえたバカトウジが、バカケンスケの首根っこを掴んでいる。
「おぉー!すっごい、すっごい、すごい、スゴイ、凄い、凄ぉい、凄い、凄すぎるーっ!男だったら涙を流すべき状況なんだから、放してくれ~」
輸送ヘリの窓からUN艦隊が見えたときにシンジに言いつけたのが、バカトウジの帽子が飛ばされないようにすることと、バカケンスケを野放しにしないことだった。
「ハロゥ、ミサト。元気してた?」
お気に入りのワンピースにチョーカーまで着けて、こうして見るとワタシって結構気合入れてたんじゃない?
「まぁねー。あなたも、背、伸びたんじゃない?」
「そ。ほかのところもちゃんと女らしくなってるわよ」
女らしく…ね。その言葉をワタシが口にすることの寒々しさを、このワタシは知らない。
「紹介するわ。エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット、セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレィよ」
『シンジ』
背後から吹き付けてきていた輸送ヘリのダウンウォッシュが弱まったので、シンジに合図する。
「なっなんや? センセぇ…」
「碇っ!メガネ、メガネが痛い!」
バカコンビの視界を塞いで、自らもまぶたを固く下ろした。
両手が塞がっているバカトウジは抵抗のしようがないし、バカケンスケはカメラが大事でロクな抵抗をしない。シンジはバカ正直に目をつぶって…って、シンジ。一緒に歯まで食い縛んのは癖なの?
まあともかく…これで、ちょっとはマシな出会いになるんじゃないかしら。
『もういいわよ』
シンジがまぶたを開くと、正面にワタシ。パンプスの分だけ、ちょっと見下ろして。
「碇って呼ばれてたケド、アンタがサードチルドレン?」
ふふん♪さすがにワタシね。その通りよ。
「う…うん。碇シンジ。よろしく」
シンジが差し出した右手を、条件反射で掴んでる。どう判断したものか、決めかねてるのね。
ワタシと同様に、初手でガツンと決めるつもりだったはずだ。先手必勝ってね。そういう意味であのアクシデントは渡りに船だったけれど、シンジがきれいに躱しちゃったもんだから、付け込めないで居るんだわ。…さ、シンジ。
「来てくれて嬉しいよ。優秀なパイロットが仲間になってくれるって、聞いてたんだ」
シンジの言葉には淀みがない。ヒカリとバカトウジの仲を取り持とうとした時とは、雲泥の差ね。…それはつまり、シンジの本心の近くにこの言葉があったからじゃないかと思う。
「…仲間。ですって?」
反撃の糸口を掴んだと思ったんだろう。ワタシの口の端に嘲りが乗った。
「アンタなんかと馴れ合う気はないわ」
「そんなこと言わないで、仲良くして欲しいな。…なるべく足を引っ張らないように努力するから」
教えといた台詞を言うので精一杯だったシンジは気付いてないだろうが、このワタシは目に見えて途惑っている。…ワタシにしか、判んないかもしんないけれど。
10年も訓練していたワタシには、エヴァパイロットとしての自負があった。だけど、厳然たる実績を持つシンジに対して、どうやって優位性を保とうか色々と考えていたわ。見縊られたくない一心で。そうでなきゃ、ワザワザこんなところまで出迎えに来たりしないし、めかしこんだりもしない。
つまり、この時点でワタシには、シンジに負けてるって気持ちがどっかにあったのね。でも、訓練無しのシンジが3体も使徒を斃してるってコトを自分の都合のいいように解釈して、虚勢を張ってた。…と思う。ちょっと自信がないのは、いくら自分のこととはいえ…ううん。自分のことだからこそ、はっきりとは解からないものだと思うから。
…それっくらい完璧に自分を騙してたんじゃないかと…、なんだか自分自身を疑っちゃうわね。
「はん!まっ、考えといてあげるわ」
シンジの態度を、実戦で3体もの使徒を斃した余裕と受け止めてか、苛立ちが見える。ワタシに足りないものは余裕だと、この時点のワタシは気付いてなかったんだと思うわ。
さっさと踵を返したワタシの後を、ミサトに促されてシンジが追った。
その背中を見てて思うのは、ワタシは、このワタシをどう…って、ややこしいわね。もう!
ええい!アスカ。割り切るのよ、割り切るの。ワタシはワタシ、アレはワタシであってワタシじゃない。ワタシは…ワタシは…
ばしばしとほっぺた叩くような思いで唱えてたから、シンジの呼びかけに気付かなかったみたい。
『なに? シンジ』
『…ホントに、これで良かったのかな?』
見つめているのは、先に立ってエスカレーターに乗っているアスカ。その背中。
『ええ、充分よ』
シンジは知らないから不安そうだけど、ずいぶんとマシな出会い方になってるのよ。
『…それより、シンジは良かったの?』
『なにが?』
『…その、こんな風に下手に出て』
アスカをいなすために提案したケド、正直シンジの気持ちのことは度外視してた。10年も訓練しているとはいえ相手は実績ゼロなんだもの、ワタシだったらとても真似できない。
『人付き合いって苦手だし…、それで上手くいくって言うんなら、構わないよ。…それに、いつも逃げたがってる僕なんかより、よっぽど頼りになりそうだよね』
そんなことナイって言ってあげたのに、シンジは寂しそうに笑って取り合ってくれなかった。
ワタシなんかの言うことじゃぁ、説得力ないのかなぁ…
****
「今、付き合ってる奴、いるの?」
自分でも不思議だったのは、加持さんの姿を見ても特に心を動かされなかったってコト。
「そっそれが、ぁあなたに関係あるわけ?」
「あれ? つれないなぁ」
今でも、好きだとは思う。でも、あの時のような狂おしさを感じない。
「君は葛城と同居してるんだって?」
「えっ、ええ…」
今のワタシにはハートがないから、ってワケじゃないと思う。
「彼女の寝相の悪さ、直ってる?」
「「「 えぇ~っ!!! 」」」
目の前で、アスカが固まっている。
そういえば、加持さんにそういう相手が居てもおかしくないってコトを考えたことすらなかったんだわ。
「なっ? なっ!なっ★…何言ってるのよ!」
…そっか。
つまりワタシは、生身のオトコとして加持さんを見てなかったんじゃない。ふつう、好きな男ができれば、相手に付き合ってるヤツは居ないか、どんなオンナと付き合ってたのか、気になるもんでしょ?
そんなことを考えもしなかったのは、ワタシにとって加持さんが架空のオトコだったからじゃないかしら。だから、寝相の悪さを知ってるだなんて生々しさに引いたんだ。
「相変わらずか? 碇シンジ君」
そう考えると、目の前のアスカが昨晩しただろうコトが、―かつて自分がしたことが、急に恥ずかしくなってくる。…その大胆さにではなくて、あまりの厚顔無恥さ加減に…
本当に好きなら、軽々しく肉体関係なんか言い出せないもの。
心の底から好きなら、相手にも好きになって貰いたいと思う。大切にしてもらいたいと思う。…そうじゃない? 少なくとも、ワタシはそう。今のワタシは、そう。
「えっ? ええ…。…あれ? どうして僕の名前を?」
そもそもオンナとしてオトコに愛されたいだなんて、当時の自分が本気で思ってたなんて考えられない。…それが子供を産むことに繋がりかねないって、解かってた上でよ?
それはつまり、加持さんを利用しようとしてたんだと思う。オンナになるのではなく、オトナになるための手段として。コドモでなくなるための、近道だと。
「そりゃあ知ってるさ。この世界じゃ、君は有名だからね。何の訓練もなしに、エヴァを実戦で動かしたサードチルドレン」
1人で生きるためにそうして早く大人になろうとした反面、ワタシは誰かに見守られることを渇望してたわ。他人の評価なんか関係ないって解かってたつもりなのに、そうされないと自分の価値を実感できなかった。
だから気を惹きたかったんだと思う。…その時に、もっとも傍に居た人の。
…ワタシって、バカね。…ううん、コドモね。
「いや、そんな…偶然です…」
「偶然も運命の一部さ。才能なんだよ、君の」
…ゴメンネ、加持さん。迷惑…だったでしょ。今、シンジを睨みつけてるアスカの分も謝っとくね。
「じゃ、また後で」
はい。って応えるシンジの視界の隅で、なにやらミサトが呟いていた。
****
「赤いんだ、弐号機って。知らなかったな」
アスカが捲りあげたカバーシートの隙間から覗き込んで、シンジがぽつりと。
「違うのはカラーリングだけじゃないわ」
…
仮設の艀を渡ったアスカが、あっという間に弐号機に駆け上った。
「所詮、零号機と初号機は、開発過程のプロトタイプとテストタイプ」
弐号機のうなじから見下ろして、アスカ。 …って、まだちょっと慣れないわね、自分を客観視するの。
「訓練無しのアンタなんかにいきなりシンクロするのが、そのいい証拠よ」
それにしても…、さっきエスカレーターで待ち伏せしてた時といい、今といい。実に絶妙なアングルだわ。確か下ろしたての可愛いノを穿いてたはず…なんて心配しちゃうじゃない。朴念仁のシンジだから気付いてもないケド。
狙ってやってたつもりはないから、ワタシも意外と無防備なんだわ。気をつけ…ようもないか、今のワタシじゃあね。
「けどこの弐号機は違うわ。これこそ実戦用に作られた、世界初の本物のエヴァンゲリオンなのよ。正式タイプのね」
そんなことにどれほどの意味があったのか、今では疑問だらけだ。…特に、あの白いエヴァシリーズを見た後ともなれば。
!
輸送艦を襲う揺れ。来たわね。
「水中衝撃波!」
舷側に駆け寄ると、駆逐艦が沈んでくトコだった。
「あれは!まさか…使徒?」
「あれが? 本物の?」
ミサトの元に戻ろうとするシンジの横で、振り返ったアスカが弐号機のカバーシートを見やっただろうコトを思い出した。
「チャーンス!」
****
基本的に、あまり口答えしない方がいいってアドバイスしておいたから、シンジはアスカの言うなりになって弐号機のプラグに納まった。
前回は結構、ゴネたりしてたような気がするから、これはワタシへの信頼の賜物だと思うことにする。
「さ、ワタシの見事な操縦、目の前で見せてあげるわ。ただし、ジャマはしないでね」
だけど、シンジのことを知りもしないアスカにこう見下された言い方をされると、腹が立ってしょうがない。つい愚痴がこぼれる。
『…まあまあ』
もしかして、シンジがアスカに口答えしなかったのは、ワタシを宥める方に気を使ってたからなんてコトは…ないわよね?
『…』
「あっ…ごめん。惣流さん」
アスカが起動手順を始めたので、シンジに耳打ちしたのだ。途端にアラート。
「ナニよ!ジャマしないでって言ったでしょう!?」
「ホントにごめん。だけど、僕ドイツ語なんて出来ないから」
バグが出るほど思考ノイズがあるってことは、シンジが弐号機にシンクロしてるってコトよね? バカコンビを初号機に乗せたときは、ここまで酷くなかったもの。
「…しょうがないわね。思考言語切り替え、日本語をベーシックに!」
それにしても、男の子の身体でワタシのプラグスーツって、着心地悪いったらありゃしない。いろいろとキツかったり、ユルかったり…。特に胸のカップに溜まったLCLが身じろぎするたびに揺れて、最っ低。…シンジのスーツ、持って来させたかったなぁ。
「エヴァンゲリオン弐号機、起動!」
…
≪ いかん、起動中止だ、元に戻せ! ≫
≪ かまわないわアスカ、発進して! ≫
上のほうの縄張り争いは無視するしかない。後付けとはいえミサトの許可が出たんだから、後はミサトの問題だ。
「海に落ちたら やばいんじゃない?」
「落ちなきゃいいのよ」
≪ シンジ君も乗ってるのね ≫
「はい」
…
なに? …この間?
≪ アスカ、出して! ≫
こちらに向かってくる、航跡。
「来た」
「行きます」
あっ!と思い出したのは、初号機が崩したビルの下敷きになったっていうバカトウジの妹のコト。不可抗力だとか、止むを得ない犠牲だとか、そういう大義名分は、被害者やその家族…あるいは遺族に、通じるもんじゃない。
たまたまワタシにはUN海軍の関係者が身近に居なかっただけで、ああいうことはワタシにも起こり得たんだ。
…
弐号機にシンクロしてるシンジの感覚を経由して、硬いモノを易々と踏み潰すヤな感触…
跳び移ったのはイージス艦の艦橋だったはずだけど、確実に一層は踏み抜いたと思う。それが示す事実に、ナゼこん時のワタシは気付かなかったの?
「さあ、跳ぶわよ」
「跳ぶ?」
次へ跳び移るために体重をかけたその足が、軟らかいモノを踏みにじってるような気がして…
『…あっ、…あっ!』
跳び移った先で、またもや踏み潰す感触。
『…いや。イヤ… シンジ、止めさせて!お願い、今すぐコイツを止めて!』
だけどシンジは目を回していて、それどころじゃなかった。
『イヤぁ!!お願いシンジっ!ワタシっワタシ!』
弐号機の赤が、別の赤いモノで染め直されていくようで…怖い!
踏み潰したばかりの艦艇を蹴り捨てて、宙に跳び出す感覚。飛距離を延ばすための体捌きですら、猛禽の舌なめずりに思えて…、
『…イヤ、いや。嫌ぁぁぁ!』
…だから、だから。ワタシはシンジとの繋がりを捨てた。
****
…ほんのちょっと。
そう、オーバーザレインボゥに着くまでのつもりだったのに、気付いた時にはすべて終わっていた。いつの間にか、新横須賀から帰る、車中。
時間感覚すら混乱していたのかしら? …ううん、怖かったから、またあの感触を味わうのがイヤだったから、絶対に大丈夫だと確信するまで出てこれなかった。
人類を守るための使徒戦で人を殺してるかもしれないという矛盾が、どうしようもなく怖かった。そのことに気付きもしなかった自分が、どうしようもなく…赦せなかった。
聞いた限りでは、前の時とほぼおんなじ経過を辿ったみたい。…もうちょっとマシな結果に、できると思ってたのに…
『…大丈夫?』
さっきから何度も、シンジが心配してくれている。
でも、ワタシが閉じ篭った理由も、いま落ち込んでる理由も、シンジに話すわけにはいかない。
自分がしでかしてしまったことに、シンジを巻き込みたくなかった。それが今のワタシのことではなかったにしてもだ。
『大丈夫。心配しないで…』
…なんで、こんな陳腐な言い訳しか出来ないんだろう。こんな言葉じゃ、心配してくれって言ってるようなもんじゃない。あれだけ泣き喚いて、長時間引き篭もって、説得力なんかないわよ。
むしろ…、そっけない言葉が、シンジを拒絶しているように聞こえないかどうか、そっちの方が気にかかる。
…助けて欲しいと思ってる。この胸の裡を聞いて欲しいと思ってる。だけど、シンジにこれ以上なにかを背負わせるワケにいかないじゃない。シンジはシンジの苦悩で手一杯だもの。助けるって決めたワタシが重荷を増やしてどうするって云うのよ。
…
…つらい。とっても、つらい。
『ホントに? なんか、無理してない?』
シンジの優しさが、ワタシを癒して…傷つける。やさしさって、意外に残酷なのね。
『…僕なんかじゃ、頼りになんないよね』
…ああ、もう。これだからバカシンジは!落ち込んでる暇もないじゃない。アンタ、本当にワタシが居ないとダメなんだから。
『この程度のことで、いちいち落ち込むんじゃないわよ!』
まったくもう!いくらワタシだからって、24時間365日フル稼働ってワケにはいかないのよ。
『だいたいね、アンタがワタシの心配するなんて100万年早いの』
次々と浴びせかける罵詈雑言を、シンジはうんうんと頷いて聞いている。
『もう!言われっぱなしで悔しくないの!? ちょっとは言い返しなさいよっ!』
うんうんと嬉しそうに口元をほころばせて、シンジは頷くばかり。
嘆息。…もちろん、気持ちの上でよ?
『いい? シンジ。ワタシは弐号機との相性が悪いみたいなの、 』
これは、たった今思いついた言い訳だ。テンションが高くなるとアイデアも出やすくなるのかしら?
『乗り物酔いみたいに気持ち悪かったから、安静にしてたのよ。わかった!?』
「…」
何か言いかかった。って風情のシンジが、でも口を閉じた。わかったよ。と頷いている。
ああ…なんかすっとした。シンジを思いっきり罵倒したからかしらね?
『今夜はなんか、さっぱりしたモノが食べたいわ』
『…冷奴とか、棒棒鶏とか?』
まだ少ないレパートリーの中から、一所懸命に挙げてくれてるのが解かる。
『いいわねぇ』
ザワークラウトが食べたいトコだけど、今は我慢。…そのうち、アスカとの絡みで食べられるでしょ。
つづく