シンジのシンジによるシンジのための補完 NC 最終話 SIDE-A
「いいねぇ。言葉はリリンの力。なのに、その力に頼らずともお互いを理解できる。絆はリリンの本質だね」
そんな言葉に意識を呼び覚まされると、赤い海を背にして初号機がうずくまってた。
その差し出した掌に腰かけてんのは、カヲル?
「え? え? ええっ?」
間抜けな声を上げてんのは、ミサト。
その隣りの頼んない背中は、きっとシンジ。
寄り添ってんのはレイと、あれは…もしかしてシンジのママ?
誰も居なくなった世界だと思ってたケド、ずいぶんと賑やかそうじゃない。
砂浜に降り立ったカヲルが、ミサトが手にしたアジサイを指さした。途端、花弁が一つほころぶ。
「及ばずながら、ひとつ、宇宙を看てきたよ」
サキエルが木星のアンモニアの海を気に入ったようでね。…なんて指折り数えてる。よく解かんないケド、使徒の落ち着き先…みたいね。
気ままに太陽系内を飛び回ってんのとか、太陽の中でお昼寝してんのとか、MAGIん中からリツコ相手にチューリングゲームしてんのとか、孫衛星気取りで月の衛星軌道を巡ってるとかって、…ハタ迷惑な話ねぇ。まっ、襲ってくるより100万倍マシか。
「…つぎは、だれ?」
小首を傾げるようにレイが、シンジに。
つまりシンジも、他の宇宙で誰かの心を見てきたんだろう。そしてまた、見に行くんだろう。
それはワタシの心かも知んない。と思った途端、心臓が跳ねた。急激に熱を帯びた頬を冷まそうと掌をあてて…って、これ白くないし、ワタシのホントの身体!?
久しぶりに自分の意志で体を動かせる歓びも、一向に収まんない動悸に追い立てられちゃう。
落ち着け落ち着け。…自分の身体なのに、なんでワタシの思い通りになんないのよ。理不尽だわ!
なんだか考え込んでたシンジが、応えようと口を開いたのが気配でわかる。
「ワタシは外しなさい」
つい口に出しちゃった。もうちょっと気の利いた再会の仕方ってモンがあったでしょうに。
でも、慌てて振り返ったシンジの、すっごく驚いてるって顔を見たら、なんだか落ち着いてきちゃった。
「ハロゥ、シンジ。元気してた?」
精一杯、表情を取り繕って胸を張る。
「アスカ!?」
「そうよ? まさか、このワタシを見忘れた?」
なにやら反駁しようとシンジが口を開いた瞬間、風が捲いた。
視界の隅に映ったのは、お気に入りのワンピースの色。…ってコトは、きっとショーツは下ろしたての可愛いノを穿いてんのよね?
シンジがどんな顔するか、ちょっと愉しみだったんだケド、とっさに固くまぶたを閉じちゃってた。
…もちろん、下着を見られたいってワケじゃない。ただ、シンジのリアクションを見たかったの。
ワタシは、ずっとシンジの傍に居た。けれど、あまりに近すぎたから却ってシンジの表情を見ることができなかった。…シンジがどんな眼差しでワタシを見てくれるのか、知ることができなかった。
だから、どんなカタチででもシンジに見て欲しかったの。ワタシを。
それでシンジがまじまじと見るようなら叱ってやればいいし、恥ずかしがるようならからかってやればいい。それがどっちでも、シンジがワタシを意識してるってコトだもの。すべてはそれから、じゃない?
…というわけで、ちょっと残念だったケド、まあ、シンジがデリカシーを成長させてるってコトが確認できただけでも良しとするか。
しゃりしゃりと砂を踏んで、シンジに歩み寄る。おそるおそるって云ったカンジにまぶたを開いたシンジが、驚いてのけぞった。
「アンタも成長してるみたいじゃない」
その肩をぽんぽんと叩いてやる。そのまま横をすり抜けて、ミサトの手からアジサイを奪う。
つぼみばかりで咲ききってない株の中に、枯れたノがひとつ、きれいに咲いたノが五つ。察するトコロ、枯れてるノが元のこの宇宙。咲いてるノは…?
ワタシの手の中で、またひとつ花弁がほころんだ。
…この宇宙と違って、枯らさずに済んだ宇宙ってコト?
ワタシが行ってた宇宙は、枯れずにすんだってコト?
なんだか嬉しくて、つい口元が緩んじゃう。
「…なによ」
なんだか気恥ずかしくて、ついつっけんどんになっちゃった。だって、シンジったらずっとワタシのこと見つめてたみたいなんだもの。
…
シンジは、なにを言おうとしてか、何度も口を開いては閉じてる。
待たされても、それが気になんないのは、シンジが言いたいことを言い出せなくてぐじぐじしてるワケじゃないって判ったから。
求めてた言葉を見つけたらしいシンジが、にっこりと微笑んだ。
「おかえりなさい」
その笑顔に、何よりその言葉にハートを一撃されて、ワタシは一瞬固まってたに違いない。そのことに気付いて、つい反射的に顔を逸らしちゃった。
ダメダメ!素直になんなくちゃ!強がったって何にも伴わないってコト、ワタシは学んできたじゃない。
「…ただいま」
なのに、なんとかそれだけ応えるので精一杯だった。いま、あの笑顔を見ちゃったら、ワタシ…自分を抑えらんない気がする。いろんな意味で。
なんとか心構えを整えようとしてたら、ミサトが身体を折り曲げるようにして覗き込んできた。
「あれ~? アスカったら、もしかして…」
にやりと、いやらし~く笑ってる。
「…なによ」
「ぶぇっつに~」
憎たらしい口ね。こうしてやるっ!あっクロスカウンター!? こらっ!アンタと違ってワタシのおハダはデリケートなのよ。そんなバカ力で抓ったら腫れちゃうでしょ!!えいっ、こっち側もって、ガードの肘、こんな掻い潜りかたってアリ!?
う~…
なら、アンタの頬っぺたを引っ張りながらの跳び膝蹴り!これでどう!!って腿を上げたダケで防いじゃうの!? じゃあ着地際に残った足の甲を踏みつけて…って、上げてた腿でワタシの体勢崩すなんて!? 崩されたノを利用してそのまま巴投げって行きたかったケド、さすがにこの体格差じゃ無理か。頭突き!って見せかけて、脚を刈る。うそっっ!? あんな風に足首ひねっただけで耐えちゃうの!?
む~…
悔しいケド、格闘術じゃあとても敵わない。
それなら精神攻撃に切り替えるまで。と口を開こうとしたら、いつの間にやらレイが、傍に。
まさかレイがケンカの仲裁!? なんて思ってたら、無言でアジサイを拾ってシンジんトコに戻って行っちゃった。
ミサトの頬っぺたをつねりに行った時に落としちゃってたのね。って云うか、今、レイってば怒ってなかった? ただのアジサイじゃないってコトかしら? …あとで謝っといたほうがいいかも。
「…つぎは、だれ?」
レイが、シンジに再び問いかけてる。
眉根を寄せたシンジは、いったい何を考えてんだろう。伏し目がちの眼差しは酷く真剣で、怖いくらい。
あんな眼差しで見詰められちゃったら、堕ちないオンナノコは居ないんじゃないかしら。
やがて、決意を乗せてシンジが視線を上げた。あの視界を、きっとワタシは知ってる。
「キール議長の心を知ることのできる世界、ある?」
…キール議長って、誰?
だけど、このシンジが悩みぬいて選んだ相手なら、きっと重要人物なんだろう。
シンジは、きっとたくさん苦労したのね。ワタシが知らないようなコトを、随分と知ってるらしいもの。
ふとレイから外されたシンジの視線が、ミサト、ワタシと巡った。人の顔見て何を思ったのか、その目元がなんだか優しい。
…
「…あるわ。地軸がゆがんだ時の事故で、脳死寸前のキール・ローレンツが居る宇宙」
レイに戻された視線は、さっきの真剣さを取り戻して、シンジの決意を教えてくれる。
…それにしても、あんな眼差しを向けられて、レイってば平気なのかしら? どんな顔してんのか見てみたいケド、ワタシはミサトじゃないんだからガマンガマン。っと赤いジャケットの裾を掴む。アンタも一々見に行くんじゃないわよ!
…
「…いくの?」
「うん」
レイが伸ばした手を、シンジが掴み取った。
「綾波。…ありがとう」
「…なに?」
レイの手を、包むように握りしめて。
「綾波がここで待っていてくれるから、安心して行ってこれるんだ。…だから、ありがとう」
これで他意はナイんだろうから、シンジって案外女ったらしの素質、あるんじゃないの?
「…なにを言うのよ」
うわ~、あの声音。…レイが動揺してるわ。
「帰る家…ホームがあるという事実は、幸せにつながる。良いことだよ」
カヲルの言葉に後押しされるように、シンジが頷いた。
シンジの眼差しは目前のレイだけじゃなく、ワタシやミサト…ううん、きっと目に映るもの全てに向けられて、優しい。
そんな風に微笑むようになれるまでに、シンジはどんな苦労を重ねてきたって云うんだろう。
…
「…いってらっしゃい」
レイが、シンジの額に触れた。
「 いってきます 」
肉体はおろかその着衣までLCLに変えて、シンジの姿が雪崩落ちた。…そういえば、初号機に溶けたシンジが、プラグスーツを実体化させてたとか聞いたことがある。それと同じことなんだろう。
…ってコトは、きっとこのワンピースもLCLで出来てんのよね。…それとも、あの赤い海の水…かしら?
う~ん…? 摘んで見てみたケド、よく判んないわ。
…なに? なんて言うぶっきらぼうな声に顔を上げたら、初号機がそのおっきな顔をレイに突きつけてた。あのでっかい体を精一杯折り曲げて。…あれが汎用人型決戦兵器の姿だっての?
「初号機君は、シンジ君に着いて行きたいみたいだねぇ」
今、レイが溜息ついたみたいに見えたケド…
「…あなたの気持ちは解かるけれど、碇君を手助けしたいなら奨めないわ」
独り言みたいなレイのつぶやきを、初号機は神妙に聴いているように見える。シンジのママはそこに居るし、この初号機ってばどうなってんのかしら?
「…あなたが行かなくても、あの宇宙は碇君だけで大丈夫だもの」
なんだか今、レイがとっても寂しそうだった。
「…碇君は、必要に応じて初号機を殲滅することすらして見せるわ。このタイミングであなたが行けば、碇君の思惑を邪魔することになるかもしれない」
まるで、自分に言い聞かせてるみたい。
「…それで、いいの?」
…
レイの言葉が潮騒に消えてしばらく、上半身を起こして初号機が吼えた。力の限りに開け放たれた口腔は洞窟のようで、レイくらいなら軽々と丸呑みにしそうだ。
…
……
「…そう、寂しいのね」
寂しいって…。じゃあ、もしかしてこの咆哮は泣き声だって言うの? てっきりワタシ、怒ったか脅してんだとばかり…
「…ごめんなさい。こういう時、どうしてあげればいいのか、まだわからないの…」
そこはかとなく肩を落としたように見えるレイの向こっかわで、カヲルが初号機に歩み寄った。その巨大な手の甲を、よしよしとばかりに撫でてやってる。
「さあさあ、レイ君を困らせるんじゃないよ」
…
まさしく子供が泣き止むような感じで、その咆哮が治まっていった。
初号機が自分の手元を、手の甲を撫でるカヲルを見下ろす。
「いいかい? よく聴いておくれ」
初号機と視線が合ったのを確認するように、カヲルが微笑んだ。
「ヒトの身であるシンジ君は、サードインパクトを止めるのに時間がかかることが多い。現に、どちらも10年以上かけているからね。
その点キミなら、最悪サードインパクト直前でもそれを止められる。今まさに手遅れになりつつある宇宙でも、キミならそれを守れるかもしれない。ってことさ」
…
地面に撒いた水が、染み込むのを待つような、…間。
「今度シンジ君が帰ってくるまでに、君ならそうした宇宙を3つは救えるだろう。最低でもね? シンジ君は驚くだろうし喜ぶだろうね。驚喜ってコトさ」
ウインクと、イタズラっ子のような笑顔。まるで、一緒に誰かを驚かしに行こうと友達を誘う悪ガキみたい。
…
しばらくカヲルの顔を見つめてた初号機が、レイめがけて視線を上げた。シンジがよくそうするように、きっと決意を乗せて。
…
「…そう。よかったわね」
レイの言い草はぶっきらぼうだったケド、なんだか安堵してるみたい。声に惑いがなくなってたもの。
再び顔を突きつけてきた初号機の顎に、レイが手を伸ばす。
「…いってらっしゃい」
途端に全てをLCLに変えて、初号機の姿が雪崩落ちた。シンジの時とは比べ物にならない、とんでもない量だ。大量のLCLが押し寄せてくると思ってとっさに身構えたのに、レイの目前で跳ね返されてる。
波頭みたいに砕け散ったそれを、あっという間に白い砂が吸い取ってしまった。
「…あなたは、どうしたい?」
初号機の顎に触れた姿勢のまま、顔だけ振り向いて。レイ。
「そうねぇ…」
…っと、その前に。
「レイ。…その、ゴメン」
「…なに?」
「アジサイ、大事なものなんでしょ?」
…ええ。と頷いて、レイが身体もこっちに向ける。
「落としちゃって、ゴメンね」
じっ…。とアジサイに視線を落として、ぽつりと。
「…そのことに気付いてくれたから…、」
赦してくれるって言うんだろう。…口数が足んないのは、相変わらずねぇ。
「…それで、あなたはどうしたい?」
自分がどうすべきか? と訊かれたなら迷っただろう。こうしろ。って言われたなら反発しちゃっただろう。…今のワタシは、素直とは言いがたいし。
だけどレイは、どうしたいか? と訊いてくれた。だから、素直になれる。
「自分をやり直して見たいんだケド、お奨めのトコって有る?」
…
眠りに落ちるかのようにすとんとまぶたを下ろしたレイは、代わりに少し、面を上げる。
…
やがて開かれたまぶたは、月の出のように静かに、赤い瞳を昇らせた。
「…母親の無理心中で、遷延性意識障害になった惣流・アスカ・ラングレィの居る宇宙が、あるわ」
「ヤなトコねぇ…。でも、ま。そんなところだからこそ、かしらね」
しゃりしゃりと白い砂を踏んで、レイの前に。
「じゃ、お願い」
…ええ。と伸びてきたレイの手を、シンジがしたみたいに掴み取った。
「レイ。…ダンケ」
「…あなたまで、なに?」
やっぱりシンジの真似をして、レイの手を包むように握りしめる。
「どうしたいか。って訊いてくれたでしょ。ワタシの気持ち、察してくれたのよね? …おかげでワタシ、素直になれたわ。
だから、ダンケシェーン」
「…そう。どういたしまして」
さすがにワタシ相手じゃ動揺しないか。…でも、ちょっぴり頬が染まってるわよ。アンタもちゃんと成長してんのね。なんだか嬉しいわ。
ワタシの微笑みをどう受け取ったのか、レイの口がへの字になった。
「からかったワケじゃないわよ。だからそんな顔しない」
「…そう? よく解からない」
そう言いつつ、レイの表情がほどけていく。
「見送ってくれるんでしょ。どうせなら笑顔のほうが嬉しいわ」
「…そう? そうかもしれない」
満面の笑顔ってワケじゃない。だけど、見てるだけで優しくなれるような柔らかな微笑み。月の光が降り積もるような静けさで。
「…いってらっしゃい」
レイが、額に触れてくる。
「うん。いってくる」
ワタシは、素直な心でワタシをやり直したかった。素直になるためにやり直したかった。
もう一度シンジと出会って、レイと仲良くなって。ワタシであるコトを精一杯、…チルドレンであることすら…、楽しむつもり。
まずは、自分のために。…ワガママかもしんないケド、大事なコトだと思う。
いろんなコトを受け入れるために、必要だと思うから。
… 光が見える。
あれが目的地なのね。
さあ、覚悟なさい。ワタシがアンタを楽しんであげる。…ううん、楽しめる世界に作り変えたげるんだから!
さあ、いくわよ。アスカ!
「アスカのアスカによるアスカのための補完」 終劇