「ヤだな、またこの天井だ」
「シンジ、気づいたの!?」
覗き込んできたアスカの顔を認識したらしいシンジが、くすりと笑った。
「なっなによ…」
「ごめん。なんだか最近、こんなんばっかりだなって思ったら、つい」
起き上がろうとしたシンジを押し止めて、アスカがリクライニングを起こす。
ありがと。って言うシンジから微妙に視線を逸らして、たいしたコトじゃないわよ。だって。…なんだかこのコ、ずいぶんと余裕があるわね。
「使徒は?」
「ワタシが出て、ちょちょいと斃してやったわよ」
胸を逸らして誇らしげに、アスカ。
零号機のポジトロン20Xライフルは届きもしなかっただろうし、傍目には弐号機が斃したように見えただろう。
司令部が、初号機の動向をどこまで把握しているか判んないケド、敢えて訂正する気はないみたいね。
「そっか、さすがだね」
「はんっ!あったりまえでしょう♪」
実に機嫌よさそうに、髪を梳き流してる。…まっ、水を注すこともないでしょ。
「それで、アンタはどうだったのよ。使徒の攻撃」
…うん。とシンジが視線を下げた。
「僕がいらない子供だってこと、思い知らされたかな…」
どういうことよ。と訝しげに、アスカが身を乗り出してくる。
「あの光の中で、どんどん昔のことを思い起こさせられたんだ。僕が憶えてないようなことや…、忘れたいと思ってることまで…」
どんどん小さくなっていっちゃう声を、意外なことにアスカがガマン強く拾ってた。
「3歳くらいの時だったかな。一度父さんに捨てられてるんだ。泣くことしか出来ない僕を、置き去りする背中…」
…思い出したくなかったな。と、シンジがシーツを握りしめた。
「手紙の一通で呼び出されたかと思ったら、用件はエヴァに乗れ。だけだった…。僕がたまたまエヴァに乗れたから、利用できるから呼んだだけなんだ…」
「…シンジ」
自ら親を捨てたと思ってるワタシに、シンジの気持ちは理解できないのかもしれない。…でも、想像することぐらいは出来るはず。同情してあげられるだけの余裕が、今のこのコにはあると思えるもの。
シンジの視界の隅に、椅子に座ったアスカの膝が見える。その上に載せられた両手が、しきりに握り直されてた。
…
これ以上何も言えなくなったシンジと、何を言っていいか判らないアスカの間にしじまが降りて、重い。
…
……
…
「ああもう、シンキくさいっ!」
手のひらを閃かせたアスカが、シーツを掴んだシンジの手をはたく。
ぺちっ、と間抜けな音。痛くない。
盗み食いを見つけた母親が子供を叱るとすれば、こんなたたき方かもしれないわね。
「いい歳して、親も子もないでしょ。今のアンタに、パパなんて存在がどんな意味があるってんのよ。捨てなさい捨てなさい、そ~んなモンこっちから捨てっちゃいなさい」
…
目を見開いてアスカを見ていたシンジが、…そうだね。と微笑んだ。
そしてふと、眉根を寄せた。
「ねぇ、アスカ。…もしかして、僕の夢の中に出てきた?」
「はぁ!? ワタシが? なんでアンタの夢なんかに」
う~ん。と、シンジが首をひねる。
「使徒の攻撃の最後のほうで…、アスカに良く似た女のヒトが出てきて、僕を慰めて、励ましてくれたような気がするんだ…」
ワタシに良く似たオンナノヒト~? って、胡散臭げにアスカが見てる。
それにしても女のヒトって…。…もしかしてシンジが子供だったから、ワタシが大人に見えたのかしら? …ていうか、ワタシ名乗ったんだけど…、…忘れたのね。 むぅ…
「微妙に雰囲気が違っていたような気もするから、アスカじゃないのかも」
「あったり前でしょ。なんでワタシがシンジの夢の中まで…、…って、アンタそうやって今までもワタシを勝手に夢に出して、アンナコトやコンナコトさせてたんじゃないでしょね!?」
病衣の袷せを掴んで揺すぶって。
「してない!してないよっ!」
「エッチ!チカン!ヘンタイ!!信じらんない!!」
肖像権侵害で訴えてやるぅ!!って、なにも涙目で迫んなくても…
…
際限なく揺すぶられて、シンジが目ぇ回しちゃった。薄情にもアスカが手を離すもんだから、くたくたとリクライニングに沈み込む。
ドアの開く音。
「シンジ君が目を覚ましたって連絡受けて来たんだけど…。誤報だったみたいね」
「リツコ…、なによ?」
アスカの声が硬い。訪問者がリツコじゃ、仕方ないか。
「問診を兼ねて、シンジ君から聞き取り調査を、と思ってね」
「あっそ!」
かつかつとヒールを鳴らして近寄ってきたらしいリツコが、シンジの手をとった。…のだと思う。視界がまだ、ちょっと不思議なまるでメリーゴーラウンドだもの。
「不整脈はなさそうね」
片目だけ眩しくなったのは、多分リツコがペンライトで照らしてるから。
瞳孔の散大もなし。とリツコが呟いたあたりで、シンジの視界が治ってくる。
「あ…、リツコさん」
「気分はどう? シンジ君」
ちらり。とアスカを見やったシンジが、睨まれてリツコに向き直った。
「…悪くないと思います」
「それは結構」
リツコの聴き取り調査ってヤツは、小一時間は続いたと思う。
わずか数分の出来事を、微にいり細をうがち、質問の仕方を変えて何度も聞き出そうとするのだ。それはもう、根掘り葉掘り。
今なら多分、シンジよりもリツコのほうが状況を把握してることだろう。
「ところで、シンジ君?」
「なんですか?」
いいかげん気疲れして、シンジの口調に力がない。
「その時のケィジの様子、憶えてて?」
「ケィジ…ですか?」
『憶えてる?』
さあね。ってトボけちゃった。シンジが知らないことを、リツコに教えてやる義理はないと思うもの。
「ケィジ…って、監視カメラあんじゃない。わざわざシンジに聞くようなコト!?」
アスカの機嫌が悪いのは、シンジに付き添って待ちくたびれたからでしょうね。もちろん誰も、そんなこと頼んでないわ。むしろリツコは追い出そうとしたんだけど。
それがねぇ…。と、リツコが溜息ついた。
「使徒の発した光でハレーション起こして記録画像は真っ白だし、初号機が張ったATフィールドは光波、電磁波、粒子まで遮断していて何もモニターできなかったのよ」
疲れたような苦笑は、シンジから有益な情報が得られるとは思っていなかった。ってコトだろう。藁をも掴むようなってヤツね。
「…あれぇ? リっちゃん、まだ居たのかい?」
ドアを開けると同時に、そんな頓狂な声を上げたのは、加持さん。小脇にスイカを抱えてる。
「加持さ~ん♪」
「病み上がりのシンジ君相手に、ちょっと長くないかい? とっくに終わってると思ってたんだが…」
黄色い声を上げるアスカにウィンクだけ返して、加持さんが腕時計を確かめてみせた。
「あら、そんな時間? …ホントに。シンジ君ごめんなさい、疲れたでしょ」
「…いえ、大丈夫です」
こちらも腕時計を確かめたリツコが、案外きちんと頭を下げてくる。思春期相手の扱い方はイマイチだけど、対等な個人同士の付き合い方、という点はきっちりしてるのね。これで失礼するから、ゆっくり養生してね。だって。
「アスカ。済まないがコレ、頼む」
「え~!? ワタシが~!加持さんは~?」
大股に病室を横切った加持さんが、アスカにスイカを手渡す。
「滅多に捕まらない赤木博士とご同道できる機会を、見逃す手はないんでね」
「あら、私?」
入れ替わるように出て行こうとしてたリツコが振り返った。
「ああ。最近なぜかアルバイトの方がさっぱりでね。本業に身を入れようと思うんだが…、その口添えをしてもらおうって思ってね」
「「あやしいわね」」
異口同音の言葉はしかし、同音異義でもあったっぽい。
「そんじゃ、アスカ、シンジ君。そうゆうことでスマン」
後ろ向きにリツコを追いかけていった加持さんが、片手で拝みながら病室をあとにした。
…
「シンジ、スイカ食べる?」
抱きかかえたスイカを持て余すように、アスカ。
意外なことに、シンジの視線は釘付けにはならなかった。かといって、あからさまに逸らすこともない。
…シンジの中で、何かが変わったんでしょうね。
「それ、冷えてないよね。食べきれないだろうし、ナースステーションで冷やしてもらっておいて、お裾分けしようよ」
「そうね。持ってってくるわ」
ありがと。って言うシンジから微妙に視線を逸らして、たいしたことじゃないわよ。だって。…やっぱりこのコ、余裕が出てきてるみたい。
****
「後15分でそっちに着くわ。弐号機を32番から地上に射出、零号機はバックアップに廻して」
ミサトのクーペに乗せてもらって、ジオフロントに急行中。
「…そう、初号機は碇司令の指示に。アタシの権限じゃ動かしようがないわよ。じゃ、…」
人間の都合でパイロットを馘にしても、使徒がそれを斟酌してくれるワケがない。ってのが、前回の使徒戦で作戦部が学んだ教訓らしい。
もしあれがケィジじゃなくて、たとえば第3新東京市のシェルターだったりしたら、シンジを救けに行くために初号機が本部棟を破壊したかもしれなかったわけだ。
なら、下手にシンジを初号機と引き離すべきじゃない。ってことで、本部棟で戦闘待機ってことになったんだって。
「使徒を肉眼で確認…か…」
ミサトの呟きはなんだか淡々として、いっそなげやりにすら聞こえる。でも、その心の裡は裏腹なんじゃないかって思うわ。だって、この道路に入って以来、その光のリングはずっと見えてたんだもの。
****
≪ エントリースタート ≫
≪ LCL電荷 ≫
≪ A10神経接続開始 ≫
バックアップに廻されるはずだったレイと零号機は、司令の鶴の一声で初号機の起動に廻されてた。
≪ パルス逆流 ≫
≪ 初号機、神経接続を拒絶しています ≫
≪ 起動中止。レイは零号機で出撃させろ。初号機はダミープラグで再起動 ≫
だからアスカは今、孤立無援で使徒と対峙している。
≪ アスカ!応戦して! ≫
≪ 駄目です!間に合いません ≫
ケィジから壁一枚隔てた更衣室。イザと言うときに初号機がシンジを守ろうとしても被害が少ないってことで、ここで待機するよう言い渡された。
≪ 目標、弐号機と物理的接触! ≫
≪ 弐号機の、ATフィールドは? ≫
≪ 展開中、しかし、使徒に侵蝕されています! ≫
≪ 使徒が積極的に一次的接触を試みているの? 弐号機と… ≫
ミサトの計らいで、現状は掴める。
だけど、皆の苦境を、ただ聴かせられるだけってことが、どれだけ苦痛か。
≪ 危険です!弐号機の生体部品が、侵されて行きます! ≫
≪ エヴァ零号機、発進。アスカの救出と援護をさせて! ≫
≪ 目標、さらに侵蝕! ≫
≪ 危険ね、すでに5%以上が生体融合されているわ ≫
特にそうしろ。って言われたわけじゃないケド、シンジはプラグスーツに着替えている。ベンチに腰かけ、見つめるのは床。
≪ レイ、後300接近したらATフィールド最大で、パレットライフルを目標後部に撃ち込んで!いいわね? ≫
≪ …了解 ≫
≪ エヴァ零号機、リフトオフっ! ≫
モニターには、一度も目をやっていない。だけど、力の限りに握り締められたこぶしが、逃げてるわけじゃないってコトをワタシに教えてくれる。
≪ 目標、零号機とも物理的接触! ≫
≪ 両方とも取り込もうっていうの! ≫
シンジは、使徒出現って聞いてから、ひと言も喋ってない。…相談もない。
こういう時のシンジが重大な決断をしようとしていることを、ワタシは知っている。
≪ 初号機の状況は? ≫
≪ ダミープラグ搭載完了 ≫
≪ 探査針打ち込み終了 ≫
≪ コンタクト、スタート ≫
≪ 了解 ≫
≪ パルス消失。ダミーを拒絶。ダメです、エヴァ初号機起動しません ≫
『…逃げちゃ、ダメだ』
とうとう、シンジが立ち上がった。
叩きつけるようにドアのスイッチを押して、ケィジに向かって走り出す。
『…逃げちゃダメだ』
…シンジ。
『逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ』
短い距離を全力疾走して、シンジの息がすぐさま上がる。
≪ ダミープラグ拒絶。ダメです、反応ありません ≫
≪ 続けろ、もう一度108からやり直せ ≫
アンビリカルブリッジの真ん中に辿り着いたとき、聞こえてきたのはシンジのパパの声だった。
「乗せてください!」
『逃げちゃダメだ、自分から… 自分の出来ることから』
膝に手をついて、はずむ息を押し込んでいく。
「僕を、 僕を… この… 初号機に乗せてください!」
声を限りに張り上げたシンジが、コントロールルームを見上げた。
「…父さん」
そこに居るのが自分のパパだと気付いて、少し、シンジが戸惑ったのが判る。眉尻が少し下がったもの。
『逃げちゃダメだ、父さんから …父さんの影から』
見下ろしてくるシンジのパパ。どんな顔してんのか、この距離ではさすがに判んないわね。
≪ …何故ここにいる ≫
『…逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!』
何かを掴みとろうと開かれた右手から、瞬く間に力が抜ける。それを何度も繰り返して、シンジは…
『逃げちゃダメだ。…じゃ、ダメだ!』
そのこぶしに何を掴み取ってか、力いっぱいに握りしめて。喰いこんだ爪の痛みすら総動員して、シンジは自分の存在ってモノを確認してるようだった。
『逃げないだけじゃ、流されてるだけなんだ。進まないなら、逃げてるのと変わんない。自分で進まなきゃ、自分から進まなきゃ、そのために…今は!』
そう。それがアンタの答えなのね。シンジ…
「僕は、僕は… エヴァンゲリオン初号機のパイロット、碇シンジです!」
****
『気をつけて。多分すぐに来るわよ』
『うん。判ってる』
初号機が地上に出た。
正面に零号機と弐号機。その背中からは茶色いオブジェが生えている。…あれは、いままでにやってきた使徒の姿!? 侵蝕がのっぴきならないところまで進行してるってコト?
≪ ATフィールド展開、2人の救出急いで! ≫
「はい!」
パレットライフルを構える間もなく、光る紐のような使徒が襲い掛かってきた。両端を弐号機と零号機に埋めたまま、伸び上がるようにしてその中間部分を延ばしてきたのだ。
もちろん、今のシンジに油断はない。横っ飛びに跳ねて一回転。距離をとってパレットライフルを撃ち込む。…だけど、効いてそうにない。
こちらの一斉射が終わるのを見計らったように、ねじ込むようにして使徒が突っ込んできた。予測し難い軌道を描いた一撃を、かろうじて初号機の左手が掴み取る。すかさず右手を添えるが、接触部分から即座に侵蝕を図ってきた。
初号機に浮かぶ葉脈が、シンジの腕をも遡ろうとする。
≪シンジ君、プログナイフで応戦して≫
ミサトの指示に反射的に応じて、シンジが右手に装備したナイフを振り下ろした。
≪≪きゃぁぁぁあああああぁぁぁぁ!≫≫
いったいドコに発声器官があるというのか、使徒のくせに赤い血を噴き出しながらのたうつ。
「「「 イタイ… イタイワ… イカリクン 」」」
シンジの左手に湧き出した小さなレイが何体も、その虚ろな眼窩で見上げてくる。
「「 イタイジャナイノヨ…バカシンジ 」」
初号機の掴んだ先が沸き立つようにアスカの姿をとったかと思うと、実に嬉しそうな顔して取り付いてきた。
うふふ、あはは…。って笑い声がドコからともなくさざめいてきて、恐い。…って、ワタシが恐がっててどうするってのよ!
『シンジ!誑かされちゃダメ。これは、使徒よ!』
唇を噛みしめたシンジが、プログナイフを握りなおした瞬間、魂消るような絶叫を残して使徒が引き摺られていった。
≪ ATフィールド反転、一気に侵蝕されます! ≫
その先は、零号機。使徒を呑み込むにつれて、その背中のオブジェが小さく、腹部が醜く肥大化していく。
≪ 使徒を押え込むつもり!? ≫
そういえばあの時、レイは…
『シンジ。レイは自爆する気よ!』
『ええっ!?』
引き抜かれていく使徒に引き摺られるようにして、弐号機がたたらを踏んでいる。
張り詰めた腹部を抱え込んだ零号機が、臨月の妊婦のように喘ぐ。だけど、抱えてるのは汚らしく肥大化した瘤にしか見えない。
≪ フィールド限界!これ以上は、コアが維持できません! ≫
≪ レイ、機体は棄てて、逃げて! ≫
≪ダメ。私がいなくなったらATフィールドが消えてしまう。だから、ダメ…≫
発令所経由のその言葉は、酷く小さかったのに、なぜかはっきりとシンジの耳を打つ。
『ほら!』
言ったときには、初号機は駆け出していた。
『…どうしよう』
ってアンタ。考えなしにツッコンでんの? …ほんとバカね。
『タイミング合わせてプラグを引っこ抜くわよ。参号機ん時の要領、思い出しなさい』
『解かった』
横たわった零号機の背後に廻りこんだ初号機が、駆けつけた勢いそのままに延髄の装甲板を剥がす。
『タイミングはワタシが合図する。アンタは零号機を押さえつけといて、引っこ抜く準備』
『うん』
齧り取られるように瘤が潰れていく零号機の向こうに、弐号機。よろけながらもこちらに向かってきている。
≪ コアが潰れます、臨界突破! ≫
何かに引かれるように立ち上がった零号機が、使徒を取り込んだせいか、白くなった。色を奪われてその本質を見失ったとでも云うように、その特殊装甲ごとカタチを変える。延髄に注視するシンジは気付いてないみたいだけど、それはまるで、人の姿。
…赤ん坊がナニかを求めるような声? どこから?
『シンジっ!!』
初号機が、両の貫き手をプラグの両サイドに突き入れた。おそらく、それでどっかのロックが外れたかしたんだろう。途端にプラグが排出される。
今の、天使の輪っかみたいなの、ナニ?
…
引き抜いたプラグを抱え込むのと、零号機が爆発したのは、ほぼ同時だったと思う。間一髪だったわ。
****
「綾波っ!」
こじ開けるように救出ハッチを跳ね上げて、シンジがプラグ内を覗きこんだ。
「大丈夫か!」
シートの上にファースト。ぐったりとして…
「綾波!」
うっすらと目を開けたファーストが、頭を起こす。
「…私をプラグから連れ出してくれるのは、いつも碇く…」
レイの呟きは、最後まで言い切ることが出来なかった。
「…」
プラグ内に乗り込んだシンジが、その頬を信じらんないくらい力いっぱいはたいたから。
「…痛いわ」
「当然だよ!それが生きてるってことなんだから!!」
…生きてる? 頬を押さえながらそう呟くレイは、いま初めてそう知ったと言わんばかりに呆然としてる。
…
「…こんなに痛いのに、なぜヒトは生きていかなかればならないの? 」
「そんなこと僕に訊かないでよ!誰も知らないよ、そんなのっ!だからみんな生きる意味を探してんじゃないか!」
…探して? と小首を傾げるレイに、そうだよ!とシンジ。ずいぶんとヒートアップしてるわ。
「僕らがエヴァに乗る理由を求めてるように、誰もが生きる理由を求めてるんだよ!それをっ!!綾波はあんなにあっさり!…」
…私が死んでも…。と開いた口は、即座に黙らされた。思わずシンジが手を振り上げたのだ。
「死ぬ時は、きっとそんな痛みじゃ済まないよ」
振るうことのなかった平手を握りしめて、プラグの内壁を叩く。激しくはない。だけど、篭められ続ける力に、こぶしの震えが止まらなかった。
「その痛みを受け入れられるほどの理由を、綾波は持ってるの…?」
感極まったんだろう。シンジが目頭を押さえる。でも、熱いものは止めらんない。
…生きてる、理由…。レイの呟きは酷く小さかったけれど、シンジは応ずるように口を開いた。
「ミサトさんは復讐のために…」
「加持さんは、他人を知るためだって、教えてくれたような気がする」
思い出を掘り返すようにひとつひとつ…って、つい最近、掘り起こされたばっかしだったわね。
「父さんだって…、忘れてはならないコトを教えてくれたヒトの想いに応えるためにって、言おうとしたんだと思う」
ぽとぽたと、シンジの涙がLCLを叩く。それが心のドアをノックしてるとでも云うかのように、レイの口元がほころび始めたような気がするわ。
「みんな違うのは、誰も自分で探した結果だからだよ」
…自分で、探す。視界が滲んで、もうレイの表情は窺えない。だけど、アンタが何か決意したって、解かるような気がする。
「なにやってんのよ?」
救出ハッチの方から、アスカの声。
「ちょうどいいとこに。アスカもこのバカ、一発はたいてやってよ」
あっらー、こりゃシンジか~なり怒ってるわ。なんたってレイのことをこのバカよ、このバカ。カンシャク起こして声を荒げることはあっても、直截に相手を罵るなんてこと、ほとんどしないのに。
そうね。って乗り込んできたアスカに場所を譲るようにインテリアの向こっ側に移ったシンジが、途端に張り飛ばされた。
あ痛たた…内壁に後頭部、ぶつけちゃったみたい。
…
「…なっなんで?」
痛みを堪えながら見上げると、フックを振りぬいた姿勢のままのアスカ。
「アンタも第14使徒の時に、似たようなマネやらかしたじゃない。まずはそんときのブンよ」
「それ、もう殴られたような気がするけど…?」
「あれは、アンタがトボけたブン」
え~!? って上げたシンジの抗議を無視して、アスカがこぶしの関節を鳴らした。
「さあ、次はアンタの番よ。ファ~スト~」
なんだか今、レイがたじろいだように見えたケド…?
あっ、気のせいじゃなかったみたい。だって、アスカが舌なめずりしながら詰め寄ってくもの。そりゃもう嬉しそうに、ふっふっふっふ…。とか笑っちゃって。
「張り飛ばす前に、アンタにも訊いといてあげる。なんであんなマネ、やらかしたの?」
「…」
レイが口篭もった。
喋りたくないんじゃなく、どう喋っていいか判らずに躊躇した。…そんな、気配。
…
「…シトのヒトが言ったわ。サビシイのは…この私だと」
落とした視線のやりどころもなく、レイはただ自分の手を見つめた。
「…言われた途端に1人でいるのが嫌になった。…いいえ、自分が寂しかったことに気付かされた」
驚いたことに、レイの目尻が潤みだす。
「…同じ物がいっぱい。要らない者もいっぱい居るのに、私のココロを知ってくれるココロは、ひとつもない」
ぽとぽたと滴る涙を、自分の手の上で見止めて。
「…これが、涙。寂しさを知った私から溢れ出たモノ…」
己の涙滴を握り潰そうとしてか、レイがこぶしを握り締める。
「溢れたココロが、碇君を獲り込もうとした…私の寂しさを埋めようとした」
「それが、赦せなかった?」
見上げるレイに釣られてシンジが見やる先で、アスカもまた。実に静かに、…泣いていた。
「ファースト… ううん、…レイ。あれが、アンタのココロ?」
穏やかな青い瞳に見つめられて、赤い瞳にも理解の色が乗る。
「…ええ、あれが私のココロ。あれは、…貴女のココロでもあったのね? …サビシサを埋めたくて、求める物があった。…だから、同じモノを見た?」
そうね、きっとそう…。とアスカが涙を拭う。
…
「一歩間違えてりゃ、ワタシが自爆してたってコトか」
それじゃあ、張り飛ばすわけにはいかないわね。って微笑んでる。
釣られたレイの、口元がほころんだ。ぎこちなさなどカケラもない、ホントに自然な笑顔。
…皮肉ね。エヴァってピースを挟むがゆえに隣り合うことなどありえなかった2人のココロが、よりにもよって使徒の手で強引に触れ合わされてしまっただなんて。それも、隣り合わせるなんて生易しさではなく、重ね合わされたんだろう。でなきゃ、理屈抜きにこの2人が解かりあえるなんてこと、ありえないもの。
よく解からないとばかりに顔をしかめてたシンジが、…まあいいか。って感じに力を抜いた。視線を移した先に、救出ハッチ。その向こっ側にネルフの車輌が到着しだした。
つづく