「…なんや、こかぁ?」
昏睡してたバカトウジが、目を覚ましたらしい。ホントは一度、夜中に目を覚ましてたみたいだけど、それはまあどうでもいいコト。
「ネルフの医療部だよ」
読みかけの雑誌から顔を上げて、シンジがバカトウジの疑問に答えてやる。こうしてベッドの横に椅子を置いて、付き添ってやってたのだ。
「…なんや、センセやないかい」
活字をただ目で追ってただけのゴシップ誌を畳んで、サイドテーブルの上に。ナースステーションに置いてあったノはこの手の類いか、業界誌、あるいはナース向けの通販カタログぐらいで面白みに欠ける。ヒマ潰しじゃなきゃ、手に取りもしなかっただろう。
「どこか、痛むとこ、ある?」
ん~? と唸ったバカトウジは手を上げたり首をひねったり胸を叩いたりしたケド、特に気なるトコはないみたいね。
「…特にあらへんわ。わし、いったいどないなってん?」
「乗ってたエヴァが敵に乗っ取られたんだよ。憶えてない?」
さっぱりや。と、かぶりを振ってる。まあ、あんな目に遭ったコトを憶えてないってんなら、そのほうが幸せだわ。
「とにかく先生を呼ぶよ。いろいろ検査しないといけないだろうから」
「…あんじょう頼ムわ」
…
……
「しっかし、ひっとが腹ぁ空かしとるっちゅうんに引き摺り回しくさってからに、ネルフっちゅうんはひっどいトコやのぅ」
「空腹じゃないと出来ない検査もあるからね」
バカトウジが目覚めてから2時間、参号機が起動してからだと3日間ナニも食べてないんだろうから、そりゃあオナカも空くでしょうね。
ま、そのへん手抜かりはないわ。
「シンジ。ヒカリを連れてきてあげたわよ」
「ありがとう。アスカ」
病室のドアを開け放って、アスカがヒカリを押し込んだ。
「なんや、委員チョやないか…」
「鈴原、大丈夫?」
「ああ、なんとか五体満足で生きとるみたいや」
どん。って胸を叩いて、むせてる。ホントにバカね。
「…それで、ホントにいいの? 碇くん」
手に提げた巾着袋を隠すようにして、ヒカリがベッドのこっち側に回ってきた。
「いま看護士から、差し入れ厳禁だって釘さされたわよ?」
そう言っておいて、アスカは閉めたドアの前で仁王立ち。なんだかんだ言って、バカトウジにヒカリのおべんとを食べさせる気満々みたいね。陣取ってんのは、いつでもドアをロックできる位置なんだもの。
「トウジが洞木さんの手料理でオナカ壊すわけないから、大丈夫だよ」
差し入れしちゃあイケナイってのはそういう意味じゃないケド、それでシンジが納得するならそれでいいのよ。嘘も方便ってヤツね。
「いっ碇くん!? わたしがここに来たのは委員長として、公務で来たのよ!それ以外の何でもないのよ…」
ああ、判っとるわ…。って、一番解かってナイのが応えんじゃないわよ。
「…解かってないわよ」
ほら、ヒカリが落ち込んじゃったじゃない。…シンジ、頼んだわよ。
『…』
「トウジ。洞木さん、心配してこんなところまでお見舞いに来てくれたのに、そういう言い方はないと思うな。
トウジがそういう了見なら、この洞木さん特製の手作り弁当、僕が食べちゃうよ」
ヒカリから引っ手繰った巾着袋を、これ見よがしに振ってみせる。って、これ重いわね。2人前どころの量じゃないんじゃない?
「なんやて!おおっ!食いモンかぁ♪」
『…いままでナニ聞いてたの、このバカ』
『おなか減ってて、そんなところにまで気が回らなかったんだと思うよ』
「いやぁ♪さっすが委員チョやのう。ホンによう気ィの回る。ありがたやありがたや♪
わしは、委員チョが作ってくれる弁当が人生最大の楽しみナンや」
なんだか頬をほのかに染めたヒカリに巾着袋を返してやって、
「…だってさ?」
と、立ち上がる。さらに顔の赤味を増したヒカリに、さりげなく椅子を勧めたりなんかして…。…シンジ。アンタ、こういうの慣れてきたわねぇ。それがイイコトなのか、判断つかないケドさ。…だってほら、アスカが胡散臭げに見てるもの。
『しばらく、2人っきりにしてあげましょ』
『そうだね』
飲み物でも買ってくるね。とシンジがドアに向かうと、察したらしいアスカが先に廊下に出た。
「ちょうど喉が渇いてたんだ。アスカも何か飲む?」
『は~いはいはいは~い!ワタシ、つぶつぶオレンジ♪』
『…アンジェには訊いてないよ』
むぅ。
「…アンタもしかして、今晩も付き添うつもり?」
そのつもりだけど、どうして? と答えると、アスカが顔だけで振り向いた。
「アンタもミサトも居ないんじゃ、ワタシがペンペンの世話しなきゃなんないじゃない!」
使徒の覚醒時にケガしたっていうミサトは、初日は経過観察入院だったそうだ。2日目の朝に顔だして、これから現場の後始末だと苦笑いしてた。作業の目処はたたないし苦情も山積みだから、あと2~3日は帰れないかも、なんてこぼしてたっけ。
「なによあのペンギン。ワタシが焼いた魚、焦げてるからって食べないのよ!」
腕組んでそっぽ向いて、それで結構な速度で歩くんだからこのコも器用よね。
「…ペンペンは、魚の焼き加減だけはうるさいからね」
お陰で、焼き魚だけは洞木さんに教えられるよ。なんて苦笑してる。そもそもペンペンが魚の焼き加減にこだわるようになったのは、シンジが甘やかした結果なんだけどね。いちいち焼け具合の感想を訊いて、反省材料にしてんだもの。ドーブツだって、贅沢に慣れちゃうわよ。…もっとも、丸呑みするクセにどうして焼き加減にこだわんのかは謎なんだけど。
そうこうしてる間に自販機コーナーに到着。小銭を出したシンジが、迷うことなくつぶつぶオレンジを購入した。…あら? ジオフロントのとはベンダーが違うのかしら。こっちのは細長いガラスコップみたいなのに金属のフタがついてて、まるでカップ酒ってヤツみたいね? …て、つぶつぶグレープなんてあるわよ!?
『シンジ、シンジ!ブドウ葡萄ぶどう!つぶつぶグレープっての飲んでみたい!』
あっ、なんか今こっそりため息つかなかった? シンジ。
「アスカは何にする?」
「…なに、ソレ?」
つぶつぶオレンジ、みかんの粒が入ってるんだよ。と、シンジがガラス瓶を振ってみせる。透明感のあるオレンジジュースの中でみかんの粒が舞って、まるでスノーグロゥブみたいにきれいね。缶入りより気が利いてるわ。
「ソレ、飲んでみたい」
これでいい? と手にしたガラス瓶を差し出すと、うん。とアスカが受け取った。きっとアンタも気に入るわよ。
シンジが小銭をもう一枚取り出して、今度はつぶつぶグレープを買った。つぶつぶオレンジと同様のガラス瓶に、こちらも透き通ったグレープジュース。底に沈んだブドウの粒は、きちんと皮がむいてあって…10粒くらいかしら。
「…ナンで、違うの買ったの?」
「買おうと思ったら、こっちに気付いたんだ。試してみようと思って」
あっそ。とそっぽを向いたアスカが、長椅子に座り込んでフタを開けた。口をつけて、ひと啜りしたと思ったらガラス瓶を覗き込んでる。その気持ち、解かるわ。そして、もう一口。のど越しが面白いでしょ。
グレープの方は噛んだ粒から溢れる果汁が美味しいけど、のど越しはつまんない。
オレンジジュースを飲み干したアスカが、眉根を寄せた。視線から察するに、みかん粒が瓶底に残ってしまったのだろう。…あれ、上手く飲み干すのにコツが要るらしいのよねぇ。
まさかすくい取るわけにもいかず、微妙に不機嫌になったアスカが、ガラス瓶をゴミ箱へ。
「…それで、帰ってくんでしょうね? あのわがままペンギンに魚を焼いてやるなんて、金輪際ゴメンよ!」
「帰ってもいいけど、アスカは?」
「ワっタシはもちろんヒカリんちに泊まるわよ。そもそも昨日だって、たまたま着替えを取りに帰っただけなんだから」
…そう。と、シンジが長椅子に座り込んだ。
「なによ…。言いたいコトがあんなら、はっきり言いなさいよ」
じとり。と視線だけで見下ろしてくる、気配。
シンジが見下ろしたガラス瓶の中で、ブドウの粒が沈んでいった。
…
「…夜とか、あまり1人で居たくないんだ…」
「…はぁ?」
それは、エヴァ参号機と戦った、その夜のことだったわ。
検査入院で個室に入れられたシンジは、夜中に何度も目を覚ましたの。ほんの3時間ほどで4度も目を覚ましたシンジは、とうとう寝ることそのものを諦めた。
きっと、第12使徒に呑みこまれた後遺症だろうと思う。寝ていると、血の匂いがするって言うんだから。もちろんそれは気のせいで、シンジのココロの問題なんでしょうね。
第12使徒から救出された夜の入院は、シンジは昏睡してた。
家にはミサトか、加持さんが居た。
あれから、初めて独りで過ごした夜。それが一昨日の晩だった。
だから昨夜、シンジはバカトウジの病室に泊り込むことにしたんだろう。
思えば、加持さんが泊まった夜に一緒に寝ようとしたのだって…
前の時はどうだったんだろう? と考えてみると、思ってた以上に情報が少ないことに気付いて、愕然とした。あれほどシンジをライバル視していながら、その相手のことはロクに知らなかった。知ろうとしてなかった。ってことだもの。
まがりなりにも一つ屋根の下で暮らす同居人が、こんなトラウマ抱えてた。なんてことに、気付かないでいたのよ。信じられる?
「成績優秀、勇猛果敢、シンクロ率ナンバーワンの殿方が、独り寝がさびしい。ですって!?」
心底見下げ果てたって視線が、ジュースの水面から睨みつけてくる。きっと、シンジが第3新東京市を去ろうとした時のワタシと、同じような気持ちでいるんでしょうね。
自らチルドレンを辞めた。と聞いて初めて、ワタシはシンジを憎んだんだと思う。戦績はおろかシンクロ率まで抜き去っておいて、あっさりその地位を放棄したんだもの。ワタシが希求してるモノは、なにもかも無価値なんだと蔑まれてるような気がして、敵意すら覚えた気がする。
だからこそ、シンジの居なかった第14使徒戦では、あんなに躍起になった。無謀な特攻までやらかした。ワタシが転落し始めたのがシンジにシンクロ率で抜かれた時だとすれば、止めようのない下り坂に踏み込んだのは、シンジがチルドレンを辞めた時だろう。
もちろん、当時はそこまで解かってたわけじゃない。様々な思いと衝撃を、逃げたシンジにあきれたんだと受け止めてた。燃え尽きる寸前のロウソクがひときわ明るく輝くように、逃げ出す前の火事場のバカ力でシンクロ率が上がっただけだと自分を誤魔化した。
自分の状態を冷静に推し量ることができれば、少なくともシンクロ率がゼロになるほど壊れたりしなかったでしょうにね…
「それで、このワタシに添い寝でもして欲しいっての?」
「…そういうわけじゃ」
「そう言ってんじゃないっ!」
ひるがえった手の甲が、シンジの手からガラス瓶を弾き飛ばした。自販機に当たって、割れる。
「テストでちょっといい結果が出て、1人で使徒を斃したもんだからって、チョーシに乗ってんじゃないわよ!」
「違うよ、そんなんじゃ」
ない。と立ち上がろうとしたシンジの頬を、アスカの右手が捉えた。膝から力の抜けたシンジが、長椅子に頽れる。
「アンタみたいなのが、…アンタみたいに弱っちいのが、なんでチルドレンなのよ!」
行きがけの駄賃にもう一発平手を喰らわしといて、アスカが逃げ出した。
シンジをなさけないと感じれば感じるほど、逆説的に自分の立つ瀬がなくなる。間違ってるモノにしがみついてると気付かないアスカは、そのことの屈辱に耐えられなかったんでしょうね。
その気持ちは、よく解かるわ。でも、今のワタシにはシンジの気持ちもよく解かるの。望まぬ力を与えられ、そのことでヒトから拒絶される心の痛みをね。
…
シンジが、熱を持った頬を押さえた。
「…僕は」
まぶたを堅く閉じて、熱くなる目頭を必死で抑えてる。
シンジ。アンタが悪いんじゃないわ。アスカがまだ、自分ってモノを見つけられてないだけなの。だから、アンタが強かろうが弱かろうが、前向きだろうが後ろ向きだろうが突っかかってくるわ。
そのことは、ちゃんと話してあげる。…アンタが、落ち着いたらね。
****
無事バカトウジを救い出せたから、今回シンジはハイジャックなんか起こしてない。結果、更迭されることもなかったので、こうして出撃している。
弐号機と並んで、ジオフロントの天井を見上げてた。使徒の進攻は、もうまもなく。
横目に見える弐号機は、兵装を山のように持ち出してきていて、まるでヤマアラシのよう。この頃の自分が、どれだけ焦っていたか目の当たりにするようで、ちょっとつらいわね。
零号機とレイは待機。エヴァ参号機戦で受けた損傷が、まだ修復できてないのだ。
初号機のプラグ内には、今まさに進攻中の使徒の姿を表示させてる。
『どう思う?』
『…よく解かんないけど、あの光線みたいなの気をつけなくちゃ』
確かにあの光線は厄介だわ。だけど、それほど多用はしてなかったように思う。
あの使徒の恐さは、とても攻撃力なんかあるように見えないあのメジャーみたいな腕での不意打ちにある。あれをいきなり至近距離で喰らったら、とても避けらんない。
『そうね。
でも、この時点で使って見せてるってコトは、あれが切り札ってワケじゃないんだと思うわ。
となると、第3使徒や第4使徒みたいに武器を隠し持ってるかもしれないわね。油断しちゃダメよ』
『あっうん。そうだね』
見上げる先、天井部が爆発して装甲板が崩落してきた。
『来たわね』
≪アンタなんか居なくったって、あんなのワタシ一人でお茶の子サイサイよ。夜に1人で寝られないようなオコチャマは、そこでおとなしく見てなさい!≫
アスカは一方的に通信を開いてきて、あっという間に切ってしまった。
ゆっくりと降下してくる使徒に対して、弐号機がパレットライフルを斉射する。アスカだからこの距離でも当てられるんだと思う。シンジが出遅れたのは、まだ遠くて当てらんないと自覚してるからでしょうね。
『シンジ、ライフルを2丁、手渡す用意しといて』
『一緒に攻撃したほうがよくない?』
『今の聞いたでしょ? 下手にアスカの前に出ようとしたら、背中から撃たれるわよ』
…想像したらしい。シンジが身震いしたもの。
使徒の着地とほぼ同時に弾切れ、弾倉交換はせずにライフルごと使い捨てた。
初号機が差し出したライフルに、… 一瞬の躊躇。
奪い取るように引っ掴むなり、腰だめに構えて乱射。距離が詰まったので、あんな撃ち方でも結構な集弾率だ。
『次、ロケットランチャー2丁ね』
今度はためらいなく、ランチャーを受け取った。
『ソニックグレイブ、構えて』
初号機がソニックグレイブを抜いて、身構える。
『アスカは周りが良く見えてないわ。使徒の動向に注意して、イザというとき弐号機を護れるのはシンジ。アンタだけよ』
『うん』
弐号機がロケット弾を撃ちつくし、使徒を覆っていた爆炎が晴れた。やっぱり、傷ひとつついてないみたいね。
ぱらぱらと、使徒の両腕がほどけた。長く延びたとはいえ、こちらに届くほどじゃない。…だから油断したんだけど。…あれが、あそこからさらに伸びるなんて、誰が想像できるだろう。
『シンジ、あれ!』
「!っ…」
新体操のリボンみたいにうねった両腕が、弐号機を突き飛ばした初号機を捉える。
…!
「ぐぅっ!!」
左腕と右足を持ってかれた。
シンジの苦鳴は、控えめだっただろう。四肢の半分を一度に失ったにしては。…あまりの痛みに、このワタシですら一瞬気が遠くなったわ。即座に痛覚を切り離す。
≪ シンジ君!! ≫
『バカ!ナンのためにソニックグレイブ持たせてたと思ってんの!』
身を挺してまで護ることはなかったのだ。片腕だけでも無事なら ―最初の奇襲さえ凌いでしまえば、アスカはナントカして見せただろう。
≪ シンジ君、いったん退いて! ≫
「こいつ…、強すぎる!」
シンジの声は、驚愕と苦痛に打ち震えてる。だけど、何かの決意を滲ませて言い切られた。
「くっ!」
足首から先を失った右足を地面に打ちつけ、初号機が踏みとどまる。
≪シンジ!≫
再び開かれた【FROM EVA-02】の通信ウインドウのなかから、アスカ。だけど、シンジに応える余裕がない。
「うわぁぁぁああああああっ!!」
シンジの叫びに呼応してか、初号機が顎部装甲を引き千切る。放った雄叫びごとぶつけるように、己が左腕を奪った凶器に喰らいついた。
『シンジっ!アンタいったい何する気なの!』
≪ シンジ君、命令を聞きなさい!退却よ!シンジ君! ≫
ミサトの声を、無視してるワケじゃないんだろう。あの痛みの中で、そこまで気が回るワケないもの。
もう片っぽのリボンに右腕を絡ませた初号機が、それを手繰るように左脚一本で跳ねた。
その距離を一気に詰めて、ショルダーチャージ。すかさず使徒の腕を絡ませたままの右腕で、使徒の顔を掴み、捩じ上げる。
「…アスカ、早く止めを!」
≪トドメったって、初号機がジャマでコアが…≫
初号機が噛み付いてたリボンが、初号機の頭に捲きついた。右腕に絡みつけたリボンも、逆に絞め返してくる。
「僕ごとで構わないっ!早くっ、あんまり保たない!」
≪…だって、そんな≫
思わず弐号機を見ようとしたんだろう。背後を振り返ったシンジにあわせて、初号機が振り返ろうとしてた。
「早く!このままじゃ無駄死にになる!」
≪死って、…そんなこと≫
メインカメラを塞がれて、プラグ内の映像は解像度が落ちてる。背部監視カメラの粗い画像の中に、尻餅ついたままの弐号機の姿。
『ごめん。生きて帰れたら、いくらでも謝るから…』
「惣流・アスカ・ラングレィ!…君はチルドレンだろ!」
ワタシに、誰かを犠牲にしてでも勝ち抜くなんて覚悟はなかったと思う。自分独りで全てを護れると、無根拠に思ってた。
「君の使命はっ!!…」
通信ウィンドウの中で、アスカがいやいやとかぶりを振ってる。
…!
「がぁっ!!」
とうとう初号機の右腕が絞め潰された。すかさず放たれた光線が、右の手首から先を消し去る。
第3使徒戦をはるかに超える痛みを受け止めてるだろうに、シンジは気絶しない。だから初号機も暴走しないのだろうか?
「ぐぅぅうっ!…アスカ!!!」
≪いっいっ…いやぁ…!≫
シンジの叫びに弾かれるように、アスカがぴくりと跳ねる。視界のぎりぎり端っこで、弐号機が初号機の落としたソニックグレイブを掴んだ。
操り人形のようにぎこちなく立ち上がり、 …弾かれたように駆け出す。
≪いやぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああっ!!≫
初号機の背後、使徒からは死角になった位置から駆け込んできた弐号機が、初号機を刺し貫いた。そのまま初号機の腹を突き抜けた穂先は、その感触からしてあっさりと使徒のコアに滑り込んだのだろう。
…
……
押し寄せる光の奔流に、プラグが真っ白に塗りつぶされた。伴う爆圧で、初号機が吹き飛ばされる。
あっ、いや。なにかが受け止めて、支えきったみたい。…きっと弐号機ね。
≪シンジ、シンジ!≫
『…シンジ?』
≪ シンジ君っ!! ≫
歯を食いしばったままのシンジが、たどたどしく神経接続を切ったのが判った。
****
「ヤだな、またこの天井だ」
『シンジ、気がついたの!?』
「シンジ、気がついたの!?」
初号機を大破寸前まで追い込んだシンジは、シンクロを切った途端に気絶した。すぐさま医療部に担ぎ込まれたシンジに、アスカが付き添ったのは我ながら驚いたわ。
「アスカ…?」
「勘違いすんじゃないわよ。ワタシは、アンタをひっぱたくために待ってたんだからね」
シンジが思わず頬に手をやった。医療部でアスカにひっぱたかれたのは、ほんの昨日のコトだもの。当然かもしんないわね。
「ナンで、あんな真似したの? 返答しだいじゃ、ひっぱたく程度じゃ済まないわよ」
シンジが体を起こす。痛みもないし、特に後遺症とかは出てなさそうだわ。
「…」
しばし正面を眺めていたシンジが、アスカに視線を移した。
「アスカは…、あの使徒に1人で勝てたと思う?」
「あったり前でしょ。あんなの、ワタシにかかればお茶の子サイサ…」
最後まで軽口を叩ききることが出来ずに、アスカが口篭る。シンジの真剣なまなざしが、痛かったのね。
「…そりゃあ少しは苦戦したかも知んないケ…」
自分で自分を誤魔化すようになったら、人間オシマイなのよ。
「…かなり苦戦するかも知…」
自分の観察眼や分析力を否定して、それで護れるプライドなんて…
…
ううん、護るどころか、自分で自分の首絞めてるだけじゃない。
「…斃せなかったわ」
乾いた雑巾を搾って、水を求めるかのように。アスカの声は酷くかすれて、か細かったわ。
「…でも、もう二度と負けらんないのよ、このワタシは」
…
「…何に?」
何より先に、まず拳が飛んできた。
「アンタにっ!決まってんでしょう!!」
あ痛~
シンジが、判っててトボけてると思ったのね。むしろバカにされたと思ったのかも。だから手が出たし、自分の言葉の矛先がシンジだったと思い込んだ。
ううん、あながち勘違いでもないか。1人で使徒を斃すことに拘ったのは、やはりシンジへの対抗心だったからだもの。
「僕!? …僕、アスカに勝ったことなんかないよ」
「アンタたいがいに」
しなさいよ!と襟首掴んで、アスカがシンジを引き寄せた。
「参号機の時だって、その前だって!」
ほとんど頭突きという勢いで顔を突きつけてくる。上目遣いに睨め上げる青い瞳には、殺気すら篭ってただろう。
「参号機の時はダミープラグとかいうヤツで司令部が斃したし、その前のは初号機の暴走だよ!」
え…?って固まったアスカを、やんわりと引き剥がして、シンジが頬を押さえた。
「アスカが来てから、僕1人で使徒を斃したことなんか無いよ」
「…そうなの?」
「そうだよ」
視線を落としたシンジが、…と言うか。って言葉を継ぐ。
「…なんだか、使徒が強くなってきてるような気がするんだ。1人では斃せないくらいに」
「だからって、あんな戦い方!」
微妙に逸らした視線を、アスカに向けた。
「じゃあ…アスカは。一緒に、戦ってくれた?」
「それは…」
シンジのやさしさ。…解かる?
シンジが視線を合わさずにいてくれたから、アンタは今、縛られることなく俯けるの。
それは弱さかも知んないけれど、それが相手のためになるって云うなら、弱かろうが強かろうがどっちでもいいじゃない。
「…参号機と戦った時、ダミープラグってのが動き出して、初号機が勝手に戦いだした」
何を思い出したのか、シンジが握りこぶしを固めた。爪が喰い込んで、ちょっと痛い。
「僕はエヴァを恐いと思ってた。エヴァが嫌いだった。…だけど、リモコンみたいに操られる初号機を感じたとき、何か違うって、これは何か間違ってるって、思ったんだ」
そう細かく発令所からコントロール出来るようには思えないけど、それはまあ、どうでもいいコト。
「もし僕たちが使徒を斃せなかったら、司令部はまたダミープラグを使うと思う」
理解の光を瞳に乗せて、唐突にアスカが面を上げた。
そう。誰に勝つとか負けるとか言う以前に、パイロットそのものがお払い箱になるかもしんないのよ。シンジとは違う理由だろうけど、ダミープラグを使わせるわけには行かないのはアンタも同じことなの。
「…それが嫌だったんだ」
…
シンジの眼差しを正面から受け止めて、アスカの表情は硬い。…だけどもう、やたらとシンジを敵視してた、いままでのアスカじゃなかったわ。
なのに、
「シ…」
…ンジ。と最後まで呼びかけることは出来なかった。
「来たまえ、碇シンジ君。総司令がお会いになる」
唐突にドアを開けた黒服が2人、問答無用でシンジを連れ去ってしまったのだ。
つづく
2008.08.08 PUBLISHED
2008.08.10 REVISED