鉄格子が並ぶ牢獄と分厚い鉄と木で出来た扉の向こう側。
見張りの看守達の部屋ではいつもと変わらぬ日常が流れていた。
先ほど囚人用の食事を出入りのオヤジが搬入していったが、他には特に変わったことも無い。
オヤジが入っていった直後に牢の方が騒がしくなった気がするが、それは毎食の事である。
どうせ、鉄格子の外からパン籠を渡すオヤジに、囚人達が早く渡せと騒いでいるのだろう。
守衛室では、牢屋から聞こえる喧騒も飯時に聞こえるいつもの物として特に気にした様子も無い。
看守達はカードゲームや読書をしつつ何時もどおりに交代の時間を待っていた。
幸いにして、今、この監獄に勤務しているのは規則や何やらに口うるさい小人や巨人族ではなく、サルカヴェロ内では少数民族の人族や亜人が殆どだ。
多少気を抜いて勤務していてもとがめられることは無い。
(仮に小人共が居た場合、勤務中にカードをしていたらサボタージュだ何だと上に報告されていただろう)
だが、そんないつもと変わらぬ日常であったが、何も起きないと言うわけではない。
囚人達のケンカや病気などの小さな事柄は往々にして起きる。
だからというか、出入りの飯屋のオヤジと連れの子供が申し訳なさそうな顔をして監守室に戻ってきた時は
また何か小さな事が起きたのだと看守達は思った。
「どうした?」
監守の一人がオヤジに聞く。
「すまねぇんですが、納品の書類を店に忘れてきてしまって、ちょっと一っ走り行ってきても良いですかね?」
オヤジは申し訳無さそうにそう言うと、看守達は「なんだ、そんな事か」と興味を失い、3人居る看守のうち、読書をしていた一人に対応を任せて残る二人はカードに視線を戻してしまう。
「あぁ それは構わんが、息子と台車はどうする?」
「それですが、直ぐに戻ってくるのでこちらに置かせてもらっていいでしょうか?」
確かに親父の店はこの要塞のすぐ隣。
その立地の近さゆえ、囚人用の飯を納入させているくらいなのだから、すぐに取ってこれるだろう。
「ふむ。仕方ない。
さっさと取ってくるんだぞ」
「すんません」
そう言って、オヤジは深々と頭を下げると看守の一人に外への扉の鍵を開けてもらい、そのままそそくさと監守室から小走りに出て行く。
オヤジが出て行った後、再施錠された看守室には看守とオヤジの息子のみが残された。
深々と被った帽子のせいで子供の表情は見て取れないが、オヤジと分かれて一人待ってるのは寂しかろうと看守達は残された子供に話しかけた。
「で、坊主。
親父が戻ってくるまで静かにしてろよ……って、お前。
いつもの連れてきている親父の倅じゃないな?」
監守は子供の前に立ち子供の顔を覗き込むと、それはいつもオヤジが連れている倅ではない事に気が付いた。
監守から不審な目を向けられる子供であったが、そんな視線もなんのその。
子供は笑顔で監守の質問に答える。
「あぁ それは、上の兄ちゃんだよ。
今日は兄ちゃんが風邪引いたんで、代わりに俺が着たんだ」
子供らしい可愛い少年の笑顔に、監守もそれ以上追求する気は霧散する。
なんというか天真爛漫という言葉が似合う良い笑顔だ。
あまり追求して怖がらせるのも可哀想だ。
「そうか。
まぁいい。 静かに待ってるんだぞ」
これだけ元気なら寂しくも無かろうと、監守はそれまで座っていた椅子に戻り、読みかけの本を再度手に取る。
だが、そんな看守の後を興味津々といった感じで子供はキョロキョロと辺りを見渡しながら付いてくる。
「はーい。
静かに待ってるよ……って、おじさん。
これって牢の鍵?」
子供に静かにしていろと言いつけたのは無駄だったかと思うほど、子供はウロウロとあたりを見回り、机に置かれた牢の鍵に興味がわいたのか鍵を指差して言う。
「ん? そうだが、気安く触るんじゃない」
例え子供でも部外者が触って良いものではない。
看守は読書を中断して子供をそう咎めるが、それを先ほどからカードゲームに興じていた二人の看守が彼らの話に割って入った。
「まぁ いいじゃないか。
どうせ牢を破った所で、こっちの鍵がなければ建屋の外に出られないんだし」
そう言って、話に割って入ってきた看取が、懐に隠した鍵束を見せて笑ってみせる。
例え、牢を破られたとしても、建屋の鍵がなければ外には出られない。
仮に脱走しようものなら、建屋の鍵が無くて戸惑っている間に、要塞に駐屯する兵士や看守に捕まってしまうという算段だ。
「あのなぁ……
そういう事を言いたいんじゃないんだが……」
他の看守の言い分に対して、読書をしていた看守は、出れるか出れないかじゃなく、心構えの問題だと言葉を続けようとするが
それは、新たに見せられた鍵束に反応した子供の声で遮られる。
「へぇー さすが監獄。
鍵が一杯あるんだね。
ちょっと見せてよ……って、うわぁ!!」
看守たちが話している間は無言で鍵を見詰めていた子供であったが、ふと何かを思いついたように、鍵を見せてくれとカードゲームをしていた看守たちの方に走り出す。
そして、看守たちまでもう少しと言う所で、少年は盛大にすっ転んだ。
あまり受身が取れた風には見えない感じで、盛大に。
その様子に流石に心配になったのか、子供に一番近くにいた建屋の鍵束を持っている看守は、彼を心配して傍に駆け寄った。
「おいおい。盛大にコケたな。大丈夫か?」
「う~ん。いたいよぅ」
看守の言葉に、子供は顔を抑えているのかうつ伏せの状態のまま動かない。
もしかしたら歯でも折ったか……
看守は心配して子供を抱えて起き上がらせる。
「どれ坊主。ちょっと見せてみろ」
立たせた子供の前でその顔を覗き込む兵士。
泣きそうな顔をしている子供を心配してか、その看守の注意は完全に子供……イラクリの顔へと向けられていた。
「あぁ。 ちょっと赤くなって……」
赤くなってるが大丈夫。
そう言おうとした看守の言葉が途中で止まる。
そして、それと一拍置いて、ドサリと看守が崩れ落ちた。
「おい。どうし…… んな!?」
急に倒れた仲間の看守を見て、他の看守も何事かと立ち上がる。
何が起きたか。
倒れた瞬間には分からなかったが、倒れた看守の下から広がる赤い液体を目にして、残った二人の看守は驚愕した。
「イヒヒヒヒ!!」
イラクリは笑い、そして駆け出した。
先ほどと同じ少年とは思えない悪魔的な笑顔を浮かべ、二人の看守が腰に付けた剣を抜くよりも早く……
「制圧完了」
看守の部屋に入って程なくして、イラクリは戻ってきた。
その顔は返り血による飛沫が飛んでいたが、彼は一仕事したとばかりにサッパリとした表情である。
「よくやったよ。流石はあたいの息子だ。
よし。さっさと、牢を開けな」
「はーい」
ニノの言葉を受け、イラクリは牢屋に鍵を指して回る。
拓也やニノがいる大部屋だけじゃなく、建屋の牢屋全部にだ。
「うぉぉぉぉぉ!」
解放された囚人。
建屋に喜びの声がこだまする。
そんな熱狂の中、イラクリが全ての牢を開け終わると、囚人の中心で、ニノが全員に向かって声をあげた。
「いいかい!お前ら。
外に出たら監守の官舎を襲うんだよ。
その声を合図に、外に居る仲間が通用口を吹っ飛ばすから、そこから一気に外に出るんだ。
わかったね?上手くバトゥーミまで逃げれた奴は、あたいの一味で使ってやるよ」
「おおぉ!!」
ニノの言葉に囚人達は一体となって声を上げ、それに応える。
牢から出たと言う喜びと高揚感からか全員が何の疑問も無く脱獄を指揮しているニノの言葉に従っている。
「さぁ! 出口はあっちだ!
お前達!さぁ行くんだよ!!」
開け放たれる建屋の扉。
囚人達は、死んだ看守から奪った剣や、椅子やテーブルを壊して作った角材等を手に、一気に外へと向かって行く。
そうして、拓也達以外の全員の囚人が建屋から出て行くと、残った拓也達は建屋の扉を閉め次の計画に向けて動き出した。
「じゃぁ こっちも行動開始だ」
拓也はそう言って、囚人が出て行った出口とは別方向に歩みを進める。
要塞内のほかの建物については分からないが、この建屋内の構造については飯屋の親父から聞き取り済み。
囚人達と別れた拓也達は、建屋裏口へと向かっていた。
「……それにしても酷い奴ね。
奴等全員囮に使うなんて」
拓也の後に続きながら、タマリはニヤニヤしながら拓也を見る。
「これが知ってる奴だったらこんなマネは出来ないよ。
だけど、見ず知らずの義理も何も無い悪人達でしょ?
使い潰してもさほど良心は痛まないし。
それでも、流石に堅気の飯屋のおっさんは巻き込んで悪いと思うから、後で何か御礼はしようと思うけど……」
タマリの言うとおり、解放した囚人は全て囮だ。
せいぜい暴れてもらって看守を引き付けておいて貰いたい。
どうせ外に出る際には扉を爆破して大騒ぎになるのだから、陽動として有効に活用しようと言うのが拓也の考えだった。
そうこう話しているうちに暗い建屋の通路を進んでいくと、暗闇の中にドアが浮かび上がった。
「社長。
無駄話はここまでです。
どうやら、このドアがもう一つの出入り口っぽいですよ」
先頭を歩いていたアコニーが、後ろを振り向いてドアを指さす。
飯屋のおっさんの情報どおり、恐らくこれが外へと通じるこの建物の裏口だろうことは間違いないと思われた。
後は守衛から奪った鍵で外に出れば、こちらからの合図でイワンが門を爆破なり何なりしてくれるはずだ。
「よし、じゃぁ鍵を開け……」
ガチャ……
鍵を開けようかと拓也が言おうとした丁度その時。
未だ誰も触れてもいないのにドアノブが回る。
「!!?」
外側から誰か来た!?
咄嗟に皆で隠れようとするが、通路は狭く、隠れる場所などありはしない。
ギィ・・とゆっくりドアが開かれるが、出きる事と言えば、ドアの蝶番側に皆で押し固まって隠れる事。
だが、これでは直ぐに見つかってしまうだろう。
ドア越しの気配から察するに、相手は一人。
それも酷く警戒している様子である。
建屋の外で脱獄した囚人達の騒乱の声を遠くに聞きながら、恐る恐ると言った感じで中に入ってきた。
そんな緊迫した状況の中、最初に動いたのはアコニーだった。
猫のようにしなやかに、そして風よりも早く動いた彼女は、一瞬でドアを開けた人物の後ろを取ると、叫ばれないように口を塞いで中へと引きずり込む。
「んん?!」
その人物は、一瞬の出来事に困惑の声をあげるが、アコニーに口を塞がれて声を上げることが出来ない。
確認の為、その人物に向けられるライトとナイフ。
暗い通路の上で、ライトに浮かび上がったその顔は、あらゆる意味で拓也達の予想外であった。
「カノエ!?」
帽子の中で纏めて髪を隠してはいるが、その顔は正しくカノエ。
拓也達は何故ココにと言わんばかりにあっけに取られた表情をしていると、カノエは何事も無かったように笑って話しかけてきた。
「あら、社長。
お久しぶりです」
「なんでこんな所に……
って、お前。王城に捕まってるんじゃないのか」
カノエ以外の全員が思っていたその疑問。
捕まっていた筈のカノエが何故ココにいるのか。
それに対するカノエの答えは至ってシンプルなものだった。
「逃げてきちゃいました」
てへぺろ☆と軽いノリでカノエは答えるが、それで「あぁ そうなの」で済まされるような事ではない。
拓也は一体どのようにして逃げてきたのかカノエに問いただす。
「逃げてって、どうやって?」
「だって、あいつら牢獄だと思ってエレベータに閉じ込めるんですもん。
そりゃぁ逃げますわよ」
カノエは、逃げて当然ですよね?と鼻で笑う。
「エレベーターだって?」
サルカヴェロにはそんなモノまであるのか。
だが、何故、サルカヴェロ人はそんな所にカノエを閉じ込めたのか?
そんな拓也の疑問を、カノエは拓也が聞くまでも無く話してくれた。
「えぇ。
今のサルカヴェロ人は知らないようですが、この要塞も地下構造で繋がってますわ。
もっとも、利用法を知らない彼らは、この要塞のモノは倉庫として扱ってましたけど。
そんな事より、さっさと逃げましょうか」
「ちょっと待て。
逃げなきゃならない事には違いないんだが、外にイワンが待ってるんだ」
外ではイワンが要塞の門を爆破する準備を整えているはず。
彼を放っておいて別ルートから逃げるわけには行かない。
だが、そんな拓也の言葉の意味を察したカノエは、その逃走ルートを論外とばかりに否定する。
「外ですか。
まぁ そのルートは諦めてくださいな。
今頃、私が消えたことで王城は大騒動でしょう。
じきに大規模な捜索隊が町に下りてくるはずですわ。
そんな中で逃げるのは嫌でしょう?
それに、サルカヴェロよりもっと危険な奴等ももう少しで着ますし……
そんな訳で、脱走は地下から行いましょう」
そー言って、カノエは胸の前で手をパンと叩き、このルートで行くと宣言する。
地下からの逃走。
それは、土地勘の無い拓也達には思いつきもしないルートであった。
「は?
地下から? ……というかサルカヴェロより危険な奴等?!」
「まぁ そこらへんは移動中にでもお話しますわ。
とりあえず、ここから移動する事を優先しましょう」
そう言って、カノエは拓也の手を取って建屋の中へと歩き出す。
途中、守衛に発見されないように周囲を警戒してみたが、どうやら守衛の大半は脱走した囚人達の対処に追われているようだ。
拓也達は、幸運にも誰にも発見されること無くカノエに案内されるまま要塞内の一室に着く事が出来た。
「ここが、エレベーターですわ」
「ここが?
只の物置にしか見えないけど……」
拓也が言うとおり、石造りの室内には資材として保管してあったロープや樽等が雑然と積まれている。
とてもじゃないがエレベータには誰の目にも見えない。
「まぁ サルカヴェロ人には使い方が分からなかったようですし、物置として使ってたんでしょう。
じゃぁ 動かしますね」
カノエは、そう言うと文様の刻まれた石壁に手をかざす。
すると、それに反応して文様が光ったのと同時に部屋の床が下降を始めた。
「うわぁ!」
「なんだ?!」
ガコンとロックが外れるような振動の後、床は加速度的に降下速度をあげていく。
どんどんと下降する床。
見上げれば、天井は既に遠い所にあり、ニノやタマリは始めてのエレベータに驚きの声を上げている。
まぁ もっとも、エレベータの聞いて普通のエレベータを想像していた拓也とアコニーも、こんな艦載エレベータちっくなモノが出てきたことに内心驚いていたのだが……
「下まで移動するのに数分かかりますから、その間に皆さんコレを口に含んでくださいね」
そう言ってカノエが懐から取り出したのは複数の錠剤だった。
カノエは、それをアコニー、ニノ、タマリ、イラクリの4人に渡す。
「なんだいこりゃ?」
「下で呼吸するためのお薬。下にはガスが溜まってるの。
その中で呼吸するのに必要な薬なのよ」
「ガスって……
本当に大丈夫なのかよ……
って、あれ? カノエ。俺の分は?」
カノエが渡したのは拓也を除いた4人分だけ。
拓也は自分の分は何で無いのかとカノエに尋ねる。
「社長は霧によってドワーフの性質を得たじゃないですか。
彼らの能力は社長が練習してた精霊魔法だけじゃないですよ?
長い間地下で活動するために、多少の低酸素や有毒ガス環境の耐性を持ってますから大丈夫です。
他の種族だったら10分も潜れば死にますが、ドワーフ系ならちょっと息苦しい程度ですよ」
「本当かよ……」
確かに霧発生時の肉体的な変異を契機に、精霊魔法が使えるようになったのは分かる。
だが、ガス耐性など普段の生活では知覚出来ない。
それを信じるというのは中々に難しいモノだ。
拓也が不安に感じるのも無理は無かった。
「まぁ それはご自分で確かめてみれば宜しいかと。
それより、そろそろ地下に着きますよ」
そう彼女が言った瞬間だった。
今まで上へ上へと流れていた周囲の壁がふっと消える。
何事かと見上げれば、遠ざかる天井には四角い穴。
そして、周囲を見渡せば端の見えない漆黒の闇が広がっている。
エレベーターは巨大な地下空間へと降りてきたのだ。
拓也達はここは一体何かと見渡そうとするも、明かり一つないその空間は視覚での認識を拒む。
それは、エレベータが目的地に到着し、その動きを止めても変わらなかった。
暗すぎるのだ。
「暗すぎますね。
ちょっと明るくしますわ」
そう言ってカノエは、エレベータの近くにある文様の描かれた石盤に触る。
石版はポゥっと淡く光ると、周囲に光が溢れ始めた。
地下空間の天井が光っているのだ。
光量としては然程多くは無いが、それでも夜の街灯に照らされている程度には明るい。
そして、その光に照らされて拓也の予想をはるかに超える光景が眼前に現れたのであった。