拓也がエレナに教授らの北海道への帰還を任せ、エレナたちに見送られながら彼らが東へ向けて出航した頃
札幌の連邦政府ビルの一室で、重要な会議が開かれていた。
第48回 北海道連邦戦略会議
転移以降、かなりの高周期で開催されるこの会議。
その中でも、今回は今までで最高クラスの訳の分からない事態が報告されていた。
高木を始め円卓を囲む政府の重鎮達の前で、スクリーンに映し出された報告をレーザーポインターで指し示しながら矢追博士がその説明をしている。
「お手元の北大のレポートにもあるように、転移後の天体観測は新たに発見される謎と新発見の連続で、非常に混沌としております。
特に苫小牧の電波望遠鏡での観測結果が一番驚きでしょう。
転移以後、天の星座はがらりと変わった。
太陽系の惑星に関しては各種観測の積み重ねにより、旧世界とあまり変わらない軌道を回っていることは突き止めたが
この太陽系の外。我々の常識では銀河や他の星星で満ち溢れているはずの宇宙からは何の反応も無い。
近隣星系からの電波どころか宇宙背景放射さえ観測されない。
しかし、夜空に星はちゃんと有り、可視光線上では何かは存在している。
では、それは何なのか? そもそも、この世界は元の世界の宇宙観すら当てはまらない所なのか?
謎は、ますます深まるばかりであります」
そう矢追博士が説明するように、既存の観測データが一切合切ゴミと化した転移後の天体観測は、プロ、アマチュアの区別無く夜空を見る者達を狂乱させていた。
毎日何十個も発見される太陽系内の小惑星。
全く見つけることの出来ない銀河や星雲などの遠望天体。
それらの事象は、北海道が全く別の宇宙に転移したという説に始まって、ここは神の箱庭であるという説まで、ありとあらゆる方向性に研究者の議論を弾ませていた。
転移以後、天文学に限ってでも幾百の論文が発表され、次々に新しく発表される他の学説に塗り替えられていった。
だが、それは無理も無い事だった。
観測衛星も無ければ、大規模な天文台も無い北海道に、今以上の観測は難しい。
この世界の宇宙観の理解を深めるのは、とてつもない難事業に思われた。
彼らの言葉を借りれば、"今の我々が観測出来るのは、この世界で起きている現象の1%にも満たない。
だが、その観測したうちの1%程度も理解できないでいる"とのことである。
「それで結局の所、何も分からずじまいという事ですか?」
矢追博士の報告を聞き、高木は博士に聞き返す。
何も分からず、調査中とのことなら、演技がかった説明などせずとも"現在調査中。観測が纏まり次第報告します"と資料に一文書くだけでいい。
「いや、何も分からないということでは無い。
現に既存の観測施設でも判明したことは幾つかある。
例えば、今、我々がいる星系の惑星の軌道は、元の太陽系の軌道とほぼ同一であるというとこ。
それと、今見ている資料の3ページ後に書いてあるのですが、この世界の火星に相当する星には海があると思われる」
「火星に海ですか?!」
会議室の一同は、博士の言葉に思わずざわめき、一斉に資料のページをめくりだす。
すると、そこには写真も無く文字だけの情報であるが、それに言及する一文があった。
観測報告3
火星に海洋が存在する可能性について
3.1 光学観測の確認
本星系内における火星に該当する惑星について光学観測を実施した所、以下の事例が観測された。
(1)惑星の広域を覆う青い領域
(2)惑星表面に見られる多数の雲
(3)惑星の陸域(仮定)に多数分布する緑の領域
3.2 観測結果に対する推論
3.1項で観測された事例について推測された仮説を以下に示す。
(1)観測された青い領域は、表面の起伏など様々な要素から検討した結果
何かしらの液体の海が形成されていると思われる。
(2)惑星表面に多数確認された雲は、惑星表面に二酸化炭素等の濃密な大気を有することを示している。
大気組成についてスペクトラム分析をした結果、二酸化炭素と共に大量の水が含まれている結論に至った。
これは(1)で推測された海洋が水を主成分とする可能性が高い事を意味する。
更に、惑星から太陽までの距離を考えた場合、火星気温が水を液体の状態に保てるほどに大量に温室効果ガスを含んでいる可能性がある。
(3)惑星上の陸域(惑星上の青い領域が海だと仮定した場合)に分布している緑について、仮に(1)項と(2)項の推測に基き
海洋が水を主成分とするものであり、大気が二酸化炭素を有する場合、地球と似た植物が生息している可能性がある。
だが、これには幾つもの不明点や観測データの不足する点があり、現時点ではそれが何であるか確認するのは不可能である。
・
・
・
「これは……
この星の上だけでも分からない事だらけなのに、火星に生命の存在できる可能性ですか……」
資料に一通り目を通した高木は、最早驚くことも通り越して呆れることしかできなかった。
どこまで出鱈目なのか、この世界は……
「そうです。
これは学術的に大変重大でエキサイティングな発見だ。
可及的速やかに観測施設の増強と、衛星打ち上げのためのロケットの技術開発に力を注いでいただきたい」
「そうは言いますが、道内の殖産興業と資源入手の為の対外調査で手一杯の我々には、そんな余力が無いのは分かってますよね?
ついこないだ完成した工場の製造技術検証に、リバースエンジニアリングした練習機と輸送機の開発開始を命じたばかりです。
それにミサイル製造すら基盤が出来ていないのに、衛星用ロケット開発は無理です。余力がありません」
無理な物は無理。
博士の要求に高木は両腕でバッテンを作り、その要求を一蹴する。
自分たちはアメリカやソ連じゃないのだ。
いくら必要だからと言っても湯水のように資源や人材を使えるわけじゃない。
高木は全身を使って博士に拒否の姿勢を示すが、そんな彼女のアピールも、天才とナントカは紙一重の教授には通用しない。
博士は負けじと高木に食い下がった。
「なにも航空宇宙開発の全力を投入してほしいわけじゃない。
先日、大統領閣下が二つに分けた航空宇宙産業クラスターのうち、航空機開発は千歳の航空宇宙システム製作局で存分に続行してもらえばいい。
ただちょっと、帯広の誘導推進システム製作局での開発力の配分は、既存のミサイル生産ラインの立ち上げからロケット開発に少々回してほしいんだよ。
そうすれば、衛星打ち上げまでのカウントダウンが近づくからな。
どうせ、開発って言っても、図面等は転移時に各社から接収したのをまとめるだけで、作業者の技術習熟がネックなだけじゃないのか?
重工からイプシロンロケットの資料は入手しているんだろう?」
さっさとなんとかしたまえ。
博士は言葉に出さなくても、そう目で訴えながら会議の出席者を見回す。
出席者の中で、博士の言葉が自分に関係ないと思える者は、困った博士だと苦笑いを浮かべているが、そうでないものはあからさまに眉を顰める。
それは、科学技術復興機構の理事長を務める武田勤も例外ではなかった。
「博士。あなたの科学の発展についての熱意は大いにわかるが、その技術習熟というのが大きすぎる問題なんだよ。
例え私の科学技術復興機構に各社から接収した技術資料があり、道内に取り残された技術者を集積したと言っても、その下請けの部品加工業社まで全部そろっているわけじゃない。
それにまだまだ道内部品メーカーのレベルは、航空機業界の要求するレベルにはお世辞にも達していない。
品質管理レベルも、良くて一般工業製品用のISO9001に毛が生えた程度、航空機規格の9100レベルで管理できるところは驚くほど少ない。
そういうわけで、博士の希望は今一つまって欲しい」
武田は、現状の問題点を博士に説明しつつ、これ以上博士が我儘を言わないように穏やかに宥める。
そして、その説明を聞いていた博士も、それ以上の要求は無駄だと悟ったのか不満そうな表情のまま自分の席へと戻る。
「ふむ。
そこまで言うなら仕方ない。
だが、衛星打ち上げはいずれ避けては通れんからな。
できるだけ急いでほしいもんだよ。
……と、我々科学者サイドからの報告は以上だ」
そう言って博士は報告を終わらせると、自分の席にどっしりと腰を落ち着ける。
この態度には高木も少々呆れてしまうが、まぁ 現在の北海道で最高の頭脳の持った万能の人ということもあり、あまり高木も強くは言えない。
矢追博士の人格に一癖あるのは皆わかっている事だし、出来る事ならこれ以上波風は起こしたくない。
「ふぅ……
では、続いてはエルヴィス公国との外交交渉についてですね。
ご報告をお願いします」
高木は皆に向かってそう言うと、淡々と会議を進める事にした。
まぁ 会議と言っても、内容の大半は定例の現状報告ばっかりで、あまり結果が伴わないものばかりなのだが
そんな中、高木が外交についての報告を促すと外務相の鈴谷が資料を片手に説明を始めた。
「はい。
では、エルヴィス公国との外交交渉の途中経過をご報告させていただきます。
現状の所、正式な通商条約の樹立に向けて何度かの予備交渉を行っていますが、先の紛争が我々の勝利という形で終結したため順調に進んでおります。
近代法制の無い公国での邦人の安全を保障するための領事裁判権の確保や、プラナスの開港については、公国側があまり重要性を感じていないのかすぐに要求も通りましたが
関税権の制限と、現在建設が進んでいる大陸橋頭堡の租借契約の期限で協議がスケジュールを超えています。
そして、これに関連して、道内の輸入商社や企業が大陸への進出の意欲を示しています。
彼らの進出は安全上、大陸橋頭堡周辺での活動に限定していますが、租借契約が締結されれば大々的に支店を出したいと言っています。
そして、この動きに呼応するように、大陸側の商人もビジネスチャンスを嗅ぎつけて公国に陳情をしているそうです。
特に公国に派遣された顧問団や、クラウス殿下から道内の内情を知った御用商人を中心に、公国内で資源量のある羊肉や柑橘類の増産と買占めが行われているそうです。
我々としてはこの動きに便乗し、経済面で公国側の内側から条約の早期締結の圧力をかけることで、公国側の妥協を引き出すカードになるかと思われます。
そうですね……現在の交渉の進捗から考えますと、公国の独立保障を条件として、一ヶ月以内には関税権と99年の租借契約は纏まる見込みです。」
「そうですか。
しかし、歴史の授業でならった開国期の不平等条約も、こちらが押し付ける立場に立つと当時の列強の気持ちも理解できるわね。
まともな法整備も無い土地で、邦人が理不尽に裁かれるのを阻止するには領事裁判権は必要だし、
現地の役人に不当に高い税金を課せられない為にも関税自主権は取り上げるに越したことはない。
まぁ これで向こうの産業が一時的にダメージを受けても、これが向こうが目指す近代発展には欠かせない資本主義の洗礼だという事で我慢してほしいわ」
彼女の言うとおり幕末の日本が押し付けられた不平等条約の内容は、締結する側によって感じ方が全く違った。
押し付けられる方は、自分たちの価値観や利益が侵害されたと不満に感じるが、押し付ける側としては、それくらいの補償が無くては安心して交易もできないのである。
まぁ それでも幕末の条約では貨幣交換の規定などでは、詐欺的に日本が一方的に損だけするようなのもあったが、今回の条約ではそう言った物はあまりない。
租借地にしても、紛争の賠償という側面が強く、不当な押し付けとまでは言えないものであった。
とはいっても、不平等な条約である事には変わりない。
「だが、これは少々恨まれるかもな」
そう言って、武田は容易に想像できるこの先の展開を思い浮かべながら苦笑を浮かべた。
「例え恨まれたとしても、公国内の法整備をキチン整えれば、いつでも条約改正には応じる用意もあるし、
それに、私たちの授ける文明開化は彼らにとってそれ以上の有益なはずよ。
例えば、北海道で産しない資源を輸出すれば、向こうにも莫大な富が生まれるもの。
まぁ こちら側としては、特に羊肉の輸入によって道民の食卓にジンギスカンを再び取り戻せるのが素晴らしいわ」
ジンギスカン。
高木が口にしたその言葉に、一同がその懐かしい味を思い出す。
北海道名物とはいえ、ラム肉の大半を輸入に頼っていた食文化は、転移と共に食卓から姿を消した。
そして、その事がジンギスカンに更なる魅力を与えた。
商業捕鯨が禁止されてから皆がありがたがるようになった鯨肉のように、ラム肉もまた輸入が途絶えたことが味のエッセンスとなり
数少ない道内で飼育される羊のうち、物資統制を避けて流通する闇ラム肉は超高級素材として扱われていた。
そんな懐かしの味を高木は思い出しながら、輸入再開を夢に見ていると、彼女は口元からあふれ出しそうになる液体の存在にハッと気が付いた。
物資統制によって食のバリエーションが減ったことで、人は知らず知らずのうちに食に対して貪欲になっているらしい。
彼女はあぶないあぶないと思いながら涎を飲み込むと、姿勢を正して気を取り直す。
「エルヴィス公国については、わかりました。
では、それ以外の他国に対する状況はどうでしょうか?」
「そうですね。
ゴートルム王国については、公国との会戦で諸侯軍が敗北して以降、停戦交渉が本格的に動き出しました。
彼らもエルヴィス公国の独立を彼らも承認せざるをえないでしょう。
今は賠償金の額を決めるために交渉をしているといった様子です。
それ以降の国交正常化と通商協定については、別途調整をする必要があります。
そして、ゴートルム王国以外にも複数の国から接触がありました。
わが国からの近い距離順にセレウコス、ネウストリア教皇領、キィーフ帝国から接触があり、
他に拿捕した船から、ネウストリアの更に西にアーンドラ、そして東の大陸にはサカルトヴェロという帝国があることが分かりました。
これまでの調査で、今の宗谷海峡がある海域は、この世界での主要な航路の一つだったようで、各国共にそんな重要航路上に現れた我が国に興味を示している様子です。
これらの各国とも、綿密な調査の上、資源確保のための通商を開きたいと思います」
「そちらのほうは順調そうですね。
特に懸案事項もなさそうですか?」
高木は、鈴谷の説明からゴートルムとのいざこざはあるものの、今までに判明した国家群との接触に特に大きな問題の報告が無い事に安堵した。
この世界のまだ見ぬ国々との接触、それは今の北海道にとって早急に進めなければならない事だった。
産業を維持するための資源と市場。
そのいずれが欠けても現代産業文明は維持できない。
文明の中の経済という血流が止まれば、研究も生産も全てが停止してしまうからだ。
その為、この世界のあらゆる国に通商の可能性を探るのは、北海道の未来の可能性を築いていくのと同義である。
例え、それが将来的に敵性国家に化けるものが有ろうと、とりあえずは国交の樹立が急がれるのだが、鈴谷の報告には障害になりそうなものはない。
そのため、高木が安堵の笑みを浮かべた瞬間に鈴谷が発した一言は、高木の期待を脆くも打ち砕くことになった。
「懸案についてですが、それが一つありまして……」
「……というと?」
「北海道の南南東500kmの所に浮かぶ広大な陸地についてです。
事前の調査でそこに居住民が居ることは分かったのですが、そこで国家に該当する組織とどうしても接触できないのです」
鈴谷はそういいながら、スクリーンに映し出された地図のうち北海道の南にある大地をレーザーポインターで指し示しながら報告するが
それを聞いていた皆は一様に首を傾げる。
「それは、ただ単に調査が足りないという事では?」
相手に接触できないのはただの調査が不十分なだけではないのか。
なぜそれが懸案になるのか。
鈴谷以外の出席者は、高木の言葉を聞きながら、それに同意するように首を振る
「いえ、それが調査の結果、そこの原住民の様子から高い技術力と集団生活の度合いから推測するに、何かしらの社会を築いていることは分かりました。
ですが、彼らに国や政治体制について尋ねても、まともな答えが返ってこないらしいのです。
国家元首どころか集落の長すら定まっていない。
しかし、彼ら自体は集落の枠を超えて恐ろしく組織化されている様子。
だが、彼らの情報伝達手段及び意思決定の方法は不明です。
全くもって未知の社会システムだ。理解しがたい」
高木はその話を聞いて、それは原始共産社会みたいな制度をとる未開の部族ではないかと鈴谷に問いただすが
それを聞かれた鈴谷はそうではないと首を横に振る。
なら、それは一体どういう集団なのか。
高木の頭に疑問が浮かぶ。
「ふ~む。
そんな特殊な社会は普通の人類には無理そうですね。
人は群れれば自然に組織にリーダーを求める。例え、それが合議制であっても。
やはり、人類とは違う難民達のような亜人達が住んでいるのですか?」
「その質問については、現地で撮影された写真でお答えしましょう。
皆さんスクリーンをご覧ください」
鈴谷の言葉と共に何枚もの写真がスライドショーにて映し出される。
次々に切り替わるその写真に、参加した一同は息を飲み、そしてその存在を理解した。
「こ、これは……」
「……エルフ……ですか?」
その言葉が示す通り、スクリーンに映される人々は、物語などで馴染みの深い姿をしていた。
スラリとした肢体に長い耳と光り輝く金髪。
そして、写真に写る全員が例外なくなんらかの武装をしていた。
その武装も彼等の技術と文化レベルの高さを物語るように精巧で洗練されたデザインをしている。
機能性を重視しているからだろうか、全体的なデザインはエルヴィス公国やゴートルムにおおいフルプレートの鎧とは似ても似つかない
むしろ現代のSWAT等で装備しているプロテクターに似た構成となっていた。
「皆様のお考えになっている通りです。
彼らの外見は我々の知っている物語に登場するエルフに限りなく近い。
長い耳に全員が整った美形。それに調査隊の報告では、恐ろしく感情の起伏が少なく、物欲もないとあります」
高木は鈴谷の説明を聞きながら、スライドショーに写る彼らの姿をみて思う。
それは本当に人間と言っていいのか?
この世界では、亜人と呼ばれる人類とは異なる形態の種族も多量に発見されたが、彼等だって感情があり、普通の人の様に様々な欲求があった。
だが、スクリーンに映る彼らにはそれが無いと言う。
それは本当に人間か?
彼女は、スクリーンに映る彼らの冷たい瞳を見ながら、得体のしれないロボットじみた薄気味の悪さをひしひしと感じた。
「そうですか……
そんな種族もいるのですね。この世界は……」
本当に何でもアリな世界だ。
そんな風に、また新たに現れた新種族に高木はスライドショーを見ながら一人納得する。
そして、そのまま何枚かスライドショーが切り替わった時、高木はある事に気付いた。
「あれ?彼らの後ろに移っているのは何ですか?」
高木の一言にパラパラと進んでいた映像が止まる。
そこには、エルフたちの写真の後ろに沢山の人影が写っていた。
エルフではない。
亜人から普通の人類と思われるものまで様々な人だかりである。
「彼らは人族や亜人の戦奴です。
彼の地の住民……もう、便宜上エルフとしましょうか。
エルフたちは大陸中から売られた奴隷を買いあさり、戦奴にしているそうです。
魔法か薬物かは分かりませんが、自我を喪失した兵隊になっているそうです」
「戦奴隷…… なかなか穏やかじゃありませんね。
それに、そんなに兵隊を増やしてどうするんです?」
資料を見ながら説明する鈴谷の言葉に、高木の目つきがきつくなる。
軍備を整えているという事は、何かしらと事を交える気でいる可能性が高い。
それは一体どこなのか?
「彼らの説明では、彼らの勢力圏の南側には恐ろしい敵がおり、二千年以上にもわたって戦争をしているとか。
これについては現地の聞き込み情報だけで、詳細はわかりません。情報が不足しております。
ただ、彼らの言葉で敵はレギオンと呼称されています。」
「は?レギオン?
……それは面白い偶然ね。
それは、ラテン語で軍団って意味じゃなかった?
なぜ、異世界で私たちの世界の言葉があるのかしら。
それともこれは鈴谷さんの冗談?」
「冗談ではないです。
そして、言語の類似性については分かりかねます。
我々の世界とこの世界の関係性は学者方に説明を求められた方が良いでしょう。
……それにしても、大統領閣下はよくラテン語なんてご存知でしたね」
「昔の怪獣映画で「我が名はレギオン。大勢であるが故に」って聖書の言葉を使った奴があったのよ」
高木はそう言ってため息をこぼす。
本当なら各部署の報告で不明点を消していきたいのに、回を重ねるごとに謎が増えていく
特に、エルフの敵とは何か。
それも二千年の長きにわたり戦争をするなど正気の沙汰じゃない。
是非ともその正体が知りたい。
それに北海道の勢力圏と然程離れていないところで争っているなら、その内嫌でも巻き込まれそうな雰囲気がプンプンする。
「む~。
なんだか、会議のたびに分からないだの不明だのの報告ばっかりで
一向にモヤモヤとした気持ちが晴れないわね。
まぁ いいでしょう。こればっかりは調査が進むまでは仕方のない事です。
それで、その他に報告はありますか?」
「いえ、対外情勢については以上です。
ペンディングになった事案は、引き続き対応を継続していきます」
そう言って鈴谷の報告は終わる。
「そうですか」
鈴谷の報告が終わって会議の流れに一区切りがつく。
高木は一度背もたれに体を預け、仰け反ってストレッチをするが、彼女に休んでいる時間は無かった。
鈴谷の報告が終わった事で、次の担当者が報告の準備をしている。
確か次は物資統制状況の報告だったか。
高木はそれを見て、問題だらけの物資問題の報告は長くなりそうだなぁと辟易していると
不意に隣に座っているステパーシンから彼女を呼ぶ声がした。
「……閣下。
面倒ばっかり増えますな」
ステパーシンは彼女を励ますように、苦笑を浮かべて話しかけてくるが
そんな彼に対して、高木は苦が笑いを浮かべて応える事しかできなかった。
「えぇ…… 本当に……
問題を一個一個片づける暇も無く、次から次へと新しいトラブルの種が湧いてくるわ」
高木はそう言うと、溜息を一つ吐きながら会議室の天井を見上げて呟いた。
「ふう……
それにしても、エルフね……
そしてゴートルム以外の各国……
北海道は一体どこに向かえばいいのかしら……」
誰となく呟いたその言葉。
それは、誰に受け止められる事も無く、ただ天井へと消えていくのであった。