既に太陽は天頂に差し掛かり、平原の真っ只中を馬車は行く。
そんな中、最初に気づいたのはタマリとアコニーの二人であった。
風に乗った僅かな振動。
ピンと立てられた二人の耳は、音の聞こえた方向にクルッと向けられる。
「この音は…… 社長、ヘリが着ますね」
それは北海道にて何度か耳にした独特の音。
アコニーは忘れるはずは無かったが、タマリ達にとっては未知の音であった。
「え?な、何この音?」
初めて聞く空気を切り裂く振動に、タマリ達が戸惑う。
彼女等にとってみれば全くの未知の音だ。
彼女等が驚くのも無理はない。
そして、その音は、ものの一、二分もすると拓也達全員にも聞こえるまでに音は大きくなっていた。
ババババ……と、前方から聞こえるヘリのローター音。
次第にはっきり聞こえてくる音。
それに反応し、まず動き始めたのは御者席に居たイワンであった。
「イラクリ、発炎筒を焚くから手綱を頼む」
「うん」
そう言ってイワンは席を立つと、荷物の中から発煙筒を取り出してヘリから視認しやすいように高く掲げた。
目を凝らせば、馬車前方の地平線より少し上に芥子粒のようなヘリの機影が次第に此方に接近してくるのが見える。
イワンは無線でヘリに呼びかけつつ、細かなディティールまで視認出来るほど近づいたそれに向かって、真っ赤な炎を上げて燃える発煙筒を振った。
揺らめく赤い炎と白い煙。
対するヘリの方も、発煙筒の光を確認したとの連絡のち、拓也達の上空をスイングバイした。
ダウンウォッシュによってあたりに土煙が舞う。
そんな中、拓也達を迎えに来たヘリは、周囲を警戒しながら馬車近くの空き地に舞い降りたのだった。
「なかなか凄いのが来たな!」
降りてきたヘリを見て拓也が感嘆の声を漏らす。
ヘリと聞いて、拓也の頭の中では旧式のヒューイでも回してくれるのかと思っていたが、その予想は逆の方向に裏切られた。
「ハインドかぁ……」
拓也達の前に舞い降りたのは、ロシアが誇る戦闘ヘリであるMi-24
いささか旧式のヘリではあるが、それでもアップグレードを繰り返し、近代化改修済みの機体である。
そんな力強く勇猛な外観の機体に拓也が見惚けていると、着陸した機体のドアがガラリとスライドした。
「拓也!!」
激しいダウンウォッシュの中、ヘリから駆け下りてきたエレナが全力で拓也を抱きしめる。
拓也は、その力の入った抱擁から、嫁のエレナがどのくらい心配してたかを察する事が出来た。
「エレナ。心配かけたね」
拓也は抱きつくエレナにキスをし、心配かけたことを謝罪する。
そんな拓也の言葉に対し、エレナは拓也から顔を離してキッと睨んだ。
「本当よ。
もう、あんたが捕まったと聞いたときは心配で心配でたまらなかったわ!
……でも、ちゃんと生きて帰ってきたから許してあげる」
不満顔から一瞬にして笑みに変わるエレナ。
そんな彼女の表情を見て、えも言えぬ気持になった拓也は、もう一度エレナをギュッと抱きしめた後にこう言った。
「ありがとう。
じゃぁ、色々と言いたい事はあるだろうけど続きはヘリの中でしようか。
これでも追われている身なんでね。
一刻も早く安全圏に戻りたいんだ」
「そう、仕方ないわね。
続きはヘリの中まで待ってあげるわ。
さぁ!みんな早く乗って!
さっさとこんな所からオサラバするわよ!」
エレナの号令に従ってヘリに乗り込む一同。
拓也達のやりとりをニヤニヤしながら見ていた彼らは、そのまま黙ってヘリに乗った。
様々なイベントを巻き起こしたサルカヴェロの地もこれで終わり。
フワっとした浮遊感と共にヘリは大地を離れ、遂に皆を乗せたヘリは飛び上がる。
あっという間に地上から遠ざかり、やっと安心かと拓也は安堵した。
思えばここ数日、緊張しっぱなしであった為、疲労感も限界である。
本当なら、後のことは全てエレナ達に任せて寝ていたいのであるが、その前にどうしてもやっておかなければいけない事を思い出した。
まぁ、仮に寝ようとしたところで、盗賊+猫1名が生まれて初めての空の散歩にきゃいきゃい騒ぎまくっているため、寝るには煩すぎるというのも休まない理由の一つではあったが……
そんな訳で、拓也は休息を取る前に、これまであったことを全てエレナに話すことにした。
…
……
…………
「へぇ…… そんな事が」
盗賊との取引に始まり、サルカヴェロに捕まった事、更にはカノエの了解を取り青髪の一族の事もエレナに話した。
その中でもカノエの一族の下りでは、急な話の展開にエレナは付いていけてないようで、何度も途中に説明を入れながら彼女に話した。
駆け足気味の説明に少々理解が追い付いていない点も有りそうではあったが、それでも最後まで彼女は話を聞いてくれたのだった。
「なんと表現して良いか分からないわね」
一通り聞き終えても、エレナは直ぐには感想の言葉が見つからなかった。
色々とぶっ飛んだ話の中でも、カノエが宇宙人だって話は特にそうだ。
しかも悪魔と呼ばれるレギオンとは種子と胞子の関係と言う意味不明さだ。
エレナは暫くうんうんと唸って頭の中を整理すると、改めてカノエに質問する。
「でも、一点だけ腑に落ちないわ。
なんせ、レギオンってのとカノエ達は同族なのでしょう?
それも種子と胞子……男と女の関係なら同族同士で子供を作ったら滅亡を回避できないの?
方がカノエの種としては良いんじゃないの?」
カノエの話が本当だとして、他のレギオンと交配が出来るのであれば、それに越したことは無いのではないかとエレナは言う。
例えるなら日本のトキが絶滅する際、交配相手として中国のトキを持ち込んだように。
だが、そんなエレナの質問にカノエは小さく首を横に振る。
「それは…… 自己進化の過程でこの形態に慣れちゃいましたし
それに私たちの種の生殖は、こちらの一般的な生き物のような遺伝子の交換とは違って母体ごと融合してしまうわ。
融合し多様性を手に入れ、単性生殖して数を増やす…… ですが、融合時にどちらかの人格は消滅しますし
私達が単体で向こうのレギオンから主導権を取れるとは思えません。
だからやらないんですわ。
融合後、外科的に人格を植え付ければ主導権を取れるかもしれませんが、ここまで自己進化しちゃった以上、融合による恩恵はあまり感じませんしね」
「なるほど……
でも、それならカノエが単性で増殖したら仲間を増やせるんじゃないの?
人格の植え付けなんて出来るんなら、死んだ仲間も復活できそうな気もするけど、それは気のせい?」
「自己進化の過程でその性質は失ってしまいましたわ。
今は、人類と同じ有性生殖でしか子供を作れません」
「そっか。
今は私たちと同じなんだね。
でも、ごめんね。あまりに無神経に色々聞いちゃって」
「いえ、そこは気にしてませんわ。
ですが……
そうですね。
今、エレナさんの言葉を聞いて、仲間の再生法が浮かびましたよ。
融合しなくても、レギオンに無理やり人格を植え付ければいいのか…… いや、でも姿が元と違い過ぎると問題が……」
カノエはそう呟くと、額に人差し指を当てて考え出した。
仲間の再生。
その為にレギオンの体を乗っ取るなんて考えても見てなかったのだ。
異形のバケモノへの人格転写。
カノエはその可能性を考えて悩みだした。
対して、質問を始めたエレナの方は、カノエの口から漏れ出る呟きが理解できずにいるようであった。
「なんだか悩みを増やしちゃった?
ごめんね?あんまり深く考えずに喋ってたから」
「いえ、別にかまいません。
一族復活の新たな方策が……って、 チっ!」
カノエは舌打ちと共に、ヘリの後部を睨む。
ギラリと睨むその表情には、先ほどまでの余裕は一切感じられない。
その尋常でない態度の変貌に、拓也は何事かとカノエに問うた。
「どうした?」
「……エルフです。
追って来ました」
直後、轟音と共に何かがヘリの横を擦り抜けた。
ゴォォン!
「うわぁ!!」
凄まじい速さで、ヘリの脇を通り抜けた何か。
乱れた気流がヘリの内部を容赦なく揺さぶる。
イキナリの事に困惑する一同。
だが、いつまでも混乱は許されない。
後ろから凄まじい速度でヘリを追い抜いた物体は緩やかな弧を描き、ヘリの方へと戻って来たのだ。
「戻ってきたぞ! 戦闘準備!」
パイロットの声が、スピーカーを通じ貨物室に響く。
そして、それと同時に機首に付けられた機銃から、激しい発砲音が機内に響いた。
「堕ちろ!堕ちろ!堕ちろ!」
ドドドドドドド!!!…………
ガンナーの声と共に、目標に迫る光の筋。
だが、目標とされた物体は、銃弾の雨を華麗に掻い潜ると、ガンナーの死角となる機体下方へと潜り込む。
「あ!ヘリの下に!」
隠れた敵を追う様に、エレナが銃を構えてドアから身を乗り出す。
死角にいるのであれば、自分が撃ち殺してやろうという心積もりであった。
だが、それには相手が悪かった。
身を乗り出した瞬間、機体の陰から現れたエルフに重心を握られ、そのまま機外へと引っ張られたのだ。
「きゃぁぁ!!」
体勢を崩し機外へと放り投げられるエレナ。
「エレナ!って、うわぁぁ!」
「社長! んん!!?ぎにゃぁぁ!!」
エレナを捕まえようと拓也がエレナの腕を掴む。
だが、それでも勢いは収まらず、アコニーが外に落ちかけた拓也の足を握るが、それでも落ちる。
死ぬ。
拓也はこれでもう駄目だと思った。
視界はまるでスローモーションのように流れ、思考が停止する。
たが、それは一瞬の事だった。
駄目だと思った次の瞬間、身を引っ張る感触が全身に駆け巡る。
「大丈夫かお前ら!?」
逆さ吊りになっている為、拓也にはよく見えなかったが、寸での所でエドワルドがキャッチしたようだ。
「いやぁぁ!!早く引きあげて!」
「ぎにゃぁぁぁ!!!
しっぽが千切れるぅ!!」
エレナは足をバタつかせながら絶叫し、アコニーは尻尾を掴まれたのか激痛に泣き叫んでいる。
こんな状態では、そのうち力尽きて落下するか、アコニーの尻尾が切れるかのどちらかだろう。
拓也はエドワルドに力の限り叫び返事をした。
「とりあえずは無事だけど、さっさと引き上げるか、一旦どこかに降ろすか早くしてくれ!」
アコニーの尻尾に人間三人分の重量がかかっているのだ。
この状況が長く続かないのは誰の目にも明らかだった。
エドワルドは拓也達の状況を把握すると、すぐさまヘリに速度を落とし、降下を開始させた。
と言っても、周囲には未だに謎の飛行体が居るはずだ。
ゆっくりはしてられない。
エドワルドは、近づいた地上に向けて乱暴に拓也達を放り投げると、戦闘態勢を整える為に即座にヘリに高度を取らせる。
「奴らを降ろしている間にケリを付けるぞ……って、 んなっ!!?」
拓也達を降ろし、さぁ、これから戦いだと思ったエドワルドは絶句した。
ヘリの中では、アコニーの尻尾を掴んだ時にエドワルドをサポートする為、手隙の物は拓也達が堕ちた側に寄っていた。
そんな中、必然的に筋力の弱いカノエは邪魔にならない様に反対側に寄る。
従って、機内に向かって振り返ったエドワルドから見たカノエは、機内の最奥に位置でこちらを眺めているはずであり、カノエの後ろに人影がある事も、カノエの腹から赤く濡れた突起物が出ている状況などは、想像の範疇外であった。
「かはっ……」
腹部から出る突起物。
それが手刀だと認識したと同時に、カノエは喀血と共に崩れ落ちる。
その拍子に腹部から真っ赤に染まった手刀がずるりと抜け、カノエの後ろに立つ人影が露わになる。
「貴様!!?」
その意外な顔を見て、エドワルドは理解が出来なかった。
カノエを刺した主の顔は、直接は会っていないものの、エドワルド達も十分に知っていた。
バトゥーミにて何度も見たのだ。
カノエを刺したその顔は、盗賊の頭であり、拓也達を逃がす為に死んだとされるニノと瓜二つであった。
だが、ニノの顔を持つソレは、彼等の記憶にある声とは別の声で仕事の成果を確認するように彼らに告げる。
「悪魔の核は破壊した。
これでその悪魔もじきに死ぬだろう」
「なに!?」
ニノの顔を持つソレは、手についた血を振り払うと開け開かれている扉から、空に向かって歩き出すように外に出る。
突然に現れたその災厄は、虚空へと消え、その後には血だまりに沈むカノエだけが残ったのであった。