**** - AD2006 - ****ドイツにおける弐号機の開発は難航しているらしい。 実験機たる初号機が怪我の功名的に直接制御を成功させてしまったので、生かすべき教訓が存在しないからだろう。 いまや弐号機は、間接制御の実験機と呼ばれてもおかしくない状況におかれている。 個人的な感情としては、このまま弐号機が陽の目を見ないほうが嬉しい。アスカを、戦わせたくないから。 しかし、ゼーレがそれを許してくれなかった。 試作機である零号機は適合者が居ないこともあって廃棄が可能だったが、弐号機はそうもいかない。なにより、無謀な実験で適格者を作ってしまったドイツは、意地とメンツにかけて弐号機を完成させようと躍起になっている。 それに、母親を失ってしまったアスカから、エヴァまで取り上げるわけにはいかない。 ならば、アスカのためにも弐号機を使えるようにしてやりたいと思う。ドイツから正式な要請が来ることはないだろうが、こちらでできることを進めていた。 インターフォンを押す。 「碇ユイです」 『入りたまえ』 ドアを開けると、無駄に広い所長室に、ゲンドウさん一人。 机の前まで進むと、ここに至る廊下よりよほど歩かされた気にさせられる。 「ユイ…。君を拒むドアなど持ってない。勝手に入ってくればいい」 いつものポーズのゲンドウさんが、臆面もなさげに。 「意外に女ったらしなんですね。碇所長?」 途端に頬を赫らめたゲンドウさんが、視線をそらした。 「…君だけだ」 どうでしょうかねぇ。と受け流したら、拗ねたのか黙り込む。意外にからかい甲斐のある人なのだ。 こういうところを可愛いと、母さんは感じていたのだろう。今ならそれに同意できる。 からかったり、からかわれたり。そうした普通の恋人としての関係がしっかりとあったことを、母さんの記憶が教えてくれていた。 そうやってゲンドウさんとの絆を育んでいきたいのは山々だが、手の中の書類の重さが現実に引き戻してしまう。せねばならないことが山積みなのだ。 「口説き落とされるのでしたら、勤務時間外のほうが嬉しいですわ」 そうか。と視線を戻したゲンドウさんの、眼光の鋭さが所長のものに。 「弐号機の、機体制御の検討案をまとめてきました」 「ご苦労だった」 差し出したプリントアウトの束を一通り眺めてから、添付したメモリデバイスごと抽斗の中へと。 「問題は…、ドイツが受け入れてくれるかどうかですが…」 「それは俺と冬月の仕事だな。なに、制御方法が違うとはいえ、こちらには実績がある…」 ぐっとメガネを押し直して。 「やりようはある」 「お願いします」 一礼して退出しようとしたら、背後でドアの開く音。 「碇。人材登用基準の見直しが行われたぞ」 どうやら、副司令を拒むドアもないらしい。 「お疲れ様です。冬月副所長」 書類に目を落としながら歩いてきた副司令が、顔を上げる。 「おや、ユイ君。ちょうど良い。君も見ていきたまえ」 「よろしいのですか?」 二度手間になるからね、老体の仕事を減らしてくれたまえ。と書類をゲンドウさんに手渡している。 「無用な人材の登用をおさえ、組織の冗漫化を防ぐ。…という名目なのだがな、」 ざっと一瞥したゲンドウさんが、書類を渡してくれた。 「…ああ、実際は嫌がらせ…いや、警告だな」 「警告…ですか?」 うむ。と頷いて、いつものポーズに。 「このところの新規採用を俺や冬月の周辺から集めすぎた。ゼーレはそれを、俺のシンパ作り。勢力拡大の目論見ととったようだ」 それは間違いではないがね。と副司令。こちらは顎をつまむような仕種。 「研究職の採用基準が、厳格化されたのですね」 見ると、博士の学位が必須条件にされている。これに従うとマヤさんはおろか、リツコさんすら採用できない。 「学位ばかりが能力の基準ではないのに…、困ります」 「ああ、それは問題ないよ」 ほら。と指し示された個所に、附則事項。 「所長権限による、特別枠ですか…」 「人数の制限がないだろう。ゼーレの裁可が必要になった。というだけでね」 「…嫌がらせレベルに過ぎん」 なるほど。人事にも目を光らせているぞ。という警告なわけか。 かつて、葛城ミサトであった時代には、このような採用基準ではなかった。 それはつまり、ゼーレとゲンドウさんの関係が微妙に変化したことへの反作用なのだろう。 **** 「♪ちょっきん、ちょっきん、ちょっきんな~♪」 充電式のバリカンを手に、シンジのうなじから刈り上げていく。 「こ~ら、動かないの」 「だって~」 てるてる坊主みたいな格好にされたシンジが、バリカンから逃れようとする。 お尻の先を、虫でも這ってるようなくすぐったさが襲っているのだろう。それは解かるけれど。 「おとしなくしてないと、いつまで経っても終わらないでしょう」 う~。と短く唸ったシンジが、諦めて椅子に座りなおした。 良く晴れた昼下がり。ベランダから見渡す空がすがすがしい。 この国から四季がなくなって、唯一ありがたいと思うのは、こうして時期を気にせずに子供の頭を刈れることだろう。 「くすぐったくなく、してね」 「努力しましょう」 どう努力していいのか、解からないけど。 一所懸命に歯を食いしばり、くすぐったさを堪えようとするシンジのうなじに、またバリカンを当てる。 「こ~ら、動かないの」 「だって~」 先ほどから何度繰り返したか知れないやりとりを、また繰り返して。 「シンジが終わらないから、お父さん、待ちぼうけよ?」 指さす先はリビングへ続くガラスの引き戸の向こう。律儀に順番を待っているゲンドウさんの姿。 「だって~」 両手でお尻をかばっている。頭を刈られているのにお尻がくすぐったくなることが、不思議でならないのだろう。 「早く終わらせてくれないと、お母さん、おやつの仕度ができないわ」 おやつは、できるだけ手作りするようにしている。 そうしてやりたいと思う愛情が前提なのはもちろんだが、出来合いのお菓子は高いという実利面も無視できない。 ゼーレの肝煎で国連から資金投入されている日本は、その目的が目的だけに、ずいぶんと歪な好景気を呈しているのだ。 その影響をまともに受けるのが物価で、工業製品などの価格の割に、食料品と人件費が高かった。 かつて自分もSDATのような高機能オーディオ機器を所持していたが、この時期に生産された製品を安く手に入れることができたからだ。 この偏りが是正されるには、あと数年を要するだろう。つまり、第3新東京市の建設が一段落するまで、ということだが。 「…きょう、なに?」 「バナナのパンケーキと、チョコレートのクレープ。どっちがいい?」 う~ん。と悩んで。 「ばななちょこのぱんけーきっ!」 …そうきますか。 「はいはい。我慢できたらね」 「わ~い」 再び神妙な顔で椅子に座りなおしているが、バリカンのスイッチを入れただけで及び腰だ。 「こ~ら、動かないの」 「だって~」 … 嘆息 **** あと数回そういったやりとりをした結果、ゲンドウさんの番になった途端に電池が切れた。 つづく