「なんで惣流がっ!」 シンジの驚愕は、なんだか悲鳴に近い。 「…」 興味ないだろうと見やったレイは、意外にも児童書から目を上げてアスカを見つめていた。 「うるさいわね。仕方ないでしょ、作戦なんだから」 不機嫌を全身で表現したアスカが、その体を叩きつけるようにしてソファに沈んだ。 初号機の援護をきっぱりと断って突出した弐号機は、案の定、分裂使徒に撃退されてしまった。 なんとかできるか? とのミサトさんの問いかけに、初号機だけでは難しそう。などと答えてしまったのは、この事態を望んでいたからだ。 そう。ミサトさんが、ユニゾンの特訓を言い出すのを。 「第7使徒の弱点は1つ!分離中のコアに対する二点同時の荷重攻撃、これしかないわ」 こぶしを振り上げて力説するミサトさんを、シンジが白い目で見ている。 「つまり、エヴァ2体のタイミングを完璧に合わせた攻撃ね」 フォローに入れた解説を耳にして、アスカがそっぽを向く。 「そのためには2人の協調、完璧なユニゾンが必要だって云うんでしょ。耳にタコができたわよ」 ミサトさんによる説得工作はもっと難航するかと思っていたが、アスカは意外にあっさりと了承した。使徒撃退を失敗したことに、責任を感じているのだろう。 不機嫌さは隠そうともしないが、公私は混同しない。アスカの本質は変わってないようで少し、嬉しかった。 「そこでね。しばらく惣流さんに、ここで生活してもらうことになったの」 「えぇ~っ!?」 美少女と同居。ということになって歓ぶ、とまでは思っていなかったが、こうまで嫌がるとは実に予想外だった。 いったい学校で、どのような関係になっているのだろうか? 「だからって、どうして、こうなんのかっ」 シンジの態度が癇に障ったらしく、アスカが手近にあったリモコンを引っ掴んで振りかぶる。 「訊きたいのはワタシのほうよ!」 狙いあやまたずシンジの額にクリーンヒット。するかに見えたリモコンを何気なく掴み取って、ミサトさんがアスカの前へ。 「使徒は現在自己修復中。第2波は6日後、時間がないの」 …そんなことは判ってるわよ。と、そっぽを向いた、アスカの体が酷く小さく見えた。 **** 「弐号機に、ブラックボックスがある?」 「はい。開封できないよう、厳重にシーリングされた物体が組み込まれていました」 リツコさんが、プリントアウトの束を差し出してくる。 位置的には延髄のあたり、エントリープラグにもほど近い脊髄の中らしい。掌に載るような小さな部品で、リツコさんでなければ気付かなかっただろう。 「…どう、見ます?」 「不定期に電波を発していることと、位置的に、何処かへテレメトリーデータを送信しているのではないかと思いますが」 初号機が寂しがるから。という理由で、ケィジのセンサー類は常にフル稼働している。MAGIとリツコさんが計測結果をリアルタイムで監視していなければ見過ごしただろう。子供部屋に寝かせた赤ちゃんの泣き声を送信するベビーモニターという商品があるが、それをヒントに行なっていた処置がこんな形で役に立つとは思わなかったが。 ともかく、ゼーレが弐号機を使って何かを企んでいることが、これではっきりした。 「設置場所が気になりますね。弐号機のコントロールを奪うような機能があったり、しないでしょうか?」 「現状では、なんとも」 取り外してしまうのが最も安全だが、そうした場合のゼーレの出方が判らない。 「ダミーを、仕込めませんか?」 「発信している電波を解析して、エミュレーションを組めと?」 ええ。と頷くと、リツコさんが眉を顰めた。 「弐号機の修復期間を2日、延ばせれば」 となると、分裂使徒を迎え撃つのは結局ここ、第3新東京市になってしまうか。弐号機だけを修復すればよかった分、早めに迎撃態勢を整えられる予定だったのだが… 「お願いします」 **** アスカとのユニゾンを体験したことのある私にとって、この特訓そのものには意味がない。ぶっつけ本番でも合わせられるだろう。 それに、以前と違って何もかも生活のリズムを合わせるわけには行かないのだ。アスカに家事をさせるつもりはないし、使徒対策室長としての職務もある。 ただ、すこしでもアスカとの接点を増やしたかったのだ。そうして多少なりとアスカの心を解きほぐせないかと、期待して。 失念していたのは、この肉体は反射神経や瞬発力で大きくアスカに劣る。ということだった。 耳障りなビープ音が、神経を逆なでする。 「実験機のパイロットなんかに合わせてレベルを下げるなんて、うまく行くわけないわ!どだい無理な話なのよ!」 ヘッドホンを床に叩きつけて、憤懣やるかたない様子のアスカが座り込んだ。 「ごめんなさい」 日課のジョギングのお陰で、スタミナは問題ない。だが、基本的な身体能力と年齢差は如何ともしがたかった。 「これは作戦変更したほうがいいかもね」 ぼりぼりと頭を掻いて、ミサトさんが困り顔。 「そうすりゃいいのよ。このロートルパイロットを外してね」 なっ。と声を荒げて立ち上がったのは、リビングを占拠されて否応なしに見学させられていたシンジだった。珍しく肩を怒らせて、アスカに詰め寄っていく。 「惣流に合わせようって気がないからだろ!」 こんな風にアスカに食ってかかるなんて、かつての自分では考えられないことだ。自己主張ができるから、学校でも対等な喧嘩相手らしいのだが。 「最低限のレベルにも達してないのに、合わせようもないわよ!」 「母さんの様子を窺うことすらしてなかったじゃないか。自分勝手に突き進んでおいて、相手のせいにばかりするなよ!」 猫も杓子もアスカ、アスカな状況にあって、男子の中では一人シンジだけが遠慮なくアスカに文句をつけるらしい。いわく、協調性が足りない。いわく、ヒトを見下すな。等々… 密かに女子の人気が高いらしいシンジが真っ向から噛み付いて見せるものだから、アスカに対する女子の反感がやわらいでる。というのがMAGIの分析結果。 むしろ、男子生徒と口角泡を飛ばして口喧嘩するアスカに親しみを覚えるらしく、却って女子の好感度も高まってきているのだとか。それに、男子生徒が寄越す好奇の視線も、間近で堂々としているシンジに引け目を感じるのか、減少傾向だという。 おそらく、シンジ君は狙ってやってるわね。とはナオコさんの弁だ。 「目指すべき高みってヤツを、このロートルパイロットに教えてあげてんのよ」 「それが協調性がないってことなんだよ。まずは合わせることが大切だろ」 こうして遠慮仮借なく口論しているのを見ると、さすがに買い被りすぎではないかと思わないでもないが。 「アンタ、バカぁ!? どんなにピッタリだって、ちんたらやってたんじゃ焼け石に水じゃない。レベルが高いほうにあわせるのが当然でしょ!!」 「その考え方が独善だって言うんだよ!レベルが高いほうが好き勝手やってたら、いつまで経っても追いつけるわけないじゃないか!!」 あ、いや。弁護してくれるのは嬉しいけれど、ずいぶん過熱してきて、このままではどちらかが手を上げかねない。 一触即発の2人の間に、割って入る。 「シンジ。ついていけない母さんが悪いの…」 「…それはそうかも知れないけど、 今まで独りで戦ってきて、今だって頑張ってる母さんに、あんな言い方は酷いよ」 そう言ってくれるのは、親の姿をきちんと見て育ってくれたからだろう。 ありがとう。と、その二ノ腕をなでる。人前でなければ抱きしめたのに。 「ああっもう、イヤッ!やってらんないわ!」 唐突に立ち上がったアスカが、一直線にリビングを飛び出していった。 なにごと? とミサトさんに目顔で訊ねるが、肩をすくめるばかり。 叩きつけるような物音は、苛立ち紛れにスイッチを殴りつけたのだろう。心なしか玄関ドアの開閉音まで荒々しく聞こえる。…などと、のん気に感想を抱いている場合じゃない。とにかく追いかけなくては。 「…わたしがいく」 ぱたりと児童書を閉じたレイが、戸口に消えた。 … 玄関ドアのスライドする音で、我に返る。 レイがアスカを気にしていることは、薄々感づいていた。だが、よもやこの場面で追いかけるとは思いもしなかったのだ。慌てて後に続こうとする私を、待って。と遮ったシンジの顔も、まだ呆気にとられていた。 様々な思いで揺らした瞳を据えて、わずかしかない身長差を見上げてくる。 「僕が行ってくる」 今のこの子を見ていると、かつて自分が碇シンジであったことが信じられなくなりそうだ。それほどまでに、違う。 もはや、この子が、どうアスカに向き合おうとしているのか、想像もできなかった。 当然、どうするつもりかも判らない。だけど、いや、だからこそ任せてみよう。 「喧嘩しちゃダメよ」 「判ってるよ」 俯き加減に応えたシンジが、リビングを後にする。ゆっくりとした足取りは、おそらく意識的に。 麗しき親子愛…か。と溜息混じりの呟きに、はっとミサトさんの顔を見た。 アスカに親子の絆を見せつけたのだと、非難されたかと思ったのだ。 開け放たれた戸口を見つめるミサトさんの目元は自嘲に満ちて、そんな意図がないことを教えてくれる。 だが、アスカを傷つけた事実に変わりはない。 幸せにしてやりたいと願っているのに、自分の何気ない行動や選択が次々とアスカを傷つけていくのだ。 …なし崩し的に同居に持ち込もうと思っていたが、考え直すべきだろう。前回とは状況が違うということへの認識が薄かった。 今なら、かつて自分を捨てた父さんの気持ちが解かるような気がする。このまま自分の傍らに置いていては、どれだけ傷つけることになるのか、怖い。 ミサトさんの胸元で鈍く光るロザリオを、この手の中に感じたかった。 物欲しげな視線を見咎められるのを恐れて、キッチンに逃げ込んだ。 ****#1**** ペンペンが、ペンギン背負って入ってきた。 ダイニングテーブルの反対側にレイを見つけると、ぺたぺたと歩み寄って背中を向ける。 たすき掛けに括りつけられているのは、皇帝ペンギンのぬいぐるみだった。縮尺は実物の半分ほどで、ペンペンよりわずかに低い。ただし、デフォルメが効いてるぶん丸っこくて、容積ではペンペンより大きいだろう。 「…ありがとう」 ク~ワクワワクワっ。とペンペンが応じていると、迎えに出たシンジにへばりつくようにしてミサトさんが入ってきた。 「誕生日おめでと~♪」 手にしていた雛のぬいぐるみを差し出す。親子セットらしい。 …ありがとう。と、はにかむレイを撫でまわしている。綾波とミサトさんが幸福な出会い方をしていたとしたら、こんな光景が見られたのだろうか。 「ノンキなものね…」 壁の花とばかりに遠巻きに眺めて、アスカの視線は厳しい。なのに歯切れが悪いのは、純粋に不快だと思っているわけではないのだろう。 「不謹慎なのは判っているわ」 正直、レイの誕生祝いを行うことも、そこにアスカを招くことも、…かなり躊躇した。使徒の再進攻は目前なのだ。 「でも、私たちは、こうした日常を守るために戦っているの。…かけがえのない、人々の営みをね。私は、そのことを確認するために、こうしている」 …そうね。とアスカはすげない。だけどその呟きには、なにか芯でも入っているような確かさが感じられた。 両手でペンギン親子を抱えた…というより、ペンギン親子にしがみついてるといった態のレイが、口元をほころばせたままやってくる。よほど嬉しいらしい。 「そう。よかったわね」 しゃがみこみ、その頭をなでてやってると、アスカもまた屈みこんだ。 「誕生日オメデト。悪いわね、急な話だったからプレゼント用意できなかったわ」 ペンギンの谷間から顔をのぞかせて、レイがふるふるとかぶりを振った。 「…もう、もらったから」 もう…って? と、まばたきを繰り返したアスカの、しかし当惑は長くない。 「あんなんで、いいの?」 こくりと頷くレイに、アスカがとても優しい眼差しを向けている。飛び出したアスカと追いかけたレイの間に、いったい何があったのだろう。 いや、それを知る手段が、無いわけではない。コンビニで話す2人の姿を、MAGIの監視網が収めていたそうだから。なにを話しているか解析する? というナオコさんの申し出を、しかし私は断った。 エヴァパイロットであることに誇りを持っているアスカは、監視されてることすら割り切っている。だから、レイとの会話を私が知っていたところで、驚きもしないだろう。 だけど、だからこそ知っておくべきではないと思うのだ。たとえそれでアスカの心を理解できたとしても、それではアスカが心を開いてくれるわけがない。 「判ったわ、任せときなさい」 今回は果たせそうにないけどね。と呟いたアスカの口ぶりは一転して重苦しく、ずいぶんと思い詰めているように見えた。 **** 『いいわね、最初からフル稼動、最大戦速で行くわよ』 結局、最後の最後まで2人の呼吸が合うことはなかった。 「わかってるわ。62秒でケリをつけましょう」 だが、それで良いとアスカには伝えてある。 実戦では初号機が補ってくれるから、私の目標はアスカの呼吸を知ること、アスカを見ることだと話したのだ。 アスカはただ、思うままに戦えばいいのだと。 面映そうに聴いていたアスカが、可愛らしかった。 『目標、ゼロ地点に到達します!』 『外部電源、パージ。発進!』 実際問題として、この使徒を斃すのに完璧なユニゾンなど目指す必要はないのだ。回避や防御、韜晦行動などまで一致させる意義などない。攻撃の一瞬だけタイミングが合えばいい。重要なのは要所要所でのハーモニーなのだから、ポリフォニーで充分だ。 初号機の知覚と、かつてアスカとともに戦った経験があれば、それは不可能ではないだろう。 全く違う行動をしながら、攻撃の瞬間だけはぴたりと一致する。 最初は途惑っていたアスカも、異なる旋律が合わさる時に生まれるハーモニーにノリ始め、攻撃オプションを増やしていく。 アスカが膝蹴りを決めれば、初号機はエルボーを叩き込む。弐号機がニードルショットを放てば、私はハンドキャノンを3点射する。そのどれもが同時に使徒のコアに届くのだ。 これならどう? これはついてこれる? と語る弐号機の背中は無防備で、不可思議な一体感に夢中になっていることが判った。 アスカにとって、戦いの最中こそが安息なのは哀しいけれど、それでも無いよりマシだ。と己に言い聞かせる。 アスカが望むなら、最高のステージを用意してやるまでだ。今はそれでいい。 弐号機の踵落とし、初号機の足刀蹴りを喰らって、吹っ飛んだ使徒が融合し始めた。 空高く跳ねた弐号機を追いかけることはせず、使徒のコアとコアの間にプログナイフを投げつける。そんな必要はないと思うが、コアの融合が遅れればそれだけ殲滅しやすくなるだろう。 地に伏せるようなダッシュ。タイミングと力加減を見計らって、弐号機と同時に蹴りつけた。 つづく2007.07.20 PUBLISHED2007.07.23 REVISED