「目標のレンジ外、超長距離からの直接射撃ですか?」 発令所近くのミーティングルーム。使徒の能力を検証するために、ミサトさんと2人で詰めていた。さっきまで補佐役として付き従っていた日向さんは、天蓋部の防御指揮を行うために発令所へ向かったところだ。 スクリーンには要塞使徒のアップをメインに、ATフィールドを展開する姿。熔かされる兵装ビル。地面を掘りぬくボーリングマシンのライブ映像などが表示されている。 「そうです。目標のATフィールドを中和せず、高エネルギー収束帯による一点突破しか方法はありません」 様々な威力偵察を試した結果、ミサトさんが出した結論がそれだったらしい。 「初号機のATフィールドなら、あの荷電粒子砲を防げますよ」 「…それは存じています。ですが、こちらのほうがより安全に殲滅できます」 平気で衛星軌道から攻撃してくるような連中相手に、6㎞程度の距離が安全なわけがないが、それはまあいいだろう。 手近なコンソールを操作して、MAGIにアクセスする。 「賛成2、条件付き賛成が1。なのに勝算はたった8.7%、でもですか?」 「…最も高い数値です」 ミサトさんの歯切れが悪い。 シミュレーションではもっと過激な作戦を立案していたのに、ここにきて何故、こんな消極的な方法なのだろうか。 コンソールから身を起こして、腕を組む。その動きに釣られてか、ミサトさんの視線が泳いだ。 その挙動が気になったので、組んだ腕を後ろ手に組み直してみる。無意識に追っていたらしい視線が、視界から対象が消えたことで行き場をなくしたのだろう。我に返ったミサトさんが、目を逸らした。 人造人間たるエヴァを擁するネルフの、医療レベルは高い。ことに再生医療の分野では随一だろう。リツコさんが直々に診察、治療を施してくれたこの掌は、1週間を待たずして完治したのだ。私のこの両手からジェルパッドが取れたのは昨日だったから、ミサトさんがクローン再生の青白い皮膚を見るのは今日が初めてのことになる。 ちらりと向けられる視線が、とても痛々しい。ずっと気に病んでいたに違いなかった。そのこと自体は純粋に嬉しいと感じるが、それでは本末転倒だと思う。 「1億8千万kW。それだけの大電力を、どこから集めてくる気ですか?」 「…日本中からです」 解かりきっていることを、相手を否定するために敢えて訊き質さないとならないのは、すこしつらい。 「私の権限で却下します。 電力の供給を絶たれることで発生する経済的損害もそうですが、ICUやCCUなど、電力供給なしには支えられぬ人命だってあります」 反駁しようとしたミサトさんを、身振りで黙らせる。右の掌をこれ見よがしにかざしたのは、弱みに附けこんだようで気が引けるが。 「葛城さん。本当にその作戦が、ベストですか?」 逡巡を視線で表して、ミサトさんが顔を伏せた。 … 伏せた顔をそのままに、ゆっくりとかぶりを振っている。 そっと歩み寄って、ミサトさんの手を取った。 「葛城さんの気持ちは嬉しいわ。でも…、覚悟して戦場に赴いている者に、その優しさは失礼ですよ」 跳ねるように面を上げたミサトさんの目尻に、潤み。 「…アタシは、自分の望みのためにエヴァを、あなたを…」 その苦しみはよく知っていたから、皆まで言わせずに抱きしめた。やはり、自らが前線に立てないことを気にしていたのだ。今も、おそらくかつても。 「承知の上です。誰があなたを作戦部長に任命したと思っているんですか」 嗚咽を押し殺そうとするミサトさんの、肩がとても小さかった。 **** 『最終安全装置解除、エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ』 第3新東京市からもっとも離れたこのゲートは、攻撃の意志さえ見せなければ要塞使徒が反応しない、ぎりぎりの位置だ。 安全を優先するなら、前回と同様に地下から攻撃すべきだと思う。ただ、自我を持ち直接制御でもある初号機には、厳密な意味での無起動状態というものがない。エヴァの気配が地下で動き回った場合の要塞使徒の反応は、少し読みがたかった。 なにより、ミサトさんの立案した作戦で使徒を斃してあげたかったのだ。 万が一のためにとリツコさんが用意してくれた盾を左手で掲げ、完成したばかりのポジトロンライフルを構えた。 『 目標内部に、高エネルギー反応! 』 『 円周部を加速、収束していきます! 』 使徒の攻撃意志に反応した初号機の緊張が、私の鼓動までも高鳴らせる。 落ち着け、落ち着け。お前なら大丈夫。 「フィールド、全開」 襲い掛かってきた光の奔流を、ATフィールドが楽々と受け流した。戦車の避弾径始よろしく角度を持たせたATフィールドの表面を滑って、荷電粒子が初号機の頭上を駆け抜けていく。 念のために5段重ねの析複化を施しておいたが、その必要はなかっただろう。今の手応えからするに、たとえ真っ向から受け止めても、躱すぐらいの時間なら稼げそうだ。 ほら、大丈夫。 いくつかの監視カメラの映像をヴァーチャルウィンドウに呼び出し、状況を確認する。 背後の外輪山の稜線を削って、荷電粒子が空の彼方へと吸い込まれていっていた。少々、角度が浅すぎたらしい。 …… 絶対に防げると請け負った私の言葉を受けての、ミサトさんの提案はしごく単純だった。 ATフィールドで防ぎつつ、ポジトロンライフルで攻撃。ただ、それだけだ。 だが、そのためには、通常兵器による威力偵察では測りきれなかったこの使徒の実力を、もう少し暴いておく必要があった。 『 27番、発射ぁ! 』 ミサトさんの号令に、使徒をはさんで初号機とは反対側の兵装ビルがミサイルを発射する。新たな脅威の出現に備えようと荷電粒子砲が途絶えたので、盾を捨てて走り出した。ミサイルの着弾に合わせてATフィールドを中和。さらにポジトロンライフルを撃ち込んでやる。 放たれた陽電子が、要塞使徒の表面を穿つ。綾波ほどの射撃センスがないこの身体では着弾が散ってしまうが、効いているようだ。ミサイルの方は…? 『ミサイル、効果ありません』 …さもあらん。 フィールドを中和された状態で攻撃を受けた使徒は、自分がどうすべきか瞬時に判断を下したらしい。初号機に向かって、再び荷電粒子砲を放ってきた。エヴァが一番の脅威だと認識して、ほかの攻撃を無視してでも初号機を釘付けにするつもりだろう。制動をかけて立ち止まらせ、こちらもATフィールドを張り直して受け流す。 先だっての威力偵察で、兵装ビルによる挟撃を行ってみた。2方向からのミサイル攻撃に対し、要塞使徒は荷電粒子砲を時間差で照射することで迎撃した。 そこで判ったのは、要塞使徒はその側面スリットのどこからでも荷電粒子を照射できるということと、粒子を加速させたままで必要量だけを攻撃に使用できるということだ。通常物質で建造した粒子加速器には真似できない芸当だから、要塞使徒は粒子加速にもATフィールドを利用してると思われる。 そこで、荷電粒子砲による攻撃中はATフィールドを張れないかもしれないと推測されたが、それが証明できてない。要塞使徒は、攻撃と防御を巧みに使い分け、攻撃中の隙を突かれるような失策を決して犯さなかったのだ。使徒のその振る舞いこそが傍証だという意見もあったが、希望的観測で作戦を立ててはならない。 『 28番、続けてっ! 』 ミサトさんの号令で、再びミサイル攻撃。噴煙たなびかせて使徒の後背に殺到するが、その直前でことごとく四散した。ATフィールドで防がれたようだ。やはり、攻防同時も可能だったか。空中浮遊のためにもATフィールドを使っているはずだから、できて当然だろうとは思っていたが。 要塞使徒にとって僥倖だったことに、ヒトの心で制御しているエヴァは、ATフィールドを複数同時に使いこなすことができない。こうして荷電粒子砲を防いでいる間は、使徒のフィールドを中和できないのだ。 ともかく、これで、ATフィールドで防ぎながらポジトロンライフルで攻撃するというわけにはいかないことが判った。 『…ユイさん』 通信ウィンドウの中のミサトさんに、頷いてみせる。 次に試すのは、最強の矛と最堅の盾の、どちらが強いか。と云うことだった。 …… 荷電粒子を受け流しているATフィールドの形を、徐々に変える。その奔流を包む、円筒形へと。併せて、長さも伸ばす。全長4㎞ほどのATフィールドのチューブが完成するのに、さしたる時間はかからない。ガイドレールの形成にも、ずいぶん慣れた。 ここからが正念場だ。 荷電粒子を導くガイドレールと化したATフィールドを、慎重に、慎重に枉げていく。水の勢いで暴れるホースを押さえ込むような手応えが、ちょっと恐い。 … かなり時間をかけて、ようやくチューブの出口を上空へと向けた。監視カメラの映像の中で、きれいなカーブを描いた荷電粒子が、そのベクトルを捻じ曲げられて垂直に立ち昇っている。 なんとか、コツを掴めたようだ。ここからは一気にいけるだろう。 … ぐるり。とループを描かされた荷電粒子は、芦ノ湖の湖水を盛大に蒸発させ、第3新東京市に溝を穿ちながら、要塞使徒そのものを切り裂かんとした瞬間に、途切れた。 さすがに自分の攻撃を喰らうほど、使徒も間抜けではないか。 すかさずフィールドを中和して攻撃しようと思ったが、それを許してくれるほど要塞使徒も甘くない。間髪入れずにスリットの別の場所から荷電粒子を放ってくる。こちらもATフィールドを張り直して受け流す。ただし、その展開範囲は長めに、使徒の至近にまで延ばしておく。 見れば、荷電粒子を放つ位置がゆっくりとだが移動していた。さっきみたいに悪用されないよう、用心しているのだろう。 「次を試します」 通信ウィンドウの中で、ミサトさんが頷く。 やる気をなくした。とでも言わんばかりにライフルの銃口を下げる。ATフィールドの強度を上げられるだけ上げて、しゃがみこむ。 要塞使徒相手に篭城戦を仕掛けることになるとは、思いもしなかったな。 『 撃てぇい! 』 牽制の砲撃が、要塞使徒のATフィールドに阻まれる。それ自体に効果は望んでいない。まずは少しでも使徒の気が逸れれば上等だ。2射、3射と続く。 心を知らぬ使徒に心理戦を仕掛けることは、基本的に無意味だろう。だが、状況に応じて行動を変えることができる以上、その中枢にはなんらかのプログラムがあって、判断基準の更新すら行なっているはずだ。そうして獲得したルーチンは、機能増幅の一環として短時間で最適化されるに違いない。 つまり、使徒は状況に慣れる。 そして、使徒といえども生物なのだから、最低限の労力で最大の効果を得ようとするだろう。こちらのATフィールドの使い方を見たあとなら、なおさらだ。 単調で間隔の長い砲撃は、その殺伐極まりない爆音を別にすれば、まるで鹿脅し。 当初ATフィールドを張りっぱなしだった要塞使徒は、徐々にタイミングを合わせて張りなおすように、ついにはピンポイントで防御しだした。 ちらり。と視線をやった先に、ポジトロンライフルのチャンバー内の状況表示。フル稼働で生成された陽電子が、もう少しで満杯になる。そろそろ頃合だ。 攻撃力は向こうが上。防御力はこちらが上。しかし、相手は攻撃しながら防御できる。この前提条件を示されたミサトさんは、悩みぬいた上でこう言った。 ― 盾を、攻撃にも使えばいい ― 35射目の砲撃が防がれた瞬間。荷電粒子砲を受け流しているATフィールドを、あたう限りの速度で押し出した。角度を持ったATフィールドの体当たりを受けて、要塞使徒がつんのめる。乗用車に轢かれた人間が、ボンネットに乗り上げるように。結果、荷電粒子砲が第3新東京市の地面を穿つ。 いかに使徒といえど、常にATフィールドを張りつづけているわけではない。要塞使徒は他の使徒と較べても格段に早い反応と展開速度を誇っているが、それでも意表は突ける。そのために、消極的な撃ちあいをしかけているように見せたのだ。 すかさずフィールドの中和に切り替えて、駆け込みながらポジトロンライフルを連射する。要塞使徒が体勢を整え直すまでが勝負だ。 チャンバーエンプティの警告音。陽電子を撃ち尽くしたライフルを振り落とし、プログナイフを抜く。疾走の勢いをそのまま乗せて、対消滅が抉った破口めがけて突き入れた。 … 『 パターン青、消滅。使徒殲滅を確認しました 』 『 ぃよっしゃあっ! 』 威勢のいいミサトさんの歓声に、苦笑。 これでダメなら重力軽減ATフィールドで跳ね上げたりしようと思っていたが、そこまでせずに済んだようだ。 **** 加糖のコンデンスミルクを缶ごと2時間ほど茹でると、お手軽ミルクジャムができあがる。 セカンドインパクトからの復興期。生乳の手に入りづらい時代に比較的入手が容易だったのが、スキムミルクとコンデンスミルクだった。とはいえ、コンデンスミルクなどはそれほど使い道があるわけではない。苦肉の策で考え出したのが、こうしてジャムにしてしまうことだったのだ。 本来は冷ましてから使うのだが、熱々のうちにパンに塗って食べるのをシンジが好んだ。シンジがすれば、レイも真似をする。 今もそうして、はふはふとミルクジャムを塗ったトーストにかじりついていた。 … かつての綾波と、レイを同一視してはいけない。 だけど、この子が美味しそうに熱いものを食べているのを見ると、なんだか嬉しくなってくるのだ。 「…今日、学校くる?」 「ええ、もちろん。授業参観は、何のお勉強をするの?」 「…おんがく。鈴原さんとがっそう」 そう、楽しみにしてるわね。と微笑みかける。 「レイの授業参観、何時から?」 2枚目のトーストに取り掛かって、シンジだ。 「…10時」 「僕も観に行って、いい?」 …こくん。とレイが頷いた。 運動会などがそうであるように、授業参観なども休日の催行が常だ。その代わり、翌日などが代休になる。 「あら、じゃあ一緒に出発する?」 「トウジを迎えに行くから、いいよ」 なるほど。トウジも、ナツミちゃんの授業参観を観に行くのか。シンジの情報源はそのあたりだろう。 一足先に登校しなければならないレイが、…ごちそうさま。と手をあわせる。使った食器をキッチンに下げて、仕度をしに自室へと消えた。 「…いってきます」 ランドセルを背負っているというより、ランドセルに背負わされているといった態のレイが、ピアニカを抱えて、廊下から。 「「いってらっしゃい」」 復興が進んできたのか、カラーランドセルが流行りだしたのはここ数年のことだ。 レイのランドセルは白。そうした色が売ってないわけではないが、市販品ではない。 リツコさんとナオコさんが入学祝いとして染めてくれたのだ。プラグスーツの染色技術を使い、65536色のカラーバリエーションの中から、レイの好みの色で。 蘇比色とか深木賊色とか言われたことを思えば、簡単なものです。とはリツコさんの弁だ。 … ベランダに出て、集団登校の列に加わるレイを見届けた。 サイレントホワイトは落ち着いたやさしい白で、感情表現豊かとは見えないレイの、裡に秘めたるものを表しているかのようだ。 その白いランドセルが、角度によって翼に見える。…飛んでいったり、しなければいいけど。 つづく2007.07.13 PUBLISHED2007.08.01 REVISED