山越えの自動車道の途中で、車を停めた。 「あれが、母さんたちが戦おうとしているモノ?」 「そう。人類の敵、とされる者よ」 遠目に見える光槍使徒が、国連軍のVTOL機を叩き落したところだ。 ちらり。と助手席のシンジを覗き見るが、その胸中は窺い知れない。 ネルフが非公開組織であることは変えようがないが、両親が嘘を吐いていたわけではないことだけは見せてやりたかった。 「…」 後部座席のチャイルドシートで、レイは児童書を読んでいる。車中では読むなといってあるのに、酔わないからと言って取り合ってくれない。 使徒には一切関心がないようだ。 **** 子供たちをシェルターに預け、カートレインでジオフロントに降りる。 ことの推移を携帯端末で確認しながら、悠然と発令所に顔を出した。 「爆心地に、エネルギー反応!」 「なんだとぉっ!」 ちょうど、N2地雷による電波障害からセンサーが回復したようだ。 「どこにいらしたんですか!今なら絶好のチャンスだったのに」 こちらの入室を見止めるなり、つかつかと詰め寄ってきたミサトさんが声をひそめて。 N2地雷で弱ったところを、初号機でトドメと言いたいのだろう。 「指揮権が移ってないうちに、初号機は出せませんよ」 ですけど。と言い募ろうとしたミサトさんを押しとどめるように、青葉さんの声。 「映像、回復します」 「おお…」 「なんてことだ…」 「我々の切り札が…」 「化け物めっ!」 トップ・ダイアスを占領した国連軍の高官たちが、次々に悪態をつく。 「予想通り、自己修復中か」 「そうでなければ単独兵器として役に立たんよ」 珍しく発令所のフロアに、ゲンドウさんと冬月副司令。 映像が、光槍使徒の新たに現れた顔をクローズアップした。途端、両眼が発光して、砂嵐に。 「ほぅ、たいしたものだ。機能増幅まで可能なのか」 「おまけに、知恵もついたようだ」 2人で会話するには、ちょっと声が高い。遠回しに国連軍を非難しているのだろう。仲良くするにこしたことはないのだから、お手柔らかにお願いします。 ミサトさんを手招きして、発令所の外へ。 ドアを開けたまま、スクリーン上の使徒を親指で指し示して。 「どう、見ます?」 「武装は手から打ち出す杭と、眼から怪光線、みたいですね。 今のところATフィールドを張っている様子はありませんが、N2地雷でもあの通りです」 国連軍の攻撃を威力偵察と見做して、きっちり観察できたらしい。 目顔で続きを促すと、一瞬眉を寄せた。 「ATフィールドを張ってないとすれば、遠距離からの攻撃が有効かもしれません」 女性としては結構な長身なのに、見下ろされるような感じがしないのは、顎をしっかり引いた上で見据えてくるからだろう。 「ATフィールドをガイドレールにしてナイフ投擲、できるんですよね?」 頷いた。アスカが見せてくれた応用法は、もちろん習得している。 「どこを狙いましょう?」 「あの赤い光球が、コア…なんですか?」 そうだ。と言いたいところだが、さすがに断定して見せるわけには行かない。携帯端末からMAGIにアクセスして見せた。 「…蓋然性は、89.4247パーセント…ですね」 「では、そこを」 頷いて、念のために質問を重ねる。 「それで斃せなかったら?」 虚を突かれたらしく呆けるが、それも一瞬のこと。 「ウェポンラックのとは別に、ナイフを持って出て貰えますか? いざとなったら格闘戦に移行してもらいます」 ほぼ、私が考えていたのと同じ結論に辿り着いたようだ。これで心置きなく作戦指揮を委ねられる。 「プラグで待機します。タイミングと位置取りはお任せします」 「解かりました」 私がしてみせた海軍式の敬礼を、不思議そうにミサトさんが見送った。 **** 『最終安全装置解除、エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ』 直接制御下にある初号機は、私の身体そのものだ。拘束を解かれても猫背にはならない。 『もうじき、使徒が外輪山の稜線から見えるはずです』 日向さんの報告に、まぶたを閉じる。外輪山の向こう側に、ゆっくりとした足音を感じた。 エヴァの聴覚は高度な分解能を有し、構造的にはヒトと変わらないはずなのに、音波を立体的に拾うことができる。 慣れれば、パッシブソナー代わりに使えて便利だった。 『ニィやぁん。ドコおんねやぁ!』 突然飛び込んできたこの声は、ナツミちゃんか… ビルの陰で直接見ることは叶わないが、初号機の感覚をダイレクトに共有する直接制御なら、音だけで位置特定が可能だ。 いくつものフィルタリングを経ているから、発令所には届いていまいが。 発令所に指示して保護させようと思った途端、声の主が増えた。 『…なに、してるの?』 『あっ!レイちゃんやんか。あんな、ウチんくのニィやん、さがしてんねや』 『…あなたのお兄さんなら、もう、ひなんしてる』 『ホンマに?』 『本当だよ。避難者登録を確認したから、間違いないよ』 シンジも居たのか。考えてみればいくらレイでも、小学2年生が一人で抜け出せるような施設ではない。 中学生なら抜け出せる。というのは問題かもしれないが、どうしたものか。 『せやけど、シェルターの中はさがしてんねんで?』 『鈴原君が避難したの、僕らのとは違うシェルターなんだよ』 後で聞いた話しだが、シェルターに落ち着いたレイは、一度見かけたクラスメイトの姿がなくなってることに気付いたのだそうだ。ナツミちゃんは、地上隔壁が閉ざされる前に抜け出したのだろう。 念のためシンジに頼んでトウジの行方を調べさせた後、こうして追いかけてきたのだとか。 『そっちのシェルターは定員一杯だったから、とりあえず僕らと一緒に避難しよ?』 『おおきに。そないさせてもらいます』 『…』 レイがついた嘆息にどのような感情が篭められていたのか、さすがに読み取れなかった。 『ユイさん』 押し殺した声に、まぶたを開く。水中スピーカーが律儀に、ミサトさんの緊張まで伝えてくる。 プラグ内の画像に、使徒の居所を示すレチクル。まだ外輪山の向こう側だから、山肌を飾っているにすぎないが。 敢えて視界をそのままにして、待つ。初号機の視覚では赤外線だのX線だのが見えて、それらを見分けるのが煩わしいのだ。 … 外輪山の稜線に、変化。山影に隠れたコアが視界に入るのも、時間の問題だろう。 静かに、手にしたシースからプログナイフを引き抜いた。 **** 夕刻間近な第3新東京市を見下ろす高台で、生えていく高層ビルを眺める。 「この光景が好きなんです」 それは、かつてミサトさんが見せてくれたからかも知れない。 時間を見計らってミサトさんを連れ出したのは、その様子を窺いたかったからだ。 久しぶりに、その乱暴な運転に揺られてみたい。というのもあったが。 「あなたが護った街ですよ」 「私が…?」 ミサトさんの反応は芳しくない。 「ええ。あなたが立案した作戦で、あなたが指揮して使徒を斃したんです」 ………… 円筒形に編んだATフィールドを、光槍使徒まで伸ばす。 真空化、重力遮断されたガイドレールに沿って、初号機の膂力で投擲されたプログナイフは、使徒のコアを完膚なきにまで粉砕した。 斃すだけなら、こうまで念を入れずとも良かっただろう。 だが、できるかぎりコアのサンプルを残したくなかったのだ。アメリカ第2支部の消滅に、白いエヴァ。S2機関がもたらしたモノを、できれば再現したくない。 エヴァのデータがある以上、無駄な足掻きかもしれないが、しないよりマシだと思う。 ………… …のに、嬉しくないのね。との語尾を、かろうじて耳にする。 なにか、確かな手応えを欲してか、その右手が握り締められた。 その顔には、一片の充足感も見受けられない。 やはり、この程度では使徒への復讐心を滅却することは適わないのだろう。 その心の裡をよく知っていながら、してあげられることがなかった。 **** 使徒戦の疲れも拭いきれないその日のうちに、弐号機がヴィルヘルムスハーフェンを出港したと聞いた。 一緒にやってくるであろうアスカの姿が脳裏に浮かんで、身震いする。 … この世界で、もっとも顔を会わせるのが怖いのが、アスカだった。 私が犯した罪の、最大の被害者に向き合うべき時が、とうとう来るのだ。そんなはずはないと解かっているのに、会った途端に糾弾されるのではないかと想像してしまう。 それに、ドイツでの教育方針や訓練内容について、不穏な報告が加持さんからあがってきていた。 このままだと、従来通りに海中使徒と鉢合わせる頃に到着するのだろう。 できれば、いますぐ逃げ出したい。それが正直な気持ちだった。 つづく