- AD2012 - あっ! 「っつぅ…」 あわてて布地から指先を離す。白い布だから、血でも付いたら台無しだ。 口にくわえた指を吸うと、ほのかに鉄サビめいた味がする。たいしたケガではないけれど、布を汚したくないからバンソーコーを貼っておこう。 来週、シンジの小学校で学習発表会がある。 シンジのクラスはソプラノリコーダーの発表をするそうで、そのリコーダーを仕舞う肩掛けのケースが要るのだそうだ。 白い布で。と指定されたそれを作るべく、裁縫道具を取り出したまではよかったのだけれど… 家事の類は大体こなせるのだが、どうにも上達しないのがお裁縫だった。出来ないわけではないが、時間がかかるしケガもする。もともと素質がないところへ持ってきて、ミサトさんも母さんも苦手だったらしくほとんど経験がない。 セカンドインパクト前は、雑巾すら市販品が出回っていたのだから仕方がないが。 「なにをしている」 戸棚から救急箱を降ろしていたら、ダイニングの戸口に人影がたった。 「あら、ゲンドウさん。呼び鈴くらい鳴らしてくださいな。お出迎えくらい、させてください」 「不要だ」 それより。と目顔で指し示すのは、私がかかえた救急箱。 「お裁縫をしていたんですけど、…指を縫ってしまいまして」 私の視線を追ってテーブルを見やったゲンドウさんが、なにやら納得顔に。 「君は、…意外なところで不器用だったな」 救急箱から取り出したバンソーコーを横取りしたゲンドウさんが、しみじみと口にした。きっと、新婚当時のことでも思い出しているのだろう。 「…どこだ」 バンソーコーの剥離紙をめくって待ち構えてるゲンドウさんなんて、ここに来るまで想像もできなかった。 「すみません」 差し出した左手の中指に、実に手際よくバンソーコーを巻いてくれる。 「ありがとうございます」 気にするな。と、視線を逸らしたゲンドウさんが、剥離紙を握りつぶしてゴミ箱に投げた。 「夕食を摂り損ねた。茶漬けかなにかでいい。用意してくれるか」 「はい」 救急箱を戸棚に戻し、キッチンへ入ってエプロンをかける。お茶漬けも悪くないが、いいワサビをいただいたので、うずめ飯なんかどうだろう。 作り置きの出し汁を小鍋にとって火にかける。そこへ夕ご飯の残り物のしいたけの含め煮、人参、木綿豆腐、カマボコをサイの目に切って投入。 とっておきのハバノリ。今の日本ではもう手に入らないそれを、軽く炙ってから荒く揉みほぐした。 ワサビをおろして、小鉢をかぶせて寝かせておく。これで下準備は完了だ。 今のうちにテーブルを拭いておこう。 台拭きを手にダイニングへ戻ろうとして、足を止めた。 器用に玉止めをしたゲンドウさんが、糸の残りを糸切り歯にかけたところだったのだ。 一人暮らしが長かったゲンドウさんがそこそこ家事をこなせることは、母さんも聞いたことがあったらしい。それがどれほどのものか、目にすることはなかったようだが。 こうしてその手際を見る限り、針仕事に限っては確実に私以上だろう。 …いや、針仕事が上手とかそういうこと以前に、誰かのためにそれを行なってくれていることが、嬉しい。 そっと踵を返して、煮立つ寸前の小鍋の火を止めた。 今夜は少し、お酒に付き合ってあげてもいいかもしれない。…そんな気持ちだった。 終劇2007.10.29 DISTRIBUTED ボツ事由 キャラ作りの基本は弱点作りと云う事で、お裁縫が苦手と云うことにしてみたが、ミサトはともかく、シンジにユイまで3人も不得手というのは不自然なので不採用。