- AD2010 - 暇だろうから。という理由でリツコさんが置いていってくれたノートパソコンで眺めているのは、MAGIによるニュースリリースだった。 稼動を始めたばかりのMAGIはまだ教育期間中で、今は情報収集に努めさせているらしい。そうした白紙状態に近いMAGIの初仕事が、集めた情報を興味を持ちそうな人に配信するこのニュースリリースなのだそうだ。 「どうぞ」 控えめなノックの音に応じると、一拍置いてドアが開いた。 「どうやら大事に至らなかったようで、一安心だよ」 「冬月先生…」 つい、そう呼んでしまったのは、冬月副司令が白衣なんか羽織っておられたからだろう。 「…っ、すみません。なんだか記憶が雑然としてまして」 「いやいや、構わないよ」 確かに記憶が戻ったと、おかげで確認できたよ。と歩み寄ってきた副司令に席を勧める。よっこいしょ。と腰をおろした副司令の、目線がなんだか遠い。 「ほんの3日前から、副司令なんて呼ばれる身分になってしまったがね。どうしてこんなことになったのか、首を傾げることしきりだよ」 だからだろうね。と、顎をつまむ仕種。 「古きよき時代。ユイ君と出会った頃を思い出して、少々嬉しかったよ」 少々と言うには、口元がほころびすぎているような気がする。副司令もまた、母さんとの思い出を大切なものとしているのだろうか? それはともかく… 「あの…?」 「ん?…ああ、これかね?」 さっきから気になっていたのは、副司令が手にされておられるカゴの中身だった。 「トマトだよ。いいフルーツトマトが手に入ったのでね」 お見舞いだよ。と差し出された1個を、ありがとうございます。と受け取る。声音がなんだか上の空っぽくなってしまったのは、ご愛嬌だ。…いや、確かに美味しそうだけれど、お見舞いに?…。 「魔除け代わりにいいんじゃないかと思ってね。…さて、」 などと冗談めかして口にした副司令が、残りをカゴごとサイドテーブルに置いて、立ち上がろうとする。 ネルフが発足した以上、副司令もこんなところに長居できるほど暇ではないはずだ。スケジュールの合間を縫ってお見舞いに来てくださったのだろう。だけど… 「あの、冬月副…司令」 「なにかね?」 私の呼びかけに再び座りなおした副司令は、なんだか残念そうだ。 「実は…もっと、いただきたいお見舞いがあるのです」 ちょっと意外だったらしい。副司令の眉根が上がった。 確かに母さんは意外にふてぶてしい面があるが、いただいたお見舞いにケチをつけるほど不躾ではない。 でも、だからこそだろう。私の真剣さを感じ取ってか、副司令が身を乗り出してきた。 「なにかね」 実は…。と差し出したのは、MAGIのニュースリリースが映るディスプレイだ。 「この研究がはかどるように、便宜を図っていただきたいのです」 「耐塩性イネ…塩害対策かね」 セカンドインパクトによる海水面上昇や、地下水脈の枯渇によって起こる塩害への対策は、耕地激減に悩む人類にとって、存亡に係わる急務と言っていいだろう。 土壌改良や河口堰など成果をあげている例もあるが、費用も嵩むしどこでもできることではない。そのため、最初から塩に耐性のある農作物の開発が求められていた。 しかし、環境耐性は複数の遺伝子に支配されているため、特定の耐性変異系統を育成することは難しいとされる。出来たはいいが、塩に耐えられる代わりに食べられない。では話にならないのだ。 「国からの助成も、国連からの支援も充分あるみたいじゃないかね?」 この研究では、重イオンビームを使って突然変異を誘発したらしい。従来のガンマ線照射やX線照射などに較べ、極低線量照射でも高い変異率を有する重イオンビームは処理植物に障害を与えにくい。 「塩害対策程度なら、確かに充分だと思いますが…」 だが、その程度では焼け石に水だと思う。なにしろ、耕地そのものが激減しているのだから。 「ゆくゆくは、海上での耕作を目指すべきだと思うのです」 「海上…かね」 メガフロートや海上空港を始めとして、海上での建築は日本の十八番だ。セカンドインパクト後でもその技術を失ってないことは、第3新東京国際空港を見れば判る。 その技術と、完全な耐塩性イネが組み合わされば、食糧事情はずいぶんと向上するだろう。それに、もともとイネは、小麦の2倍以上の収穫倍率を誇る。この計画にうってつけなのだ。 「確かに魅力的な計画だが、ネルフが口出しできることではないよ」 「存じてます。ですけど…」 ふむ…。と、顎をつまむような仕種。力が入っているらしい指先は、真剣に方策を検討して下さっているのだろう。 ところが、それを邪魔するようにノック。 「おや、もうこんな時間か」 時計を確認した副司令が席を立つ。 「さいわい理研にも、ゼネコンにもツテがある。新事業の可能性ということで渡りをつけてみるが、それでよいかね?」 「はい。ありがとうございます」 期待しないでくれ給え。と、病室を後にする副司令に、頭を下げた。 終劇2007.10.23 DISTRIBUTED ボツ事由 発令所転落後のお見舞いネタ第2弾の予定だったが、ネルフの肝いりで耐塩性イネが大々的に成功してしまうとキーポイントとしての人類滅亡が弱くなってしまうので不採用。