シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾話 ( No.11 )
日時: 2007/02/18 12:29 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2
「で、なに。今度はリツコが使徒を殲滅しようとしているわけ?」
発令所に連れてきた途端にアスカが言い放ったのが、このお言葉だった。
地底湖に迎えに行き、シャワーを浴びせ着替えさせ、その道すがらに事情を話したのだが。
「そのうちエヴァはお役御免になりそうだわ」
「そうなるといいね」
「…そうね」
「アンタ達バカァ?皮肉に決まってんでしょ!」
口ゲンカを始めたので、早々に発令所からご退散願った。
(1対2ではあるが、ほぼ対等に口論しているという意)
どのみち、マイクロマシンのようなこの使徒にエヴァは役に立たないのだ。
…………
発令所
多機能会議用テーブルを床下からせり上げて、即席のミーティングルームだ。
R警報の発令を見越して、各フロアの人員は一時待機させている。いつでも退避させられるように。
「彼らはマイクロマシン、細菌サイズの使徒と考えられます」
あらゆる使徒の中で、最も対応に苦慮した1人。それがこの微細な使徒だった。
「その個体が集まって群を作り、この短時間で知能回路の形成にいたるまで爆発的な進化を遂げています」
前回はわけもわからずに放擲され、事が終わるまで捨て置かれた。裸だったこともあって随分と心細かったように思う。
「進化か」
だから、どのような使徒で、どうやって殲滅したのか、なにも知らなかった。知らないということは、それだけで大きなリスクになる。
このような状況の連続で、よくもまあ彼女は勝ち抜けたものだ。
「はい。彼らは常に自分自身を変化させ、いかなる状況にも対処するシステムを模索しています」
今こうしてリツコさんの説明を聞いて、ようやくどういった相手であるのかが判った。
かつて、自らがエヴァに乗っていたとき。もう少し周囲のことに興味を持っていれば、この程度のことは知りえただろう。
そうしていれば、短時間とはいえ子供たちを地底湖に放り出さずに済んだだろうに。
ただ流されるままに生きていたあの頃が、いま恨めしい。
「まさに、生物の生きるためのシステムそのものだな」
ダメだ。気持ちを切り替えなくては。後悔など、いつでもできる。
(これまで、内罰状態は外的要因か時間経過でしか止まっていない。ここにきて自力で打ち切れるようになってきた)
とはいえ、エヴァで対処できる相手だとはとても思えない。リツコさんに任せるしかないだろうし、きっと彼女もそうしたことだろう。
だが、使徒殲滅の責務を担う作戦部長として、ミーティング中に指を咥えたまま傍観するなど許されるはずがなかった。
「ロジックモードの変更が可能なのですから、電源供給を停止して、MAGIシステムの物理的な停止はできませんか?」
「効果は期待できるけど、最後の手段にしたいわ」
即答だ。リツコさんのことだから、この程度の対策は検討済みということだろう。
「どうして?」
「MAGIの人格が揮発してしまうからよ」
「コンピュータなのに?」
「貴女の使っているノイマン型ストアードプログラムとかとはモノが違うのよ。…そうね」
(MAGI以前のコンピュータは所詮、計算機に過ぎない。とリツコは言いたかったのであろう)
リツコさんが皆まで言う前に、マヤさんがホワイトボードを押し出した。
/ マーカーを手にしたリツコさんが、斜め右上に向かって線を引く。
「これ。この続きはどうなると思う?」
「そのまま、右斜め上?」
「そうね。じゃあ、こうすると?」
・ 書いた線をイレーザーで消して、上端の一点だけを残す。
「右斜め上、って答えちゃダメなのね」
その通りよ。と頷いて。
「有機コンピュータである。ということも理由の一つだけど、人格移植型だということのほうが問題なのよ」
リツコさんの右の人差し指が、親指を叩いている。煙草、呑みたいんだろうな。
「MAGIは、考えるコンピュータよ。考える。ということは、問題に対する答えが毎回変わりうるってことね」
例えば…。とリツコさんが再びマーカーのキャップを外す。
「過去に、ある命題Aから結論Bを導出させたとするわ」
TheseAと殴り書きにして円で囲む。その横に矢印でつなぐSchlussB。
「そのあとに命題Cを解かせる」
丸く囲ったTheseC。
「そこで導き出された結論Dは、前提条件として命題Aの結論、その過程に影響されている」
A→B→C→D。矢印でつなぎ合わされ、一直線に。
だから。とリツコさんがTheseA、SchlussBを消した。
「前提条件がないと、命題Cの結論はDではなく、Eになるわ」
SchlussDを×で消すと、TheseCから斜め下に矢印を引いて、SchlussEにつないだ。
それが悪い答えかどうかは一概には言えないけどね。とリツコさん。
「MAGIは、思考を積み重ねてその精度を向上させてきたのよ。ログに残ってない失敗ですら、MAGIにとってはかけがえのない反面教師なわけね」
「第127次定期検診が終わったばかりですから、現状への復帰は可能です」
マヤさんの補足にリツコさんが頷く。
「だけど、思考の継続性は失われるわ。MAGIはこの状態になる」
・ マーカーの先で指し示す、点。
「過去ログを読ませて補強するでしょうけど、元通りとはいかないし時間もかかるわ」
点から左斜め下に向かって、とんとんとんと点線を引いている。
・
・
・
…
思考の継続性こそがMAGIの核心ということらしい。であれば、それを失うことはMAGIを失うことに等しいだろう。
これが使い古した5年落ちのパソコンなら、データを移せばことが済む。
だが、考えるコンピュータであるMAGIにとってそれは、ベテランから新人に業務引継ぎを行うようなものではなかろうか。仕事の内容をすべて教えてもらったからといって、新人がすぐにベテラン並みに働けるわけがない。ということなのだろう。
(有機コンピュータと人格移植型OSというワードからMAGIの解釈を行なった。
これは当然16話でのレイの話やミサトの魂へのスタンスへ繋がり、当初はこの時点でいくらか言及していた。投稿前の最終整理の段階で削ったのだが、関連性を読者に指摘されて驚いた覚えがある)
「…確かに最後の手段ね」
「判って貰えたかしら?」
ええ。と頷く。作戦部長に出来ることはない。と確信した。
「では、臨戦時下作戦部権限によりY-19を補足Fで発令。対使徒作戦権限の全てを第一種戦闘配置解除までの間、技術部に委譲します」
(特に深い意味はないがマクロスプラスの「YF-19エクスカリバー」をもじってある。
ガイナックスには「トップにオリジナルなし」という迷言があるので、それを意識してこういったどうでもいいことにも由来をつけるようにしている)
使徒出現が確認された時点で、自動的に作戦部の権限は強化される。そのための部署だからだ。
(原作でどうかは不明だが、↓のシーンから類推した)
さきほどMAGIのI/Oシステムをダウンさせようと試みた時、司令部付きの青葉さんが日向さんにカウントを依頼したのも、そこに起因する。
正式に権限を委譲しておかないと、作戦部の顔色を窺って技術部が思い切った手段を打てない。門外漢が決定権を握っていては百害あって一利なしだ。
「ミサト、貴女…」
「信頼しているわ、リツコ…。あとはよろしくね」
司令に向き直り、敬礼。
「わたくしは地底湖の子供たちの保護に向かいます」
うむ。と頷く父さんをあとに、発令所を後にした。
…………
「それで、MAGIを護りたかったの?」
リフトアップされたカスパーの躯体内。のたうち這いまわるパイプ類はボイラー室か何かのようで、これが世界屈指のスーパーコンピュータの内部とはとても思えない。
おっと【のるな!へこむ】って書いてあるパイプに体重をかけるところだった。
リツコさんが電動丸ノコで外板を切り取ると、人の脳にも似たMAGI・カスパーの中枢部が姿を見せる。
「違うと思うわ。母さんのこと、そんなに好きじゃなかったから」
接続用の探査針を打ち込み、コンソールにつないでゆく。
「科学者としての判断ね」
リツコさんが苦悩を抱えていることはわかっていた。
「お母さんってどんな人だったの?」
大勢の綾波たちを壊したあのとき、泣き崩れたリツコさんから得たいくつかのキーワード。
“あの人”と“親子揃って大莫迦者” そして、おそらくは“綾波への嫉妬”
「ちょっと、こんな時にカウンセリングはやめてよ」
「こんな時だからよ。今なら心に壁を作る余裕はなさそうだもの。
素直なリツコ…を見せて欲しいわ」
“あの人”について確証はない。だが“綾波への嫉妬”と、その破壊を自分に見せつけたことから思い当たるのは自分の父親、碇ゲンドウだった。
「策士ね。この機会を窺っていたって云うの?」
だが、父さんについては自分に切るべきカードがない。おそらくはリツコさんの方がよほど理解しているだろう。
「まさか、そんなわけないでしょ」
第一、父さんのことは自分にとっても心苦しい話題だった。ミイラ取りがミイラになりかねない。
【碇のバカヤロー!】か…、誰が書いたか知らないけれど、気が合いそうだ。
「そこに至った過程と理由を聞かないと納得できないわね」
ならば、リツコさんの心をひも解くには親の話を訊いてみるしかなかった。
「…MAGIがお母さんだって、教えてくれたでしょう」
それが父親なのか母親なのか、MAGIの話を聞いていて判ったような気がしたのだ。
「…考えてみたらリツコ…って私にとってお母さんなのよ」
「はい?」
手、止まってるわよ。と指摘されて、リツコさんがキーボードをたたき始める。これで間に合わなかったら貴女の責任よ。と先に倍する速度で。
「ほら、大学時代を思い出したって言ったでしょう。あの頃、女の子の一通りを貴女が教えてくれたわ」
「呆れた、その程度の事で母親扱い?貴女、私をそんな風に見てたの?」
「大事なことよ。気付いたのは最近だけど」
タイピングの音色が半音上がったような気がした。キーボードに集中したリツコさんの、疑問符の提示。
(二人の付き合いの長さを表現するために、リツコの癖とそれを理解しているミサトを描いた)
「…レイちゃんを預かったでしょう。色々と教えているの、あなたがそうしてくれたように」
マシンガンのような打鍵音が、明らかに乱れた。
「こういうの、母親の役目だわ。って思ったら、学生時代を思い出したのよね」
「そう…」
見事に染め上げられた金髪を学食で見かけたとき。
時を遡ってから初めて出会った知己の姿に、載せたカレーライスごとトレイを落として泣き出した。
それは、すべてを本当にやり直すことができると実感した瞬間だったから。
嬉しくて嬉しくて身も世もなく泣いて、声をかけてくれたことがまた嬉しくてさらに泣いて、リツコさんを戸惑わせたことをよく憶えている。
わっ私じゃないわよ。と周囲に弁解しようとするリツコさんの様子がなんだか可笑しくて、泣きながら笑った。
そうして知り合った直後は、べらべらとよく喋るヤツだとリツコさんに思われたことだろう。
当時、自分にとってリツコさんは全てをやり直せることの象徴だったから、顔を見てるだけでも嬉しくて、のべつ幕なしに口を開いていたように思う。
また、常に気分が高揚していて何かと強引だったから、リツコさんも迷惑していたに違いない。
そのせいで、加持さんとあんな出会い方をしてしまったわけで…
なぜあんなにもはしゃいでいたのか。
当時の自分を振り返ってみると、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
(統合失調症の陰性症状の反動で躁状態になっていた。としている。
因みに、統合失調症の陰性症状は鬱病に似ているが、陽性症状と躁病はぜんぜん違う)
「だから、もっと知りたかったのリツコ…のこと、そのお母さんのことも」
嘆息。煙草が呑みたそうだった。
「MAGIにはそれぞれ母さんの人格がインストールされているわ。
科学者としての母さん。母親としての母さん。カスパーには、女としての母さんがインストールされているの」
ディスプレイを反射して、リツコさんのメガネが光る。ちょっと不気味です。
「科学者としては優秀。でも母親としては最低だったわ。女としては… 人のことは言えないか」
最後は消え入るように呟いたので、聴き取るのに集中力が要った。
「母さんに、コンプレックスが…あるのかしらね」
プログラムを組みながらキーパンチをして、平然と受け答えをこなしている。リツコさんは頭の中にMAGIでも飼っているのではないだろうか。
「そっか…リツコ…も、まだ子供ってことか」
「なによ、それ」
いらついてきているのは、ニコチン切れのせいばかりではなさそうだ。
「親を気にして、親と較べてるうちは子供なのよ。親と同じで苦しみ親と違って悩む、子供って云うのはそういうものなの。
そんなことはどうでもいいって事に気付くまでは大人ではないわ」
「較べているうちは大人になれない…か」
「リツコ…はきっと、お母さんを亡くしたときに親離れできてなかったのじゃないかしら。
居ない相手と比較しても、ただ苦しいだけよ。客観的になれないもの。
もちろん、成長の度合いを知るために親と比較することは必要なことだけれど」
禁煙パイプかニコチンガムでも差し入れるべきだろうか?
「今この時なら、いくらリツコ…でも感情の立ち入る隙はないと思うわ。
冷静に、客観的に、お母さんと比較できるまたとない機会ね。
まずは科学者としての二人はどうかしら?スペシャリストとゼネラリストで較べ難いけど、高名なのは赤木リツコ博士よ。
女としては、どう?」
(この評価は多分にミサトの贔屓が入っている。ただ、MAGIはネルフの独占物のはずで、世間的な赤木ナオコの知名度はそれほどでもないだろう。JA披露会と引っ掛けて「高名な」と比較点を限定したのがミサトの詐術)
「…そうね。互角かもしれないわ」
口の端を吊り上げて、意味ありげな微笑み。『母娘揃って大莫迦者』とは、そういう意味なのだろうか?
『来たっ!バルタザールが乗っ取られました!』
始まったか。しかし、自分が慌てても仕方がない。
「母親としては、高名な赤木リツコ博士を産み育てたお母さんには実績があるわね。
でも、娘からは好かれてない。大きな減点だわ。
当のリツコ…は未知数だけど…、私のこと、どう思ってる?」
≪ ・人工知能により 自律自爆が決議されました ≫
「どうって貴女…。まさか…」
思わずこっちを向くリツコさん。それで手が止まらないのが流石。
≪ ・自爆装置は三審一致ののち 02秒で行われます ≫
「私はリツコ…のこと好きよ。尊敬してる」
しっかりと顔を見て言うと、一瞬、ほんの一瞬だけ打鍵音が途切れた。
「ちょっと止してよ。冗談きついわ」
そっぽを向く、その頬が赤くなっているようだ。
≪ ・自爆範囲はジオイド深度マイナス280 マイナス140 ゼロフロアーです ≫
「本気よ。子供を産んだだけでは単に経産婦になったというだけで、母親としての評価に関係ないもの。
実の母親と育ての母親、どっちが子供にとって大切か。親はなくとも子は育つ。
要はどう育てたか、どう想われているか、よ?」
今なら解かる。血縁だけが家族ではないのだと、気付かせようとしてくれていた人が居たことに。当時の自分にその態度だけで悟らせるには、彼女はあまりにも不器用すぎたが。
(不器用というより、単に状況が悪いだけだろう。
「死ね」と命令している中学生相手に、完璧に家族面して接することのできる他人がいるとしたら、人格が破綻している。そんな関係を上手くやっていくには、「死ね」と命令される側に思慮が必要)
その姿を反面教師にしていると言ったら、彼女は怒るだろうか?
≪ ・特例582発動下のため 人工知能以外のキャンセルは出来ません ≫
「詭弁よ。たとえそうでも、こんなトウのたった娘なんか要らないわよ」
「私でダメなら、…レイちゃんはどう?」
『バルタザール、さらにカスパーに侵入!』
「私を助けてくれた貴女が、…レイちゃんをほったらかしてるのが信じられなかったわ。
会わなかった間にいったい何があったの?」
「余計なお世話よ」
『該当する残留者は速やかに待避してください。繰り返します、該当地区残留者は速やかに待避してください』
「…ごめん」
…
しばしの沈黙。でも判る。打鍵音が教えてくれるリツコさんの心の動き。
「…私も言い過ぎたわ。レイのことは前向きに考えとくから…」
「ありがとう」
≪ ・自爆装置作動まで あと20秒 ≫
『カスパー、18秒後に乗っ取られます』
「言っとくけど、レイに「おばあちゃん」なんて呼ばせたら絞めるわよ」
お継母さん、かも。とか思ったりしたことは、口が裂けても言えない秘密だ。
(ゲンドウの交際相手≒義母と考えたことがあって、今回母子になぞらえたことの遠因ではあった)
≪ ・自爆装置作動まで あと15秒 ≫
「リツコ…急いで」
躯体から身を乗り出してみると、スクリーン上のMAGI模式図はほとんど真っ赤だった。リツコさんに任せておけば大丈夫だと信じていても、さすがに恐い。
≪ ・自爆装置作動まで 10秒 ≫
「大丈夫、1秒近く余裕があるわ」
≪ ・9秒 ・ 8秒・ ≫
「1秒って」
≪ ・7秒 ・ 6秒・ ≫
「ゼロやマイナスじゃないのよ。マヤ!」
≪ ・5秒 ・ 4秒・ ≫
『いけます』
≪ ・3秒 ・ 2秒・ ≫
「押してっ」
≪ ・1秒・ ≫
≪ ・0秒・ ≫
・
・
・
…静寂が、耳に痛い。
今にも赤く塗りつぶされそうなMAGI模式図の片隅に、1ブロックだけ残された青い領域。静かな点滅がぴたりと止まったかと思うと、一気に押し戻すようにして全体を青く染め返した。
≪ ・人工知能により 自律自爆が解除されました ≫
…
『 『『『「「「「 ぃやったぁー! 」」」」』』』』 』
発令所から歓声が降ってくる。
マヤさんも安堵のあまりか泣きそうだ。
振り返ると、リツコさんが内壁にもたれかかったところだった。
「使徒殲滅おめでとう。これで貴女もアスカ…ちゃんに睨まれるわね」
(もちろん勘違い。模擬体に居た使徒がどうなったか、原作でも明確に「斃した」とは言われていないため「使徒は必ずしも斃す必要がない」というこのシリーズのスタンスの根拠とした)
「嬉しそうに言わないでよ。それに、そもそも…」
「仲間が欲しかったんですもの」
嘆息。煙草が呑みたそうだ。
「お祝いするんでしょ。私のリクエスト、訊いてくれるのかしら?」
「もちろん」
その日の夕食が随分と豪勢になったことは言うまでもない。
****
「どう、レイ?初めて乗った初号機は?」
第1回機体相互互換試験
『…碇君の匂いがする』
被験者 綾波レイ
「シンクロ率は、ほぼ零号機のときと変わらないわね」
見下ろすケィジの中。正面に初号機の姿がある。
「パーソナルパターンも酷似してますからね。零号機と初号機」
「だからこそ、シンクロ可能なのよ」
試験中に作戦部長に出来ることはないから、ただ付き添うのみ。
「誤差、プラスマイナス0.03。ハーモニクスは正常です」
「レイと初号機の互換性に問題点は検出されず。では、テスト終了。レイ、あがっていいわよ」
『…はい』
エヴァの互換性を確認するというこの実験。手を尽くして、綾波と初号機の組合せのみで行わせるに押しとどめることができた。
「どう、シンジ君。初号機のエントリープラグは?」
第1回機体相互互換試験(追試)
『なんだか、変な気分です』
被験者 碇シンジ
「違和感があるのかしら?」
『いえ、ただ、綾波の匂いがする…』
かつての零号機の暴走。その原因は判らないが、起こさずに済むならそれに越したことはない。
その時のことは一切憶えてないが、なにか重大なしこりを心に負った。そんな気がするのだ。
「シンクロ率に著変、認められず。ね」
「ハーモニクス、すべて正常位置」
作戦部からの再検討の要望に対し、当然のようにリツコさんは難色を示した。司令の命令だ。と伝家の宝刀を抜いたほどだ。
だが、その程度で引き下がるほど今の自分は諦めのいい性格ではない。ことに子供たちのためとあらば。
もともとパイロットに関わる実験は、越権行為にならない範囲で可能な限り企画立案から立ち会うようにしている。だから自分の技術部に対する発言力、影響力は意外に大きい。
お陰で、意義の少ない第87回機体連動試験を取りやめさせるのは難しいことではなかった。今頃アスカは格闘訓練だろう。
(原作でのアスカの反応を知った上での対応ではなく、単に経費削減)
「これであの計画、遂行できるわね」
それに、ATフィールド実験に費やす時間が増えていた。作戦部がシンクロ率やハーモニクスを重要視しないことも含めて、当然のごとく他のスケジュールは縮小傾向にある。
「ダミーシステムですか?先輩の前ですけど、私はあまり…」
「感心しないのは解かるわ。しかし備えは常に必要なのよ。人が生きていく為にはね」
さらには、他のパイロットを乗せて、エヴァに悪影響がないか?という懸念を提出した。そのため、このように彼による初号機へのシンクロ追試が優先されたのだ。
「先輩を尊敬してますし、自分の仕事はします。でも、納得はできません」
最後に、作戦部長による技術部長への粘り強い説得工作があった。何のことはない、微細群使徒を殲滅した夜に祝いと称して酔い潰した。というだけのことであるが。リツコさんは佳い酒に目がないのだ。
(「飲んじゃったから、送っていけないわ。今晩泊まっていきなさいよ」などと引きとめた)
リツコさんは約束を守る。たとえそれが、酔って前後不覚になったときのものであろうとも。
「潔癖症はね、辛いわよ。人の間で生きていくのが」
ダミーシステムの名を口にしてから、マヤさんの表情は曇りっぱなしだ。
「汚れた、と感じたとき分かるわ。それが」
ついにうつむいた。
「…」
敬愛する先輩から重要な仕事を任せられているのだろうに、その表情は冴えない。
この試験の主眼がダミーシステムの開発にあることは、秘密でもなんでもない。それは、目の前の師弟が人目もはばからずにやり取りしてるのを見れば判るだろう。
機体相互互換試験は表向き、対外的な名目にすぎないのだ。
だからこそ適当な口実を与えてやるだけで、カモフラージュ目的の他の試験の中止、延期が実現したのだろう。
ダミーシステム。
作戦部はその存在を歓迎していない。仕様を見れば一目瞭然だが、とても作戦行動をまっとうできる代物ではなかった。制御下にない兵器は、敵よりも厄介だ。
できるものなら、かつてエヴァ参号機と対峙した初号機がどんな戦い方をしたか、微にいり細をうがって語ってやりたかった。
もしもの備え。その必要性は判らないでもないから、開発そのものまで妨害する気はないのだが…
つづく
2006.09.11 PUBLISHED
..2006.10.06 REVISED
special thanks to オヤッサンさま シンジasミサトの家族への思いの源泉についてご示唆いただきました
シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾壱話 ( No.12 )
日時: 2007/03/27 18:40 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2
葛城家の夕食は遅い。作戦部長である自分の帰宅がどうしても遅めになるからだ。
「ねえミサト。あれ貸してよ。ラベンダーの香水」
デザートのレモンケーキを食べているのは自分だけ。急いで咀嚼する。
子供たちは夕飯までのつなぎとして食べてしまっているのだ。
「いいわよ。部屋に入って構わないから好きに使って」
気候変動で手に入らなくなったものは多い。本物の生花から抽出した香料なども、そうだろう。
セカンドインパクト前に製造された貴重品を、いろんな意味で彼女が大切にしていたであろうことが、今の自分には判る。
けれど、薄情な自分にとっては、アスカのご機嫌を損ねてまで惜しむ程の価値はなかった。
「ダンケ、ミサト」
「どういたしまして」
使い終わった食器をキッチンへ。
「お茶のお替わり、いかが?」
「あっ…はい」
「ワタシはいいわ」
「…希望します」
「クワっ」
ティーポットにお湯を足して、ダイニングに戻る。
リツコさんの影響でコーヒー党になった自分は、紅茶の入れ方がぞんざいだった。アスカがお替りをしないのは、そのせいだろう。
まず、彼のティーカップに紅茶を注ぐ。
続いて、綾波のティーカップの前、余分に置いておいたマグカップに注いだ。
しばらく置いて、綾波のティーカップに紅茶を移す。すこし待ってマグカップへ。またティーカップへ。
生まれてこのかた、サプリメントと固形バランス栄養食ばかりで暮らしてきたらしい綾波は、若干ながら猫舌気味だった。
(平気な顔してラーメンを食べていたから、原作にそう云う設定はないだろう。ただあの生活環境から充分に考えられることとして加えてみた)
ネグレイトなどで、暖かい食事にあまり恵まれなかった子供によく見られる症状である。
同居当初、食後のお茶になかなか手を出さないので訊いてみたら、熱いのは苦手だと言うのだ。
ラーメンなど、少なめにとった麺を空気にさらして器用に冷ましながら食べていたので気付かなかった。
そういえば、スープの類には手をつけないか後回しにしていたように思える。
冷まし方を教えたので、ふうふうと懸命に息を吹きかける綾波の可愛らしい姿を見られるようになったのだが、できるかぎりはこうして手早く冷ましてやっていた。
…ありがとう。どういたしまして。との遣り取りにアスカが一瞥を投げかけてくる。
やぶにらみ気味なのは、気のない振りなのだろう。それはつまり、不機嫌ではないことの現れだ。
アスカは一見、感情表現豊かに見える。
だが、その多くが演技であることは、アスカが感情を押し隠そうとした時にわかるだろう。
隠すのが下手で、過剰に反応してしまうために攻撃的に見えるのだから。
その姿はまるで、子供を匿った巣穴をふさぐために頭を突っ込むヤマアラシのよう。使うつもりのない棘が、居もしない外敵を意味もなく威嚇するのだ。
あるべき自分を演出して、懸命に取り繕っているつもりでいる。それが惣流・アスカ・ラングレィという少女だった。
「そういえば、アスカ…ちゃんに、お願いがあるんだけど?」
「なに?」
視線だけをこちらに向けたのは、身構えてない。ということだろう。
「デザートの買出しを、アスカ…ちゃんに頼めないかと思って」
「え~!ワタシ、ミサトの手作りの方がいい」
自分の分を注ぐ。
琉球ガラスのカフェオレボウルは、アスカの沖縄土産だ。勝手に使徒を斃した罰。だとか言ってなかなか渡してくれなかったけれど。
夫婦茶碗のような大小2個組みで、小さい方をアスカが使っている。
アスカ自身が気に入ったらしく、2個組みなら丁度いいから。と選んだらしいが、当然のようにあらぬ憶測を呼んだらしい。
手渡されたときに、他意はないわよ。と念を押されてしまった。
「今だって毎日手作りしているわけではないのよ」
ベビーチェアの上にペンペンの姿がない。お茶のお替わりは要らないということだろう。
「お店で買ってくることもあるし、今日のだってマヤ…ちゃんの差し入れよ」
紅茶を一口。
「そうなの?」
そうなのだ。3人の食事はおろかデザートまで手作りしていることを知って、お手製デザートを差し入れてくれたのだった。
「手抜き反対よ!」
「そう言われると辛いんだけど、最近忙しいのよ」
忙しいのは間違いではないが、食事の準備の片手間でやってるデザート作りを削ったところでいかほどのことでもない。
デザートを手作りしていたのは、それが子供に効くからである。お店に並んでいるようなスイーツを目の前で手作りしてやると、子供は魔法を見るように憧れるのだ。
(心理学関係で保育園と小児病棟でのフィールドワークに参加、そこの保育士から学んだ。としている)
主に綾波対策で始めたのだが、親子の触れ合いを知らないという点では3人とも変わりがなく、誰も日々の楽しみにしている節があった。
それを敢えてやめるのは、アスカにいくつか「お仕事」を与えたいと思ったからだ。パイロットとしての任務ではなく、家庭内でのお手伝いを経験させたい。
「職務怠慢ね」
親の事情を察し、家庭の運営に関わっていくことも子供の成長に必要なのだ。
「私が貴女たちを預かっているのは、それが職務だからではないわよ?」
一息ついたので、ノートパソコンを取り出して立ち上げる。
「それはわかっているけど…」
渋っているのは、アスカもやはり親の愛情に餓えているからだろう。彼も綾波も特に口出ししないのは、アスカに同意して任せているからに違いない。
「…この選出の根拠は?」
いや、綾波は不満なのかな?アスカが指名されたことに不服があるのか。
「アスカ…ちゃんが一番お菓子とかお店を知っているからよ」
「…そう」
ちょっと寂しそうだ。
ビープ音に催促されてIDとパスワードを入力。
「ファーストには荷が重いってことよ」
ささやかながら自己顕示欲を刺激されたらしいアスカが、満足げにふんぞり返った。
「もちろん毎日とは言わないわ。休みの日と、その次の日の分は作るから」
次の段階へ移るための踊場。という意味合いもある。作ってもらうことと自ら選んで買い求めることを経験したら、その先には、一緒に作る。という選択肢が待っているのだ。
3人のうちの誰かが、お菓子の作り方を教えてくれと言い出す日が来るのを、ちょっと楽しみにしていた。
肉球印のソフトを呼び出し、ファイルを開く。
「わかったわ。やったげる」
内面の問題が片付いたらしく、アスカが頷いた。
k
「ありがとう。お願いするわね」
a
はいはい。とばかりに手を振って椅子にもたれかかる。
z
不満があればいつまでも文句を言うか捨てゼリフで立ち去るのがアスカだから、気のない振りは照れ隠しでもあるのだろう。
o
…なぜ弐号機パイロットはどういたしましてと言わないの。との綾波の呟きは無視されるようだ。
k
「…レイちゃんも、食べてみたいお菓子があったらアスカ…ちゃんに相談するのよ。
新しいお店とかを見つけたら教えてあげてね」
「…はい」
u
顔を上げて応えた綾波が、ぽつぽつと呟き始めた。自身の能力を正確に推し量れる綾波は、アスカの補佐という地位に満足したのだろう。少なくとも今は。
ディスプレイに表示された数字の群れに、新たな数値を加えていく。
「それで、ミサトはさっきから何やってんのよ?」
「これ?みんなの栄養管理よ」
差し出して見せたノートパソコンには4人の摂取したカロリーや栄養成分、消費カロリーなど事細かに書き込まれている。
「ふうん?まっエヴァのパイロットなんだから、これくらいは当然よね」
自分の記録を遡ってみたアスカが、眉をしかめた。
「何でワタシの履歴、ここに来てからの分しかないの?」
「それ、私がプライベートにつけてる管理簿ですもの」
「ネルフの仕事じゃないの?」
栄養管理を習慣づけるようになったのは学生時代のことだ。
当時、女性の体に慣れなくてしょっちゅう貧血やら生理不順やらを引き起こしていた自分は、その対策としてリツコさんに管理ソフトを組んでもらったのだった。
これはその最新バージョン。MAGI・バルタザールのサポートを受けられる優れモノ。
メルキオールのほうが向いてるのに。と文句をいうリツコさんをなだめて、つい先日に切り替えてもらったのだ。
ま、カスパーよりはマシだけれど。と悪態をつくので、つい貰ったばかりのレモンケーキで口をふさいでしまった。
怒るかと思っていたマヤさんが、なぜか機嫌がよくなったのが不思議だったのだが。
(咀嚼し終えたリツコが「あら、美味しい」と呟いたため)
「違うわ。成長期の貴女たちを預かるんですもの、保護者として普通に必要なことなのよ」
このソフトのお陰でここ8年間ほど体型を維持できているのだが、その延長として子供たちの栄養管理をするのはさほど労力がいることでもない。
しかもMAGIのサポートを受けられるようになってからは、携帯端末のオーガナイザー機能を利用できるので入力の手間も格段に減った。
「嘘おっしゃい。こんなこと普通にやってる親なんて居るもんですか」
アスカは気付いただろうが、4人とも必要なカロリーや栄養成分が違うのである。
「みんな忙しいのよ。それに、あなたたちほど厳密さが必要なわけではないし」
「ほれ見なさい。結局ワタシたちがパイロットだからやってるんでしょうが」
「違うわ。あなたたちがパイロットだからしてるんじゃなくて、あなたたちがパイロットだからしてることに厳密さが要求されるだけよ」
(↑このセリフは解りにくいとの指摘を受けて、↓の補足を追加した)
子供たちがパイロットだから、義務で栄養管理をやっているわけではない。保護者として必要だから、なにより、自分がそうしたいからやっているのだ。ただ彼らはパイロットだから、普通の子供よりも気を配らなければならないだけ。
「私の履歴、開いてみてくれる?もともと8年前からの習慣なのよ」
実際のところ、子供たちの栄養管理を行っているのは司令部に対するパフォーマンスという側面が強かった。
貴重なチルドレンを預かる以上、監督能力があることをアピールしておく必要があるのだ。
医療部に提供することで検診項目を軽減できたり、献立のアドバイスを受けられるというメリットもあるが。
だが、エヴァのパイロットだから見てもらえる。と子供たちに誤解させたくはない。
「…ペンペンのもある」
横手から覗きこんだ綾波がデータを見つけたらしい。それには気付いて欲しくなかったかも。
「なんだかペンギンの方が力が入っているような気がするわ」
それは目の錯覚だ。人間とはパラメータが違うのである。
そもそもこの世に温泉ペンギンの栄養管理ソフトなんて存在しない。ペンペンを引き取った時に一緒に譲り受けた臨床データを元に、リツコさんにでっち上げて貰ったのだ。インタフェースがおざなりなのは仕方がなかった。
「入力項目が違うから、そう見えるだけよ
あの子は遺伝子操作で生み出された新種で、そのうえ実験動物でしょう。栄養管理が大変なの
しかも生魚が嫌いで、必ず焼かせるものだからビタミンも不足がちだし」
嘆息。
よちよち。という感じで歩いてきたペンペンがベビーチェアによじ登る。どうやら棚まで栄養サプリメントを取りに行ってきたらしい。
テーブルの上に置いたボトルからカプレットを数錠取り出すと、水もなしに飲み下した。丸呑みはペンギンの得意技だ。
(原作にこういった描写はないが、実験動物であったペンペンは元々薬漬けではあろう)
「せめて生魚を食べてくれれば、少なくともビタミンCの補給は要らないのにね」
「…ペンペン。好き嫌い…ダメ」
綾波。君が何を言っているのか解からないよ。
「むしろ、あなたたちより難しいのよ」
ちょっと、苦笑い。
ノートパソコンを引き寄せて、今しがたのビタミン摂取を計上。
「天下のチルドレンよりペンギンの方に手間割いてるってわけね」
やっぱり、怒ったかな?
すっと左手を伸ばして、ペンペンのくちばしの下を掻いている。
自身で手入れできない部分を掻いてもらうのは、動物にとって至福だ。
幸せそうに目を細めた温泉ペンギンが、嬉しげにそのくちばしをアスカの手に擦り付けた。
(群を作る動物の中には自分の痒いところを掻いて、掻き返してもらう習性を持つものがある。
このあとペンペンがアスカの口元をあの鋭い爪で掻こうとして騒ぎになるというドタバタ展開の案もあった)
「まっ、ペンギン相手にナニ言っても始まらないか」
ペンギンですら…。その呟きの続きは、空気に溶けて届かない。
…
ペンペンの反応を窺いながらさまよう左手は、いまやその後頭部に達していた。
「ワタシたちがパイロットじゃなくても、やっていた?」
歓ぶ温泉ペンギンのほうを向いたまま。アスカにしては上手な感情の隠し方だ。
「もちろんよ。
そりゃあここまで事細かくする必要はなくなるでしょうけれどね。
私がやりたいから、こうしているの。パイロットかどうかなんて二の次、三の次よ」
それは嘘だと言われれば、返す言葉はないだろう。チルドレンだから引き取ったのは間違いないのだから。
エヴァにかかわった不幸をすこしでも軽減してやりたいという思いに嘘はないのに、それを素直に告げられないのはちょっと、つらい。
「この世に存在するチルドレンを全て囲っといて説得力ないけど、まあいいわ。
それ、ワタシにもアクセスできるようにしといて」
「…私も」
「共有スペースに“葛城”フォルダがあるわ。パスワードは“kazoku”よ」
あからさまなパスワードに当惑したアスカは視線を泳がせた結果、自らの隣りにいけにえを見つける。
「バカシンジ、アンタなに一人でそしらぬ顔してんのよ!」
サーチ&デストロイはアスカの信条だろうか?
「なんだよ!そんなの僕の勝手じゃないか」
パイロットとしての自覚が足りないわ!パスワードは聞こえてたんだから後で見ようと思ったんだよ。…そう、よかったわね。クワっクワワ。などと口ゲンカを始めたので、ノートを閉じてお風呂にお湯を張りにいくことにした。
時は常夏、
日は夜、
夜は九時、
綾波に露みちて、
アスカなのりいで、
彼、床に這ひ、
ペンペン、そこに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
…なんてね。
(もちろん「ピパの歌」より)
****
ぼすぼす。ふすまのノックは間抜けだ。
「シンジ君、ちょっといい?」
『…ミサトさん?どうぞ』
ふすまを開ける。
「夜中にごめんなさいね」
ベッドの上でSDATを聞いていたらしい彼は、上半身を起こしてイヤフォンを抜いたところだった。
「いえ」
彼の前まで来て、床に正座。
「どうかしたんですか?」
「明日のことを聞いておこうと思ったの」
明らかに動揺した彼がSDATを取り落とす。
「明日のお墓参り、気が進まないなら無理に行かなくてもいいのよ?」
「…でも」
かぶりを振る。
「まずシンジ君の気持ちが大切なのよ。大人の都合は後回しでいいの」
「…僕の…気持ちですか?」
今度は首肯。
「お墓参りっていうのは気持ちなの、亡くなった方へのね。だから本人の気持ちが伴っていなければ却ってお母さんに失礼よ?」
本当のところ、墓参りというのは生きている者が己のために行うものだと思う。かつて父さんが言っていたことも、つまりはそう云うことだったのではないのだろうか。
もっとも、父さんの真意は綾波の正体を悟らせない事にあったのかもしれなかったが。
いくら自分や彼が鈍感でも、母さんの写真を見ればそれが誰に似ているのか気付いたことだろう。
気付いたところで、母方の親戚だと誤魔化されるのがオチのような気もするけれど。
それはともかく。
墓参りそのものが嫌でないことは解かりきってる。これは誘い水だ。
「…墓参りが嫌ってわけじゃないんです。その…」
彼の視線が泳ぐ。だが、いくら捜したところで助けになるようなものなどあるはずもなく。
「…父さんが苦手で」
「ご一緒したくないのね?」
彼が頷いた。
「私は父を憎んでいたからシンジ君とは少し違うけど、気持ちは解かるつもりよ」
「憎んで…ですか?」
「私の父はね、自分の研究、夢の中に生きる人だったわ。
そんな父を赦せなかった。憎んでさえいたわ。母や私、家族のことなど構ってくれなかった。
周りの人たちは繊細な人だと言っていたわ。
でも本当は心の弱い、現実から、私たち家族という現実から逃げてばかりいた人だったのよ。
子供みたいな人だったわ。
母が父と別れた時もすぐに賛成した、母はいつも泣いてばかりいたもの。
父はショックだったみたいだけど、その時は自業自得だと嗤ったわ。
けど最後は私の身代わりになって死んだの、セカンドインパクトの時にね。
私には判らなくなったわ、父を憎んでいたのか好きだったのか」
(これを含め、ミサトの言葉をこれほど正確に覚えては居ないだろう。原作そのままの台詞回しは二次小説としてのお約束であるが、本人に憑依しているため一致率は高い。と一応いいわけ)
胸のロザリオを弄ぶ。かつて聞かされた言葉を元に彼女の記憶を掬い上げると、まるで我が事のように胸が痛んだ。
自分が彼女に共感するように、彼女も自分に共感してくれているのなら心強いのだけど。
「一緒に行きたくないなら、時間をずらしていってもいいのよ?
先に行ってお花でも供えておけば、司令にも伝わるでしょうし」
提案の内容を呑みこんで、彼がちょっと呆ける。3年前に逃げ出して以来、別個に行くという選択肢すら思い浮かばなかったのだろう。自分にもそんな憶えがある。
彼が望まないのなら、無理に会わせる必要などないのだ。
ペアレンテクトミーという治療法がある。
気管支炎や喘息、血管神経性浮腫などの心因性の疾患の対策として、子供を問題のある親から引き離す手法だ。
病気の原因になりうるほどに、子供にとって親の存在が大きいということだろう。
それは、逃げるとか逃げないとか、そういうレベルの問題ではない。
彼と父さんの関係に当てはめるのはいささか強引だが、彼の自立に役立ちそうなので参考にしている。
それに、中途半端に相手を理解した気になると、却って後々の傷が大きくなるのだ。
…
「…いえ、折角ですから父さんと一緒に行きます」
しばらく考え込んだのちの、彼の返答は予想外だった。
…
「大丈夫なの?」
はい。と頷いて。
「ミサトさんの話を聞いてて、生きてる間に向き合わなきゃって思いました。
ミサトさん、後悔してるんでしょ。お父さんのこと」
彼の言葉が、胸の傷から彼女の記憶を吹き出させる。2年間の、心の迷宮の軌跡。
それは、ぬか喜びと自己嫌悪を詰めて、後悔で封じた万華鏡だった。
何度でも形を変えて現れ、自分を引きこもうとする。
…
「ミサトさん」
気付くと彼の顔がそばにあった。ベッドを降りてひざまずいている。
いけない。彼女の記憶に囚われて、また泣いたらしい。
ポケットからハンカチを取り出す。楝色のそれは、ほかならぬ彼からの昇進祝いだ。
(楝(おうち)色は、薄めの紫色)
「ごめんなさい。私が出来なかったことをシンジ君がしてくれてるようで、嬉しかったの」
嘘だ。彼女の記憶ゆえに涙した。
でも、本音だった。自分に出来なかったことを彼が乗り越えようとしていることを、心の底から歓んだ。
本当は怖いです。と頭を掻いた彼を抱きしめてあげたかった。
****
ぼすぼす。ふすまのノックは間抜けだ。
(つまり、ミサトの部屋とシンジの部屋がそれぞれ和室でふすま。アスカとレイは洋室)
『…葛城三佐』
「…レイちゃん?いいわよ」
ふすまが開いた。枕を抱えた綾波が入ってくる。
もともとノックも挨拶もなく唐突に入室してきたものだが、アスカに見つかった途端に殲滅…もとい、矯正された。
いつでも来ていいと葛城一尉は言ったのに。と恨みがましくアスカを見つめていた綾波が可愛いらしかった憶えがある。
「先にお布団に入っていてね」
綾波の部屋にベッドが運び入れられた日、彼女のシンクロ率は暴落した。リツコさんがヒステリーを起こす横で、その日一日の出来事を反芻したものだ。
もしやと思って耳元でささやいたのち、急回復したシンクロ率に、リツコさんに詰め寄られたりした。
以来、頻度は徐々に減ってきつつあるが、綾波が寝床に忍んでくるようになったのだ。
ブラシでくしけずっていた髪をネットでまとめ、化粧水を手にしたところで鏡に映る綾波の様子に気付いた。
自分の枕を備えつけ終えた彼女は、体育座りで自分の作業を見守っていたようだ。
「…レイちゃん。こっちにおいでなさい」
無言でやってきた綾波を、鏡台の前に座らせる。
おろしたてのパジャマ姿。
藍染めのグラデーションは、染め残された襟元から白殺し~瓶覗~水浅葱~浅葱~露草と徐々に色味を増してゆき、裾に至るまでに薄縹~縹~藍~納戸~紺と色づいてゆく。青裾濃という伝統的な染め方を現代風にアレンジしてあった。
このご時世、紺掻き職人は少なくて手に入れるのには苦労したが、その甲斐あってかとても似合っている。
このパジャマのように、綾波自身も色を重ねてくれると嬉しいのだが。
(綾波に似合いそうなデザインを、この作品における彼女へのメッセージも込めて考案してみた)
もちろん、この寝間着を与えるまでにも一悶着あった。
普段着など、色々と買い揃えるために連れていったデパート。最後に寄った寝装具売り場を一瞥した綾波は、あれがいいから。と呟いたきり口を閉ざしたのだ。
こうなると綾波は、ATフィールドでも張ったかのように何者をも受け付けない。
その場は仕方なく戦略的撤退を図った。
おそらく、なにか刷り込みでもあったのだろう。綾波にとって、お下がりのあのパジャマが大切なものになったのだ。ライナスの毛布のように。
拘りができることは、子供の成長にとって悪いことではない。自我が芽生えた証拠でもある。
ただ、毎日洗濯すべきパジャマに拘られると不都合があった。洗い替えがないのだから。
そうして本日、バスルームにて再戦と相成ったのである。
この日のために用意された専用言霊決戦兵器「毎晩着ると傷むわよ」は、綾波のATフィールドを完膚なきにまで粉砕。
すかさず繰り出した「一所懸命探したの、…レイちゃんに似合いそうなパジャマ」はプログナイフより滑らかに綾波のコアを貫いたようだ。
こうして、用意しておいた寝間着を装備させるに至ったのであった。
ブラシを手にして、色素のない綾波の髪をくしけずる。
太陽光では浅葱色に見紛う綾波の頭髪は、暖色の蛍光燈の下で淡い菖蒲色に見えた。
「…なぜ」
「こうして毛先を揃えておくと髪が傷みにくくなるのよ」
「…すぐにまた乱れるわ」
「そうね。でも小さな積み重ねが大きな違いに育つのよ」
「…解る気がする」
ブラッシング中でもお構いなしに頷くので油断ならない。
しゅっ、と髪を梳く音だけが部屋を満たす。
…
「…碇君が、お母さんって感じがした…と」
そういえば、自分もそんな事を言った憶えがあった。
「…主婦が似合ってるかも…と」
…
「そう。それで…レイちゃんはどう思ったの?」
こちらが微笑むのを鏡越しに見止めて、綾波は頬を染める。
「…頬が熱くなりました。私、恥ずかしかったの?。…なぜ、恥ずかしいの?」
当時はてっきり怒らせたものだと思っていたが。それとも前回とはちがうのか。
「…それは、自分の将来を想像したからじゃあないかしら」
「…将来?」
「ええ。男の人に惹かれて、結ばれて、子供を産んで。女の子の幸せの一つね」
しゅっ、と髪を梳く音だけが部屋を満たす。
「自分がそうなった姿を想像したんじゃない?」
「…わからない」
しゅっ、と髪を梳く音だけが部屋を満たす。
「男の子が女の子にそういうことを言うのは、その子にそうなって欲しいから。その相手が自分だと良いと思うからよ」
(当時の自分の心理・動機を分析したわけではなく、綾波に将来というものを考えさせるための誘導)
綾波の体がこわばった。
「…碇君は、私とそうなりたいの?」
鏡越しに苦笑を見咎められてしまった。
自分もそうだったが、彼も特に深い意味で言ったわけではあるまい。単なる場つなぎ、その場しのぎだ。
「シンジ君はそこまで具体的に考えているわけではないと思うわ。
でも、…レイちゃんとのそういう可能性を考えることがやぶさかではないのね。
好ましいと感じているのよ」
「…好ましい?」
「女の子として魅力的ってことよ」
こわばりをほぐすように、あいた手で肩をなでてやる。
「…魅力的。人が人に感じる憧憬。
異性をひきつける要素をもつこと。
…異性。違っていて惹かれるもの。
結びついて補うもの。つがい。
…つがい。人の絆の一形態。
補完された異性。
ヒトの単位。
次代を生む組合せ。
異性に求められること。
それはヒトとしての悦び。選ばれたことの歓び。補完されることの喜び。
そう。私、求められたことが嬉しいのね」
ぽつぽつと呟いていた綾波が、視線を上げた。
髪を梳きすく仕種を目で追う。
しゅっ、と髪を梳く音だけが部屋を満たす。
…
「…私は、葛城三佐が、お母さんって感じがする。…なぜ?」
鏡越しにこちらの様子を伺っていた綾波が、探るように視線を合わせてくる。
「あなたたちが居るからよ」
「…私たちは葛城三佐の子供じゃない」
いいえ。と、かぶりを振る。
「血の繋がりは関係ないわ。
子供がいて、見守るものが居る。それが親子よ。
親という字は、木の上に立って見ている。と書くでしょう。それは、子供を心配している姿なのよ。
逆に、血が繋がっていても親子じゃないものも居る。親であることには自覚と努力が必要なの。
私の父親やシンジ君の父親は自覚のない親ね」
左手で、胸にさげたロザリオを弄ぶ。
「…碇司令は父親ではない?」
「そうね。子供を見ない親は親ではないわ。
親子の絆は固いけれど、それはヒトが最初に与えられる絆だから、もっとも長い時間をかけて育まれる絆だから。
それを投げかけてあげられない者は、親ではないわ」
彼女の記憶、自分の記憶。十文字に交わって形をなした錨が、左手の中で重い。
深みへと引き摺られて、浮き逃れるあぶくのように涙を搾り取られそうになる。
「…私、碇君に言った。碇司令の子供でしょ、信じられないのお父さんの仕事が。と」
ぶってしまった。と見つめているのはその右の掌。
(IDカードを届けるイベントは起こってないが、同居しているため行動半径が重なり、再起動試験前のビンタイベントは発生していた)
「…私、羨ましかったの?私よりも確かな絆を、碇君が持ってるように見えたから?」
きゅっと握りしめた。
「…私、怒ったの?碇君がそれをないがしろにしているように思えたから?」
かすかに震えている。
「…そう。私、妬んだのね」
何かを求めるように、おずおずと開かれた。
自らの裡の暗い情念に、綾波は初めて気付いたのだろう。
大丈夫だよ、綾波。それはヒトならば必ず通る道なんだ。
綾波の、成長の証なんだよ。
「…私、何も知らないのに。自分本意に思い込んで、一方的に碇君を…傷つけた?」
さまよった綾波の右手が、ロザリオを握りしめた左手に触れてきた。
心なしか、十字架がその重みを減じたような。
「どうかしら」
傷ついたわけではなかった。ただ驚いて、解からなくて、落ち込んだだけだった。
今なら解かる。あれが綾波なりの拙いパトスの発露だったことに。外界を受容して内面に生まれた、綾波の心のさざなみだと。
「…こういう時、どうしたらいいか知らないの」
「言わなければ良かったと思ってる?」
こくん。
「なら、謝ればいいの「ごめんなさい」って。過ちを認める言葉、謝罪の言葉、赦免を請う言葉よ」
「…赦さ…れる?」
「赦してもらえなくても、まず謝罪することが大切なの」
涙を押しとどめて、鏡の中の綾波に微笑みかける。
「一時の感情がその人のすべてではないわ。だから、人は赦すことを憶えるの」
それは、本当に綾波に向けた言葉だったのだろうか?
なぜか、こわばっていた左手が自然とほどけてゆくのだ。
「大丈夫。シンジ君は赦してくれるわ」
音をたてて、銀のロザリオが滑り落ちた。
「もし、赦してくれなくても、それもまた一時の感情なの。それがシンジ君のすべてではない」
その掌に刻まれるように残された十字架の跡。たとえ今は消えなくとも、生きていけば、いつか。
「そのときは、…レイちゃん。あなたが赦してあげるのよ」
…はい。と頷く綾波の体を、ぎゅっと抱きしめた。
****
「そろそろお暇するわ。仕事も残っているし」
リツコさんが一足先に帰ったとき、唐突に綾波のことを思い出したのは、彼女に隠れて見えなかった位置に活けてあった紫陽花の色のせいか。
かつての記憶では、この日。綾波は父さんと行動をともにし、しばらく学校を休んでいる。
作戦部に提出された予定では定期的な精密検査となっていたが、健康面の管理者たるリツコさんが居なくて誰が、何を検査しているのだろう?
昨晩、綾波が寝所にもぐりこんできたのは、それと無関係ではなかったかもしれない。気付いてあげるべきだった。
「なに、考えてるんだ?」
ロックのグラスを、カランと鳴らしてキザに。加持さんだ。
視線の先の紫陽花をなんと見ただろう。
「子供たちのことよ」
学生時代の友人の、結婚式の帰り。ホテルの最上階ラウンジで、3人だけでの3次会だった。
(原作ではおそらくジオフロント天蓋部のビルの最下層ラウンジと思われる。当然ネルフ関係者しか入れない=ホテルなどの民間施設ではない。と推量した。
原作と舞台が違うのは、この後加持にアタックするミサトの都合に拠る
※↑の考察は実は私の勘違いでした。ガイドブックに拠ると、原作TVのラウンジは元箱根にあるそうです。翻訳者さんにご指摘いただきました。m(_ _)m)
「つれないなぁ。こんな佳い男が隣りに居るっていうのに」
TOKYO-3のグラスに口をつける。
ウォッカベースにミルクとフランジェリコの2層仕立て。表面に各種ナッツパウダーで描かれる図形は毎回異なるらしく1杯目はアーモンドのハートで、2杯目はピスタチオの花。今回はヘーゼルナッツの星だった。
(こういったものが有っていいだろうということで、第3新東京市をイメージしたオリジナルカクテルを考えてみた。ネルフの士官ラウンジだと、ネルフマークとか描かれるかもしれない
完全な想像の産物なので、このレシピで2層仕立てにできるかどうかは不明)
強いアルコールを甘さと香ばしさで覆い隠した、まさに第3新東京市のようなカクテルだ。
(憑依者の精神活動はその肉体の脳機能にそれほど依存していないので、飲んでも酔わない。ただ肉体そのものは酔うため、肉体と精神の乖離が激しくなり不快感・不安感を伴う。ミサトはそのコトを知らないため、単に飲酒は不快な物としか認識していない)
「母親は子供が最優先よ」
一口ごとにミルクとフランジェリコの混ざり具合が変わって、口当たりを変えてゆく。それを愉しんでいるうちにウォッカに殲滅される。そんなレシピだった。
「すっかり母親稼業が板についたな」
「…意外だった?」
「ああ」
出会ったときはまるで男だったからな。と傾けるグラスの中で、同意してか氷が鳴る。
初めて加持さんに出合った時に突きつけられたのは、かつて彼女と加持さんが付き合っていた事実だった。
今から思えば迂闊だったとしか言いようがないが、その姿を目にするまですっかりそのことを失念していたのだ。
いや、憶えていたとして、じゃあ加持さんと女として付き合えるか?と問われれば、そんな覚悟はとてもできない。と答えるしかなかっただろうが。
いま考えればたいしたミスではないと思えるが、当時の自分は違った。
男女のなれそめとしては最低の部類に入る出会い方をしてしまい。歴史のボタンを掛け違えてしまったと思い詰めて動揺し苦悩し絶望した。
たまたま月の障りが酷かったことも重なってすっかり自暴自棄になり、1週間も閉じこもったのだ。
リツコさんが様子を見にきてくれたことで立ち直り、最終的には加持さんとの友情も結ぶことができたが、この一件はかなり尾を引いて自分を苛み、以降の交友関係に影を落とした。
特にドイツ第3支部勤務時代など、かつての知己としては3人目となるアスカに対して中途半端な態度を示してしまったことを、今でも悔やんでいる。加持さんと交渉のない今回、アスカと打ち解ける最大の機会だったというのに。
結局この呪縛が解けたのは、無事に作戦部長を拝命し、第3新東京市に赴任してきた時だっただろう。大勢のかつての知己との初対面に、多少の人間関係の誤差などどうでもよかったのではないか?と考えられるようになったのは。
「最悪の出会いだったわよね。私たち」
「…そうだな」
飲み干したグラスを掲げて、ボーイを呼んでいる。
かつての加持さんの行方を、自分は知らない。留守電の内容と彼女の態度から、死んだのではないかと推測できるだけだ。
彼女が大好物のビールを一切口にしなくなったほどの出来事とは、それぐらいではないかと。
(これは勘違い。ミサトは加持の死後もビールを飲んでいる)
…………
『遅いなぁ、葛城。化粧でも直してんのか?』
『京都、何しに行ってきたの?』
『あれぇ松代だよ、その土産』
『とぼけても無駄、あまり深入りすると火傷するわよ。これは友人としての忠告』
『真摯に聴いとくよ』
…………
さっき席を外した時、自分のバッグに仕掛けておいたマイクが拾った会話。
こんなこともあろうかと仕組んだ、真ん中の席。
(原作でも真ん中だったが、もしかしてそっちもそう云う意味だったのでは?)
加持さんがスパイであるのは間違いがない。上層部がそれを把握していることも。
彼が死んだとすれば、原因はおそらくそれだろう。
問題は自分がどうしたいか、だが。
いや、もちろん救けたい。自分にとっても加持さんは大切な人だった。
恋人であった彼女にとっては言うまでもなかろう。
かつて、泣き崩れる彼女に対して、子供だった自分は何もしてあげられなかった。
それが慰めになるというのなら、減るもんじゃなし、肉体なんかいくらでも与えればよかったのに。
(これも勘違い。本当は綾波自爆後の話。ミサトに何もして上げられなかったという後悔が強く、こうした勘違いは多い)
傷の舐め合いすら怖れた自分の臆病さに、今更ながら反吐が出る。
だから、彼女の体を借りている今、彼女の代わりに全力を尽くすことは必要なことだと思われた。
蘇比色のワンピースは優しいオレンジの色合いで、一番のお気に入り。
(原作で、セリフだけ登場したもの。栄養管理ソフトで体形が維持できているので着られる)
合わせたボレロは深めのグリーン。深木賊色。
花橘と呼ばれる伝統的な配色を、自分なりにアレンジしてある。
銀色のロザリオには不似合いだが、それは致し方ない。十字架から逃れ得るはずもなく。
まとう香りはカーブチーと月桃のブレンド。綾波の沖縄土産の香袋は、このコーディネートのためにあつらえたかのようだ。
(沖縄の伝統的な香り。カーブチーは柑橘系、月桃はグリーングラス系の香り)
「加持…君。…私、変わったかな?」
高いヒールは苦手だけど、今日は我慢。
イヤリングで耳が痛いけど、それも我慢。
(このミサトは、ピアス穴を開けてない)
「綺麗になった」
奨められるままに使徒殺しの異名を持つカクテルを干したのは、覚悟したからだ。
「…あなたは変わらないわね。ふらふらとしてて、いつ居なくなるか判らない」
彼女に出来なかったことが自分に出来るとは思えない。だが彼女の知らない結末を知っていることがアドバンテージになるはず。
「…お酒、好きじゃないの知っているでしょう?甘いのを奨めてくれてありがとう」
(このミサトが酒を飲むこと自体珍しい。なので、おすすめを訊かれた加持は口当たりや飲みやすさを優先に幾つか候補を挙げた。その中にウォッカベースの強いカクテルがあることを見てとってミサトが選んだ)
さっき席を外した、本当の理由。1階のフロントまで往復してきたから。
「…私は、あなたの錨になれるかしら?」
(これはもちろん「碇」とかけてあるが、ミサト自身は意図して言ってるわけではない)
13年目にして、ようやくできた覚悟。
カードキーをカウンターに置いた。
つづく
special thanks to ジョニー満さま(@johnny_michiru)
ジョニー満さん(@johnny_michiru)に、この話のイラストを描いて頂きました。ありがとうございました。
(パジャマ姿の綾波が最高に可愛いです。d(>_<))
Twitterで、dragonfly(@dragonfly_lynce)を検索してみてくださいませ。
special thanks to ジョニー満さま(@johnny_michiru)
ジョニー満さん(@johnny_michiru)に、ミサトの勝負服姿のイラストを描いて頂きました。ありがとうございました。
(とても似合ってるのに決死の覚悟な表情で雰囲気を台無しにしちゃうミサト(シンジ)が愛おしいです d(>_<))
Twitterで、dragonfly(@dragonfly_lynce)を検索してみてくださいませ。
2006.09.19 PUBLISHED
..2006.11.02 REVISED
2021.05.20 ILLUSTRATED
2021.10.16 ILLUSTRATED
シンジのシンジによるシンジのための補完 第拾弐話 ( No.13 )
日時: 2007/02/18 12:32 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2
その背中に銃口を突きつけた。
ちらり、と向けられる視線。
「やあ、男にフラレたヤケ酒の味はどうだった?葛城」
ゆっくりと差し上げられる両腕。右手には赤いカード。
「飲むわけないでしょ、お酒嫌いなのに。昨日は夜通しアスカ…ちゃんに慰めてもらったんだから」
(「慰めてもらった」と言うほど積極的にアスカが何かした。と云うワケではない。自室に乱入してきたミサトのグチをいくらか聴き、なだめて一緒に寝たという程度。ただ前述した通り飲酒は憑依者の不安感を増大させるので、泣き上戸が酷い)
ぐりぐりと銃口を押し付けて、苛立ちを演じる。
加持さんを陥とせなかった自分が次に打った手は、それをアスカに対して利用することだった。
それがなんだか後ろめたくて、ついつい手に力がこもる。
「そうか、それじゃあ貸しは返してもらったことになるかな?」
嘆息。しようとして、うかぶ疑問。
「貸しってなに?」
「あっ、いや…」
なんだか話しにくそうだったので、銃口を後頭部に突きつけなおしてお手伝い。
「…いや、なに。アスカに頼まれて葛城の執務室のロック、外したことがあってな」
そうか。どうやって開けたのか謎だったのだが、加持さんの仕業だったか。言われてみれば確かに、この人以外にはありえないと解かるのだが。
余計なこと、と言い切れないのがまた腹立たしい。あの件は、ドイツ時代の失点を補うに充分であったろうと思えるから。
ぐりぐりと照星部分で念入りに。今度は演技ではない。
あいたた、と声をあげる加持さんのわざとらしいこと…
…
嘆息。
「まったく、一世一代の覚悟だったのに」
銃口をそらす。セィフティは外していない。もとより撃つつもりなんかないのだ。
「3人の子持ちのマリア様じゃ、俺の手に余るんでね」
ホント信じられない。と拳銃をしまう。
こいつは勲章代わりに貰っとくがね。と赤いカードの後ろから扇状にスライドして見せるホテルのカードキー。プラスチック繊維製のカードは、一晩限りの使い捨てである。
昨夜の決意が、殺意に変わりそうだ…
…
地下2008メートル
ターミナルドグマ
「これが貴方の本当の仕事?それともアルバイトかしら」
こめかみを押さえて、冷静さを取り戻そうと必死に努力する。
「どっちかな」
LCL生産プラント、第3循環ラインの表示が赤い。
「特務機関ネルフ特殊監査部所属、加持リョウジ。同時に、日本政府内務省調査部所属、加持リョウジでもあるわけね」
バレバレか。と加持さんが顎をしごく。
「ネルフを甘く見ないで」
「碇司令の命令か?」
持て余した赤いカードを手の上で躍らせている。
「私の独断よ。これ以上バイトを続けると、死ぬわ」
「碇司令は俺を利用してる。まだいけるさ」
なるほど。単なる内調のスパイではなくて、ネルフ側からのスパイでもあったわけか。ダブルスパイともなれば死ぬ理由には事欠くまい。
「だけど、葛城に隠し事をしていたのは謝る」
「昨日のお礼に…、」
つい本音を言いそうになった。覚悟はしたものの、完全に女になりきることに不安がなかったわけではない。
しかも、相手は加持さんなのだ。いろんな意味で抵抗が多かった。
おそらくは、そう云った自分の不安を嗅ぎ取ってくれたのだろうが。
いや、二人の出会いを考えれば、加持さんが未だに自分のことを女と見做してない可能性もおおいにあるか。
出会って暫くしたころ、母親に会いにゲヒルンに行く。というリツコさんにかなりしつこくおねだりした。
ジオフロントがどうなっているのか、この目で確かめたかったのだ。会えるものなら綾波にも会いたかったし。
(このシリーズではミサトの身長は170センチ程としている。原作では160センチとなっているがそれではシンジの身長が140センチ以下と小学生なみになるため、せめて中一の平均150センチぐらいにはしたかった)
傍目には、嫌がる女に執拗につきまとうナンパ男に見えただろう。
(170近くあり、ろくに櫛も通してない長髪で目元は隠れ、ジーンズにダンガリー等の色気とは無縁の恰好。胸が揺れることに慣れることが出来なくて胸元を締め付けるような真似すらしていたかも)
事実、そう見えたという加持さんの手によって殴り飛ばされたのだが。
いきなり顔を殴られたことに驚く暇もなく、殴りつけてきた相手が加持さんだということに驚かされた。
次いで、彼女と加持さんが付き合っていたことを思い出して、愕然とする。
二人のなれそめは想像するしかないが、少なくともこんな最低の出会いではなかっただろう。
加持さんとの関係は修復不能だと思い込んだ自分は、もう世界を護ることができないと早合点して、泣きながら逃げ出した。
(この泣き顔は、加持に少なからずインパクトを与えた。としている。元カノでもなんでもないこのミサトに対して加持が心を寄せる根源がこの辺にある)
我ながら短絡にもほどがある。
それはともかく。
やり直せることの嬉しさに舞い上がっていた自分は、このときに冷水を浴びせかけられたのだ。
使徒襲来までの13年間。自分が確かな指針は何も持ってなかったことに気付かされたといってよい。
それ以上のイレギュラーの発生を恐れて、なるべく彼女らしく振舞おうとした。酒は好きになれず、車にも興味が持てず、かなり無理をしていたような気がする。
彼女が通ったであろう見えない道筋を探して、歴史を変えてしまうことに怯えて過ごした10年だった。
無事にネルフの作戦部長に納まった今なら、使徒襲来という大事件の前に、一個人の交友関係などにどれほどの意味があるだろう?と開き直れるのだが。
「…無礼を詫びさせるまでは生かしといてあげようかしら」
左手の中に消した赤いカードを、右手から取り出している。
先刻にからかわれた時も思ったが、相変わらず器用なヒトだ。
(手品師的な起用さはオリジナル設定)
「…そりゃどうも。だが、司令やりっちゃんも君に隠し事をしている。それがこれさ」
加持さんがスリットにカードを通すと、ロックが解かれて隔壁が開き始めた。
…
十字架にかけられた白い巨体。
「これはエヴァ?…まさか!」
「そう。セカンドインパクトから全ての要であり始まりでもある。アダムだ」
「アダム。あの第1使徒が、ここに…」
こいつの姿は一度だけ見たことがある。カヲル君を殺した時だ。
拳を握り締めて、痛みに耐える。今は記憶に囚われて泣くべきところじゃない。
ぎりぎりと、右奥の義歯が悲鳴をあげた。
だが、白い巨体の前に彼の幻影が見えてしょうがないのだ。
友達を殺した記憶を封じようとして、白い巨体から目を逸らそうとした時だった。脳裏に浮かぶ友の姿に違和感を覚えたのは。
あの時、カヲル君は驚いていなかったか?打ち倒した弐号機の向こうで、彼は立ちすくんでいたのではないか?
彼は何に驚いたんだ?おそらくは求めていたであろう物にたどり着いて、なぜ立ちすくんだのだ?
(これは勘違い。弐号機を退けるまでそれなりに時間がかかった筈で、それだけの間カヲルが何も起こさなかったこと、自分を待っていたように見えたことをそう解釈した)
何かが違っていたのだろうか?
手懸りを求めるも、白い巨人からは何も読み取れない。あの時と違うのは、槍が刺さっていて下半身がないことくらい。
槍がないことに驚いた?下半身があることに驚いた?
違うような気がする。
槍があることに驚くなら、下半身がないことに驚くなら、理解できる。
思っていたような姿じゃなかった?
目前まできていて、それは間抜けすぎる。
アダムが流す血。なぜか赤いその体液はとめどなく滴り落ちて、赤い湖に注ぎ込む。
そもそも彼は何のためにここまで来たんだろう?
アダムに会いに?
アダムにまみえたあと、彼はろくな抵抗もせず、いやむしろ進んで、自分に殺された。
アダムに会って、それで満足だった?
思い残すことがなくなったから、死んで構わなかった?
いや、あの時点で彼は積極的に死を選んだように思える。
生と死が等価値なら、なぜ彼は死を望んだのか?
死を選ぶためにここまで来たのか?
わざわざ死に場所を探していたのか?
生を選ぶためにここに来たのではないのか?
生を望むために来ていたのなら、その目的はアダムだっただろう。
死を選ぶための目的がアダムなら、自分の手にかかる必要はなかったと思えるから。
つまり、彼は生を掴めなかった。ゆえに死を望まざるを得なかったが、それをアダムは与えてくれなかった。ということではないだろうか?
それは、アダムが彼に生を与えてくれなかったということだ。
では、何故アダムは彼に生を許さなかったのだろう?
これは、いくら考えても答えの出る問題ではない。情報が少なすぎるのだ。
ただ、アダムと使徒の接触がサードインパクトを生じなかったことについて、類似の事例があった。
かつて、この槍を精神汚染使徒に対して使った時だ。
『アダムとエヴァの接触はサードインパクトを引き起こす可能性が!』
彼女の懸念は黙殺され、槍が使われた。
これから考えられる推論は二つ。
一つは、アダムと使徒の接触がサードインパクトを起こすというのが、嘘の場合。
だが、これはカヲル君が驚いたことに合致しがたい。
一つは、これがアダムだということが、嘘の場合。
嘘の理由はわからないが、彼が驚くに値すると思う。驚愕ってことだ。
どちらも嘘。という可能性すら存在するが… そこまで疑っていては推測すら始められない。
おそらく、これはアダムではないのだろう。
アダムに似て非なる者。使徒を誘引する物。つまり、第一使徒と同格のモノ。
だとすれば、これこそが彼女の言っていたヤツなのかも…
(むしろミサトからリリスのことを聞いていたからこそ、この推論に辿り着いた)
「確かにネルフは私が考えてるほど甘くないわね」
正直な感想だった。
さて、当面の問題は加持さんの処遇だ。
彼がこれを本当にアダムと思っているのか、それとも承知の上で嘘をついているのかは判らない。
嘘をついているなら、こちらがその嘘に気付いたことを悟らせるべきではない。
本気で思っているなら、不用意な情報を与えるべきではない。
…
いや、そういえばスイカ畑で教えられたことがあったか。
『使徒がここの地下に眠るアダムと接触すれば、ヒトは全て滅びると言われている。サードインパクトでね』と。
…
だが、いずれにしろ情報が少なすぎて、加持さんがどう動くか予測するのは難しい。
色仕掛けも通用しなかったし、どうすれば彼を救えるだろう。
それとも加持さんの命は諦めて、情報を引き出すことだけに専念すべきだろうか?
悩んでいる暇はない。いつまでもここでこうしているわけには行かないのだ。握りしめたロザリオは、往くべき道を指し示してはくれない。
どうすべきか決めかねたまま仕方なく、用意していた最後のシナリオを開く。
拳銃を抜き、セィフティを外して、狙いをつける。ここまでを一動作で済ます。いや、その間に視界がにじんで、狙いはあいまいだ。
「特殊監査部所属、加持リョウジ。
あなたを旧伊東沖決戦時の敵前逃亡・立入禁止区域への無断侵入・作戦部長執務室への不法侵入幇助・なにより絶世の美女を袖にした罪で銃殺刑に処します」
銃口を突きつけられているのに、加持さんのにやけ顔はこゆるぎもしない。まあ、この状態では当たるものも当たるまいから当然か。
「そいつぁ困った。情状酌量の余地は?」
「絶世の美女に恥をかかせた時点で、微塵も」
言葉尻に被せるように、即答。
自分で言っていて恥ずかしい。頬が熱くなってきているのがわかる。彼女なら心の底から臆面もなく言い放つのだろうが。
これは、必要なゆとりなのだ。真剣でなければ、相手の心を揺るがせない。しかし、譲歩の余地もないと思わせてしまっては、却って頑なにさせてしまう。
そのために用意した、隙だった。
「司法取引ってのはどうだ?」
つまり、知ってることは話すという意味だ。ちょっと考えるふり。
「情報によるわね」
「こいつに見合うだけのネタは約束するよ」
いつの間にやら指先に挟んで、ホテルのカードキー。
!
思わず引き鉄を絞りそうになって銃口をそらす。念のため初弾は空包にしてきたが、この距離では木製弾頭でも安全とは言いがたい。
(オートで空包撃つと圧力不足で動作不良を起こすらしいけど、そのことは織り込み済。としておこう)
「からかわな¨い …で .... 」
恥ずかしさに染めた頬を、怒りのせいだと強弁するために怒鳴りつけた言葉尻が、勢いを失った。てっきり、にやけ面をほころばせていると思ったのに。
見たこともない、真剣な眼差し。恐いくらいに。
こんなにまっすぐに見つめられたことは、ついぞなかったように思う。
あのカードキーは、自分にとっては覚悟の象徴だった。
自分の覚悟を、加持さんはどう受け止めてくれたのだろうか。
銃口など眼中にない。という風情で間を詰めた加持さんが、目尻を拭ってくれる。人差し指の背ですくい上げる仕種が、なぜかちっともキザったらしくなかった。
思わず下がった銃口を、肘を曲げてひきつける。結果が出るまでは、芝居の幕を引くわけには行かない。
「思い詰めるとそいつを握りしめる癖は、変わらないな…」
加持さんの手は、意外にも熱かった。視線を外してくれないから確かめられないけれど、いま左手を包み込んでくれているのが加持さんの手であるならば。
そのまま一本一本と指を解かれて、ささえを失ったロザリオが胸元に、ことん。
肝に銘じとくよ。と加持さんが一歩下がった。
…
なにを。と問い質そうとする気配を察してか、くしゃりと戻るにやけ面。
「それに、葛城には貸しがひとつ、あっただろう?」
ぱちん。と音が聞こえてきそうなウインク。
ものの見事にはぐらかされてしまった。この雰囲気から話題を戻す技術も神経も自分にはない。
貸し。…周辺地域に甚大な被害を及ぼした落下使徒戦。その後始末についてだろう。
当然のように寄せられた関係各省からの抗議文と被害報告書。周辺自治体からの請求書。広報部からの苦情。それらを片付けるアイデアを与えてくれたのだ。
(実際にはこのミサトは事務処理能力も高いので、さほど苦労はしなかっただろうが)
一言で云えば「MAGIにやらせろ」でしかないその提案は、口で言うほど容易くはない。
MAGIの使用権限は厳密に割り当てられていて、事務作業のような優先順位の低い案件を割り込ませる余裕はないのだ。
だが、受け取ったメモリデバイスには、監査部が保有していて使用していない権限枠の一時譲渡、作戦部長が事務作業に忙殺されることによって使徒戦に及ぼす悪影響の考察が正式な書類として作成されていた上に、承認済を示す副司令の電子サインまで取得済だった。
副司令自らが最終的に調停役として矢面に立つことを確約する覚書まで添付されているのを見た時は、そのあまりの手回しのよさにめまいを覚えたほどだ。
いたれりつくせりである。
あそこまでされてしまうと、他の手段は採りようがない。
セィフティをかけて、拳銃をしまう。
「…押し売りっぽい貸しだったけど、まあいいわ。
アスカ…ちゃんがおやつ当番なの、最低でも週に1回の差し入れ。それが遂行されているあいだ執行猶予」
「了解だ。刑に服そう」
これは儀式だった。素直でない大人が本音を隠して物事を進めるための。
「執行猶予中に許可なく死なないでね」
「真摯に聴いとくよ」
****
#2 (時系列としては、ここに補間#2が入る)
****
『レイ、シンジ。用意はいい?』
第3新東京市の外れ。偵察機から送られてくる映像の中、長方形の穴を取り巻くように立つ3体の巨人の姿がある。それぞれに構えているのはノズル付きのホース。
『うん、いいよ。アスカ』
『…ええ、いいわ。弐号機パイロット』
『ちっが~う!ワタシのことはアスカと呼びなさいと言ったでしょ、レイ』
被さるようにアスカの大声。
『…わかったわ。…アスカ』
『それでいいのよ』
アスカは昨晩の約束をもう実行してくれたようだ。即断実行で実にアスカらしい。
声音に多少の照れが窺えなくもないが、やるとなったら割り切って行えてしまえる。それが惣流・アスカ・ラングレィという存在だった。
『ミサト。こっちはいつでもOKよ』
そして、そうゆう時のアスカは実に頼もしい。
「よろしい。作戦開始の合図があってランチャーからミサイルが発射されたら、あとの細かい判断は各自にまかせるわ」
『わかってるわ』
『はい』
『…了解』
やっぱり好きなんだ。何の話よ?…葛城三佐は待ち伏せが好き。との無駄話はつとめて無視だ。
(↓この作戦を待ち伏せと言えるかどうかは微妙)
天井を除去した第07吸熱槽をドレーンして確保した空間に、厚めに硬化ベークライトを敷いてある。こういうこともあろうかと、最上層の吸熱槽のいくつかは上面装甲板を取り外せるように手配してあった。
「それでは、コンバットオープン。アタックナウ!」
エヴァたちが遠巻きに見守るなか、中央に設置されたランチャーが対空ミサイルを吐き出す。MAGIに誘導され、市街地上空へ。
第3新東京市ゼロエリアにて悠然と浮遊していたゼブラパターンの球体は、ミサイルが接触したと思われた瞬間に忽然と姿を消した。
(この作品がギャグ寄りかメタなら、ここは是非カゲスターパターンと表記したいところだった)
「パターン青。第07吸熱槽中央部です」
直径六百八十メートルの真円の闇が吸熱槽の真ん中に現れるや、たちまちのうちにランチャーが呑み込まれていく。
『『『 フィールド全開! 』』』
3人が協力して織り上げたATフィールドは肉眼で確認できるほど視界をゆがませて、黒円を覆い尽くしたことを誇示した。
『ゲーヘン!』
アスカの合図とともに、3機のエヴァがそれぞれ保持するホースから赤い液体がほとばしる。硬化ベークライトだ。吸熱槽内壁のバルブからもベークライトが噴射された。
囮を襲って落とし穴に入り込んだところを押さえつけて蓋をする。
殲滅方法の見当もつかないこの使徒の封印をもくろむ。それがこの作戦、バードライムだった。
吸熱槽の半ばまでを覆い尽くして、用意していたベークライトが尽きる。完全に硬化するまで今しばらくの時間が必要だ。
直径680メートル、厚さ約3ナノメートル。その極薄の空間を内向きのATフィールドで支えたディラックの海。虚数空間が使徒の正体だとリツコさんが推測した。
(光速度を軸に物理法則が反転した空間で己を保つことは、例え使徒でも難しいとして、レリエルの展開するディラックの海は正式な虚数空間ではない。としているが、主人公がエヴァに乗らないこの作品ではそのことに言及していない。
このシリーズ特有の虚数空間の解説はユイ篇や初号機篇で詳しい)
ATフィールドで支えているなら、中和すれば斃せるのではないか?と考えないでもないが、ではフィールドを中和された今までの使徒がそれだけで斃せたかといえば、否と答えるしかない。
第一、かつてこの使徒を足止めしようとしたとき、そして呑み込まれたときに、フィールドの中和はさんざん試したのだ。フィールドを中和して攻撃を行い、それで使徒を斃せれば呑みこまれずに済むだろうと死に物狂いで。
結局、有効な対策が思いつかないがための苦肉の策だった。
…
……
「ベークライト、完全硬化を確認しました」
「フィールド、解消して」
『…葛城三佐!』
「パターン青。零号機の直下です!」
『レイ!』『綾波っ!』
前面ホリゾントスクリーンが零号機を映し出す。黒々とした底なし沼に、すでに太腿近くまで呑みこまれていた。
吸熱槽は直方体だから、周辺に三機配置すると一機が突出する形になる。洞察力があるからと、そこに綾波を配置した自分のミスだ。
『…呑みこまれた部位の感覚喪失。こちらの行動に対し高い粘性抵抗が見受けられますが感触がありません』
(虚数空間の無重量・真空を、感覚の喪失として受け取った。ということ。粘性抵抗は実数空間との境界面で発生している)
「シンジ君!ATフィールドを足場に零号機の救出。放り投げて構わないわ。アスカ…ちゃんは受け止めて」
『はいっ!』
吸熱槽の上を初号機が駆け出す。目に見えぬ橋を自ら架けて。
零号機も、無抵抗に呑みこまれているわけではないようだ。黒い水面に両手をついているところを見ると、ATフィールドを張って懸命に踏みとどまっているのだろう。
(こうした応用は意図的に示されて訓練してないと使えないと思われる。原作のシンジやユイ篇のアスカがなす術もなく呑み込まれたのはそう云うことだろう。この作品でチルドレンはさんざんATフィールドの応用を訓練させられているし、ガギエル戦で道を作ったことも大きい。このミサトがATフィールドの応用の可能性に気付いたのは、サハクィエルを受け止めた経験とゼルエルを切り裂いた時の感触から。としている)
『ミサト。逆の方が良くない?』
そう言いながら弐号機は、零号機へ直進しない。
「上手く受け止める方が難しいのよ」
『わかったわ』
初号機が闇の上を疾走する。たちまち零号機に取り付き、脇の下に両手を差し入れた。
『シンジ!左へ』
『わかった』
『…いけない』
綾波が言い終わる前に、零号機を引っこ抜くように放り投げた初号機が沈みこんだ。
『…なっフィールドが』
待ち構えていた弐号機が、危なげなく零号機をキャッチ。
『…葛城三佐。使徒がフィールドを中和しはじめました』
(原作に一切描写がないので、基本的に使徒の側からATフィールドを中和してくることはない。としている。ただし、ヒトという存在、その心に興味を示した使徒なら可能。ともしている)
「なんですって!シンジ君、重力遮断ATフィールドは?」
『やってます!でも手応えが!どうしたらいいんですかミサトさん!』
初号機は、早くも腰近くまで呑みこまれてしまっている。
「現状の零号機、弐号機のフィールドは?」
「弐号機は健在。零号機、復元しました。初号機フィールドは完全に消失しています」
「シンジ君、空中にフィールド展開、掴まれる?」
見えない何かに掴まって体を引き上げた途端、支えを失って落下する。初号機はそれを何度も繰り返した。
『ダメです!』
仮に呑みこまれても初号機なら大丈夫なのは判っていたが、迷わない。
「初号機を放棄。プラグを射出します。アスカ…ちゃん!」
発令所トップ・ダイアスから椅子を蹴立てる音が聞こえてきたが、無視。
『判ってるわ。今、向かう』
「使徒の上にフィールド張っちゃダメ!」
近道しようと跳び上がりかけた弐号機がたたらを踏む。
先だっての威力偵察時、地面から離れた者からの攻撃にどう対処するか見るために、航空機による攻撃を行うことになった。
(空中からの攻撃にもしレリエルが手も足も出なかったら、ATフィールドを足場にして攻撃という手もあった。ということ)
使徒がその針路上に先回りすると、その上空を通過しようとした戦闘機が壁にぶつかるようにして四散する。
とっさにホバリングして難を逃れたVTOL機も、逃げ場が見つからずに燃料切れで墜落した。籠の中の小鳥のように。
おそらく、自身の直上に円筒形のATフィールドを展開できるのだろう。
ATフィールドが届くということは、ATフィールドを中和できるということだ。
「シンジ君。プラグを射出させるわ、対衝撃姿勢。頭を下げて」
『はい』
位置関係を示した俯瞰図。赤い巨人を示す輝点が、円周に沿って走っている。
「シンクロカット。プラグ射出!…レイちゃん、使徒のフィールド中和!」
「了解。シンクロカット。プラグ射出します」
『…了解』
初号機から射出されたプラグは300メートルほど飛翔し、パラシュートを開くまでもなく弐号機によって回収された。
「シンジ君、大丈夫?」
『はい』
「捕獲用ワイヤ射出。初号機を絡め獲って」
「無理です。間に合いません」
スクリーンに大写しにされる黒円。初号機は呑みこまれきって影も形もない。
「やってみてから言いなさい!」
(これが本物のミサトなら「なんてこと」の一言で、やるだけ無駄だと状況を終わらせていただろう。ここでは初号機を回収しようとした実績を残すために拘っている)
「はっはい!」
周囲の兵装ビルから鉤つきのワイヤーが複数射出される。本来は使徒の捕獲、拘束用の装備だが、物は使いようだ。MAGIによって計算され、ガス圧とテンションで操作されたワイヤーが、放物線を描いて影に殺到した。
「ワイヤ端センサーに感なし」
モニターに回した初号機視点の映像。真っ白だった画面を走査線が乱す。たちまち表示される【信号なし】のインジケーター。
ワイヤーのモニタリングも全て途絶したようだ。
「パターン青、消失。目標の波長パターン、オレンジに移行しました」
スクリーンの中、ゼブラパターンの球体が何事もなかったかのように浮いていた。
下から見上げるアングルは、使徒を大写しにしている。今にも落ちてきそうで、なんだか息苦しい。
思わず、喉周りを緩める。
かつて、こいつに呑み込まれたとき、見上げた空すべてを覆う縞模様に圧倒された。押しつぶされそうな存在感に抱いた絶望を、思い出してしまいそうだ。
「アスカ…ちゃん、初号機のケーブル引っ張ってみて」
『わかったわ』
弐号機視点の映像の中、アンビリカルケーブルは黒円に飲み込まれた地点ですっぱりと断ち切れていた。
ワイヤーの巻き戻しは、指示するだけ無駄か。
「アスカ…ちゃん、…レイちゃん、撤退して」
「葛城三佐」
トップ・ダイアスから声をかけられる。碇司令。父さんだ。
「はい」
「なぜ初号機を放棄した」
「初号機の能力では脱出不可能と判断し、パイロットの生命を優先しました。
初号機も回収できるよう手を尽くしましたが、力がおよびませんでした」
威圧的なあの赤いサングラスが、父さんの視線を遮ってくれていた。そうでなければ自分が毅然と対応できたかどうか。
それでも辛くて視線をそらすと、ふるふると震える父さんの握りこぶしが目についた。
「葛城三佐、君を…」
父さんの言葉は、盛大な破砕音にかき消される。
『何が始まったの?』
振り返る先、スクリーンの中で影が割れていた。
使徒は三ナノメートルしか厚みがないはずなのに、盛大に地面ごとめくれあがっている。
映像アーカイブで見た流氷や、諏訪湖の御神渡りを思わせる光景。生々しい赤と毒々しい黒の取り合わせでなければ荘厳ですらあったろうに。
(セカンドインパクト前の自然の映像は、懐古趣味かどうかを問わずポピュラーな娯楽になっていたのでは?と推量。新劇場版ではシャムシェル戦時のケンスケのテレビ画面に「失われた日本の風景シリーズ」とテロップが入っていたので、そういった画像は豊富に残っているものと思われる)
「状況は?」
「わかりません」
「すべてのメーターが振り切られています」
ゼブラパターンを失って真っ黒になった球体。
…まるで、黒い太陽。いや、熱気があるようには見えないから、黒き月。と言ったところか。
(「黒い太陽」は某ラノベに出て来るテロ組織。ファンタジー世界でウルトラマンを表現しようとした意欲作で、好きな作品。映像化とか無理そうなのが残念。
黒き月はもちろんリリスの卵だが、ミサトがそうと知って言っているわけではなく偶然)
「まさか初号機が」
「ありえないわ。エントリープラグは射出済みなのよ。動くはずないわ!」
(当初は原作どおり「エネルギーはゼロ」と書いていたが、状況的に微妙なので修正した)
突き破って現れたのは、人のカタチの右手。特徴的なナックルガードのシルエットが、エヴァの物だと教えてくれた。
吹き出す赤い液体。
使徒なのに、なぜか赤い体液。それがパターンオレンジの原因なのだろうか?
(原作での描写に辻褄を与えるため、当シリーズでは知恵の有無で使徒の体液の色が違うと設定している)
こじ開けるように肉を引き裂いて、赤く染まった鬼面が姿をさらす。
顎部装甲を引き千切って、咆哮。
『ワタシ、こんな物に乗っているの…』
ついに耐え切れなくなって、球体がはじけとんだ。
地面に突き立った初号機が、天に向かって雄叫びをあげる。
使徒の腹に独り呑みこまれて、慌てて目を覚ましたのだろうか?母さんは。
所どころ装甲が溶けているところを見ると、パイロットが居なかったが故に使徒に直接、侵蝕でもされたのかもしれない。
「なんて物を、なんて者をコピーしたの私たちは」
その答えがあるのなら、自分も是非訊きたいものだ。
血と肉が降りそそぐ中、初号機はいつまでも吼えつづけていた。
つづく
2006.09.25 PUBLISHED
.2006.10.20 REVISED
シンジのシンジによるシンジのための 補間 #2 ( No.14 )
日時: 2007/02/18 12:34 名前: Dragonfly◆c8iV9KaZZP2
どら焼きを一切れ、頬張った。
京都の老舗の味を写したというそのお菓子は、極太の通信ケーブルを輪切りにしたような形をしている。
背の低い円柱状のこしあんを芯にして、薄く焼いた皮を幾重にも巻いてあるのだ。
(笹屋伊織の代表銘菓。銅鑼のような丸い鉄板の上で焼くからどら焼きというらしい。ドラえもんが大好きな三笠とは別物)
修学旅行で沖縄に行って以来、アスカは日本文化に興味を惹かれているらしい。様々な文化の混ざり具合、混ざらなさ具合が好奇心をくすぐるのだろう。
(ジャポニズムやタタミゼなど、ドイツ時代にもそこそこ触れては居ただろう)
今は和菓子に目がないようで、このあいだは水に遊ぶ金魚を模したゼリーを買ってきていた。
(加持からデザート当番のコトを聞いた冬月が、内密に加持経由で高級和菓子などを提供したりしている。本作に出てくる和菓子のほとんどはそれで、アスカが自分で買ってきたとミサトが誤解しているのは、加持が自分のノルマ以外は直接アスカに手渡してたりするから。アスカが日本文化に興味を持つようになった一端が、冬月が提供した本物の高級和菓子に拠るとしている)
エヴァ以外に関心が向かうのは、いい傾向だと思う。
アコーディオンカーテンが引き開けられる音がした。
おそらく綾波がお風呂から上がったのだろう。
廊下を歩く足音。自分の部屋に直行かな。
(11-A-2とは間取りが違うのでこういう描写になる)
「ねえ、ミサト」
「なあに?アスカ…ちゃん」
naaniasukachann……
あらら、思わず打ち込んでしまった。バックスペースで削除する。
自分が作戦部長という要職にありながら、比較的早く帰宅できる理由。
それが、今使っているノートパソコンだった。
MAGI端末でもあるこのノートは、リツコさん謹製の通信回路と個人認証機能を備え、帯出禁止レベルのデータをある程度まで持ち出し可能にしてくれる。
(リツコやマヤあたりは、もっとえげつないデータの持ち出しをしているものと思われる。ミサトはシンジとの同居にあたって、少しでも早く帰宅できるようノートパソコンの機能強化を頼んだ)
おかげで、こうしてデスクワークを宿題として持ち帰ることができるのだ。
「…ワタシには無いの?」
「なにが?」
自分が座っているのは、綾波の指定席。ダイニングで仕事をするときは、照明の具合が一番良いこの場所を借りることが多かった。
(どうでもいい話しだが、テーブルでの指定席は以下のとおりと設定している。基本的には入居順に反時計回り。ペンペンはもともとアスカの位置(人間用の椅子は使い勝手が悪くてそもそもほとんど使ってないが)だったが、ベビーチェア購入を条件に現在位置へ移った)
(ミ ア )
(□□□ペ)
(シ 綾 )
リビング
…
言いよどむ気配。
「…パジャマ」
ああ。廊下を歩いていった綾波の寝間着姿でも見てたのかな?
(パジャマ自体が初見だったという意味ではなく、言い出すきっかけになっただろうということ)
「もちろん、あるわよ」
「あるの!なんで寄越さないのよ」
布地があげた抗議の悲鳴は、アスカがソファーから跳ね起きた音だろう。そのまま、ずかずかと近寄ってくる足音。
(つまり、ミサトはここまでディスプレイから目を離していない。綾波の席を借りて仕事をしているのは、アスカが声をかけやすいよう背を向けているシチュエーションを演出したかったから。
因みに転入時に自然と決まったミサトの指定席は、リビングを見渡せてテレビも見える特等席ではあるが、一番の理由は「外から視線が通らない」ことに拠る)
「誕生日プレゼントにしようと思って仕舞ってあるわ」
「ケチ臭いこと言わないで寄越しなさいよ。今すぐ」
背後から、かじりつかんばかりの勢いで首元を抱えられた。
「もうすぐじゃない。我慢しなさいな」
「い~やっ!」
嘆息。
こうなるとアスカは、ATフィールドでも止められない。
まわされた腕にぱんぱんとタップして椅子から立つと、自室に使っている和室へ。
(ミサトとアスカは何度か格闘訓練を行っているため、こういうボディランゲージも成り立つ)
手提げの紙袋を抱えてダイニングに戻ったら、自分が使っていた椅子を胡座で占領して待ち構えていた。
袋から出して、テーブルの上に置いてやる。
…
きちんとラッピングして綺麗にリボンまでかけ終えられたプレゼントの登場に、アスカがたじろぐのが見て取れた。
ペンペン用のベビーチェアをどけて、アスカの指定席から椅子を寄せる。
テーブルの角をはさんで隣りに腰掛けて、うながすようにアスカの顔を覗き見た。
…
「…ファーストには、なんで? 誕生日?」
口で説明するより、見せたほうが早い。
アスカの前にあるノートパソコンを引き寄せて、MAGIにアクセスする。
スロットにIDカードを挿して、目的のデータを呼び出す。
差し出された画面に映る内容に、アスカの視線が釘付けになった。
「…不明。不明。不明って、何よこれ。名前以外は何ひとつ判らないじゃない」
(原作のアスカも、この事実を知れば何かしら思うところがあっただろうと推量している)
「それが…レイちゃんの経歴。
諜報部に拠れば、当時大量に発生した孤児か、コインロッカーベイビーの1人じゃないか。ということだけど」
(ユイ篇でも言及しているが、これらの孤児は戦自少年兵部隊に引き取られている)
ちょっとだけ、嘘。データが抹消されているという不自然さを覆い隠すカムフラージュだ。
…
「あのご時世に、あの容姿で生れ落ちれば、捨てられても仕方なかったかもね」
キッと睨みつけてきた視線には、目尻にかすかな潤みがブレンドされていた。
だが、言葉はない。
あのアスカが一言も発しないのは、相当に怒っているのだろう。
身寄りも経歴もない孤児だという嘘を補強するためだけの、何気ない一言だったのだが。
睨みつけられるのは辛いが、それ以上に哀しく、それ以上に嬉しかった。「親に捨てられる」その言葉をキーワードに、アスカが綾波の存在に思いを寄せた。そのことが判ったから。
「いつか、…レイちゃんに大切な日ができたとき、誕生日をプレゼントしようと思うの」
それはいつのことになるだろう。行く手の不確かさに気が遠くなりそうだった。
「本当の母親でなければ与えられないモノだけど、私でよければ、私なんかでもよければ、与えてあげたい」
視線を落とす。組んだ指先に落ちる泪滴。
…
嘆息。怒りのやり場を呼気に込めたか、アスカの吐息が熱そうだ。
「ミサトは卑屈すぎるわ。ドイツの時ほど酷くはないけど、ワザとらしいぐらいにね。ワタシ、アンタのそういうトコ、好きじゃない」
アスカが今の自分をどう思っているのか。耳にしたのは初めてだろう。
「アスカ…ちゃんに、好かれたいわ」
「なら、堂々と誇りなさいよ。天下のチルドレンを3人も立派に養ってるって」
ええ、そうするわ。と目尻を拭うと、アスカも同じ仕種をしていた。
「そうしたら、好きになってくれる?」
「ミサトの心懸け次第ね」
視線をそらしたアスカは、残っていたどら焼きを発見して即時殲滅する。照れ隠しだろう。
いひゅににゃるくぁ、わきゃりゃにゃいきゃりゃ。もごもごと、食べながら話しかけてくるので、口元を睨みつけてやった。
「アスカ、お行儀悪いわよ」
慌てて口を閉じて、もぐもぐと咀嚼するさまが、とても可愛らしい。
ごっくんと飲み下したアスカが、これまた自分の残りの煎茶をすすった。
(煎茶は高価くなっていると設定しているため、その登場回数は少ない。また20世紀生まれとしては、緑茶という呼び方はしたくなかった)
行儀には煩いくせに、音をたててすするのはOKって、日本人って解っかんないわね。などと呟いている。
「熱い飲み物が冷めないうちに飲みきってしまうための、生活の知恵なのよ」
熱いものを熱いうちにいただくのは、淹れてくれた者に対する礼儀でもあるのだが。
(空気と同時に味わうことで香りも味わう。とする説もある)
ふうん。と、ちょっと関心を惹かれたようだ。
それはそれとして。
それで?と促してやると、何か言いかけていたことを思い出したようだ。
「誕生日がいつになるか判らないから、プレゼントだけ先に渡したの?」
ええ。と頷いて、手を伸ばす。
今のアスカなら、さっきの涙が本物なら、受け入れてくれるかも。
「アスカ…ちゃんからも、…レイちゃんにプレゼントをあげて欲しいのだけれど」
アスカの手の上に、重ねる。
急に言われても困るわよ。と声を荒げるので、かぶりを振った。
「…モノ、じゃないから」
「なによ」
憮然とした表情。右手を抜きたがっているようだが、握りしめて許さない。
「…レイちゃんのこと、名前で呼んであげて欲しいの。番号じゃない、彼女の名前で」
「そんなのワタシの勝手じゃない。なんでミサトに口出しされなきゃなんないのよ」
かぶりを振った かぶりを振った かぶりを振った
お願い お願い お願い アスカ…ちゃん。
「…なんでそんなに… 呼び方なんかどうでもいいじゃない」
空いていた左手も掴み取って、併せて握りしめる。
「彼女を記号で呼ばないで。エヴァに乗せるために拾われた部品だと蔑まないで」
「そんなつもりは…」
判ってる。アスカ…ちゃんに悪気がないことは解かっているわ。とアスカをむりやり抱きしめた。
テーブルの上に身を乗り出して、覆い被さるように。
「彼女は、エヴァに乗せられるために拾われた存在。綾波レイと名付けられる前に、番号を付けられた娘」
これは嘘。やはり不自然さを覆い隠すカムフラージュだ。
MAGI完成の前日に初めて会ったと、リツコさんは言っていた。母親であるナオコ女史も初めてのようだった。とも。
ならば、2010年の話のはずだ。
(フィルムブックでは7歳児に見える5歳児と説明されていて2005年登録でもおかしくはない。ただやはり2010年時にナオコが知らないのは不自然なので、チルドレンの番号付けそのものが後付けではないか?と推測。アスカがセカンドなのは選出順ではなくて、番号付けが行なわれた際に本部籍ではなかっただけということではないだろうか)
一方、アスカがセカンドチルドレンに選出されたのは2005年と記録されている。
ゲヒルンの中枢にいた赤木ナオコ博士が5年以上、知らなかった“ファースト”チルドレンの存在。
その不自然さを利用して、レイの存在をアスカに呑ませるための、ほろ苦いオブラートだった。
(つまりそのあたりの事実はゲンドウしか知らない=アスカには調べようがない。と踏んで綾波の経歴を詐称して見せた。ということ)
包んだのは劇薬だが、きっとアスカのためになる。エヴァにすがらない自己を確立する光明になる。
だから、力を込めて抱きしめた。こんな時、下手に相手の顔など見ないほうがいい。
考えて。考えて。考えてくれ、アスカ。
ヒトは、自分の姿を自分で見ることができないものだ。見たければ、鏡に映る虚像を眺めるしかない。
心に至っては、虚像すら映すものがない。自分の心は他者を観ることでしか推し量れないのだ。
人の心の形は、隣り合う他者の心との境界によって形作られるのだから。
己を知ろうとする心。そのための指標は、他者の心の中にあるのだ。
逆に、他者を見るとき、人は己の心を投影する。相手の心もやはり、見えないものだから。
他者への評価、対応、感情は、己への裏返しなのだ。
アスカ。君の綾波への隔意は、自分自身を嫌う君の心なんだよ。彼女は君の鏡なんだ。
綾波を好きになれれば、君はきっと自分を好きになれる。それが始まりの一歩だよ。
…
とんとん。と背中をタップされる。
「…わかったから放して、苦しい」
「お願い。きいてくれる?」
はぐらかそうとしてもダメ。
…
「…苦しいんだから、とっとと放しなさいよ」
「お願いきいてくれるまではイヤ」
とぼけてもダメ。
…
「しょっ、しょうがないわね。そこまで言うなら考えといてあげる。感謝しなさい、このワタシが自分のスタイル曲げようって云うんだから」
ええ、ありがとう。と、さらに力を入れる。
放せって言ってるでしょ~。と、じたばたもがくアスカの可愛らしさを、堪能し尽くすことにした。
泣いているところをこれ以上、見せたくなかったし。
「…じゃ、これ、仕舞っておいて。…誕生日まで我慢するから」
突き返された箱を受け取る。
「そう。じゃあ土曜日にね。パーティーに誰を呼ぶか決まった?盛大にしましょうね」
喋りながら箱を紙袋に押し込み、いま一度、自室へ。
戻ってくると、アスカの姿は再びソファーの上。そしらぬ顔で、さもつまらなさそうにファッション雑誌をめくっていた。
椅子に腰掛け、仕事の続きを…
「…ミサト。ダンケ」
…
「ビッテシェーン。アスカ…ちゃん」
アスカの誕生日の数日前、深淵使徒が現れる前の晩の話だった。
因みにアスカのために用意したパジャマは、八汐紅を匂い染めにしたものだ。
色を赤にしてグラデーションも逆さにしてあるが、綾波とはある意味でお揃いだった。
気に入ってくれるといいけれど。
special thanks to ジョニー満さま(@johnny_michiru)
ジョニー満さん(@johnny_michiru)に、この話のイラストを描いて頂きました。ありがとうございました。
(パジャマ姿のアスカが最高に可愛いです。d(>_<))
Twitterで、dragonfly(@dragonfly_lynce)を検索してみてくださいませ。
2021.08.02 ILLUSTRATED