「赤の豚!?赤の豚ってドコよ!」
赤色もない。豚もいない。それはこれ。
取ろうとしたカードを、潰さんばかりにアスカが引っぱたく。
「…アスカ。ずるい」
「早いモン勝ちに決まってんでしょ」
折角見つけても、気配を察したアスカが先に取ってしまうことが多い。
「なによ。文句があるなら言いなさいよ」
文句はない。早い者勝ちがルールだもの。…でも。
「ああもう!そんな目で見ない。解かったわよ、これは返したげる。でも、文句があるならキチンと口にだして言いなさい。誰もがアンタの気持ちを察してくれるワケじゃないのよ」
差し出されたカードを受け取る。
アスカは優しい。…とっても。
Solch Stroiche!は、ミサトさんが教えてくれたゲーム。ドイツ勤務時代に見つけたと言っていた。
25枚の問題カードには犬・猫・馬・牛・豚のうちいずれか1種類が、赤・青・緑・黄・紫のうちいずれか1色で描かれている。
25枚の回答カードには犬・猫・馬・牛・豚のうちいずれか4種類が、赤・青・緑・黄・紫のうちいずれか4色で塗り分けられている。
伏せられて山積みにされた問題カードをめくり、そこに描かれた動物と色のない回答カードを、開いてばら撒いた中から見つけ出すの。
カードを取った人が、次の問題カードをめくる。
私がめくると、緑色の犬のカード。だから緑色も、犬も居ないカードを探す。
…
「これっ!」
アスカが、取ったカードを差し出す。正しいかどうか、皆で確認する。
赤い猫、紫の馬、黄色い牛、青い豚。犬が居ない。緑色もない。
頷く。
「今度は文句、ナイわね?」
頷く。
『4人くらい居ないと面白くないのよね』
そう言ってミサトさんがこのゲームを取り出してきたのは、アスカが初めてミサトさんの家に泊まった夜のこと。
『今晩はアスカ…ちゃんの歓迎会だから』と、たくさんのドイツ料理と、同じくらいの日本料理がテーブルに所狭しと並んだ。
『これは何?』と日本料理を訊くアスカに、ミサトさんが嬉しそうに応えていた。
『…これは何?』とドイツ料理を訊く私に応えたアスカの顔。その時は不機嫌だと感じたけれど、今ならそうではなかったと解かる。
食事が終わり、いつもならきちんと後片付けをするはずのミサトさんが、食器を下げるのもそこそこに皆をリビングに呼んだ。
テーブルの上に、小さな箱が載っていた。その時の光景を、なによりミサトさんの笑顔を良く憶えている。
「青い馬!?」
自分でめくっておいて、誰かに尋ねるようにアスカ。
前に訊いたら、『皆に教えてあげてんのよ』と言っていた。問題をアナウンスするルールは無かったはずとルールブックを読んでいたら、『アスカ…ちゃんは自分に言い聞かせてるのよ』とミサトさんが教えてくれた。
「それは… これだね」
碇君が青色も馬も居ないカードを押さえた。
碇君は、けっこう侮れない。下手な素振りを見せるとアスカに横取りされるからと、目当てのカードを見ずに取ったりする。
碇君の戦績は安定していて、大体2位か3位。前に訊いたら、『いくつかは予め問題を逆算しておくんだ。そうすれば一定数は必ず取れるから』と言っていた。やってみたら、確かに成績が上がったような気がする。
碇君が取ったカードを確認するために顔を上げると、ミサトさんの顔が視界に入った。
意思の力を持たない瞳はただのガラス球のようで、見ると心が痛い。…この気持ち知ってる。寂しいという感情。
『ミサトさんは賑やかなのが好きだから』と碇君は言う。確かに、自ら騒ぐ人ではないけれど、賑やかな場を好んでいた様に思える。
だから、オーバーテーブルを余分に借りてきて2台並べ、ベッドの上、ミサトさんの目の前でこのゲームをしていた。疲れるのも厭わず、立ったままで。
「次は…」
「紫の猫~!?どこよ~!」
アスカの瞳がせわしなく動いてる。
…ぺたし
誰も注目してなかった片隅のカードに、掌が乗せられていた。
『銃を握るうちに大きくなった』と言っていたその掌は、この4人の中で一番大きい。
所々にタコがあってちょっと硬いけれど、その掌でなでられると嬉しくなる。
辿るように見上げたその瞳に、まだ意志の力は見えない。けれど唇が何かを紡いでた。
聞こえなかったけれど、なにを言ったのか知っている。
『全体を俯瞰して見るのがコツなのよ』
カードを取った時、必ずそう言っていたから。
「なっ?なんや!?何の騒ぎや?」
特徴的な言葉遣いは、鈴原君。私たちがここに来る時は着いてきて、相田君の体力作りに付き添うことが多い。
「あ!?もしかして…」
続いて戸口から顔を出したのは相田君。勢い込んで入室しようとして、あやうく転ぶところだった。彼が手にしてる松葉杖も、もうすぐ不要になるはず。
「病室で騒…?えっ、なに?」
このところ洞木さんは、いつも鈴原君と一緒みたい。
「ミサト姐やん。目ぇ覚ますんか?」
ナツミちゃん…。ヒトをちゃん付けで呼ぶのはまだ慣れないけど、さん付けで呼ぶと他人行儀だとたしなめられる。特徴的な言葉遣いで。
アスカがナースコールを連打していた。
碇君が懸命に呼びかけてる。
私は、ミサトさんのその手をそっと掴んだ。
ミサトさん。貴女の目覚めを、みんなが待ってます。
終劇
2007.9.18 DISTRIBUTED