クリスマスパーティの買出しに来たデパート。
パーティそのものの買い物が済んだあとは自由行動。ということで解散したところだった。
まずはパーティグッズ売り場に舞い戻って、ツリー用のイルミネーションを購入する。余興用なので点滅もしない安物で充分だ。
次に、時計売り場で懐中時計を選ぶ。ちょっといいものを3つ、色違いで発注する。
大人の第一歩は時間厳守から。ということで。
腕時計にしなかったのは、携帯電話の普及で時計そのものがあまり流行らないことと、ファッションとしてはそのほうが使い勝手がいいからだ。
続いて猫グッズの専門店、ファンシーショップ、紳士服売り場、スポーツ用品店、ミリタリーマニア御用達の店と巡ってクリスマスプレゼントを選定する。
一応、園芸コーナーも覗いてみたが、結局ひやかすだけに終わってしまった――耐熱緩衝溶液での汚染に、市販の土壌改良薬が役に立つかどうかは疑問だったので――。
全館、クリスマス一色だ。
冬なんかなくなったこの国で、使徒が押し寄せているこんな時に、クリスチャンでもない人々がクリスマスで盛り上がろうとしている。もちろん、自分も含めて。
今は、その逞しさが、ちょっと好きだ。
集合時間までに少し間があるので、展望フロアの喫茶店に入った。
窓から外が見渡せるが、周囲のビルからは視線が通らない場所。
入り口が見えて、店内全てを見渡せる場所を選んでしまうのは職業病か。
グレープフルーツジュースを飲みながら、店全体を視野に入れて観る。
むやみに視線を動かさず、全体像として監視するのだ。やはり陸軍時代の癖が抜けてない。
油断は論外としても、警戒のしすぎもなにかとよくない。
もう少しリラックスすべきと諭したその時、見覚えのある背格好の人影が店の入り口前を横切った。
トウジと洞木さんと、――遠慮しているのか1歩遅れて――ナツミちゃん。
持っていた荷物からすると、今度のクリスマスパーティの用意だろう。
妹同伴というのはいただけないが、2人の仲はそれなりに進展中らしい。
一肌脱いだ甲斐があるというものだ。
…………
アスカの誕生祝い。
12月4日は金曜日なので、人が集まりやすいようにパーティは土曜日に行った。
キャンドルの吹き消しも、プレゼント贈呈も終わり、皆なごやかに談笑している。
大人連中は夕方から来る予定だから、今は子供たちだけだった。
「お呼びでっしゃろか、ミサトはん」
「ええ。まあ、そこに座って」
指し示したのは、テーブルを挟んで自分の斜向かい。洞木さんの隣りだ。
顔を真っ赤にした洞木さんが身を固くするが、嫌がってるわけではないのは表情を見れば判る。
昇進祝いの時にはそんなそぶりは一切なかったのに、あれからトウジと洞木さんの間にいったい何があったのだろう?
まあ、それはともかく。
パーティの開始からずっと、落ち着かない様子の洞木さんに感じるものがあった。
挙動不審だといってよい。
そっとアスカに意見を求めたところ、当人はバレてないつもりなんだそうだ。
意向を伺ってナツミちゃんを引き込み、最終確認のつもりでこの席次を仕掛けた。
彼女が思い煩っている相手が誰か、もう訊くまでもない。
トウジがぜんぜん気付いてないのも、間違いないが。
かつての自分では絶対に気付かなかっただろうと思うと、少々感慨深かった。
シャッターチャンスを狙うケンスケを、視線で牽制する。いま囃し立てられるのはまずい。
意外に気の回るケンスケは、そしらぬ顔で被写体を本日の主役に戻した。
なにやら褒め殺しにされて、アスカはご満悦のようだ。
最悪な出会い方をさせてないことの副作用か、アスカと、トウジ、ケンスケとの仲はかつての時ほど悪くないように見えた。特に、トウジ、ケンスケの側で。
彼の仲立てが大きな役割を果たしている。と洞木さんから聞くのは後日のことだが。
「今、ナツミちゃんに料理を教えてくれって頼まれたところだったの」
「ミサトはんにでっか?」
トウジが、自分の隣りに座っているナツミちゃんに視線を移す。
「アホぅ抜かされんでぇナツミぃ。
ネルフの作戦部長様に、ソないな時間があると思とんか?」
「言うてみたかてえぇやん。
ミサト姐やんの料理、ほんまに美味しぃんやもん。
ウチ、こないなオナゴになりたいんやし。ニィやんも常々、オナゴは家庭的なんが一番やて言うちょうやん」
なにやら顔の赤味を増した洞木さんが、両手を頬に添えている。
「どアホぅ。まだ火ぃもロクに使わせられん貴サンに、料理なんぞさせられるでぇかぃ」
「はいはい、ケンカしないの。
トウジ…君も頭ごなしに否定しないのよ。ナツミちゃんもお兄ちゃんがどこまで考えてくれているか、よく考えてみてね」
頭を掻いて恐縮する姿は兄妹でそっくりだ。
「まあ、たしかにトウジ…君の言うとおり。定期的に時間を作るのはちょっと難しいの」
嘘。と云うか、すり替えである。
料理を教えるのに“定期的”に時間を作る必要などないのだから。
「そこでね。…洞木さんが代わりに教えてくれることになったのよ」
「委員チョがかいな」
素直とは言い難い洞木さんの口からそう言わせるのは、なかなか骨が折れたが。
「だから、週2回。ナツミちゃんの送り迎えをトウジ…君にしてもらおうと思って」
「そらぁかまへんのですが……、ええんかいな委員チョ。迷惑とあらへんか?」
「ううん。そんなことない。
料理は好きだし、教えるのも楽しいの。
コダマお姉ちゃんもノゾミも、料理することには興味ないから、そういう機会ってなくて」
そいやぁ委員チョの弁当ってえろう美味そうやったもんなぁ。とトウジがなにやら思い出しよだれ。すかさず身を乗り出したナツミちゃんが、それをハンカチで拭く。いい妹さんを持ったねトウジ。
ウチの苦労、解こぅてくれる? ミサト姐やん。だってさ。解かってるよ、ナツミちゃん。骨身に沁みてね。
「ほぅか。そういうことなら、あんじょう頼むわ委員チョ」
「うっうん♪」
「あら、トウジ…君。
友達として頼み事をするのに、役職名っていうのはないんじゃない?」
「えっあっ、そうでっしゃろか。ミサトはん」
ええ。と頷く。
なるほど、言われてみりゃぁほうかも知らん。とトウジが襟元に手をやっている。
「ほっ、ほな。洞木……はん!」
「はっはい!」
う~む。トウジとしては最大限の譲歩なんだろうけど、まだまだだよね。
「友達なんでしょう? さん付けはないんじゃない?」
「はっはい? しかし、オナゴの名前を呼び捨てるっちゅうんは、どないも……」
「ニィやん。男らしゅうないでぇ」
「じゃかぁっしぃ! 貴サンはダぁっとれ」
顔を真っ赤にした洞木さんが、上目遣いにトウジを見つめている。
……
テーブルの上で指を組んで、あごを乗せた。視線はトウジに。
「大切なナツミちゃんを託せる友達なんでしょう? 特別な相手なんじゃないの?」
トウジがナツミちゃんに視線をやった。
ナツミちゃんがなにやら【可愛い妹オーラ】を発生させているのが、なんとなく判る。
せやなぁ。と、頭を掻くトウジ。
トウジには見えない位置で、ナツミちゃんが親指を立てるのが見えた。
本当に仲のいい兄妹だ。
かつてトウジに殴られたことが当然だったと、今なら思う。
「ほっ、ほな。洞木……。ナツミのことよろしゅう頼んます」
「こっこちらこそ。誠心誠意お預かりします」
お互いに顔を真っ赤にして頭を下げあう姿は、まるでプロポーズだった。
待ち構えていたケンスケによって、ばっちりフレームに収められたことは言うまでもないだろう。
****
「じゃあ、俺は帰るから」
兵どもが夢の跡。
リビングもダイニングも凄いありさまだ。汚れた食器だけ水に浸しておいて、後片付けは明日にしよう。
「加持さん。もう泊まっていけば?」
本日の主役はご機嫌なご様子。
夜も遅いから、アスカの提案は悪くない。同意してか彼も頷いているし、綾波は…… 興味ないんだろうな……
「明日は朝から用事があってね」
「えー? つまんな~い! ね~ぇ、加持さんってばぁ……」
アスカに付き添われて玄関へと消えたはずの加持さんが、ひょっこりと顔を出した。
「うっかり忘れるところだった。葛城は8日だったよな。
当日は俺、こっちに居ないんでね」
綺麗にラッピングされた小箱を取り出すや、ぽんと放る。
「おめでとさん。じゃ、またな」
反射で受け止めたのを見て取って、ひらひらと手を振ってから再び姿を消す。
……よりにもよってアスカの誕生パーティの日に、わざわざ前倒しで誕生日プレゼントをくれますか。あの人は。
おそらくは、しばらく呆然としていたのだろう。
はっと気付くと、今にも怒髪天を突きそうな形相のアスカが目の前で仁王立ち。
「ミサト、どういうこと?」
「かっ加持なんかとは何でもないわよ!」
すっと伸ばした右手でデコピン。
「そんなコト訊いてないわ」
……
おでこを押さえる。手加減て云うものを知らないから、実に痛い。
「アスカ…ちゃん、痛い」
「8日ってどういうこと?」
中指でタメを作りながら迫るのはやめて欲しい。
……
「……タシ……ジョウ……」
「ヴィービテ!?」
天才をもって自ら任ずるアスカは、単に感情的になっただけで日本語を忘れたりはしない。計算づくで威嚇効果を狙った、アスカなりの怒りの表明だった。
「……ワタシノ……タンジョウビ……」
「聞・こ・え・な・い・わ!」
両手でタメを作りながら迫るのはやめて欲しい。
「……私の誕生日……」
びしびしっと、連続で叩き込まれるデコピン。
……
おでこを押さえる。痛みで涙が出てきた。
「ナンでそんな大事なコト黙ってたのよ!」
正直、忘れていたのだ。
もはや自分にとって、2001年6月6日も1985年12月8日も重要な日付ではなかった。
自分のことなど、とてもかまけていられなかったのだから。
……
とはいえ、そう言ったところで納得してもらえそうにはない。アスカは、本気で怒ってる。
……
「……三十路女の誕生日なんて、祝うもんじゃないわよぅ」
つい先日、リツコさんの誕生祝いを企画しようとした時に頂戴したお言葉そのままだった。
「そっそうなの……」
途端にアスカが狼狽する。表情を取り繕おうとしているが、憐憫があからさまだ。
それはそれでちょっと哀しいよ、アスカ。
「気持ちだけありがたく戴いておくから、そっとしておいてくれる?」
これもリツコさんから戴いたお言葉だ。くれる物は戴くわよ。とも宣われたが。
「そっそうね、それがいいかも……。う、うん。わっワタシが悪かったわ」
ワタシもう寝るから、それじゃグーテナハト。と、そそくさと逃げ出すアスカの様子がなんだか可笑しかった。
「ぼっ僕も! おやすみなさい」
じーっと事の成り行きを見ていた綾波を引っ張って、彼も退散する。
ずいぶんとデリカシーが育っているし、気が回るようになってきた。いい傾向だ。
****
乳液の瓶を鏡台に戻すと、最後の仕上げに保湿クリームを塗る。
横目で、目覚し時計の表示を確認。
午前 0時 2分
この時間までに来なければ、今夜は綾波が忍んでくることはあるまい。
ラッピングされた小箱を手に取る。
丹念に解体していくと、案の定、マイクロチップが出てきた。
トリプルループに結ばれたリボンの、結び目部分に縫いこまれていたのだ。
プレゼントそのものは香水らしい。
ラベルには【Peut Regarder】とある。読みは「プートン ルガルデ」で良かったと思う。
直訳すれば「見るための缶」になるけれど、香水の名前にはいささか不似合いだから、成句かなにかで意味があるのかも。
ノートパソコンを立ち上げた。通信ケーブルはつながずにスタンドアロンで。
ビジネスバッグから取りだしたマルチリーダにチップを入れて、ノートのスロットに挿し入れる。
「パスコード?」
聞いてないって事は、聞くまでもないような言葉なのだろう。
いくつか思い当たる単語を試した結果、答えは「怖~いお姉さんへ♪」だった。
…………………………………………………………………………
TOP SECRET
EYES ONLY
Report of United Nations Supreme Advisory Council
…………………………………………………………………………
冒頭から国連最高諮問委員会の帯出禁止画像だ。
セカンドインパクト直前の、南極の様子。彼女の記憶とも一部、合致する。
その他のデータの内容は、裏死海文書、セカンドインパクト、ゼーレ、ゲヒルン、ネルフなどについて。
おそらく加持さんが知る限りの情報なのだろう。
これが誕生日のプレゼントとは、気が利いているというかなんというか。
無意識にロザリオを握りしめていた。
……
人為的に引き起こされたセカンドインパクト。
被害を最小限に抑えるために行われたと彼女は言っていたが、明らかに起こすつもりで仕組まれていたのだろう。
それは、自分の、彼女の、綾波の、アスカの人生をねじまげ、多くの人々を殺し、不幸の渦中に巻き込んだ。
優しくない世界の元凶がそこにあった。
自分を罪人へと追い立てた張本人たちがそこにいた。この手に受難の槍を握らせておきながら、高みの見物してた連中が居た。
いまさら自分のために泣いたところで、何にもならない。
なのに、溢れ出る涙を押しとどめていられない。
むやみに過去を嘆いても、何も始まらない。
だけど、漏れ出る嗚咽を殺し切れない。
倒れこみそうになって鏡台に右手をつくと、スキンケア用品が転げ落ちた。
鏡台に肘をつき、重ねた両腕に額を押し付ける。
「莫迦…… 自分は、ほんとに莫迦だ……」
意味がないと解かっていて、泣くことしかできない。
益にならないと知っていて、嘆くことしかできない。
本当に莫迦だ。
もう、どうしようもできない。
涙が溢れ出るままに任せた。
嗚咽がほとばしるに任せた。
どうせ薄情だから、悲しみも持続しまい。気が済むまで泣けばいいんだ。
ぼすぼす。こんな時でも、ふすまのノックは間抜けに聞こえる。
『…葛城三佐』
「…レイひゃん?ちょっ^っく 待っふぇね」
しゃくりあげていて、ちゃんとした言葉にならない。
あわてて緊急停止用のスクラムボタンを押す。
MAGIとアクセスできる端末には、非常時に速やかに停止するためのスイッチが増設されている。微細群使徒戦時の教訓なのだが、もはや原子炉並みの仕様だった。
シャットダウンを確認して、ディスプレイを閉じる。
「いひわよ」
ふすまが開いた。
じっと立ち尽くす綾波。
なにか言ってやらねばならないのに、しゃくりあげるばかりで言葉にならない。
「…葛城三佐を見ていると、心が痛い」
なぜ? と歩み寄ってくる。
「…悲しみに満ち充ちている」
目前で立ち止まり、ひざまずく。
「ごめんなさい。こういう時、どんな顔をすればいいのか解からないの」
眉根を寄せて。
「笑えばいいと思うよ」
「そうね。
一緒に泣いたって始まんないし。シンジにしては悪くないアイデアだわ」
いつの間にやら、彼に、アスカまで。
一番奥の洋室にまで聞こえたらしい。自分はいったい、どれほどの大声で泣いていたのだろう?
綾波がぎこちなく微笑んでいると、ずかずかとアスカが近づいてくる。
ちらり。と鏡台の上に視線。
「三十路を儚んでたの?」
見たのは、執拗に分解されたプレゼントの外箱か。
「そういう言い方はやめなよ」
そうね、悪かったわ。と伸ばされた左手が、ぽん。と頭に。
くしゃり。髪の毛を掻き分けて、ぬくもりが心地よい。
「こないだより酷そうねぇ……」
加持さんを陥とせなかったことを、自分はアスカの心に近づくために利用した。優越感をくすぐり、同情を引き出そうと。
そんな自分が酷くあさましく感じて、結局は本気で泣いてしまったが。
分裂使徒戦のときといい、パジャマの一件のときといい、アスカにはずいぶんと泣き虫だと思われていることだろう。
たとえ演技のつもりで始めた場合でも、そのうちに本気で泣いてしまうのだから反論のしようもないけれど。
「……なにもワタシ1人で相手しなくたっていいわよね……」
呟いたアスカが半身だけで振り返って、人差し指を折り曲げた右手を彼に向ける。
その姿は、来迎印を結んだ阿弥陀如来のようだった。
「シンジ。リビングにゲスト用の布団、3組敷いてくんない?」
「いいけど……」
「アンタも加わりたいなら4組、よろしくね」
わかった。とばかりに片手を挙げて、彼がリビングの方へ。
「床の上で寝るのは抵抗あるけど、こういうとき布団って便利ね」
向き直ったアスカは、その右手を綾波の頭に置いた。
「スゥィート・ホットミルク作るから、レイ、アンタも手伝いなさい」
「…熱いのは、いや」
「ちゃんとアンタのは、ぬるくしてあげるわよ」
アスカがくしゃくしゃと乱暴に綾波の髪をかき回す。
不満げに顔をしかめた綾波に笑いかけてやったアスカが、太陽のような笑顔をそのままに小首をかしげた。
「ナニが哀しかったのか知らないけど、アンタがワタシたちを見てくれているように、ワタシたちもアンタを見ているのよ。
ミサトが笑いかけてくれるように、ワタシたちもアンタに笑いかけてあげる」
だから、ゲンキ出しなさい。と頭を撫でてくれる。
盛大に髪を跳ねさせたままの綾波も。真似をして、
……
あっダメだ。涙腺がまたゆるく……
「ホント、ミサトは泣き虫ねぇ」
今夜は一緒に寝てあげるから、好きなだけ泣きなさい。との言葉とともに、ぽんぽんと頭を叩かれる。
あとはもう、ただただ頷くことしかできなかった。
つづく
2006.10.13 PUBLISHED
.2006.10.20 REVISED