その日、クラリーベルはちょっとやさぐれていた。
と言うか、かなりやさぐれていた。
試験に落ちたのだ。
「むう。やってられますかってんだ!」
叫んで、グビグビとやって、ドカンとカウンターに瓶を置く。
そこは夜の大人達の店、酒場だ。だけどクラリーベルの持つ瓶とジョッキに入っているものは炭酸ジュースである。
それも当然だろう。彼女はまだ飲酒できる年齢に達していないし、そもそも酒が飲みたいわけではないのだから。
試験も、その結果発表も今日行われたもので、クラリーベルはその結果に愕然とし、家に帰りたくなかったから今ここにいる。
「まったく、なんで私が、こんなことに……」
ぶつぶつとつぶやき、大ジョッキの注がれた炭酸ジュースを煽る。大人の時間である夜遅く、大人の店で炭酸ジュースを煽る12歳くらいの子供。
クラリーベルにとってマスターの困り顔など知ったことではない。マスターも困ってはいるが、彼女に注意をしたり、声をかけたりすることはないだろう。
その理由は、クラリーベルの隣にいる同年代くらいの少年が原因である。
「何で僕が……」
「聞いてるんですか?レイフォン様!」
「聞いてますよ。と言うか、酔ってます?何で炭酸ジュースで酔えるんですか?」
「そんなことはどうでもいいんです」
クラリーベルの隣にいたのは、レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ。
若干10歳で、史上最年少の天剣授受者となった天才少年。現在は13歳とまだまだ子供ではあるが、そんな人物にどうこう言えるのは同じ天剣授受者か、彼らを統べるべき立場である女王陛下くらいなものだ。
「あぁ……帰ったらリーリンに怒られる」
「やっぱり聞いてませんね?」
訂正。レイフォン限定だが、それには幼馴染も付け加えられる。それと彼の隣にいる少女、クラリーベルもだ。
頭を抱えて唸るレイフォンを咎めつつ、クラリーベルはもう一度炭酸ジュースを煽る。
彼女がやさぐれている原因である試験とは、化錬剄の試験のことだ。
クラリーベルは化錬剄を学ぶためにナイン武門に入門しているのだが、この武門ではいくつかの段階に分かれ、試験によって次の段階に進めるかが決められている。
その試験にクラリーベルは落ちたのだ。しかもその試験は、クラリーベルにとってかなり重要な試験だった。
「これが終われば……だったのに」
「……クラリーベル様」
ぼそりとクラリーベルがつぶやく。涙目になっていることに気づいて、カウンターに突っ伏した。泣き顔をレイフォンには見られたくないのだ。でも、涙が止まらない。
この試験が合格していれば、晴れてトロイアットに弟子入りできていたのだ。
ティグリスに弓から別の武器に変えるように言われ、クラリーベルは化錬剄を学ぶことを選んだ。そしてうまくトロイアットに接触できて弟子入りの話を受けてもらえたのだが、条件を出されてしまった。
それが、彼の出身武門でもあるナイン武門に入門し、提示された段階まで合格するというものだった。
もちろん、その段階は普通の武芸者が修行すれば10年はかかりそうな段階だ。しかしクラリーベルはその提案を受け、そして僅か1年ほどでその試験にまで辿り着いた。
その時点で驚愕すべきことではある。
「でも、そんなの天剣になるような人なら当然です」
事実、トロイアットは僅か半年で全ての試験を突破していると言う話だ。
隣にいるレイフォンも、おそらくは半年で試験を突破することが可能だろう。いや、レイフォンには相手の剄の動きを見て、それを真似、自分のものにするという反則技がある。
器用さだけなら天剣一だと言う噂を聞き、もしかしたら数ヶ月、とんでもない話だと1日で試験を突破してしまうかもしれない。
「化錬剄は剄の流れを見るだけでは出来ない技が多いんですよ。トロイアットさんの技は殆ど盗めませんし。効率化も出来ないから、使いたくもないですよ」
「でも、ルッケンスの秘奥である咆剄殺と千人衝が使えるじゃないですか」
「あの二つは化錬剄の基本思想に、それほど忠実ではないですよ。化錬剄よりも格闘の部分に重きを置いているから習得できたんです」
「どちらにしたって、レイフォン様が凄いと言うことじゃないですか」
クラリーベルは拗ね、ジョッキに残っていた炭酸ジュースを一気に飲み干した。
「ううぅぅぅぅぅ、もうちょっとだったのに……………」
とにかく悔しい。簡単だと思っていただけに不合格になったのは悔しい。
しかも、試験官が嘘を言っているとか、そういう邪推をする余地もないぐらい、自分でもわかる失敗をしてしまっているので反論の余地もない。
本当に、初歩的な失敗をしてしまったのだ。
「うぅぅぅぅぅぅ……………」
悔しくて唸るしか出来ない。
「今日は帰りたくないです……」
「………朝まで付き合いますよ」
リーリンに大目玉確定だと思いながら、レイフォンは注文した料理を口にする。
自分が何が出来るかはわからない。だけど友人が落ち込んでいるのだから、それを慰めるのは当然である。
傍にいることしか出来ないが、クラリーベルはおそらくそれを望んでいるのだろう。
「おい、お姫さん」
そんな時に、クラリーベルがいきなり呼びかけられた。
「は?」
しかもそれが、クラリーベルに対して悪意のある声だったと言うのが、このタイミングでは最悪だった。
クラリーベルが振り返り、レイフォンも釣られて振り返った。
レイフォンは知らないが、クラリーベルはどこかで見た顔だと思った。
たぶん、リヴァネス武門の誰かだろう。王家亜流の集まりだから、良く知らないが見たことあるかもしれない顔がたくさんいる。
言葉の雰囲気通りににやついた顔だった。
「こんなところでロンスマイア家のお嬢さんが……へぶっ!!」
「クラリーベル様!?」
男の背後に仲間らしき連中がいたが気にしない。と言うか気にしている暇はなかった。
もう、拳は出ているのだから。
「てめっ………」
「うるさい。空気を読みなさい」
問答無用。喧嘩を売ったのは向こうですと決めつけて、更にもう一発。
「へごっ!」
今度は手加減していない。拳を顎に受けた男は反論すらできず、その場に崩れ落ちた。
「私はー落ち込んでるのよ!」
「おまっ、それっ!落ち込んでるってっっっ!ふぇぶろっ!!」
慌てる後ろの連中にも突っ込んでいく。
叩きのめす。
ぶん殴る。
薙ぎ払う。
「弱い!弱い弱い弱いですよ、あなた達!」
「うるさいわっ!」
「落ち着いてください!!」
レイフォンの抑止の声すらクラリーベルには届かない。
リヴァネス武門の連中かと思ったが、もしかしたら違うかもしれない。あまりにもお粗末で、弱すぎる。
だが、もう知ったことではない。むしゃくしゃした気分の時に、しかもクラリーベルの主観でレイフォンと良い雰囲気だった時に如何にも『喧嘩売ります』と言う看板下げて話しかけた方が悪いのだ。
「おいどうした?」
「席空いてたのかよ?」
ドアから更に男達が顔を覗かせた。仲間がまだいた。
だが、クラリーベルは止まらない。
「へぶろっ!」
頬に一発喰らわせた男がドアに飛んでいく。
「うおっ!」
「なんだなんだ!?乱闘か?」
「よしきたっ、相手は誰だ?」
「小娘っ!?マジか!」
「バカお前ら、あのガキ……」
「え?ちょっと待て!それならあの隣にいるガキも……」
「ガタガタうるさいわーっ!!」
バタバタと店内に入ってくる男共に、クラリーベルは拳を振るう。
既に他の客は逃げ出し、いるのはクラリーベルと喧嘩相手、それとレイフォンだけだ。
「囲めっ!」
「今日は朝まで喧嘩祭だ!」
「おらやったるどぉ!」
新たにやってきた連中は変なテンションだった。
「ああもうっ!いいわよ!やってやろうじゃない!」
「何でこんなことになるんですか!?」
こうなればこちらも自棄だ。
レイフォンはどうしてこうなったのだろうと後悔する。
後悔はしても、レイフォンにはまったく落ち度はないのだが。
「とりあえず、殴って殴って殴ってすっきりさせなさい!!」
クラリーベルが叫び、泥沼の喧嘩が始まろうとした、その時。
「ちょっと待ちな」
声がかけられた。その声がかけられるまで、クラリーベルはその人物がここにいることに気がつかなかった。
「何だお前?」
向こうも同じようだ。何より、彼らの仲間ではないらしい。
いや……
「ここで何をしているんですか?」
「ここは大人の店だ。むしろお前達みたいなガキがここで何をしてたんだ?もっとも、とても楽しそうなことだったみたいだがな」
「え?……嘘」
レイフォンは何事もなかったようにその人物に声をかける。
嘲笑混じりの返答を聞き、クラリーベルは驚愕した。
最初に声を聞いた時に気づくべきだった。その人物はカウンターの端に座り、こちらに殆ど背を向けている格好だった。
「どうしてここに?」
そこにいることに気づかなかったのは仕方なくとも、声はすぐにわかるべきだった
みっともないところを見られたと、クラリーベルは顔を赤面させてしまう。
「お前ら、喧嘩はもっと派手に、そしてかっこよくやるべきだぜ!」
こちらを振り向き、その人物……トロイアットは高々と宣言した。
「なに言ってんだ、お前?」
だが、トロイアットの言葉は男達には通じなかったようだ。
レイフォンにも通じていなかったようで、彼は頭を押さえてため息を吐いている。
「おおっと、お前ら、言葉が通じないのか?だからお前らはやられ役なんだ」
「う、うるせぇ!」
「あっ……」
やられ役という言葉でクラリーベルは思い出した。
何時だったかナイン武門と交流試合をして散々に負けて帰って行った、なんとかと言う小さな武門の連中だ。
「あの時の弱々さん達ですか」
「弱々言うな!!」
過敏に反応する男達からクラリーベルに向け、殺気が放たれる。
クラリーベルが気づき、不用意な言葉を言ってしまったため、ただの喧嘩だったものに少し殺伐とした空気が混ざってしまった。
しかし、それで怯むトロイアットであるはずがない。レイフォンはもう一度、大きなため息を吐く。
「やられ役達。お前達がやられ役でいたいってんなら、こっちにも考えがあるぜ」
「なんだ?」
男達が怪訝な顔をする。
いきなり場の主導権を握られ、クラリーベルも呆然とトロイアットが何をするのか見ているしかない。
「お前達がやられ役なら、俺達はかっこよくヒーローになるってこった!」
いきなりの宣言にクラリーベルだけでなく、男達もぽかんとした。
レイフォンは三度目の、深いため息を吐く。
「……え?」
「こういうことだ!」
ぽかんとした空気を切り裂いて、トロイアットが動く。
威・風・堂・々!!
トロイアットが叫ぶ。
風が吠える。
男達が吹き飛ぶ。
何かがクラリーベルの全身を走って、背筋がゾクゾクした。
レイフォンは四度目のため息を吐く。
「つまりは必殺技を使わせろ、叫ばせろ、綺麗に吹っ飛べってことだ!」
ビシリッ!と、音を立てて親指を突き上げたトロイアットが振り返る。
店内には彼の必殺技で吹き飛ばされて、天井で頭を打って落下した男達が床で伸びている。
つまり、トロイアットを見ているのはクラリーベルとレイフォンしかいないということだ。
「わかったか、クララ!レイフォン!?」
「ほへっ?ええ?」
「……………」
「つまりだ、俺が言いたいことは一つだ!」
「は、はい!」
「……………」
トロイアットの気迫と勢いに、クラリーベルは思わずその場で直立する。
レイフォンは脱力し、実に五度目のため息を吐いた。
「どうせ戦うならかっこよくやれ!」
「は……」
何を言っているのか、一瞬、わからなかった。
だが、すぐにわかって、理解したらさっきよりももっと凄いゾクゾクが背筋を揺さぶった。
「はい!」
叫ぶように答える。そして色々と吹っ切れた。
ちょっと転げたぐらいでぐだぐだしていても前には進めない。気持ちを信じて突き進むのだ。
「絶対に、あなたを先生と呼べるようになります」
「よし、がんばれ」
トロイアットはにやりと笑う。
そして今度はレイフォンに、そのにやついた視線を向けた。
「悪かったな、お前の役目を横取りして」
「別に気にしてはいませんけど」
レイフォンの肩に腕を回し、クラリーベルには聞こえないようにひそひそと会話をする。
レイフォンは鬱陶しそうに表情を顰めるが、トロイアットはとても楽しそうだった。
「お詫びってわけじゃないが、これは餞別だ。吹っ切れたみたいだが、今夜はこれを使ってしっかりとクララを慰めてやりな」
そう言ってトロイアットがレイフォンに渡したのは……避妊具、コンドームだった。
それを受け取り、レイフォンは頭の中が真っ白になった。
「もちろん、穴は開けといた。それで思う存分クララを……」
話の途中だと言うのに、レイフォンの拳が伸びる。
トロイアットのにやけた面に吸い込まれ、着弾する。
トロイアットは笑った。にやけた笑みは吹き飛び、渇き、底冷えするような笑いだ。
トロイアットの手が錬金鋼へと伸びた。それと同時に、レイフォンの手も錬金鋼へと伸びる。
天剣授受者VS天剣授受者。
ド派手な戦闘が始まり、今夜の喧嘩祭はこれからのようだった。
一ヵ月後、ナイン武門の試験に合格し、クラリーベルは晴れてトロイアットに弟子入りすることになるのだった。
「……弟子入りする人を間違ったんじゃないんですか?」
「え?」