「ここが学園都市ですか……グレンダンとは全然違うのですね」
「そうですね」
グレンダンのような無骨な街並みではなく、様々な都市から入ってきた光景が混ざったような華やかな街並みを、クラリーベルとレイフォンは眺める。
ここは学園都市ツェルニ。
クラリーベルは留学と言う建て前で、レイフォンはその護衛として、今日からこの都市で6年間の学生生活を行うこととなった。
期間限定の追放処分。そういった事情でクラリーベルはここにいる。
彼女は気にするなと言ってくれたが、その原因を作ってしまったレイフォンはやはり申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
レイフォンが闇試合に出ていたことは、既に王宮側も周知の事実だった。デルボネ相手に隠し事をするのは不可能である。
そして何もお咎めなしと言う訳にはいかなかったが、ある程度の罰金を取られてレイフォンの罪は、闇試合関係者の咎は終わった。
確かに武芸者として、神聖な武芸で賭け事をしていたのは許されないのだろう。だが、グレンダンでは別にそこまで重い罪ではないのだ。
だが、その闇試合で得た金を孤児のために使っていたレイフォンは困る。
罰金でこそ罪は償われたが、闇試合のことが知れ渡ってしまったためにもうその試合は行われない。つまり、孤児達を養うための金を稼ぐ方法がなくなってしまったのだ。
そのことに悩むレイフォンだったが、そこは王宮側がなんとかしてくれた。そもそも孤児院と言うのは都市の施設であり、補助金などが出て当然なのだ。
グレンダンは財政的余裕があまりないのもあるが、そのトップである女王がいい加減なこともあり、ティグリスやカナリスに促されて『めんどくさい』と言いながら女王が補助金を工面してくれたりした。
だからこそ、レイフォンがもう孤児のために金を稼ぐ必要はなく、任務として、クラリーベルの護衛として都市の外に出てもなんら問題はないのだ。
だからこそ、レイフォンは決意した。
任務だと言うこともあるが、何があってもクラリーベルを、彼女を護ると。
付き纏われ、ところ構わず勝負を挑まれ、当初はどこか苦手としていたレイフォンだが、彼女との付き合いは早3年と結構長い。
それに、グレンダンの王宮の廊下で言われたあの言葉。レイフォンに好意を持っていると言う告白。
鈍感と言われるレイフォンだが、あそこまでストレートに言われて無関心でいられるレイフォンではない。
嘘を付いているとは到底思えないし、付く意味もないだろう。それに、クラリーベルは言うまでもなく美人だ。
多少、戦闘狂な部分がマイナスかもしれないが、やはりレイフォンも男であり、可愛らしい少女に好きだと言われて嬉しくないわけがない。
グレンダン最強の一角、天剣授受者の1人とはいえレイフォンはまだ10代の子供であり、恋愛や恋人などに興味がある真っ只中のお年頃。
可愛い女の子に好きだと言われたのなら、それは嫌でも意識してしまう。
そんなわけで命じられるがままに、流されるがままに、レイフォンはクラリーベルと共にツェルニに留学することとなった。
それが決まった日、何故かリーリンには殺意のこもったような視線で睨まれ、命の危険すら感じた。
孤児院の弟や妹達には冷やかされ、思う存分からかわれた。
女王であるアルシェイラにはニヤニヤと、デルボネには微笑ましそうに見送られ、ティグリスには孫娘を泣かせたら殺すと脅された。
別に泣かすつもりなんてないが、あの時だけは本気で死を覚悟した。威圧感ならば、リーリンにすら匹敵する。むしろ、天剣授受者に匹敵するほどの威圧感を出したリーリンが凄いと思ってしまった。その理由までもは理解できないが。
そしてクラリーベルの師であるトロイアットには、親指を立てて『頑張れよ』と言われた。
餞別として渡された小包。それを開けると……中に入っていたのは避妊具。コンドームと呼ばれるものであり、そのひとつひとつにはご丁寧に針で穴が開けられている。それをレイフォンは、無言でゴミ箱へと投げ捨てた。
そんなこんなで知り合い達に見送られ、レイフォンはクラリーベルと共にここに、ツェルニにいる。
戦闘狂で一般常識に難のあるサヴァリスが、『その都市には弟がいるから、何か困ったことがあるなら頼りなよ』なんて、唯一餞別と取れる言葉を思い出しながら、これから6年間暮らすこととなる寮へと向かった。
ここは学園都市。『学園』でもあるが、生活するための『都市』でもある。そのための住む家。
グレンダンの王家が手続きをしてくれ、渡された地図に従ってその場所へと向かう。その寮を見て、レイフォンはぽかんと口を開けた。
「ここ……ですか?」
「はい、地図には間違いありませんね」
クラリーベルが地図を確認し、そう言う。
自分の少ない荷物と、クラリーベルの荷物を持っていたレイフォンはそれを思わず落としそうにしながらも、自分達がこれから住むことになる寮を見上げた。
それはもはや、マンションだった。
とても立派な建物であり、王宮育ちのクラリーベルならともかく、孤児院育ちのレイフォンには間違いなく場違いな建物。
暫し呆けるレイフォンだったが、呆けていても始まらないので、戸惑いながらもクラリーベルについていく形でレイフォンは建物の中に入る。その中も、外見に劣らずとても豪華だった。
ガラス張りの瀟洒なロビーを抜け、螺旋状の階段の踊り場にはソファーまで置かれていた。
部屋は2階であり、受付で渡された鍵で意匠の凝らされた扉を開ける。そこには、広い玄関が広がっていた。
真っ直ぐに廊下が伸び、その先にはまたも広いリビングへと繋がっている。そこから更に扉があり、各部屋に繋がっているらしい。
豪華だ……
レイフォンは呆気に取られ、自分にはもったいなさすぎる部屋を見渡す。共用ではなく、トイレや風呂なども個室に備え付けてあった。
更には広い、豪華なキッチン。リーリンが喜びそうだなと思いながら、孤児院とは比べ物にならない部屋を見渡す。家具は既に備え付けてあり、豪華なものが並んでいた。
学年が変わると共に部屋を移動する者が多い学園都市では、こういったしっかりとした造りの家具は運搬にも移動にも手間がかかるから好まれないが、これから6年暮らすつもりなのだからそんな心配はない。
むしろこの部屋に合わせ、仮にも王家出身であるクラリーベルの為にグレンダンの者が用意したのだろう。
自分も天剣授受者と言う地位にいるが、贅沢な暮らしを好まなかったレイフォンにはそういった認識はない。
未だに豪華な部屋に戸惑いながら、レイフォンは荷物を整理する。
そこまで量は多くないので、すぐに終わるだろう。そう確信した。
「えっと……僕の部屋は?」
ほぼマンションとはいえ、この寮の部屋はかなりの部屋数がある。
キッチン、リビング、寝室、様々な部屋の扉を開けて中の構造を理解するが、レイフォンはひとつだけ疑問を抱いた。
「良い部屋ですね……」
「ええ、そうですね」
「あの……クララ?」
「なんですか?」
最近、やっと呼び慣れ始めたクラリーベルの愛称を呼びながらレイフォンは尋ねる。
その問いに、クラリーベルは問い返した。
「僕の任務は護衛ですから、同じ部屋と言うのはいいんですよ。部屋数もたくさんありますし、十分広いですから」
「そうですね」
「ですが……ひとつ聞いていいですか?」
「なんですか?」
「なんでベットがひとつしかないんですか!?」
レイフォンは心の底から疑問を抱く。
護衛が任務故に、部屋が一緒になる可能性は理解していた。住んでいる場所が別々だと、護衛の意味がないからだ。
当初こそこの部屋の豪華さには驚いたが、これほど部屋の数があるのなら2人で済むには十分すぎる。プライベートや寝室など、そういった区切りを設けることは簡単だった。
だが肝心の寝室、ベットがひとつしかない。これは一体、どういうことだろうか?
「このベット、大きいですね。ダブルベットでしょうか?」
「いや、そう言う事じゃなくてですね……」
ベットはひとつしかない。だが、それはあまりにも大きかった。
そう、『2人で寝て』も十分すぎるほどに。
「……とりあえず、僕はソファーで寝ます」
「私は気にしませんよ」
このベットの真意に気づかないように言うレイフォンだったが、クラリーベルはそれを理解しながらもそんなことを言う。
その発言に、レイフォンは思わず噴出してしまう。
「少しは気にしてください!これでも僕、男なんですから」
「そういえば、先生が言ってました。男は獣だって」
「そう言う事です。だからあんまり無防備でいると、酷い目に遭いますよ」
自分が獣のようだと言われるのは侵害で、勢いや理性に任せてクラリーベルを襲うなんてことはないと思うが、ひとつ屋根の下、その上同じベット。
こんな状況では、何か間違いが起こってしまうかもしれない。
状況に流されやすいレイフォンだが、こればかりは流されるわけにはいかなかった。
「ですが、先生はこうも言ってました。『男に無駄に溜めさせるな』と」
「あなたは師事する人を間違えたんじゃないんですか!?」
ここにはいないトロイアットに憎悪を抱きつつ、グレンダンに戻ったらどうしてくれようと考えるレイフォン。
暫し思考したが、今はそんなことよりもこれからのことについて考えるほうが先決である。
寝床はこの際どうでも良い。いや、良くはないがとりあえず置いておく。
今はそれよりも優先すべきことがあった。
「お腹……空きましたね」
「そうですね。材料があれば何か作りますけど……冷蔵庫は空ですからね。何か食べに行きましょうか?」
それは空腹。ツェルニに着いてから直行でこの寮に向かったため、空きっ腹に何か入れる暇はなかった。
リーリンほどではないが、レイフォンは料理ができる。だが、今日この場所に訪れたので、食材が買い置きされているわけがなかった。
だから、どこかレストランにでも食べに行こうと提案するのだが……
「はーい?」
玄関から呼び出しの鈴がなり、レイフォンはそれに対応する。
今日引っ越してきたばかりなのに、誰が訪ねてきたのかと疑問を抱いて扉を開けると、そこには食材の入った袋を持つ大男が立っていた。
短く刈り込んだ銀髪に、鍛え上げられている肉体。厳つい顔をしているが、その中に収まった目や鼻にはどこか甘い雰囲気の片鱗も見え隠れして、それが愛嬌にも取れる。
そんな彼の後ろには、赤毛の小さな少女が立っていた。
「しゃああああああああっ!!」
「え……?」
その少女が、いきなりレイフォンに向けて威嚇してくる。
「やめろシャンテ!」
それを大男が制し、深々と頭を下げた。
「いきなり申し訳ありません。それから、初めましてヴォルフシュテイン卿。自分はゴルネオ・ルッケンス。天剣授受者、サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスの弟です」
「あなたが……」
話に聞いていた、サヴァリスの弟。
だが、その容姿は似ても似つかず、性格もサヴァリスとは違い礼儀正しそうだ。
あんな兄の元、よくこんな弟が育ったなと思いながら、レイフォンは未だに自分を威嚇してくる少女へと視線を向ける。
彼女はまるで獣のように唸り声を上げながら、レイフォンを睨んでいた。
「すいません、こいつはシャンテ・ライテ。育ちが少々特殊で、獣みたいな奴なんです。人見知りをしているだけですから気にしないでください」
「はぁ……」
相槌を打ったレイフォンに向け、ゴルネオは持っていた食材の袋を差し出した。
「自分は、ヴォルフシュテイン卿とクラリーベル様の手助けをするように申し付かりました。先ほど着いたと話を聞きましたので、食材の買出しに。何か足りないものがあるなら言ってください。追加で買ってきますので」
「あ、いえ、そんな……ありがとうございます」
「自分は武芸科の5年生です。ツェルニには小隊と言う制度がありまして、その第五小隊の隊長を僭越ながら務めさせて頂いてます。ですので、何か困ったことがあればいつでもいらしてください」
「どうも……小隊?」
「小隊と言うのはですね……」
ゴルネオに、小隊に付いて詳しく教えてもらった。
要は武芸科のエリート集団であり、都市戦や汚染獣戦などで中枢となる存在らしい。
最も汚染獣との遭遇はグレンダンとは比べ物にならないほど少なく、ゴルネオの在学中には一度もなかったそうだ。
グレンダンの外の都市は平和だと聞いてはいたが、まさかそこまでだとは思わなかった。
「それでは、自分はこれで失礼します」
「はい、ありがとうございました」
会話も終わり、用事も済んだのかゴルネオは恭しく頭を下げて去っていく。
未だに威嚇していたシャンテの首根っこをつかみ、引きずるようにしてだ。
そんな後姿を眺めながら、レイフォンはとあることを思い出した。確か、ゴルネオはガハルドの弟弟子だったはずだ。
ならば、結果的にはガハルドを再起不能にしたクラリーベルのことを恨んでいるのではないかと言う一抹の不安を抱く。
だが、レイフォンのように疚しい事を、闇試合に出ると言う武芸者にあるまじき行いをしていた者が口封じのためにしたのではなく、クラリーベルのように何も疚しい事がない者がやったのとでは話が変わってくる。
それに、このことは王宮の情報操作で、一般には手合わせ中の事故として片付けられているはずだ。
だから、そのことについてゴルネオがクラリーベルを恨んでいる可能性は低いだろうと考えながら、レイフォンは扉を閉めて食材をキッチンへと運んだ。
「どなたでしたか?」
「ゴルネオ・ルッケンス。サヴァリスさんの弟さんですね」
「あら、それならちゃんとお会いしておくべきでしたね」
「また機会がありますよ。それよりも、食材を届けてくれたんで何か作りますね。食べたいものありますか?」
「それでは……」
その食材を使用し、早速料理を作るレイフォンだった。
「で……どうしてこんなこと?」
食事も取り、やることは大方やったので、この日はもう寝ることにした。
明日は入学式だ。だから早く寝て、それに備えようと言うわけだ。
で、結局男女が同じベットで寝るわけにはいかず、レイフォンは当初の予定通りソファーで寝た。近いうち、家具屋でベットを購入しようと思いながら。
毛布をかぶり、レイフォンは目をつぶる。
だが、寝ようと思ってもなかなか寝れない。明日は入学式であり、レイフォンにとっては初めての経験だ。
それが楽しみであり、柄にもなくドキドキと緊張し、眠れないでいた。
まさか天剣授受者である自分が、学校に入学するとは思わなかっただけにその緊張も相当のものである。
同年代の者達と机を並べて勉強をする。そんなものとは、一生縁がないとばかりに思っていた。
胸の高鳴りを抑えきれずに、未だに寝付けなかったレイフォン。だからこそ気づいた。
「あれ?」
人の気配。廊下を誰かが歩いている。
一瞬不審に思ったが、すぐにその思考を破棄した。何故ならそれはクラリーベルのものだったからだ。
(トイレかな?)
レイフォンの疑問のとおり、クラリーベルの気配はトイレへと向かい、少しして水洗トイレの水の流れる音が響いた。
ならば気にする必要はなく、早く寝てしまおうと思ったレイフォンだが……
「……え?」
その気配は段々と近づいてきて、クラリーベルに与えられた寝室ではなく、レイフォンの寝ているロビーのソファーへと近づいてきた。
「クララ……?」
「んっ……」
「って、ちょっとぉぉ!!」
「うん……」
そして、レイフォンの毛布にもぐりこんでくる。
咄嗟のことで反応が遅れてしまい、いきなりの出来事にレイフォンは大慌てだ。
狭いソファー。故に、クラリーベルはレイフォンに抱きつくように擦り寄ってくる。
声を荒らげて呼びかけるレイフォンだが、クラリーベルは寝惚けているのか聞いている様子はない。
「あの……もしもし?」
「んっ……」
「起きてくださーい」
「く~っ……」
「本当にお願いします!」
「……………」
クラリーベルが起きる気配はまったくない。
抱きつくほどに密着しているため、彼女の体温がレイフォンにダイレクトに伝わる。とても温かかった。
女性特有の柔らかさ。小さくはあるが、彼女の胸がレイフォンに押し当てられる。
寝息が顔に当たり、ドキンドキンと心臓は激しく脈打つ。
黒髪と、癖のある一筋の白い髪。この髪は彼女の生まれつきだそうだが、それからするシャンプーの良い香り。
放浪バスの生活が長かったために、そう言えば寝る前に風呂に入っていたなと思い出す。
こんな状況で、レイフォンは眠れるわけがなかった。
この夜、レイフォンは一睡もできぬまま、理性で誘惑を抑え込みながら入学式を迎えることになるのだった。