「いやはや、正直これは予想外でしたね」
サヴァリスはポツリと、少しだけ残念そうに呟く。
「まさか餌場(都市)を前にして汚染獣が去っていくとは。ガハルドを取り込んだからここの恐ろしさを理解したというのかな? まさかね」
果たして、汚染獣に恐怖心などあるのだろうか?
戦わずして勝てないと理解し、自ら退いたのだろうか?
あまりにも現実的ではないことを考え、サヴァリスからは失笑が漏れる。
「それにしてもガハルドはどうするべきかな? 死体が残っていたら葬儀でも上げればいいけど、この場合は行方不明ということになるのかな? まぁ、僕がこんなことを考えなくとも親父殿がなんとかしてくれるだろうけどね」
ガハルド・バレーン。クラリーベルの手によって負傷し、植物状態となって眠り続けていたルッケンスの武門の者。彼は汚染獣、老生体の変種に取り憑かれて豹変した。
この汚染獣は一月ほど前にグレンダンに侵入した。幼生体の群れにまぎれ、隙を突くようにだ。
侵入には即座に気づき、天剣授受者が追いかけたのだが、この汚染獣は人間に寄生して内部から養分を吸い取るという奇怪な変性を遂げており、そうなってしまえば天剣授受者であり、グレンダン一の、いや、世界でも最高の念威繰者であるデルボネでも発見するのは困難だった。
そこで、捜索の任務を請け負ったサヴァリスは一計を案じた。
これまでに数度の追跡で、汚染獣は養分を吸いきる前に宿主に新しい宿主を襲わせて移動すること、移動の瞬間には念威繰者が発見できること、そして寄生された人間は元来の性格に行動の影響を受けることがわかっていた。
そこでサヴァリスは、念威繰者を大量に動員して次の犠牲者が教われる瞬間を待って襲撃。更に取り逃がした時のために、行動を予測しやすい人物を囮として用意した。それがガハルドだ。
「一度、同門同士で戦ってみたかったんだけど、それが出来なかったのは残念だね」
あと一歩のところで取り逃がしたが、サヴァリスの思惑通り汚染獣はガハルドに寄生する。このことからガハルドに寄生した汚染獣は、ガハルド自身が憎悪を向けるレイフォンの関係者、またはクラリーベルの関係者にその矛先を向けるかと思われた。
だが、最後の最後で汚染獣の、ガハルドの行動はサヴァリスの予想を覆した。汚染獣はガハルドに寄生したまま、グレンダンを出て行ってしまったのだ。
「済んでしまったことは仕方ないか」
それでもサヴァリスは他人事のように、どうでもよさそうに言った。
サヴァリスは本当にどうでもいいと思っているのだろうが、それでもひとつだけ気がかりなことがあった。
グレンダンから姿を消した汚染獣、いやガハルドは、一体どこに行ったのだろう?
†††
第十八小隊は連勝による連勝で、現在対抗試合の首位を独走していた。
そんな第十八小隊を引っ張るのはレイフォンとクラリーベル。二人は第十八小隊のダブルエースと呼ばれ、圧倒的な実力で相手を下すことからその地位を不動なものへとしていた。
まさに敵なし。絶好調で対抗試合を駆け抜ける第十八小隊。昨日の試合でも第十六小隊を破り、勝ち星をまたひとつ伸ばしていた。
試合の翌日、つまりは休日。今日は試合がなく、訓練もない。おまけに授業もない、完全にフリーな一日。
「たまにはこういうのもいいですね、レイフォン様」
「そうですね」
そんなわけでクラリーベルは休日を堪能し、護衛の役目を担っているレイフォンはそんな彼女に付き従う。
本日の目的は思う存分に遊ぶこと。これもまた学生の特権なのだろう。
「クララ、映画どうでした?」
「よくわかりませんでした」
「……普通の恋愛映画じゃありませんでしたっけ?」
「レイフォン様だって途中から寝てたじゃないですか」
「そうでしたっけ?」
とりあえず映画を観た。ミィフィが面白いからと進めてきたそれだが、クラリーベルの好みからは外れていたようで、レイフォンは途中から眠ってしまった。
見事に映画代を無駄にし、それでも気にしたそぶりを見せずに、二人はツェルニの町並みを歩いていく。
「これからどうしますか?」
「それでは、洋服を見て、洋服を見て、洋服を見るというのはどうでしょう?」
「洋服を見てばかりですね」
「買ってもらって、プレゼントされて、奢ってもらえれば尚嬉しいです」
「僕が払えってことですか? いや、別にグレンダンからの仕送りは十分なので構いませんけど」
「どんな服がいいのか、レイフォン様が選んでくれませんか?」
「僕に女性ものの服の良し悪しなんてわかりませんよ」
「そんなものはどうだっていいです。ただ、レイフォン様が選んでくださったという事実が大事なんです」
「いまいちわかりません」
会話を交え、次は服を観に行くことが決定した。だが、その前に小腹が空く。
映画を観たため、時刻は既に昼過ぎ。服を見るのはいいが、それはこの空きっ腹をどうにかしてからでいいだろうとレイフォンは口を開いた。
「クララ。お腹空きませんか?」
「そういえばそろそろ良い時間ですね。お昼にしましょうか」
「はい。どこのお店がいいですかね?」
「実はですね、レイフォン様」
照れ臭そうに、だけどどこか誇らしげにクラリーベルは笑う。にこやかな微笑を浮かべ、バックを差し出した。
「お弁当を作ってきたんです」
「え?」
そういえば今日は、朝早くからクラリーベルが台所で何かをしていたことを思い出す。それがまさか、弁当を作っていたとは思わなかった。そもそも、クラリーベルは料理が出来たのだろうか? 出来たとしても、あまり得意ではないはずだ。
ツェルニに来てから、家事は全てレイフォンがやっている。クラリーベルは王家のお嬢様、それも有能な武芸者なので家事とは無縁の生活を送っていたはずだ。正直、ちゃんと食べられるのか不安だった。
それでも、せっかく作ってくれたものを無下に断るのは悪い気がする。それと少しだけだが、本当に僅かだがレイフォンは嬉しかった。クラリーベルが弁当を作ったという事実に。
「そうなんですか。それじゃあ、場所を探して食べましょうか」
「ええ。味の方も期待してください。簡単なものばかりですが、メイっちに教わったので自信がありますよ」
好意を寄せてくれている女性が作った弁当。それを出されて喜ばない男などいない。
確か錬金科の近くに良い公園があったことを思い出し、クラリーベルとそちらに向かった。
「へえ……本当に美味しいですね」
「たくさん作ってきましたので、どんどん食べてください」
公園のベンチに腰掛け、レイフォンはクラリーベルの作った弁当を口にする。
弁当の中身はサンドイッチだった。材料を切り、それをパンに挟むだけ。火も使わないので誰でも簡単に作ることが出来る。
それが大量にあった。とはいえレイフォンもクラリーベルも武芸者なので、この程度の量ならぺろりと平らげてしまうだろう。
「そういえば今日は、第三小隊の試合をやっているそうですね。第十七小隊にいらっしゃったニーナさんのいる」
「そうでしたっけ? 他の小隊にはあまり興味がありませんので」
クラリーベルの振ってきた話題に、レイフォンは微妙な表情を浮かべて答える。
言葉どおりの意味で、第十八小隊以外の小隊にあまり興味はない。第十八小隊と比べれば、他の小隊の戦力などまるで塵芥も同然だった。勝負にならず、脅威になりえない。
だから他小隊のことなど、正直どうでもいい。
「第十七小隊が解散したので、ニーナさんは第三小隊に移ったんですよ。古巣の第十四小隊に戻るという話もあったんですが、自分の都合で小隊を抜けてそれは出来ないという理由で、結局は第三小隊になったそうです。ミィちゃんが言ってました」
「へぇ……最後のサンドイッチ貰いますね」
「あ、ずるいです!」
クラリーベルが得意気に説明している隙に、レイフォンは最後のハムサンドを取る。クラリーベルの不満を受け流し、口に頬張った。
「おいしかったですよ」
「ずるいです。私が狙ってたのに……」
「あはは、すいません」
頬を膨らませて拗ねるクラリーベルを、レイフォンは笑って誤魔化した。
平和で穏やかな、休日の一時。最近は対抗試合やら汚染獣のことやらでドタバタしていたので、このような一時は本当に貴重だった。
休日の開放感がレイフォンにも心の余裕を持たせ、大らかな気持ちになってくる。
「もう怒りました。頭にきました。レイフォン様、デザートを奢ってください。ほら、あそこ。あそこにアイスの屋台がありますから!」
「別にいいですけどね」
偶然公園にあったアイスの屋台をびしっと指差し、クラリーベルはレイフォンに奢らせようとする。それを承諾したレイフォンは、財布を取り出して屋台へと向かった。
「クララ、何がいいですか?」
「私はチョコとバニラとストロベリーのトリプルで」
「太りますよ?」
「いいんですよ、その分運動すれば」
「それじゃあ僕は……ヨーグルトにしようかな?」
クララの要望を聞き、レイフォンは自分の分も選ぶ。甘いものが苦手なので、なるべく甘くなさそうなものを選んだ。
屋台の主人は注文を聞き入れ、すぐにアイスを差し出してくれた。
「では、いただきます」
トリプルアイスを手に取ったクラリーベルは、満面の笑みを浮かべてアイスを口にする。レイフォンもヨーグルトアイスを口にした。
「あ、これ美味しいですね。バニラが絶品です」
「そうですか」
「レイフォン様も食べますか?」
「いえ、僕は甘いものが苦手なので」
「そうですか」
どうやらクラリーベルは大満足のようだ。レイフォン自身も満足している。
ヨーグルトのアイスは甘すぎず、酸味が程よく利いてとても美味しかった。
「レイフォン様、レイフォン様」
「はい?」
クラリーベルが声をかけ、レイフォンは一瞬だけアイスから視線を逸らす。
「隙ありです」
「あ」
その隙を突いて、クラリーベルがレイフォンのアイスにかぶりついた。
「ヨーグルトも美味しいですね」
「自分のがあるじゃないですか」
「レイフォン様のが食べたかったので」
「あ~あ、もう……アイスクリームがほっぺに付いてますよ」
レイフォンは呆れ、ポケットから取り出したハンカチでクラリーベルのほっぺを拭う。
じっとしてされるがままとなっていたクラリーベルだが、どこか不満そうだ。
「む~、どうせなら舐めて取ってくれるとよかったんですけど」
「ぶっ……そんなことできるわけないじゃないですか!」
レイフォンは顔を赤くし、視線を逸らしてクラリーベルの要望を跳ね除ける。そしてアイスを再び口にしたところで、またもクラリーベルが声をかけてきた。
「レイフォン様、レイフォン様」
「今度はなんですか?」
「間接キスですね」
「……………」
レイフォンが食べたアイスをクラリーベルが食べ、それを再びレイフォンが食べた。見事な間接キスであり、それをクラリーベルが嬉しそうに指摘する。
「……そうですか」
レイフォンは暫し言葉を失っていたが、気を取り直して生返事を返した。
「素っ気無い反応ですね」
「もう疲れました」
せっかくの休日なのに、どうしてこのように疲れなければならないのだろう?
レイフォンは小さなため息を吐いて視線をさ迷わせていると、公園内に見知った顔があることに気がついた。
「あ……」
「キリクさんですね」
クラリーベルも気づいたようだ。人は二人組みであり、一人は車椅子に座っていたキリクだ。もう一人が誰なのかわからない。けれど、どこかで見たような気がする。
「キリクさん!」
「ん、お前達か」
クラリーベルの呼びかけに、キリクがめんどくさそうで不機嫌そうな声で答える。とはいえ彼の場合はこれが自然体で、別に機嫌が悪いというわけではない。
「え、なに? キリクの知り合い? って、君達は第十八小隊の」
もう一人の人物は、ツナギの少年だった。おそらくはキリクと同学年で、気難しそうな彼と親しそうに話している。
そして、自分達のことをどうやら知っていたようだ。とはいえ、第十八小隊の者はツェルニでは有名なので、別に知っていても不思議ではないが。
「やあ、話はキリクに聞いてるよ。実際にこうやって話すのは初めてだけど、前に一度会っているよね? 僕はハーレイ・サットン。元第十七小隊のバックアップを担当していたんだ」
言われて、レイフォンは気づいた。ニーナと共にいた少年だ。第十七小隊のスカウトを受けた時、ちらりと見た気がする。
「どうも。僕は……」
「レイフォンとクラリーベルだよね。さっきも言ったけど話はキリクに聞いてたし、君達はツェルニじゃ有名だからね」
自己紹介をしようとしたが、ハーレイが笑ってそれを制する。けれど、レイフォンは笑えなかった。
第十八小隊は良い意味で、そして悪い意味でも有名だ。その悪い部分は主にクラリーベルが原因なわけで、クラリーベルの暴走の被害を受けた第十七小隊の人を前に笑える余裕なんてなかった。
「もしかしてあの時のことを気にしてる? まぁ、確かにあの時はニーナが荒れて大変だったけど、君達が悪いわけじゃないし」
「いえ、明らかにこちらが悪かったです。本当にすいませんでした」
「よくわからないけど、苦労しているんだね……」
深々と頭を下げるレイフォンに、ハーレイは悟ったように接してくれる。
いまいち理由を理解していないだろうが、向けられる気遣いはとても暖かかった。
「それはそうと、これもキリクに聞いた話なんだけど天剣っていう凄い錬金鋼を持ってるんだって? 今度見せてくれないかな?」
「え?」
「いや、実は僕達、まったく新しい錬金鋼の開発をやっててね。その参考になればってことなんだけど……時間は取らせないからさ、機会があれば見せてくれないかな?」
「すまんな。こいつは研究馬鹿なんだ」
「馬鹿は酷いな、キリク。ってか、それは君も人のこと言えないだろ」
「否定はしないが、それでもお前は……」
「それを言うならキリクだって。大体キリクの作ったものは……」
唐突に話題が変わって戸惑うレイフォンだが、ハーレイとキリクはそんなレイフォンを更に置き去りにする。
専門的な用語、おそらくは錬金鋼に関する会話が交わされている。その内容をレイフォンは微塵も理解することが出来ず、ポカーンと口を開けて聞いていた。
「レイフォン様、アイス溶けますよ」
「えっ、あ、うん……」
クラリーベルの指摘を受け、溶け始めたアイスを慌てて舐める。溶けかけているが、それでもこのアイスはとても美味しかった。
「どうやら話に夢中になっているようですし、私達は行きましょう」
「え、いいのかな? 放っておいて」
「いいんですよ。それに、こうしている間にも時間は流れているんですから。休日があっという間に終わってしまいますよ」
「それもそうですね」
「レイフォン様には服を選んでいただきませんと」
「そうでしたね。それじゃあ、行きますか」
2人はハーレイ達をその場に残し、公園を後にした。
†††
「いえ、確かに服を選ぶといいましたし、グレンダンからの仕送りに余裕もありますけど、それでも買いすぎじゃないですか?」
「少し調子に乗りすぎました。ですがレイフォン様、女性というものはおしゃれに気を使うものなんですよ」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ」
休日ももうすぐ終わりを迎える。夜、既に寮の中に入り、レイフォンとクラリーベルは自室へと向かっていた。
レイフォンの両手には大量の紙袋。その中には購入した服が入っていた。
「今日は一日ありがとうございます。とても楽しかったです」
「そうですか……クララが喜んでくれたのなら、悪い気はしません」
今の今まで買い物に付き合わされたのは大変だったが、それでもクラリーベルが喜んでくれたのなら悪い気はしない。
なんだかんだで今日は、レイフォンも楽しかった。
「また付き合ってもらえますか?」
「ええ、いいですよ」
「ありがとうございます。今日は私の我侭を聞いてもらったので、次の機会にはレイフォン様の行きたいところに行こうと思います」
「僕の行きたいところですか? う~ん、特にないですね」
「駄目です、ちゃんと考えてください」
また今度、一緒に遊びに行こうと約束を交わす。そんな会話をしているうちに、自室の扉の前に到着した。
「クララ、夕飯は何がいいですか?」
「レイフォン様にお任せします」
「冷蔵庫には何が残っていたかな?」
扉を開け、中に入ろうとする。ちょうどその時、レイフォンとクラリーベルに声がかけられた。
「やあ、レイフォン君にクラリーベル君。今戻ったのかい? 君達に大事な話があったので、ちょうど良かったよ」
声の主はこの都市の長、生徒会長のカリアン・ロス。
休日が終わり、新たな戦場がレイフォンとクラリーベルを待っていた。
あとがき
メイシェンフラグが見事に折れてるので、クララとのデートです。もう付き合っちゃえよ、お前ら。
それはさておき、原作ではあまり料理が得意じゃないクララ。それでもサンドイッチ程度の簡単なものなら作れるのではと思っています。あれは材料切って挟むだけですからね。
そういえば深遊さんのレギオス漫画でニーナが……いやはや、レウにも言われてましたが彼女は料理しない方がいいですねw
作中、何気に語られたニーナの近況。つまりはそういうことで、現在彼女は第三小隊でがんばってます。
さて、次回から廃都市編。廃貴族の存在を知っているクララがいるため、原作とは異なる展開になります。それと事実を隠されているとはいえゴルネオは嫌悪感を抱いてませんので、かなり腰の低いゴルネオが見れるかとw
当初は第三小隊(ニーナ)を行かせるかとも考えましたが、ここはやはりゴルネオでしょう!
さて、最後に今回も少しだけおまけを。短いですがもう少しだけお付き合いください。
「……………」
夕飯の準備をしようとして、レイフォンは台所の惨状に言葉を失う。
「………てへっ」
「てへっ、じゃないですよ」
クラリーベルはおどけて見せるが、それで誤魔化されるレイフォンではない。
そこは台所ではなく、もはや戦場の跡地だった。
「クララ、もう二度と料理はしないでください」
「はい……」
散乱した食材の残りかす。散らばった料理器具。どんな風に調理をすればこのような光景が作られるのだろう?
「とりあえず今日は、どこかに食べに行きましょうか」
これは後片付けが大変だと思い、レイフォンは深いため息を吐いた。
あとがき2
なんかクララって、片づけが苦手そうですよね。
さて、そんな訳で今回はこれで。次回もよろしくお願いします。