雄性一期。
幼生体からの成り立てであり、比較的弱い部類に入る汚染獣。
だからとは言えその1体を1人で相手にするのは難しい。本来なら数人の武芸者でかかり、安全確実に倒すのが最良の手段だ。
だが、それがグレンダンなら、汚染獣を逆に襲うように遭遇する都市ならば、その基準は違ってくる。
グレンダンにとって、雄性一期は若い武芸者の初陣の相手としてはちょうど良いのだ。
そして例に漏れず、グレンダンの王家、ロンスマイアの少女が初陣として戦場に立つ。グレンダンでは初陣の際に熟練の武芸者が後見として見守る決まりごとのようなものがあった。
だが今回の後見人は、少女とはひとつしか違わない少年。当時11歳だった少女に対し、彼は12歳だった。
だけどこの少年は史上最年少で天剣授受者となった天才、レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ。
それ故にレイフォンの実力は噂で聞き、自分と歳もそれほど変わらない事からどこか意識していた。
幼くして天剣となった少年。そう言った憧れと共に、自分でも不可能ではないと思う若い武芸者はいくらだっているのだ。少女だってその1人だ。
だからこそ、突如少女の後見人となったレイフォンに驚きはしたものの、その内心は高揚し、戦意が駆り立てられた。
レイフォンの前で無様な姿は曝せないと意気込むと共に、彼を後見人に指名した祖父のティグリス・ノイエラン・ロンスマイアに感謝する。
少女の名はクラリーベル・ロンスマイア。
天剣授受者、不動の天剣ことティグリスの孫だ。
「っ……」
汚染獣の巨大な尻尾が振り下ろされ、それをクラリーベルがかわす。
相手は雄性一期。
トカゲのような体躯のそれは、昆虫のような翅を羽ばたかせて上空にいる。
かわしたクラリーベルは活剄の密度を上げ、跳躍する。
空を飛ぶ汚染獣。故に狙いはその昆虫のような翅を切り、地に落とす。
武芸者の汚染獣に対するアドバンテージは速度。
仮にも人間である武芸者が、体力や力で人外である汚染獣に敵うはずがない。そんな事ができるのは、それこそ膨大な剄を持つ天剣授受者くらいだ。
故にその速度を生かし、鈍重な汚染獣の翅を瞬く間に切り裂く。
翅を切られた汚染獣はなすすべなく地に落ち、体をうねらせていた。
これにより相手の制空権を奪う。だが、油断はできない。
地に落ちたとは言え、巨大なのはそれだけで武器だ。汚染獣の体躯はそれだけで脅威なのだ。
周囲に渦巻くのは汚染物質。都市外装備に身を包んでいなければ肺が5分で腐る死の世界。
そんな場所でかすり傷ひとつでも負ってしまえば、そこから肌を焼かれる。時間制限を突きつけられ、全力では戦えなくなってしまう。
だからこそ汚染獣の攻撃を受けないようににクラリーベルは避け続ける。かわし、隙をついて反撃する。
次に厄介なのが、汚染獣の防御力、生命力だ。
半端な一撃は通らず、そのあまりにも硬い甲殻によって守られている。
如何に相手が雄性一期とはいえ、その甲殻、鱗は新人武芸者にそう簡単に破れるものではない。
かわし、少しずつ切り刻んで行く、削り取って行く。
そして甲殻を剥ぎ、そこに大技を叩き込む。
「……まだ生きてますか」
削り取った汚染獣の鱗に衝剄を放つも、未だに汚染獣は生きている。痛みに身を悶えさせ、飢餓と怒りをクラリーベルに向けてきた。
その視線に怯むことなく、胡蝶炎翅剣(こちょうえんしけん)と名づけられた、クラリーベル考案の紅玉錬金鋼製の奇双剣が振られる。
この錬金鋼が紅玉錬金鋼製と言う事からもわかるが、クラリーベルは化錬剄を得意とする武芸者だ。
天剣授受者であるトロイアット・キャバネスト・フィランディンに師事し、その技を学んだ。
錬金鋼に剄を通し、クラリーベルはその化錬剄により汚染獣に止めを刺そうとするが……
「あら……?」
体が言う事を聞かない。
錬金鋼を持った腕がだらりと下がり、猛烈な気だるさがクラリーベルを襲う。
(うそ……嘘!?)
体に動けと命じるが動かない。
これには流石に慌てて、クラリーベルは冷や汗を流す。
原因はわかっている、剄脈疲労だ。意外に汚染獣との戦闘が長引いてしまい、スタミナ配分を間違えてしまったのだ。
この程度、普段の鍛練や試合などではまだまだ大丈夫と思っていたのだろうが、実際に汚染獣の前に立って戦うのと試合は違う。
傷ひとつついたら終わりの状況で神経をすり減らしつつ戦うのは、鍛練や試合なんかとは比べ物にならないほど消費するのだ。
(まずい……)
これでは戦えない。ならば生き残るために逃げようとするが、それすらも体が言う事を聞かずに地に倒れてしまう。
いくら戦闘中だったとは言え、ここまで消耗していた事に気づかなかった自分を罵倒する。
大丈夫だとは思っていたのだが、考えではまだ行けたのだが、思考に体がついていけずに倒れてしまった。
このままではまずい、非常にまずい。目の前には止めを刺し切れていない汚染獣。
クラリーベルの運命など、その汚染獣の餌となる以外道はない。そう、ここにクラリーベル以外の人物がいなければの話だが。
「………あ」
その光景は、あまりにも鮮烈だった。
いや、鮮烈だどうとか言う以前に何が起こったのかすら理解できなかった。
ただ気がつけば、自分の目の前にいた汚染獣の首が飛び、辺りには汚染獣の体液が飛び散っている。
それをやった人物が誰かなんて、そんなことは考えるまでもない。
天剣を復元させた後見人、レイフォン以外にありえないのだから。
「ご苦労様です、レイフォンさん」
「はい」
蝶のような念威端子から老婆の声が聞こえる。
天剣授受者唯一の念威繰者、デルボネ・キュアンティス・ミューラの声だ。
その念威越しの会話にうなずき、レイフォンは天剣を剣帯に仕舞った。
「惜しかったですね、クラリーベルさん。ですが、初めてにしては筋がよかったですよ。次はきっとうまくいきます」
「はい……」
デルボネに慰められるが、クラリーベルの心ここに在らずと言った感じで、呆然としたように言葉に覇気が無い。
「大丈夫ですか? クラリーベル様」
「あ、大丈夫です、レイフォン様……」
レイフォンにとって、クラリーベルはグレンダン王家の跡取り。
クラリーベルにとって、レイフォンは天剣授受者。
故に互いに敬語を使いながら、クラリーベルはレイフォンによって差し出された手をつかんで立ち上がろうとする。
「あ……」
だが立ち上がれない、体に力が入らない。
あまりの気だるさに体が言う事を聞かず、筋肉痛のような痛みが鈍く走る。
これではとてもグレンダンまで戻ると言う事は出来なさそうだった。
「少し失礼しますよ?」
「え……って、きゃあ!?」
それに気づいたレイフォンは一言クラリーベルに謝罪し、クラリーベル自身も自分でも驚くほどに甲高い悲鳴のような声を上げる。
レイフォンがクラリーベルの背と足に手を回し、抱え上げたのだ。
これは俗に言う、お姫様抱っこである。
「あらあら」
その光景を念威越しに見て、デルボネの微笑ましい声が聞こえる。
都市外装備をしているために顔は見えないが、クラリーベルは赤面していた。
だが、それをまったく意に介さずにレイフォンはクラリーベルをランドローラーのサイドカーに乗せる。
自分はそのまま、何事も無かったかのようにランドローラーにまたがり、クラリーベルに言った。
「それじゃ、帰りましょうか」
これが、レイフォンとクラリーベルの出会い。
彼女にとって忘れることのできない、思い出深い一戦。
自分にはあのようなことが出来るのか?
今は出来なくとも、将来できるようになるのか?
たった一太刀で、一撃で汚染獣を倒すことが出来るようになるのか?
たまらない。その日から、レイフォンの事ばかりを考えるようになってしまった。
一日たりともレイフォンの事を忘れることが出来なくなってしまった。
クララは、彼女は天才の部類に入る。挫折や力不足を今まで知らなかった才ある者だ。
だからこそ、自分の未熟さを実感する切っ掛けとなった戦場にいたレイフォンを意識するようになる。
自分を救ってくれた、圧倒的力を持つ異性に興味を持つ。
だからこそ、レイフォンのことをもっと知りたくなった。
レイフォンと話がしたくなった。
レイフォンと戦いたくなった。
レイフォンに自分のことを知って欲しくなった。
レイフォンに自分の力を認めて欲しかった。
何時しかクラリーベル・ロンスマイアは、レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフに夢中になっていた。
「レイフォン様、お手合わせ願います」
「お断りします」
清々しいほどの笑顔でお願いされ、レイフォンはそれをすっぱりと断る。
最近では当然のようになってきた日常。
何時ものようにクラリーベルに付き纏われ、レイフォンはそれらを断り、あるいは逃げていた。
「いいじゃないですか、手合わせぐらい」
「手合わせならこの間やったばかりじゃないですか?」
「私としては毎日やりたいくらいです。強くなるために」
「こちらもいろいろと忙しい身なんですけど……?」
真正面から訪ねてくるクラリーベルにため息を付きつつ、レイフォンは呆れてしまう。
あれからだ。先日、クラリーベルの危機を救ってからこのように付き纏われているのだ。
「それでは、お話でもしませんか? 武芸についてお話を聞きたいと思っていました。天剣授受者からアドバイスを貰うだけでずいぶん勉強になりますからね。何か食べにでも行きませんか? 料金なら私が出しますよ」
「聞いてませんね……」
仮にも天剣授受者であり、孤児院の手伝いなどをしなければならないレイフォンはいろいろと忙しい。
天剣授受者はただ強くあることだから鍛錬は欠かせないし、汚染獣が攻めて来たら当然出向かなくてはならない。遭遇率の高いグレンダンでは、そのために英気を養うことも必要だ。
更に孤児院では、夕食の下ごしらえや掃除洗濯、幼い兄弟達の面倒を見なければならない。
もっとも、鍛錬ならばクラリーベルクラスの武芸者と手合わせできるのならプラスにはなるだろうが。
「あ、またレイフォン兄(にい)の『コイビト』が来てる」
「なっ!?」
その思考とは関係なく、孤児院の幼い兄弟の1人、アンリが無邪気な笑顔を浮かべて言う。
「恋人って……なに言ってるのアンリ!?」
「違うの? だって、ここのところ毎日レイフォン兄を訪ねて来てるし、トビー兄が『やべぇ、あんな美人が相手だとリーリン姉(ねえ)、勝ち目なし』なんて言ってたし」
「うぉい! 俺の所為にすんなよ!」
「えー、だって、ホントに言ったもん」
「うっ……言ったけど、言ったけどよ」
愛称トビーこと、トビエが困ったように視線を逸らす。
ここは好奇心の強い子供達がたくさんいる孤児院であり、そこにクラリーベルが頻繁に訪れるのだからそう誤解されてもおかしくはない。
レイフォンはため息を吐きつつ、兄弟達の誤解を訂正した。
「あのね、アンリ、トビー。この人はクラリーベル・ロンスマイア様。グレンダンの王家の一人で、別に恋人とかじゃないから」
「ええー、違うの?」
「そうですね、私とレイフォン様は恋人ではありません」
クラリーベルも違うと、アンリに宣言した。
「ですが、なってみるのも面白いかもしれませんね。私としてもレイフォン様は嫌いではありませんし、むしろ興味があります。何よりそうすればいつでも手合わせをしてくれそうですし」
「ちょ、クラリーベル様!?」
「その時は気軽にクララと呼んでください。むしろ、今からでもいいですね。親しい人達はそう呼びますし、そもそも、私の名前は発音的に妙な引っ掛かりがあると思いませんか?」
「さ、さあ、どうなんでしょう?」
「ですから私のことは、これからクララでお願いします」
「ですから、クラリーベル様?」
「クララです」
「……クララ様」
「様もいりません」
「………クララ?」
「はい」
自分のペースに巻き込むような語りに流され、レイフォンはたらりと汗を掻きながらクララと呼ぶのを強要されてしまう。
レイフォンが愛称で自分を呼んでくれたことに、クララはどことなく嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「やばい……これ、マジでリーリン姉に勝ち目ねぇ……」
「トビー、誰に勝ち目がないって?」
「げっ、リーリン姉!?」
その光景を見てつぶやくトビエだったが、背後に立つ存在に背筋を震わせる。
この孤児院で絶対に逆らってはならない存在、姉のリーリン・マーフェスである。
「レイフォン……夕飯の下ごしらえは終わったの?」
「あ、いや……今からやろうかな、なんて……」
「そう……早くしないと晩御飯抜きだからね」
「はいっ!」
リーリンの怖いほど爽やかな笑みに圧迫され、レイフォンはすぐさまキッチンへと駆けて行く。
その様子を見ていたクララは、口元に手を当てて小さく笑っていた。
「どうかしましたか?」
「いえ、楽しそうだな、と思いまして」
「楽し、そう……?」
「ええ。あんなレイフォン様初めて見ましたし、あなたは……えっと?」
「リーリンです。リーリン・マーフェス」
「リーリンですね、覚えました。私は気軽にクララとお呼びください。それでリーリン、あなたはレイフォン様にとって特別な存在のようですね。いえ、『あなた』がと言うより、この孤児院が、でしょうか?」
レイフォンの育った孤児院。
今まで何度か訪問したこともあり、その度に感じていたこと。
クラリーベルが育った王家とは当然違うのだが、皆笑っており、とても楽しそうだった。
孤児院の兄弟達の仲がよく、その存在を、家族をレイフォンは大事にしている。
そんなものも想いも、今のところクラリーベルにはないから羨ましくも思えた。
心のよりどころとなるもの、支えとなる存在。
「前にサヴァリス様が言ってたんですよ。天剣授受者とは言うまでもなくグレンダンでの最高位の武芸者集団ですが、言い換えてしまえば異常者の集まりらしいんですよ。『天剣授受者はただ強くあればいい』、そんな女王の言葉に従い、強さと言うものの究極を何を捨ててでも得たいと思っている人がほとんどなんだそうです。ただ、レイフォン様はその例外に入るとか」
レイフォンは強い。それは自分でも感じた結論だが、同じ天剣授受者であるサヴァリスも認めるほどに。
そもそも女王に実力を認められなければ、天剣授受者にはなれはしないのだ。
「あの人には護りたいものがある。大切なものがある。だからこそ、あんなに強いのかもしれませんね」
天剣授受者となり、その報酬の全てをつぎ込んででも護りたいと言う存在。
自分1人贅沢な暮らしをしようと思えばできるのだが、そうはせずに大切なもののために使う。
むしろ、だからこそレイフォンは強いのではないか?
誰かが言った言葉だが、人は大切な人を護りたいと思った時に一番強くなれるとか。
天剣授受者の面々が聞いたら一笑しそうなものだが、クラリーベルとしては案外そうなのかもしれないと思っていた。
「ですからレイフォン様が羨ましいですし、楽しそうだと思いました。私にはそういうものがありませんから」
だからこそレイフォンに興味を持ったのかもしれない、惹かれたのかもしれない。
「さて、今日は帰ります。レイフォン様によろしく言っておいてください」
「あ……はい」
レイフォンはキッチンに行ってしまったし、ならば今日は帰るかとクラリーベルは立ち上がる。
その言葉を聞き、一度は頷くリーリンだったが……
「あの……ちょっといいですか?」
「はい?」
クラリーベルを、思わず呼び止めてしまう。
「さっき言っていたことって……本気、なんですか?」
「さっき……?ああ、レイフォン様の恋人になるって話ですか?」
「……はい」
先ほどクラリーベルが言った言葉。
レイフォンの恋人になるのも面白いと言う話だ。
これがもし彼女の面白半分な台詞だったとしても、それはリーリンにとって見過ごせる内容ではない。
何故なら、彼女にとってレイフォンは……
「そうですね……面白そうとおもったのは本気ですし、そうなったらいいなとも思いました。さっきも言いましたが、別にレイフォン様の事は嫌いじゃないんですよ。むしろ憧れを抱いています」
リーリンの思考を遮るように告げられたクラリーベルの言葉は、本人にとってはあまり面白いものではなかった。
話の内容もそうだったが、レイフォンを語っている時のクラリーベルがとても楽しそうで、輝くような笑顔を浮かべているからだ。
その姿がまるで恋する乙女のように見えて、リーリンとしてはまったくもって面白くない。
「では、これで失礼します」
そう言って、今度こそクラリーベルは去っていくのだった。
あれから2年の月日が流れた。クラリーベルが13歳で、レイフォンが14歳。
2年経っても変わらずに、クラリーベルはレイフォンを追いかけ、勝負を挑んだりしている。
呆れられて、何度か渋々と手合わせを受けてもらったが、それでも一度たりともレイフォンに勝てたことがない。相手は天剣授受者だ、それも当然だろう。
だが、だからこそクラリーベルはレイフォンに惹かれる。
歳はそう変わらないのに、尊敬する祖父と同じ領域にいる少年。自分を助けてくれて、孤児院の子供達、兄弟を大切にする優しい少年。
そんな彼と、彼が大切にする兄弟達が大好きで、クラリーベルは幾度となく孤児院に足を運んだりした。
ただ、それを見ているだけで嬉しくなってくる。レイフォンが強い理由と、子供達と触れ合う時に見せる、戦闘の時とは別の顔。
クラリーベルはその瞬間が大好きだった。
「だが、貴公との明日の試合次第では、私はこの事を忘れる」
だからこそ、その大好きな瞬間を壊そうとする無粋な輩が気に食わなかった。
クラリーベルはいつものように、夜だと言うのにも構わずレイフォンに勝負を挑もうと彼の元を訪ねていた。この時の彼女はご機嫌だった。
レイフォンに先客がなく、この話を聞いていなければ。
「……では、明日の試合で」
先客の名はガハルド・バレーン。
明日の天剣争奪戦のレイフォンの対戦相手、ルッケンスの武門の者である。
これが試合前に健闘を称え合い、明日はよろしくと言った類ならばよい。クラリーベルもこんなに不機嫌にはならなかった。
だが実際は、そんな類とは程遠い。ガハルドはレイフォンが闇試合に出ていた証拠を突き出し、明日の試合にわざと負けろと脅してきたのだ。
レイフォンが闇試合に参加しているのは知っていた。
自立型移動都市(レギオス)とは、汚染物質によって隔絶された空間である。そのレギオスを移動する唯一と言ってもいい方法、放浪バスがグレンダンを訪れる回数はかなり少ない。
つまりはそれでだけ人の出入りが少なく、この隔絶された空間で闇試合と言う行為が行われ、それが商売として成り立っているのだ。
知ろうと思えばその事実は簡単に探れるし、クラリーベルは何度もレイフォンにちょっかいをかけていたので知っている。
レイフォンには言っていないが、彼がキョロキョロと辺りを警戒しながらどこかへ行っていたので、殺剄をして後を付けたことがあるのだ。
何度かばれそうになったが、その時にレイフォンが闇試合に出ていることを知った。
だが、それがどうした?
確かに武芸者たるもの、神聖な武芸でそういった金儲けをするのを好まない者もいる。
だけどグレンダンではそんな行為が半ば黙認で行われ、しかもレイフォンはそれで得た稼ぎを自分のために使っているのではない。
孤児のため、兄弟達やそういった仲間達のために使っているのだ。
天剣授受者の報奨金はそこまで多くもないが、自分1人が贅沢な暮らしをするには十分な額である。それなのにレイフォンはそういったことをせずに、孤児のためだけにその稼ぎを使っている。
そんなレイフォンに対してガハルドは脅迫し、天剣を実力もないのに手に入れようとしているのだ。
あんな輩が、祖父と同じ立場を得ようとしている。正直それが、気に入らなかった。
「こんばんは」
「あなたは!?……クラリーベル様?」
レイフォンと別れたガハルドの後を付け、ある程度レイフォンとはなれたところでクラリーベルは姿を現す。
突然の彼女の出現に、ガハルドは自身のやましいところもあり驚いていたようだ。
そんなガハルドに向け、クラリーベルは表面上爽やかな笑みを浮かべて空を見上げた。
「綺麗な月ですね」
「え……ああ、そうですね」
今夜は満月だ。
闇夜を照らす月明かりが、これから狩るべき相手の姿をハッキリと映していた。
万が一にも、仕損じることはないだろう。
「ですが、気に入りませんね」
「は?」
「あなたが、実力もないのに天剣を手に入れようとしていることがですよ」
「何を……」
クラリーベルの言葉に警戒心をあらわにし、ガハルドが身構える。
先ほどの会話を聞かれたと判断したのだろう。
一瞬打倒すべきか、説得を試みるか迷った。今の会話を聞かれていたのなら、それが知れ渡ると脅していた側である自分もまずい。
それに、せっかくの計画が台無しになってしまう。
ガハルドは迷った。だからこそ反応が遅れ、いや、反応すること自体が出来なかった。
「ほら、こんなにもあなたは弱い」
「なっ……」
クラリーベルは真正面にいて、ガハルドと話をしていた。
だと言うのに何故、クラリーベルがガハルドの背後にもいる?
何故錬金鋼を、彼女考案の胡蝶炎翅剣を構えている? クラリーベルは今も変わらず、正面にもいると言うのに?
それは化錬剄による残像。よく見ればクラリーベルの姿は陽炎の様に揺らいでおり、周囲にはクラリーベルの気配がいくつも存在していた。
戸惑うガハルドに向け、クラリーベルは胡蝶炎翅剣を振り下ろす。ガハルドの腕はそのまま切り落とされた。
「この程度の奇襲に気づけないなんて、あなたに天剣を手にする資格はないんですよ」
「うわああああああああっ!?俺の、俺の腕があああああああああ!!」
正面にいたクラリーベルの姿が消え、背後にいるクラリーベルがガハルドに語りかける。
化錬剄だ。天剣授受者、トロイアットに師事して学んだ技だ。
この程度の奇襲に気づかないなんて、天剣授受者になっても汚染獣戦で死ぬだけだ。
天剣授受者が戦うのは老生体二期以降。この程度では老生体一期どころか、雄性体三期以降も1人で倒せるかどうか怪しい。
天剣授受者と言うのは、有り余る剄を持って天剣を使いこなし、老生体と1対1で戦えてこそなのだ。
「私が目指す天剣を、その程度の実力で汚さないでください」
「うわああああああっ!?あああ……」
腕を切り落とされたガハルドは絶叫する。
彼の右腕から大量に血を流し、蹲るガハルドにクラリーベルは冷酷に言い放った。
ガハルドに天剣を手にする資格も、実力もないのだから。
「このくらいで勘弁してあげます。ですが、次にあんなことをしたら、今度はその命を貰いますよ?」
腕の治療は、汚染獣との遭遇が多く、発展したグレンダンの医療機関ならなんら問題ないだろう。
そう思い、クラリーベルは地に倒れるガハルドを放ってその場を後にした。
だが、彼女は思いもよらなかった。まさか、あんなことになるだなんて。
「クララ……とんでもないことをしたわねぇ」
「……………」
翌日、クラリーベルはグレンダンの女王であるアルシェイラ・アルモニスに呼び出され、お叱りを受けていた。
その前にも祖父に怒られ、既に耳たこである。
だけど相手は、従姉とは言えグレンダン最強の女王。
多少は反省したそぶりを見せ、黙って話を聞いていた。
「ガハルド・バレーンは右腕を切り落とされ、剄脈に異常をきたした。ルッケンスの武門が黙っちゃいないわよ」
昨夜、クラリーベルがガハルドの腕を切り落とし、ガハルドは重傷を負った。
犯人がクラリーベルであることを告発したものの、そこで意識が途切れて今は植物状態となっているらしい。
天剣になる実力や資格はなかったとはいえ、今日の天剣争奪の試合に出るほどの腕を持ち、ルッケンスで期待されていた武芸者だ。それだけに例え相手が王家の者だとしても、ただで済ます気はないだろう。
「一体どうしちゃったのよ?あんたがこんなことするなんて珍しいわね」
「別に……少し手合わせを願い出て、やり過ぎてしまっただけです」
「ふーん……あ、もう行っていいわよ。処分は追々下すから」
「では、失礼します」
アルシェイラが、クラリーベルの言葉に適当な相槌を打つ。
まるで信用している様子はない。だが、それで別に構わないと言うようにアルシェイラは退室を促した。
「で、デルボネ。実際はどうなの?」
「そうですね……恋、でしょうか」
「恋?」
グレンダンの事情をほぼ把握している天剣授受者、デルボネにアルシェイラは問いかける。
彼女の念威は常時この都市を覆っている。
だからこそこの都市に起こるあらゆることで、彼女の知らないことが存在するはずがない。
そんな訳で昨日の揉め事も、デルボネは念威で監視していたのだ。
そういった経緯を、そうなった原因をデルボネは語る。
「なるほどね、あのクララがね……」
「それでどうします?一応名目上、クラリーベルさんには処分を下さないといけませんが」
「そうねぇ……まぁ、そこまで重くはならないでしょう。ティグじいが話をつけるって言ってたし、あれでもルッケンスのボンボンのサヴァリスがまったく気にしていなかったし。あいつ、むしろクララにやられるなんて情けないって言ってたのよ」
「それはまぁ、サヴァリスさんらしいですね」
そう言った会話を交わしつつ、アルシェイラはデルボネへと告げた。
「そうそう、デルボネ、後でレイフォンも呼んで」
「はい、レイフォンさんですね……あら?今はちょうど、クラリーベルさんのところにいるようですね?」
「え、どういうこと? 中継お願い」
「はいはい」
デルボネは苦笑しつつ、自分も興味があるのでクラリーベルとレイフォンの会話を、念威によって中継した。
王宮の廊下。
ちょうど人が少なく、辺りには他人の目がない。
そこでクラリーベルと鉢合わせたレイフォンは、戸惑った表情で彼女に問いかける。
「クラリーベル様……どうして?」
「クララと呼んでくださいって言ったのに、残念です」
「ふざけないでください。どうしてですか?」
「どうして、とは?」
「惚けないでください。一体、どうしてあんなことを?」
レイフォンが戸惑っているのは、クラリーベルがガハルドを襲った理由だ。
脅され、本来なら今頃天剣を懸けて戦うはずだった相手。
天剣を失うわけには行かなかったレイフォンは、本来なら試合中に事故を装ってガハルドを殺すはずだった。
だけどそれはできなかった。クラリーベルがガハルドを襲い、ガハルドは今、重傷で植物状態となっている。
結果的には口を塞げる形となったが、何で彼女がこのような行動を取ったのかわからない。
「そうですね、気に入らなかったから、でしょうか?」
「え?」
「だってそうでしょう? ガハルドと言う人物は実力もないのに天剣を手に入れようとした。天剣の名を汚そうとした。だから私は気に入りませんでした。そんなことで私が憧れるおじい様やレイフォン様を汚されたくなかったから」
クラリーベルは淡々と、レイフォンの問いに答える。
別に今更後悔はしていない。ガハルドに重傷を負わせたのを、もしくは武芸者としての彼を殺したのを、別に悪いとは思っていない。
「そして何より、一番気に入らなかったのは、あの人は私の大好きなものを壊そうとした。あなたが孤児院の兄弟達と触れ合う時間、私が大好きな瞬間を」
「え……?」
レイフォンが言葉を失う。それはつまり、彼女も闇試合のことを知っていたのではないか?
だけどそんなレイフォンの疑問に構わず、クラリーベルは一気に続けた。
「レイフォン様、あなたは強いです。その実力はおじい様もサヴァリス様も、他の天剣の皆様も認めています。そして、私は思うんですよ。あなたは誰かを守る時が、そのために戦う時が一番強い。そんなあなたに憧れて、そんな存在があるあなたが羨ましかった」
レイフォンが強い理由、クラリーベルが憧れた理由。
孤児院の兄弟達と楽しそうに過ごすレイフォンの姿が好きで、いつか自分もその輪の中に入りたいと思ったこともあった。
恋人だとかからかっていた孤児院の子供もいたが、もしそうならどんなにいいだろうなと思ったこともあった。
「ああ、そうなんですか、そうなんでしょうね。なんだかんだで今まで気づきませんでした。迂闊です」
「……………」
「レイフォン様」
驚きで言葉を失っていたレイフォンに対し、理解したクラリーベルは更なる驚きの言葉を告る。
「私はだからこそ、つまらないことであなたを脅して天剣を手に入れようとするガハルドが許せなかった。大好きなあなたを汚そうとするガハルドが。私は、レイフォン様のことが大好きなんです、愛しています。一人の女性として。だから、あんなことをしたのでしょう」
「……………………は?」
言葉を失ったレイフォンは、今度は呆けた。
突然の告白、自分を好きだと言う言葉に、頭の中が真っ白になる。
「もちろん、冗談とかではありませんよ。私の本心です。クラリーベル・ロンスマイアはレイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフに恋をしていた。だからこそあんなことをしてたのでしょう。合理的で、納得の行く理由です」
「え、ええ?そ、そうなんですか!?」
もはやわけがわからない。
自分1人で納得するクラリーベルにレイフォンは付いていけず、戸惑っていた。
だけど彼女は冗談を言っているようには見えず、その分性質が悪い。
「ですから、あなたは気にしないでください。これは私が勝手にしたことですから」
「ですが……」
「いいですから」
そして一方的に会話を切ろうとする。
言いたいことだけを言って、レイフォンの意見は聞こうとはしない。
「あなたはそのままでいいんです。私は、そんなあなたのことが好きになったんですから」
そう言い残して、クラリーベルは去っていった。
レイフォンが呼び止めようとするが、それにはお構いなしだ。
どうしてこうなった?
一体、自分はどうすればいい?
クラリーベルの言葉と告白に戸惑いながら、レイフォンは頭を抱える。
そんな彼を女王、アルシェイラが念威で呼び出し、玉座に座っていた彼女は、とてもニヤニヤとした笑みを浮かべているのだった。
「あ~う~……」
翌日、クラリーベルは今更になって自室で、ベッドで悶えていた。
思い出すのは、昨日のレイフォンとの会話。
「私は何をしているのでしょうか? 何を言っているのでしょうか? 何であの時はあんなことを……」
レイフォンの前ではああもズバズバと言ったが、今更になって恥ずかしくなってきた。
まるで自分の幼いころの失態が、周りの人達に知れ渡ってしまったような気分だ。
しかし、これは昨日の出来事。しかも本人を前にして言ってしまったので、もはや取り返しがつかない。
レイフォンの抑止を振り切って去って行ったのだって、冷静になって恥ずかしくなったからだ。
あそこまでハッキリと言いつつ、クラリーベルに男性との付き合いの免疫なんてもちろんない。
これまで十三年間、ずっと武芸一筋だったのだ。自分のことだが、あそこまで積極的になれたのが意外である。
「あ~……」
どうすればいいのかわからない。
なんて顔でレイフォンに会えばいいのかわからない。
クラリーベルがそんな風に悩んでいると、念威端子越しにアルシェイラから連絡が入り、自分の処分を告げられることとなった。
「あんた、武芸ばかりやってて一般常識が不足しているから、学園都市に留学して学んできなさい」
「え……?」
その処分に対し、クラリーベルは耳を疑った。
「学園都市だから六年ね。建て前としては期間限定の追放処分よ。そんなに重いものじゃないでしょう?」
確かに、そんなに重くはない。
人一人を再起不能にしつつ、その程度の処分で済むのは王家とはいえ破格だろう。
クラリーベルには戦闘狂の素質があり、それが原因で暴走してしまうことがあるのは周知の事実だ。
本人達は否定するだろうが、サヴァリスに通じるところがある。
その性格を直すために学園都市に送ると言うのは、案外いい考えかもしれない。
「で、ですが……」
「言っとくけど、これは決定事項。拒否は認めないわよ」
不満を言おうとするクラリーベルだが、王家とはいえ女王本人に逆らえるわけがない。
「あ、それからあんた一応王家だし、護衛をつけるから。文句ないわよね?あるわけないわよね?」
「別に護衛なんて……」
「入って来なさい」
アルシェイラはアルシェイラで、クラリーベル以上に人の話を聞かず、話を勝手に進めていく。
そのまま部屋の外に控えていた、護衛の人物を呼び出した。
「えっと……失礼します」
「え……?」
その人物に、クラリーベルは驚きを上げる。
なぜならその人物とは……
「レイフォンが護衛だから。あんたとも歳が近いし、学園都市に何の問題もなく入れるでしょう。有余は一年。そんな訳で、試験勉強がんばりなさい」
レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ。
グレンダン最強の一角、天剣授受者を護衛に付けられ、クラリーベルの学生生活が始まろうとしていた。