宵の口の博麗神社の境内。
そこには、宴会の用意が着々と進められていた。
周辺に生えている桜の花は、春度が満ちている今になって見事に満開になっていた。
その中央には、今回異変を起こした白玉楼の面々から提供された食材が文字通り山と積まれており、傷まないように氷の精が冷気をかけて冷やしていた。
そんな彼女に、白装束の黒髪の少年が話しかけた。
「お疲れ様、チルノ。麦茶飲むかい?」
「あ、銀月! 飲む~!」
チルノはお盆に麦茶を載せた銀月に向き直ってそちらにやってきた。
お盆の上にはコップが二つ並んでいて、銀月はそれを渡す二人目の姿を捜した。
「あれ? チルノ、大妖精はどうしたの?」
「大ちゃん? 大ちゃんならまだアグナと特訓してるんじゃないかなぁ?」
「そうなんだ。じゃあ、ひょっとして君の特訓を邪魔しちゃったかな?」
銀月はそう言いながら縁側に座っているチルノの横にお盆を置く。
すると、チルノは銀月の問いかけに対して首を横に振った。
「ん~ん、アグナはこれが修行だって言ってたよ? 弱く長く、他の事をしながら力の放出を維持する訓練なんだって」
「成程ね。と言うことは、何か他にやることが必要かな?」
「ん~、何かやることあるの?」
チルノの問いかけに対して、銀月は何かやることが無いか考え込んだ。
そしてしばらくすると、銀月は苦笑いを浮かべた。
「……良く考えたら、今の時点じゃすることが無いな」
「え~」
銀月の言葉にチルノはつまらなさそうにそう言った。
負けず嫌いの彼女は、少しでも多く修行を積んで早く銀月やルーミアに勝てるようになりたいのだ。
そんな彼女の前に、突然瞬間移動のように緑色の髪の妖精が現れた。
「遅れてごめん、チルノちゃん!」
「あ、大ちゃん。修行はもう終わったの?」
「うん。アグナちゃんとルーミアちゃんも一緒にこっちに来てるよ」
大妖精がそう話していると、空の彼方から何かがすっ飛んできた。
「ぎゃん!!」
砲弾のように飛んできたそれは地面に衝突すると、短く悲鳴を上げながら地面を何度か跳ねる。そしてしばらく転がると、地面に伸びた。
それを見て、銀月が苦笑いを浮かべた。
「あはは……これまたダイナミックな登場だね、ルーミア姉さん?」
「うきゅ~……」
銀月は地面に伸びている闇色の服の少女にそう声をかけた。
ルーミアは眼を回しており、当分起き上がれそうに無いようである。
「ったく、空飛んでる最中だろうがお構い無しなんだからよ……」
銀月がルーミアに声をかけていると、その後ろから幼い少女の声が聞こえてきた。
銀月が後ろを振り返ると、そこにはくるぶしまで伸ばした燃えるような赤い髪を三つ編みにして青いリボンで結んだ小さな少女がいた。
彼女の着ている真っ赤なワンピースは、どういうわけだか乱れていた。
「……成程、何があったか把握したよ、アグナ姉さん」
そんなアグナを見て、銀月は呆れたため息をつきながら頷いた。
どうやらアグナはこちらにやってきている最中、ルーミアから執拗なボディタッチを受けていたようであった。
銀月の声を聞いて、アグナはそちらに向き直った。
「よお、銀月! 元気にしてたか!?」
「ああ、元気だったさ。アグナ姉さんは変わりないみたいだね」
「おう、あったりめえよ!!」
アグナは威勢のいい声で銀月にそう話す。
すると、アグナは銀月の首に付いた赤い首輪に気がついた。
「んあ? おい銀月、何だその首輪は?」
「……ああ、これね……一種の誓いみたいなものだよ」
銀月は苦笑いを浮かべてそう話した。
それを聞いて、アグナの表情が段々と怒りの表情に変わっていった。
「……テメェ、まさか……」
「勘違いしないでくれるかな、姉さん。別に俺は隷属を誓ったわけじゃない。そうだね、誓いと言うよりは戒めだね。ふふふ……絶対に復讐してやる……」
感情が昂って足元から炎が上がり始めたアグナに、銀月は低い声でそう言って笑った。
その言葉には、まるで底なし沼のように深く暗い感情が見え隠れしていた。
そんな銀月を見て、アグナは一変して困惑した表情を見せた。
「お、おう……ま、まあ、頑張れ、な?」
「ふふふ……ありがとう」
「うっ……」
銀月はアグナにそう言って穏やかに微笑む。
しかし、アグナにはそれがにっこり笑って相手を殺す犯罪者のような、とても恐ろしい笑みに見えたのだった。
その底知れない恐怖は、アグナだけでなく近くにいたチルノや大妖精にも伝播した。
「チ、チルノちゃん……」
「ぎ、銀月? その、相手が誰だか知らないけど、手加減はしてね?」
「うん、分かってるよ」
「ち、ちっとも信用できねえ……」
笑みを深めて答える銀月に、アグナは冷や汗を流すのであった。
そうやって話している中、降り立つ集団が一つ。
「……む、この様子では少し早すぎたか?」
「キャハハ☆ いいじゃん、将志くん♪ お祭り前を楽しむのも一興だよ♪」
「前向きですこと……でも、静かに桜を見るのなら今のうちですわね」
「うむ、冥界の桜も見事でござったが、ここの桜もまた見事でござるな」
まだ人がまばらな会場を見回す将志と愛梨に、早速花見を始める六花と涼。
そんな中、銀の霊峰の四人は銀月の姿に気がついて向かってきた。
「あ、いたいた♪ 銀月くん、やっほ♪」
「こんばんは、愛梨姉さん。今日はみんな揃ってるんだね」
「うん♪」
左眼の下に赤い涙、右眼の下に青い三日月のペイントをした少女はは銀月に明るい笑顔で笑顔でそう返す。
その横から、銀の髪に桔梗の花が描かれた赤い長襦袢を着た女性が銀月に話しかけた。
「銀月も元気そうで何よりですわ。特に変わりはありませんこと?」
「……特に無いけど、六花姉さんには一つ訊きたい事があるんだ」
「あら、何ですの?」
「六花姉さん、橙に何を吹き込んだのさ? 何かこの前会ったら俺がペット扱いされてるとか凄いこと言われたんだけど?」
銀月は六花に少し白い眼を向けてそう尋ねた。
すると六花の眼が途端に泳ぎ始めた。
「あ、その、銀月が心配でつい……おほほほほ……」
六花はしどろもどろになりながらそう答え、乾いた笑みを浮かべた。
どうやらあることないこと吹き込んだと言う自覚はあるようであった。
そんな六花の言葉に、将志が口を開いた。
「……六花、心配な気持ちも分かるが、あまりに過保護すぎても問題だぞ?」
「(将志くんがそれを言っちゃうんだ……)」
「(お兄様がそれを言いますの……)」
「(お師さんがそれを言うんでござるか……)」
将志の言葉に、六花達は内心呆れ顔でそう思った。
何故なら、将志は何か機会があるたびに博麗神社や紅魔館を遠くから眺め、銀月に異変が無いか確認をしていたのだ。
過保護の度合いで言うならば、間違いなく将志のほうがレベルは上である。
「あはははは……あ、そうだ。俺ちょっと台所に行ってくるね。じゃあ、後で」
銀月はそう言うと、博麗神社の台所へと向かっていった。
その背中を、将志は複雑な表情で見送った。
「どうかしたんでござるか、お師さん?」
「……恐らく、これは霊夢に茶を淹れに行ったな」
「むぅ?」
ため息混じりの将志の言葉に、涼は怪訝な表情を浮かべるのであった。
「あ、六花~!」
ふと、横から六花に声が掛かる。
六花がそのほうを振り返ってみると、そこには二本の猫の尻尾を生やした少女が走ってきていた。
その彼女を、六花は柔らかく受け止める。
「あらあら。橙、飛びついたりすると危ないですわよ?」
「だって久しぶりだったんだもん。最近忙しいの?」
「ええ。今回の異変で少しやることがあったんですの」
橙の質問に、六花は簡単に事情を告げた。
橙の尻尾はまっすぐに伸びており、六花に会えたことを喜んでいることが分かる。
「そうなんだ。ね、時間まで遊ぼ?」
「ふふっ、良いですわよ」
六花はそう言うと、橙と連れ立って歩いていった。
橙に引っ張られるようにして歩く六花のその様子を見て、将志は小さく頷いた。
「……ふむ、橙がここに来たという事は……いるのだろう、藍、紫?」
「ええ、いるわよ」
どこからとも無く女性の声が聞こえると共に、将志の目の前の空間が唐突に裂け、中から紫色のドレスを着た女性と青い道士服を着た金色の九尾を持つ女性が現れた。
その彼女達に向かって、将志は小さく手を上げて答えた。
「……随分と早いな。いつもであれば、紫は起きて半刻も経っていないのではないか?」
「橙が早く六花に会いたいといっていてな。紫様に無理を言って早く出たんだ」
「そうそう。おかげで少し寝不足よ。この埋め合わせは美味しい料理とお酒でしてもらわないとね」
紫は少し眠そうな表情で将志にそう呟いた。
それを聞いて、将志は小さく微笑んだ。
「……ふっ、料理に関しては保障してやろう。何しろ、食材は山ほどあるんだからな」
将志はそう言いながらチルノが冷気を送っている食材の山を指差した。
それを見て、紫と藍は唖然とした表情を浮かべた。
「……これ、今日来る客全員合わせても食べ切れるのか?」
「……藍、残念だけど食べきれるからこれだけ用意されているのよ」
藍の呟きに、紫が若干呆れ顔でそう返した。
それを聞いて、藍の眼が驚きに見開かれた。
「えっ……紫様、誰がそんなに食べるのですか?」
「私よ~」
藍の声が上がると同時に、空から能天気な声と共に桜模様が入った青い服の女性と、二本の刀を差した緑色の服の少女が下りてきた。
二人は会場に下り立つと、周囲を見回した。
「あら、お料理ってまだ出来ていないの?」
「……料理は宴会中に俺が作る。なに、時間の掛かる料理の仕込みは全て銀月が終わらせている。料理はすぐに食えるぞ」
「今すぐ食べられるものは無いかしら?」
幽々子は辺りを見回しながらそう答える。その眼は鋭く光っており、どんな料理も見逃さない構えであった。
そんな幽々子を見て、将志は呆れ果てた表情を浮かべた。
「……そんなに腹が減っているのか?」
「ええ、とっても」
幽々子はそう言いながらも周囲への注意を怠らない。
そんな幽々子に、紫はため息をついた。
「……相変わらずね、幽々子。私幽々子がお腹を空かせていないところを見たことが無いのだけれど?」
「仕方ないじゃない。紫はいつも食事前に来るんですもの。今だって普段なら食事時よ? お腹が空いて当然じゃない」
「そんなことだろうと思って、幽々子さんのために先に作っておいた分があるよ。はいこれ」
幽々子と紫が話をしていると、先程台所にはいっていた銀月が直径二尺程の大皿を持って戻ってきていた。
大皿の上にはちらし寿司が綺麗に盛り付けられており、酢飯の匂いを漂わせていた。
その匂いを感じ取った瞬間、幽々子の眼が光り輝いた。
「あら、気が利くじゃない。それじゃあ、頂きます」
幽々子は銀月からそれを受け取ると、早速食べ始めた。
その様子を見て、妖夢が感心した表情で頷いていた。
「随分と準備が良いんですね。私、しばらくの間どうやって幽々子様を宥めようか考えていたんですけど……」
「この前のあの食事量を見れば、幽々子さんがお腹を空かせてくるのは分かることだからね。あらかじめ作らせてもらったよ」
「そうなんですか……んしょ」
「ん」
妖夢はそう言うと、銀月の頭に手を伸ばした。それに対して、銀月は反射的に頭を下げる。
すると妖夢は差し出された頭を撫で始め、銀月はそれを受け入れた。
……どうやら銀月は相手が頭を撫でようとすると頭を下げるのが癖になってしまったようである。
妖夢の手によって、銀月の髪がさらさらと揺れ踊る。
「……えっと、どうしたんだい?」
銀月は困ったような笑みを浮かべて妖夢にそう話しかけた。
それを聞いて、妖夢はキョトンとした表情を浮かべた。
「あれ? おかしいですね……」
妖夢はそう言いながら銀月の頭を撫で続ける。銀月の滑らかな髪が、妖夢の手に心地よい感触を与える。
しかし何か納得がいかないのか、妖夢の表情は不満げなものになっていった。
そんな妖夢に、銀月は段々と困惑した表情を浮かべだした。
「あ、あの、本当にどうしたんだい? 俺、何か悪いことした?」
「え? あ、いや、何でもないです」
「……?」
妖夢はそう言うと、少し慌てた様子で銀月を撫でる手を引っ込めた。
結局、銀月は彼女が何をしたかったのかが分からずに首をかしげるのであった。
「よう、銀月。まだ始まってないみたいだな?」
そんな銀月のすぐ隣に、金髪の少年が下りてきた。彼はジーンズに黒い春物のジャケット姿であった。
以前その首についていた青い首輪は既に取り外されている。
銀月はその声にその方を振り返った。
「やあ、ギルバート。そうさ、もう少し揃ってから始めようと思ってね」
「そりゃまた何でだ? 見たところ、料理もまだ作っていないみたいだが?」
「あ、そうか。君はまだ知らないんだったね。今日は父さんが料理をするから、料理は少し待ってもらってるのさ」
「お前の親父さんが? にしたって、親父さんまだ何も作業してないじゃねえか。どうなってんだ?」
「それはまだ内緒。すぐに分かるさ」
怪訝な表情を浮かべるギルバートに、銀月はそう言って笑った。
その横から、妖夢がギルバートに声を掛けた。
「あ、ギルバートさん。お久しぶりです」
「ん? ああ、妖夢か。久しぶりだな」
「この前はありがとうございました。まさか貴方があんなことをするとは思ってませんでした」
「お、おお。そうか」
妖夢はギルバートに好意的に話しかける。
その様子は、命を助けられた人が恩人に話しかける様子に似ていた。
何故妖夢がギルバートにここまで好意的なのか?
それは異変解決の当日、将志が食事の後にデザートを持ってきたときまでさかのぼる。
* * * * *
銀月と咲夜と妖夢が机の上の空になった大皿を片付け終わると、将志は机の上に札を一枚取り出した。
「……さて、恒例の行事と行こうか」
将志はそう言うと、机の上の収納札から八つの一口サイズの饅頭が乗った皿を取り出した。
そして皿の中央には、まるで宝玉のように飾られている翡翠色の玉。
それを見た瞬間、銀月と幽々子と妖夢の表情が変わった。
「げ、父さんこれは……」
「……もう勘弁してぇ……」
「あ、またこれやるんですね!」
血の気が引いて蒼い顔になっている銀月と、涙眼で訴える幽々子。それとは正反対に、楽しそうな表情を浮かべる妖夢。
「……ああ、そうだ。ちょっとした運試しだ」
その三者三様の反応を見て、将志は笑顔で頷いた。
そんな将志を見て、魔理沙が銀月に問いかけた。
「なあ、銀月。これから何が始まるんだ?」
「……これは一種のロシアンルーレットだよ。この饅頭のうち、七つはとても美味しい饅頭だ。だけど残りの一つは想像を絶する不味さの饅頭なんだ。その口から魂が抜け出すほどの不味さから、「地獄饅頭」って呼ばれるものさ」
銀月の説明を聞いた瞬間、それを知らなかった者たちの顔も一斉に蒼くなった。
「げ、マジかよ……見た目じゃ全然わかんねえぞ……」
「まあ、食べた後の救済措置はあるんだ……あの真ん中の翡翠色の飴玉を食べれば、父さんの料理の中で最高の味を体験できるのさ……その地獄の中に蜘蛛の糸を垂らすようなそれは「救済飴」って言うんだけどね……」
「つまり、それを食べれば問題はないわけね」
ギルバートの呟きに銀月が答え、霊夢がそれを聞いてホッとした表情を浮かべた。
しかし、それを見て将志はくすくすと笑い出した。
「……言い忘れていたが、今回その地獄饅頭は二つ入っている。良く考えて選ぶのだな」
そう口にした瞬間、今度は一人残らず、妖夢すらも顔が蒼くなった。
何故なら、皿の上に置かれた救済飴の数はたった一つ。つまり、地獄饅頭を食べてその救済飴が取れなかったものは、何の救いもなく地獄を見続けることになるからである。
「……じ、冗談だよね、父さん?」
「……冗談は好かん」
震える声で問いかける銀月に、将志はとてもイイ笑顔でそう返した。
そんな将志に、幽々子が少し泣きそうになりながら詰め寄った。
「ちょっと、貴方正気なの!? そんなことしたら当たる確立が二倍になるじゃない!!」
「……ああ。俺も当たる確立が二倍になるのだから、問題はないだろう?」
必死の訴えをあっさりと受け流す将志。
幽々子のそのあまりの剣幕に、食べたことのない者も地獄饅頭の味の凄惨さが伝わってきた。
「ちょっと銀月! あんたのお父さん止めなさいよ!」
「止めるったってどうするのさ! 父さんを力ずくで抑えるなんて出来ないぞ、俺!」
襟を掴んで揺さぶる霊夢に、銀月はそうやって言い返す。
そんな中、饅頭に手を伸ばす者が約一名。
「……私はこれを選びます。もし地獄饅頭に当たっても、他の人よりも早く飴を取ればいいんですから」
そう言って饅頭を手に取ったのは妖夢。覚悟を決めた眼で饅頭を掴んで、自分の前の更に置いた。
それを見て、将志は感心したように頷いた。
「……いい度胸だ、妖夢。ほら、さっさと選ばないとどんどん選択の余地がなくなってしまうぞ?」
将志はそう言いながら自分の分の饅頭を取った。
それを皮切りに、他の者も饅頭に手を伸ばした。
そうして全員に饅頭が行き渡ると、将志は小さく息を吐いた。
「……では、みんな一斉に一口で饅頭を食べるとしよう。三、二、一!」
将志の号令で、全員一斉に饅頭を口に含んだ。
しばし、無言で饅頭を咀嚼する。
「あ、俺は平気みたいだ」
まず最初に口を開いたのは銀月。彼はどうやら普通の饅頭だったようである。
「お、これ甘くて美味しいな」
次は魔理沙。彼女が引いたのは将志特製の甘い汁が出る饅頭のようであった。
「……美味しかったわ」
今度は咲夜。ホッとした表情で脇に置かれていたお茶を飲んだ。
「……た、助かったみたいね……」
霊夢は顔から吹き出る冷や汗を拭いながら、そう呟いた。
「……良かったぁ……私も違ったわぁ……」
幽々子は眼に涙を浮かべて感動すら覚えた様子でそう語った。
この饅頭には苦い思い出があるため、思いもひとしおなのだ。
その隣で、将志が饅頭を飲み込んだ。
「……と言う事はだ」
将志がそう言うと未だに声を上げていない二人、ギルバートと妖夢に全員の視線が向かった。
よく見ると二人の顔は土気色になっており、非常に苦しそうな表情を浮かべていた。
「っっっっっっ~~~~~~~~~~~~~~~!!」
ギルバートは妖夢に先んじて救済飴に手を伸ばす。
能力を使った、予備動作もない最速の動きであった。
「っ!?」
そのギルバートの反応速度に、妖夢は驚くと共に絶望感を覚えた。
どうしても間に合わない。妖夢の心に暗い影が落ちる。
「っっっ!!」
「んんっ!?」
しかし、ギルバートの反応は全員が想像したものとは違っていた。
ギルバートは妖夢が苦しんでいるのを見るや否や、妖夢の口の中に救済飴を押し込んだのだ。
「……みょふ~……」
この世のものとは思えないほどの爽やかな味が口の中に広がり、妖夢は思わず幸せそうな表情を浮かべる。
「ぐっ……ぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
この世のものとは思えないほどの不味さが口の中に広がり、ギルバートは口を押さえて凄まじい形相でそれに耐えていた。
彼の体は震えており、額には多量の脂汗が浮かんでいる。
「ぅ……」
そしてしばらくすると、ギルバートはその場に座したまま、真っ白に燃え尽きて動かなくなった。
口からは魂が抜け出し掛かっており、かなり重篤な容態のようである。
そんなギルバートに、魔理沙が激しく動揺した様子で声を掛けた。
「……おい……ギル? 嘘だろ? なあ、起きろよ」
「…………」
ギルバートはピクリとも動かない。魔理沙は彼の体を揺するが、やはり反応はない。
そして魔理沙が手を止めた瞬間、ギルバートはその場に崩れ落ちた。
「お、おい、冗談だろ? じょ、冗談だと言ってくれよ、ギル!! おいってば!!」
魔理沙は涙眼になりながら、必死でギルバートに声を掛ける。
その様子を、周囲は悲痛な表情で見守るのだった。
* * * * *
「……あの時は酷い目に遭ったぜ……」
「あはははは……あの時父さんが救済飴の二つ目を隠し持ってなかったらどうなっていたやら……」
ギルバートは当時の様子を思い出して苦い表情を浮かべた。饅頭一つで死線を見たのだから、当然のことであろう。
それに対して、銀月も乾いた笑みを浮かべて答えを返す。銀月とて地獄饅頭の被害にあったことがあるため、ギルバートの災難を他人事として笑えないのだ。
「ところで、魔理沙はどうしたのさ?」
「あ~っと……それはだな……」
銀月の質問にギルバートは苦笑いを浮かべた。
すると、そんなギルバートの横に金色の髪の少女がやってきた。
「ここに居たのねギルバート。捜したわよ」
「ああ、アリスか。捜したって、俺に何か用か?」
「何か用かって、貴方が私を誘ったんでしょう? エスコート、頼むわよ」
「了解、任されましたっと」
アリスの言葉に、ギルバートは笑みを浮かべて胸に手を当てて恭しく礼をした。
その様子は仲の良い友人、もしくは恋人の様にも見えた。
それを見て、銀月はニヤニヤと笑う。
「おやおや、仲が宜しいこと。青春ですな~」
「……おい、銀月。何が言いたい?」
「べっつに~? モテない男の僻みですよ~?」
軽く睨みを利かせるギルバートに、銀月は軽い口調でそう言って話を途切れさせた。
「それは後でたっぷり弄くるとして、魔理沙はどうしたのさ? てっきり一緒に来るもんだと思ってたけど?」
「後でも弄るな。魔理沙なら…………ちょっと待ってろ」
ギルバートは上を向いて呆れ顔でため息をつくと、空へと飛び上がった。
その視線の先には箒に乗って黒い帽子を被った金髪の少女。
彼女は読んでいる本に気をとられており、博麗神社の上を通過しかけていた。
「おい、わき見運転は危ないからやめろって言ってんだろ!」
「あうっ!?」
そんな彼女の頭を、ギルバートは軽くはたいた。
魔理沙はそれに驚いて本を落としかけるが、かろうじてそれは抑えた。
そして彼女は、少し不満げな表情でギルバートを見た。
「何だよ、ギル?」
「何だよ、じゃねえよ。お前宴会場通り越してるぞ?」
「え?」
魔理沙はキョトンとした表情で周囲を見回した。見てみると、宴会場となっている博麗神社は彼女の下後方に見えていた。
それを見て、魔理沙は頭をかいた。
「ありゃ、本当だ」
「……お前なあ、本を読むのなら帰ってからでも出来るだろうが。ほら、さっさと行くぜ」
「あ、ああ」
ギルバートと魔理沙は連れ立って博麗神社の境内へと降りていく。
その様子を、銀月達は苦笑いを浮かべてみていた。
「やあ、魔理沙。ここを通り過ぎるなんて、どうかしたのかい?」
「よぉ、銀月。いやな、ちっとギルから借りたこの本を読んでたんだ」
魔理沙はそう言うと、手にした青い背表紙の本を周囲に見せた。
それを見て、妖夢は首をかしげた。
「この本がどうかしたんですか? 読めないんですけど……」
「これは魔道書だね。俺が読めるってことはそこまでレベルの高いものじゃあないな」
銀月は妖夢に魔理沙が持っている本について簡単に説明をした。
魔道書は読もうとするものの技量がその本に相応しいくらいに高くなければ読めないようになっている。
そのため、全く魔法を知らない妖夢は文字を読むことが出来なかったのだ。
魔理沙の持つ青い本を見て、アリスは首をかしげた。
「『魔力変換の効率化と応用』? そんな本、あの図書館にあったかしら?」
「ああ、こいつは俺の部屋の本だ。小さい頃から何度も繰り返し読み続けた本でね。母さんはもう使わないし、俺もその本の内容は把握しているから、こいつなら貸してやっても良いと思ってな」
「ふ~ん……そう」
アリスはそう言うと、魔理沙が熱心に読んでいる本を横から覗き込んだ。
すると、アリスの瞳に強い興味の色が現れ始めた。
「へぇ……これ、こういう使い方があるのね……初めて知ったわ」
「ん? どうかしたのか?」
「これ、なかなか良い本じゃない。ギルバート、この本を次は私に貸してくれる?」
「別に構わないけど……アリスはこの辺りの基本は全部押さえてるんじゃないのか?」
「魔界の魔法とこっちで発展してきた魔法が完全に同じな訳ないじゃない。元が違えば基本も違うわよ」
「成程な。そう言うことなら納得だ」
アリスの言い分に、ギルバートは納得して頷いた。
その一方で、アリスは何かを思いついた表情でギルバートに声をかけた。
「ねえ、ギルバート。今度貴方の部屋の中の本を見せてもらっても構わないかしら?」
「ん? そりゃまた何でだ?」
「少しこっちの世界の魔法に興味が出てきたのよ。だから、たぶん基本的な魔法の本が揃っている貴方の部屋に行ってみたいと思うのよ」
「あ、私も行きたいぜ!」
アリスの要望に、魔理沙も便乗して行こうと手を上げる。
どうやら二人ともギルバートの部屋へ行く気満々のようである。
そんな二人を見て、ギルバートは眼を泳がせて乾いた笑みを浮かべた。
「……あ~……俺の部屋の中に入るのは……」
「む、何だよ、入られたら拙いことでもあるのかよ?」
「ん~、いや、拙い事はないけどな? 何かこう、気分的にだな」
ギルバートは眼を合わせずにそう言いながら頬をかいた。
その様子を見て、アリスは意地の悪い笑みを浮かべた。
「ふ~ん? もしかして、見つけられたくないものがあるのかしら? 成程ねえ……ま、ギルバートも男の子ってことね」
「……ああ、そう言うことか。そう言うことならたしかに中に入れたくないよな」
ニヤニヤと笑いながらアリスはそう言って、魔理沙もアリスの言いたいことに気がついてニヤリと笑ってギルバートを見る。
するとギルバートは二人の言わんとしていることに気がつき、大慌てで反論を始めた。
「ちょ、おい!? 何を想像してんだよ二人とも!!」
「別に良いじゃないの。むしろそう言うことに興味ないって言う方が私は不健全だと思うわよ?」
「違うっての! そう言う意味でダメって訳じゃねえんだって!」
「じゃあ、どういう意味なんだ?」
「お前らが自分の部屋に俺を入れたくないのと同じ理由だ!」
「あら、私は別に貴方を部屋に入れない理由は無いんだけど?」
「ギル、散々私の家の中を片付け回っておいてそれは無いぜ」
「ぐっ……お前ら~……」
ギルバートは恨めしげにニヤニヤと笑う二人を眺めた。
特に魔理沙の発言は、ギルバート自身も認めるところである故に全く反論が出来ない。
「まあまあ、要は自分だけの空間に踏み込まれたくないってことさ。別に本を借りるだけならギルバートに持ってきてもらえば良いわけだし」
そんな三人の会話に、銀月がそう言って割り込んだ。
それを聞いて、アリスと魔理沙は小さくため息をついた。
「それもそうね。それじゃあギルバート、今度どんな本があるか見せてくれない?」
「……了解だ」
「ちぇっ、ギルの部屋を色々探してみたかったんだけどな~」
「……ぶっ飛ばすぞ、魔理沙」
「うわっ!? ぼ、暴力反対だぜ! 冗談だって!」
右手の握りこぶしに金色の魔力を溜め始めたギルバートに、魔理沙は大慌てでそう言った。
そんな三人の様子を見て、銀月は笑みを浮かべた。
「ふふふ、楽しそうだな」
「銀月」
そんな銀月に後ろから声を掛ける人物が。
その声に銀月が振り返ると、そこには紅白の衣装を着た巫女が立っていた。
「あ、霊夢。もう始めるかい?」
「もう良いでしょ、これだけ揃っていれば。後は飲んでるうちに揃うわよ」
「そうだね。それじゃあ、父さんに言って初めるよ」
銀月はそう言うと、将志のところへと向かっていった。
「……何で宴会を始めるのに、お父さんに言わなきゃいけないのかしら?」
そんな銀月の言動に、何も知らない霊夢は首をかしげるのであった。
* * * * *
あとがき
長くなりすぎたのでここで一度ストップ。宴会前の様子でした。
まだ来ていない面々は後で来ます。
銀月の頭を撫でるのはどうやら妖夢もお気に入りの様子。しかし、何かが違うようである。
というか、なんか銀月の頭を撫でようとすると、撫でやすいように頭を下げるように調教されてるし。
……だからお前はいったいどこに向かっているのだ。
ギルバートはギルバートでレディーファーストが徹底されていますなぁ。おかげで死に掛けたけど。
なんだかギルバートは女子の前で体を張ることが多いですなぁ。美鈴のときとか今回の妖夢とか。
次回は宴会本番です。
それでは、ご意見ご感想お待ちしております。
感想は作者の活力、どんなことでも良いので書き込んでいただければ嬉しいです。