雪の降る幻想郷の空を、銀髪の青年が飛んでいく。
その青年こと将志の向かう先には銀の霊峰よりもなお高い山。
将志は天魔に呼び出され、妖怪の山と呼ばれるその場所に向かっているのであった。
「……新種の妖怪とは……いったい何者なのだろうか……」
将志はそう言いながら、妖怪の山を遥か下に見下ろす超高度から侵入する。
何故なら、哨戒天狗に見つかりたくはないからである。
その理由として、将志は人間のふりをして哨戒天狗を相手に遊ぶことがあり、自分の本来の身分が知られてしまうとそれが出来なくなってしまうからである。
なお、天魔はその行為を哨戒天狗の修行になることを理由に容認している。
いつもの通り視線が無いことを確認しながら天狗の里にある一番大きな屋敷の中庭に真上から侵入すると、将志はまっすぐに天魔の部屋へと向かう。
しょっちゅう呼び出されていたために、勝手知ったる何とやらと言うものである。
「……邪魔するぞ天魔……」
「ちょ、やめてください天魔様!」
「ふふふ、良いではないか良いではないか……」
将志が部屋のふすまを開けると、黒い翼を持つ妙齢の女性が少し若い容姿の烏天狗に覆いかぶさって服を脱がしに掛かっていた。
その周りには酒瓶が転がっていて、天魔が酒に酔っていることが見て取れた。
「ああ、そこの人! ちょっと助けて」
「…………」
将志は無言でふすまを閉じた。
そしてしばらくの間、眼をマッサージする。
仕事を依頼されて呼ばれているのだ、そう自分に言い聞かせ、煮えくり返るはらわたを治めようとする。
「……いかんいかん、少々疲れているようだ」
将志はそう言って再びふすまを開いた。
「おや、遅かったじゃないかっと」
次の瞬間、将志はノータイムで妖力の槍を天魔に投げつけていた。
天魔はそれを体を仰け反らせることで回避する。
「ひっ!?」
その突然の攻撃に、天魔の下に居た烏天狗は思わず眼を覆う。
そんな哀れな烏天狗を他所に、将志は天魔に詰め寄った。
「……貴様、何のつもりだ?」
「何のつもり、とは?」
「……俺は仕事の依頼を請けてここに来ている訳なのだが……何故酒を飲んでいる?」
将志は笑顔で額に青筋を浮かべながら天魔に詰め寄る。
一方の天魔は涼しい顔で朱漆の杯から酒を飲んでいる。
天魔の返答しだいでは、将志の怒りが爆発しかねない状況であった。
「ああ、それは依頼など建前だからだ。実際には仕事などない」
「……何だと? では、何故呼び出した?」
「いや、最近寒くなっただろう? だから鍋が食いたくなってな。良い素材が手に入ったから、どうせなら腕の良い料理人に作ってもらおうと思ってな」
その天魔の言葉を聞いて、将志の眼がスッと細められた。
その眼からは怒りが消え、強い興味が浮かび上がっていた。
「……ほう? それはこの俺のやり場のない怒りが消し飛ぶほど良い素材なのだろうな?」
「保障しよう。幻想郷の管理者に頼んで、名産地から取り寄せてきた食材を取り揃えてある。いや、便利な時代になったものだ」
「……ふむ、ならば検めさせてもらうぞ」
将志はそう言うと台所へと向かった。
その地下にある氷室を改装した食料庫を見てみると、見事なアンコウが鎮座していた。
形が良く、眼は澄んでおり、とても鮮度が良いことが見て取れた。
その他にも、旬の食材が氷室の中には並んでいた。
それを見て、将志の眼が光った。
「……成程。言うだけの事はある」
将志はそう呟くと、天魔の部屋に戻った。
そこでは、相も変わらず酒を飲む天魔とその相手をする烏天狗と言う光景が広がっていた。
「どうだ? お前のお眼鏡に適うものだったか?」
「……貴様と言う奴は本当に仕事の邪魔になることばかりしてくれる。あんなものを用意されては、腕を振るわん訳には行くまい」
ニヤニヤと笑う天魔の問いに、将志は困った表情でそう答えた。
つまるところ、やはり将志も己の欲望に忠実な妖怪なのである。
目の前にニンジンをぶら下げられて黙っていられるような性分ではなかったのである。
「あの、天魔様? この人誰ですか? どこかで見たことあるような気がするんですけど……」
先程から天魔に振り回され続けている烏天狗が訳も分からずにそう尋ねる。
すると天魔は意外そうな表情を浮かべて烏天狗を見た。
「ん? お前ほどの情報屋が知らないとは意外だな。建御守人こと槍ヶ岳 将志。銀の霊峰の首領だぞ?」
天魔の言葉を聞いた瞬間、その烏天狗は眼をパチパチと瞬かせた。
目の前にポンと現れたのが、それほどまでの大物だとはにわかには信じきれないようである。
「はい? そんなに偉い人だったんですか?」
「……一応肩書きとしてはそうなっているな。銀の霊峰首領、槍ヶ岳 将志。変わり者の槍妖怪だ」
将志はそう言いながら質問をしてきた烏天狗を眺める。
黒髪に白いシャツ、黒いスカートといった格好の彼女が何者なのかを考える。
天魔がこの場に呼ぶような相手だ、相当な変わり者であろう。
将志は目の前の彼女をその様に仮定した。
「清く正しい幻想郷のブン屋、射命丸 文です。宜しくお願いします」
文はそう言うと、将志に深々と礼をした。
その自己紹介を受けて、将志は怪訝な表情を浮かべた。
「……ブン屋? 天魔、お前は取材を受けるようなことをしたのか? 正直、それ以外に彼女がここに居る理由が思い当たらんのだが」
「いや、暇になったから呼びつけただけだ。よくあっちこっちに飛んでいくのを見かけるのでな、興味本位でとっ捕まえてみたらなかなかに面白い奴だったからな」
将志の問いかけに、天魔は何気ない表情でそう答えた。
それを聞いて、将志は苦々しい表情を浮かべてため息をついた。
「……お前はまたそんなことで人を巻き込んだのか……」
事あるたびに色々と理由をつけては呼び出されている将志にとって、文の状況は人事ではない。
事実、今回も将志は仕事の名目で呼び出されているのだから、迷惑どころの話ではない。
そんな将志の心境を察して、文は苦笑いを浮かべた。
「あはははは……ところで、天魔様とはどんなご関係ですか?」
「む? 将来を誓い合った仲だが?」
「え?」
天魔はサラリと涼しい表情で言葉を紡ぐ。
すると文はそのあまりの内容にその場で固まった。
自分の知らないところで、領主に実は婚約者が居ました、等という事態になれば特大のスクープになりかねないのだ。
「息を吐くように嘘を吐くな! 俺と天魔はただの腐れ縁だ」
そこに将志が少し慌てた様子で、叫ぶように天魔の言葉を否定しに掛かった。
それを聞いて、文は硬直した状態から現実に引き戻された。
「そうなんですか?」
「まあ、そうだな。だが千年来の付き合いだから、そう浅いものでもない。事実、将志は妖怪の山の事情もかなり深いところまで知っているぞ」
「……ことある度に呼び出されて書類整理を手伝わされれば、それはある程度は覚えるだろう」
文の問いに天魔は素直に答え、それに対して将志が呆れたような表情でそう付け足す。
実際問題、将志はここに来るたびに天魔の仕事の様子を気にしており、結果としてそれを手伝う羽目になっていた。
それも最近では月に一度手伝わされているのだから、将志が呆れ果てるのも当然であろう。
何が悲しくて他所の組織の事務処理をしなければならんのか、将志は常にそれを疑問に思っているのだった。
そんな話を聞いて、文は首をかしげた。
「……ん~、おかしいですね……何でそんな人のことが今まで話題にならなかったんでしょう? そんなにしょっちゅう天魔様の家に出入りする人が居たら話題になりそうなものなんですけどねぇ?」
首領の家に見知らぬ男が頻繁に出入りしている。
そんな話が神経質な天狗達の間に少しでも広がれば、当然里全体で話題になるはずである。
しかし、今までその様な事態に陥ったことは一度もなかった。
文の疑問は当然のものである。
それに対して、天魔が答えた。
「ああ、それは私が隠しているし、将志も目に付かないように気をつけているからな」
「何でそんなことを?」
「……それは俺が頼んでいるからだ。ここの問題に巻き込まれるのは御免被りたいからな」
将志は相変わらずの呆れ顔で天魔を見ながらそう答える。
もし、実際に将志と天魔の関係が大天狗達に知られれば、大騒ぎになることは目に見えている。
更に将志は銀の霊峰と言う幻想郷の中の大組織の首領である。
そんな人物が天魔の影についているとなれば、天狗達が何を仕出かすか分かったものではないのである。
それを理解して、文は再び苦笑いを浮かべた。
「それはそうですよね。ここの大天狗様方は頭がお固いですからねえ」
「あの石頭共の言いたい事も分からなくも無いが、現状に即していないことを言うのは困り者だ。外部の責任者がある程度の事情を把握して居れば、いざと言うときに迅速な行動が期待できるだろう?」
「……もっともらしい事を言う。それを理由にして書類整理を手伝わせるのは如何なものかと思うがな?」
困り顔の天魔に、白けた表情で将志はそう呟いた。
それに対して、天魔は軽薄な笑みを浮かべて口を開いた。
「そう固いことを言うな。現状報告も出来て一石二鳥「……な訳があるか、この大戯け!」あぐっ!?」
天魔の頭に向かって将志は拳を頭蓋を砕かんばかりの勢いで打ち下ろした。
唸りを上げる拳が叩きつけられた瞬間、鈍い音を響かせて天魔の頭が床スレスレまで沈み込んだ。
天魔は頭を抱え、殴られた場所を押さえてしばらく唸っていた。
「~~~~っ……おい貴様、今本気で殴っただろう!?」
「……痛くなければ懲りないだろう?」
「くっ、だからと言ってか弱い女に手を上げるとは、貴様それでも男か!?」
「……ふっ、安心しろ。俺が勝負以外で手を上げる女子は、後にも先にもお前だけだ」
「くそっ、酷い差別だ……私にももう少し優しくしてくれたって良いだろう?」
「……優しくして欲しければ、それ相応のことをすることだ」
殴られた箇所を押さえて涙眼で抗議する天魔に、したり顔でそれを受け流す将志。
その掛け合いは正しく旧来からの友人のやり取りそのものであった。
そんなやり取りを見て、文は珍しいものを見るような表情を浮かべた。
「……二人とも、本当に仲が良いですね……」
「そうだろう? 何と言っても、私が一番信頼を置いている男だからな」
「……それを聞いたら、大天狗達が泣くぞ。それはともかく、確かに一定以上の友好関係にあることは認める」
笑顔で将志の肩に手を置く天魔に、将志は複雑な表情を浮かべながらそう続ける。
そんな将志を見ながら、文は顎に手を当てて首をかしげた。
「それにしても……貴方の顔、やっぱりどこかで見たことあるんですよね……」
「ん、何だ? 前世で恋人同士だったとか、そういう感じか? 何ということだ、お前がそんな電波娘だったとは……」
「ち、違いますよ!? 本当に前にどこかで有名になった顔なんですよ!」
何かに絶望するような表情で発せられた天魔の言葉に、文は大慌てでそれを否定する。
無論天魔の発言は冗談であるのだが、かといって見覚えがあるのも本当なので仕方が無い話ではあった。
しばらく考えていると、文は一つの手がかりを思い出した。
「……あ、貴方ひょっとして、前に鑑 槍次って名乗ってませんでした?」
「……む、良く知っているな。確かに、俺は鑑 槍次という偽名を使っていたことがある」
文の発言に、将志は少し驚いた表情を浮かべてそう答えた。
実際には、将志は今も人間として潜り込む時は余程の相手でない限りは偽名である鑑 槍次の名前を使っているので、知られていても不思議ではない。
しかし、顔を知られているとなれば余程印象に残ることをしていたのであろうが、将志は文のような烏天狗の前でその様なことをした覚えはなかったのだ。
将志が疑問に思っていると、横から天魔が首をかしげながら口を開いた。
「鑑 槍次? はて、どこかで聞いた名だな。何処で聞いたのだったか……」
「『狐殺し』ですよ。白面金毛九尾の狐を退治したと言う噂が流れた人間ですよ」
文の口から答えが発せられた瞬間、将志はすぐに納得した。
白面金毛九尾の狐といえば、その時天下に名を轟かせた大妖怪である。
それを退治した人間と言うことで名を知られていたのであれば、天狗達が偵察に来ていても不思議ではなかったであろう。
それを聞かされて、天魔は納得したように頷いた。
「……ああ、あれか。何だ、あれを仕出かしたのはお前だったのか?」
「……立場上、人間の生活も出来なければならなかったからな。金を貯めるために口入れ屋で傭兵の仕事をしていた時の仕事だ」
「あの後大変だったんだぞ? 白面金毛九尾の狐を一人で倒すような人間が出てきた、と神経質な大天狗共が騒ぎ出してな。おかげで私はしばらくの間、その対策のために休日返上で働かされたのだぞ? どうしてくれる」
天下に名を轟かせた妖怪を退治した人間が現れたと聞いて、当時の妖怪の山は大騒ぎになった。
攻め込まれたときの対策やしばらくの人間に対する接触の自粛など、鑑 槍次という人間ただ一人のために山全体が動く羽目になったのだ。
当然、その最高責任者である天魔も休み無しで対応に追われる羽目になったのであった。
恨みがましい視線をくれながらそう言う天魔に、将志はため息交じりに言葉を返す。
「……そんなことは知らん。第一、俺はその狐を殺したわけではない。きちんと話をすれば分かる相手だったぞ?」
「お前のことだ、どうせ口説き落としたのだろう? この色男め、後ろから刺されてしまえ」
「……否定したいところだが……いや、結果だけ見れば変わらんか……」
将志はそう言いながら大きくため息を吐いた。
将志は口説いたつもりはなくても、実際の結果としてその九尾の狐こと八雲 藍は将志に惚れ込んでしまっているのだ。
結果としては、口説き落としたのと全く違いはない。
「そう言えば、アルバートさんが言ってましたね。メイドに世話をさせるといつの間にか口説きに掛かっているから困るって」
文は以前人狼の里に取材に行った際、アルバートと話をしていた。
その時に、アルバートが頭を抱えながら将志とメイドの関係を述べていたのを覚えていたのだ。
「……別に口説いた覚えはないのだが……」
「貴方に覚えがなくても、周りにはそう認識されてるんです。どんなことを言ったんですか?」
苦い表情を浮かべる将志に、文はそう言って質問を重ねる。
将志としてはメイドに普通に話しかけているだけなのであるが、そこはこの男である。
話す言葉の中にさりげなく六花仕込のリップサービスが混ざっていて、絶妙な口説き文句へと早変わりしていたのだ。
そして無意識下で相手を口説きに掛かる将志は、その度にアルバートからの制裁パンチを避け続けることになるのであった。
「下手に口を開かせないほうがいいぞ。こいつが本気で口説きに掛かったら、どうなるか分かったものではないからな」
「……口説かれたことあるんですか、天魔様?」
「……将志、そろそろ腹が減った。鍋の準備を頼む」
「……了解した」
文の疑問を無視して、天魔は将志に料理を作るように促した。
それを受けて、将志は迅速に料理を作るべく動き出した。
良く見てみれば、以前口説かれたときのことを思い出したのか、天魔の顔はほんのり赤く染まっていた。
その様子に文は微笑ましいものを見るような表情で笑った。
「おやおや? 天魔様、顔真っ赤ですよ? これは是非ともお話を聞きたいものですね~?」
「黙れ」
ニコニコと笑う文に、天魔は憮然とした表情で釘を刺すのだった。
しばらくして、将志が料理と共に戻ってきた。
彼の持つ盆の上には、土鍋の中でもくもくと湯気を立てるアンコウ鍋を始めとして、様々な料理が並んでいた。
それらの料理は大皿の上に品良く盛り付けられており、見た目にも鮮やかであった。
「……待たせたな。余った食材で色々作っても見たから、それも食べると良い」
「おお、これはまた随分と豪勢な料理ですね」
「……元の材料が豪勢だからな。こんなもの、幻想郷の中では滅多に食えんぞ」
「そうなんですか?」
「ああ、そうだとも。幻想郷の管理者に頼んで外から取り寄せた一級品だ。それを一流の料理人に頼んで料理してもらったと言うわけだ」
目の前の料理に関して、三人で話を続ける。
すると、将志がふと思い返したように口を開いた。
「……しかし、アンコウを捌くなど久々だな。吊るす場所が無くて少々難儀したぞ」
「吊るし切りですか。アンコウだと知っていれば見に行ったんですけどねぇ……」
アンコウの吊るし切りなど、外の世界でも滅多に見られるものではない。
それが海のない幻想郷となれば、なおさら珍しいものであった。
残念そうな表情を浮かべる文に対して、将志は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「……む、それは悪いことをした。先に料理の内容を伝えておくべきだったな」
「いえいえ、確かに珍しいですけど記事に出来そうなことでもないので」
「それはそうと、早く食わんと無くなるぞ?」
将志と文が話している横で、天魔はそう言って口を挟んだ。
天魔の器にはアンコウの切り身が多量によそわれており、次から次へと料理を確保していた。
その山盛りにされた料理を見て、文は不満の声を上げた。
「あ、天魔様取りすぎですよ!」
「……心配せんでも追加の具はあるぞ? アンコウ丸々一匹など、逆に食いきれるかどうかが心配になるくらいだ」
「だが待つ時間があると言うのは気に食わん。そういう訳だからどんどん食べさせてもらうぞ」
そう言いながら、三人は自分の分を取り分けて食事を始める。
料理を口に含むと下の上で具材が溶け、口内に旨みが広がる。
その味に、将志は満足そうに頷いた。
「……ふむ、流石に名産地の食材を使うと美味いな。やはり幻想郷の中だけではこれ程のものは作れまい」
「ふぅ……酒によく合う鍋だ。おい、さっきから進んでないぞ。もっと飲め」
「飲んでますよ……天魔様のペースが速すぎるんです。それを言うなら将志さんの方が飲んでないですよ」
天魔に酒を勧められながら、文はそう言って言葉を返す。
天魔も文も料理が出る前からそれなりに飲んでいたため、少々酒が回り始めているようである。
「こいつには追加の分を作ってもらわなければならんからな。あまり飲ませすぎると勿体無いことになる」
「それもそうですね……そうだ、お酒が入る前に将志さんに取材しちゃいましょう。滅多に出来ませんし」
「……取材?」
文の突然の発言に、将志は首をかしげた。
取材を受けるようなことをした覚えは全くなかったからである。
しかし、文にとってはそうではなかったようである。
「銀の霊峰って記者にとっては鬼門なんですよ。上の人達に取材をしようにも、門番の人達が通してくれませんし……」
文は幻想郷中を飛び回って新聞のネタを探すブン屋である。
当然、銀の霊峰にも取材に向かったことがある。
しかし、銀の霊峰の最深部である社は将志の信頼の厚い門番が守っており、許可の無い者を通すことはない。
そう言うわけで、銀の霊峰の首脳部の人間には全く取材が出来なかったのである。
しかし、将志はその文の主張に首をかしげた。
「……それでも、俺は外への警邏で割と外に出ているはずなのだが……」
「取材は事前の下調べも重要なんです。それなのに、首領の顔も分からないのに取材が上手く行く訳無いじゃないですか。私、将志さんの顔を今日初めて知ったんですよ?」
「……はて、お前は先程俺の顔に見覚えがあると言っていなかったか?」
「それは『鑑 槍次』としての顔ですよ。『槍ヶ岳 将志』がまさか人間に化けているなんて、普通は思いつきませんよ」
妖怪が人間に成りすましている例と言うのは、いくつか報告されている。
例えば先程も話に上がった白面金毛九尾の狐などが正にそれである。
しかし、それが一般的かと言われればそうではない。
特に将志の場合、やろうと思えば一切の妖力を体の中に封じ込められるため、人間に紛れると全く分からなくなってしまうのである。
それ故に、将志は今までその正体を知られることが滅多に無かったのである。
その異端さを理解していない将志は、文の言葉を聞いて首をかしげた。
「……そう言うものなのか?」
「そう言うものです。と言うか、銀の霊峰の組織は不透明すぎるんですよ。住人に話を聞いて内情を調べようとしても情報が錯綜してますし、聞けば聞くほど訳が分からなくなってくるんですよ」
「……それは当然だ。わざとそうなるように情報を流しているのだからな」
「何でですか? そうまでして隠したいことがあるんですか?」
「……そうではない。恐らく、お前が取材をしたのは里の連中だろう? 里の連中にはそれをまとめる奴が居てな、そのまとめ役が自主的に動いてくれるような情報を流しているのだ」
「それ、詐欺みたいなものじゃないですか。あらかじめいいように解釈した情報を渡すってことですよね?」
「……確かにそうだが、実はそれの大本の情報はどうとでも解釈できるような文にしてあるのだ。例えるならば、『里の発展に貢献すれば支援をする』と言う情報があったとしよう。この場合、具体的に何をすれば里が発展するか等と言った情報が含まれていない。そこで、まとめ役連中にはその具体的な内容を織り交ぜて伝えるのだ。すると、それぞれのまとめ役に渡る情報は違ったものになるだろう?」
将志は怪訝な表情を浮かべる文に、自らが治める組織の概要を説明した。
つまり、大雑把なものを最初に決めておいて、末端に行くほどその情報が具体化されていくという仕組みである。
これによれば、同じ『里への貢献』と言う事例に対して『里の美化』を言いつけられるものや『治安の改善』を指示されるものと、色々と末端で違いが現れる。
こうしておけば、最初から具体的な方針を練るよりも融通が利き、末端の者が多少勝手をしても大本に反するものでなければ良いと言う状態になるのだ。
その体制について、今度は天魔から疑問の声が上がった。
「一つ思ったのだが、その情報の違いを里の連中は疑問には思わないのか? それでは情報を流すたびに問い合わせに来る者がいると思うのだが」
「……それが無いのだ。気づくのは上層のほんの一握りの連中で、彼らは現状を理解している。しかし、ほとんどの連中は自分に与えられた情報に疑問を一切持たないのだ。もう少し考える力と習慣をつけて欲しいものだ……」
将志はそう言って大きくため息を吐いた。
実際に、銀の霊峰の者は一部を除いて頭を使うと言うことをしない。
それ故に、上の者が一つ指示を出すと全く疑問を覚えることなくそれに従ってしまうのだ。
将志はその現状を憂いており、少しでも疑問を持つことが出来る者が増えて欲しいと思っているのだった。
「成程……下手に頭が回るのも困り者だが、そこまで働いていないのも問題だな。深刻な文官不足じゃないのか?」
「……実際に足りん。実際のところ、門番の連中にまで書類仕事が回ってくるような現状だからな。そんなことでは本来の業務に支障が出てしまう。本音を言ってしまえば、銀月にも抜けて欲しくは無かったのだ」
将志は憂鬱な表情でそう呟いた。
実際のところ、門番は雇い主を守るために全力を尽くせなければならないものであり、書類仕事などで疲弊させると言うのは言語道断なのである。
しかし文官が不足している現状では、門番となっているものでも有能であれば書類仕事を依頼せねば回らなくなってしまっているのだ。
この現状は将志の大きな悩みの種となっており、頭の良い部類である銀月が抜けたことも大きな痛手となっているのだった。
その将志の表情を見て、文は世知辛い表情を浮かべながらメモを取った。
「やっぱり上に立つ人は苦労してるんですねぇ……天魔様も苦労なさっているみたいですし……」
「そうだぞ。私も日々苦労してるんだぞ? 上に立つ人間はそれなりの悩みがあるのだ」
文の呟きに、天魔は言い聞かせるようにそう言った。
それに対して、将志は天魔に白い視線を送る。
「……それが分かっているなら俺に仕事を押し付けるのはやめてもらおうか。俺も組織の首領と言う立場なのだがな?」
「それはそれ、これはこれだ」
「……おのれ」
しれっとした天魔の発言に、将志は歯軋りをしながら拳を握り締める。
手にした箸から破滅を知らせる音色が漏れ出したところで、文が話題を提供する。
「ところで、お二方が知り合った時ってどんな感じだったんですか?」
「……あの時は鬼に案内されて妖怪の山に来てな、せっかくだから人間のふりをして殴り込みをかけたのだ」
「それが手に負えなくて、私が休日返上で呼び出されたわけだ。それで、戦闘になった」
「それで、どうだったんですか?」
「私は幻覚を使って仕掛けていったのだが、こいつと来たら力技で私の幻覚を破ってきおった。結果として、こいつが戦神と呼ばれる所以を思い知らされた訳だ」
天魔は当時のことを懐かしそうにそう言った。
当時は天魔の将志への印象は最悪であり、自分の休日を邪魔されたことに対する報復として戦闘を仕掛け、負けたのであった。
その天魔の物言いに、将志はフッと小さく息を吐くように笑った。
「……では、その戦神に連勝していたお前は何なのだろうな?」
「はい? 天魔様、将志さんに勝ったんですか?」
「……俺が唯一負け越している相手が天魔なのだ。他の相手には余程の事が無ければ負けないと言う自信はあるのだがね」
「あ~……でも確かに、天魔様滅茶苦茶強いですからねぇ……」
少し楽しそうに笑いながらそう告げる将志に、文は納得したような表情を浮かべる。
文にしてみれば、天魔も自分には届かないほどの強さを持つ大妖怪なのである。
そんな彼女が戦神を超えるような者であると言われても、素直に納得できるようなものであった。
しかし、そんな文に対して天魔が口を挟む。
「お前、戦神も案外大した事無い等とは思ってないか? 馬鹿を言うな、私は少々裏技を使っているだけだ。こいつの戦績を聞いたら私なんて霞むぞ? 文、お前は鬼神を覚えているか?」
「あ、はい。天魔様が戦っても勝率が三割切るほど強かったんですよね?」
「ああ。で、この男はその鬼神に勝率八割を叩き出したのだぞ? 化け物としては明らかにそちらの方が格上だろう?」
実際問題、天魔は将志の弱点をつく上手い方法を思いついただけに過ぎない。
もし、天魔が将志と真正面からぶつかり合って戦えば、その勝率は二割に届けば良い方であろう。
現在の神が存在する以前から存在し、その神に強さを認められて戦神となったのは伊達ではないのだ。
それを聞いて、文の将志を見る眼が眼に見えて変わった。
「……そうなんですか?」
「……伊里耶との勝負か……とは言っても五戦四勝と言ったものであるから、もっと試合数を重ねていればどうなっていたかは分からんな」
将志は少々残念そうな表情でそう語る。
彼としては、もう少し伊里耶と戦ってみたかったようである。
「十分ですよ……私達が勝てない鬼達の首領を相手に勝率八割とか、むしろ何で負けたのかが知りたいですよ……」
そんな将志に、文は呆れた表情を浮かべてそう言った。
すると、将志は苦い表情を浮かべた。
「……あの時、伊里耶の着物が肌蹴なければ……」
「はい?」
「っ、何でもない……鍋の具を追加してくる」
将志は酒を飲んでもいないのに頬を赤く染めてそう言うと、そそくさと鍋を持って台所へと消えていった。
その後姿を、天魔がニヤニヤと笑いながら見送っていた。
しばらくして、将志は鍋に具を追加して戻ってきた。
鍋の中は再び沢山の具に埋め尽くされており、美味そうな匂いを漂わせていた。
「さて、これでお前にも心置きなく飲ませられるなぁ、将志くん?」
すると天魔は、将志の後ろから覆いかぶさるようにして寄りかかった。
その手には酒瓶が握られており、将志に飲ませる気満々であった。
天魔の口元からは、大量の酒を飲んだと思われる特有の匂いが漂っていた。
そんな天魔に、将志は鬱陶しそうな表情を向けた。
「……ええい、顔が近い。落ち着いて食えんだろうが」
「まあまあ、まずは飲もうか」
「……何がまあまあ、だ。飲むだけなら飲んでやるから離れろ」
「断る」
将志の言葉にも全く堪えず、しなだれかかったまま杯に酒を注ぐ。
自分の杯に並々と注がれた酒を見てため息を吐く将志に、文が苦笑いを浮かべながら口を挟んだ。
「天魔様、すっかり出来上がっちゃってますね……」
「……俺が席を立っている間にどれくらい飲んだ?」
「景気づけとか言って一升飲んでました」
将志の質問に、文は簡潔にそう言って答えた。
それを聞いて、将志は力なく首を横に振った。
「……やれやれ……そんな景気づけは要らんというのに……」
「それにしても、ここまで盛大に酔う天魔様は初めて見ますね」
将志に思いっきりしなだれかかる天魔を見ながら、文はそう言った。
それを聞いて、将志は意外そうな表情を浮かべた。
「……そうなのか? 俺は割と毎回見ているが……」
「普段天狗の間で飲むときは大体大人しく飲んでますからねぇ。と言っても、両脇を大天狗様達に固められてるんですけど」
文の言うとおり、普段の天魔は両脇を大天狗に固められて静かに飲んでいることが多いのだ。
天魔にしてみれば、大天狗と飲むのはつまらないことこの上ないのでそもそも付き合うつもりがない。
それ故に、普段天狗達の間では大人しく飲んでいるのが当たり前なのだ。
その一方で将志の記憶の中では、天魔は自分の気づかないうちに大酒をかっ喰らい、絡んでくる性質の悪い飲み方である。
それ故に、将志にとって普段文の言うようなの見方をしていると言うのは心底意外なのであった。
その認識の違いに驚いていると、天魔が将志の耳に息を吹きかけて不満を訴え始めた。
「くぁっ……!?」
「こら、主催を放っておく奴があるか。私にも構え」
「……くっ、分かったからしなだれかかるな。動きづらいだろうが」
「この状態で酒が飲めないわけじゃないだろう? ならば少しぐらい我慢しろ」
「……この酔っ払いが」
将志はぐいぐいと体を押し付けてくる天魔にそう毒づいた。
いつの間にか天魔の服装は小袖に袴と言う薄着になっており、将志の背中にはダイレクトにその体の感触が伝わってくる。
将志が諦めを含んだ言葉を呟いた瞬間、突如として白い光が二人を包んだ。
「……っ」
「いい絵ですねぇ。これで記事を書くなら『天魔様熱愛発覚!? 相手は銀の霊峰の首領』っていう見出しになりそうですね」
嬉しそうにそう言う文の手には、カメラが握られていた。
どうやら先程の光はこのカメラのフラッシュのようである。
そうやって嬉しそうな文に対して、若干額に汗を浮かべながら将志は話しかけた。
「……何を馬鹿なことを。第一、そんな記事を天魔が了承するわけないだろう」
「分かってますよ。記事にするのは冗談です。でも、それはそれとしてもう一枚……」
文はそう言って再びカメラを構える。
「っ!?」
「ふにゃぁっ!?」
すると次の瞬間、将志は文の視界から消え、天魔は頭から床へと突っ込むことになった。
しばらくして、文は目の前で起きた異変に首をかしげた。
「……あれ?」
「あたたたた……おい将志、急にどうしたと言うのだ?」
「……いやなに、特に他意はないのだが……」
ぶつけた額をさすりながら天魔が問いかけると、文の後ろからやや低めの青年の声が聞こえてきた。
将志の額には冷や汗が浮かんでおり、なにやら異常があったことを示していた。
そんな将志に対して、文が質問をした。
「他意がないならどうしたんです?」
「……まあ、なんだ……」
文の質問に、眼を泳がせながら歯切れの悪い答えを返す将志。
その様子は答えは用意できているのだが、明らかにそれが言いづらいといっているようなものであった。
その様子を見て、天魔はニヤリと笑った。
「……ははぁ。文、せっかくだから将志の写真を撮ってやってはどうだ? なかなか無いぞ、こんな機会」
「そうですね。将志さん、少しお写真を……」
文がそう言ってカメラを構えた瞬間、再び将志はその視界から消えうせた。
再び起きた珍現象に、文は再び首をかしげた。
「……あれ?」
「くっくっく、やはりそうか。おい将志! たかが写真を撮られるくらいでどうしたんだ!?」
「……昔から写真だけは苦手なのだ。何が苦手なのかは自分でも分からんが、とにかく苦手なのだ」
面白おかしく笑いながらの天魔の質問に、将志は部屋の入り口から顔だけ出しながらそう答えた。
その様子から、本気で写真を撮られることに恐怖にも似た嫌悪感を持っていることが感じ取れた。
そんな将志の言い分に、文は不満そうな表情を浮かべた。
「そんなこと言わないで写って下さいよ。将志さんの写真は滅多に無いんですから」
「……もう既に一枚撮っているだろう。それで辛抱しておけ」
「う~ん、そんなに抵抗されると逆に撮りたくなるんですよねぇ……どうしましょう、か!」
文はそう言いながら、部屋の外に一息で飛び出してカメラを構えた。
「……ちぃ!」
すると将志は、眼にも留まらぬ速さでジグザグに動きながら廊下の角へと消えていった。
そのあまりの速度に、文はシャッターを押すまもなく立ち尽くすしかなかった。
「……すごい勢いですね……本当に写真を撮られるのが嫌なんですね……あうっ!?」
突如として、文の頭に拳が打ち下ろされる。
そしてその下手人である天魔はため息混じりに首を横に振った。
「やれやれ……面白いのは歓迎だが、家の中で暴れられるのは勘弁だ。お~い、将志! 写真はもう撮らせないから戻って来い!」
天魔がそう言うと、将志は廊下の角から顔だけ出して様子を伺い始めた。
「……本当か?」
「ああ、確約しよう。この家にいる限り、お前の写真は撮らせん」
「……その言葉、偽りであったら酷いぞ?」
「おいおい、何処まで信用が無いんだ、私は?」
「……今までの行動を鑑みて、俺がお前を信用出来ると思うか?」
「くっ、毎度の事ながらこの手の質問には上手い反論が見つからん……」
天魔の言葉にもかかわらず、将志は廊下の角に引っ込んだまま出てこようとしない。
更に将志の言葉に天魔はろくに反論も出来ずに沈黙する。
そんな中、頭をさすりながら文が立ち上がった。
「あいたたた……天魔様、全然信用ないんですね……大丈夫ですよ。残念ですけど、天魔様がそういうのであれば撮影を控えます」
「……分かった、そこまで言うのならば信じよう」
文の言葉を聞いて、将志はようやく廊下の角から出てきた。
その様子に、天魔は膝を抱えて床にのの字を書き始めた。
「……分かってはいたが、流石にここまで態度が違うと私も拗ねるぞ?」
「……勝手に拗ねていろ。散々俺を架空の用事で呼び出しているお前よりも、まだ初対面の相手のほうが信用できる」
「ふんだ、今日は枕を涙で濡らしながら眠ってやる……だが、その前に……」
天魔はそう言うと、再び将志にしなだれかかった。
その様子に、将志は嫌な予感を感じて顔をしかめた。
「……何のつもりだ?」
「せっかく貴様を呼んだのだ。どうせなら酔い潰れるところが見たいと思ってな」
「……貴様と言う奴は……」
酒瓶を持ってそう言う天魔に、将志は頭を抱える。
今までの経験から、天魔がこうなると大体ろくな事がないのは眼に見えているのだ。
そんな二人の様子を見て、文は苦笑いを浮かべた。
「あはははは……頑張ってくださいね、将志さん」
「お前は何を言ってるんだ、文? お前も一緒に潰れていけ」
「あ、私ちょっと急用が……失礼します!」
天魔の言葉を受けて、文は逃げようとして飛び去った。
しかし、文は部屋の中をぐるぐると飛び回ったかと思うと、何もない空間をペタペタと触る奇行に走った。
「あ、あら? 出口が無い……」
文は混乱した様子で目の前の空間に手を添え続ける。
どうやら彼女の眼にはそこに壁があるらしく、そこが何もない空間だとは分かっていないようである。
そんな文を見て、天魔は低い笑い声を上げた。
「くっくっく……お前の感覚は乗っ取らせてもらったぞ、文。これでお前は私を酔い潰すまでこの家から出ることが出来なくなった。観念して飲むのだな」
つまり、文は今天魔の手によって幻覚を見せられているのだ。
文が正確にわかるのはテーブルの位置と天魔と将志の位置だけ。
視覚や方向感覚や平衡感覚、更には触覚まで狂わされている現状では、文に出口までたどり着くのは不可能と言わざるを得なかった。
「天魔様、それはアルコールハラスメントとパワーハラスメントに当たるのでは……」
「知らんなあ。なに、上手くやれば私を酔い潰す事くらい容易いものだぞ?」
ニヤニヤ笑いながら天魔は文にそう話しかける。
それを受けて、文は助けを求めるように将志に視線を向けた。
「……諦めろ。ハラスメントと言う概念は、それを抑えるものがあるから通じるのだ。この妖怪の山では、天魔を押さえるものが無い」
「ううう……分かりましたよ……お付き合いいたします……」
将志の発言を受けて、文は眼に涙を浮かべながら自分の席に着く。
彼女が二日酔いになることが決まった瞬間である。
そんな彼女に謎の罪悪感を覚え、将志は確認するように背中にしなだれかかる天魔に話しかけた。
「……思ったのだが、俺達を酔い潰せるほど酒があるのか?」
「無ければそんなことは言わん。以前の貴様の飲み方からどれくらい飲むのかは分かっているし、文がどれくらい飲めば潰れるのかも把握している。だから私を含めた三人が潰れるだけの酒を用意するのもたやすいことだ」
「……そんなことをしている間に仕事を終らせれば、色々と文句を言われずに済むだろうに……」
「そんなことは知らん。そんなことより飲め貴様。今日は全員生きて帰れると思うな」
呆れ顔の将志に対して、天魔はすっぱりとそう言い切った。
こうして、地獄の酒飲みバトルロイヤルが始まった。
「きゅうぅぅぅぅぅ……」
一時間少々経ったとき、そこに一つの死体が出来上がっていた。
それを見て、天魔は小さく吐き捨てるように言葉を発した。
「なんだ、文はもう潰れたのか。弱いな」
「……お前が集中攻撃を掛けていたからではないのか? 先程から文にばかり酒を飲ませていただろう?」
「それは断り方が下手なだけだ。上手くすれば飲ませてくる相手を返り討ちにするような飲み方すら出来ると言うのに……」
「……まあ、薦められるままに飲むと言うのは潰されるパターンではあるな」
事実、文は天魔や将志から勧められた酒を断ることなく飲み続けていた。
相手に飲ませたり、別のものを飲んだりして時間を潰していたわけではないので、その分早く潰れてしまったのだ。
文にとって天魔と将志は遥かに力の強い存在であるため、薦められても断りきれなかったのだ。
そんな文の有様を見て、天魔は不満そうな表情を浮かべた。
「天狗と言うのはどいつもこいつもそうだ……強いものには遜るくせに、弱いものには不遜な態度をとる。情けないとは思わないか? 弱いものに圧力を掛けるのであれば、自分より上の者にも抗う位の気概を持って欲しいものだ」
「……しかし、その考え方は天狗の中では異端ではないのか?」
「ああ、それも理解はしている。だが、これが私の性分なのだから仕方が無い。もっとも、私が鬼神……伊里耶と戦えるほど強くなければ話は違ったのかもしれないがな」
天魔は天狗の中でも飛び抜けて強い力を持っている。
それ故に、上に抵抗するだけの力を持つことが出来たのだ。
もし、天魔が普通の天狗と同じ程度の力しか持っていなかったら、また話は違っていたのかもしれない。
それを理解しているが故に、天魔も自分の考えを他の天狗達に強要することが出来ないでいるのだ。
その心境を理解し、将志は小さくため息を吐いた。
「……強い力を持ったゆえの異端か……俺には分からんな。元々組織に居た訳ではなく、今の組織も自然と集まって出来たものだ。言い方は悪いが、俺の組織は力こそが全てだ。不満があれば強くなればいい。お前の所と何が違うのだろうな?」
「天狗と言うのは他の妖怪に比べて頭が良い。これは事実だ。だから不満が出ても我慢することが出来る。つまりそれは保身に走ることが出来ると言うことだ。保身に走ることは楽なことだ。何も得られない代わりに、現状を崩すことも無い。だが、自分が変わらなくても世界は変わっていくものだ。変化を恐れすぎていると言うのが天狗の現状だ」
頭が良いものは、目先の利益に対するリスクを考えることになる。
そしてそれが自分の考える利益よりも大きいとき、その者は我慢と言うものを覚える。
しかし現状に満足しているものにとって、その生活に変化をもたらすもののリスクはその利益よりも遥かに大きく見えてしまうのだ。
つまり、現状に満足している者は変化を許容することが無い。
そして個々の寿命が長い天狗にとって、それは周囲に置いて行かれる要因になってしまうのだ。
それを理解しているが故に、天魔は保守的過ぎる現在の天狗達に頭を悩ませているのだ。
それを聞いて、将志は難しい表情で頷いた。
「……成程、確かにそう聞かされると頭が良すぎるのも考え物だな。うちの所のような不満が少ないのもそれが理由か」
「そう言えば、お前の所の組織にはどんな問題が持ち上がってくるのだ?」
「……何処の世にもありがちな問題ばかりだ。給与の問題や生活環境の整備の問題など……だけならまだ良かった」
「と言うと?」
「……嫁の飯が不味いから料理を教えてやってくれだの、俺の方が強いから手合わせしろだの、欲望に忠実すぎるのだ。このようなものに全て対応して行くとしんどくて敵わん」
将志はげっそりとした表情でそう呟いた。
妖怪の山の天狗達とは違い、銀の霊峰の妖怪達は自分の欲求に非常に忠実なのである。
それ故に、将志達銀の霊峰の重鎮達はその訴えが後々彼らの為になるのか考えなければならないのである。
その量たるや、我慢できる天狗達の比ではないのである。
そんな銀の霊峰の現状を聞いて、天魔は楽しそうに笑った。
「ふふっ、良いじゃないか。うちのところに来る良く分からない訴えなどよりも余程面白い。しかしそうか。それならば私の頼みくらい楽に聞けるだろう?」
「……たしか、天狗は我慢することが出来るのではなかったか?」
「さっき自分で言っていただろう、私は異端だと。だから私は自分の欲望の赴くままに動かせてもらうぞ」
「……ええい、貴様に自制と言う二文字は無いのか」
「普段自制しているのだ、酒を飲んでいるときくらい構わんだろう?」
天魔は将志にそう言って微笑む。
その微笑みは悪戯っぽいものであり、将志に何を言っても無駄だと思わせられるものであった。
それを見て、将志は盛大にため息を吐いた。
「……はぁ……それで、お前は俺に何を望む?」
「それはな、こいつを使うのだ」
そう言うと、天魔は戸棚から何やら赤い箱を取り出した。
その箱には、白い文字でPO○KYと描かれていた。
将志はそれを見て怪訝な表情を浮かべた。
「……何だそれは?」
「外の世界の菓子で、生地を細長く伸ばして焼いたものにチョコレートを絡めたものだ」
天魔は将志に対して手にしたものの説明をする。
それを聞いて、将志は何かをこらえるような表情を浮かべた。
どうやら目の前にある目新しい菓子が気になるようである。
「……それで、それがどうしたと言うのだ?」
「それがな……外の世界ではこれを使った遊びがある様なのだ」
「……食品で遊ぶのは関心出来んが……どんな遊びだ?」
「これを二人で両端を咥えてな、お互いに手を使わずに食べ進めると言うものらしい。それを少しばかりやってみたくてな」
天魔はニヤニヤと笑いながら将志にそう声をかけた。
要するに、天魔は将志にポ○キーゲームを仕掛けているわけである。
すると、将志は拍子抜けした表情でそれに答えた。
「……何だ、そんなことで良いのか? それくらいのことなら別に構わんぞ」
「……は?」
将志の切り返しに、天魔は思わず固まった。
まさか、こうもあっさり承諾されるとは思っていなかったのだ。
そんな天魔の様子に、将志は首をかしげる。
「……早い話が口で相手とその菓子を食べあえば良いのだろう? 実に簡単なことではないか」
「ちょ、ちょっと待て。何でそんな簡単に言い切れるんだ?」
天魔は慌てた様子で将志にそう問いかける。
しかしそれに対して、将志は訳が分からないと言わんばかりの表情を浮かべる。
「……いや、事実そうであろう? 何もそう難しいことはない」
「そ、それはそうだが……」
「……? つべこべ言ってないでさっさとやるぞ。俺はさっさと終らせたいからな」
顔を真っ赤にしてしどろもどろになっている天魔に、将志はそう言ってポッ○ーを咥える。
そうやってどんどん退路を断っていく将志に、天魔は慌てふためいた。
「あ、あのな……こ、これはその……」
天魔はわたわたとしながら考える。
こいつとこれをするのは非常に気恥ずかしい。
しかし何とかなかったことにしようと考えるも、それは自分が言いだしっぺであるし、度胸試しでもあるこれで引いて度胸がないと思われるのは遺憾である。
そして何より、そう思われる相手が将志であることが気に食わない。
そんな考えがぐるぐると天魔の頭の中をめぐる。
「……どうかしたのか?」
考え込む天魔に、将志はそう言って更に首をかしげる。
その将志の表情は普段どおりの仏頂面であり、緊張など欠片も感じられない。
そんな将志の表情を見て、天魔はそれが段々と腹ただしくなってきた。
「ああくそ! 貴様、ゆっくり食えよ!」
「……あ、ああ」
将志と天魔はお互いに棒状の菓子の端と端を咥える。
将志の顔は普段と変わらぬ表情で、全くの平常心であることが見て取れた。
一方、天魔は表情こそ平静を保っているが、顔は真っ赤に染まり呼吸に少し乱れが見られる。
天魔は少し落ち着こうと目を閉じ、呼吸を整えようとする。
しかし、そんなことはお構い無しに将志は食べ始めた。
「……!」
何の前触れもなく食べ始めた将志に、天魔は目を見開く。
天魔の言うとおり、将志は小刻みにゆっくりと菓子を食べている。
つまり、その分だけゆっくりと将志の顔が迫ってくるのである。
それと同時に、天魔の心拍数はどんどん上がっていき、頭に血が上ってくる。
「(……あんなこと言うのではなかった)」
天魔は内心後悔した。
ゆっくり食え等と言わなければ、もっとあっさりこの拷問のような時間を終えることが出来たのだから。
今のこの状態は、天魔にとっては真綿で首を絞められるようなものであった。
動きは完全に止まっており、ただ呆然と近づいてくる将志の顔を眺めることしか出来ない。
「…………?」
その間にも、将志は黙々と菓子を食べ続ける。
一向に食べ始めようとしない天魔に疑問を持ちながら、努めて冷静に口を進めていく。
段々と近づいてくる赤く染まった天魔の顔も、ルールを守ることと比較すれば瑣末なことのようである。
「…………」
そんな将志を見ているだけであった天魔だったが、その内表情が変わってきていた。
淡々と菓子を食べ進める将志を見ながら、天魔は再び段々と腹が立ってきていたのだ。
何故私だけがこんな思いをしなければならないのだ、そして何で貴様はそんな涼しい顔をしていられるのだ。
同じことをしているのに全く動じない将志に、天魔は何かを決意したような眼を向けた。
「……っ!!
突如として将志の肩を掴み、天魔は勢い良く菓子を食べ始めた。
自分が将志に言ったことなど忘れ、がむしゃらに菓子を食べ進める。
「……っ!?」
突然動き出した天魔に、将志は不意を打たれて一瞬動きが止まる。
その一瞬の間に、天魔と将志の間の距離は一息でゼロになっていった。
終わりが近づくと同時に、勢いよく天魔の頭が将志に迫る。
「んっ!」
「むぐっ!?」
将志はぶつかりそうになる額を咄嗟に押さえ、その衝撃を和らげる。
しかし天魔はの勢いは完全には止められず、ぶつけ合うような形で唇が重なった。
将志が頭を軽く引かなければ、お互いの唇が切れるような事態になっていたのは間違いない。
「……くっ……終ったぞ」
天魔は顔を耳まで赤く染め、息を荒くしながらそう言った。
彼女の肩は大きく上下し、触れ合った唇に手をやって気にしているのが見えた。
その様子を見て、将志はため息を吐いた。
「……ゆっくりと食べ進めるものではなかったのか?」
「黙れ! そもそも、何でお前はそんなに冷静で居られるのだ!?」
「……それは、俺は日頃からこれと似たようなことを請われているからな。まさか、お前にまで請われるとは思わなかったが」
興奮した様子の天魔に、将志は涼しい表情でそう告げる。
実際、将志は普段からアグナと似たような事をしているのだ。
それもアグナは将志と触れ合う口実にしているのだから、その触れあい方はこれの比ではない。
よって、将志にとってはこれくらいなんと言うことはないのである。
「くそっ、なんと言う失態だ……」
その事実を聞いて、天魔は頭を抱えた。
天魔は本来、将志の困った表情を見ようと思っただけなのである。
ところが、蓋を開けてみればこのざまである。
そんな天魔を見て、将志は呆れ顔を浮かべた。
「……後悔するくらいならばしなければ良かったのでは?」
「それでは私の度胸が無いみたいだろう!?」
「……度胸試しだったのか、これは?」
「そうだ! ああくそ、これでは私が馬鹿みたいではないか! おい貴様、どうしてくれる!!」
「……どうしてくれるもへったくれも、完全にお前の自爆ではないか」
「ええい、黙れ! そもそも、貴様がそんなに慣れているのが悪い!」
天魔は何を言っても柳に風といった風な将志に、感情の赴くままに怒鳴りつけた。
そんな天魔に、将志は小さくため息を吐いた。
「……やれやれ」
「ひゃうっ……」
次の瞬間、将志は天魔を抱きしめた。
天魔は何が起きたのか分からず、呆然とそれを受け入れていた。
「……少し落ち着け。具合の悪い奴も居るのだから、大声を出すと迷惑になる」
「っ、この、放せ!」
天魔は暴れるが、腕ごとしっかりと抱え込まれていて殴る蹴るなどの行為は出来ない。
そうやって抵抗しようとする天魔を、将志は強く抱きしめた。
「……断る。お前が観念しておとなしくなるまではこのままだ。少し深呼吸をしろ」
「くっ……」
将志の言葉にしばらく天魔は抵抗していたが、次第に大人しくなっていった。
抵抗しても無駄だということで、諦めたのであった。
それを確認すると、将志は天魔に声をかけた。
「……落ち着いたか?」
「……ああ。一応はな」
天魔がそう言うと、将志は天魔を抱きしめる腕を緩めた。
しかし天魔はそれでも動くことなく、将志に抱かれたままであった。
「……それにしても、お前がそこまで取り乱すなど、いったい何があったのだ?」
「貴様と言う奴は……今の遊び、どういう間柄の者がするのか理解しているか?」
首を傾げる将志に、天魔は恨めしげにそう声をかけた。
すると将志は、しばらく考えた上で答えを返した。
「……家族や友人、もしくは恋人といったところか?」
将志は至って真面目にそう答えた。
「……そうか、貴様が致命的にずれている事が良く分かった。本気で一度地獄に落ちろ、女の敵め」
それを聞いて、天魔は呆れ果てた表情でため息を吐いた。
当然ながら、家族や友人の間で○ッキーゲームなどやるものはそうは居ない。
居るとするならば、恋人や恋人に近しい友人、もしくは夫婦くらいのものであろう。
それを将志のように答えられては、ずれているとしか答えられないであろう。
それにもかかわらず、将志は怪訝な表情を浮かべた。
「……おい、それはどういうことだ?」
「知るか、自分で考えろ」
天魔は拗ねた表情で将志の胸に顔をうずめた。
将志はしばらく考えていたが、結局意味が分からず天魔に答えを求めた。
「……分からん。天魔、どういうことか教えてくれ」
「ええい、前から気に食わなかったことを一つ言ってやる。伊里耶もそうだったが、お前は私のことを天魔と呼ぶな。私には烏丸 椿(からすま つばき)と言うれっきとした名前があるのだからな」
将志の発言に、天魔こと椿は不満げにそう答えた。
それを聞いて、将志は首をかしげた。
「……済まないが、俺はその名前は初めて聞くぞ?」
「そうだったか? あまりに親しくしていたから、てっきりもう教えていたものだと思っていたが」
「……初耳だ。しかし、だとするならば何故天魔と呼ばれているのだ?」
「天魔と言うのは役職のようなものだ。つまり私のことを天魔と呼ぶのは寺子屋の教員を先生と呼ぶのと変わらん。同格以上の友人がそうやって呼ぶのは、些か可笑しいとは思わないか?」
椿はそう言って天魔と言う呼び名について説明する。
それを聞いて、将志は納得したように頷いた。
「……成程。つまり、俺はこれからお前のことを椿と呼べばいいのか?」
「そうだな。ここでこうやって話す様な奴など、お前と文くらいのものだからな。周りの目が無い時はそれで頼む」
「……了解した。慣れるまでは時間が掛かるかも知れんが、覚えておこう」
「そうしてくれ」
そう言い合いながら、二人はそう言って静かに過ごす。
抱き合ったまま、何も言うことなく黙って酒を飲む。
お互いに薄着であるため、相手の体温がほんのりと感じられ、穏やかな暖かみの中でゆったりと過ごす。
「……椿」
突如として、将志は椿の名前を呼ぶ。
「ん? 何だ、突然名を呼んだりして?」
それに対して、椿は穏やかな笑みを浮かべながらそれに答えた。
その返答に、将志もまた穏やかな笑みを浮かべる。
「……いや、何となく呼んでみただけだ」
「……? どうしたと言うのだ? そんな……」
恋人に話しかけるようなことを言って。
そう言いかけて彼女は固まった。
今現在、椿は将志に抱かれたままであり、双方共にとてもリラックスした状態で会話をしている。
さて、これを周りから見ればどのように映るであろうか?
少なくとも、雷禍あたりが見れば「リ ア 充 爆 発 し ろ!!」と血の涙を流して絶叫しかねない状況であろう。
「……椿?」
突如として俯いた椿に、将志はそう言って首をかしげる。
すると、椿は低い声で言葉を発した。
「……おい、今すぐに離れろ」
「……む? どうしたと……」
将志はそう言いながら椿を良く観察した。
すると耳が若干赤くなっており、肩が少し震えているのが分かった。
「……ああ、そういうことか」
それを理解して、将志は椿を抱く腕の力を強くした。
「なあっ!? こら貴様、私は離れろといったはずだぞ!?」
すると椿は驚き、顔を跳ね上げて将志に抗議の視線を送った。
その視線は若干涙眼であり、顔は真っ赤に染まっていた。
それに対して、将志は余裕たっぷりの笑みを浮かべた。
「……いやなに、顔を赤くして抗議をする椿が可愛らしくてな。つい、からかいたくなってしまったのだ」
「くっ、貴様は子供か!? それからそう簡単に可愛らしいとか言うんじゃない!」
「……事実だと思うが? 少なくとも、俺から見れば椿は可愛らしく見えるぞ?」
「く……ぅ……」
将志の言葉に、椿は完全に沈黙する。
気恥ずかしさから次の言葉が出てこず、将志の胸に顔をうずめる。
そんな彼女の様子を見て、将志はやれやれといった様子で首を横に振った。
「……さては、お前はこの手の言葉を言われることに慣れていないな? そんなことでは先が思いやられるぞ?」
「う、うるさい! 私にそんなことを言うのは貴様だけだ!」
「……ふむ、それは周囲の見る目が無いな。お前のこのような姿、他のものが見ればどう思うかな?」
「なっ……」
椿は思わずこの場に居る第三者を見やった。
しかし、その第三者である文は未だに酔いつぶれて伸びていた。
その他者の目に過敏に反応する椿を見て、将志は思わず声を上げて笑った。
「……はっはっは、そうまで気にすることはあるまいに。たまには愛嬌のある姿のひとつでも見せてやってはどうだ? ちょうど今のような奴をな」
「こ、この……っ!」
「うわっぷ!?」
椿は突如として近くにあった酒瓶を将志の口に突っ込んだ。
将志はその中身を飲み干すと、天魔を見返した。
「ぐっ、いきなり何を……」
「うるさい! 黙って酔い潰れて死ねぇ!!」
椿は涙眼でそう叫ぶと、次の酒瓶を将志の口に突っ込もうとする。
「……この、黙って潰されてはやれん!」
「むぐぅ!?」
それに対して、将志はカウンター気味に椿の口に酒瓶を突っ込んだ。
椿は眼を白黒させながら、酒瓶の中の酒を飲み干していく。
「うぐっ……やってくれたな、将志!」
「……先に仕掛けたのは椿のほうだろうが!」
そして、二人はお互いの名前を呼び合いながら酒を飲ませあうのであった。
翌日、一人の烏天狗が目を覚ました。
「う~……あいたたた……あれ、ここは……」
文は周囲を見渡し、自分が置かれている状況を確認する。
見慣れぬ家であるが、その造りの形からかなりの豪邸であることを察知し、自分の置かれた状況を把握する。
「そうでした……昨日は天魔様に呼び出されて……潰されてしまったんですね、私……」
文は痛む頭を押さえながら、ゆっくりと起き上がる。
すると、周囲が異常に酒の匂いに満ちていることに気づいた。
「……それにしても、随分とお酒臭いですね……昨日どれだけ飲んだんでしょうか……?」
立ち上がって辺りを見回してみると、ふと自分以外の気配に気がついてそちらを眺めた。
「……す~……」
「……ぐ~……」
するとそこには、将志に覆いかぶさるように眠っている椿の姿があった。
二人は唇が触れ合うような距離で眠っており、傍から見ればとても仲睦まじく見えた。
「……本当に何が起きたんでしょうかね、これは……」
文は乾いた笑みと共に頬を描く。
椿は何処となく幸せそうな表情で将志に抱きついており、将志はどこか誇らしげに椿を受け入れているように見えた。
そんな二人を見て、文は迷わずカメラを構えた。
「とりあえず、写真でも撮りましょうか」
文はそう呟くと、カメラのシャッターのスイッチを押した。
現像されたその写真は、とても良い出来映えであった。
後日、天狗の里にその写真が流出し、椿が将志と共に羅刹の如き表情で文を探し回ることになるのは余談である。