明け方の博麗神社。
そのうちの一室に一人の子供っぽい顔の少年が眠っていた。
その少年こと銀月の部屋には机と本棚、それと小さなタンスがあるだけである。
もっとも、彼の私物は懐の収納札に大体しまってあるので、私物が無いわけではないのだが。
「……ん」
銀月は短く唸り声を上げると瞼を開いた。
今日も普段と同じ時間に眼を覚まし、軽く伸びをする。
「……ん?」
そこで銀月は異変に気がついた。
自分の腹の上に何かが乗っているのだ。
その物体は柔らかい感触で、何やら温かみのあるものであった。
「……まさか」
銀月はすぐにある可能性に思い至った。
そしてそれを確認するために、銀月はそっと布団をめくった。
「うふふ……おはよう、銀月」
するとそこには、金色の髪に赤いリボンをつけた妖怪の姉がいた。
ルーミアは銀月と眼が合うと、にこやかに笑ってそう言った。
「ルーミア姉さん? いきなり忍び込んできてどうしたのさ?」
「それはねえ……それっ!」
ルーミアはそう言うと、銀月の両手を左手で掴んで頭の上に押し付けた。
突然の行動に、銀月は唖然とした表情を浮かべた。
「ね、姉さん?」
「ふふっ、今日は銀月を頂きに来たのよ」
「なっ……」
眼を白黒させる銀月に、ルーミアは妖しい笑みを浮かべてそう言った。
その獲物を前にした狩人のような眼に、銀月は背筋に冷たいものを感じた。
それは目の前の獣の標的になったことに対して、体が発した大きな警鐘であった。
一瞬明らかに怯えた様子を見せた銀月の首筋に、ルーミアは舌を這わせた。
「ひ、あ……」
「んっ……相変わらず美味しいわ。それにこの匂い。今すぐに食べてしまいたくなるわ……」
「ね、姉さ、んうぅ……」
「それに可愛い声に可愛い顔。うふふ、ぞくぞくしちゃう。銀月って首が弱いのかしら? ん……」
執拗に首筋を舐め続けるルーミアに、銀月は体を捩じらせて逃げようとする。
しかし、抜け出そうとしても両腕をしっかりと押さえられていて抜け出せない。
ここに来て、銀月は自分を押さえつけるルーミアの力が強くなっていることに気がついた。
それにより、銀月の顔には若干の焦りが見え始めた。
その銀月の変化に、ルーミアは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「うふふ、気がついてくれたみたいね」
「……姉さん、何でいきなりこんなに強く……」
「お兄さまがお姉さまに頼んで、私の封印を緩めてくれたの。これでまた攻守逆転ね、銀月♪」
「くっ……」
楽しそうに笑うルーミアと、必死の形相の銀月。
銀月はルーミアの拘束から抜け出そうとするが、ルーミアは銀月の体を上手く押さえ込んでいた。
おまけに自分の体勢が全く力の入らないもののため、抜け出すことが出来ない。
もがいている銀月を見て、ルーミアは舌なめずりをした。
「ほ~ら、頑張れ、頑張れ♪ 頑張らないと、私に食べられちゃうよ?」
ルーミアはそう言いながら、空いている右手を布団の中へと伸ばす。
そして寝巻きの浴衣を軽くはだけ、銀月の内腿をゆっくりと撫で始めた。
「あうっ、ね、姉さん!? 何処触ってるのさ!?」
「何処って、太腿じゃない。それそれ、早く止めないと変なところ触っちゃうよ?」
顔を真っ赤にして抗議する銀月に、ルーミアはサラリと答える。
そして嗜虐的な笑みを浮かべながら、右手を膝のほうから股関節に向けてゆっくりゆっくりと這わせ始めた。
その手つきはとても淫猥なもので、そこから来る刺激に銀月は顔をゆがめる。
「うぅっ、姉さん、やめて……」
身悶えながら潤んだ瞳で懇願する銀月。
抜け出そうとする行為に集中出来ないのか、抵抗する力が先程よりも少し弱い。
その銀月の行動はルーミアの嗜虐心をそそるものであり、ルーミアは背中にぞくりとした感覚を覚える。
ルーミアの心の中には、銀月を滅茶苦茶にしてしまいたいという欲求が首をもたげ始めていた。
「ふふっ、嫌よ。やめて欲しかったら自分で止めなさい?」
ルーミアはその欲求のままに、嗜虐的な笑みを深めた。
そして右手を動かす速度を少し速め、首筋を舐めようとしたその時であった。
「……あんたら、何やってるの?」
いつの間にか部屋の入り口に寝巻き姿の霊夢が立っていた。
霊夢の手には御幣が握られており、戦闘準備は整っているようである。
「あら、霊夢。いつからそこに居たの?」
「ついさっきよ。銀月の変な声が聞こえたから起きちゃったのよ」
「そう。それは失敗したわね、今度銀月を襲うときは口を塞いでからにしようかしら?」
霊夢の問いかけに、ルーミアは悪びれることなくそう答えた。
その返答を聞いて、霊夢は手にした御幣を強く握り締めた。
「やっぱり、銀月の身内だからって甘い顔しちゃいけないわね。表に出なさい。と言うか、まずは銀月の上から退け」
「おお、怖い怖い。殴られるのは嫌だし、銀月の上からは退いてあげるわ」
ルーミアは涼しい表情でそう言うと、銀月の上から退いた。
銀月はそれと同時に素早く体を起こすと、乱れた服装を整える。
「……酷い目に遭った……」
銀月は服装を直しながらそう呟く。
その眼は未だに涙眼で、声は沈んでいた。
「あら、感覚的には結構良かったんじゃない? 喘いでもだえる銀月は可愛かったわよ?」
「……覚えてろぉ……」
けらけらと笑うルーミアを、銀月は顔を真っ赤にしながら睨む。
そしてひとしきり睨むと、銀月はぐすんと小さく鼻をすすってから着替え始めた。
「それにしても、銀月ってもの凄い早起きね。睡眠時間足りてるの?」
「足りてるよ。睡眠の質を限界を超えた良いものにすれば一時間でも気分爽快だよ」
銀月はルーミアの質問に着替えながら答える。
そして着替え終わると、銀月はまっすぐに台所へと向かった。
そこには下ごしらえ済みの沢山の材料が置かれていて、すぐに料理が始められる状態になっていた。
銀月は割烹着に袖を通すと、収納札から包丁や鍋を取り出した。
「さてと、仕事を始めますか」
銀月はそう呟くと、料理を始めた。
まず米を炊き、その間に弁当に入れるおかずを手際よく、何種類も作っていく。
メインとなるのは唐揚げや魚の照り焼き、ハンバーグやエビフライ等様々な種類のおかずである。
それらのものを特注の大きな鍋やフライパンで一気に仕上げていき、皿の上に並べて荒熱を取っていく。
弁当を作るうえで、熱が残ったままでは品質の劣化に繋がってしまうからである。
それが済んで米が炊き上がると、今度は中華鍋に油を引いてチャーハンを作り始める。
強い火力で火を通していき、パラパラとしたチャーハンが出来上がっていく。
そうして全ての料理が出来上がると、使い捨てに出来るような安い竹の弁当箱に見栄えよく詰めていく。
こうして台所には、五種それぞれ二十個ずつの弁当が出来上がったのだった。
「よし、これで終わりっと」
銀月は調理道具を片付けると、大量の弁当を収納札にしまっていく。
収納札の中は銀月がどんなに激しく動いても振動が伝わらないので、岡持替わりには丁度良いのであった。
それをしまい終わると、銀月の袖を霊夢が引っ張った。
「銀月、何か軽く食べられない? 台所の匂いでお腹が空いたんだけど」
「ん~、朝ごはんまで我慢できない? 帰ったらすぐ作るよ?」
「おむすびくらいで良いんだけど……」
霊夢は袖を掴んだままそう言いながら、銀月の眼を見つめる。
その眼からは、あからさまにおねだり光線が発せられていた。
それを見て、銀月は小さくため息をついた。
「分かったよ。小さいおにぎりくらいで良いなら作るよ」
「ありがと。それからお茶もお願いね」
「はいはい」
満足そうに笑う霊夢に、銀月は苦笑いを浮かべてやかんを火にかける。
そして手を濡らして塩をつけ、釜に残った飯を俵型に握る。
その横に立つ人物が一人。
「……弱い……弱すぎるわ……」
銀月がその声に振り返ると、そこにはルーミアが立っていた。
ルーミアは銀月をジト眼で見つめており、何処となく不機嫌そうである。
「どうしたのさ、姉さん?」
「銀月、やっぱり霊夢に甘すぎるんじゃない? それから、私にもおにぎりちょうだい」
「そうかなぁ……あ、おにぎりはちょっと待って。すぐに作るから」
銀月はルーミアの主張をそう言って聞き流すと、ルーミアの分のおにぎりを作り始める。
そして手早く完成させるとお茶を淹れ、霊夢が待つ居間へと運んだ。
「お待たせ。丁度良い具がなかったから、ただの塩おにぎりで我慢してくれるかい?」
「良いわよ。どうせあとでちゃんとした朝ごはんが食べられるんだから。ところで、帰ったらってことはどこか行くの?」
「うん。お店にお弁当を届けにね。でもすぐに帰ってくるよ」
「あ、そ。それじゃ、早く帰ってきてね」
「分かってるって。じゃあ、行ってくる」
銀月はそう言うと人里に向かって飛び出していった。
「ところでルーミア姉さん、本当に何の用でここに来たのさ?」
弁当を販売店に持って行き、神社に戻って朝食を食べながら銀月はルーミアに話しかけた。
食卓には三人分の料理が並んでおり、霊夢とルーミアが一緒に食事をしている。
もっとも、霊夢は食卓にルーミアがいることが気に食わないのかむすっとした表情を浮かべている。
「銀月って今日何か予定あるの?」
「いや、今日はレミリア様から休養を取るように言われているけど?」
銀月はルーミアに今日の予定を話す。
通常紅魔館に休暇など無いが、今回の場合は昨日のフランドールへの血液の提供を受けて、暴走の危険を鑑みて大事を取らせたのであった。
……実際のところは銀月は吸血されて二時間で完全回復しているので、完全に暇な時間が出来ただけなのだが。
その銀月の予定を聞いて、ルーミアは嬉しそうに笑った。
「よ~し、それじゃあ銀月、久しぶりに勝負しましょ」
「……また唐突だね、姉さん……姉さんはいつも唐突に動いて困らせるんだから……」
突然の申し出に、銀月は白い眼を向ける。
それを見て、ルーミアは膨れっ面をした。
「何よ、銀月だって唐突に出て行った癖に」
「姉さんは常習犯でしょ。それで、勝負の形式は?」
「スペルカード二枚の何でもありの勝負。弾幕ごっこだけじゃつまんないでしょ?」
「了解。まあ、ご飯食べ終わってからね」
ルーミアと銀月はそう言うと話を止めた。
その銀月に、霊夢が近寄って耳打ちをする。
「銀月、ルーミアは前のときとは比べ物にならないくらい強くなってるわよ」
「分かってるよ。さっき押さえつけられた時の力が段違いに強かったし、よく考えたら昨日レミリア様が宵闇の妖怪の話をしてたからね」
「なら良いんだけど。いくら人間やめたあんたでも油断は出来ないと思うわ」
「……その油断の出来ない相手に弾幕ごっこで圧勝しておいて良く言うよ。それと、俺はれっきとした人間だし、人間をやめてもいない」
霊夢の忠告に、銀月は憮然とした表情でそう答えた。
食事が終わってお茶を飲み全員の腹が落ち着いた頃、銀月とルーミアは博麗神社の境内に立っていた。
なお、霊夢には終わったあとの掃除をするという条件で取り付けてある。
「それで、ルーミア姉さん。どちらかが気絶するか負けを認めるかすれば決着で良いんだよね?」
「ええ、それくらいシンプルで良いわ。そうじゃないと、姉の威厳は示せないもの」
「姉の威厳って……そんなこと気にすることは無いのに……」
「私が気にするのよ。さあ、早く始めましょ」
ルーミアがそう言った瞬間、銀月は手を軽く振って札を取り出す。
それと同時に五寸程の長さの長方形の札に力が込められ、銀色の光を発し始める。
「そうだね。早く終わらせようか」
「そう来なくっちゃ。あ、そうそう……」
ルーミアが笑顔でそう言うと、ルーミアの右腕を霧のような闇が覆い始める。
その形は長く大きく、巨大な十字架の形に伸びていく。
そしてルーミアが軽く腕を振るうと、霧の中から闇色の刀身の大剣が現れた。
その剣を、ルーミアは銀月に差し向けた。
「……そう簡単にやられないでね。前の私と同じと思っていたら痛い目に遭うわよ?」
そう話すルーミアの眼は自信に溢れており、その表情は不敵な笑みを浮かべている。
彼女の周囲には先程は霧になっていた闇が、多数の剣へと変化していた。
「…………」
それを見て、銀月は背筋に冷たいものを感じた。
目の前にいる宵闇の妖怪は、明らかに以前とは違う。
今のルーミアは上級の妖怪が持つ特有の押しつぶされそうな威圧感と、彼女の持つ深い闇のような底知れぬ恐怖を銀月に味わわせていた。
それを悟られぬように銀月が小さく息を吐くと、ルーミアもまた小さく笑った。
「ふふっ……それじゃあ、行くわよ!」
銀月が動き出すよりも先に、ルーミアが動き出す。
その動きは素早く、一瞬で間合いを詰めて手にした大剣を振るう。
「……っ!」
その暴風のような一太刀を、銀月は即座に霊力を力に変えて跳んで躱す。
その後、銀と翠の霊力弾をルーミアに叩き込もうとする。
「あはっ、遅い遅い!」
「うわっ!?」
しかしその前に、ルーミアは自身の周囲に浮かべていた闇色の剣を銀月に向かって飛ばしてくる。
銀月は霊力弾に使おうとしていた霊力をとっさに球状の足場に変え、それを蹴ることで一気にその場から離脱する。
闇色の剣が銀月の居たところを通り過ぎると同時に、銀月は地面に着地した。
「そーら、そこぉ!」
するとルーミアは狙い済ましたかのように、銀月の着地点に向かって大剣を振りぬいた。
足を刈るように迫る大剣は、着地直後で動けない銀月をしっかり捉えていた。
「くぅ!」
銀月はその迫り来る斬撃を、とっさに着ている服を霊力で強化することで防いだ。
しかしその強烈な衝撃は殺しきれず、銀月は大剣に弾き飛ばされてしまう。
「この!」
「おっと!」
銀月は弾き飛ばされると同時に霊力弾を打ち込む。
ルーミアがそれを避けるために飛びのくと、二人は距離を置いて対峙した。
「つぅ……本当に強いなあ……確か、ルーミア姉さんって妖怪の中じゃまだ若い方じゃなったっけ?」
銀月は油断無く相手を見据えながら話しかける。
先程大剣の一撃を受けた部分の服が斬られており、ルーミアの大剣の切れ味を物語っている。
更に銀月の体感としてルーミアの力と速度は、力の半分を封印されてなお上位の天狗や一般の鬼や吸血鬼程度と言う非常に高いものに感じられたのだ。
「私もお姉さま達に会うまでは色々あったのよ。まあ、食べることに関しても貴方のお姉さんってことね」
ルーミアは銀月にそう言って答えると、銀月は少し不機嫌そうな表情をする。
幼い銀月が妖怪を狩って捕食していたように、ルーミアもかつて力を得るために周囲の人間や妖怪を次々と吸収していたのだ。
その力は、半分封印されている現在においても非常に高いものになっていた。
更に銀の霊峰における修行によって磨かれてきた技術が、その動きを更に洗練されたものにしていた。
「そんなことより、続きをしましょ? こんなに楽しい勝負は久しぶりだもの」
「そうだね。確かに楽しい勝負になりそうだ」
二人はそう言うとお互いの得物を構える。
するとルーミアは何かを思い出したように人差し指を立てた。
「あ、そうだ。言い忘れてたけど、私に勝ったら一つ言うことを聞いてあげるわ。その代わり、私が勝ったら銀月が大切にしてるものを一つもらうわ」
「え、そんなの初耳だぞ!?」
「だから言ってるじゃない、言い忘れてたって。それに、勝てばいいのよ勝てば」
「……これは……負けられない」
銀月はそう呟くと、手にした札を強く握りなおした。
そして懐からスペルカードを取り出した。
好役「格好つけた陰陽師」
銀月はスペルの発動を宣言すると、自分の周囲に銀色に光る札を四枚浮かべた。
札の光は強くなり、銀色の光の球体を化す。
「行けっ!」
銀月がそう言った瞬間、銀の球体はルーミアに向かって飛んでいく。
「わははー、甘い甘い!」
ルーミアは時間差で跳んでくるその攻撃を、横に素早く飛んで回避する。
しかし躱した瞬間、銀の球体は閃光と共に爆発を起こした。
「うわっ!?」
ルーミアはその眩しさに思わず眼を覆う。
するといつの間にかルーミアの背後には鋼の槍を持った銀月が居た。
「はっ!」
「ぎゃん!?」
銀月が槍を薙ぎ払うように横に振るうと、ルーミアはそれを受けて飛ばされていった。
それに対して、銀月は追撃のために更に札を四枚浮かべて銀の球体を作り出す。
「わはぁ、やるやるぅ! よ~し、今度は私の番ね!」
ルーミアはそう言って笑うと、スペルカードを取り出した。
堕符「アポスタシークロス」
ルーミアはスペルの発動を宣言すると、左手で十字を切った。
するとルーミアの目の前に大きな闇の十字架が現れた。
「ちっ!」
銀月はそれを見て即座に銀の球体をルーミアに向けて放った。
今度は四つの球体が一気にルーミアの元へと殺到していく。
「それっ!」
一方のルーミアもその十字架を銀月に向けて放つ。
銀の球体と暗黒の十字架が二人の中心でぶつかり合う。
すると光と闇が打ち消しあい、音も無く消えてなくなった。
「くっ……」
「それっ、もう一丁!」
銀月とルーミアは激しい撃ち合いになった。
銀月が札を放てば、ルーミアはその大半を十字架で打ち消して避けながら接近し、黒い大剣で攻撃を仕掛けていく。
ルーミアが攻撃を仕掛ければ、銀月はその攻撃を冷静に避けながら札を撒き、多角的に相手を攻め立てていく。
しかし、しばらく続けていくうちに段々と銀月が押され始めてきた。
「くぅっ、最近少し仕事に時間を割きすぎたかな……」
「そう? 私は銀月のことだから十分すぎるほど修行してると思うけど? それに、私は銀月よりも百年は先輩なのよ?」
「それでも、追いつけなくは無い!」
銀月はそう言うと鋼の槍で、迫り来るルーミアを振り払う。
ルーミアはそれを後ろに下がって回避し、再び十字を切る。
「それもそっか。良く考えたら千年以上生きた妖怪が人間に倒される何てこともあるし、そもそも銀月は実際に試合でそういう妖怪に勝っているものね」
涼しい顔でそう話すルーミア。
積んだ修行の量、種族としての地力、その双方において勝っているルーミアは余裕の表情を浮かべている。
しかし、その体には銀月の攻撃がかすった痕がいくつか見受けられた。
銀月とて鬼の四天王に一目置かれる様な者であり、一般的な人類とは一線を画していることには変わりは無いのだ。
そうこうしている間に両者のスペルカードがお互いにタイムアウトを迎えて破られる。
「……ルーミア姉さん、手加減してる?」
「そんなの銀月だって一緒じゃない。銀月が奥の手を使えば、今の私なんてあっという間よ?」
「そうは思えないけどね……」
ルーミアの言葉に、銀月は怪訝な表情を浮かべる。
それに対して、ルーミアは微笑を浮かべて話を続ける。
「本当よ。ただの人間が吸血鬼のエリートと戦えるくらいの強さを持てる。お兄さまの力はそれくらい強力なのよ?」
「父さんの力はそう簡単には使わない。まして、この程度の戦いになんか絶対に使わない」
「何で?」
「父さんの力は大切なものを守るための力だからだ」
「あれ、でもこの前鬼との勝負で使ったって言ってなかったっけ? それに私に負けたら大切なものを奪われるのよ?」
「鬼の時はは父さんの名前に泥を塗りたくなかったからだよ。あと、俺はルーミア姉さんのことは信じてるから」
「……そーなのかー」
銀月の言葉に、ルーミアは不意を撃たれたようなぽかーんとした表情を浮かべてそう呟いた。
それからしばらくして、ルーミアは気恥ずかしさから頬を少し赤く染めた。
「……よし、それじゃあ少し本気を出そう」
ルーミアはそう言って自分の頬を叩いて気合を入れなおした。
その様子を見て、銀月も力を練り直す。
銀月は既に限界を超える程度の能力も使っており、個人の力としては正真正銘全力の状態である。
対するルーミアも現状出せる力を全て出し切るべく、小さな剣に変えていた闇を霧状に戻した。
そして二人はスペルカードを取り出し、スペルの発動を宣言した。
傑物「剛力無双の豪傑」
影符「ライブインシャドウ」
先に動いたのはルーミア。彼女は手にした大剣に闇を纏わせ、横一文字に薙ぎ払う。
銀月はルーミアの攻撃を躱して素早く接近し、手にした札を大きく振り上げ神珍鉄の黒い槍を取り出した。
その人間が使うには重たすぎる槍を、銀月はルーミアに叩き付ける。
ルーミアは空気を震わせながら迫り来るその攻撃を、正面からじっと見据える。
攻撃後の隙を狙った、基本に忠実な一撃。
その一撃を見て、ルーミアは優しく微笑んだ。
「ぎゃうっ!」
次の瞬間、銀月は地面に転がっていた。
重く黒い槍の地面を砕くような一撃は、ルーミアのわずかに左側に外れていた。
銀月は訳が分からず、自分の足に眼をやった。
するとそこには、ルーミアの影から剣を持った手が伸びている光景が見えていた。
どうやらあの剣に足を払われて転倒したようである。
そんな銀月の首に、ルーミア本人と影の両方の黒い大剣が突きつけられた。
「チェックメイト。私の勝ちね」
「……ああ、負けを認めるよ」
銀月はため息をつきながら負けを認める。
すると、ルーミアは剣を元の闇に霧散させた。
「はい、それじゃあ約束どおり銀月の大切にしているものをもらうわよ」
「ううっ……いったい何が欲しいって言うのさ……」
「そうね……銀月が欲しいって言ったらどうするかしら?」
ルーミアは悪戯な笑みを浮かべて銀月にそう言った。
その瞬間、銀月の眼は点になった。
「……え」
銀月はしばらくの間、呆然とルーミアを見つめる。
すると、そこに割り込むようにして霊夢がやってきた。
「ちょっと待ちなさい」
「何よ、私が勝ったんだから良いじゃないの」
「良くないわよ。銀月が欲しいって言ったら、銀月の全てが欲しいってことじゃない。一つになってないからダメよ」
「……うん、流石にそれは俺もどうしたら良いか分からないからちょっと……」
睨むような目つきを送る霊夢に、苦笑いを浮かべる銀月。
それを見て、ルーミアは小さく笑った。
「まあ、流石にそれは冗談よ。そこは霊夢の言う通りだし、第一不公平すぎるもの」
「それじゃあ何が欲しいのよ?」
「ねえ、銀月。懐の中のものを出してくれる?」
霊夢が問いかけると、ルーミアは銀月にそう言った。
その瞬間、銀月の顔が悲しげなものになった。
「え……まさか、あれなの?」
銀月が思い浮かべたのは、いつも懐に入れている真鍮のサイコロ。
それは初めて愛梨から手品を教わったときにもらった物で、お守り代わりにしている大切なものであった。
泣きそうな表情を浮かべる銀月を見て、ルーミアは苦笑いを浮かべた。
「まあまあ、いいからいいから」
「とほほ……ちょっと待ってね……」
銀月はそう言いながら懐に手を入れて中身を取り出し始めた。
懐を覗き込む銀月に、ルーミアは声をかける。
「銀月」
「え、なに、んっ!?」
銀月が顔をルーミアに向けた瞬間、唇に湿っぽくて柔らかな感触を覚えた。
目の前には自分の名前を呼んだルーミアの顔があった。
「え?」
霊夢はその突然の行動に唖然とした表情を浮かべた。
一方、銀月は銀月で思考がパンクしているらしく呆然としていた。
そんな中、ルーミアは銀月の唇からそっと自らのそれを離した。
「うふふ……確かに頂いたわよ。銀月のファーストキス♪」
ルーミアはそう言って小悪魔のように悪戯な笑みを浮かべて可愛らしく舌を出した。
その言葉を聞いて、銀月はふと我に返った。
「あ、う、何で?」
「銀月の驚く顔が見たかったからよ。銀月って滅多なことじゃ驚いてくれないもの」
訳が分からないといった様子の銀月に、ルーミアは楽しそうにそう答える。
それを聞いて、銀月は呆れ顔でため息をついた。
「……そんなことのために……一応取っておきたかったんだけどなぁ……」
「まあまあ、減るもんじゃないし良いじゃない。これで気にすることなく行けるわよ? あ、それとも、もう一回行っとく?」
「……もういいよ。ルーミア姉さんもそう安売りしないほうが良いと思うよ」
はしゃぐ様なテンションで話すルーミアに、銀月は若干いじけ気味にそう言った。
すると、ルーミアはふと思い出したように言葉を継いだ。
「あ、言っとくけど私も今のがファーストキスよ」
「え゛」
ルーミアの言葉を聞いて、銀月はその場でびしっと固まった。
その愕然とした表情を見て、ルーミアは笑みを深めた。
「わはは~、それじゃあ私はもう満足したから帰るわ。それじゃ、まったね~♪」
ルーミアはそう言うと、固まっている銀月と霊夢を置いて上機嫌で飛び去っていった。
それからしばらくして、銀月は大きく息を吐きながら肩を落とした。
「……はー……姉さん、いったい何がしたかったんだろう……」
「銀月、顔真っ赤よ」
「そりゃあねえ……あれ、本当に初めてだったからなぁ……」
銀月は顔を赤く染めたまま肩をすくめる。
銀月にとってファーストキスは特別なものだったらしく、ルーミアも初めてだったという事から残念そうでありながらも相手の好意について考えていた。結構夢見がちである。
そんな銀月の様子を見て、霊夢は怪訝な表情を浮かべた。
「……取っておきたかったって割にはそんなに残念そうじゃないのね」
「まあ、持っていかれちゃったけど、嫌いな相手じゃないからね。更に言えば、ルーミア姉さんのことは好きだから、残念といえば残念だけど悪い気はしないさ」
「ふ~ん……そう」
微笑を浮かべて質問に答える銀月に、霊夢は短くそう答えた。
そしてもう興味を無くしたと言わんばかりに神社に向かって歩いていく。
「霊夢?」
「喉が渇いたわ。お茶を淹れてくれる?」
「ん。すぐに準備するから待ってて」
銀月は霊夢の要望を聞いてそう言いながらその横を歩く。
すると霊夢は薄く笑みを浮かべて口を開いた。
「それから、今日は修行禁止よ」
「ええ!? 何でさ!?」
霊夢の一言に、銀月は大げさなまでに大きな声でそう問いかけた。
その質問を霊夢は一笑に付す。
「当たり前でしょ。体を休めるために休みをもらってたのに、こんな馬鹿みたいに暴れてどうするのよ。休日らしく休むべきよ」
「……そんなに問題があるわけじゃないのに」
「問答無用よ。あんたの修行の管理についてはあんたのお父さんからも言われてるんだから」
「……父さん……俺ってそんなに信用無いのかい?」
霊夢の発言に、銀月は肩を落としてホロリと涙をこぼした。
そんな銀月の肩を霊夢は苦笑いを浮かべながら叩いた。
「まあいいじゃない。あんたもたまにはお茶でも飲んでゆっくりしてみたら? それから、たまには私の愚痴も聞きなさいよ」
「はあ……分かったよ。今日は大人しくしておくよ。それから、愚痴は程々で勘弁してくれ」
二人はそう言いながら神社に入っていった。
その日、銀月は一日中霊夢の話し相手をすることになるのだった。
一方その頃、銀の霊峰の社の一室。
そこには金色の髪に赤いリボンをつけ、闇色の服を着た少女がいた。
「……どうしよう、ニヤニヤがとまらないわ……」
ルーミアは寝台に横になり、枕を抱えて蹲っている。
彼女は帰ってくるなり早足で自室に向かい、寝台に飛び込んだのであった。
その顔は真っ赤であり、枕を抱く腕にはかなりの力が込められていた。
そして頬が緩むのを実感しては、枕に顔をうずめる。
「思ったより柔っこいのね……」
ふと、ルーミアはそう呟きながら唇を人差し指でなぞる。
それからしばらくすると、自分がした行為を思い出してその場でゴロゴロと転がるように身悶えた。
「あ~う~! 思い出しただけでもうっ!!」
ルーミアはそう叫びながら顔を揉みしだく。
しかしそれでも自分のにやけ顔を止めることが出来ず、更に激しくその場を転がる。
「むぐぐ……こうなったら、お姉さまにアタックして更なる高みに上ってやるわ!」
ルーミアはそう言いながら飛び起きると、部屋から飛び出していった。
その後、ルーミアはアグナの手によって北斗七星の傍らに光り輝く星にされたのであった。