いつも薄暗く、一般人では中に入ることはおろか近づくものすらいない魔法の森。
その入り口に、香霖堂と呼ばれる一軒の小さな古道具屋がある。
店主は人間と妖怪のどっちも来られるようにと思ってこの辺鄙な場所に店を構えたのだが、その当ては大きく外れてしまっている様である。
将志はその人通りも妖怪も少ないその場所に立つ古道具屋の前に降り立つと、店の戸をあけて中に入った。
「……邪魔するぞ」
将志が中に入ると、様々なものが並べられた店内を歩く。
その品揃えは将志の眼から見ても珍妙で、様々な時代の品物が置かれている。
その中には将志が気の遠くなるほど昔に見たようなものもあったりして、懐かしい気分にさせてくれることもある。
そんなこんなで、将志はこの店を大いに気に入っているのである。
「おや、久々の顔が来たね。新しいのならそこにあるよ」
しばらく将志が店内を歩いていると、奥のカウンターから声が聞こえてきた。
将志がその方を見ると、そこには銀の髪に眼鏡をかけ、青と黒を基調とした着物の青年が居た。
青年の名前は森近 霖之助。この香霖堂の店主である。
カウンターの椅子に座って本を読んでいた彼は、とある一転を指差していた。
それを見て、将志は面白そうに笑みを浮かべた。
「……ほう? 随分と用意が良いな、霖之助?」
「君は数少ない真っ当な買い物をしてくれる客だからね。それなりに優遇をしもするさ」
霖之助はそう言うと憂鬱なため息をついた。
この店、客は来なくても人は来るのだが、まともに買い物をする客はあまり居ない。
それどころか勝手に店のものを持っていかれたりと、結構散々な目に遭っている。
そんな憂き目にあっている中で、将志は貴重な「客」なのである。
そうやって話していると、店の戸が開く音が聞こえてきた。
その人物はまっすぐに将志達が居るカウンターへと歩いてきた。
そして、将志の姿を見て意外そうな声を上げた。
「ん? 将志じゃないか。ここで会うとは奇遇だな」
「……慧音か。そちらも買い物か?」
「ああ。授業の教材になりそうなものを探しにな。それに、ここ以外ではなかなか白墨を置いていないんだ」
新しい客である紺色の服に五重塔の一部の様な独特の形の帽子を被った女性は、そう言いながらカウンターの前に陣取る。
それを聞いて、将志は納得したように頷いた。
「……成程な。確かに、ここにはそう言ったものがありそうだな」
「そう言う将志は何を探しに来たんだ?」
「……これだ」
将志はそう言うと、先程霖之助が指差した方向にあったものを持ってきた。
それは数冊の本であり、和書洋書入り混じって重ねられていた。
慧音はそのうちの一冊を手に取り、中に眼を通した。
すると中には沢山のレシピや調理の小技などが掲載されていた。
それを見て、慧音は怪訝な表情で首をかしげた。
「料理の本? 何故料理の神でもあるお前が料理の本なんか欲しがるんだ?」
「……人間が進歩し続けるのであれば、神もまた進歩し続けなければならない。俺一人が積んだ経験より、数億人の人間が積んだ経験のほうが圧倒的に多いだろう? そこから学べることは俺にとっても少なくは無いからな」
将志の料理は、一人の妖怪が数億年間かけて積んだ経験を元に作り出される料理である。
その一方で、将志が手に持っている本の内容は精々数十年生きた一人の人間が書いた物に過ぎない。
しかし、そこに書かれている知識は何人もの料理の先人達が積み上げてきた経験から生み出されたものであり、そこには何人の人間が何年かけて至ったのか分からないような知識が含まれている。
将志の知識との一番大きな違いは、『将志でなければ出来ないと言うことが無い』と言うことである。
それゆえに、将志はそれらの知識を習得することを怠らず、常に勉強を続けてきたのだ。
そんな将志の料理に対する姿勢が意外だったのか、慧音は笑みを浮かべた。
「ふふっ、勤勉な神もいたものだな。うちの問題児達にも少しは見習って欲しいものだ」
「……だが、言うことを聞かない子供を何とかするのも教員の腕の見せ所と言う奴だろう?」
慧音の言葉に将志はそう問い返した。
すると、慧音は途端に渋い表情で将志を見やった。
「……言うことを聞かない子供で思い出したが、お前の息子はどうにかならないのか? もうそろそろ大人として子供達に手本を見せないといけないのに、未だにギルバートとくだらない競争ばかりしているんだが」
「……一度本気で灸を据える必要がありそうだな……」
将志は眼を覆い、呆れ口調でそう呟いた。
……余談だが、この時白装束の人間と青い毛並みの魔狼となる少年の背中に寒気が走ったことを追記しておく。
その話に興味を持ったのか、霖之助が横から口を挟んだ。
「そう言えば、この間銀月が額に大きなこぶを作ってきたのは慧音の仕業かい?」
「ああ。どちらが早く買い物を済ませられるかで勝負し始めて、屋根を走るわ人ごみを走り回るわで周囲に散々迷惑を掛けてくれたからな」
「……銀月もここに来るのか?」
「ああ。紅魔館の備品を買出しに来たり、買い物ついでに博麗神社のお使いに来たりね。彼、霊夢が溜めていたツケを聞いて頭を下げてくれた上に、少しずつ払うことを約束してくれたよ」
霖之助は銀月の来店状況と、店での様子を語った。
それを聞いて、将志は頭を抱えてため息をついた。
「……あいつ……本当にそれで良いのか……」
「……僕としては助かるから良いんだけど、少々お人好しが過ぎるかもね」
「……是非とも釘を刺しておいてやってくれ」
少し心配そうな霖之助の言葉に、将志は疲れた声でそう告げる。
そしてしばらくすると、将志は一つ咳払いをして話題を帰ることにした。
「……さて、霖之助。今回の本はこれで全部か?」
「そうだね。今回集めてきた本はそれが全部だよ」
「ほう? お前が個人のために物を集めてくるなんて珍しいな?」
二人のやり取りを聞いて、慧音は興味深そうにそう話す。
それを聞いて、霖之助は呆れたような表情を慧音に向けた。
「あのねぇ……僕だって一応商売をしているんだぞ? 確実に売れると分かっているものを置いてないでどうするんだい?」
「……その割には商売っ気の欠片も無いがな」
「しょうがないね。大々的に宣伝したところで場所が場所だし、そこのところはもう諦めているよ。それに、あまり賑やかなのが大勢で来られても捌ききれない」
将志の指摘に霖之助は諦めた表情でそう呟いた。
それを聞いて、今度は慧音が呆れた表情でため息をついた。
「はあ……やっぱりお前は商売人には不向きだよ、霖之助」
「君はいつもその言葉を言うね。まあ君に限ったことじゃないけど、君は特にそう言うことが多い。なら、僕にはどんな仕事が向いているって言うんだい?」
「……そう言われると返答に困るな……」
むっとした表情の霖之助に尋ねられて、慧音は口ごもった。
その横で、将志は苦笑いを浮かべながらストーブの上にやかんを置いた。
「……まあ、何だかんだ言っても霖之助がここ以外で働くのは想像出来んな。それにその収集癖から思わぬ掘り出し物が手に入ることもあるのだし、意外と悪くは無いのではないか?」
「確かに、そう言われればそうだな」
「……だが、商才に関しては疑問が残るし、営業努力に関しては不足と言わざるを得ないが」
納得したように頷く慧音に、将志は自分の思うところをニヤリと笑いながらそう話した。
それを聞いて、霖之助は白い眼で将志を見やった。
「……君は僕を褒めるのか貶すのかどっちなんだい?」
「……さあ? どちらだろうな?」
霖之助の問いに、将志は涼しい顔でお茶を濁した。
その返答に、霖之助は憮然とした表情で視線を本に戻す。
本は何かの説明書の様で、簡易的な図と共に説明書きが書かれていた。
そんな霖之助の前に、慧音が何やら手に持ってやってきた。
「ところで霖之助。何やら色々と物が増えているが、これは何だ? とら○だがーXって書いてあるが」
慧音はカウンターの上にそのものを置いた。
軽い樹脂製の流線型の体に、四つのゴム製のタイヤ。
裏返してみればそこにはON/OFFのスイッチが付いており、何らかの機械であることが分かる。
そして、それは外の世界で見る人が見れば懐かしいと思える代物であった。
「それか。それはミニ四駆って言って外の世界の自走する玩具のようだ。ただ、部品が足りないみたいでちっとも走らないけどね」
霖之助はそう言いながらミニ四駆を弄る。
ボディーを外して中を見てみると中身は空で、モーターも電池も無いのでは、走りようも無い。
その霖之助の言葉に、慧音は少し考えて質問を重ねる。
「ミニってことは大きいものもあるのか?」
「あるんだろうね。でも、自走する玩具を大きくしてどうするつもりなんだろうか?」
「……人形と似たようなものなのではないのか? 元はもっと別の用途で使われているものと言うことも十分に考えられると思うのだが」
霖之助の疑問に、将志はそう言って意見を述べる。
それを聞いて、慧音と霖之助は感心したように頷いた。
「ああ、そうか。ミニって付くからには元の四駆の方が先か。だとすれば、どのような用途で使うものなんだろう?」
「馬と似たような使い方が出来そうな気もするね。つまり、これに馬車を引かせているわけだ」
「と言うことは、外には馬が居ないのか? それに馬の代わりをするこれはどうやって走るんだ?」
「恐らく居ないんだろうね。それにどうやって走るかだけど、この玩具の構造からして誰かが中に乗り込んで動かすって言う線は無さそうだ。と言うことは、この空いている部分のどこかに動力となる物が入るに違いない。それが何なのかは分からないけどね」
「………………」
どんどん白熱していく議論を、将志は茶の用意をしながら楽しそうに見つめる。
将志は遠い昔、まだ永琳と共に過ごしていたときの知識から目の前の物が何であるのか、そして霖之助達の疑問の答えも大体分かっている。
しかし、将志はその答えを彼らに告げることは決してない。
何故なら、将志は彼らが分からないことを必死に考え、その答えを出す過程を見るのが好きだからである。
その結果、将志の常識とは違った様々な答えが生まれ、それを聞くのが将志の楽しみでもあるのだ。
これも、将志が香霖堂を懇意にしている理由の一つであった。
そのじっと見つめる視線に気づき、霖之助は将志の方を向いた。
「どうしたんだい、さっきから黙り込んで?」
「……いや、何と言うか二人が随分話し慣れているように見えたのでな」
将志は茶を配りながら、とっさに思いついた言い訳をした。
どうやらそれは効果があったようで、霖之助は合点がいったように頷いて答えた。
「ああ、そういうこと。それは、慧音とはもう長い付き合いだからね」
「そうだな……お互い半妖同士と言うこともあってそれなりに話はしていたし、もう百年以上の付き合いになるな」
「……成程な」
慧音の答えに将志は納得した。
二人は霖之助が人里に現れて以来の友人であり、その時から結構親しい仲であったようである。
茶が全員にいきわたり、三人揃ってそれを飲んで一息つく。
「それにしても、将志の淹れるお茶はやっぱり美味しいな。霖之助の淹れるお茶よりもな」
慧音はふぅ、と息を吐き出して茶の感想を述べる。
すると、横から少し拗ねたような声が聞こえてきた。
「それは認めるけど、君は僕が淹れるお茶じゃ不満なのかい?」
「そうは言っていないぞ。ただ、霖之助が淹れるお茶が今よりも美味しくなったらもっと来る機会が増えるかもしれないぞ?」
「それは良いね。落ち着ける話し相手が来る機会が増えるのは大歓迎だ」
『落ち着ける話し相手』の部分をやや強調しながら霖之助はそう言った。
霊夢や魔理沙など常連となっている者は数あれど、落ち着いていて満足に話が出来る相手かと問われればさもありなん。
霖之助にとって、慧音は落ち着いて話が出来、なおかつ古い付き合いなので気兼ねの無く接することが出来る貴重な相手の一人なのだ。
その二人の話を聞いて、将志は少し考えて頷いた。
「……ふむ、では淹れ方を教えてやろうか? この様子では手本にはなれそうだからな」
「ぜひともそうしてやってくれ」
将志の申し出に、慧音が笑みを浮かべて即答した。
それを聞いて、霖之助は呆れ顔でため息をつく。
「何で君が答えるのさ。まあ、時間が出来たら頼むよ」
「……そうだな。慧音を茶の飲みすぎで苦しませたくはないからな」
「……やっぱり理屈だけ教えてもらえればいいかな」
意地の悪い笑みを浮かべる将志に、霖之助は苦い表情でそう言った。
霖之助の頭の中では、鬼軍曹と化した将志が茶で腹が膨れ上がっている自分に檄を飛ばしてお茶を淹れさせている場面が浮かんでいた。
そんな霖之助を見て、将志は思わず笑い出した。
「……ははは、冗談だ。無理して飲んだところで味が分からなくなるだけだ。茶の味を良くしようとして茶を嫌いになってしまっては本末転倒だからな。俺が教えるのはちょっとしたコツだけで、それも毎日少しずつ上達していくようにすれば良い。そんなに急に上手くなる必要は無いのだろう?」
「それを聞いて安心したよ。幾らなんでも、ひっくり返るほどお茶を飲みたくはないからね」
霖之助は心底ホッとした表情を浮かべてそう言った。
その横で何か思い出したのか、慧音がポンと手を叩いて将志に話しかけた。
「そうだ、ところで将志、最近人里で弁当を売り出し始めているんだが、あれはお前のか?」
「……いや、あの弁当は銀月のものだ。しかし、何故俺が作ったものだと思ったのだ?」
「いや、前に私が食べたお前の料理に味がそっくりだったからな。そうか、あれはお前の息子のか」
慧音は将志の答えに頷くと、その場で考える動作をした。
それを聞いて、霖之助が話に興味を示した。
「へぇ、将志の料理に味が似てるってことはその弁当は美味しいのかい?」
「ああ。忙しくて用意が出来なかった時に買ってみたんだが、想像以上に美味しかったぞ。冷めたものでもあのような味が出せるのかと感心したぞ」
「……その手の料理はあいつの得意分野だからな」
慧音の評価を聞いて、将志は何処と無く誇らしげにそう言った。
その横で、霖之助は少し考えて口を開いた。
「なら、その弁当をうちでも置いてみようかな?」
「客足が少ないのに置いても腐るだけだぞ? それかここに来る輩が無銭飲食して終わるんじゃないか?」
「残念だけど、返す言葉もないよ……」
慧音の意見に、霖之助は苦々しい表情を浮かべて沈黙した。
ここに来る客の性格を考えると、弁当を置くことで利益を得るどころか弁当代の分だけ赤字になることが容易に想像できたのだ。
肩を落とす霖之助を見て、将志は苦笑いを浮かべた。
「……まあ、食うだけなら銀月に頼めば早朝に宅配を頼むことも出来る。頼んでみるのも良いのではないか?」
「……考えてみるよ」
霖之助は大きくため息をつきながらそう答えた。
そのため息には様々な憂鬱な事態に対する諦観が含まれていた。
そんな霖之助を尻目に将志が時計を見ると、短針は五の位置を指していた。
将志はそれを確認すると、茶を飲み干して立ち上がった。
「……さて、俺はそろそろ帰るとしよう。邪魔したな」
将志はそう言うと、銀月が自分のために調整した収納札を本の束に押し当てる。
すると本の束は札の中に次々と吸い込まれていき、最後には札だけが残った。
その横で、霖之助は興味深そうに収納札を眺めていた。
「いつも思うんだけど、その札便利だね」
「……ああ。銀月がくれたものでな、かなり重宝しているよ」
「おや、それは君が作ったものじゃないのかい?」
「……いや、作ったのは銀月だぞ。ある程度の能力があれば誰にでも扱える代物で、銀月が陰陽道を研究している間に作り出した代物だ」
「ふむ、それなら僕も一つ作ってもらおうかな。そろそろ置き場がなくて困り始めてたしね」
将志の話を聞いて、霖之助は一つ頷いてそう話した。
その一方で、慧音はため息をついて首を横に振った。
「やれやれ……問題さえ起こさなければ、努力家で才気溢れる若者なのだがな……」
「……苦労をかけるな」
「まあ、最近は商売も始めて人里に貢献し始めているから、そこまで文句は言わないさ。現行犯のときは容赦しないがな」
慧音は苦笑いと共にそう言って、握りこぶしで反対側の手のひらをパシンと叩いた。
……つまり、それはこれからもその現行犯が起きることを確信しているのだった。
それを聞いて、将志も苦笑いを浮かべた。
「……そうしてもらえると助かる……と、そう言えば代金を払っていなかったな」
将志はそう言うと、本の代金と木彫りの槍のお守りをカウンターに置いた。
お守りには将志の家内安全の加護が込められており、家一件分であるならば十分な力が篭っていた。
霖之助は渡された金の勘定を済ませると、将志に向かって礼をした。
「毎度どうも。それじゃ、次回のご来店をお待ちしております」
「……ああ。次も頼んだぞ」
将志はそう言うと、店の戸を開けて家路へとついた。
後に残されたのは霖之助と慧音、そして三つの空の茶碗。
冬の空には夜の帳が降り始めており、外では雪がしんしんと降り続いていた。
そんな外の様子を見て、霖之助は慧音に話しかけた。
「さて、慧音はどうする? 随分暗くなったけど、君ももう帰るのかい?」
「いや、私はもう一杯お茶を飲んでから帰ることにするよ」
霖之助の問いに、慧音は微笑と共にそう答えた。
それを聞いて、霖之助は怪訝な表情を浮かべた。
「……僕のお茶は将志の淹れるお茶より劣るんじゃなかったのかい?」
「それとこれとは話が違う。それにさっきも言ったように、私は霖之助が淹れるお茶には満足しているし、どちらかと言えば好みだ。だから気にすることは無いぞ?」
慧音は霖之助の眼をしっかり見据えて、楽しそうにそう話した。
それは将志と話をしていたときとも違う、更に砕けた親しみのある言葉であった。
そんな慧音の言葉に、霖之助はフッと小さく息を吐いた。
「分かったよ。それじゃ、準備するから待ってて欲しい」
霖之助はそう言うと、茶の準備をしに奥へと引っ込んだ。
――――さて、どんな話をしようか。
そんなことを考えながら、霖之助は急須を洗うのであった。
その後慧音はすっかり話し込んでしまい、五杯目の茶を飲み終えて見た時計の針が十一時を指したのを確認して大慌てで家にすっ飛んで帰る羽目になったのだった。