銀の霊峰の境内で、二つの影が激しくしのぎを削る。
一つは銀の髪に小豆色の胴着に紺色の袴に銀の槍。
もう一つは黒の髪に白い胴着袴に鋼の槍。
二人は宙を舞いながら、手にしたそれぞれの槍でぶつかり合う。
「そらっ!」
銀月は一気呵成に将志へと攻め込む。
重たい鋼の槍をまるで木の棒切れを扱うかのごとく振るい、相手に攻撃の隙を与えまいとする。
「……ふっ」
それに対して、将志はゆらゆらと揺れるような動作で躱してゆく。
そして、突如として銀の槍を振るいながら大きく前に踏み込んだ。
「うわっ!?」
鋼の槍を軽々と弾かれ、銀月はとっさに間合いを取ろうとする。
しかし、将志はすでに前には居なかった。
「……まだまだ脇が甘いな」
真横から聞こえてくる低目のテノールの声。
銀月の顎の下には銀の槍の穂先が添えられている。
「……降参だよ、父さん」
そんな様子を受けて、銀月は両手を上に上げた。
この勝負、将志の勝ちである。
するとそこに、黒い戦装束に臙脂色の胸当てをつけた少女がやってきた。
「二人ともお疲れ様でござるよ。銀月殿も順調に成長しているでござるな?」
「ありがとう、涼姉さん。けど、姉さんたちに追いつくにはまだまだだよ」
声をかけてくる涼に、銀月は苦笑いを浮かべてそう返した。
するとその横で難しい表情を浮かべた将志が口を開いた。
「……涼、気がついたのはそれだけか?」
「……これは言って良いんでござるか?」
将志の質問に、涼は少し気まずそうな表情を浮かべた。
どうやら銀月の動きに何か違和感を感じた様である。
その様子に、将志は頷いた。
「……構わん。言ってしまえ」
将志の言葉を聴いて、涼は頷き返した。
そして、やや真剣な表情で銀月を見据えた。
「……銀月殿。拙者は今、順調に成長していると言ったでござるな?」
「ああ、そう言ったね」
「はっきり言うでござる。銀月殿、成長の仕方が少しおかしいでござる」
「……え?」
涼の言っていることの意味が分からず、銀月は首をかしげた。
そんな銀月に対して涼は説明を続ける。
「技の切れや体捌きが上手くなるのは分かるんでござる。けど、技の速さそのものがあっさり速くなるのはおかしいでござるよ」
「……そう?」
「……幾らお前が『限界を超える程度の能力』を持っているとは言え、身体能力の増加量が異常だ。正直、妖怪化が始まっていると言われても不思議ではないほどにな」
首をかしげる銀月に、将志が自分の思うところを伝える。
すると、銀月は途端に慌てた表情を浮かべ始めた。
「え、え、俺周りから妖怪に思われることはしていないぞ?」
「……もしかすると、どこかからお前が翠眼の悪魔であると言う情報が流れたのかもしれん。情報は存在する以上、完璧に守られると言うことは稀有だ。何かの拍子に広まったとしても全く不思議ではない」
「うげぇ……俺、知らないうちに人間やめてましたとか嫌だぞ……」
将志の推論を聞いて、銀月は頭を抱えて苦い表情を浮かべた。
そんな銀月を見て、将志は苦笑いを浮かべた。
「……心配せずともお前の体から出ているのは『まだ』霊力だ。だが、そうとなるとお前の体に何の異常が起きているのかが分からん。と言うわけで、今日は出かけるぞ」
「出かけるって……」
「……アグナ! 居るか!?」
将志は境内に響くような声でアグナを呼んだ。
すると、燃えるような紅い髪の小さな少女が将志の元へとやってきた。
「お、どうしたんだ兄ちゃん?」
アグナは呼ばれて嬉しそうに笑いながら将志に近寄って来た。
そんなアグナに微笑み返しながら、将志は要件を告げる。
「……銀月を医者に連れて行く。留守は任せた」
「何だ何だ、銀月病気なのか?」
将志の告げた要件に、アグナの顔が少し真面目なものになる。
そのアグナの質問に、将志は小さく首を横に振った。
「……そう言うわけではないが、少々気になることがあるのでな。念のため診察してもらうのだ」
「う~ん、俺の他には誰もいねえのか?」
「……愛梨も六花も今は出ているからな……下の面倒ならある程度であれば涼も見られると思うが」
「槍の姉ちゃんか……まあ、何とかなるか?」
アグナは難しい表情で腕を組みながらそう話す。
それを見て、将志は首をかしげた。
「……何か取り込み中なのか?」
「あ~……まあちっとな。今特訓中なんだ」
「……特訓?」
「ちょっとアグナ! あたいと大ちゃんとの勝負を投げて何やってるのさ!」
「チルノちゃん、アグナちゃんもお仕事があるんだからちょっと待とうよ……」
将志が問い返すと同時に、聞き覚えの無い少女の声が横から飛んでくる。
その方を見てみると、氷の翅をもった青い氷精と、緑色の髪の妖精が宙に浮かんでいた。
「ちょっと待ちな! 今兄ちゃんと話をしてんだからよ!!」
アグナはその妖精達に対して大声で答えを返す。
そんなアグナに、将志は質問を投げかけた。
「……あれは、妖精か?」
「おう、最近の妖精としちゃなかなかやるから、ちっと鍛えてみようと思ってな」
「……それで、強さのほどは?」
「そうだな……上手くすりゃ化ける。こいつらはそれくらいの強さだ。特にチルノ、あの氷精の方はすごいことになると思うぜ?」
アグナは楽しそうにチルノ達の強さの見立てを告げる。
それを聞いて、将志も楽しそうな笑みを浮かべた。
「……成程。それは楽しみだ。これで内政も出来れば文句はないが……」
「……兄ちゃん」
将志の言葉に、アグナは目を伏せて力なく首を横に振った。
「……良く分かった」
それを見て、将志も何とも言えない表情を浮かべて首を横に振るのだった。
「……それで、大丈夫そうか?」
「おう! まあ、何とかしてやるぜ!!」
気を取り直して将志が尋ねると、アグナは元気良くそう答えた。
それを聞いて、将志は微笑と共に頷いた。
「……恐らく、帰ってくるのは明日の朝になるだろう。帰ったら何か一品作ってやろう」
「おう……あのな、兄ちゃん。明日なんだけど……」
アグナはそう言いながら頬を染め、熱の篭った視線で将志を眺める。
その視線に、将志はアグナが何を言いたいのか正しく理解した。
「……了解した。なるだけ予定は空けておこう」
「ありがとな。それと……大好きだぜ、兄ちゃん」
アグナはそう言いながら将志にぎゅっと抱きついた。
将志はそんなアグナの頭を優しく撫でる。
「……どうしたのだ、いきなり?」
「へへっ、何となく言ってみたくなっただけだ。んじゃ、明日を楽しみにしてるぜ!!」
アグナはそう言うと、チルノ達のところへと勢い良く飛び出していった。
それを見送ると、銀月の方へと向き直った。
「……さてと、行くぞ銀月」
「うん、わかった」
所変わって永遠亭。
そこでは、将志が己が主である銀髪に紺と赤の服を着た女性に話をしていた。
その話を聞いて、主こと永琳は納得したように頷いた。
「成程ね。銀月の体の成長が異常だから、念のため調べて欲しいって訳ね」
「……そう言うことだ。主、頼めるか?」
「任せておきなさい。それじゃ、待っているあいだ輝夜達の相手を頼むわね」
「……了解した」
「うどんげ、銀月の診察をするから手伝いなさい」
「あ、はいっ!!」
話が終わると、永琳は鈴仙と銀月を連れて居間から退出する。
それを見届けると、将志は畳の上に寝転がって頬を膨らませている少女に眼を向けた。
「……ところで、何故輝夜はそこで不貞腐れているのだ?」
「ああ、それの下手人ならあんたの妹よ」
将志の質問にてゐがニヤニヤと笑いながら答えた。
それを聞いて、将志は額に手を当ててため息をついた。
「……つまり、六花に手酷くやられてそうなったと」
「そういうこと。ホント、灰になったりおもちゃにされたり忙しい姫様だこと」
「うっさいわよ、てゐ! ……ああもう、何でいっつもこんな目に遭うのよ!?」
輝夜はてゐの言葉に反応して起き上がり、近くにあった座布団を殴り始めた。
そんな輝夜に将志が声をかける。
「……輝夜、気晴らしに運動でもするか?」
「……お願いするわ。いつまでもやられっぱなしは嫌だもの」
輝夜が立ち上がるのを確認して、将志は庭へと出て行く。
庭に出ると、将志は背負った槍を手に取り軽く準備運動をした。
「……先に言っておく。今日の俺は普通の人間程度の能力から始める。輝夜の行動によってこちらは段々本気を出していくから、そのつもりでな」
「分かったわ。あんたに本気を出させればいいのね」
「……そう言うことだ。では、始めるぞ」
将志がそう言うと、二人は戦闘行為を開始した。
将志は自分の力を最小限に抑え、迫り来る輝夜の弾幕を避けたり槍で弾いたりする。
輝夜の攻撃は本気を出させようと躍起になっているためか、かなり苛烈である。
それにより、次第に将志が弾く弾丸の数が増えてきた。
「……流石に普通の人間レベルでは無理か。では、並の妖怪退治屋くらいの力量で行くぞ」
「ええ、どんどん来なさい!」
輝夜の力量にあわせて、将志は段々とレベルを上げていく。
最初は避けるだけだったものも少しずつ反撃を織り交ぜるようになり、色鮮やかな弾幕に混ざって銀と黒の弾丸が見られるようになってきた。
それに応じて、輝夜も飛んでくる弾丸を避けながら将志を攻め立てていく。
「……なかなかにやるな。では次だ」
「っ!?」
将志が宣言した瞬間、輝夜を狙い済ましたかのように妖力の槍が飛んできた。
突然の正確な一撃に、輝夜は肝を冷やした。
「……銀の霊峰門番、要するに銀月と同格の力量だ。ここからは今までのような力押しは通用せんぞ」
そう宣言すると同時に、将志の攻撃は穏やかなものになった。
しかし先程よりも数が少なくなった代わりに、輝夜が居る場所を正確に射抜いてくるようになったのである。
避けたと思ったところに正確に飛んでくる第二射。これにより、輝夜は一気に劣勢に立たされた。
「このっ!」
「……おっと」
必死に回避しながら弾幕を放つ輝夜。
将志は冷静にその攻撃を躱していく。
その動きは穏やかで、一切の無駄が無い。
「……そらっ」
「きゃあ!?」
一瞬の隙を突いて将志は接近し、槍で輝夜の脚を払う。
輝夜はバランスを崩し、墜落していく。
それを将志は空中でしっかりと受け止めた。
「……相手の動きを見ようとするな。相手の心を読め。動きを見てから行動するのでは遅い。それから、間合いには常に気を配るべきだ。今の間合いは輝夜には些か近い様だからな」
「ちょっと、銀月ってこんなに強いの?」
アドバイスをする将志に、輝夜は不満げな声を上げた。
自分より遥かに年下のレベルで負けたのだから、それも当然であろう。
それを聞いて、将志は何処と無く誇らしげに微笑んだ。
「……ふ、銀月が本気を出せばこれよりももっと強い。相手の動きを読む程度のことは当たり前にしてくるぞ。今の力は銀月の本気から二段階下だ」
「そ、そんなに?」
「……もっとも、銀月は遠距離戦よりも接近戦を好む。弾幕ごっこに限れば、地力で勝る輝夜の方が強いのではないか? 銀月個人の力はあの年齢の人間にしては確かに高いが、それでも輝夜の方が遥かに力は強いのだからな」
将志は輝夜と銀月の戦力差を冷静に分析した。
それを聞いて、輝夜は首をかしげた。
「ねえ、銀月「個人」のってどういう意味?」
「……それは、銀月は俺の力を借りられるからな。銀月が俺の力を借りれば、妹紅を相手に互角以上に戦うことが出来るであろう」
「……銀月に追い抜かれるって何か悔しいわ……」
輝夜は憮然とした表情で悔しそうにそう呟いた。
将志はそれに対して首をかしげた。
「……とは言うものの、輝夜も随分成長していると思うが? 恐らく、妹紅もお前相手に苦戦し始めていると思うのだが」
「そう言えば、前ほどあっさりとはやられなくなったわね。負けるときも、単なる避け損ねをもらってるくらいだし」
「……となれば、輝夜の課題は攻撃か。妹紅は長いこと俺を相手にしていたせいか、攻撃を躱す勘がずば抜けているからな……」
「それって、将志を相手にしていれば済む話じゃない。避けることに関しては将志はお化けなんてレベルじゃないんだしさ」
「……良いだろう。ならば本気でお前の攻撃を避け続けてやろう。さあ、掛かってくるが良い」
そう言うと、再び戦闘訓練を開始する。
将志は先程と同じように輝夜を狙い打つように槍を投げ続ける。
対する輝夜は将志の攻撃を避けながら将志に全力で攻撃を仕掛ける。
将志はその弾幕を先程とは違い受けることをせず大きく動きながら避けていく。
それにより、輝夜も様々な方向から飛んでくる槍に揺さぶられることになった。
「はあ、はあ……ぜ、全然当たらないわね……」
「……はっきりと言おう。お前の攻撃は避けるのが簡単なのだ。弾丸が相手に密集する分、破壊力は高く力の効率も良い。だが、それゆえに読まれやすく避けることも容易い」
揺さぶられ続けて息が上がる輝夜に、将志は評価を下していく。
輝夜は息を整えながらそれを聞いていく。
「じゃあ、どうすれば避けにくくなるのよ?」
「……相手を良く見ろ。そして、その癖を掴み心を読め」
その言葉を聴いて、輝夜は疲れた表情で肩を落とした。
「……言いたい事は分かったわ。ついでに言えば将志相手には役に立たないことも」
「……そうだな」
相手の行動を先読みしても、『悪意を察知する程度の能力』で更にそれを先読みされてしまう。
それを指摘されて、将志は気まずそうに眼を伏せた。
そんな将志に近づく者が。
「お父さん、診察終わったよ」
「……む、終わったか銀月……?」
声をかけられて返事をしたものの、違和感を感じて首をかしげる。
何故なら、掛けられた声は大人しめの少女の声だったからである。
「うん、異常は特になかったよ」
その声の方角を向いてみると、黒髪をショートカットにした少女が立っていた。
服装はワイシャツにブレザー、それにスカートといった出で立ちであった。
良く見てみれば、鈴仙と同じ服装である。
「……誰、この子?」
輝夜は見覚えのない顔に怪訝な表情を浮かべる。
その一方で、将志が呆れた表情でため息をついた。
「……銀月、何のつもりだ?」
「え、この子銀月なの!?」
将志の言葉に輝夜が驚いた表情を浮かべる。
何故なら、その少女の顔は中性的な銀月の顔よりも更に女顔であったからだ。
将志はその気配から銀月であることを察して声をかけたのであった。
それに対して、銀月と思われる少女は困った表情を浮かべた。
「それがね……診察を受けている間にてゐちゃんに服を全部持って行かれちゃったの……それで風邪引くといけないからって、服を探したんだけど……」
「大きさが合うのがうどんげの服しかなかったって訳よ」
「あはははは……まさかここまで似合うとは思いませんでしたけどね……」
少女の声で話す銀月の後ろから、永琳と鈴仙がやってくる。
その表情は二人とも苦笑いである。
「……収納札はどうした? あの中には服も入っているだろう?」
「それも全部てゐちゃんが持ってるよ……」
「……そうか……」
困り顔の銀月に、将志は苦い表情を浮かべる。
その一方で、銀月は鈴仙に話しかけた。
「でも、本当に良かったの? 男の子に自分の洋服貸すのって抵抗無い?」
「良いよ。洗えば良いんだし、風邪引かれるほうが困るよ」
「そっか。ありがとね」
銀月はそう言って微笑んだ。
その柔らかな笑みは、優しく可愛らしいものであった。
「それにしても、銀月くんって根っからの役者なのね。服着たら完全に女の子になってるし」
「どうせやるならって化粧までしたものね。化粧の仕方の良い勉強になったわ」
永琳は可愛らしく化粧が施された銀月の顔を見てそう言った。
それを聞いて、輝夜は呆れた表情を浮かべた。
「勉強って……えーりん、見せる相手なんて居ないじゃない……」
「居るわよ。素顔で接するのもいいけど、やっぱり好きな人には綺麗な自分と言うのも見て欲しいものでしょう? ねえ、将志?」
「(やば、地雷踏んだ)」
少々熱の篭った視線を将志に向ける永琳を見て、輝夜は苦い表情を浮かべた。その横では、鈴仙が乾いた笑みを浮かべている。
そして永琳の視線を受けて、将志は少し考えた後で納得したように頷いた。
「……成程、男が女の前で格好を付けるのと同じことか」
「その割には、将志はいつも自然体よね。私の前じゃあまり格好付けるようなことはしないし」
永琳は少し不満げな表情で将志を見つめる。
どうやら彼女としては将志が少し見栄を張ったりするところが見てみたい様である。
それに対して、将志は平然と答えた。
「……当たり前だ。格好を付けると言うことは、それだけ本来の自分を隠してしまう。親しい相手にそのようなことをされては寂しいだろう?」
「そうね、そう言う考え方もあるわね。でも、あなたは意識しなくても十分格好付くじゃない。ねえ、銀の英雄さん?」
永琳は少し意地の悪い笑みを浮かべて将志にそう言った。
すると将志は照れくさそうに永琳から顔を背けた。
「……やめてくれ。正直、その呼び名だけはどうにも慣れそうにない」
「ふふ、ごめんなさい。私はあなたにもっと好かれたくて必死なのよ。だから、あなたみたいに自然に格好が付かない私は色々努力するのよ」
「……主が自然に格好付かないなどと言うことはないだろう。むしろ俺が釣り合うかどうか怪しいくらいだ。それに、俺は主に好意をもって接しているつもりだが……」
「足りないわよ、全然。前にも言ったでしょう、私はあなたの全てが欲しい。そのためには、あなたが私しか見えなくなるくらいのことをしないとね」
永琳はそう言いながら将志に腕を絡ませる。
そんな彼女の頬を、将志はそっと撫でた。
「……欲張りだな、主」
「あなたのことですもの」
二人はそう言ってお互いに見つめあいながら笑った。
二人の間に流れる空気は暖かく、それでいてとても甘いものであった。
「……銀月、コーヒーの用意」
その様子に、疲れた表情で輝夜がそう口にした。
更にその横で、鈴仙が乾いた笑みを浮かべている。
「……もう行ってますよ、姫様」
「……いつから?」
「……姫様が地雷を踏んだときからです」
「お待たせ。コーヒー淹れてきたよ」
二人が話しているちょうどその時、銀月がお盆に三人分のコーヒーを持ってやってきた。
それを受けて、輝夜はその場から逃げるように銀月のところへとやってきた。
「最高のタイミングで戻ってきたわね。さあ、早くちょうだい」
「そんなに焦らないの。急いで飲んだりすると胃に悪いから、ゆっくり、ね?」
銀月は母親のような柔らかい笑みを浮かべて輝夜にコーヒーを渡す。
渡し終えると、今度は鈴仙のところへとコーヒーを持っていった。
「はい、これ鈴仙さんの分ね」
「あ、ありがとう」
銀月が鈴仙にコーヒーを差し出すと、鈴仙はどこか困惑した表情でそれを受け取る。
それを見て、銀月は首をかしげた。
「……どうかしたの?」
「やっぱり、銀月くんが女の子にしか見えないよ……」
「そうね……元の体系は幾ら細いとは言っても男のはずよね。何でかしら?」
鈴仙の呟きに、横から輝夜が疑問をぶつける。
それに対して、銀月は首をかしげて考える動作をした。
「う~ん、所作の問題かなぁ? よく分かんないけど、女の子っぽい動作をするようにはしてるよ」
「……それで可愛いのが何か悔しいなぁ……」
銀月の言葉に、鈴仙は微妙な表情を浮かべる。
そんな鈴仙に、銀月はキョトンとした表情を浮かべた。
「……私は鈴仙さんも十二分に可愛いと思うけどなぁ?」
「はうっ!?」
銀月の不意打ちの言葉を受けて、鈴仙の顔が一気に紅く染まった。
その様子に気づかず、銀月は言葉を継ぐ。
「だって、眼はぱっちりしていて顔全体のバランスが整ってるし、何より動作が可愛いもの。私の主観だけど、きっとほとんどの人が可愛いって思うんじゃないかなぁ?」
「そ、そんなこと……」
「うん、そうやって照れたりするところが可愛いと思うよ」
「あうあう……」
笑顔でさらりとそう言う銀月に、鈴仙は何も言えずに俯いてしまった。
それを見て、輝夜は呆れ顔で銀月を見た。
「……銀月、あんた何さらっと口説いてるのよ」
「ほえ? 口説いてるって?」
輝夜の言葉に、銀月は驚いたような表情で彼女を見た。
「くっ……将志といいこいつといい、何でこの親子は普通の言葉と口説き文句の区別も出来ないの?」
そんな銀月の態度に、輝夜はそう言って頭を抱えるのだった。
その横で、二人の世界から帰ってきた将志が銀月に話しかけた。
「……ところで銀月。てゐを捜さなくていいのか?」
「晩ご飯の前には出てくると思うし、良いんじゃないかな? それに、そのまま逃げるってことは絶対ないもん」
「……なるほど、確かに銀月の状況を楽しむことが目的なら、逃げてしまっては意味が……そこだ!」
「ぎゃふん!?」
突如として将志は庭の木の陰に向かって槍を投げた。
するとそこに隠れていた者に当たったらしく、声が聞こえてきた。
将志は苦しげにうずくまるその者の後ろに素早く回り込んだ。
「……気配の消し方が不完全だ。それでは俺から隠れることなど出来ん」
「や、やばっ! うっ!?」
「……俺から逃げられると思うか?」
逃げようとするてゐの行き先に素早く回りこむ将志。
そして狼狽するてゐの肩を、後ろからがっしりと捕まえる影が一つ。
「うふふ、私も居るんだよ?」
「あ、ああ……」
銀月はてゐの肩を掴み、耳元でそう囁いた。
その表情は笑顔で、そこの知れない恐怖を感じられる笑みだった。
その瞬間、てゐの顔からサッと血の気が引いた。
「……さて、人に迷惑をかけた戯け者には相応の罰が必要だな、銀月?」
「うん……そうだね♪」
「ひ、は、放せ!!」
銀月は将志と笑顔で頷きあうと、てゐを抱えて裏へと歩いていく。
てゐは抵抗するが、銀月はしっかりと捕まえていて逃げ出すことは叶わなかった。
「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ……」
「いやああああああああああああああああああああああああああ!!」
しばらくして、少女のような銀月の笑い声とてゐの悲鳴が聞こえてきた。
所変わって、永遠亭の奥まった場所にある縁側。
立派な松が植えられている裏庭に面したそこは、永遠亭のウサギ達の声も届かない。
そんな住人であっても滅多に近寄らないそこに、二つの人影が腰を下ろしていた。
「……さて、こうして俺だけにしか聞かせられないということは、銀月の体に何か異常があったのか?」
将志は永琳に真剣な表情でそう尋ねた。
それに対して、永琳は笑顔で答えを返した。
「特には異常は見られなかったわよ。むしろどうやったらあんなに健康で居られるのか気になるくらいよ」
「……健康すぎる、と言うことか?」
「と言うよりも、能力が優秀なんでしょうね。『限界を超える程度の能力』はどうやら銀月の意思とは関係なく体の再生機能を向上させるみたいね」
「……だが、それだけでは異常な身体能力の向上はどう説明をつければ良いのか分からんな」
「そうでもないわよ? 成長速度と成長力の限界を無意識に超えた、と仮定すれば異常な成長速度も納得できるわ。ついでに鍛えているのにあれだけ細いのも関係しているかも知れないわね。それから、『限界を超える程度の能力』自身が成長して更に能力が引き出せるようになったも考えられるわ」
「……成程。確かにそれなら説明が出来る。全く、便利な能力を手に入れたものだな、あいつは」
二人は銀月の診断結果にそう言って話し合う。
すると、永琳は呟くように疑問を呈した。
「ねえ、『限界を超える程度の能力』って何なのかしらね?」
「……質問の意味が良く分からんが……」
「あなたの『あらゆるものを貫く程度の能力』は分かりやすいわ。物理的に物を貫いたり、自分の信念を貫いてみたりね。でも、『限界を超える程度の能力』の使い道は広すぎるわ。物事には必ず限界がある。それは物理的なものであったり、精神的なものであったりするわ。それを崩してしまうような大きな力は、いったい何処から出てくるのでしょうね?」
永琳は考える動作をしながらそう呟く。
論理が様々なところに飛躍しているせいか、言っていることが良く分からなくなってしまっている。
そんな永琳に将志は苦笑いを浮かべた。
「……すまないが、話の意味が繋がっていないぞ?」
「ごめんなさい、考え事をしているとどうにも言っていることが分からなくなるわね。でも、私が一番気になるのは『限界を超える程度の能力』の限界は何処なのかってことよ」
「……無いものの限界は超えられん、と言うくらいか?」
「それじゃあ、『限界を超える程度の能力』の限界を『限界を超える程度の能力』で超えたら?」
「……銀月が暴走をする図しか見えないのだが……」
永琳の言葉に、将志は苦い表情でそう答えを返す。
それに対して、永琳は真剣な表情で話を続ける。
「本当にそうかしら? 銀月が能力を使って意識を保つ可能性が無きにしも非ずよ? もしそうなったら、銀月は繰り返していくことで無限の力を取り出せることになるわね?」
「……成程、つまり銀月に聞かせられないのは封印関係の話が絡むからか」
将志は大きくため息をついてそう言った。
その表情は苦々しいもので、どこか苦しげであった。
「ええ……アグナが封印されるのに銀月が封印されていない……いえ、正確にはしたくても出来ないのでしょうね。だから、管理者も何も言えない」
「……そうだな。固有の能力で時を止められてもその中で動いたくらいだからな……『限界を超える程度の能力』自身を押さえ込むのは厳しいだろうな」
永琳の言葉に、将志はどこか機械的に答えを返した。
そんな将志の態度に、永琳は怪訝な表情を浮かべた。
「……鏡月? どうかしたのかしら?」
永琳は将志の本来の名前を呼びながらそう尋ねた。
すると将志は少々考えた後、大きく息を吐き出した。
「……実はな、今の銀月は暗示の塊なのだ」
「……どういうことかしら?」
「……銀月には一切伝えていないし、事実を知っているのは俺と紫だけなのだが、銀月にはそれに気づけないように何重にも暗示をかけられている。更に万が一気がついてしまった場合には、速やかに自害する様にも暗示が掛かっている」
「……何ですって……?」
将志の話す想像以上に厳しい事実に、永琳は愕然とした表情を浮かべた。
すると将志の表情が段々とつらそうに歪んで来た。
「……正直、つらい。誰よりも生き延びたいと思っている者が、何故これほどまでに死と隣りあわせで生きなければならんのか……それも、何かあれば幼い頃から見守っていた者や命を預けあった主、そして父と慕う俺に殺されなければならん……いったい、銀月が何をしたと言うのだ……」
将志は俯き、震える声で自らの胸中を訴えた。
その運命を呪う様な恨み言を聞いて、永琳は将志をそっと抱き寄せた。
「……よく話してくれたわね、鏡月」
「……××……俺はどうすれば、」
将志はその先を口にすることが出来なかった。
何故なら、その口を永琳の唇が優しく塞いでいるからである。
永琳は将志が落ち着くのを確認すると唇を離し、頭を胸に掻き抱いた。
「……私はあなたの全てを受け止める。あなたの苦しみを全て理解出来ると言うほど自惚れては居ないけど、一緒に考えることは出来るわ。だから、一人で抱え込んではダメよ」
「……ありがとう」
将志は眼を閉じ、落ち着いた表情で永琳に礼を言った。
それを聞いて、永琳は慈母の様な微笑を浮かべた。
「どういたしまして。さてと、この話はここまでにしましょう? 今日はうどんげが銀月に料理を教えてもらう事になっているから、審査を宜しくね」
「……ほう、銀月が料理を教えるのか。自身の復習にもなるし、良い機会だな。しかし、何故銀月に頼んだのだ?」
「それが最初は鏡月に頼もうと思ったのだけど、うどんげったらすっかり萎縮しちゃってね。それで、まずは銀月に教えてもらうことにしたのよ」
「……××のことだ、どうせそれだけではないのだろう?」
将志は笑みを浮かべて永琳にそう言った。
それに対して、永琳も楽しそうな表情で頷いた。
「ご明察。輝夜とてゐのお節介もあるのよ。どうにもうどんげと銀月をくっつけたいみたいでね。二人とも躍起になっているわよ」
「……鈴仙が必死になるならば分かるが、何故輝夜とてゐが?」
「さあ……私にも良く分からないわ」
将志の疑問に、二人仲良く首をかしげる。
その原因が自分達にあるということなど思いもしないようである。
しばらくして、将志は一息ついて口を開いた。
「……それはさておき、図らずも晩まで暇になってしまった訳だが、どうしたものかね?」
「うどんげと銀月は料理中。輝夜とてゐはその冷やかし。残っているのは私達だけよ?」
永琳はそう言いながら将志のひざの上に移動し、将志の首に腕を回した。
「……どうしたい?」
将志は永琳を抱き返しながらそう尋ねる。
その表情は穏やかな笑顔で、相手を抱く腕も優しいものである。
「このままで居たいわ」
永琳は将志の頭を抱きかかえ、その上に頬を寄せる。
その表情は夢見心地の幸せそうなもので、声からも安らいだ様子が伺えた。
「……了解した」
将志は短く返事をし、永琳に体を委ねるのであった。
しばらくして、銀月が特濃深煎りコーヒーを淹れる羽目になったのは言うまでもない。
* * * * *
*ボツネタ*
ある日の主従。
「良おお~~~~~~しッ! よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしいつもありがとう将志!!」
「……あ、ああ……っ!?」
突然異常なテンションで抱きついて頭を撫でてくる永琳に、将志は困惑する。
それと同時に、異様な臭いと共に頭の中が真っ白になっていくのを感じた。
「ごほーびをあげるわ。日ごろのごほーびよ。二つでいいかしら?」
「……(ふるふる)」
将志は無言で首を横に振り、指を三本立てる。
それを見て、永琳は楽しそうな笑みを浮かべた。
「三個!? 甘いの三個欲しいのね?」
「……(こくり)」
「三個……このイヤしんぼさん♪」
永琳はそう言うとポケットから包み紙にくるまれた角砂糖を三つ取り出した。
包み紙を取り去ると、永琳はそれを右手に握った。
将志はそれと同時に身構える。
「将志! 三個行くわよ!!」
永琳はそう言うと大きくその手を振りかぶり、角砂糖を全力で放り投げた。
「……っ!」
将志はその角砂糖のうち二つを口で瞬時に受け止める。
しかし、そのうち一つは狙いを大きく外れている。
「あっ、ごめんなさい……」
「……っ!」
すると将志は妖力の槍を手にしてそれを外れた角砂糖に投げた。
それは角砂糖の真下に当たり、上に跳ね上げた。
そして、将志はそれを空中で口にくわえて受け止めた。
「……(がりがり)」
「良おお~~~~~~しッ! よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしすごいわ将志♪」
永琳は将志の後ろから抱きつき、上機嫌で頭を撫で回す。
その様子はまるで犬とその飼い主の様であった。
その様子を、唖然とした表情で他の住人は見ていた。
「……イナバ、えーりん達に何があったの?」
「……それが、薬を作るときに事故があったみたいで……今は調合部屋付近は気化した薬のせいで通行止めになってるんです」
「……何だか狂気を感じるわね」
「……父さんは永琳さんについた薬を吸い込んでああなっちゃったのか……当分は近づけないな」
四人はしばらくの間、狂ったようにはしゃぎまわる主従を呆然と眺めていた。
その後、我に返った主従は二人して部屋に引きこもったとさ。