「う……ん……?」
紅魔館での騒動の翌日の早朝、銀月は自室で眼を覚ました。
すると、体の上に何か柔らかいものが乗っている感覚があった。
銀月は異様に膨らんでいる布団をめくってみた。
「すー……すー……」
するとそこには、銀月にしがみついて寝ているルーミアの姿があった。
ルーミアは安らかな寝息を立てており、起きる気配がない。
「……なんでルーミア姉さんが俺の上で寝てるのさ……」
銀月はそう言ってため息をつく。が、その表情はすぐに苦笑いへと変わっていった。
「……まあ心配掛けたし、仕方ないか。それよりも、どうやって起こさないように抜け出そう……」
「うへへ、お姉さまぁ……」
静かに考える銀月の上で、ルーミアが口からよだれを垂らしながらそう言って笑う。
清々しい朝の雰囲気を木っ端微塵にされた銀月は、額を押さえながらため息をついた。
「……よく考えたら朝弱いルーミア姉さんのことだから、起きてもどうせ寝るか。それじゃ失礼して……」
銀月はそう言うと、ルーミアの肩を掴んで持ち上げようとする。
「いただきま~す……がぶっ」
「いぎゃああああああああああ!?」
すると、ルーミアはその左腕に思いっきり噛み付いた。
その痛さに、銀月は大きな叫び声をあげた。
「どうした、銀月!?」
「もしゃもしゃ……」
「あだだだだだだだだだ!! ちょっとルーミア姉さん、起きてってば!!」
叫び声を聞いて将志が飛んでくると、布団の上でルーミアに噛まれている銀月が必死で彼女を起こそうとしていた。
しかし銀月の呼びかけにルーミアが応える気配はない。
「……ふんっ!!」
「わきゃん!?」
そこで将志はルーミアの頭に拳骨を振りぬいた。
ガツンと言う音と共に短い悲鳴が上がり、ルーミアは飛び起きた。
「いった~ぁ……何よぉ……いきなり……」
ルーミアは頭をさすりながら辺りを見回す。
そして、目の前に立っている将志を見て首をかしげた。
「あれ、お兄さま? おかしい、私は昨日確かに銀月の部屋に行ったと思ったんだけど……」
「……俺の部屋であってるよ、姉さん」
ルーミアの下で銀月が呆れ顔でそう言った。
ルーミアが上から退くと、銀月はゆっくりと身体を起こした。
「……それでルーミア、お前は銀月の部屋で何をしていたのだ?」
「昨日の一件で心配になったから、ちょっと添い寝をしてあげようと思って」
「……まあ、心配なのは分かるがな……寝ぼけて噛み付いていては世話ないぞ?」
「仕方ないじゃない。銀月って、とても美味しそうなんですもの。見た目といい、匂いといい、人食いの妖怪ならまず放っておかないと思うわよ? ……最近は男の子としても美味しくなってきてると思うけど」
ルーミアはそう言うと、舌なめずりをしながら銀月を見る。
その視線を受けて、銀月は背筋に冷たいものを感じてぶるりと震えた。
一方、将志はルーミアの言葉に首をかしげていた。
「……そうなのか? 俺は人など食わんから良く分からんが……」
「まあ、お兄さまはそんなことしなくてももっと美味しいもの作れるから関係ないんじゃない?」
「……それはそうだがな……それは銀月による犠牲者が出ることに繋がりかねんからな……」
将志は若干深刻な表情でそう呟く。
それを聞いて、銀月が怪訝な表情で将志を見た。
「父さん、それってどういうことだ?」
「……詳しいことは紫の前で説明する。今言えるのは、銀月がそうなっていることに大体の仮説が立てられているとだけ言っておこう」
「分かった。それじゃあ、ちょっと出かけてくるよ」
銀月はそう言うと身支度をして部屋を出ようとする。
そんな銀月に、将志は小さくため息をついて声を掛けた。
「……あの巫女のところか?」
「ああ、そうだよ」
「……ふむ、では行ってくるが良い」
「ん、それじゃ行ってきます」
銀月はそう言うと博麗神社へと向かって行った。
銀月は全速力で空を飛んで博麗神社へ向かう。
これは銀月の日課の一つとなっている鍛錬であり、空を飛ぶ練習と移動スピードの上昇を狙ってのものであった。
銀月にとって、全てのことが鍛錬に繋がるようである。
そうやって博麗神社へ近づいていくと、早朝の境内に二つの人影を確認することが出来た。
「……あれ? 誰か居る? 霊夢が起きるのはもう少し後のはずなのに……」
銀月はスピードを落としながら接近していく。
よく見てみると、境内にいたのは白いドレスに道士服の様な紫色の垂を付け日傘を差した女性と、金の毛並みの九本の尻尾を持つ女性であった。
「……あれは……紫さんと藍さん? どうしたんだろう?」
銀月は疑問に思いながらも二人のところへと降りる。
すると降り立つ気配に反応して、二人は銀月に手を振った。
「ああ、待ってたわよ銀月。本当に貴方は早起きなのね」
「おはよう銀月。昨日は大変だったらしいな?」
「おはようございます、紫さん、藍さん。二人ともどうかしたのかい?」
銀月は二人に挨拶をするとそう質問をした。
すると、二人はキョトンとした表情を浮かべた。
「どうかしたのかって……貴方の能力を検証するために来たのよ」
「……あれ、マヨヒガでやるんじゃないのかい?」
「それでも良かったんだが、今回は少し事情があってな……説明しなければならない相手がもう一人居るんだ」
藍の言葉を受けて、銀月は少し考える動作をする。
すぐに思いつき、その名前を挙げた。
「もしかして、霊夢のことか?」
「本当なら説明する必要なんて無いのだけどね……霊夢は貴方が居ないと生活できそうにないもの。なら、銀月のことを良く知ってもらわないと危ないでしょう?」
紫は若干呆れ顔で銀月にそう話す。
それを聞いて、銀月は乾いた笑みを浮かべて頬をかいた。
「……やっぱり、俺って危険人物扱い?」
「それは当然だろう。将志からの報告を聞いた時は耳を疑ったぞ? あのプライドの高い吸血鬼に悪魔と言わせる戦闘力を持って暴走する奴なんて、災害の様なものだろう?」
「とほほ……悪魔の次は災害ですか……」
藍からノータイムで帰ってきた容赦の無い一言に、銀月はがっくりと肩を落とす。
その横で、紫は二人を見てくすくすと笑った。
「まあその話はさておき、早く朝ごはんの準備をしないと霊夢の機嫌を損ねるわよ?」
「ああ、そうだな。でも、その前にいつものをしないと」
銀月がそう言うと、紫は思い出したかのように頷いた。
「そうだったわね。それじゃ、始めましょう」
「はい。それじゃ、失礼して……」
銀月はそう言うと、紫の肩を抱いて頬にそっと触れるようなキスをした。
それに対して、紫も同じように銀月にキスを返す。
それが終わると、銀月は紫の肩を抱いたまま話しかけた。
「……気分はどう?」
「……だいぶ慣れてきたとは思うけど、まだ少しドキドキするわね」
銀月の問いかけに、紫は少し紅潮した顔で笑みを浮かべながら答える。
それを聞いて、銀月は頬をかいた。
「う~ん……こっちからは小さいときからずっとやっていると思うんだけど、まだドキドキするんだ……」
「そういう銀月はどうなのかしら?」
「俺かい? そりゃあいきなりキスされたら驚くかもしれないけど、紫さんのなら素直に受け止められるよ。何と言うか、落ち着く感じがするんだ」
「はあ……何だか不公平な気がするわ……」
さらりと帰ってきた質問の答えに、紫はため息をついて不満げに頬を膨らませた。
「ふふふ、こっちはおかげさまで鍛えられてるからね」
「ふ~んだ、どうせ私は異性が苦手ですよ~だ」
そんな紫に銀月は笑って言い返し、紫は更に拗ねたようにそう言って顔を背けた。
その光景を見て、紫の従者たる藍は思案する。
「ふむ……銀月は完全に慣れているな。紫様は段々と男らしくなっていく銀月に少し戸惑っているといったところか……そろそろ次の段階に進めるか?」
藍は仲の良い二人を見て状況を分析し、新たな計画を練る。
銀月との特訓において、紫はある程度はであれば口説き文句などにも耐えられ、キス程度であるならば触れ合えるようになった。
しかし、藍の目指す目標は紫の異性に対する苦手意識を取り払うことである。出来ることならば、恋人の一人や二人くらい作れるようになるのが理想である。
藍の目指すゴールはまだまだ遠い様であった。
「さてと、早く食事の準備をしないと。紫さん達はどうする?」
藍が考え事をしている中、銀月が紫達に声を掛けた。
それを聞いて紫は不機嫌そうな表情から余裕のある笑顔へと変わった。
「あら、良いのかしら?」
「大丈夫。材料は昨日買い足したばかりだし、料理も簡単なものにするつもりで居るからね。で、どうする?」
「それじゃあ、もらいましょう。藍もそれで良いかしら?」
「ええ、良いですよ。それでは、中で待たせてもらうとしましょう」
「ん、それじゃあ今日の朝ごはんは四人分だな。すぐ作るから待ってて」
銀月はそう言うと、台所まで走っていった。
後から起きてきた霊夢を交えて食事をした後、紫は霊夢に銀月に行う検証の説明をした。
霊夢は黙々とそれを聞き、眉をひそめる。
「……それで、ここで銀月の能力の検証をするって訳?」
「銀月の能力を知っていたほうが色々やりやすいでしょう? 今後のためにも、覚えておいて損は無いわよ」
「銀月の能力ねぇ……人間をやめる程度の能力とか?」
霊夢はそう言って銀月を眺める。
その表情はにやけており、明らかにからかっている。
「霊夢……君は俺をどういう眼で見てるのさ……」
そんな霊夢に、銀月はそう言ってため息をついた。
その時、廊下を歩いてくる音が聞こえてきた。
「……待たせたな」
「おはよう、将志。徹夜明けで疲れていないか?」
将志が部屋に入ってくると、藍が立ち上がって将志の近くに寄って挨拶をする。
体調を心配する藍の言葉に、将志は首を横に振った。
「……俺とて元は夜の住人だ。それに、仮眠なら少々取っているからさしたる問題にはならん」
「とは言っても、私はお前が心配だ。何しろ、これから行う検証は危険を伴うのだからな」
藍はそう言いながら将志の手を握る。
そんな藍の様子に、将志は困ったような笑みを浮かべた。
「……心配のしすぎだ。何かあってもお前達を守って生き延びるくらいならやって見せるさ」
「……分かった。それなら私はお前の言葉を信じるとするよ」
藍は将志の胸元に額をあて、安心した声でそう言った。
その様子を、霊夢が興味深そうに眺めていた。
「紫、銀月のお父さんとあんたの式が凄く仲良さそうに見えるんだけど?」
「そりゃあ藍も女の子ですもの。でも、藍が言うにはライバルは多いらしいわよ?」
「……そういえば俺の父さんは将志だけど、母さんってまだ居ないんだよな……」
紫の言葉を聞いて、銀月はしみじみとそう呟いた。
それを聞いて、紫は笑みを消して真剣な表情で銀月を見た。
「銀月。そういうことはむやみに言うものじゃないわ。将志が大変な目に遭うから」
「あ、ああ……」
紫の真剣さに気圧されながら、銀月は頷いた。
その銀月に、霊夢が話しかけた。
「それよりも銀月、あんたの能力って何よ?」
「『限界を超える程度の能力』だってさ。これで人間の限界を超えて色々出来るみたいだ」
「ふ~ん、つまり人間をやめる程度の能力ってことよね?」
「何でそうなるのさ……」
霊夢の発言に一気に脱力して机に伏す銀月。
そんな銀月に、将志が声を掛けた。
「……あながち間違いでもないぞ、銀月」
「父さん?」
「……詳しい話は後でしてやる。その前にお前は身代わりの札を作れ」
「ああ、わかった」
銀月は将志にそう言うと札作りの準備をしにいく。
その一方で、霊夢と紫が将志の言葉に首をかしげていた。
「身代わりの札? 何それ? 紙の式神みたいな奴?」
「将志、身代わりの札なんて何に使うのかしら?」
「……銀月は今回、その札のお陰で死なずに済んだのだ」
紫の言葉に、将志は重々しくそう答えた。
それを聞いて、霊夢の眼がスッと鋭く細められた。
「ちょっと、さっきから何か物騒な話になってるじゃない。なに、銀月が死ぬような目にでも遭ったってこと?」
「……その説明も後でしてやる。それよりも今は銀月の札作りを見に行くぞ」
将志に促されて一行は銀月の姿を探す。
すると銀月は机の上に敷いた紙に何やら筆を滑らせていた。見てみると、それは何かの陣のようであった。
銀月はその中心に札になるであろう長方形の半紙を置くと、将志達の方を向いた。
「それじゃあ今から札を作るけど、何があっても止めたりしないで欲しい。止められると完成しないから」
銀月はそう言うと、白紙の札に右手を置いた。
それを見て、見守る四人は黙り込む。
「$∝#%¥?∇@*;+……」
銀月の口から聞いたことも無いような言語が発せられる。
その瞬間、銀月の身体に異変が起きた。札に当てた手から深い裂傷が出来、銀月の腕を登りはじめたのだ。
傷口からは血が流れ出し、銀月の肌を伝って札へと流れ込んでいく。
周囲にはむせ返るほどの血の匂いが広がり、観察者の鼻を突く。
「∬∇∀§Å≡∫∃&$*……」
銀月は額に油汗をかき、険しい表情で呪文を唱え続ける。
傷は胸を這い上がり首へ、そして顔へと登っていく。
銀月の白い服には血が染み出し、腕や背中、そして袴までもが真っ赤に染まっていた。どうやら全身から出血しているようであった。
そして、その全身から流れ出した夥しい量の血液は次々と札に吸い込まれていく。
その流れていく血の中に、銀色の光の粒が混ざっていた。
「あ……」
自分の想像を遥かに越える壮絶な光景に、霊夢は鳥肌が立つと共に言葉を失った。
身代わりの札と聞いて何かの役に立てばいい位の気持ちで見ていたが、そんな安易な考えなど消え去ってしまっていた。
「これは……」
「私が知っている身代わりの札ではないな……」
その横で、紫と藍も厳しい眼つきでその様子を眺める。
二人から見て、今の銀月の様子に何か不穏なものを感じ取ったからである。
「……っ……?Å∬@*∃#∀……」
銀月は蒼い顔で、全身を走る激痛に耐えながら札に力を込め続ける。
服を真っ赤に染めていたはずの血も札の中に吸い込まれていき、元の白い色を取り戻していた。
その服から滴り落ちる血が無くなり最後の一滴が札に消えると、銀月はその場に崩れ落ちた。
体中に広がっていたはずの裂傷は、跡形も無く消え去っていた。
「はぁ……はぁ……っ……終わったよ……」
銀月は荒い息を吐き、倒れたままそう言った。銀月の顔からは血の気が失せており、蒼白い顔になっている。
そんな銀月に霊夢が同じくらい蒼い顔で声を掛ける。
「銀月……あんた、大丈夫なの?」
「……大丈夫。少し疲れただけだから……」
その横で、紫は銀月が作った身代わりの札を手にとって眺めた。
それはとても複雑な模様が描かれていて、触るとまるで生きているかのように暖かかった。
「銀月。この札の作り方、どこで覚えたのかしら? 少なくとも、私も藍もこんな術式は見た事が無いのだけれど?」
「……人狼の里の書庫にあったものを、自分なりに改変したものだよ」
銀月は以前人狼の里で執事の研修を受けた時に、知識の偏りを指摘されたことがあった。
そこで書庫の本を借りて勉強していた時に、この札の大本となった術式があったのだ。
そして、銀月は独学でこの身代わりの札を習得したのであった。
それを聞いて、紫は札を睨むように眼を細めた。
「そう……私には、この札がなにかおぞましいものに見えるわ」
「……でも、これから俺はそれに頼らざるを得ないときがあるかもしれない。だから、仕方の無いことさ」
「それはともかく、この様子では銀月の能力の検証は難しそうだな……紫様、どうしますか?」
藍は床に倒れている銀月の様子を見て、紫にそう尋ねた。
すると、将志が口を開いた。
「……では、体力が回復するまで俺が一つ話をするとしよう」
「……話?」
「……ああ。お前に関する、翠眼の悪魔に関する話だ」
将志がそう言うと、紫と藍、そして銀月の興味がそちらに向く。
そんな中、霊夢だけ訳が分からず首をかしげた。
「翠眼の悪魔? 何それ?」
「霊夢が巫女になる前に、一時期妖怪達の間で大勢の犠牲者を出し、恐れられた謎の妖怪……その正体が銀月だったって話よ」
「翠眼の悪魔……レミリアさんも俺のことをそう呼んでいたような……」
霊夢の質問に紫が答え、銀月がレミリアの言葉を思い出して呟く。
将志は銀月の顔を見ながら話し始める。
「……調べてみたのだが、翠眼の悪魔が目撃されたのは三ヶ月と言う非常に短い期間、それもごく僅かの目撃例しかない。共通して見られたのはその眼が心を奪われるような美しい翠玉の瞳。その美しさから『悪魔の翠眼』は宝石と呼ばれるほどだ」
「で、それがどうして銀月に繋がるの?」
「……まず、レミリアが実際に目撃したというのが一つ。そしてもう一つは、その最後に目撃された日付が問題だった」
「……父さん、それって……」
「……そうだ。吸血鬼異変、俺がお前を拾ったあの日が、翠眼の悪魔が最後に目撃された日だ。そしてその時の目撃情報が、異様に長い右腕を持つ人型の獣だ。槍を持ったお前の姿がそういう風に見えたのだろう。状況的に見て、お前が翠眼の悪魔であることは疑いようが無い。俺もまさか翠眼の悪魔が人間であったとは思わなかったぞ」
将志が記憶喪失の子供を拾った夜。その日、銀月となる少年は将志の槍を握って多くの死傷者を出していた。
つまり、銀月は将志と出会う直前まで翠眼の悪魔として戦っていた可能性があるのだ。
「ちょっと待ちなさいよ。私が巫女になる前って言ったら、銀月は大体五歳くらいよ?」
「……全ては銀月の『限界を超える程度の能力』で説明できる。銀月には俺に拾われる以前の記憶が無い。と言うことは、銀月は三ヶ月間は常に暴走状態であったと考えられる。聞いた話では、昨日相手にした吸血鬼は二人ではなく、実質五人を相手にして圧倒していたようだ。それならば、当時の銀月が人食い妖怪の一人や二人殺害できても不思議ではあるまい?」
「じゃあ、銀月の異常な身体能力も能力のせいって訳ね?」
霊夢は将志の説明を聞いて、そのように考えた。
しかし、その回答に将志は眼を閉じ、小さく首を横に振った。
「……最初は俺もそう思っていた。だが、調べていくうちに段々とそれは違うと思えるようになってきたのだ」
「違う? それはどういうことかしら、将志?」
将志の言葉に紫が怪訝な表情を浮かべる。
それに対して、将志は淡々と話を続けた。
「……実は、翠眼の悪魔によって殺された人食い妖怪の中には共通点を持つ者があってな……その共通点と言うのが、腹を食い破られていたと言うものだ」
「腹を食い破られて……おいおい、それじゃあまさか銀月は……」
「……ルーミアの話によると、人食い妖怪からみて銀月は見た目、匂い、味の全てにおいて極上のものらしい。更に、悪魔の翠眼は見るものを引き付ける様な魔力を持っている。こう考えると、何か見えてこないか?」
将志はそう言って全員に語りかける。
すると、しばらくの沈黙の後で紫が口を開いた。
「……悪魔の翠眼に魅入られて近づき、人食い妖怪は美味しそうな銀月の姿を見て、食欲をそそられる匂いを嗅ぎ、食べようとする……そして、翠眼の悪魔は逆にその妖怪を狩り、はらわたを喰らい尽くす……こう言いたい訳ね?」
「……そうだ。銀月は妖怪の肉、特に心臓を食らっている可能性が非常に高い。つまり銀月の人間としては異常な身体能力は、それまでに喰らった妖怪の肉によって得られた可能性が高いのだ」
つまり、銀月が美味そうに見えるのは妖怪を引きつける為の餌。
それに釣られてやってきた人食い妖怪は、銀月に返り討ちにされて捕食された。
そして、妖怪の肉を食べることで身体に変化をもたらし、人間としては異常な身体能力を持つに至ったというのだ。
「ちょっと待ってくれよ父さん。俺は身体に霊力を通して身体を強化しているんだぞ? それに、俺は人間と変わらないじゃないか」
「確かに銀月はいつも本気を出す時は霊力を全身に巡らせてるわね」
将志の推論に対して銀月は反論する。
それを聞いて、将志は小さくため息をついた。
「……まあ、これは推論に過ぎんから何とでも言える。が、俺としてはどうしても確認しておきたいことがあるのだ」
「確認したいこと?」
「……銀月。今からお前に妖力を流す。加減はするが、気をしっかりと持っておけ。博麗の巫女、お前は万が一の時のために祓う準備をしておけ」
「え、ちょっと本気?」
突然の将志の言葉に、霊夢は困惑した表情を見せる。
そんな霊夢の肩を、銀月は安心させるように叩いた。
「……大丈夫だよ、霊夢。父さんは何か根拠があってやってるんだろうから」
「……行くぞ」
そう言うと、将志は銀月に力を送り始めた。
将志から流れる鋭く光る銀色の光に霊夢が触れると、ゾクリとした寒気が背中に走りそれが妖力であると分かる。
「……あれ? 父さん、これ本当に妖力? 何だか暖まるだけなんだけど」
しかし銀月は特に反応を見せず、逆に心地良さすら感じていた。
「え……嘘でしょ?」
「これは……」
その様子を見て霊夢達は息を呑んだ。
しばらくして、将志は妖力を止めて小さく息を吐いた。
「……やはりか……」
「え、何?」
「……率直に言おう。お前は確かに人間だ。体から発するのは霊力であるし、それは間違いない。ただし、一歩間違えれば妖怪と化す状態だ。その証拠として、妖力を流しても何の変化も無い。通常、人間であれば直接妖力を取り込むと狂うところだぞ」
将志は出した結論を真っ直ぐに銀月にぶつけた。
すると銀月はキョトンとした表情で首をかしげた。
「俺が、妖怪になる?」
「……ああ。そもそも妖怪とは思考から生まれるものだ。こうなったのはこんな妖怪が居るからだ。そういう思考から妖怪は生まれてくる。さて、そんな思考が一つの対象、人間に注がれて妖怪になるものも居る。有名なところで言えば、崇徳天皇が大天狗になり、菅原道真が祟り神と化したりするものだ。そして銀月、一歩間違えればそれと同じことがお前に起きる。お前の場合、妖怪を狩って喰らう翠眼の悪魔に成り果てるだろう」
「ち、ちょっと待ってくれ!! 翠眼の悪魔ってもう随分前の話じゃないか。それに目撃者が少ないのなら、そんなに知られていないはず……」
将志の発言に銀月が大慌てでそれを否定しようとする。
しかし、その反論は紫によって否定された。
「残念ながらそれは無いわ。妖怪の間で、悪さをすると翠眼の悪魔が出るぞ、何て言って子供を躾けたりしていたのを見たことがあるわよ。何しろ、妖怪達を震撼させた未解決事件よ? 翠眼の悪魔の知名度はかなり高いんじゃないかしら?」
妖怪が腹を食い破られて絶命するということが連続して起きた事件。
その犯人である翠眼の悪魔がどうなってるかは、長いこと謎であった。
これは例えるのであれば、連続猟奇殺人犯が未だに逮捕されずに姿を消しているという状況に似ていた。
事件の衝撃性や犯人の特徴、そしてその結末などを考えると、妖怪達が忘れ去っているとは到底思えないのであった。
「おめでとう銀月、人間を卒業する日は近いわね」
霊夢はそう言って銀月を見る。
銀月はそれを聞いて、慌てだした。
「ちょ、なんて事言うんだ霊夢!! 父さん、それ何とかして回避できない?」
「……出来るぞ。単純な話、お前が暴走して妖怪を食わなければ良いだけの話だ。もしくはお前が翠眼の悪魔であることを公言して、翠眼の悪魔が人間であることを知らしめる方法がある。さて、どちらを選ぶ?」
「妖怪なんて食べないから前者で」
将志の問いかけに銀月は即答する。
そんな銀月を見て、藍が何かに気がついたようであった。
「将志、話している間に銀月もう回復していないか?」
見れば先程の儀式で血の気が無くなっていた顔は血色が良くなっており、呼吸などに乱れはない。
どこから見ても、普段と全く変わりない銀月の姿がそこにあった。
「そういえば……さっきまで死にかけだったのに、もうそんなに元気なの? ねえ銀月、私あんたを人間ってどうしても思いたくないんだけど……」
「……思いたくなくても、俺は人間だよ……崖っぷちだけど」
そう言いながら銀月は深々とため息をつく。
まさか本当に人外になりかかっているとは思いもしなかったからである。
「これも銀月の能力の影響でしょうね。『限界を超える程度の能力』で回復力の限界を超えたということね」
「……銀月、今お前はそういうことを意識してやったか?」
「いや、全く考えてなかった。気がついたら体が軽いぐらいの気持ちだったし」
将志の問いかけに銀月は首を振ってそう答えた。
将志はそれを聞くと、槍を取り出した。
「……そうか。では、外に出るとしよう。能力の検証を始めるぞ」
将志がそう言うと、一行は神社の境内へと出てきた。
外に出ると、将志は銀月に近づいていく。
「今度はお前の手に傷を付ける。それがどれくらいで治るかやってみよう。レミリアの話では一瞬で傷が塞がったらしいが……」
「分かった、やってみよう」
銀月はそう言うと将志の槍の穂先を手に当てた。
「……っ!!」
銀月の手に引かれる赤い線。そこからは赤い液体がだらだらと流れ出していた。
それを見て、将志が呆れ顔を浮かべた。
「……戯け、深く切りすぎだ。あの治癒能力が暴走時のみだったらどうする?」
「あ……」
将志の言葉に銀月は呆気に取られた表情を浮かべた。
血は依然として流れ出しており、床に血が滴り落ちる。
その様子からは、治る気配は一向に感じられなかった。
「ちょっと銀月、治らないじゃない。その傷で料理できるの?」
「あ、あはははは……」
「だが、これなら実験も出来るだろう? 銀月、自分の治癒力の限界を超えて見せろ」
「あ、はい。っと、こんな感じか……?」
藍に言われて銀月は手に意識を送る。
すると、段々と出血が少なくなり傷口が塞がっていった。
「……む」
「治っていくわね」
「しかし、将志が言うほど一瞬って訳ではないな」
「でも、治るだけ御の字じゃない? 人間的じゃないけど」
銀月の治っていく傷を見て、それぞれ反応を返す。
一方、当の銀月はと言えば顔を真っ赤にしており、かなり力を込めているようであった。
そして傷口が塞がると、水の中から顔を出した時のように息を吐いた。
「……っはあ!! ……つ、疲れる……俺、本当にこんなの戦闘中に一瞬でやったのか?」
「……ふむ……と言うことは、暴走時においては更に能力を引き出していたことになるな」
「それとここまでで分かったことと言えば、普段無意識で発動している部分と意識的に動かす部分があるということね」
「……それから、死に瀕した時になると暴走するということか……流石にこの辺りの事は実験するわけにはいかんな……」
将志達は銀月の能力について議論する。
そんな中、銀月は境内をうろついて適当な大きさの岩の前に立った。
「ん~……こんな感じかな?」
「……どうした、銀月?」
「ちょっと見ててな……はあっ!!」
銀月はそう言うと、目の前の岩に掌打を打ち込んだ。
すると、岩はバラバラに砕け散った。
「……岩が砕けたな、素手で」
将志はそれを興味深そうに眺める。
「ねえ、やっぱり銀月もう妖怪になってるんじゃない? 人間ってもっとか弱い生物だと思うんだけど?」
「霊夢。それでも銀月は人間なのよ。食虫植物みたいに妖怪を食べたりするけど」
「いやいやいや、人間としてそれはおかしいと思うわ」
「さっきから聞こえてるぞ、二人とも!!」
自分に眼をちらちらとやりながら失礼な話をする霊夢と紫に銀月はそう叫んだ。
それを尻目に、将志が銀月に話しかける。
「……それで、今どうやって岩を砕いた?」
「岩の限界を超えてみようと思ったら出来た」
「……ふむ、少し待っていろ」
将志は少し考えてそう言うと、どこへともなく飛んで行く。
そして、すぐに戻ってきた。
「……失礼するぞ」
将志は槍や手足に岩を突き刺して運んできていた。どうやら岩を使って実験を行おうとしているようであった。
将志がそれを境内に落とすと、霊夢が非難の声を上げた。
「ちょ、あんたうちの境内にこんなに大量に岩持って来てどうするのよ!?」
「……なに、後片付けならば後でする。少し実験をするだけだ」
将志は霊夢にそう答えると、銀月の方を向いた。
「……銀月、今から俺が指示するとおりに動け。良いな?」
「ああ、分かった」
「……では、まずは目の前の岩を素手で砕いてみろ。無論、お前の能力を使ってだ」
「……はあ!!」
銀月は目の前に置かれた岩に掌打を打ち込む。
すると、先程と同じように岩はバラバラに砕け散った。
将志はそれを見て、小さく頷いた。
「……ふむ、では次は抜き手で岩を貫いてみろ」
「……やあっ!!」
将志の指示に従い、銀月は目の前の新しい岩に抜き手を入れる。
すると、銀月の手が貫通する前に岩はバラバラに砕け散ってしまった。
それを見て、将志は考察する。
「……砕けたか……と言うことは、限界を超えるだけでどのように壊れるか等は操作できないというところか……よし、次は木の枝で岩を砕いてみろ」
「せいっ!!」
銀月は近くに落ちていた木の枝を拾って、それで岩を殴りつけた。
木の枝は岩にぶつかった拍子にあっさりと折れ、岩には傷一つ付かなかった。
「……木の枝が折れたか……と言うことは、岩の限界を超える力を出せても、道具を介すると効力は発揮されないということか?」
「待った父さん。もう一度やるよ……でやあっ!!」
銀月はもう一度木の枝を拾い、再び枝を殴りつけた。
今度は当初の目標通り岩が砕け、銀月が手にした木の枝は全くの無事であった。
それを見て、将志は首をかしげた。
「……今度は岩が砕けたか……銀月、何をした?」
「はあ……はあっ……木の枝に込められる限界を超えた霊力を送り込んで強化して、それで岩の限界を超えたのさ……ただ、これをやると普段の何倍も疲れる……」
銀月は息を荒げて将志の質問に答える。
どうやら二つ以上の限界を一度に超えると負担が大きくなるようであった。
「……では、今度はお前の鋼の槍で岩を砕いてみろ。槍には能力を使わずにな」
「ちょっと待って……ふぅ……はあっ!!」
息を整え、鋼の槍を取り出してそれを岩に打ちつける。
すると、素手でやったときと同じように岩が砕け散った。
「……ふむ、これだと岩が砕けるのか。つまり、道具が優秀であれば負担は少なくなるということか」
「ついでに言うと、これだと素手の時よりも負担は少ないな。道具があると楽になることもあるみたいだ」
銀月はそう言って手応えを将志に伝える。
どうやら銀月の能力には本人の力だけではなく、手にした道具等の影響も受けるであろうことが分かった。
「……なるほど……では次だ。博麗の巫女に岩を砕かせてみろ」
「え、私もやるの?」
「……ああ。まあ、怪我をしないようにそこの鋼の槍を使うといい」
「分かったわ……って重っ!? 銀月、あんたよくこんなの振り回せるわね?」
霊夢は銀月の鋼の槍を持つと、その重さに驚いた。
普段軽々と銀月が振り回していたため、もう少し軽いものだと思っていたのだ。
「そりゃあ、毎日鍛錬してたからな」
驚く霊夢を見て、銀月は笑みを浮かべる。
霊夢が槍を持ち上げようと頑張っている間に、銀月は岩の横に移動して手を当てた。
「ん……しょっ!!」
霊夢は鋼の槍を持ち上げ、岩に向けて振り下ろした。
固い金属音が聞こえ、鋼の槍が弾かれた。
「……砕けないわね」
霊夢はいまだ健在の岩を見て、そう呟く。
爽快に砕けるのを期待していたのか、どことなくつまらなさそうであった。
「……銀月、今のはどうした?」
「それが、何とか岩に干渉しようとしたんだけど、どうにも出来なくてね……霊夢の力で岩が砕けるようにするって言うことは出来ないみたいだ」
銀月は岩から手を離し、そう言って肩をすくめる。
その言葉を聞いて、将志は少し考えて頷いた。
「……成程。では、巫女の方に干渉してみてはどうだ?」
「分かった。それじゃあ霊夢、手を貸して」
「良いわよ。はい」
銀月は霊夢の手を握ると、能力を発動させる。
すると、霊夢はパチパチと眼を瞬かせた。
「……あら? 軽い?」
霊夢は不思議そうな顔でそう呟く。何故なら先程両手で一生懸命持ち上げなければならなかった鋼の槍が、片手で楽々と持ち上げられるようになっているからである。
「やあっ!!」
霊夢は片手で槍を振りかぶり、岩に叩き付けた。
すると先程は全くの無傷であった岩が、気持ちの良い手ごたえと共に砕け散った。
「……何これ気持ちいい」
その爽快感に、霊夢の表情がウットリとしたものに変わる。
視線は隣にある岩に移り、もっとやりたそうに眼を輝かせている。
「……ふぅ……成功だな」
「あ、あら、何だか急に重く……」
しかし大きなため息と共に銀月が手を離すと、鋼の槍はその重さを取り戻した。
その様子を見て、将志は銀月に話しかけた。
「……今のは何をした?」
「ふぅ……霊夢の腕力の限界を超えさせて、岩の耐久力の限界を超えるようにしたんだ。ついでに筋肉痛を避けるために治癒力の限界も超えさせたよ……かなり疲れたけどね」
銀月はハンカチで汗を拭い、深呼吸をして将志に答える。
すると、気になることがあったのか今度は藍が声を掛けてきた。
「銀月、もう一度霊夢に触れて能力を使ってみてくれないか?」
「はい。んじゃ失礼して」
銀月は頷くと、再び霊夢の手を握って能力を発動させた。
「あ、また軽くなったわ」
霊夢はそう言うと、楽しそうに片手で槍を振り回す。
そこに続けて、藍から指示が入る。
「それで、霊夢が振り下ろす瞬間に能力を使ったまま手を離してみてくれ」
「了解。それじゃ、宜しく霊夢」
「ええ、良いわよ」
霊夢は上機嫌で頷くと、岩に向かって槍を振り上げた。
「それっ!!」
「今だ」
霊夢が槍を振り下ろし始めると、銀月は手を離した。
そして次の瞬間、鈍い金属音が鳴り響くと共に何かが宙を舞った。
「あっ!?」
「えっ、ぐあああっ!?」
その何かはくるくると回転しながら落ちてきて、銀月の胸に突き刺さった。
銀月はそれを受けてその場に崩れ落ちる。
銀月に刺さったのは折れた鋼の槍の穂先であった。その重たい刃は銀月の胸を深々と貫いていた。
「おい、銀月!? 大丈夫か!?」
「…………」
将志が声を掛けると、銀月はゆらりと立ち上がった。
顔は伏せたまま、無言。その様子は異様なほどに静かであった。
「……ぎ、銀月?」
霊夢は銀月に近づこうとする。
「霊夢、下がりなさい!!」
それを、不穏な気配を感じた紫が叫ぶようにそう言って下がらせた。
様子のおかしい銀月に、全員が身構える。
そして銀月は、ゆっくりと顔を上げた。
「…………」
するとそこには、心を奪われてしまいそうになるほど美しい翠玉の瞳があった。
その眼が放つ異常な魅力に、全員息を呑んだ。
「……これが、悪魔の翠眼……」
紫の口から緊張した声が発せられる。
その視線は銀月の美しい悪魔の瞳に惹きつけられており、他の者も同様であった。
まるで心を雁字搦めに捉えられるような、眼が離せなくなるような、神々しいまでに妖しい魅力が感じられた。
そんな一行を尻目に、銀月は胸に刺さった槍の穂先を引き抜き地面に落とす。
すると銀月の胸の傷はあっという間に塞がっていき、跡形も無くなった。
そして傷が癒えると、翠色の眼は段々と元の茶色い瞳に戻っていった。
「……ぅ……うん? あれ、俺どうなってた?」
銀月はそう言って辺りを見回す。
そんな銀月に霊夢が近づいていく。
「……元に戻った? 銀月、大丈夫なの?」
「うん? ああ、どういう訳だか全然平気だけど?」
霊夢の言葉に、銀月はそう答えて首をかしげた。
そんな銀月に紫が話しかける。
「銀月。今、貴方は折れた槍の刃が胸に深く刺さったのよ。それから貴方の眼が翠色に光って、傷口があっという間に塞がったわ」
「……と言うことは、暴走状態だったってことか?」
「そういうことになるな。私はお前が暴れだすのではないかとヒヤヒヤしたぞ?」
キョトンとした表情の銀月に、藍がそう声を掛ける。
ふと銀月が足元に眼を落とすと、先程引き抜いた槍の穂先があった。
それを拾い上げて、銀月はため息をついた。
「あ~あ、けら首からポッキリいってるよ……また打ち直して貰わないと……」
「……それは後でどうとでもなるだろう。今わかったことは、お前が手を触れていないと限界を超えられないこと、非生物には直接限界を超えさせることは出来ないこと、そして瀕死になっても確実に暴走するわけでは無いと言うことだ」
「それにしても、暴れだした原因っていったい何なのでしょうね?」
「……レミリアが、紅魔館の当主が言うには、銀月には狂うほどの生存願望があるらしい。それが原因で暴走したのではないかと言っていたが……」
将志はレミリアが推測した銀月の暴走の原因を話した。
すると、しばらく考え込んでいた藍が何か思いついたように顔を上げた。
「……そうか……将志、こうは考えられないか? 銀月が暴走するのは瀕死の状態。この仮定が正しいとすれば、銀月はその問題を解決するために行動する。暴れだしたのは、自分に危害を加える相手を排除するため。今回はただの事故だったから暴走状態にはなったが暴れることはなかった……そう考えられないか?」
「成程ね……その考えなら確かに今の現象も話が通るわね……けど、だからと言ってこれで決め付けるのは危険よ。銀月の匙加減一つで暴走するかもしれないのだしね」
紫は藍の推測を認めた上で、明確な原因が分からないことに注意を促す。
それを聞いて、藍は頷いた。
「それもそうですね……それと、どの範囲まで効果を及ぼすことが出来るのか……銀月、少し頼んで良いか?」
「はい? 頼みごとって?」
「それはだな……」
藍は銀月の耳元に口を持っていき、要件を告げる。
すると銀月は思いっきり噴出した。
「ぶっ!? 藍さん、何考えてるんですか!?」
「いや、だってこれが出来るかどうか検証したら何か分かるかもしれないだろう?」
「それでも無理だって!! いや、出来るかもしれないけど絶対やりたくない!!」
凄まじい剣幕で藍の頼みごとを拒絶する銀月。
そのあまりにも異常な嫌がり方に、紫は首をかしげた。
「……銀月、藍はいったい何を頼んだの?」
「……父さんに聞かれると面倒なことになるから向こうで話すよ。藍さんも来てくれ」
「ええ、良いわよ」
「ふむ、良いだろう」
小声で話す銀月に賛同して、三人で将志から離れる。
そして周りに誰も居ないところまで来ると、話を再開した。
「それで、藍は何て?」
「……父さんの性欲が理性の限界を突破できるかどうか試してくれって……」
紫の質問に、銀月は凄く言いづらそうに答える。
すると、紫の顔は一瞬で真っ赤に染まった。
「なっ!? ちょ、ちょっと藍!? 貴女何てことを頼んでるのよ!?」
「別に良いじゃないですか。私だって好きな男と結ばれたいって言う願望があるんですから。まあ、今回はあわよくばってところですけど」
藍はしれっとした態度でそう答える。
そんな藍に、銀月が更に反論を重ねる。
「でも藍さん、これ実行したって俺が父さんに触れていないと出来ないんですよ? それじゃあ、その、色々と……」
銀月の声は段々と小さくなっていく。その顔は赤い。
藍がしたいことをしている横で、銀月はその相手をしている将志に触れていないといけない……要するに、どうしても要らない情報が目や耳から入ってきてしまうのである。
銀月の訴えを聞いて、藍は納得したように頷いた。
「そんなことを気にしてるのか……成程、確かに銀月を私達に巻き込むのはつらいものがあるか」
「そ、そうよ、幾ら貴女でも、第三者が居るところじゃ……」
紫は藍に諦めるように促す。
しかし、次の藍の言葉はあまりにもぶっ飛んだものだった。
「なら、銀月も紫様と一緒に混じってしまえば良い」
「はあ!?」
「なあ!?」
藍の突然のトンデモ発言に、二人はあんぐりと口をあけて固まった。
しばらくして、頭から煙が出そうなほど顔を赤く染めた紫が混乱した様子で喋り始めた。
「ら、ららららら、らん? あ、あなたなにをかんがえてるの?」
「要するに、銀月は私と将志を見てしまうのが問題なのでしょう? なら、いっそのこと銀月に相手を与えてこちらが気にならないようにしてしまえば良いでしょう? 相手が紫様なのは、紫様も行き着くところまで行ってしまえば後は平気になるかなと思いまして」
「そそそそそそれって私が銀月と……」
「まあそうですね。お二人でそういうことをすることになりますね」
藍は飛びっきりの笑顔でそう言った。
その一言に、紫は口をパクパクとさせるだけで何も言えない。
その横から復活した銀月が抗議を始めた。
「まあそうですね、じゃあないでしょう!? 俺達を巻き込まないでくださいよ!!」
「おや? お前は紫様が相手では不満か?」
猛抗議をする銀月に、藍は涼しげな笑みを浮かべてそう言った。
その言葉に、銀月は思わず怯んだ。
「そ、そういう訳じゃ……」
「っっっっ!? ……きゅうううう~~~~~……」
突如として、紫の頭がオーバーヒートを起こして煙を上げる。
そのまま紫は真っ赤な顔でのぼせ上がり、目を回して崩れ落ちてしまった。
「ゆ、紫さあああん!?」
「む……まだ早かったか……」
突然の紫の挙動に銀月は驚き、藍は冷静に判断を下す。
そんな藍に、とうとう銀月はキレた。
「まだ早かったか、でもないでしょうが!! どうするんですか、こんなことになって!?」
「何を言っているんだ? 紫様にトドメを刺したのはお前だぞ?」
紫を指して怒鳴り散らす銀月に、藍はにっこり笑ってそう答えた。
そんな藍の態度に銀月は動揺する。
「な、なぬ!?」
「『紫様が相手では不満か?』と言う質問に、『そ、そういう訳じゃ……』と口ごもりながら答える。誰がどう聞いたって、紫様とそういうことをしたいと言っている様に聞こえると思うぞ? そしてお前との情事を想像した紫様は……」
藍は紫が倒れた経緯を楽しげに説明する。
それを聞いて、銀月は己が発言を思い返した。
「……っっっ!? くああああああああ!?!?!?!?」
銀月は髪を振り乱して大声で叫びながらしゃがみこみ、地面に思い切り頭を打ち付けた。
すると重たい音と振動と共に銀月の頭が地面に埋まり、そのまま動かなくなった。
「おや、少しからかい過ぎたか。ふふふ、二人とも初心だなぁ」
地面に伸びた二人を見て、藍はそう言って笑う。
そこに、銀月の叫び声を聞きつけた将志と霊夢が駆けつけた。
「……おい、藍。これはいったいどういう事だ?」
「紫と銀月がなんでここで倒れてるわけ?」
将志と霊夢は疑念の眼を藍に向けた。
すると、藍は苦笑いをして答えた。
「二人の沽券に関わるから黙秘させてもらうよ。さて、これでは検証が出来ないな。どうする?」
「……どうするも何も、銀月と紫が起きるまでどうしようもあるまい」
「それじゃあ、起きるまでお茶でも飲んで待ちましょ」
「そうだな。それじゃあ私は紫様を運ぶから、将志は銀月を運んでやってくれ」
「……了解した」
三人はそう言い合うと、伸びている二人を回収して博麗神社に戻った。
その日の夜、将志は紫の家に足を運んでいた。
その理由は、今日の検証で思うところがあったからである。
そう言うわけで、紫に話をすることにしたのであった。
「……邪魔するぞ」
「ああ、待っていたぞ、将志。さ、上がってくれ」
「……ああ」
藍に中へと通され、応接間へと向かう。
そこでは紫が今日の検証の結果を見て考え込んでいた。
「……待たせたな」
「いらっしゃい。さて、早速だけど話を始めましょう?」
「……そうしてくれ。恐らく、俺が気になっていることはお前も気になっているはずだからな」
紫の言葉に将志は少し厳しい表情で返す。
それを聞いて、紫は薄く笑みを浮かべる。
「それじゃあ、貴方が気になっていることから言ってちょうだい」
「……俺が気になったのは、銀月の記憶と妖怪化だ」
将志がそう話すと、紫は扇子で口元を覆ったまま頷いた。
「……続けてちょうだい」
「……まず、銀月は今回暴走した。しかし、途中の記憶は飛んでいても過去の記憶が消えることはなかった。つまり、銀月の記憶喪失の要因が別にあると言うことになる」
将志の言葉を聞いて、紫は頷いた。
紅魔館の一件で銀月は酷い暴走を起こしたが、それ以前の記憶はしっかり残っていた。
しかし、銀月は将志に会う以前の記憶が無いのだ。この事象に関する説明がこれでは付かない。
「そうね……確かにそれでは一番最初の記憶喪失の説明が付かないわね……それで、もう一つは?」
「……銀月の妖怪化だが……そもそも、何故銀月は最初に妖怪を食べようと思ったのだろうか? 森の中にはキノコや木の実など、他に食べられそうなものがあっただろうに」
「確かにそうよね……けど、最初に妖怪に襲われて返り討ちにしたのをたまたま口にしたのかもしれないわよ?」
「……だとしても、それから先が都合良く行き過ぎていないか? 妖怪を喰らったからといって、妖怪を狩るように体が変化していくというのもおかしな話だ。それも、わずか三ヶ月の間にと言うのも余計に怪しい」
紫の反論に将志は自分の意見を返す。
すると、紫はその言葉を待っていたかのように胡散臭い笑みを浮かべた。
「そうね……まるで『誰かにそうなるようにさせられたみたいに』そうなっているわよね?」
紫は言葉の一部分を強調するようにそう言った。
それを聞いて、将志は怪訝な表情を浮かべて首をわずかにかしげた。
「……どういうことだ?」
「将志、もっとおかしなことに気づかないかしら? 銀月はここに来たときの記憶が無いのよね?」
「……ああ、そうだが?」
「おかしいとは思わないかしら? 銀月は将志に会う前の記憶が無いのでしょう? つまり、幻想郷に来たときには既に暴走状態だった、もしくは幻想郷に来て暴走を始めるまでの記憶が何らかの要因で消えたか消されたかしたかってことにならない? それに、妖怪を倒した後の記憶が無いのも不自然よ。今回みたいに生命の危機が過ぎ去った後に暴走が止まるというならば、妖怪を狩った時点で止まっていないといけない。つまり、その先の記憶は残るはずなのよ」
仮に、幻想郷に入って妖怪に襲われたことが原因で暴走を始めたのだとしたら、それまでの記憶が残っていないとおかしいのだ。
更に将志と会うまでの記憶が無いことから、銀月は常に暴走状態であったか、将志に出会う直前で記憶を失ったかのどちらかの可能性が高い。
しかし、今回の検証の様子を見る限りでは銀月は命の危機を脱すると暴走は止まり、意識を取り戻している。
一方、将志と出会う直前では完全に記憶を失うような外的要素は見当たらない。
暴走し続けていた反動で記憶を失ったと考えるにしても、その直前まで暴走していなかったとすればその時間は紅魔館でレミリア達と銀月が戦っていた時間よりも将志とレミリアが戦っていた時間のほうが短い。
いずれにしても、現在の状態の銀月を見る限りでは銀月の記憶喪失の説明がどうしても付かないのだ。
それを聞いて、将志の表情が厳しく変わる。
「……銀月が何者かにああなるように仕組まれたと?」
「可能性はゼロではないと思うわよ? いえ、むしろその可能性が濃厚でしょうね。全ての事象が偶然にしては出来すぎているもの」
説明の出来ない記憶喪失。人食い妖怪を誘い込む様に変化していく体質。そして人間にしては強大な力と暴走。
その全てが上手く行き過ぎており、偶然と呼ぶにはあまりに不自然なことが多すぎる。
その点から、紫は銀月が何者かの干渉を受けているのではないかと言う仮説を立てたのだ。
それを聞いて、将志は首をかしげた。
「……しかし、だとすれば誰が? そんなことをして得をする者が居るのか?」
「そこまでは分からないわ。何しろ、得をする者なんてそこらじゅうに居るもの。人間からしてみれば妖怪を減らせるし、一部の妖怪からしてみればスリルのある良い遊び相手になるでしょうからね。ただ、とても力の強い誰かと言うことは確定ね」
「……犯人と目的は不明か……」
将志はそう言って考え込む。
それと同時に、パチッと紫が扇子をたたむ音が聞こえた。
「それよりも、もっと分からないことがあるのだけど良いかしら?」
紫はそう言いながら将志の顔を覗き込んだ。
それを受けて、将志は顔を上げる。
「……なんだ?」
「貴方と銀月、何でそこまで魂の形が似ているのかしら? 普通、このレベルまで近しい魂は双子とかそう言うものでしか起こらない。けど、貴方達は兄弟どころか種族すら違う。これはいったいどういうことかしら?」
「……そう言えば、それもまた不明だな……」
紫の質問に将志は再び眉をひそめて考え込む。
そんな将志を見て、紫は小さくため息をついた。
「まあ、これ以上はここで考えても恐らく答えは出ないわ。この先は色々と調査が必要ね」
紫はそう言ってこの場の話し合いの切り上げを宣言した。
それに対して、将志は頷いた。
「……そうだな。こちらでも銀月の観察を続けていこう。何か異常があればまた相談に来る」
「ええ。それじゃあ、任せたわよ」
紫がそう言うと、二人は応接間から出て行った。