汚染獣の襲来からあっという間に一週間が過ぎた。
あのあと、ライナは膨大な量の反省文を書かされた。眠いことこの上なかったが、ライナは逆らうこともできず、ただやるしかなった。
だが、結局、黒い男との関連を聞かれることはなかった。
ライナとしては、聞かれるだろうとばかり思っていただけに、すこし肩透かしだったが、聞かれないことに越したことはない。
もし聞かれたとしても、なんとでも言い逃れはできるし、証拠もあがらないようにちゃんと隠してきたし、指紋も残っていないので、そこからはライナにつながらないはずだ。
そしてライナは今、生徒会室にむけて歩いていた。何でも、カリアンが話があるということだ。
もしかすると、証拠の黒いロープが見つかったか、ともライナは思ったが、それは生徒会室に着いてからじゃないとわからない。
ライナは生徒会室の前にたどり着くと、ノックを二度する。
「入りたまえ」
そうカリアンの声が聞くと、ライナは生徒会室に入った。
中で待っていたのは、カリアンだけでなく、ニーナ・アントークもいた。
汚染獣との戦で負った傷もすでに癒えていて、傷を塞ぐようなものは見当たらなかった。
「それで、俺に何のようだよ、カリアン」
生徒会室の机で待っていたカリアンは、いつもと同じように微笑して待っていた。
「待っていたよ、ライナ君。それで話とはほかでもない。ライナ君、君に第十七小隊の特別隊員になってほしいんだ」
「はぁ?」
ライナは自分の耳を疑った。意味がわからない。
「今回の汚染獣の襲来で、より一層の武芸科との連携が重要だとわかったのはいいのだが、正直、武芸科長だけでは武芸科の連携は難しくてね。
そこで誰かが、武芸科に行くことによって連携を図りやすくなる、と踏んだわけだ。そこで、いろいろなことを検討した結果、ライナ君、君がいちばん適していると考えたんだ」
「ですが、会長。わたしの隊はそのような余裕はありません。ほかの隊にしてもらえないでしょうか?」
ニーナが懇願する。だが、カリアンは首を振った。
「残念だが、それはできない。ほかの隊はほとんどが定員が余っていない。それに、ライナ君のことを考えたら、同じ一年生であるレイフォン君がいる十七小隊がもっとも楽にできるだろう。武芸隊長の許可も取ってある。
それに、ただ、というわけではない。特別手当というわけで、補助金をふやそう。それに、優先的に野戦グラウンドの許可も取らせよう。
それに、ライナ君は毎日行くわけではない。週に二日行ければそれでいい。それに試合に出す必要もない。そして私は君の力量を信じている。君ならできる」
「ですが……」
「大丈夫だよ、ニーナ君。君はすこしレポートを書くだけでいい。そしてライナ君がただ、日々の練習内容だとか、隊の雰囲気などをレポートに書かせれば、それでいいから」
「え~なにそれ、すげぇめんどくさい」
ライナがめんどくさそうに言う。
「ライナ君。君に、拒否権はないよ」
カリアンはすこしまじめな顔をしてライナのほうをむいた。
「君は、汚染獣の襲撃のときにシェルターに来ず、サミラヤ君をはじめ、多くの人に迷惑をかけた。君はまだ償いをしていないからね」
「それはないって、カリアン。前に反省文を書いたんだし。あれかなり大変だったんだぞ」
「あれは反省をさせるためであって、それ以外のなにものでもない。さあどうする、ライナ君。十七小隊の特別隊員になるか、それとも一ヶ月、機関部掃除をするかい?」
「うぅ……じゃあ、特別隊員になるよ」
それ言うしかなかった。とても一ヶ月も機関部の掃除なんて、終わる前に死んでしまう。
「それはうれしいよ、ライナ君。ではニーナ君、あらためて聞くが、この件をお願いできるかな」
「……わかりました、会長。善処はしたいと思います」
ニーナはそう言うとライナのほうをむく。
「では、あらためて自己紹介をしよう。ニーナ・アントークだ。十七小隊の隊長をしている」
「ライナ・リュート。これからよろしく? お願いします?」
「なぜ疑問形なのだ」
「ん~なんとなく」
ライナも自己紹介を終えると、ニーナとともに退室しようとするが、カリアンがライナを引き止めた。
「あと、ライナ君。さっき言ったレポートの提出だが、一回忘れるごとに機関部の掃除を、一週間続けてやってもらうつもりだから、そのつもりでいるように」
「まじかよっ! ……くそっ、生徒会長は秘書たちに欲情してるってうわさ流して殺してやるからな。おぼえとけよ」
ライナはそう言い残すと、生徒会室を出た。
ライナは一年校舎よりもさらに奥まった場所にある少し古びた会館にニーナにつれられて来られた。
中に入り、ある一室の前にたどり着くと、ニーナがライナのほうをむいた。
「ここが私たちの訓練場だ。錬武館と言って、基本的にここで訓練をやるのだが、野戦グラウンドでやるときもあるので、そのときは事前に連絡しておく」
ニーナの堅い口調がどこかナルキの面影があるとライナは思った。おなじ武芸科の女子だからだろうか。
それに金髪を短く整えているところや、鋭くつりあがった瞳も同じ理由かもしれない。
扉を開けると、壁で仕切らているからか、ライナは思った以上に狭く感じた。壁には、さまざまな種類の武器が並べられている。
「あれ、何でライナ、ここにいるの?」
ライナに真っ先に気づいたレイフォンが声をかけてきた。
「みんなに報告がある」
ライナが言葉を発する前に、ニーナが会場一帯に聞こえる声で言った。
「生徒会から派遣されてきた、ライナ・リュートだ。今日から、十七小隊の特別隊員になる。みんなも知っているだろうが、自己紹介をしろ、ライナ」
「ライナ・リュート。これから、よろしく?」
「って、特別隊員ってなんだよ、ニーナ」
先ほどまで転がっていたシャーニッドがニーナに質問をする。
ニーナが特別隊員の説明をすると、シャーニッドは顔をしかめた。
「胡散くせえ匂いがぷんぷんするぜ。ニーナよお、どうしてことわってこなかったんだ。うちの隊には、そんな余裕ありゃしないぞ」
「う……そ、それは……」
さすがに、金につられて受け入れてしまったと言えないのか、ニーナは口ごもる。
「まあ、決まったことならいいけどさ」
シャーニッドはそう言うとライナのほうをむいた。
「まあ、自己紹介は前にもやってるけど、俺の名前はシャーニッド・エリプトン。四年だ。ここでは狙撃手を担当している」
「どうも」
シャーニッドはまた横になるとそのまま動かなくなった。
「おどろいたよ、ライナ」
レイフォンがライナの近くに来て言う。
「ああ、あの悪魔のせいだけどな。ただでさえ、睡眠不足だっていうのによ」
あくびしながら言うライナに、レイフォンは苦笑いを浮かべた。
「不潔です」
ライナは声のした方向をむくと、そこには綺麗な少女がライナを睨みつけていた。白銀の髪を腰元にまで伸ばしている。
彫刻を思わせるほど整った容姿をしており、透き通るほどに肌が白い。
「フェリ、何を言うんだ」
ニーナが注意するが、銀髪の少女……フェリは何も言わなかった。
「すまなかったな、ライナ。フェリは気難しいやつだが、悪いやつではない。そしてもうひとりいるが、今はすこし用事があって出ている」
まあ、すぐ戻ってくるだろう、とニーナは言い、剣帯に吊るされている二つの棒を抜き取り、両手で構え、右手でライナのほうに突き出す。
「そして、今から、貴様がわが隊においてどのポジションがふさわしいか、その試験を行う」
レイフォンの苦笑いがなお深まった。
「えぇ! 俺べつに、大会に出なくていいんじゃなかったっけ?」
「別に出さなくていい、というだけで、出すな、と言われてはない。
会長も言っていたが、わが十七小隊は人数の上限に達してない。そこでだ、ライナ。貴様にも、何かポジションについてもらうことにする」
「えぇー、まじかよ、そんなの聞いてないって。俺はただ、めんどくさいけど、レポートさえ書いておけばいいって話しじゃないのかよ」
「ごたごた言うな。さあ、好きな武器を取れ」
問答無用なニーナにライナは仕方なく、壁に立てられている武器から適当に手にとる。
刀だった。刃の長さが、ライナの体の半分ぐらいあり、ライナの猫背ぐらい反りかえっている。
レイフォンの視線が鋭くなったような気がしたが、ライナは気にしないことにした。
持ってみると、見た目より軽く感じた。両手で持って適当に振る。
「体は温まったかな?」
「まだ」
そしてしばらくして、ニーナがまたおなじ質問をするが、ライナもおなじことを言う。
そんなことを二、三度繰り返した。
「貴様はいつまで、素振りを続けるつもりだ、ライナ!」
しかし、ライナは反応しない。
「素振りしながら寝るな! この莫迦者」
ライナの左の頬に衝撃が走り、ライナは吹き飛ばされる。床を二、三度転がり、ようやく止まった。
ニーナは無理やりライナを立たせ、ニーナ自身は間を取る。
レストレーション、とニーナは小さくつぶやく。瞬間、ニーナの持っていた棒がふくらみを増し、光を吸い尽くすようなつや消しの黒が天井の光をはね返すようになった。
握り部分がニーナの手にあわせて最適化される。打撃部分に環状のふくらみがいくつも生まれた。
ニーナの両腕がだらりと下がる。音声による、錬金鋼の記憶復元による形質変化に、さらに重量までも復元させるのだ。
錬金鋼の色からして、黒鋼錬金鋼だとライナは思った。
黒鋼錬金鋼はほかの錬金鋼より頑丈なことがとりえで、叩き潰す類の武器に適している。
ニーナの使っているのは鉄鞭と呼ばれる武器で、その質量で敵を打ちのめす武器だ。剣や刀のように刃こぼれを気にする必要がなく、折れる心配もない。
自由に振りまわらせることもでき、受け止めることだってできる。
この使いやすさから、都市警察などにもよく使われていて、ライナも三○七号特殊施設にいたころ、都市警察を想定敵にして、よく鉄鞭を持った相手と闘っていたものだ。
「わたしは本気で行くぞ」
ニーナはそう言うと、右手の鉄鞭をふるった。鉄鞭の先をライナの額にむけて突き出してくる。
ライナが適当にうなずき、刀を構えると、いきなり間の取り合いもなくニーナが飛びこんできた。
右手の鉄鞭がそのままに突き出される。胸をねらった一撃をライナはすこし体を横にずらし、無抵抗に受け、そのままうしろに吹き飛ばされ、五回転ほど転がってから止まった。そして、ライナの体がぴくぴくと震えだし、やがて止まる。
「お、おい、大丈夫か、ライナ!」
ニーナがあわててライナの元に走ってくる。
「ニーナ、おまえ、まさか」
さっきまで寝転がっていたシャーニッドが言う。
「い、いや、ちがうぞ、先輩。わたしだって、入ったと思ったときは弱めたし、だいいち非殺傷設定だ」
「でもよ、ライナの吹き飛びよう、ただごとじゃなかったぞ、こりゃ、死んだか」
「縁起でもないこと言うな」
二人がごちゃごちゃ言いあっているところに、べつのほうから歩いて来る地面から振動があった。
「ライナ、いつまで寝てるの?」
レイフォンだった。
「寝てないよ。死んでるよ」
「死体が話すか!」
ニーナがライナのもとに来て言う。そのとき、ライナがいやな予感がして転がると、はげしい音が振動ともにライナを襲った。
ライナが目を開けてると、さっきまでライナの腹があったところに、鉄鞭が突き刺さっていた。危うく、本当にあの世にいくところだった。
見上げると、怒りで顔を赤くしたニーナが立っていた。
「まじめにしないか、ライナ」
「え~めんどい」
「めんどい、じゃない。さあ立てライナ、続きだ」
――こんなところもナルキにそっくりだ。
とライナは思った。
「さっき負けたじゃん、俺」
「まだ、できるだろう、ライナ。わたしの攻撃を受けて死んだふりができるぐらいならな。あとおまえがどれぐらい私の攻撃を受けて動けるというものも知りたいしな」
ライナの死んだふりが、ニーナの怒りに火をつけてしまったようだった。
「まあ、待て、ニーナ。落ち着け」
「いや、落ち着いている、先輩。ただこの莫迦者の能力を調べるためだ」
「それじゃ、こいつが死ぬぞ。それよりもだ」
シャーニッドはライナのほうをむいた。
「おまえさ、ローランド式化錬剄って、使えるか?」
シャーニッドの言葉にライナはおどろいた。ローランド式化錬剄のことは、他の都市には秘中の秘であるはずなのだが。
「使えないよ。というより、ローランド式化錬剄って、何?」
ライナは動揺を隠し、知らないふりをするしかなかった。
「……そうか、悪い。聞かなかったことにしてくれ」
「ローランド式化錬剄、ってなんですか?」
レイフォンが会話に加わってくる。
「何でも、ローランドに伝わる強力な化錬剄だそうだ。昔、聞いたことがあってよ。ローランド出身のやつが来てるんだから、ついでに聞いておこうと思ってな」
シャーニッドの話をレイフォンは頷きながら聞いていた。
「具体的に、どういうものなんですか?」
「ああ、何でも、空間に指先で剄を流して発動させるとか言ってたけど、よくは知らん」
「かなり面倒なことをするんですね」
「そういえば、レイフォン。おまえって、化錬剄って使えたっけ?」
「使えますけど、正直あまり得意じゃないです。僕は基本的に技の剄の流れを読み取って使いますが、化錬剄はそれだけじゃできませんから。
僕は化錬剄の基本を習っていないのがその原因ですけど。それに無駄な体力も使いますし」
ライナはふと、ニーナのほうを見ると、ニーナの顔が先ほどより赤くなっていた。今にも血管がぶちぎれそうだ。
「先輩、ほかに何もないのだったら、模擬戦の続きをやるので、口を閉じろ。レイフォン、おまえもだ」
地響きがおこりそうなほどのニーナの迫力に、シャーニッドとレイフォンはそそくさとわきにどいた。
そこで、訓練場の扉が開く。
「遅れてごめん。あれ、何やってるの? って、ライナ君! 新人? 武器も身の丈に合ってるけど、どこか構えがぎこちないし、もっと合ってる武器があるんじゃないの? ちがう武器でやらない?」
ツナギを着た少年が現れ、矢継ぎ早に言う。
ニーナの体が震えだした。
「ハーレイ。すこし、だまれ」
ニーナの迫力に圧されたのか、ツナギを着た男、ハーレイはレイフォンたちの元に走ってむかった。
ニーナはライナのほうをむいた。その顔には笑顔がありながらもあちこちに青筋が立ち、眼が笑っていなかった。
「さあ、続きをやろう。それと、次、死んだふりなどしたら、ただではすまさんぞ」
そう言いながら、右手の鉄鞭をライナのほうにむける。ライナはため息をつきながら、刀を構えた。
「では、行くぞ」
ニーナはそう言うと、間合いを計らず右の鉄鞭をライナの胸に突き出した。
さっきと同じ攻撃だ。このまま受けてもいいか、とライナは思った。しかしこの様子だと、倒れたところを押しつぶしてきそうだ。
さすがにそれは痛いし、このままだと何度もやらないといけなくなりそうで、それはかなりめんどくさい。でも攻撃するのもめんどい。
ライナは右に体をそらして避けた。ニーナはそれを見るや、突きを払いに変える。ライナは地面を蹴り、後退して避けた。
「二回目といえ、ニーナの攻撃を避けるとは、あいつなかなかやるな」
シャーニッドが口笛を吹きながら、何か言っているのが聞こえた。こっちは眠くて仕方がないというのに。
ニーナは今度は間合いを取る。ライナは今度は左で攻撃してくるのかと思ったが、そうしなかった。
きっと同じように避けられるのだろうと、ニーナが思ったからだろう。そしてライナの隙を作るためか、ニーナはすこしずつ位置を変える。
ニーナの突きの鋭さ、ライナに避けられたときに瞬時に払いに変える瞬発力、そして今度は慎重に間合いを計ろうとする判断力。
ニーナはそこそこの腕前だとライナは思った。だが、それだけだ。
再びニーナが突撃して距離を詰めている。
そしてニーナは左の鉄鞭を振り下ろしたものを、ライナは同じように左に避ける。ニーナは振り下ろした左の鉄鞭を身体を捻り払いにかえる。それを見てふたたびライナは退がる。
そこを、ニーナが右の鉄鞭で突いてくる。ライナはあわてたふうを装い前に転がりながら、突きを避け、ニーナのうしろに転がりこんだ。
ライナが頭を掻きながら立ち上がり、刀を構えると、ニーナが間合いを取っていた。
「ライナ、なぜおまえは転がったときに、攻撃しなかった? それで、おまえの勝ちだったはずだ」
「えぇ、そうだったの? 俺、攻撃が来たからとっさにやったんだけど」
――しくじった。
釈然としない様子のニーナを見て、ライナは思った。
前に転がらず後退しておけば、勢いをつけたニーナの鉄鞭が、そのままライナを突いて、それでライナの負けになっていたはずだったのに。
しかし、終わってしまったからには、どうしようがない。何とかして、ライナが負けても不思議ではない状況に作らなければならなかった。
「それでは、おまえから攻撃してこい」
ライナが、えーめんどいなあ、と言うと、ニーナが顔を赤くした。
「めんどい、ではない。貴様、なぜ武芸科に入ったのだ」
「ん~俺って、こんなんだから入れられたらしいよ」
「嘘をつくな! 貴様は、奨学金試験でAクラスを取っていて、さらに内力系活剄と外力系衝剄の両方修めているのだろう。そんな人間が、そんな適当な理由であるはずがない」
え、とつぶやくレイフォンの声が聞こえた。
――やっぱりやりすぎだったな。
とライナは思った。
さすがに、グレンダンに行きたくなかったというのがあったにせよ、ついつい書き込んでしまったは反省すべきだ。やっぱりがんばったら、ろくなことがない。
「ホントだって。その試験だって、テキトーにやったらそうなっただけだし、武芸は、ローランドだと剄脈のあるやつは全員強制だし」
「てきとうにやって、奨学金試験でAクラス取れてたまるか!」
ニーナがそう言うと、レイフォンが頷いていた。
「いやいや、ホントだって」
「もういい。貴様のその腐った性根を正してやる」
受けきれよ、と気難しそうな顔のニーナ言うと、気づけば間近に来ていた。
そして、ライナはあっけなく吹き飛ばされたのだった。
そのあと、気絶したライナをレイフォンに任せることにした。
ニーナは部隊の練習を終わらせ、生徒会室にむかった。
時間もかなり経っていたし、生徒会長にもいろいろ言いたいことがあったからだ。
気づけば、ニーナは生徒会室の前にたどり着いていた。
扉を激しくノックすると、部屋の中から、入りたまえと言うカリアンの声が聞こえた。
すぐにニーナは中に入る。
部屋には、執務机には笑みを浮かべているカリアンだけがいた。
今日は秘書もいないようだ。それだけ確認して、ニーナは執務机の前まで進み、そして執務机にこぶしを叩きつけた。
「会長、特別隊員の件のことですが、下ろさせてください!」
「いきなり机をたたきつけて、なんのようだね」
微笑の揺るがないカリアンに、ニーナは苛立ちがおさまらない。
「ライナの、やる気のなさ、です。確かに、以前機関部の掃除をしたときにもライナに会いましたが、それは機関部の仕事は夜遅くですし、疲れる作業なのだから仕方ないと思いました。
しかし、今日もそのときと同じような態度。とても、わたしの手におえるものではありません」
「それでも君以外に、十七小隊以外にライナ君を扱える部隊はないのだから」
「ですが……そもそも、なぜライナなのですか。ほかに人はいないのですか」
ふと疑問に思ったことだ。ライナのやる気のなさは、カリアンだって知っていたはずだ。それをあえて、特別隊員などというものに選んだのか。
ニーナが怒鳴るように言うと、さすがのカリアンもすこしまじめな顔になった。
「なぜ、ライナ君を特別隊員に選んだといえば、上級生だったら、ツェルニ内の武芸科独特の感覚が根づいている可能性があって、それでは特別隊員の意味があまりない。
かといって、下級生も、そもそも武芸科で生徒会に入っているものが、それほどいない。いることはいるが、下手をすると、自分は優れているからえらばれたんだ、だとか、これで小隊に入りやすくなった、と勘違いを起こす輩がでかねない。
それに対して君も知っているとおり、ライナ君はあのとおり、やる気がない。だから、そのような勘違いを起こさないであろうライナ君が、もっとも的確だと思ったのだよ。
やる気のないライナ君でも、とりあえず機関部の掃除で交渉すれば、ある程度仕事はやってくれるからね。
でもそうなると、彼だとやる気がなさ過ぎて、隊のメンバーと軋轢を生みかねない。
そこで同じ一年生がいて、かつライナ君が入って軋轢を起こしにくいであろう隊を考えた結果、十七小隊になった、というわけだ」
「ですが……」
ニーナは、カリアンの言葉にどこか穴があるように感じたが、どこが間違っているか、すぐに指摘することができなかった。
「それはさておき、正直なところ、ニーナ君はライナ君の実力をどう思ったのかな」
カリアンがいきなり話を変えてきて、ニーナはあわてる。しかし、ニーナはすこし考え、口を開いた。
「正直なところ、わたしはわかりませんでした。ただ、ライナは攻撃を受け慣れていると思います」
「それは、なぜだね」
「彼は、一度わたしの攻撃を受けながら、それほどダメージを受けているように見えませんでした。
そのあとも、わたしの攻撃をほとんど避けていました。ただ、ライナは一度も攻撃してこなかったため、その点についてはわかりません。
剄の量もそれなりにあるので、鍛えれば隊長クラスになると思うのですが」
「やる気がない、と」
カリアンの言葉に、ニーナは、はい、と言った。
改めて、ニーナはライナのことを考えると、不思議なことが多いと思った。
それに、レイフォンは、なぜライナが最初に倒されたときに、ライナが倒れたふりをしたのがわかったのだろう。
レイフォンとライナは同じクラスだから、授業で一緒になったときにも倒れたふりをしているのだろうか。
しかし、ニーナはそれも不自然だと思ったが、それはあとで、レイフォンに聞くことにしようと、ニーナは思った。
「あと、ライナはほんとうに、奨学金試験でAクラスを取ったのでしょうか。わたしにはとても信じられません」
「私もそこは気になっていてね。調査をしているが、今のところ、不正をおこなった形跡はない。これからも、もうすこしの期間、この件について調べるつもりだけどね」
「そうですか……」
――もしかすると、ライナは実力を隠しているのではないか。
そんな可能性に、ニーナは気づいた。そのとき、ニーナはひとつの可能性に思い当たる。
「会長、もしかして、ライナは汚染獣が襲ってきたときに表れた、黒い人なのですか?」
今までにも、レイフォンという前例がある以上、力を隠していることありえることだ。
それにその日、ライナはシェルターに入っておらず、見つかったのは図書館の外だとレイフォンから聞いた。
あのとき、小隊はおろか、ほとんどの武芸科の生徒は戦っていた。
その中で、黒い人は現れるのだ。小隊のメンバーではないだろう。だが、小隊のメンバーですら苦戦していた汚染獣を難なく倒し、汚染獣の群れに特攻できて、なお戦える人が、小隊に入っていないはずがない。
ニーナの言葉を聞いたカリアンは、顔を無表情にした。
「それは、可能性のひとつだよ、ニーナ君」
汚染獣との戦いに突如現れた黒い人をわれわれは、黒旋風、と呼んでいる、とカリアンは前置きした。
「そして確かに、ライナ君は状況証拠なら、黒旋風だよ。
だがね、物的証拠がない。肝心の黒い服が見つかっていないのだよ。それに武器のナイフも。
それに、念威端子にもその顔は映っていない。つまり、黒旋風は、念威端子に顔を映さないように戦った、というわけだ」
念威端子に顔を映さないように闘ったことに、ニーナは驚きを隠せない。
「ですが、念威端子にライナの眠っている姿が映っているのではないですか」
「確かに映ってはいる。それに画面に現れたのは、黒旋風が消えたあとだ。だが、それも状況証拠にはなっても、物的証拠にはならない。
それまでどこにいたのかたずねたとしても、教室にいた、と言われれば、それまでだ。確かに彼にはアリバイがないから、ライナ君に特定されるだろうが、私は確実にライナ君が黒旋風であるいう物的証拠がほしい。
私はライナ君がツェルニに来た理由を知りたいのでね。そしてライナ君の気分を害さないように隊に入れたい」
「だから、わたしの隊にライナを入れたのですか」
カリアンはにやりと笑った。
「先に言ったことも、もちろん入っているが、ほんとうの目的はニーナ君、君が思っているとおりだよ」
つまり、ライナを都市対抗の武芸大会に出そう、ということだ。実際は武芸大会というよりは、戦争なのだが。
確かにニーナたち、隊長クラスでさえ苦戦した汚染獣を圧倒した黒旋風を武芸大会に使いたい、というカリアンの気持ちはニーナにもわかる。
ツェルニの保有しているセルニウム鉱山は、あとひとつしかない状況ならなおさらだろう。
――でも、そんな怪しい者を使って大丈夫だろか。
ともニーナは考える。
それに、ローランドから来て、それほどの力を持っているのなら、誘拐などの犯罪をするのではないのか。
「君の考えていることは大体わかる。つまり、ライナ君が犯罪を犯すのではないか、というのだろう。それとも、ライナ君の裏の顔についてかな」
ニーナは背筋が震えた。ニーナは、カリアンに心をのぞかれているか、と錯覚しそうになる。
「だから、彼の目的を知らなければならない。そのための特別隊員だ」
そして、カリアンの顔が微笑に変わった。
「それにライナ君の目的は、それほど重い犯罪ではないと、私は思う」
カリアンの予想外の言葉に、ニーナは間のぬけた声を出した。
「それは、なぜですか」
「その理由は、二つある」
カリアンはそう言い、指を二本立てた。
「ひとつは、彼が黒旋風、として出てきた可能性が高いことだ。そのことによって、自分の正体がばれてしまう可能性のほうが高い。
その危険性を考えれば、よほどのことがないかぎり、出てくることはしない。シェルターに隠れていればよかったはずだ」
カリアンは、そこで言葉を切り、そしてすぐに、カリアンは口を開く。
「もうひとつは、ライナ君のあの、やる気のない性格だ。あんな性格であの試験結果なら、人から怪しい、と言ってくれというようなものだ。
ただでさえ、ローランド出身だと言うだけで怪しまれるのに、これ以上の怪しまれるような要素を入れるというのは、自分が動きにくくなるだけだ。本来、あの成績だとするなら、まじめな性格にしたほうが怪しまれにくくなる」
「ですが、ライナはいまの、特別隊員になるためなのではないでしょうか?」
ニーナは自分が言ってから、自分の発言がすこしおかしいのではないかと思った。
「もしかしたら、そうかもしれないが、それならば何のために特別隊員になろうとする理由が、今のところわからない。
それに特別隊員という発想が出たのは、汚染獣が襲ってこなければなかっただろう。彼に汚染獣を操る力があるのなら、話は別だが。
それより、はじめから普通に小隊に入ろうとすればいい。汚染獣を相手に互角以上に戦える力があるのなら、そのほうがはるかに早い。
ある程度力を抑えても、ほとんど問題はないだろう。レイフォン君みたいに」
それもそうだ、とニーナは思った。
「ですが、ライナがわたしたちが考えていることを想定しての判断だとしたら、どうですか」
「ニーナ君、それは考えすぎだろう。それにそこまで考えたらきりがない。まあ、君がそこまで考えるのも、無理はないが」
都市間犯罪、特に武芸者の誘拐、データコピーによる不正の持ち出しなどの犯罪で、全体の三割以上がローランドが関わっている、と言われている。
その情報が、反ローランド同盟と呼ばれている組織からの情報なので、どこまで信頼できるかわからないが。
しかし似たようなことが教科書に書かれていることもあったり、犯罪者を捕まえてみれば、ローランドから来た人だった、と言う話を同級生などから多くの話を聞いた。
ツェルニに来る前からいろいろな人の話を聞いて、ローランドの悪事をたくさん聞いていたり、と偏見もまじっているだろうが、ニーナはローランドという都市にあまりいい印象を抱けなかった。
――しかし、あのライナがほんとうに犯罪行為をするのだろうか。
先ほどは不審に思っていた。しかし今思えば、とてもそんなことをするようには見えない。それも演技だというのだろうか。
だが、カリアンもそれほど大きな犯罪に関ってはいないだろうと言う。それが事実なら、ライナのことを気にする必要はない。
それどころか十七小隊の戦力強化になり、最強の小隊にできるかもしれない。あるいは都市対抗の武芸大会でも有利に闘えるのかもできるかもしれない。
とはいえ、カリアンの言うことも、どこまで信用していいのだろうか。
ニーナは思考の迷路に迷いこんでしまった。