ライナは力を使い果たしたように机に伏した。
眠い。とてつもなく眠い。ただでさえこの二泊三日の合宿でろくに寝ていないというのに、学校にきて早々非常用訓練のしおりなんて配らなきゃならないんだ、とライナは思う。
「ライナ、大丈夫?」
レイフォンが心配そうに声をかけてくる。ライナはわずかに顔を上げ、レイフォンのほうをむいた。
「ありがとうな、レイフォン。……おまえだけだよ、俺を心配してくれるのは」
ほかの連中といえば、怪しげな提案をしてきたり、そいつが言った戯言を真に受け、根掘り葉掘り聞いてくるやつとかばかりだ。
「ていうか、ラッりゅってただしおりを配っただけじゃん」
しかもほとんど委員ちょがやってたしと、言葉を続ける空気を読まないやつがまたひとり。
「だぁから、なんで朝っぱらからそんな疲れることやんなくちゃいけないんだよ」
ライナはミィフィのほうをむいて言った。
「でもなんだかんだ言ってラッりゅ、委員ちょの手伝いしてるじゃん」
「てか委員ちょってなんだよ、委員ちょって」
「だって委員長っていう言葉の響きってさ、堅いと思わない。委員ちょだったら可愛いじゃん」
「いや意味わかんないんだけど」
「そういうものなの」
ミィフィのわけのわからない言葉にライナはため息をつかずにはいられない。
「で、さぁ。ラッりゅっていつの間に仲良くなったの、委員ちょと?」
「普通に生徒会の仕事で話しただけだって」
「ほんと? それ以外になんかない?」
「あるわけねーだろ」
「またまた~」
いい加減ミィフィとの会話がめんどうになってくる。
「はは~ん」
しばらくライナが黙ってると、そう言ってミィフィはなにかたくらんでいるような笑みを浮かべる。
「もしかして、惚れた?」
「は……」
ライナはさらなるミィフィのわけのわからない言葉に混乱した。なにか動いた物音が聞こえる。めんどいから気にしないが。
「だってさ、めんどいめんどい、って言ってながら、なんだかんだで手伝ってるじゃん」
ライナは大きくため息をついた。
「だってさ手伝わなかったら、サミラヤにチクられるじゃん。そうするとあとですげぇめんどいし」
「それにライナ、いつもそんな感じだよ」
僕が入院したときもなんだかんだ来てくれるし、とレイフォンが口をはさんでくる。
「たしかにいつもそうだな」
ナルキもうなずきながら言った。
ライナとしては昼寝さえできてればいいのだが、いろいろとめんどくさいことが次々とやってくるのだ。
ライナが入学式に行かなければ、こんな日々を送ることはなかっただろう。それがいいのかどうか、いまのライナにはわからないが。
「ということは、ライナはダルデレってことだね」
「ダルデレ?」
ミィフィがへんな単語を言うと、レイフォンが首をひねる。
「いつもはだるいとかめんどいとか言ってるけど、なんだかんだで助けちゃうの」
「あ~なるほど」
そう言ってレイフォンとナルキは何度もうなずく。
「いや、べつになんもなかったら寝てたいんだけど、俺」
「はいはい、ダルデレダルデレ」
適当に言うミィフィを無視してライナがしおりを開いたとき、廊下からけたたましく鳴るベルのを音が聞こえた。
「ひゃっ」
「はじまったねぇ~」
耳に響く機械音に驚くメイシェンとのんびりと答えるミィフィ。
非常訓練がはじまるのか、とライナは思った。
教室は雑談などをしていた雰囲気から一変し、緊張感がみなぎる空気と変わる。 委員長が立ち上がり、生徒を廊下へ先導するため、声を上げた。
「外縁部B区より都市接近を確認! 接触までの予測時間は一時間!」
非常ベルとともに、スピーカーからそんな声が繰り返されている。
今回は山岳地帯に邪魔されて発見が遅れたという設定だ。本来、視界が開けた場所ならもっと余裕を持って対処できるらしい。
「がんばってね、ライナ君」
「おう、そっちもがんばれよ」
「ありがとね!」
委員長がそう言うと、廊下へ消えていく。
ライナはにやにやとした笑みを浮かべているミィフィなど見なかったことにした。
「……じゃ、行ってくる」
ナルキが立ち上がり、レイフォンもそれに釣られて立ち上がる。
「気を、つけてね」
「こっちはひとっ飛びだよ。メイシェンたちこそ気をつけて」
「非常訓練で怪我なんてするわけないって」
レイフォンの言葉に、ミィフィは笑いながら言う。
「じゃ、がんばってきてね~」
「ライナもこっちだよ」
そう言ってレイフォンはライナの腕を取る。
「ちょ、まッ!」
ライナがそう言ったときには、窓から外に出ていた。
ライナはあわてて態勢を立て直し、先に行っているナルキに追いつくためすこしだけ活剄を高める。
ナルキは、はやい。小隊に入っていることあって、おなじようにまわりで跳んでいる武芸科の一年を続々と追い抜いていく。それでもレイフォンとライナには追いつかれるが。
「フェリ先輩を拾ってくるよ」
そう言ってレイフォンはライナの腕から手を離し、跳躍。二年生の校舎へむかっていった。
「さっさと行くぞ、ライナ……って、寝るなッ!」
そう言ってナルキはライナの頭を叩き、レイフォンからバトンを受け取るように腕を取った。そして、跳ぶ。
「まったく、おまえときたら……」
そう言ってあきれたようにナルキはため息をつく。
「べつにいまさらじゃん、こんなの」
「自覚してる分、もっとたちが悪い」
ナルキは前をむきながら、言葉を続ける。
「それはとにかく、おまえが合宿の間もおまえの言うとおり錬金鋼の電流を流す鍛錬をやったぞ。
電流を流し続ける時間は連続で五秒が限界だったが」
落胆ぎみにナルキは言った。
ライナはまわりを見回し、こちらの会話に聞き耳を立てていないか気を配る。特にライナたちに注意をむけている様子はないことにライナは安堵をため息をついた。
「べつにあわてることじゃないんじゃない。あわてたって、できるようになるわけじゃないし、それにはじめて一週間で五秒だったら、そんなに悪くないと思うし」
「じゃあライナはどれぐらいでできたんだ、この剄技」
ライナは心臓をにぎりしめられたような気がした。大丈夫だ、とライナは自分に言い聞かせる。この質問はただの雑談の類だ。
「……まあ、そんなにかからなかったと思うけど」
「むぅ」
大丈夫か、とライナは思う。見たところ疑問に思っていそうな様子はない。
「……ライナ、すこし相談があるんだが」
「……ん?」
ナルキは声を低くして尋ねてくる。そしてまわりが聞き耳を立てていないことを確認してナルキは口を開く。
「あたしを、もっと強くしてくれないか?」
「え~めんどい。それにそういうのは、レイフォンの役割だろ」
「レイとんはただでさえここのところ訓練で忙しいし、それにライナの戦闘スタイルはあたしのと似てると思うから参考になるものが多い、と思う」
ここのところ、レイフォンに個別訓練をつけてもらいたがってくる学生が増えてきた。
はじめのうちはニーナが対応していたが、そのニーナがここのところ小隊長たちとの戦術研究などで忙しくなってきたため、ここしばらく直接レイフォンに頼みこむ生徒が増えてきたのだ。
さすがのレイフォンも、そのつどいちいち場所を探すのが面倒なのか、三日に一度、自由参加で放課後の体育館で行なうことになった。
ナルキの言う訓練は、それのことだろう。
「で、なんでいまさらそんなこと思うようになったの?」
「む……それはだな……おまえと鍛錬してて思ったんだ」
――――あたしは、弱い。
そうナルキは言った。
「それをいやでも認識させられた。いやわかってはいたんだ、そんなことは」
そう言ってナルキはため息をつく。
「あたしは、活剄には自信があった。
こうやってほかの一年よりはできてるといまでも思ってるが、到底おまえやレイフォンには及ばない。
おまえがレイフォンと互角に闘えているのも見ているし、老生体相手に三日も持たせるんだから差があるのは当然なんだ」
徐々にナルキの声がなにかに怯えていくように震えてくる。
「それでツェルニにいる六年間で、その差をどれだけつめれるのか。そう考えたとき、あたしは恐ろしいことに気づいた。
もしも、あたしが都市警に入って犯罪者と退治したときに、犯罪者がおまえやレイフォンぐらいの強さだったらどうなるんだろう」
「……」
「答えは、すぐに出た。あたしはなにもできないで殺される。何度シミュレーションしても、答えは同じだった。
ならミィやメイがそんなやつに襲われたらどうしようもない。
そのことに気づいたとき、あたしは恐怖で心がおかしくなると思った。身体ががたがた震えてとまらなかった」
そう言うナルキの腕から、ふるえがライナに伝わってきた。
「可能性はかなりすくないと思う。でもグレンダンにはレイフォンクラスのやつがほかにもいて、おまえの幼馴染や先生だっておまえぐらい強いんだろう」
めんどいことばかり考えている。そうライナは思った。しかしありえないわけではない、とも思う。
少なくとも幼馴染たちはライナより強いし、あのこあのこ連呼するやつはライナと同じぐらい強かったし、ラッヘル・ミラーなんかはとんでもないほど強い。
「だからあたしはもっと強くなりたい。おまえほどとは言わない。すくなくとも、おまえ相手でも十五分は持たせたいんだ。それぐらいもたせれば増援がくると思う」
ナルキの思いが、痛いほど伝わってくる。
だからこそどうすればいい、とライナは思う。これ以上近づいてもいいのだろうか。
どうせまた裏切られるに決まっているのに。アルファ・スティグマのことを知ったら、化け物だと罵るだろうに。
だいたいあの特殊施設の少女やビオがおかしいのだ。幼馴染たちやジュルメたちだっておかしいのだ。
――――ライナ・リュートは、化け物なのだから。
教えなくたっていいじゃないか。適当になぐさめればナルキだって納得するはずだ、と思いつつも、ライナは心の中でため息をつかずにはいられなかった。
「……すこし、考えさせてくれない」
「わかった。無理とは言わないからな、ライナ」
ナルキが安心させるように笑いながら言ったとき、レイフォンたちが合流してきた。その腕にはフェリを抱えている。
思ったよりはやい。武芸者が本気の速さで動いたとき、念威操者は風圧や衝撃で大怪我を負いかねない。そのため念威操者を抱えて出せる速度など知れている。
そしてすぐにBと割り振られた外縁部が見えてきた。
ここに全生徒が集まるわけではないが、それでもある程度地面を埋めるぐらいはすでに集まっている。
集まってくるのは前線部隊が大半で、編制が決まれば前線部隊とはべつの攻撃部隊も別の場所に集まるらしい。
ニーナの姿を見つけたのは、外縁部に到着したとほぼ同時だった。
「来たか」
ニーナが言った。ニーナ自身も到着したのはライナたちとそれほど変わらないのか、かすかに顔が赤い。
「ライナもいるようだな、よしよし」
「僕がひっぱってこなかったら、そのまま教室で寝てたと思うけど」
「だってさ避難訓練なんて眠いし疲れるしめんどいし。それだったら寝てるほうがはるかにいいしな」
今日のやる気のなさはいつもの倍はある、と思ったときには、ライナは宙を舞っていた。真上に舞ったライナはそのまま同じ場所に落ちる。
「まったく、もうすこしまじめにしないか、ライナ」
「……そういうことは投げる前に言ってほしいんだけど、ナルキ」
受身はとっていたのでそこまで痛くはないが、さすがに突然なことに驚く。そういえばさっきまでナルキの腕を取っていたことをいまさらだが思い出した。
「お、やっぱおまえらか」
そう声をかけてきたシャーニッドが近寄ってきた。
「ライナが空を飛んでるのが見えたから来たんだが、正解だったな」
「そうでしたら、ライナを投げたかいがありました」
若干ひどい会話が行なわれているのを横目にライナは立ち上がり、ほこりを払う。
ダルシェナもいるようだが、一度ライナを胡散臭そうに眼をむけると、すぐにニーナのほうに視線を移した。
気づけば十七小隊が指揮する予定の武芸科生徒が集まっている。ときどきむけてくる視線はダルシェナのそれよりひややかだ。
――――戦争か……。
ライナは整列した武芸科の生徒たちを見ながら思う。
名目上は都市対抗の武芸大会となっているが、実質は戦争である。ただ、人死がでないだけだ。
それが学生たちにとって幸運なことなのか、ライナはわからない。
ただ一秒でもはやく戦争期が終って思う存分眠りたいな、とライナは思った。