ツェルニの暴走がおさまって一週間とすこし経つ。そのあいだ、ツェルニは平和だった。
できごとといえばせいぜい、隊長たちが集まって紅白戦が行なわれていたぐらいだ。ニーナは十四番隊の隊長には勝ったものの第五番隊の隊長に負けてしまったが。
そんな日々のなか、ライナはレイフォンたちに伴われ、錬武館にやってきていた。
「いいのか、ライナ?」
一緒に伴ってきていたナルキが言った。
対抗戦が終ったからなのかいつもよりは静かな錬武館ではあるが、それでも十分にうるさい。
「べつにいいけどさ。まあ、さっさと終らせて寝ることにしよう」
そう言ってライナは、錬武館の扉に手をかけるレイフォンを見た。
本来なら今日は小隊練習も生徒会も休みなのだ。
ニーナは各小隊の隊長たちが参加する練武会に出ていて、シャーニッドは砲撃部隊の編成に呼び出されていて小隊練習に出られない。
フェリさえも、念威操者同士の役割がどうのこうので来れないらしいのだ。
ダルシェナはどうしているかライナはしらない。
生徒会は、ここ最近ライナはずっと生徒会に出ているため今日は出なくていい、とカリアンが言った。
戦争が近いはずなのでいろいろやるはずなのだが、生徒会の合宿も近いし、まあいいか、とライナは気にしないことにする。
サミラヤの複雑な感情のこもった視線が若干こわかったが。
だから本来、今日ライナは授業が終わったあとずっとベットに入って朝までぐっすり寝ている予定だった。予定が変更になったのは昨日の夜。
寝る前にレイフォンと話をしていて、小隊練習も生徒会もないぜいやっほぅ、と言っていたら、レイフォンからひとつの提案があったのだ。ナルキに化錬剄を教えてあげてくれと。
なんでそんなことを考えたんだ、とライナが聞くと、なんでもナルキの入隊試験のときに化錬剄を身につけたらおもしろいだろう、と思ったそうだ。
確かにナルキは長身でありながら身軽で、さらに武器は取り縄と打棒というさまざまな攻撃法のあるふたつの武器を使う。
そこに化錬剄が加われば、攻撃の手段はより多彩になることが容易に想像できた。
最初のうちはライナも気分が乗らなかったが、汚染獣との闘いのときに助けられた借りがあるわけもあって、首を振ることはできなかった。まあ、人になにかを教えることは嫌いではない。
そういったことで、ライナはレイフォンの提案を受け入れたのだ。
場所については、話を盗み聞きされにくいことや実際に化錬剄を使うことを考えて錬武館ですることになった。
錬武館の中に進み、だれもいない部屋に入る。
「じゃ、まずは基本知識からやろっかな」
「そこからなのか?」
はじめから化錬剄の練習に入ると思ったのか、ナルキは意外そうな表情を浮かべる。
「これをわかってるのとわかってないんじゃ使うのにも影響が出てくるしね」
アルファ・スティグマを持っていれば話はべつだが。
納得したのか、ナルキとレイフォンは適当に座りこみ、ライナのほうを見た。
まわりから聞こえてくる訓練音を背景曲にして、ライナは口を開く。
「レイフォン、おまえも座るのかよッ!」
正直、ハーレイのところにナルキの錬金鋼の製作を依頼しに行ったときに自分の錬金鋼を頼まなかったので、レイフォンは適当に練習するのかとライナは思っていた。そんなことはなかったようだが。
「僕も化錬剄のことをもっと知りたかったからね」
にこにこしながら言うレイフォンを見て、ライナはため息をつきたくなった。
もしかしてレイフォンは、ローランド式化錬剄を使ってみたくなったとか。まさかな、と思いながらライナは話を続ける。
「まあ、いいや。それじゃはじめるかなぁ」
「お願いする、ライナ。いや先生」
ナルキの送ってくるまっすぐな視線に、ライナはたじろぎそうになる。
「……めんどくさいからさっさとはじめるよ。
剄は大きくわけて、外力系衝剄と内力系活剄のふたつになるってのは、当然わかってるよね」
「あたりまえだろう、あたしたちを莫迦にしてるのか、ライナは」
はやくも怪しいものを見るような視線を送ってくるナルキに、ライナは早くも心が折れそうになった。軽くため息をつく。
「はぁ……この二種類の剄を変化させることで化錬剄になるわけなんだけど、なんで化錬剄が難しいといわれてるのか、ナルキはわかる?」
「え、えっとそれは……剄を変化させるからか」
「それじゃ言葉が足りない。普通の衝剄や活剄だって多かれ少なかれ剄を変化させるよ」
ライナがそう言うと、ナルキは唸りはじめた。
「剄の性質を変化させてるから難しいんだ」
レイフォンが言った。ナルキははっとしたように顔を上げる。
「僕はその基本ができてないから苦手なんだよね」
「てかそれであの千斬閃を使えるってどんだけだよ。あれも化錬剄だろ」
ライナもアルファ・スティグマで解析しただけだが、かなり複雑な剄の流れをしていた。
「あれはそこまで化錬剄の基本に忠実じゃないから」
レイフォンはルッケンス格闘術を習ったことがないらしい。
それでも習得できるのは、技を使うときに起こる剄の流れを再現できるからだ。
そして再現していく内に自分の技にしていくとレイフォンが前に言っていたが、アルファ・スティグマなしでそこまでできることに驚いた。アルファ・スティグマが異常なだけだが。
これでライナが化錬剄を教えたらレイフォンには死角がなくなりそうだ。末恐ろしいが、ライナは気にしないことにしようと思った。
「まあいいや。レイフォンの言葉につけくわえるなら、普通の衝剄とかを発動するときとはまったく違う変化をくわえなきゃならないから難しいんだ」
通常、衝剄にしろ活剄にしろ、発動したい剄技に必要な剄の量を使う部位に送りこみ、そして外に放つか肉体へ作用させる、というふたつの工程を行なうことで剄技が発動する。
化錬剄はこれに剄の質を変化させる、という過程をくわえることで発動できる剄技だ。
そこまでライナが言ったとき、ナルキはなるほど、とうなずいた。
「それでどうやったら剄の質を変化させるんだ」
「剄を流すときにこれから起こそうとする現象を強く思念、つまりイメージするのがコツかな。その現象の大きさなり感触なり、性質とかいろいろ」
剄の量などにもかかわってくるが、強く思念できればできるほど化錬剄は強くなる。そここそが化錬剄を覚える上で要になる。
ライナがそう言うと、ナルキは眼を丸くした。
「そんなことでいいのか……」
「そんなことだよ」
そんなことが普通ならとても大変なことなのだが。
じゃ、いまから実演するから、とライナは言って紅玉錬金鋼を展開する。
錬金鋼をナルキたちに見えるように前に突き出し、剣先にこぶし大の火の玉を作った。
「これが化錬剄を使う上で基本中の基本の剄技」
ものめずらしそうにナルキは火の玉を見ている。
そんなナルキを見て、ライナはひとつ気になることを見つけた。
「ナルキってさ、どのくらい強くなりたいの?」
ナルキはライナを見た。
「それは……」
ナルキはぽつりぽつり語りだした。
戦争の制度に疑問を持ったこと。それを親に話したら学園都市へ進学することを勧められたこと。いまは警察の仕事に憧れを抱いていること。
ライナはナルキのを話を聞いて、すこし回転させることになれた頭で思考する。すぐにある程度の計画を立てた。
「じゃあさ、この技を覚えるよりはこっちの技のほうがいいかな」
ライナは火の玉を消し、刃先に青白い光が走り出す。それを見た瞬間、ナルキの眼が鋭くなった。
「これが武器に電流を流す剄技。見たことあるよね」
「幼生体と闘ったときのやつか」
ライナはうなずく。
「だがこれでは斬り味がよすぎるんじゃないか?」
「ちゃんと電流を流す量を調節すれば大丈夫だよ。それにこれを応用して敵に電流流せば大抵それで倒せるし」
身体に電撃を与えることで殺さずに相手を無力化できる剄技を覚えることは、警察を目指すのなら覚えて損はないはずだ。
ライナ自身も電撃系の化錬剄である稲光が得意だった。
「じゃ、さっさとはじめようか」
「ちょっと、僕は?」
レイフォンがあわてたように言った。
「ってか、おまえ紅玉錬金鋼ないだろ。鍛錬できないじゃん」
「あるよ、ここに」
そう言ってレイフォンは錬金鋼をひとつ取り出し、復元した。紅玉錬金鋼の剣。
「こんなこともあると思って、ハーレイ先輩に前もって作ってもらってたんだ」
ライナはため息をついた。だから今日錬金鋼を作ってもらわなかったのか。
「おまえってさ、やけに準備いいよな」
「……もしかして僕に教えるのいや?」
「いや、って言うかさ。そんなんじゃないって言うかさ」
淋しそうな表情を浮かべるレイフォンに、ライナは息を吐いた。
「わかったわかった。教えるって」
「ありがとう、ライナ」
うれしそうに笑うレイフォン。ライナはふと視線を感じた。
「なんというか、ライナとレイフォン、二人前より仲良くなってないか?」
「そうかな」
「俺はよくわかんないけど」
老生体との闘いのあとから、レイフォンは積極的にライナに話しかけてくるようになった。
ライナとしてはそれほどいやというわけではないからそこまで気にはならない。
休みの日に外へ遊びに誘おうとさえしなければなおいいのだが。
「それはとにかくさ、レイフォンはとりあえず火の玉を作る練習をすればいいんじゃないか。
あれができるようになればレイフォンだったらほかの化錬剄もあっさりと覚えそうだし」
「わかったよ」
レイフォンはどこか残念そうに言い、剣をかまえた。
千人衝が使えるぐらいなのだが、レイフォン自身が化錬剄の基礎ができていないと言っている以上、基本からはじめるべきだろう。
「ナルキもさっさとはじめようぜ」
不審感のこもった視線を気にせずライナは言った。しぶしぶナルキは錬金鋼を展開する。握り慣れていない複合錬金鋼を応用したという打棒を身体の前に持っていく。
そのまましばらく、ナルキは同じ態勢を保ち続けた。しかしいっこうに電流が刀身を走るようすはない。
先にレイフォンの剣先に火が灯る。
「できたよ、ライナ。次はどうすればいい?」
「次はそのできた火を手で囲うぐらいの大きさまで大きくする。そこまでできたらライターと同じぐらい小さくする。それもできたら、火の色を変える。火は燃えるものや酸素の量とかによって色が違うからいろいろと変化させられるんだ」
このさまざまな変化をできることこそが、化錬剄においてこの剄技をはじめにならう理由である。
変化させることに馴れさせることでほかの化錬剄を覚えさせやすくなるのだ。
ナルキに電流を流す化錬剄をはじめにさせた理由は、ナルキが覚えるべき化錬剄が少ないと思ったからだ。
単純に考えて、ナルキが使う化錬剄は電撃系の化錬剄と化錬剄の残像や武器などを長くするぐらいなものだろう。わざわざ遠回りする必要もないはずだ。
「わかったよ、ライナ」
そう言ってレイフォンは剣先に集中した。
十分ほどするとライナの眼にもわかるほど火の玉は大きくなっていく。
――――やはりレイフォンは器用だ。
ライナは思った。
火を灯すだけでもはやい人だと半日はかかるはずだ。それから大きくしたり小さくしたり、といったことをするのに三日。色まで変えるとなると、それ以上に時間がかかる。
千斬閃を使えるぐらいだからあっさりとできるようになるとライナは思っていたが。
「なあ、ライナ。ぜんぜんできないんだが」
ナルキが渋い顔をして言った。打棒を持った腕も下りている。
「そんな簡単にできたら、苦労しないって」
正直なところ化錬剄で電流を流すのは、正直火を灯すよりは難しい。
本来なら縄を長くしたりしたほうが簡単なのだが、いまからべつの技に変える、と言うもの中途半端になるだけだ。
「まあ、それもそうなんだが……」
そう言ってナルキはレイフォンのほうを横目で見る。レイフォンの火はすでに手で囲うぐらいの大きさになっていた。
「あれは反則だから」
なぐさめるようにライナは言った。いろんな意味でレイフォンがおかしいのだ。
「わかった」
そう言ってナルキは錬金鋼を前に構えた。
いきなりこの剄技は難しかったかな、とライナは思った。
ライナはアルファ・スティグマがあるため化錬剄を覚えることができない、という感覚がよくわからない。
とはいえ教えるとなれば、相手にとってはライナの都合などどうでもいいはずだ。ましてや、アルファ・スティグマのことを秘密にしているからには。次はちゃんと考えてやろうとライナは思った。
「まあ、あわてなくていいって。ゆっくりすこしずつやればできると思うから」
「そうだよ、ナッキ。あわてたらできるものもできないよ」
レイフォンが言うと、ナルキはため息をついた。
結局この日、ナルキは覚えることができないまま時間が過ぎていき、錬武館の閉館時間が刻一刻と近づいてきた。
「なあ、もうそろそろ帰らない。さっさとベットに入ってすぐにでも寝たいんだけど」
「まだだ、まだあたしはやれる」
「でもさぁ……」
思いのほかに強情なナルキにライナは頭をかかえたくなった。
すでに炎の色を変える段階に入っているレイフォンに負けず嫌いがでてきたらしい。俺はぜんぜんナルキのことを知らないのだな、とライナは思った。
「まあ、ライナ。もうすこし時間があるんだから」
「はぁめんどいなぁ~~」
ライナはナルキを見た。
ナルキの表情には疲れの色が隠せない。ずっと剄を錬金鋼に流したままなのだから当然だが。
しかしこれほどの時間ずっと鍛錬しているのだから、もうそろそろ変化のひとつあってもいい。
そう思い、ライナはナルキたちに気づかれないように瞳に朱の五方星を浮かび上がらせ、錬金鋼に注目する。
錬金鋼に剄が集まり、変化しよう動いていた。それをコントロールしようとナルキの腕に力が入る。
思っていたより成長していることにライナは感心しているとき、ナルキが持っている錬金鋼に、一筋の青白い光が走った。
「やった……」
ナルキはそう言ったあと、気が抜けたのかそのまま崩れ落ちる。
とっさにライナはナルキのそばに近寄って抱きかかえた。
「ラ、ライナ」
「まったく、これだからとめたのに……」
「大丈夫、ナッキ」
レイフォンが近寄ってくる。
アルファ・スティグマを発動させていることを思い出し、あわててアルファ・スティグマを止めた。いまさらながら、こんなことでアルファ・スティグマを使うことになるとはライナ自身信じられない。
ばれたらすべてが終ってしまう以上、もっと気をつけないと。
「大丈夫だ。ちょっと疲れただけ」
そう言ってライナの腕から離れようとするナルキをライナは抑えた。はずかしさからかナルキの褐色の頬が赤く染まる。
「な、なななななな」
「立つだけで限界だろ、無理するなって」
慣れていないことを何時間も休むことなくやり続けていたのだ。
たいして動いていないとはいえ、何時間も同じ態勢でいることもかなり体力を消耗するうえに相当な剄を使っている以上、身体を動かすのも難儀だろう。
ライナはそう言うと、抱えているナルキを背負うかたちに変えた。背中で暴れるナルキだが、力が弱い。小さな二つのやわらかいものがライナの背中に密着しているのがすこし気になるが。
「ちょ、ちょっと待てライナッ! なにやってるんだッ!」
「はぁ……じゃあレイフォン。俺はナルキを寮に送ってくるから、先に帰ってくれないか」
「いいの、ナッキを任せて」
「だってさ、おまえがさっさと帰ってご飯作ってくれないと、俺困るし」
「あたしの話を、聞け」
背中から聞こえてくるナルキのあせった声。仕方なくライナはナルキのほうに意識をむけた。
「だからなんでライナがあたしを背負って帰ることになっているんだ。あたしはひとりで立ってられる」
「無理だって。それぐらい見ればわかるし」
「むぅ……。だが、それなら保健室で休めばいいだろう。少しすれば歩いて帰れるぐらいにはなる」
「いやだって俺さっさと帰ってベットに入りたいし」
「そ、そうだ、あたし汗くさいだろ。シャワーを浴びないと」
「そんなに動いてないから汗なんかかかないって」
それにうしろから漂ってくるにおいは、そんなにわるいものではない。
ナルキの反論を聞き流し、ライナは扉のほうに歩き出す。レイフォンも並び、外へ出た。
「じゃあ、先に帰ってる。腕によりをかけて作るから、夜ご飯は楽しみにしてて」
「あぁ、楽しみにしてるからなぁ」
ライナが言うと、レイフォンは走りさっていった。ライナもナルキたちの寮のほうへ足をむけ、歩き出す。
さっきから、一言もナルキは口を開かない。正直、ライナもやりづらいのだが、なにを言っていいのかわからなかった。
錬武館を出るまで気にしなかった。しかしいまはナルキの身体と密着している部分が熱を帯びている気がする。背中でナルキの心臓の鼓動が、ライナの心臓をはやくしていく。
武芸者だから鍛えていると思ったけど、女性特有のやわらかさというものは、けっして失われないものだな、とライナは思った。
不思議な空気だ。はずかしいような、くすぐったいような。しかしけっしていやではない。
そんなライナたちを、沈みかけた陽がやさしく照らしてくる。
「ライナは……」
このなんともいえない空気の中で、ようやくナルキは口を開いた。
「ライナは恥ずかしくないのか。あたしを背負って帰ることに」
ようやくナルキが背負われてかえることを嫌がっていた理由をライナはわかった。
いままではナルキの体調のことばかり考えていただけに盲点だ、と思う。
「いやか。いやだったら、いそいで帰るけど」
「保健室に行くっていうことは思わないのかッ!」
「だぁからそんなのめんどいって言ってるだろ」
「それだったら、あたしを残して帰ればいいだろう」
「それでナルキになにかあったら、あとでめんどいからなぁ」
ミィフィたちに怒られて、レイフォンの飯が食えなくなるのが眼に見えている。 それに掃除や洗濯もしてもらえなくなると、すごくめんどい。
「……まったく、おまえときたら」
あきれたようにナルキはため息をつく。
とはいえ、ライナが歩いているとおりはそれほど人通りが多いわけではない。
「だったらさ、殺剄すればいいじゃん。そうすれば気づかれなくなるし」
「むぅ……」
恥ずかしそうに言うナルキにライナは、めんどくさいなぁ、と思いため息を洩らした。
「じゃ、人がいない道をとおるかな」
そう言って、ライナは気配を探った。
ナルキの住んでいる寮はなんとなくわかっているし、あとは人がいない道を選んで進めばなんとかなるだろう。
交差路に行き当たったところでいったん立ち止まり、ライナは人がいないだろうと思う右に折れた。
「おいそっちは違うぞ」
「大丈夫だって、場所がわかってるんだから、方向さえわかってればたどり着けるはず」
「ほんとうか?」
心配そうに聞いてくるナルキに、大丈夫大丈夫とライナは笑って語りかける。
「それにいざとなったら、どこか高いところに行けばなんとかなるし」
「そんな適当でいいわけあるかッ!」
耳元で怒鳴らないでほしいとライナは思うのだった。
「静かにしろって。人に気づかれるぞ」
「す、すまない」
ナルキは一度咳きこみ、呼吸を整える。
「……ライナは殺剄が得意なのか?」
「まあ、餓鬼のころに徹底的に鍛えられたからいやでもできるようになるよ」
「ライナは……どんな風に鍛えてたんだ」
「俺? そうだなぁ~~」
そう言って、ライナは黒く染まっていく空を見た。
「俺が孤児だったって話はしたよな。そこで死ぬかと思うぐらい鍛えれれたなぁ」
そこで師であるジュルメと幼馴染ふたりにあったこと。そして自由時間が二時間しかなかったこと。いつの間にか歩きながら寝られるようになっていたこと。
一月後の総当たり戦で幼馴染ふたりに瞬殺され自由時間が十五分に削られたこと。それからの一ヶ月間、一日一回は死を覚悟しなければならなかったこと。
そして次の月で幼馴染ふたりになんとか勝てたものの、勝ち方がジュルメを振った男のようだというわけのわからない理由で自由時間が増えなかった、などという話を聞かせた。
「そ、そうか、大変、だったんだな……」
信じられないもの聞いた、というようにナルキは言った。
「あいつら、いまいったいなにやってるんだろうなぁ」
懐かしむようにライナは言った。夜風がライナをかすかになでる。心地いいものだと、ライナは思った。
「……知らないのか。幼馴染たちのこと」
「あぁ」
「なにが、あったんだ?」
「まぁ、いろいろあったんだよ」
「それは、教えてくれないのか?」
ナルキの問いをライナは答えずに前を見た。ここから先は知らなくてもいい。いや、ナルキならなおさら知らないほうがいいだろう。
ライナがジェルメ・クレイスロール訓練施設にいたのが、たった一年だけだった。その一年の最後、ライナたち三人はひとりになるまで殺しあわされることになっていたのだ。
ジェルメはそうさせないために三人を逃がす計画をたて、ライナたちに打ち明けてくれた。
そのとき襲ってきたのだ。ラッヘン・ミラーが。
そしてライナたちはミラーにあっという間に倒され、起きたらミラーが味方になっていた。
ライナには意味がわからなかった。ミラーの話を聞くと、ライナたちを襲ってきた貴族をだましていたらしい。
ミラーがなにを考えているかよくわからなかったが、とりあえずライナが勝ち残ったというようにして、幼馴染ふたりは都市の外へ出ることができたのだ。
あとでライナを都市外に出ることになっていたし、誘いもあった。しかし、ライナはいろいろなことがありその提案を断ったのだ。
「なあライナ……」
ナルキが真剣そうに口を開いた。
「隊長になにがあったんだ。おまえは知らないか」
唐突なナルキな言葉。気になっていてもおかしくはないな、とライナは思う。聞きやすいように雑談から入ろうしたのだろう。
「さあなぁ。俺が知ってるわけないだろ」
「ほんとうか。あのとき最後に見たのはおまえだろう、ライナ」
「だぁからあのとき俺は気絶してたんだからわかるわけないって」
ライナが気絶したあと、ニーナが言うにはツェルニにいなかったらしい。
らしい、というのはニーナがそのときのことを詳しく話してくれないからだ。カリアンにすら話していないことは、カリアン自身がライナに聞いてくるのだから間違いない。
「あたしはあのとき隊長になにがあったか、知りたい。どうしても気になるんだ」
「……べつに知らなくてもいいんじゃないか。ニーナがああ言うからには、きっとすげぇめんどいことがあるに決まってるし」
あの頑固なニーナから隠しごとを聞きだすのは、かなり骨が折れるだろうことぐらいわかりきっている。
「……そうかもしれないが」
「誰にだってさ、知られたくないことはあるし。それに俺じゃどうすることもできないのは、間違いないことだからな」
ニーナのことは心配だが、深く踏みこむのはまたべつの話だ。
「それに、隊長のことだけじゃない。ライナ、おまえのことももっと知りたいんだ」
「は……」
「おまえがあたしに昔のことを教えてくれて、うれしかった。あれだけ重い過去を話してくれるんだから、信頼してくれているんだなって思えた。
でも幼馴染たちのことを教えてくれないのが、あたしは悔しい」
「いや、そんなこと言われてもなぁ……」
わけのわからないことを言い出したナルキにライナは戸惑った。
「いますぐとは言わない。ライナが言わないのは、なにかあるんだと思う。
でもいつかは聞きたいんだ、そのときおまえと幼馴染たちになにがあったのか。
いやそれだけじゃない。いままでにもライナにはいろんなことがあったんだと思う。すべてとは言わないが、おまえのことをひとつでも多くあたしは知りたい」
ナルキの思いに、ライナは眼が乾いていくのを感じた。
気づけば、ナルキたちの寮が見えてきた。
「ここで降ろしてくれ、ライナ」
「いいのか? べつに部屋まで送ってもいいけど」
「さすがにあの二人に見つかるのはまずい」
そう言われて、ライナの脳裏にミィフィとメイシェンの顔が浮かぶ。メイシェンはとにかく、ミィフィにばれるとあとでめんどうなことになりそうだ。
「それにしばらく休んだから、あたしの部屋まで歩いて帰れるぐらいの体力はもどった」
すこし元気を取りもどしたような声でナルキは言った。
寮も眼の前だし、へんなことにならないだろう、と思いナルキを降ろす。
「今日は、ほんとうにありがとな、ライナ」
「べつにいいって。そんなの」
「じゃ、じゃあ、また明日だな」
顔を真赤に染めて言うナルキ。
「あぁ、また明日」
ライナがそう言うと、ナルキはたどたどしい足どりで寮にむかった。ライナはナルキが寮に入るまでまっすぐ見ていた。
ナルキが寮に入ったあと、ライナはため息をつく。
――――ナルキ・ゲルニをビオ・メンテの面影を重ねている。
肌の色も口調も、なにより性格が違う。それでも短く整えられた赤い髪が、どうしてもビオを思い出させるのだ。
もしもビオがなんのしがらみもなく学園都市に来れたら、ナルキみたいに友達と遊んだり、いろんなことをやれたかもしれない。やりたい仕事を見つけてそれにむかってまっすぐにその道に進めたかもしれない。
そこまで考えて、ライナは首を振る。
ただ、むなしいだけだ。それにこんなことを思っている時点で、ビオにもナルキにも悪い。
ライナはため息をついて自分の寮へ足をむけ、歩き出す。今日の夕食を楽しみにしながら。
――――なんであんな恥ずかしいことを言ったんだ。
ナルキは寮に帰りシャワーを浴びたあと、ミィフィに疲れたから休む、と言ったあとベットに顔を埋めながら思った。顔が熱い。おそらくナルキの顔は真っ赤になっているだろう。
自分のことながら、かなりへんなことを言ったものだ、とナルキは思った。勢いのままライナに言ったが、もしかすると愛の告白のようなものだと思われたかもしれない。
しかしライナのことをもっと知りたいと思ったことは、間違いなかった。
レイフォンの見舞いに行ったあの日、ライナに聞いた過去、孤児となり特殊な孤児院に入れられ、へんな部隊に入り、任務を失敗してばかりいるライナは拷問を加えられ、やがてローランド最高の化錬剄使いと呼ばれるようになったこと。
そのどれもが、ナルキがライナと同じ立場だったら二度と思い出したくないようなことばかりだ。
そして今日聞いた孤児院時代の鍛錬という名の虐待行為。ナルキだったら、とても耐えられるものではなかったはずだ。
それでもライナは孤児院時代を懐かしむようにナルキに語ったのだ。
ライナは話していないことも含めれば、どれほどの凄惨な過去だったのだろうか。ナルキは想像さえできない。
これが、フォーメッド課長の言っていたライナの闇なのか。まさしく底の見えない穴。終わりが見えない。どこまでも拡がっているような気さえナルキはした。
課長は秘密を穴ぐらだとも言っていた。浅ければ穴をすこし覗けば見えるが、深ければその奥にあるものを見たければ穴に入るしかないと。
ライナの過去も同じものである。それも底がうかがい知れないほどのものだ。むしろ底があるかどうかさえ怪しい。
しかし知ってしまったのだ。ライナの過去の一部を。
その一部でさえ、ナルキの想像さえしたことのない世界だった。あまりに重い過去に、ほかの人なら必死に忘れようとしたかもしれない。
ライナもきっとそうしても別になにも言わないと思う。ライナは過去のことを話すときかなり慎重になっていたのだから。
ライナの過去を聞いた日には、夢を見た。ナルキが孤児になって、変な孤児院に入れられる夢。そして死んだほうがましなほどの調練を毎日繰り返す。
誰も助けてくれない。みんな自分のことで必死だった。次々に仲間が死んでいく。最後に、あっけなくナルキは死んだ。
眼が醒めたとき、ナルキは体中が震えていた。夢のことを想像しただけで、気が狂いそうになった。
それでもナルキは、聞かなかったことにすることなどできない。ライナだって、これ以上のつらい過去を持っているかもしれないのだ。ナルキだって、負けるわけにはいかない。
そしてライナがツェルニにいる間は、幸せになって欲しい。
もういいと思うのだ。ライナが苦しむのは。
ほかの学生みたいにいろいろ遊んだり、友達と話したり、バイトしたりすればいいのだ。
今度の休み、ライナを誘って遊びに行こうと、ナルキは思った。きっとライナは嫌がるかもしれない。
でも、ライナに見て欲しい。この都市にはライナが知らないたくさん楽しいことがあるのだと。ナルキ自身も知らないことが沢山あるにちがいない。
ライナと一緒に、ナルキもツェルニのことを知っていけたらそれはそれでいいとナルキは思った。
一緒に遊びに行くとして、二人で行っていいのだろうか。
こういった情報を多く知っているのはミィフィだが、大事になりそうですこし怖い。べつにデートというわけではないのだ。ただ、遊び行くだけ。
「そう。べつにデートじゃないんだ。遊びに行くのはそもそも二人じゃなくたっていいんだ」
自分に言い聞かせるようにナルキは言った。
それにミィフィとメイシェンと一緒に行けば、結局いつもと同じように三人で話しこんでしまうかもしれない。
ほかに一緒に行くとすれば、十七小隊のメンバーの誰か。ナルキが一番はじめに頭に思い浮かんだのは、レイフォンだった。
レイフォンなら、ライナと一緒に遊んでもおかしいところはどこにもない。
同じ寮の部屋で、一緒の教室。さらには一緒の部隊で今日二人の様子を見ていても仲はよさそうに見える。すこし前まで喧嘩していたとは思えないほどだ。
しかしそれならナルキがいないほうが話がはずみそうな気がした。それかナルキとレイフォンばかり話してライナが退屈するか。
ほかのニーナ、フェリ、シャーニッド、ダルシェナ、ハーレイと考えてみたが、どう考えてもあまりいい結果になりそうになかった。
いちばんましそうなのはシャーニッドだったが、おそらくナルキとばかり喋るにちがいない。
いっそのこと十七小隊全員で行くという手もある。
そうなった場合おそらくニーナとフェリがレイフォンを取り合い、シャーニッドがダルシェナにちょっかいをかけるだろう。
そうなれば必然的にライナはナルキが話しかけることになるはずだ。ハーレイは…………時々ニーナと話すと思う、きっと。
案外いいのではないか、とナルキは思った。
適当に映画を見に行くなり、食事に行くなり場所だっていくらでもあるし、一番隊に勝ったとか適当に理由もつけられる。
――――しかし、結局ライナと一緒に行動するのか。
ナルキは思う。だからなんだというわけではないが。
そもそもナルキの好みは、フォーメッド課長のように仕事に一途で、真剣にがんばっていている人だ。
ライナにはまったく当てはまらない。いまこうやってがんばっているのも、あくまでライナの境遇に同情したからだ。それ以外のなにものでもない。
でもライナの背中は大きかったな、とナルキは思う。
幼生体との闘いのときに見たあの背中を触れることができたのだ。
その大きな背中に、ナルキは子供のころにもどったような錯覚に陥った。まるで父親に背負われているような、大きな安心感。
だからといってライナの評価に影響するわけもない、とナルキが思ったとき扉のむこうからメイシェンの夕ご飯を知らせる声が聞こえてきた。
用意しなくてはと思ったとき、ふとひとつの考えが頭をよぎる。遊びに行ったとき、弁当でも作って渡せばライナはよろこぶのではないか。
しかしライナはメイシェンがいつも昼食に弁当を渡してもらっているし、レイフォンの手料理を毎日のように食べているのだ。いまさらナルキの料理程度でよろこぶわけもないだろう。
ため息をつき、ナルキはメイシェンたちのもとへむかった。