ライナは都市の外へ出て、ランドローラーで汚染物質で汚染された荒野を駆けていた。
すでにツェルニを出て一日以上はすぎている。それでもまだ汚染獣の姿は見えない。
フェリの予想では半日後には汚染獣の姿が見えてくるそうだ。
そんな中で、ライナはツェルニを出る前にハイアとした会話が忘れられなかった。
ライナを仲間だとはっきりと言ってくれた人はいままでにもいなかったわけではない。しかし、それでもそのような言葉を聞くたびに心が動きそうになる。
ビオのときもしかり、三○七号特殊施設を出て行ったあの少女もしかり。
だが、同時に恐くなる。ライナのことを、アルファ・スティグマのことを知ったらどう思うだろう。否、それを知らなくたって、相手がライナのことをどう思っているのかわからない。
ほんとうはライナのことを恐れてるのかもしれない。ライナのことをいらないと思っているのかもしれない。ライナのことを利用しようとしか考えていないかもしれない。
なによりライナが好きな人が、ライナのことをどうでもいいと思っていたり、逆に嫌いだったりしたと考えるだけで、心が痛む。
ハイアだけではない。レイフォンだって、サミラヤだって、十七小隊のほかの隊員だって、ほんとうはどう思っているかわからない。
相手が思っていることを聞くのがこわい。だからライナは寝ていたいのだ。ベットの中で。
――――でも……。
ライナは思う。
心地よいのだ。ツェルニでおくる学園生活が。
ローランドでは決して感じることができない経験がライナの心に満ちていく。
なにかに一生懸命になって、純粋な思いでがんばっている人たち。やりたいことがわからないからこそ、やりたいことを探している人たち。
気づけばライナは、そういった人たちを近くで見たいと思った。ついには汚染獣とか関係なしに闘ってしまったのだ。
おそらくライナのことが闘ったことに気づかなかった人がほとんどだろう。それでも闘った、という事実はライナの記憶から消すことはできない。
ライナはそこまで考えて、ため息をつく。
汚染物質で汚染された大地を太陽がライナごと照らしてくる。それでも、遮断スーツは通気性がいいからか、そこまで汗をかくとはなかった。
不意に、視界が見えにくくなった。ライナはランドローラーを止め、回復を待つ。なかなか、回復しない。
やはりフェリが限界に達したのだろうと、ライナは思う。
ニーナがいなくなってから、フェリには休む時間がほとんどなかった。ライナとレイフォンが休んでいるときも、汚染獣の偵察をやめるわけにはいかない。
むしろその時間こそ最もフェリが働かなければならない、と言っても過言ではないはずだ。
しかたがないことではある。しかし、そのことがライナにはつらかった。
レイフォンはどうしているだろう、とふと思う。怪我も治りきっていないというのに、ライナ以上に汚染獣のもとにむかっていた。
止めようとしても話のひとつも聞かない以上、ライナにはどうしようもない。
レイフォンが倒れないことをねがって、ライナは眼をとじる。ニーナはいま、どうしているのだろうか。無事であってほしいが。
しばらく時間が経ったころに、性別を感じさせない機械的な声が念威端子から聞こえてくる。ライナは眼を開けるとふたたび視界がもどっていることに気づいた。
「いまから、私があなたのサポートに移る、ライナ」
「フェルマウスか……」
ライナの脳裏に、フードとマントで体中を覆った人の姿を思い浮かべた。
「はい」
「で、なんで俺を助けようとすんの?」
「学生会長殿に依頼されたのだ。学園会長殿の妹さんが倒れたのでな」
やっぱりか、とライナは思った。気分は重くなるが、そんな場合ではない。
「それで、あとどれくらいで汚染獣とあたるの?」
「あと二時間もしないうちに見えてくるはずだ」
ライナの予想に狂いはない。それならこのあたりでいまある武器の確認をするかと思い、ライナはランドローラーを降りる。
安全装置を解除された紅玉錬金鋼に、なにかあったら使うかもしれないと林に隠していた鋼鉄錬金鋼。それに爆薬と閃光弾など小道具もある。並みの汚染獣なら、 そこまで苦労せずに倒せるはずだ。しかし――――。
「ライナは老生体と闘ったことはあるのか」
フェルマウスの声を聞いて、ライナはかすかに自分の顔がこわばるのがわかった。
――――老生体……。
汚染獣の中でもより強力な強さを誇る固体。
その強さは、千になろうかという数の幼生体をあっという間にすべて屠るレイフォンでさえ苦戦するほどだ。ライナとて簡単に勝てる相手ではない。
「ま、なんとかなるんじゃない」
ライナは言った。
なんとかなるんじゃなくて、なんとかしなければならないのだが。しょうじき、めんどい。さっさと終わらせてベットに入って寝る、とライナは心に決めた。
再びライナはランドローラーを跨ぎ、エンジンをかける。エンジンの低い独特の音が鳴りはじめ、前へ進みだした。
まわりを見れば丘のようなものもあるが、このあたりは基本的に凹凸が少ない。
そういった地形の状態も見渡していく。汚染獣と闘うことにおいて、ライナはそれほど熟知しているわけではない。だからこそ、すこしでも多くの情報が欲しい。
「ライナ、昨日はハイアが迷惑かけたな」
突然、フェルマウスが声をかけてきた。
「ハイアにはきつく言ったから、あまり気にはするな」
そして、と言葉を続ける。
「私はそのことについては、なにも言わない。おまえの自由だ」
フェルマウスはそう言ったきり、一言も発しなかった。
ランドローラーを走らせること二時間、ようやく汚染獣の全貌が見えてきた。
レイフォンが闘っているものを見たときより大きい。
長い胴体に、四つの翅で汚染物質で汚染された空を羽ばたいていた。蛇のような眼の先に鋭い角のようなものが上のほうに突き出している。ふと、その角にライナは違和感を覚えた。
見たかぎり、老生体の一期か二期のようではある。しかし老生体の二期からは固体ごとにちがう変化をするとはいえ、角が生えた程度の変化というのはおかしいと思う。とはいえ、前に見た老生体一期より大きいということは、二期なのだろうか。
よくはわからないが、ほかにもなにかちがうところがある可能性は充分に考えられた。
もうしばらく走っていると、汚染獣がライナのほうを見下ろし、汚染獣の瞳がライナを捉える。汚染獣の鋭い視線に、身体が凍りつくかと思った。
その場でライナはランドローラーを降り、岩陰に隠す。腰にぶらさげていた紅玉錬金鋼を取り出し展開させて汚染獣のほうへ駆け出す。
――――絶対に、ツェルニにはむかわせない。
ライナは思った。
汚染獣もライナのほうにまっすぐ突き進んでくる。
まっすぐ、とライナは疑問を抱いた。普通食糧である人を狙いに来るのなら、都市のほうに行くはずだ。そう思ったときには、もうローランド式化錬剄の射程圏内に汚染獣が入っていた。
ふと、忌み破り追撃部隊のことを思い出したが、気にしたって仕方がないことだ。
気にしている暇はない、とライナは立ち止まり、指を汚染獣のほうに突き立て、高速で模様を描くように腕を動かす。
――――ローランド式化錬剄。外力系衝剄の化錬変化、光燐(くうり)。
化錬陣から放たれた光の槍が、汚染獣にむかって大空を一直線に伸びていく。
しかし、光の槍は汚染獣が巨体をかすかにそらしたことで虚空のかなたに消えていった。
偶然か、と思い四、五回光燐を放つが、すべて避けられる。せいぜい、胴体にかするぐらいだ。それもすぐに元に戻る。
フェイントをまぜながら続けるが、あまり効果はなかった。
徐々に、汚染獣の羽ばたく翅の音が近づく。風とともに威圧感も強くなってきた。
ライナは、指先の動きをかすかに変える。
――――ローランド式化錬剄。外力系衝剄の化錬変化、紅蓮。
化錬陣から飛び出したいくつもの炎の弾が汚染獣を襲う。汚染獣は軽く身体を捻り、軽やかに炎の弾を避けていく。
汚染獣は吼えた。この程度のものでは自分には勝てはしない。そうライナをあざ笑うかのように。
ライナは、汚染獣のほうへ走り出した。
いまのままでは、剄の無駄にしかならない。それよりも近づいたほうがあたりやすくなる。同時に、危険性は高まるが。
旋剄。徐々に近づいてくる汚染獣を、ライナはまっすぐ見た。
ついに、汚染獣がライナを攻撃範囲におさめる。ライナを飲みこもうと巨大な口をあけ、急降下。
ライナは連続で光燐を放つ。
一撃も当たらなかったが、汚染獣はかわすために急転回をしてライナと距離をとった。
――――これで、確信した。
やはりこいつは、ローランド式化錬剄を見切っている。
一キルメル以上あるならまだしも、百メルもない距離で避けられるのだから、ほかに考えられない。
なぜ見切られているのか。
仮説はふたつ。すでにこの汚染獣がローランド式化錬剄が使える者と闘ったことがあるか、もともとローランド式化錬剄を見切ることができるように進化したか。
どちらもおかしい考えだ。
ローランドから遠いはずのツェルニにローランドと闘った汚染獣が来るということも考えにくいし、ローランド式化錬剄を見切るなどというピンポイントな能力を身につけるというのはご都合主義にもほどがある。
しかしどちらが可能性が高いかというと、後者のほうだ。
この汚染獣は、闘いをはじめてからライナのうしろにあるツェルニにすこしも興味を示していないのだ。最初からライナを襲うことしか考えていなかったかのように。
この汚染獣はローランドにまつわるものを倒すために作られた、というひとつの仮説にたどり着く。
なぜそんなものがローランドにむかわずにこんなところにいるのか。そもそも、そんなふうに汚染獣を改造できるのか、といったさまざまな疑問が浮かぶが、ほかにこの汚染獣の存在がいることが思いつかない。
仮にこの仮説が正しいのなら、つまりライナさえいなければ、ツェルニはこの汚染獣に襲われる心配はなかったのだ。
このことにライナは胸が痛んだが、そんな余裕などない。いまだに汚染獣はライナの前にいるのだ。
ライナは左手に持った紅玉錬金鋼を強くにぎりしめる。絶望的な状況に押しつぶされないために。
汚染獣と闘いはじめて三日が過ぎていた。
ライナは、かすかに息が上がっていることに気づく。腹はすでに鳴ることさえできず、咽も渇き、身体中に汗が出ている。わずかだが、身体の動きが鈍くなっていた。
それもそうだと思いながら、いまだ闘志の衰える様子のない汚染獣をライナは見た。
光燐や紅蓮だけでなく、稲光や化錬陣から水を勢いよく放つ崩雨といったほかのローランド式化錬剄を使ってみたが、あまり結果はよくなかった。
いよいよライナも焦りが隠しきれなくなってくる。三日闘っておきながら、たいしたダメージを与えられていないのだ。
いまはなんとか闘えているし、あと三、四日は闘い続けるぐらいの活剄を練ることができるが、それ以上持久戦になったらさすがに死ぬ。ここまで闘えるようにしてくれたジェルメに感謝の思いを抱きながらもどうしたものか、とライナは思った。
レイフォンが来てくれたら、こんな汚染獣ぐらいどうとでもできるのだが。
「ライナ、後退しながら闘ってください」
念威端子から一日前に復帰したフェリの声が聞こえた。ライナは若干不審に思いながらも、フェリの言うとおりに闘う。
しかし汚染獣を倒す方法がないわけではない。気はすすまないが。
単純にローランド式化錬剄以外の方法で闘うか、避けきれないほどの火力で押すのか、という二択だ。
前者は幼生体はとにかく、正直あの硬い鱗を突破する技をライナはほとんど知らない。
せいぜい、錬金鋼に電流を流したりすればある程度のダメージを与えることができるが、かなりの危険が伴う。それにいまからこの汚染獣を倒せる剄技を作りだす余裕などあるわけもない。
問題は後者のほうだ。
すなわちレイフォンが使った千斬閃を応用して、千人近くいるライナが一斉に化錬剄を放てばいい。
そうすればさすがの汚染獣も、すべてよけることはできないだろう。
しかし、問題がないわけではない。
もしこの技が成功したとして、汚染獣が倒しきれなかったらどうするか。
ライナの計算では、この技を放った場合、間違いなくライナの身体は動かなくなる。あとは汚染獣にとって絶好の餌にしかならない。
――――それに……。
もし千斬閃が原因でアルファ・スティグマのことがばれてしまうかもしれないしな、とライナは思った。
千斬閃はもともと、天剣授受者を何人も輩出しているグレンダンでも有名な武門であるルッケンス家の秘奥である千人衝の応用だとレイフォンが言っていた。
そんな技を突然ライナが使ったら、不審に思われてもしかたがない。
似たような技がローランドにある、といういいわけもできないわけではないが、それなら、なぜレイフォンと闘ったときに使わなかったのか、と思われるだろう。
千人衝を使って化錬剄を放つ剄技があるなら、千人衝そのものがあると考えたほうがおかしくない。
最悪、そこからアルファ・スティグマのことがばれるかもしれないのだ。
確かによく考えてみればそんなことでばれる可能性がほとんどないことぐらいライナだってわかっている。しかしそれでも、レイフォンたちにだけはアルファ・スティグマのことを知られたくない。
レイフォンたちに白い眼で見られることを考えるだけで、ライナは心臓がつぶれそうになるし、化け物と呼ばれることを想像するだけで、耳を塞ぎたくなる。
ライナのことを好きにならなくたってべつにいい。そんなことを望んだってしかたないし、どうしようもないことだ。
贅沢なんて言わない。だがすこしでもライナにわがままが許されるのなら――――
この狂った世界のなかでも輝くあいつらといっしょのときを過ごしたい。
それがいつまで続くかわからない。
いまこの場で汚染獣に喰い殺されるかもしれないし、卒業まで続くかもしれない。
だからそんな日々をすこしでも長く続けるために、ライナは闘おうと決めた。望んだことのない力を使ってでも。
ライナは大きく口をあけて突進してくる汚染獣を、うしろへ旋剄を使い回避。なお追いかけてくる汚染獣に紅蓮を放つ。
汚染獣は、炎の連弾を身体に浴びながらもダメージを受けたことを感じさせずまっすぐ突き進んでくる。
「ライナッ!」
フェリが念威端子から叫ぶ声が聞こえる。
ライナは汚染獣のいままでにない予想外の行動に、驚きを隠せなかった。
ライナ自身も疲労が蓄積しているのと同じように、汚染獣もまた疲れはじめているのだろう。
これ以上体力を失ったら、汚染物質では腹を満たすことができない。そこで、多少傷ついてもいいから、汚染獣は勝負に出た、ということだろうか。いや、特攻をしたせいでダメージを受けたら本末転倒でしかないので、これ以上汚染獣がライナと闘うのがめんどうになったからかもしれない。
光燐を連射。汚染獣の身体を削るも、すぐに元に戻る。翅にも頭の先の角にさえ、掠りもしなかった。
あの角こそ、おそらくローランド式化錬剄を察知するものにちがいない、とライナは思っていた。
かつて見た老生体とこの老生体の違いといえば、この角だ。角がレーダーのような役割をしているにちがいない。根拠もないし、ほかにも眼に見えないところに違いがあるかもしれないが。
旋剄でうしろにさがって回避するが、思いのほかさがりきれない。
いつもならなんとかかわしきれるはずの距離だが、思いのほか疲労がたまっている、ということなのか。
汚染獣の巨大な口がライナのすぐ近くまで迫る。
しかたない。そう思って千斬閃を発動しようとしたとき、ふと、いままでツェルニで過ごしてきた日々の映像がうかんできた。その刹那のときに近い隙が、致命的だった。
避けきれない。もはや、千斬閃から化錬剄を使う時間は残されていなかった。
だがそれでもこの距離ならば、さすがに化錬剄の連射をすべてよけきることはできまい。せめて、相打ちまでにもっていってみせる。
「旋剄を使ってさがってください、ライナッ!」
フェリの叫ぶ声と同時に糸のようなものが腹まわりに巻きつく感覚。化錬陣を描くのをやめ、ライナはフェリの言うままに旋剄。
さっきより、距離が伸びる。というより腹まわりに巻きつかれた糸のようなものに引き寄せられていた。
「大丈夫、ライナ」
荒野にうまく着地するとともに、念威端子から一週間近くぶりに聞こえる男の声。その声を聞いたとたん、ライナは心が落ちつくのがわかった。
「レイフォン、おまえ……」
声の主……レイフォンは鋼糸をうまく使って、汚染獣を食い止めている。
「言いたいことは沢山あるけど、いまは汚染獣を倒す」
手に刀身のない複合錬金鋼をにぎり、レイフォンは答えた。
汚染獣は鋼糸の網に捕らわれ、引きちぎろうと大地を蠢いている。しかし、その姿に力強さはかんじられない。
ライナとの三日間の戦闘は、ライナ自身が思っている以上に汚染獣の体力を奪っていたようだ。だからこその突進だったのだろう。
「ライナ、まだ闘える?」
「もう疲れたから寝る、って言いたいけどそう言ったらあとでカリアンがこわいし、それだったらさっさとこいつを倒してツェルニに帰って寝たほうがいいしな」
ライナも疲れてはいたが、ここまできたら闘うしかない。レイフォンに任せるにしてもレイフォンも連戦の疲れが取れていないはずだ。
「長い時間はかけられない。首を落とすよ」
レイフォンは言うと、跳ぶ。ライナもほぼ同時に駆けだした。
ライナは光燐を放つ。汚染獣は避けようとするが、鋼糸が邪魔して身動きが取れない。かろうじて、首を横にずらすことで直撃をまぬがれるので精一杯の様子だ。
首から噴出す赤い血。大地を揺らすほど、巨体が暴れだす。
汚染獣の首の傷が徐々にふさがっていくが見えた。そのぐらいの体力はあるようだ。
――――しかし、その傷を再生させはしない。
ライナが汚染獣の注意を引いている間に、レイフォンは汚染獣に接近。鋼糸を傷口に入りこませ、内部から汚染獣の身体を蹂躙していく。
暴れる汚染獣を気にすることなく、ライナは汚染獣の首もとにむけ光燐を放ち、風穴を開けていった。
もはや汚染獣は虫の息。大空を我が物顔で羽ばたいていた姿はどこにも見えない。ライナをにらみつけてくる瞳も、力強さを感じることはなかった。
穴だらけでろくに傷が癒えることもできない首もとに、レイフォンは鋼糸を解き剣の状態にもどした複合錬金鋼を振りかぶる。
汚染獣はレイフォンを追いはらおうと翅を動かそうとする。その翅を、ライナが光燐で打ち落としていく。
そして汚染獣はただなすすべもなく、首を断ち斬られるしかなかった。
汚染獣の首が大地に落ちたのは、その身体が倒れたのとほぼ同時だった。上がなくなった首もとから血が噴出し、大地を赤く染めはじめる。
「ふぁ~~つかれた~~」
ライナは錬金鋼をもとに戻すと、あくびをしながら背筋を伸ばした。
しかし、三日三晩闘ってもたいしたダメージを与えられなかった汚染獣相手に、レイフォンが加わったとたん、こんなにあっさりと勝ててよかったのだろうか、とライナは思った。まあいいか、と思いライナはレイフォンを見た。
「ライナ……」
そう言いながらぎこちない動きでレイフォンがライナのほうに近づいてくる。一応喧嘩中だからだろうか。
「助かったよ、レイフォン」
「あの……その……ごめん、ライナッ!」
腰から上を地面に平行になるまで、レイフォンは頭を下げた。
ライナはレイフォンの唐突な行動にしばらく呆然とレイフォンを見た。
「ほんとうに、あのとき僕はどうかしてた。ライナだって試合にだって出て闘ってくれたんだし、ちゃんと隊長のサポートだっていってくれた」
「……」
「僕は……ライナなら大丈夫だと思ったんだ。
僕の苦しさをわかってくれたライナなら、僕と闘って勝ったライナなら大丈夫だって」
そんなわけないのにね、とレイフォンはため息をついた。
「僕はただ、なんの根拠もない理想をライナに押しつけてただけなんだ。それなのに……」
ごめん、とレイフォンは繰りかえした。
レイフォンにそこまで思われていたということに、ライナは驚いた。
「べつにいいって。それにおまえの言うとおり、俺がちゃんとしてればなんとかなったはずだし」
そうライナが言ったとき、レイフォンの身体が跳ね起き、ライナのほうを見た。
「ちがうよッ! そもそも僕がこんな提案さえしなければよかったんだ」
「それだって、俺も賛成したんだから同罪だって」
「いや、ちゃんと廃貴族のことを知ってさえいれば」
二人は遮断スーツごしににらみ合い、しばらくして同時に噴出す。
「あ~~やめやめ。疲れるだけだし、さっさと寝たいし」
「うん。そうだね」
気づけば、大地は夕日で赤く染まりつつあった。ライナたちの影も長くのびている。
「それで、ニーナは?」
あえて聞こうとしなかった質問をレイフォンにぶつけた。やはり最悪の事態も想定できるゆえに、その答えを聞くことがこわかったのだが、いつまでもさけられることではない。
「隊長は……」
言葉に、ライナはわずかだが鼓動がはやくなる。
レイフォンは無表情のまま言葉を口にした。
「無事、帰ってきたよ」
「そっか」
「それに、ツェルニも汚染獣から逃げるようになったしね」
ライナは安堵のため息をついた。不安が取り除かれると、さらに眠くなってくる。
「なあレイフォン、もう寝てもいいだろ、ていうか寝る」
そう言ったとたん、ライナは崩れ落ちる。もう、ライナの身体は限界に近かったのだ。
活剄の強化には反動がある。
どれほど武芸者が人間離れの力が出せるといっても、普通の人と肉体は同じだ。無理をすれば身体への負荷は相当なものになる。
これもまた、ニーナに武芸者もまた人間だ、と言った理由であるが。
そんなライナをレイフォンは抱きささえた。
「おやすみ……」
レイフォンの言葉を聞きながら、ライナは睡魔に身を任せた。ひとつの決断を決めて。
ライナは都市に帰りニーナの姿を見て、三日ほど休息をとったあと、ハイアの元を訪れた。
大きな丸い月は雲ひとつ隠すこともなく、傭兵団の放浪バスの前に出てきたライナたちを見下ろしている。
「お、ライナ。おれっちたちのところに来てくれるか」
うれしそうにハイアは声を弾ませた。まあ、あわてんなと、ライナは言い、言葉を続けた。
「今日は、この前の返事を答えに来たんだ」
ライナはそこで言葉を切り、ハイアを見た。いつものようににたにたした笑みでライナを見ている。言ったらどうこの顔が変わるかな、とライナは思った。
「やっぱさ、俺はここに残るよ。ここだと寝やすいし」
ライナは、そう決断した。もうしばらく、ライナはツェルニの人々の姿を見ていたい。それが許されるそのときまで。
「そっか……」
思ったより、ハイアは残念そうに見えなかった。そのことにライナは疑問を抱きつつも、ハイアは言葉を続けていく。
「なんとなくライナの顔を見てたらそう言うと思ったさ。まったく、おれっちの誘うを断るなんて薄情なやつさ」
ハイアはにたにたした笑みではなく、やさしい笑みを浮かべていた。
「ま、おれっちたちはまだツェルニに残り続けるから、いつでも待ってるさ」
そう言って、ハイアは背をむけ、放浪バスのなかへ入っていく。
「おい」
ライナがそんなハイアに声をかけると、ハイアの足が止まった。
「ありがとな。誘ってくれて」
ライナの言葉に振りむくことなく、ハイアは鼻を鳴らし放浪バスの中へ入っていった。