――――ハイア・サリンバン・ライア。
かつてライナが闘ったことのある、サリンバン教導傭兵団の団長である。
まさか、という思いと、やっぱり、という二つの思いが同時に発生した。これが、あきらめの境地、というものだろうか。
「ハイア……」
レイフォンがつぶやく。いつの間に出会ったのだろうか、とライナは思った。
レイフォンの武器が壊れたと言っていたのを思い出し、おそらくハイアと出会って闘ったときに壊したのだろう。
気を抜いている状態でハイアと闘ったとしたら、レイフォンとはいえ武器を壊してもおかしくはない。
「フェリ……先輩?」
ハイアのうしろについて、フェリも入ってくるのを見て、レイフォンが言った。
「貴様……何者だ?」
ニーナが警戒しながら言う。
「おれっちはハイア・サリンバン・ライア。サリンバン教導傭兵団の団長……って言えば、わかってくれると思うけど、どうさ~」
「なんだって?」
ニーナは戸惑うように言った。ニーナも、サリンバン教導傭兵団のことは知っていたようだ。
「そんなことより、ライナ、ひさしぶりさ~」
ハイアが、ぼさぼさしている赤髪、そして左目もまわりを覆う入れ墨をかすかにゆがめ、にたにた笑いながらライナにむかって手を振ってくる。
まわりの人たちはそれを見て、ライナのほうにも視線をむけてきた。
「ライナ君、知り合いかい?」
カリアンが、無表情で問いかけてくる。
「いや、ぜんぜん」
ライナは、知らないふりをした。かかわるだけ、めんどうだ。
「それはひどいさ~。かの名高いローランド最高の化錬剄使い様にとっては、傭兵団の団長のことなんか、おぼえてる必要がないほど、どうでもいい存在なんてと思われてるなんて、おれっちは悲しいさ~」
それを聞いたハイアは、芝居がかったように大げさに言う。
なっ、と誰ともなく、そう言葉をこぼした。
ライナは、心の中で舌打ちした。
サリンバン教導傭兵団と闘ったとき、仲間のひとりがそう言ったのが、ハイアの耳にも届いていたようだ。これは、めんどいことになってきた。
「どういうことだね、ライナ君」
この場にいる者たちの代表して、カリアンが言った。
「どうにもこうにも、こいつが言ってるのって、同姓同名で、顔の似てるやつだって、きっと」
かなり、無理のありすぎるいい訳だ。しかし、こう言うしかない。
「それで、ローランド出身で、化錬剄使い、何よりもそんなやる気のないオーラにあふれてるやつなんて、世界に二人といるわけがないさ~」
やっぱり、無理があった。
「まあ、この話はあとにして、本題に入ろうか」
――――強制都市外追放。
そんなキーワードがライナの頭をよぎる。ライナはまだ、死にたくはない。
しかしローランド最高の化錬剄使い、という言葉を聞いた以上、ライナがいくら言ったところで、なにかの任務でツェルニに来ているとしか思われないだろうし、ここで否定し切れても、疑いは晴れることはない。
事実そうではある。しかし、そんなものをやる気なんか、最初からない。
だがそんなことは、ほかの人たちには、わからないだろう。危険人物としか思われない。
それだけならライナは大丈夫だが、なにかの汚名をかぶせられて強制都市外追放、という最悪の状況も大いにありえる。
都市から逃げるのは、めんどいがレイフォンがいても何とかなる、と思う。しかしとんでもなくめんどい。
それにできることなら、こんな理由でレイフォンたちと戦いたくはなかった。
ライナが任務を失敗し続けている証拠は、一応ないわけではないが、それを見せるのはあまり気持ちが乗らない。
見せたって、気分のいいものではないし、へんに突っこまれると、いらないことまでが出てきかねない。
「どうして、レイフォン君ならできると思うのかな?」
カリアンがため息をこぼして言った。
「サイハーデンの対人技には、そういうのがあるって話さ~。
徹し剄って知ってるかい? 衝剄の結構難易度の高い技だけど、どの武門にだって名前を変えて伝わっているようなポピュラーな技さ~」
「それは……知っている」
ハイアの登場や、ライナのことで驚きを隠せない様子のニーナがつぶやいた。
「だが、あれは内臓全般へダメージを与える技だ。あれでは……」
「そっ、頭部にでもぶちこめば、それだけで面白いことになるような技さ~」
「それでは、死んでしまう」
カリアンは、顔をしかめる。それを見て、ハイアはさらに笑みを深めた。
「まぁね、それに徹し剄ってのは、それだけ広範囲に伝わってる分、防御策も充実しちまってるさ~。
まぁ、ヴォルフシュテインが徹し剄を使って、防げる奴なんて、ライナぐらいしかここにいるとは思えないけどさ~」
「何が、言いたいんだね」
カリアンは若干苛立ちをこめたように言う。
「おれっちとヴォルフシュテイン……まぁ、元さ~、は、サイハーデンの技を覚えている。
おれっちが使える技を、ヴォルフシュテインが使えないなんてわけがない」
何しろ、天剣授受者だ、と言葉を続ける。
「天剣授受者こそ今まで生れなかったけど、だからこそ闘うことに創意工夫してきたサイハーデンの技は人に汚染獣に、普通の武芸者が戦って勝利し、生き残るにはどうすればいいかを、真剣に考えてきた武門さ~。
だからこそ、サイハーデンの技を使う連中がうちの奴らには多い」
ハイアが、レイフォンを見た。その視線に、レイフォンは顔を背けた。
「あんたは、おれっちの師匠の兄弟弟子、グレンダンに残ってサイハーデンの名を継いだ人物からすべての技を伝えられているはずだ。
使えないなんてわけがない。使えるだろう? 封心突さ~」
「封心突とは、どのような技なのかな?」
カリアンがたずねる。
「簡単に言えば、経路に針状にまで凝縮した衝剄を打ちこむ技さ~。そうすることで、経路を氾濫させ、周囲の肉体、神経にまで影響を与える。
武芸者専門の鍼を使うのさ~。あれを医術ではなく、武術として使うのが封心突さ~」
レイフォンは、何も言わなかった。
「だけど……」
ハイアがそう言葉を続けようとしたとき、レイフォンの目は見開き、口もかすかに動いたが、言葉にはならなかった。
「だけど、剣なんか使ってるあんたに、封心突がうまく使えるかは心配さ~。
サイハーデンの技は刀の技だ。剣なんか使ってるあんたが十分に使える技じゃない。せいぜい、この間の疾剄みたいな足技がせいぜいさ~」
「それなら、刀を握ってもらえれば解決……なのかな」
レイフォンはうつむいて黙ったままだ。
「すまないが……」
ニーナがゆっくりと手をあげる。
「こちらから申し出たのにすまないが、時間が欲しい」
「……いいのかね」
「かまわない。そうだな? シャーニッド」
「……だな」
「君たちがそう言うのなら、待とう。
だが、試合前には返事が欲しいね。都市警にはとりあえず逮捕はとどまるように言っておくが、長くとどめておけるものでもないぞ」
「わかりました」
「では、次の話に移ろうか」
カリアンはそう言い、ライナのほうをむいた。それとともに、この場にいる者全員がライナのほうをむく。ハイアのにたにた笑いが、癪にさわる。
「ライナ君、君はいったい何者なのだね」
いつになく真剣な表情をうかべているカリアンを、ライナはついに来たか、と思いながら見た。
「何者って言われても、俺は俺としか答えられないし」
「では言い方を変えよう。何のためにツェルニに来たんだ、ローランド最高の化錬剄使い君」
俺がこんな性格だから、といういい訳が、ローランド最高の化錬剄使い、という言葉のせいでとても胡散臭く聞こえてしまう。
「てか、そのローランド最高のって奴辞めてくんない、マジで。それにいい思い出なんか、ひとつもないし」
とりあえず、ローランド最高の化錬剄使いというものは肯定しておく。もはや、否定できない。
すでに、十七小隊の連中はライナの化錬剄を見ているし、おそらく、カリアンも知っているのだろう。
それでも確かに、ハイアの言うことなど信用できない、とも言えた。だが、その言葉は結局、ライナ自身にも帰ってくる。そうなったら、もう強制都市外追放も目の前だ。
大体、何でこんなにめんどうなことになったのだろう。ライナがただ、惰眠をむさぼれればいいのに。
こんなに頭を働かせているのは、いつ以来だろう。
「それはわるかったね、ライナ君。では言わないから、君の来た理由をはやく言ってくれないか」
話をそらそうとライナは言ったが、カリアンにあっさり流された。どうしたものか、とライナは考える。
「だからさ、俺がこんな性格だから、こっちに来たんだって」
胡散臭く聞こえたって、こう言うしかない。
「なぜ変える必要があるのだね。もはや、ローランド最高、なのだろう」
「だって、俺ってば、任務失敗しまくるからさ、先生とかにいっつも怒られてるんだよね」
カリアンはすこし予想がはずれた言葉がライナから発せられたせいなのか、まゆをひそめる。
「任務に失敗してばかりいる君が、なぜローランド最高、などと呼ばれているんだね?」
「だからさ、あれは事故みたいなもんなんだって」
ライナはそう言って、ため息をついた。
「二年ぐらい前に、そんときのローランド最高の化錬剄使いと一緒の任務をやったんだよ。
そこでいろいろあって、そのローランド最高の化錬剄使いと、何でかわかんないけど闘うことになって、ぎりぎり勝った。それだけなんだって」
「ちょっと待て、ライナ。おまえはいつから、その、任務をやっているのだ」
ニーナが乾いた声で言った。
「うーんと、孤児院を出たときからだから……六年ぐらい前、だったかな」
「九歳のときから、だと」
ニーナは愕然としたように、言葉を搾り出した。
「俺が前、孤児院に入ったことは言ったよね。そこがさ、ちょっと特殊な孤児院でさ。
まあ、闘いかたとかいろいろなことを学んだよね」
「どんな任務を、していたんですか?」
フェリが顔を若干青ざめて言った。
「暗殺とか誘拐とか、もうホント反吐が出そうな任務ばっかりだったよ」
「何て、こと……」
フェリが、驚きの声をあげた。
「では、その証拠はどこにあるのだね。その任務を失敗し続けていると言う証拠は?」
カリアンは真剣な顔をして言った。
とはいえこの質問は、カリアン自身、ライナが答えてくるとはあまり思ってはいないだろう。普通なら、証拠の出しようがないからだ。
そして信じる、という形で、ライナに恩をかぶせて、さまざまなことにこき使おう、という腹だろう。そうだったら、強制都市外追放よりはましなはずだ。
しかしそうなるとめんどいので、ならばあえて、物的証拠を見せるべきなのかもしれない。
しかし、こんなものをほかの人に見せても大丈夫だろうか。変なトラウマとかにならないだろうか、とすこし心配にはなる。
ライナはすこし考えたあと、渋い顔を作った。
「……見たいの? でもさ、見ないほうがいいと思うんだけどね。気分が悪くなると思うから。だからさ、俺を信じてくれると、嬉しいかな」
――――必殺、他人任せ。
カリアンの顔色がかすかに動き、戻る。やはり、ライナが証拠を持っているとは思っていなかったようだ。
「見せろ、ライナ」
ニーナが言った。
「ホントに見るの? 見たら、トラウマになるかもしんないよ」
「あたりまえだ。お前は、わたしの部下だ。それがなんであれ、部下のことを知っておく義務が、わたしにはある」
まったく、ニーナの真っ直ぐな思いには疲れる。ライナはため息をついた。こんなふうなことは言うと思っていたけど。
「はぁ、忠告はしたからね」
そう言うとライナはおもむろに、服を脱ぎはじめた。
「な、何をやっているのだ、ライナッ!」
ニーナは顔を真っ赤にして叫んだ。
「何って、証拠見せようとしてるんじゃん。やっぱ、見ないほうがいい?」
「い、いや、見せてくれ」
落ち着こうとしてか、ニーナは大きく深呼吸した。それでも、顔色は戻らない。
ライナは、再び服を脱ぎはじめた。
シャツまで脱いだとき、誰かが息を呑む音が聞こえた。
「おまえ、その身体は……」
ニーナが、尋ねてくる。
「この傷、さ。俺が任務に失敗するたびに増えていくんだよね」
ニーナの顔は、青ざめた。いや、まわりのほぼすべての人間の顔が青ざめている。青ざめていないのは、レイフォンとハイアぐらいだ。
――――それもそうだろう。
とライナは思った。
切り傷のあとや刺し傷のあと。
それだけならとにかく、棒や鞭でたたかれた傷のあとや円状にできた火傷のあと。
そういったものが、身体のあちこちにできているのを、見ているのだから。
普通、ある程度の傷なら、今の医療技術で直すことができる。
ライナの傷あとだって、簡単に消せるものがほとんどである。
それでも残しているのは、この傷たちが、拷問でつけられたものだからなのだということに気づいたはずだ。
とはいえ、任務に関係なくたって、増えていたのだが。
「ねえ、もういい。俺、恥ずかしいしさ」
「あ、ああ、もういいだろう」
いつになく、動揺しているカリアンを横目で見ながら、ライナは服を着ていく。
服を着替え終えると、ライナはカリアンのほうを見た。
「で、あんたは俺をどうするの、カリアン」
「その前に、もうひとつ質問させてくれないか。なぜ、そんなにも失敗しているのなら、ライナ君をそのままにしておくのだ」
カリアンの言いたいことは、つまりなぜライナを上が処分しないのか、と言うことだろう。
ライナ自身、処分されない理由を知っているが、これだけはほかの誰かに知られてはならない。
「さぁ、なんでだろうね。俺には、上の考えることなんかわかんないし」
カリアンからは疑いの視線をむけられるが、ライナは知らないふりをした。
カリアンは、あきらめたのか、ため息をついた。
「何でライナは、任務を失敗し続けたの? そんな身体になっても」
レイフォンは言った。
「めんどいじゃん。任務こなすの」
「めんどいって……」
「だってさ、任務うまくこなしたらさ、さらに任務が増えて、寝る時間減るじゃん。それに、殺したりするのってさ、めんどーなんだよね」
「面倒……それだけの理由で、おまえは自分が殺されるかもしれないのに、やらなかったのか」
当たり前じゃん、とライナは即答した。ニーナの愕然とした顔が、ライナにはちょっと面白く感じられる。
「だって、人殺したらさ、それを背負っていって後味悪くなったり、幽霊になってでてきそうで怖いし。
誘拐したら、誘拐した奴の親とか知り合いが俺を襲ってきそうで怖いし。それにある程度慣れれば、何とかなるしさ」
「そういう問題なのか……」
「そういう問題だって」
「そんなわけが、あるかっ!」
ニーナの怒鳴り声に、ライナはすこしおどろいた。
「子供のころから、そんな生活をしていて、ライナ、おまえは苦しかっただろう。しかしやめる、という選択肢はなかったのか?」
「そんなの、あるわけないじゃん」
やめるということは、死、あるのみだ。逃げるのも、めんどくさいし。
「しかし、ローランドは、どれだけふざけた都市なのだ。守るべき子供を、そんな理不尽目にあわせるなんて……」
「ちがうよ、ニーナ」
ニーナの気持ちは、すこし嬉しかった。でも、ひとつ勘違いをしている。
「人はさ、誰だって、何かしらの理不尽を抱えて生きてると思うんだよ、俺は」
孤児院を出たあの子だったり、ビオだったり。今までライナがあった人たちは、それぞれが何かの理不尽を背負っていた人が多かった。
ライナ以上の理不尽を背負っている人が、この世界のどこかにはいるのかもしれない。
レイフォンだって、ある一面からすれば、ライナ以上の過去を持っていた。
「ま、だからさ、特別なことじゃないからさ、あんま気にすんな」
ライナがそう言うと、会議室は静寂に包まれる。
「それで、やはり君が、黒旋風なのか」
カリアンが言った。
ここは、そう認めておくべきであろう。そのほうが、自分の実力を示しているし、都市外追放もされにくくなるはずだ。
逆に都市外追放されやすくなるかもしれないが、いまさら隠したってあまり意味がない。
「それも、すっげぇ恥ずかしいから、やめてくんない」
「まあ、それはこれからの君の働き次第だね」
ぎこちなく笑いながら言うカリアンに、ライナは疲れた。
「なぜ、君は、わざわざあの夜に現れたのだね」
「そりゃ、もしも俺の力がばれたときに、あんたに機関部掃除を一週間ぐらいさせられそうじゃん」
「むしろ、でてこなければばれないと考えるべきではないか」
「そんな発想はでなかった」
カリアンは、疑わしむような視線をむけてくる。
「で、結局、俺はどうなるの?」
ライナがそう言うと、カリアンは考えこむように眼を閉じた。しばらくして眼を開ける。
「とりあえず、やって欲しいことがあったら君を呼ぼう。それまでは、とりあえず、いつもどおりでよい」
とりあえず、都市外追放だけは免れたようだ。そういう方向に持っていこうとしていただけに、ライナはすこしほっとした。
それに、今回の違法酒の事件にも巻きこまれそうにもない。死ぬ覚悟で任務を失敗しまくっているように見せかければ、カリアンがライナに頼むことはないだろう。
「じゃ、この話し終わり? はやく行かないと、サミラヤの奴が怒るし、それじゃ」
そう言ってライナは立ち上がり、会議室を出て行った。