レイフォンの告白から、すでに二週間が過ぎた。とくに騒動があるわけもなく、ただ一切は過ぎていく。そんな日々が、ライナにはうれしかった。
とはいえ、借り切った店中に鳴り響くミィフィのハイテンションな歌声や、ライナの隣にいて絡んでくるサミラヤとかは、正直何とかしてほしかった。
「ねぇ、ライナ。あなた、試合に出たのに、何でなんにもしないのよっ!」
サミラヤが顔を赤くしてライナの耳元で怒鳴ってくる。
サミラヤの持っているコップの中には、気泡が漂う澄んだ濃い褐色の液体が入っている。まあ、ただのジンジャエールだが。
先日、十七小隊は第三小隊と闘い、勝利した。この日は十七小隊の祝勝会が行われた。
ライナはいつものように、フェリの護衛という形で、のんびり寝ていただけだったが。
「だって、メンドイし。っていうか、だいたい俺が試合に出るってこと自体がおかしいんだって。そもそも俺、試合に出なくていいって言うから十七小隊に入ったっていうのに……」
レイフォンの告白から一週間は、ニーナからライナの前線の配置すると言っていたが、何とかそれは駄々こねることで、阻止することができたと、ライナは胸をなでおろしていた。
「でも、試合に出てるんだから、ひとつぐらい見せ場ってもんがあっていいでしょう?」
「え~~」
「え~~じゃないっ! そんなんじゃ、これからもず~~っと念威操者の護衛で学生生活終わるわよ」
「むしろ、来い」
「それじゃだめでしょうっ!」
サミラヤはため息をついた。そこに、まじめそうな女性徒ばかりの集団から抜け出してきたナルキが、サミラヤの席の隣に座った。うしろにはメイシェンもいる。
「ライナと何の話をされているんですか、サミラヤさん」
いい援軍が来たとばかりに、サミラヤは眼を輝かせる。
「ねえ、聞いてよ。前の試合、ライナってばなんにも活躍してなかったじゃない。せっかく小隊に入ってるんだから、小隊員のひとりでもいいからたおすとか、しなきゃいけないよね」
「え、ええ、まあ……」
ナルキは顔を引きつらせる。一瞬ライナのほうをむいて、すぐにサミラヤのほうに視線をもどした。
「ですが、普通の一年では、小隊員をたおすのは、難しいんじゃないかと……特にライナじゃ、なおさらですよ」
「だってライナは、普通じゃないわよ」
「そういう意味の普通ではないんですが……」
サミラヤはほほを膨らませた。
「だってせっかくの機会なのに、目立たないともったいないじゃない」
「確かにそうですが……」
「だからライナ、次はちゃんと……って寝るなっ!」
ライナの左のほほに、冷たく硬いものが押しつけられる。
ライナが眼を覚ますと、サミラヤはほほに押しつけていたコップを元の机にもどした。
しぶしぶライナは頭を起こすと、左ほほについていた水滴を手でふき取り、背筋を伸ばした。
「だいたいさ、俺がどうしようとあんたには関係ないじゃん。何度も言ってるけど」
「関係あるにきまってるよっ!」
突然のサミラヤの大声に、ナルキは肩を小刻みに震わせていた。まわりには聞こえていなかったらしく、こちらのほうには体をむけてこなかった。
「だってわたし、あなたの上司よ。上司が部下のことを気にするのって、当たり前じゃない。
これも何度も言ってるわよ。それにライナがそんなことを言うたびに、わたしは言いつづけるよ、絶対」
ライナはため息をついた。
「まったく、めんどいなぁ~」
「めんどいのは、わたしのほうよ。ライナがちゃんとすれば、わたしもこんなこと言わずにすむんだから」
ライナはサミラヤとにらみ合うが、ライナはすぐ視線をそむける。
「そ、それはとにかく、今日の試合もすごかったですね、レイフォン」
ナルキが何とか雰囲気をよくしようとするためか、話題を変える。
「だよねっ! レイフォン君ひとりで、第五小番隊の隊長さんとコンビのシャンテさんをまとめて倒しちゃうんだもん。ライナも、これぐらいしてくれればいいのに……」
「さすがにそれは……」
ナルキは苦笑いしていた。
「……わたしもね、ライナにそんなこと、できるわけもないってことぐらいわかるよ。
でもね、ほかの学生ががんばっても試合に出れないのにライナは出られるんだから、その人たちのぶんは、がんばってほしいのよ」
そう言うサミラヤの顔は、さっきまでの不機嫌は感じられず、穏やかな表情になっていた。
「そんなもん押しつけられても、俺は困るんだけど」
「だからね、ライナ……」
「すいませんが、夜も遅いようなので、失礼します」
そう言うとナルキは、席を立った。
サミラヤはナルキに軽く一瞥すると、すぐにライナの説教をはじめる。そのとき、ミィフィの歌が終った。
「歌終ったけど、歌いに行かないの?」
「まだ話は終ってないよ。……でも、歌いたい……」
そう言うと、サミラヤはうなりはじめる。決心したのか、表情が引き締まった。
「じゃ、わたし歌ってくるからね。ライナ寝ないで聞いておいてよ」
「はいはいわかったから」
ライナがそう言うと、サミラヤは立ってステージのほうにむかって行った。
そして、ミィフィからマイクを受取ると、ハイテンションに歌いはじめる。さらに盛り上がっているようだった。
それを確認すると、ライナは机に頭を乗せた。
「ねえ、ライナ、ちょっといい」
ライナがしぶしぶ顔を声のしたほうにむける。レイフォンと、小柄のいかつい顔をした男が立っていた。その眼は、ライナを物色しているように見えた。
「何だよレイフォン。せっかくサミラヤもいなくなってぐっすり寝られると思ったのに」
「ごめん。けど、君に会いたいって人がいるから……」
「君が、ライナ・リュート君か」
男が、はじめて口を開いた。
「俺は、フォーメッド・ガレン。ナルキの上司をやっている」
都市警の人間か。ということは、ライナの偵察にでも来たのだろう。
「ナルキがいつも、いつも君の話をしていて、ちょっと興味を持ったのでな。すこし話がしたい」
そう言って、フォーメッドはライナの隣のいすに座った。レイフォンもフォーメッドとはちがうライナの隣のいすに座る。
「でだ、君から見てナルキの様子はどうだ」
「どう、って言われても、俺が寝てるとアイアンクローで起こしてくるぐらいだし。
てかあんたがナルキの上司ならさ、あのアイアンクロー止めさせてくれない。あれスゲー痛いんだよ」
「それはライナがちゃんとすればいいだけのことじゃないかな」
「昼寝したいから、無理」
ライナがそう言うと、フォーメッドは笑い出した。
「ナルキから聞いていたとおりだな」
ちゃんと授業を受けとけよ、とフォーメッドは言葉を続ける。
「てかさ、ナルキあっちにいるから、そっち行きゃいいんじゃない」
ライナは、視線でニーナたちと一緒にいるナルキをさした。
「今日は、以前世話になったエースの祝いに来たのでな」
レイフォンが都市警の仕事を手伝っていると、どこかで聞いたような気がする。
「さっきも言いましたけど、そういう言い方は。止めてくださいよ」
「そう言うな。名誉なことじゃないか」
笑いながら言うフォーメッド。
「話も終ったんだったら、さっさと行ってくれない。俺寝たいんだけど」
「まあ、そう邪険にするなよ。……と言いたいところだが、今日のところは、ここでお暇させてもらおうか」
そう言うと、フォーメッドは立ち上がる。軽くライナを会釈すると、カウンターのほうにむかって行った。
あとでね、とレイフォンも言ってフォーメッドを追っていく。
「ね、ライナ、わたしの歌どうだった?」
しばらく経ってサミラヤは帰ってきてすぐに言った。
「よかったんじゃない」
「ホント! よかった~。でもライナも歌えばいいのに……」
「そんな暇があったら、寝てたいし」
「もう、寝てばかりじゃ身体に悪いよ」
「だって、リュート家の家訓は、寝る子は育つ、だし」
「大体ライナはね……」
サミラヤとの口論は、祝勝会が終わるまで続いた。
次の日、ライナはニーナとシャーニッドに連れられて、野戦グラウンドの観客席につれてこられた。
前に来たときと同じように、野戦グラウンドの観客席には人があふれていて、移動するのもままならない。
――――まったく、めんどうだな。
ライナは思った。
「で、今日はなにすんの?」
ライナは前に歩いているニーナに話しかけた。
「今日は武芸科科長のヴァンゼ率いるツェルニ最強といわれる第一小隊が、前に闘ったときにわたしたちが負けた第十四小隊と試合がある。その試合の見学だ」
ニーナはライナのほうを振りむいて言う。
休日であるにもかかわらず、ニーナは制服を着ている。
一緒に来ているシャーニッドは私服だった。レイフォンにフェリはなぜかここには来ていない。
何でも、レイフォンは事前情報があると油断するとかで。フェリはなぜかは知らないが、事情があって来れないという話だ。
ライナも、じゃ、俺も油断するから行かない、と言ってベットで寝ようとしたが、ニーナにひきづられて結局来てしまった。
用事がある、と言っておけばよかったが、あとの祭りだった。
「で、なんで俺はこんなに荷物運ばされてるんだ?」
ライナは、右肩にかけている黒いかばんを見る。長方形のかばんは、ずしりとライナの肩に重くのしかかってくる。
「そりゃ、一番下っ端が荷物を持つのは、当たり前だろ」
ライナのうしろで歩いているシャーニッドが言う。
「でもさ、俺、十七小隊に正式に入ってるわけじゃないんだし、別にいいじゃん」
「それでもだ。おまえは十七小隊の隊員で、わたしの部下なんだ」
「それに、おまえを休日ひとりにさせるなんて、マジで不安なんでな」
そう深刻そうに口調を低く言ってからシャーニッドは、すぐに冗談冗談といつもの軽薄な声で言った。
シャーニッドの言葉が本音であることは、ライナにはすぐにわかった。
あのときはレイフォンのおかげで過去のことを言わずにすんだのはライナにとっては幸運だったが、ほかの人にとっては不安材料を取り除けなかったに間違いない。
ニーナが三つ並んで空いている席を見つけると、ニーナの身体を滑り込ませるように座る。
ライナはしぶしぶニーナの隣に座り、シャーニッドもライナの隣に座った。
「ほら、はやく録画機取り出せって、ライナ」
シャーニッドに言われ、ライナはしぶしぶ黒いかばんの中から録画機を取り出した。
手のひらにあまる録画機なので、これで高速での戦闘もあるのに録画なんかできるのか? とライナは思った。
ライナの座っている席は外縁部のほうなので、まあがんばれば撮れるかもしれない、とも思う。どうでもいいことだが。
そのカメラをシャーニッドに渡し、ライナは眼をつぶった。
ライナが目覚めたのは、歓声が野戦グラウンドを覆ったときだった。
ふと、ライナは野戦グラウンドを見渡すと、前に戦った十四番隊の隊長がうつ伏せで倒れているのに気づいた。
その近くには、ひときわ目立つ大柄の男と銀髪を短く剃ったの男の二人が、倒れている十四番隊の隊長を見下ろしている。
タンカーを運んできた男たちが倒れている十四番隊の隊長を乗せると、出口のほうにむかって行って、扉のむこうに消えていった。
「さすがに強いな、一番隊は。攻めあがってきたシンさんを孤立させ、複数人で囲いこみ、シンさんの背後にまわっていた狙撃主が狙い打つ。見事、と言うしかないな」
ニーナはうなずきながら言った。シャーニッドは無言で録画機をまわしている。
「なあ、ライナ。おまえはやっぱり、試合では闘ってくれないのか?」
唐突なニーナ言葉にすこし驚きながらも、ライナは野戦グラウンドを見ていた。
野戦グラウンドはまだ整備中のため、次の試合がはじまるまでにはしばらく時間がかかりそうだ。
「前にも言ったじゃん。めんどいから俺は闘わないって」
あくび混じりに言うライナ。
「おまえがめんどくさいと思っているのは、わたしもわかっているつもりだ。
だが、汚染獣を食い止めるほどの腕前なのに、その力を有効に活用しないのは、武芸者として怠慢ではないか? あのレイフォンだって、それなりに手加減しながらだが闘っている」
「別に俺だって、好きこのんで強くなったわけじゃないし」
そう。別に好きで強くなったわけじゃないのだ。
本当は、普通の人のように暮らしたい、という気持ちが強かった。それもこの眼があるかぎり、かなうことはないとわかってはいたが。
「……まあ、いい。その気になったら、わたしに言ってくれ」
そう言ったきり、今日の試合が終わるまでニーナは口を開かなかった。
「おいライナ、ちょっとつきあえ」
すべての試合が終わり、空が徐々に赤みがかってきたとき、シャーニッドが言った。
「え~、俺これから寝たいんだけど」
「まあそう言うなって」
そう言いながら、シャニッドは、ライナの肩に手を回してくる。
「じゃあニーナ。俺はこいつといって来るわ」
「遅くならないでくださいよ、先輩。ライナもな」
そう言うと、ニーナは立ち去った。
「じゃ、行くか」
そう言って連れてこられたのは、繁華街の一角にある店だった。
肌を露出させて、化粧のにおいがきつい女性たちがライナにいろいろ語りかけてきた。
はじめのうちは、ライナのことを警戒していたが、すこしずつ警戒を緩めていった。
ライナは面倒なので、適当なことを言っていると、母性本能に直撃するわ~とか、この駄目人間オーラは本物、とか、う、うそ、わたしのダメンズスカウターの値が六十三万を超えてさらに上昇しているなんて……、とか、駄神よ、ここに神が生まれたんだわ~、とかいろいろ言ってきて、とても怖かった。
ライナが店から出るときには、疲れきっていた。もう二度とくるか、とライナは思った。
「なあ、楽しかったか」
寮への帰り道、夜の繁華街を歩きながらシャーニッドが言った。
「まじで疲れたし。はやく帰ってベットに入りたい」
「そうか」
わるかったな、とシャーニッドは言葉を続けた。
「わかったんだったら、もうこんなとこにつれてくるなよな」
「いやそうじゃなくてだな。だからな、おまえにいろいろ言ったことだよ」
そう聞いて、老生体のときのことか、とライナは気づいた。
「別に、気にしなくたっていいけどね」
あれぐらいのことは、ローランドにいたころは日常茶飯事だ。
もっと理不尽ことを言われたことなんて、いくらでもある。そんなことといちいち気にしていたら、身が持たない。
「老生体と闘い終わったあとですこし考えたけどな、俺はやっぱし、おまえのことを危険人物だと思ってる」
でもな、とシャーニッドは言葉を続ける。
「ちゃんとおまえ自身を見なきゃいけねえとも思ったわけよ。ローランド出身であることを気にしないでな」
「ふーん」
「ま、だからさ、これから覚悟しとけよ」
それっきり、会話はうまれなかった。