ニーナが倒れた翌日。
午後から生徒会の仕事をする予定だったのだが、ニーナが倒れたことをサミラヤはどこからか聞いていたらしく、ニーナの看病をしろ、とライナに言ってきた。
ライナは嫌がったが、サミラヤはそれを生徒会の仕事にすると言ってきかず、生徒会室に行き、カリアンに相談をした。
結局、カリアンまでもがサミラヤの意見に賛成したため、ライナはニーナの看病をすることになってしまったが。
ライナがニーナの病室に着くと、すでにレイフォンが椅子に座っていた。ライナが来たことにおどろいているようだった。
ライナが看病に来た理由をレイフォンに言ったあと、レイフォンは木でできた机の上にある花瓶を、じっと見つめていた。
しばらくニーナはおきそうにない。それを確かめると、ライナは眼を閉じた。
ライナの眼に赤い光が差しこんでくるのを我慢しきれず、ライナは眼を開けた。中途半端な時間に起きたので、まだ眠い。
気づくと、いつのまにか日が傾いていた。
「ここは……」
ベットのほうから、呆然としたニーナの声が聞こえてくると、レイフォンは花瓶から眼を離し、照明をつける。影が白く染まった。
照明の明かりがまぶしいのか、ニーナは眼を細めて、ライナとレイフォンのほうを見る。
「病院ですよ」
「病院……?」
レイフォンの言葉に、ニーナはどこか現状を理解できていないのか、そうつぶやいた。
「そ、病院。あんた、昨日のことおぼえてないの?」
「……いや……」
白い天井を見て、ニーナはゆっくりと首を振り、こまかいため息が続く。
「そうか、倒れたんだな」
「活剄の使いすぎです」
「ずっと、見ていたのか?」
「俺たちが見てたのは、あんたが機関掃除が終ってからだし」
ライナが口を挟む。レイフォンがとめようとしたようだが、おそい。
そこからか、とニーナがつぶやいた。
「無様だと、笑うか?」
「笑いませんよ」
「わたしは、わたしを笑いたいよ」
シーツが揺れる。
「無様だ……」
「そんなもんで、無様、なんて言わねえよ」
「……」
ニーナの視線が鋭くなったように感じた。それでも、ライナは訂正するつもりなどなかった。
「あんたのはただ、今のあんた自身の限界に達して倒れただけだ。
武芸者だったら、生きてるうちに何度かなるって。そんなもんでいちいち無様、なんて言ってたら、これからあんたは、武芸者なんかやってられないさ」
本当に無様なのは、自分のことを好きだと、愛していると言ってくれた人を、見殺し同然にした、ライナ自身だ。
「ライナ、貴様に何がわかる。貴様のように何も考えないで気楽なやつに、いったい何がわかるんだっ!」
ニーナは体を起こそうとしたのだが、筋肉痛で痛むのか、顔を歪ませベットに横たわった。
「隊長! ライナも、すこし言いすぎだよ」
レイフォンがニーナに駆け寄る。
ライナは息を吐き出すと、病室で出た。
「何やってんだろ、俺」
ライナは、勝手に帰るとあとが面倒になりそうだったので、病院の屋上で夕日を見ていた。沈む夕日とともに、ライナの気分も沈んでいく。
――自分らしくなかった。
いつものライナなら、あんなふうに口を挟まず、ただ見ていただろうに。
だが、それでも口を挟みたくなったのだ。
あんなことぐらいで、いちいち無様だと言うニーナに。あれぐらいのことで無様だと言っていたら、子どものころ、毎日のように倒れていたライナはどうなるんだろう。
別に、あんなふうになるのは、武芸者ならよくあることだ。
だが、本当は理由は別にある。
正直なところ、ライナはニーナのことがまったく理解できなかった。あんなふうに、一生懸命がんばって、都市を守ろうとすることが。
ライナにとって、都市と言うものは、化物だった。
何の躊躇もなく、人を殺していく。大切な人も物も思い出も、何もかも破壊していく。もうライナに残っているものは、何もない。
「ライナ、よかった。まだ帰ってなくて」
うしろから、レイフォンの声が聞こえてきた。そして、ライナの隣に並ぶ。
「おどろいたよ。ライナがいきなり、あんなこと言い出すから」
「わるかったよ、レイフォン。俺も、すこしらしくなかったし」
「隊長もちょっと言い過ぎてたって、後悔してたって言ってたよ」
「そんなことより、おまえ今から行くんだろ。こんなところであそんでていいのかよ」
ライナが言うと、レイフォンは首を振る。
「まだ、すこし時間があるし、ライナに聞いておきたいこともあったから」
そう言って、レイフォンはライナのほうをむく。
「ねえライナ……いや、やっぱり聞かない」
「そこまで言って、聞かないのかよ」
「……うん、こういうのは、時間があるときに聞くよ」
「それじゃ、いいだろ。そんなことより、おまえ、これから汚染獣と闘うんだろ。そっちのほうは大丈夫なのか?」
夕日が枯れた大地に沈んでいく。もう、今日も終わりだな、とライナは思った。
「そっちは、大丈夫だと思う。戦闘着が完成したのが、今日だからよくわかんないけど。ハーレイ先輩から渡された複合錬金鋼(アダマンダイト)は大きいけど、ちょうどいい重さだし、汚染獣とは闘いなれてるから」
複合錬金鋼は、三種類の異なる錬金鋼をさらに合成することによって、それぞれ異なる錬金鋼の特性を使うことができるという錬金鋼だと言っていた。
ただ、三本の錬金鋼の持つ復元状態での基礎密度と重量を減らすことができなかったため、振り回すには重過ぎるのが欠点だと、ハーレイは言った。だが、レイフォンにとっては、欠点も欠点ではないようだ。
「わかったわかった。それよりも、もうそろそろ行かないと、マジやばいんじゃないか。カリアンの奴、怒るぞ」
「そんなことは……でも、さすがにもう行かないと」
レイフォンはそう言って立ち去ろうと振りかえるが、何かを思い出したのか、またライナのほうをむいた。
「話は変わるけど、ひとつ約束してほしいんだ」
「なんだよ」
レイフォンは、真剣なまなざしでライナを見ている。
「隊長に、無茶させないでね」
ライナには、その言葉が遺言のように聞こえた。レイフォンはそう言いのこすと、扉のほうに走っていった。
「俺そんなこと約束しない、ってかもういないし」
ライナはため息をついた。だいぶ夕闇が広がってきて、世界を黒く染めはじめている。これ以上ここにいたら、すこし寒くなるだろう。
「じゃ、隊長さんの病室に行こうかな。行かないと、あとでサミラヤとかにちくられるとめんどくさそうだし」
そうひとりつぶやく、ライナは扉にむかった。
「すまん! 言い過ぎた」
ライナがニーナの病室に入ると、ニーナがベットに入ったまま言った。
すこしおどろきつつも、ライナはあわてないように、椅子に座る。
「俺のほうも、らしくなかったし、別に気にしなくていいって」
「……おまえに、聞いてほしい。わたしが、なぜこんなふうになるまで、自己鍛錬したのかを」
「いや、そんな話聞きたくないんだけど……」
しかし、ニーナはライナの話を聞かず、語りはじめた。
「……最初は、わたしの力が次の武芸大会で勝利するための一助になればいいと思っていた」
淡々と、ニーナは言う。
「だが、すこしだけ欲が出た。レイフォンが強かったからだ。
レイフォンの強さを見て、最初は怖かった。本当に人間なのかと思った。だが、レイフォンもやっぱり人間なんだと感じたとき、欲が出た。
単なる助けでなく、勝利するための核になれると思った。何の確証もなく、十七小隊が強くなったと思ってしまったんだ」
そう言うと、ニーナは口をかすかにゆがめ、天井をむいた。
「だが、負けてしまった。当たり前の話だし、負けて逆にありがたいと思った。
わたしの間違いを、あの試合は正してくれた。だが、その次でわたしは止まった。……なら、勝つためにどうすればいい、と」
ニーナがそこまで言うと、ライナのほうをむく。
「はじめは、お前がレイフォンぐらいでいいから、やる気になってくれればいいと思った。おまえがわたしと闘ったときぐらいあれば、それだけでも充分、隊は強くなるはずだと」
「で、あんたは試合の終わった次の日に、俺に本気を出せって言ったのか」
それで、いきなりニーナがあんなことを言い出したのかわかった。
「おまえに断られてから、わたしは、わたしが強くなればいいと思った。
レイフォンと肩を並べることができなくても、せめて足手まといには強くならないぐらいにはと思った。だから……」
――だから、個人練習の時間を増やしたのか。
とライナは思った。
やっぱり、めんどくさい人だ、とライナは確信した。
この無意味な世界で、ひたすら真っ直ぐにがんばるニーナをライナは理解できないが、そのあり方に直視できないほどの眩さを感じた。
ライナはため息をつく。
「これはさ、本で読んだことなんだけど」
「ん?」
「あんたの技は形だけならすこしはできてるけど、あんなんじゃ、ある程度強い奴には通用しない」
「ライナ……?」
ライナはこう言ったら、ニーナは怒り出すと思ったがそうでもなかった。急に話が変わったから、ライナの話について来れてないだけだろうか。
「いかに剄を効率的に攻撃に結びつけるか、なんだ。それができなきゃ、どんなに型を身につけたって、簡単に防がれちゃうし」
「それは、いったい……?」
つまりだ、とライナは前置きする。
「身体の部分がすこし違うだけで、武芸者だって人間だ。活剄で身体を強化するのだって、必要な部分だけ強化すればいい。むしろ、変なところ強化したって、剄の無駄だし、むしろ動きの邪魔になる場所だってあるし」
「そんなことは、あたりまえじゃないのか?」
ニーナが半信半疑のまなざしで、ライナを見てくる。
「そういう意味で言ったんじゃないけど……」
ライナはため息をつく。
「たとえば、走るとき、蹴り出すときと踏みしめるときに使う筋肉やら、なにやらの場所は違うじゃん。
だから走るときに足全体を強化するんじゃなくて、使う場所を重点的に活剄で強化すれば、使う剄は減るし、意識してやるだけ、自分の身体のことがよくわかっ て、普通に淡々と活剄をするより活剄の練習になる」
人の剄の総量は、基本的に同じである。剄息などで多少増えたり、稀にとあるきっかけで大幅に増える人はいるが、そうめったにあることで起こることではない。
だからこそ、いかに剄を効率的に使うことができるのか。それは剄の量がそれほど多くない者にとって、重要なことではある。
最終的に、内力系活剄を化錬変化で電流にかえて、闘うときに必要な筋肉にだけ流すことで、その部分だけ筋力を増やすことができれば、文句はない。
普通にからだを動かすより、この方法で鍛えたほうが、はるかに効率的に鍛えて、無駄な筋力をつけないですむ。
筋力を鍛えておけば、活剄はさらに強力になるし、ある程度、剄を流す量を低く調節できる。
あまった剄を、より強力な衝剄のほうにまわすことができる。そうできれば、万々歳である。
しかしライナとしては、そこまで教えるのはめんどいのでやらないが。
「そんなことが、できるのか?」
「できるから言ったんだけどね」
ライナは首を振った。
「まあ、いきなりやれ、って言ったってできないから、そういうのは専門書を読むか、誰か教えてくれる人でもさがせばいいし。まあ、俺に言えることは今のところはこれぐらいかな」
ライナがそこまで言ったところで、ニーナがふっと笑った。
「レイフォンが言ったことと違うな」
「ん? 違うの?」
ああ、とニーナはうなずく。
「レイフォンは、武芸者として生きるのだったら人間をやめろ、と言っていた。だが、おまえは武芸者だって人間だ、と言った」
ライナは頭を掻いた。
「それで?」
「思考する剄という名の気体になれ、と」
「……確かに、そっちも正しいし」
レイフォンが剄息のことを言っていると当たりをつけていたが、正解であったようだ。
そこまで言って、ライナは病室の外を見る。すでに夕日は沈んで、暗闇が病院を覆っていた。考えてみれば、今日は十時間しか寝ていないことに、ライナは気づいた。
武芸者は、普通の人間にはない、剄脈と呼ばれる臓器が存在している。それは普通の人間にはない臓器だ。
ならば、普通の人間と同じように考えるほうが間違っている。
「でも、剄の量ってだいたい人によって決まってるからさ、剄息で剄の量を増やしたって、増える量はたいした量じゃないんだよね」
すくないより多いほうがいいけど、とライナはつけくわえる。
「レイフォンぐらいの剄の量があれば、あまり気にする必要はないんだけどね。
でも、あんたはそうじゃない。それだったら、人間の延長だ、って考えたほうがいいし」
暗に、レイフォンは化け物だ、と言っているようで、ライナはあまりこういう言い方は好きではない。
しかし、あえてニーナにもわかりやすくするためにあえてそう言った。
「人間の延長か、そういう考えかたもあるのか」
そうニーナはうなずく。
「だが、おまえは教えてくれないのか? その、活剄のやり方は」
「へ? なんで?」
「なんで、って。おまえが言ったんだろう?」
「だから、俺が言ったのは、本に書いてたことなんだって。それにめんどいし」
「おまえという奴は……せっかく今日は一度もめんどい、と言わなかったのに。ここに来て言うか!」
顔を真っ赤にしてニーナは言う。やはり、ニーナはこのほうが彼女らしい、とライナは思う。
「それと、おまえも十七小隊の隊員のひとりなんだから、それなりにがんばってもらうぞ」
「え~なにそれすげぇめんどくさい」
「何を言ってるのだ。これからわたしたち十七小隊は、チームで強くなるんだ。 レイフォンにも約束したんだから、だからおまえもせめて、わたしと闘ったときぐらいは力を出せ」
眼をきらきら輝かさせて、ニーナは言う。
「めんどいな~。そういうのは隊長さんかレイフォンの役割だろ? 俺は、やってやるぜ、とかがんばるぜ、とかそういうキャラじゃないって」
「そういうキャラとか、関係ない。おまえもこの学園の生徒で武芸科の学生で、何よりわたしの部下だ。これから、びしびしいくからな」
すごくめんどくさいことになった、とライナは思った。だけど、すこしだけ自分の口元が緩んでいるのが、ライナにはわかった。
「それじゃ、俺帰るから」
そう言って、ライナは振りかえり、ドアのほうにすすむ。
「待て、ライナ」
「ん? なに?」
ライナはニーナのほうに顔だけ振りかえる。
「助かった。ありがとう」
「俺は、別になんもしてないって」
そう言いのこし、ライナは前をむくと、もううしろを振りむかず、廊下へ出ていった。